月刊デラシネ通信 > サーカス&パフォーマンス > パフォーマンス > ロシアエトランゼの系譜 > 第7回
トルコのコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)で始まった亡命生活、順調だった生活に少しずつ時代の影が忍び寄ってくる。ベルチンスキイもここを離れる時がやってきたのを知る。
コンスタンチノープルに集まってきた亡命者たちは、最初の頃、みんな希望に満ちていた。「こんなことは長くは続かないはずさ、イギリスが資金を提供してくれて、軍備が整えば」とか「新しく軍隊が組織されるはずさ」とか、特にロシアから物を持ち出すことや、仕事を見つけることができた商人たちや、投機家たちは、こう言って、将来について明るい見通しを立てていた。ある商人などは、新年にモスクワへ戻れるかどうかの賭けに、戻れる方に大金を賭けていたぐらいだ。
イギリスはもう資金も出し、軍隊だってできたではないか、そんな楽観的な状況じゃないと異を唱えるベルチンスキイは、少数派だった。
ベルチンスキイは、ロシアから逃げてきた反革命軍が駐留していた半島にあるゲリポリで目にした、希望を失い、疲れ果てた兵隊たちの様子が、亡命者たちの明日を物語っているに思えてならなかった。
やけつくような太陽が照りつけるこの町には、かつては十字軍も駐留していた。緑もなく、あるのは太陽、そして灼きついた岩、そしてトカゲ。
この荒涼とした町は、一時期白軍たちの避難場所となっていたのだ。
ここにはのべ三万人の亡命した反革命軍が駐留していた。しらみやチフス、赤痢の手から逃れた、傷ついた兵士たちが、身を寄せることになった。
故国を失い、未来だけでなく、いまさえもない兵士たちは、この町で、いたずらに時を過ごすだけだった。賭けるものなど互いにないのに、トランプ賭博にうつつをぬかし、武器の部品を売り払い、煙草やトルコのウッォカを買い求める兵士たちの胸には、赤い革命に対抗する白い理想はとうの昔になくなっていた。
故国に帰ろうという望みなどすでに消え失せていた兵士たちは生き延びるために、ここを捨て、ヨーロッパやアメリカ、そして南米など、異国の地へ向かおうとしていた。
8人の将校たちが、ピストル自殺した。ふたりの将校は海辺で酒を飲んでいた。ヒステリーに罹った兵士たちが、絶望にかられ、海に向かって、発砲した。ロシアまで泳いで帰ろうと、海に飛び込む者もいた。もちろん水に入って、酔いは覚めたようだったが・・
ときおり岸部に、オデッサまで行く汽船が通りかかった。白いシャツを着た人たちが、長いことをこれをじっと見つめていた。このまま逃げるのか、故郷に戻るのか、さまざまな思惑が浮かんでいたはずだ。しかし帰ることは出来なかったのだ。
ベルチンスキイは、相変わらず「黒いバラ」で歌っていたし、かつて働いていた「ステラ」でも、ロシアのバンドが演奏し、ダンサーたちも踊っていたし、ロシアの婦人たちは、アメリカ人、イギリス人、フランス人たちを誘惑していた。すべてはうまくいっていように見えたが、金が底をつこうとしていた。
持ってきた物を売りさばいてなんとかしのいでいた人々も、故国に帰れる見通しがないまま、ここにとどまるわけにはいかなくなった。またビザを求めて、奔走が始まる。
インテリたちはチェコを目指した。学者や作家、ジャーナリストがそこに向かった。大地に定住したいものたちは、アルゼンチンを目指した。なにか手立てのある者たちはパリへ向かった。こうして亡命者たちはバラバラに散っていった。
ロシアからの亡命者たちを無差別に受け入れていたトルコ政府も、政情の変化にともない、さまざまな規制をもうけることになる。トルコにおける亡命者たちの自由を厳しく制限するさまざまな法令が次々にだされた。
「どこかに逃げなければならなくなった。これについては私も考えることになった。私の前にはふたつの大きな問題があった。ひとつはどこに行ったらいいのか? ふたつめの問題は、どんな書類が必要か(古ぼけた出生証明書以外に、私は何の書類もなかった)?。さらにもうひとつ、どんな手段があるのか」
運命がベルチンスキイをひとつの道へと導くことになった。彼とよく顔を合わせていたロシア人の血をひくギリシャ人の若者で、演劇の仕事をしていたキリャコフが、ルーマニアに行こうと誘ってくれたのだ。かつてロシア人が居住していたベッサラリボだったら、彼も歌えて、稼げるはずだという。ベルチンスキイは喜んでこの提案を受け入れる。
キリャコフはベルチンスキイのために100リラで買ったギリシアのパスポートを用意してくれた。
パスポートには、アレクサンドル・ベルチディス、キエフで生れたギリシア人と書かれてあった。父親はアテネ生まれで母親はウクライナ人ということになっていた。
ベルチンスキイは、このパスポートをもっておよそ世界半周することになる。
出国手続きの時、パスポートが偽造なのを見破った役人から「全世界回れるはずだよ。でもギリシャに行こうなんて思わないことさ。ギリシアに行ったらすぐにとられちゃうよ」と親切に教えてもらう。ベルチンスキイはこの助言を生涯忘れることがなかったという。そのために生涯彼はギリシアを訪問することがなかった。
ベルチンスキイは、太陽の国と別れを告げ、コンスタンツァ行きの切符を持って、また見知らぬ地へ向かって、船に乗った。
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