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週刊デラシネ通信 今週のトピックス(2001.01.28)
ゴンザ研究会が発見した漂流民新資料

 私が追いかけている宮城県石巻の若宮丸漂流民より、およそ70年前にロシアに漂着した薩摩出身のゴンザとソウザという漂流民がいる。このふたりのうちゴンザは、ロシア人と協力して日本語の辞書をつくったことで知られている(この辞書の翻訳も、日本で出版されている)。
 鹿児島には、ゴンザのファンクラブがある。私も去年5月に研究会に呼ばれ、レザーノフと若宮丸漂流民について1時間半ほど話す機会を与えてもらった。学校の先生や、郷土史の研究家とか、いろいろな人が集まっているのだが、とにかくみんな熱心なのに驚いた。ゴンザのことをひとりでも多くの人たちに知らせたい、そしてゴンザやソウザの出身地がどこだったか調べようというその熱気にすっかり煽られた。漂流民の足跡をたどるという仕事は、アカデミズムだけではなく、こうした民間の人たちの情熱、あつい想いが、大きな原動力になる。
 そして実際に今度、ゴンザとソウザに関するとんでもない資料を掘り出した。

 ゴンザファンクラブでは『ゴンザ』と題した会報を発行しているのだが、この42号に、この新史料の翻訳と、詳細な解説・考察が掲載されている。
 漂流民研究にまた新た一ページが加わったといえる。
 これは、当時ペテルブルグの科学アカデミーに招ねかれたドイツ人バイエルという学者が、1734年2月に自分の家にゴンザとソウザの二人を招いて、記録した聞き書きメモである。原文はラテン語で書かれたものを、ファンクラブのメンバーの上村氏が、翻訳、さらに英訳されたものがグラスゴー大学にあることを知った上村氏は、同じくメンバーのひとりでロンドンの漱石記念館長の恒松氏を通じて、これも入手、会報のなかでは田頭氏が翻訳している。
 辞書だけではわからない、ふたりの漂流民の肉声が聞こえてくるような貴重な記録といえる。
 詳しくはファンクラブの連絡先を最後に書いておいたので、この『ゴンザ』42号を手に入れて、見ていただくのが一番だと思う。

 私が感じたことを二、三書きとめておきたい。
 聞き書きといっても、バイエルの意見や考察が入っての記述なので、すべてここで書かれていることが、解説で上村氏も書いているようにゴンザとソウザの知識によるものとはいえない。
 これがとても惜しい気がした。帰国した若宮丸漂流民たちの話を聞いて、蘭学者大槻玄沢がまとめた『環海異聞』も、大槻自身の知識がかなり入っているため、どこまでが漂流民たちの言葉なのか、わからないところがある。バイエルも大槻も、いままで読んで知った西洋や東洋の知識を裏付けることに夢中になってしまったといえるのかもしれない。肉声をもっと生のかたちで聞きたかった。それが惜しい。

 しかしこの資料から、おぼろげながら、私なりにふたりの人間像が見えてきた。人間像というよりは、ふたりの関係が見えてきたというべきかもしれない。
 当時ゴンザは15歳、ソウザは40歳だったという。漂流して5年の歳月が経っていた。ゴンザはよくロシア語を話し、ソウザは自分の国について豊富な知識を持っていたとバイエルは書いている。そしてふたりは補いあって、我々を助けてくれたとも書いている。異郷にあって、親子ほどの年の違いがあるふたりが、肩を寄せ合って生きていた、そんな情景が浮かんでくるようで、ホッとする。

 若宮漂流民は、イルクーツクに着いたあと、仲間割れ、特に帰化組と帰化拒否組と分かれ、漂流で苦労を共にした乗組員たちが、激しく憎み合ってしまう。レザーノフが漂流民四名を連れて乗り込んだナジェジダ号には、帰化した仲間の善六も乗っていたが、最後まで彼らは激しく対立していたと、同乗していたロシア人たちが書いている。
 心情がわからないでもないが、同じ船に乗り、同じ釜の飯を食べ、生きてきた仲間が、このようにやり合っていたとは、なんとも痛ましいことではないか。

 そんなこともあったので、かたやロシア語がペラペラで、かたやあまりできないふたりの、異郷での日常がどんなものかと、実は心配していたのだが、このバイエルのメモを見てるうちに、助け合いながら、このふたりがバイエルの質問に答える姿が見えてきて、救われる思いがした。
 ソウザは、このあと2年後に亡くなり、この直後からゴンザは、ボグダーノフと共に日本語辞典を編むことになる。ここに収められている単語はおよそ12000語。10歳の時に日本を出て、日本についてさほど知識があったとは思えないゴンザが、これだけの語彙をもっていたことに驚かされるのだが、その影には、ソウザとの一緒の生活のなかで、得た日本についての知識が反映されているのではないだろうか。その意味で辞書はゴンザがつくったものだが、ソウザとの共同作業と言ってもいいような気がしてくる。

 レザーノフは、日本に出発するにあたって、日本について書かれた本を何冊か、船に積んでいる。ケンペルやティチングといった、日本に来たことがある人が書いた紀行を読んでいた。そればかりか、イギリスに寄港した時には、ティチングに会おうとしたことも彼の日記には出てくる。日本に関する知識、特に天皇と将軍のちがい、宗教についての見識は、ある程度彼らの著述から学んでいたことがわかる。
 バイエルもふたりに質問するなかで、頻繁にケンペルの書を持ち出している。当時の海外での日本研究のレベルを知る上でも、貴重な資料だといえるのではないだろうか。

 レザーノフの日記に、梅が崎の屋敷を警備した人々に、クボウとショウグンの違いを質問し、事実に即した答えを得ているところが出てくる(レザーノフはこれを通詞たちの力を借りず、日本語で聞いている)。当時の庶民にとって京都に住む天皇の存在とは、かなり身近なものだったのだろうか。バイエルはふたりに、天皇の名前を聞き、ソウザは、シェワ天皇と答えている。上村氏の調査でも誰のことかわからないとあるが、ただまったく根拠がなく答えたわけでもあるまい。この天皇をめぐることも気になるところである。

 いずれにせよこの聞き書きメモを読むことで、さらに調べる範囲を広げることで、また新たな発見が出てくるような気がする。


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ゴンザファンクラブ
〒892-0842 鹿児島市東千石町15-15 『キモノよしむら』内
Tel 099-226-4755  Fax 099-223-4686


ゴンザの露日辞書

『新スラヴ・日本語辞典 日本版 漂流民ゴンザ編』
ゴンザ編 ボクダーノフ指導 村山七郎編 井桁貞義/興水則子協力
B5変判 572頁 上製函入 本体 \7,600
ナウカ 1985年


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