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産経新聞『横浜飲み食い交流記』

鎌倉・近代美術館内喫茶室−
 絵の余韻にひたり神彰の「幻談義」の思い出話を聞く

産経新聞横浜版『横浜飲み食い交流記』2000年8月1日に掲載


 いい絵を見たあとに飲むコーヒーは格別な味がする。鎌倉の近代美術館の喫茶室は、二階から蓮池を眺めおろし、絵を見たあとの余韻に静かにひたれる絶好の場所だ。ここで鎌倉で最期を迎えたひとりの風雲児の思い出話に耳を傾けた。
 ドン・コサック合唱団やボリショイバレエやサーカスを呼び、一世を風靡したプロモーター神彰が亡くなって二年になる。
 晩年神は鎌倉のタウン誌『せきえい』に、『幻談義』と題したエッセイを八回にわたって連載している。連載一回目で彼がとりあげたのは、放浪画家長谷川利行。「おれに絵を描かせろ」と泣き叫び、養護施設でひとり死んでいったこの男の絵に、神はとりつかれていた。ちょうどここで『長谷川利行展』が開催されていた。粗々しいタッチで描きなぐられた彼の絵からは、見るものを捉えて離さない強烈なオーラが漂ってくる。一通り絵を見た後喫茶室で、『せきえい』の元編集長、石英文庫の安井努に会った。安井は「とんでもない人と出会ったという感じですよ。ほら吹きとか言われているようですが、私には信じられない。本物を見抜く力をもった人です」と静かに神との出会いのシーンを思い起こす。『幻談義』は三回目以降、神の故郷函館に住んでいた乞食詩人万平を主人公としたフィクションになってしまう。安井が注文をつけると、神はこれ以上原稿を書かなくなったという。
 まさに幻となり消えた『幻談義』がこの五月に蘇る。神の小学生時代の同級生で、函館に住む佐藤富三郎氏が神彰の三回忌を前に、冊子『幻談義』を復刻したのだ。自費で二千部も印刷するという暴挙(?)に駆り立てたもの、それは神彰というすごい男がいたことを少しでも多くの人たちに知ってもらいたいと思ってのことであった。
神彰の墓 いま神彰は、函館の立待岬、石川啄木の墓の近くで永遠の眠りについている。 太平洋と函館の町を一望できる小さな丘に、ひっそりと立つ白い墓こそ風雲児神彰の最期の地としてふさわしい場所かもしれない。『幻談義』で神は、幻を求める、とらえようと真剣にとりくむ魂に化粧は無用だ、捨てることだとも語っていた。安井にこの墓の話をすると、ぽつり「神さんらしくていいですね」とつぶやいた。いま神彰という男の見た幻を追ってみたいという魅惑に、駆り立てられている。


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