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もうひとつの「虚業成れり」物語

第4回 上野破魔治の死

 韓国から戻って机の上に載せられていた手紙類のなかに、喪中の切手が貼られたハガキが一枚あった。そうかもう忌中を知らせるハガキが来る季節になったのかなどと思って、裏をみてみたら、神彰の満州時代の上司、上野破魔治さん急逝を知らせる娘さんからのものだった。
 この本を書くうえで、上野さんからお話を聞いたことはとても大きかった。謎だった満州時代の神彰について、上野さんの話から明らかにできた。上野さんは、やんちゃで仕事もせずに、我ばかり張っていた神のことを、どうしようもない奴だと言いながらも、憎めない、むしろ愛着をこめて、なつかしそうに語ってくれた。特に、終戦後の新京で、これからは中国やソ連の時代だから、ロシア語や中国語で看板を書けば儲かると神にそそのかされ、看板屋をはじめた話は忘れられない。持って生まれた才能とでもいうのだろうか、機を見るに敏、神の商売勘をしめすエピソードでもある。こんな部下に振り回されながら、なんとなくのせられてしまう、上野さんの姿に、神彰と付き合い、だまされてしまうかつての仲間たちの姿が重なり合った。
 神になにか才能のひらめきのようなものを感じていた上野さんだったが、AFA設立当時一緒にやろうといわれながらも、それを断り、また交通公社に戻っていく。これはある意味で賢明な選択だったようにも思える。水商売のような興行の世界に足を踏み入れることなく、交通業界で上野さんは、立派な業績を残されることになる。

 上野さんは、とにかく元気なおじいちゃんだった。私が質問すると、手帳をみながら、年代を確認しながら答えてくれた。細いからだからは、エネルギーがわき出ていた。確かお話を聞いたのは、新宿のロシア料理屋で、これから哈爾浜学院の集まりがあるので、その前に話をしましょうということだった。お会いしたのはこの時だけだったのが、何度かいただいた年賀状もユニークなものだった。私がお会いしたときは87歳だったと思うのだが、とにかくシャッキとしていた。
 本をお贈りしてから、なんの連絡もなかったので、身体の具合が悪いのかとちょっと心配していたのだが、哈爾浜学院に学んだ人から、上野さんからこの本のことを聞いて読みましたというメールをもらって、おじいちゃん元気でいるんだと、ちょっと安心したりしたものだ。
 娘さんからのハガキによると、上野さんは亡くなる前の日まで元気で、突然の死だったという。9月22日夜、90歳の誕生日を目前にひかえての死であった。

 この本を書くために取材をさせてもらった人たちの訃報を何度聞かなくてはならなかったろう。函館の小学校の同級生だったひげの佐藤富三郎さん、そして函館商業美術部の一級下で、哈爾浜学院出身の佐藤一成さん、同じく同級生の椎名泉さん、そして上野さん。ふたりの佐藤さんと椎名さんは、私の本を読まずに亡くなってしまった。でも上野さんはこの本を読まれたはずだ。どんな感想をもったのか、それを知ることができないのは、とても残念である。
 このハガキをくれた娘さんに手紙を書いてみようかと思っている。上野さんが、どんな風にこの本を読んだのかを。


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長谷川濬―彷徨える青鴉