月刊デラシネ通信 > その他の記事 > カフェ・クマ―談話室過去ログ > 2002年4月

カフェ・クマ−談話室 過去ログ

2002年4月

2002年4月29日 月曜日 0:27a.m. 私のER体験

このところ首のあたりにずっと張りを感じて、しんどいなあと思っていたのですが、金曜日の午後5時すぎに、首だけでなく、胸のあたりが急に痛くなり、目の前が真っ暗になってしまいました。もしかしたらこれは脳梗塞とかくも膜下出血の兆候ではないかと思い、同僚に救急車を呼んでくれと頼みました。まもなく救急車がやってきて、簡単な問診を受けたあと、ベッドで救急車に運ばれました。救急車のなかでもいろいろ質問を受けました。同僚の辻君が付き添ってくれました。会社の近く信濃町の慶応病院のERに、たぶん5分もかからないうちに連れて行かれたと思います。この5分間ぐらいの時間は自分にとっては、どれだけながく感じられたことか・・
たいしたことはないよ、という気持ちと、もしかしたらこれでこのままダメになってしまうのかもしれない、という気持ちが交叉していたような気がします。ベットに寝かされたままなので、上しか見えませんでした。診断室に運ばれて、着替えさせられ、点滴を受けながら、医者の問診を受けました。医者も脳になにかトラブルがあったのではないかということで、脳に障害があるのかをチェックします。いろいろな質問、身体のチェック、特に一本の鉛筆を目の前にだされ、それを目で追うことを執拗にやらされました。だぶってみえないか、ちゃんと目で追えるかが重要なポイントだったようです。
この医者の診断のあと、担当の責任医がやってきて、カルテを見て、再度一本の鉛筆を目の前に出し、前と同じチェックをしたあと、いろいろ最近の自分の生活や症状を聞いたあと、脳には異常はないし、CT検査を受けるまでもなく、ストレスと過労でしょうという診断を下しました。ホッとしたと同時に、なんかみんなを大騒ぎをさせ、申し訳ないという気持ちで恥ずかしくもなりました。
最大の原因は、自分の身体を管理できなかったことだと思います。
もう救急車には乗りたくない。

2002年4月22日 月曜日 11:13p.m. 野毛大道芸第二日報告

天使の加護もむなしく、雨で大道芸は中止。公演はMM21地区だけで行われた。今回の決定は実に早かった。朝7時には中止の決定がなされ、8時までに芸人さんや関係者に連絡が伝わっていた。プロデューサーの福田さんと今日会って話を聞いたところ、天気予報でこれはダメだということで、すぐに決断を下したという。警察とかもよりの駅とか、60ぐらいの関係者にすぐに連絡をしたという。未練がましく対応せずに、素早い決断をしたのは結果的によかったと思う。
ということでうちの会社が呼んだ芸人で、公演できたのはサッカージャグリングのヤーナだけ。この日の朝日新聞社会面でカラーで紹介された。実際に見るのは初めてだったが、いいパフォーマンスだった。ステージがコンパネだったので、足を踏ん張ることができないので、バランスものは失敗も多かったが、投擲ものは無難にこなしていた。構成はちょっと甘いところもあったが、トリックのひとつひとつは見応えがある。ステップのないはしごをヘディングしながら昇っていく芸もすごかったが、その前の6個のサッカーボールをつかってのジャグリングは、スピード感があったし、スピンもいれたところは、ヤーナというアーティストの可能性を感じた。
人はたくさん見ていたが、投げ銭はほとんどなかった。ここはやはり大道芸という雰囲気がない。イベントという感覚なのかもしれない。
今日福田さんと、雨バージョンの大道芸をやろうという話でもりあがった。福田さんにはすでにいくつか案があって、これについては前からいろいろ話を聞いていたのだが、実際に朝から中止ということがしばらくなかったので、リアリティがなかった。でもこんな風に雨で一日中止なると、真剣に考える必要を感じてしまった。
というのも、やはりどこかに不完全燃焼の気持ちがあるからだ。
打ち上げもいまひとつ盛り上がらなかった。
でもお祭りっていうのはこうしたものかもしれない。一年に一回しかないのだから・・・
福田さんが唱える野毛の街のキャッチフレーズ、「めげない、こりない、あきらめない」、いまその言葉の意味を噛みしめている。

2002年4月21日 日曜日 0:46a.m. 野毛大道芸第一日目報告

いよいよ野毛が始まった。出足は好調、たくさんの人がつめかけた。福田プロデューサーの発案で生まれた、クレージーガールゾーンには、弊社が招聘したキネテッィクシアターと、エンマが出演。自分はここの担当。人は多いのだけど、ノリがいまいち。投げ銭もそんなに集まらなかった。ここはおじさん、おばさんが多かった。キネティックもエンマもお客さんとの絡みが多いのだが、なかなか誘いに乗ってこない。受け身なんだよなあ。ここをどうやって乗せるかが、芸人さんの腕なのだろうけど、なかなかタイミングがわからない。エンマのときにMCをしたのだが、プロじゃないし、説明口調になり、全然役に立たなかった。
きっと投げ銭のタイミングというのは、乗せた最高潮のときに、集めるのだろうが、そのタイミングがキネティックもエンマもわからなかったままに終わったかなあという印象だ。
伊勢佐木町のエレーナもしんどそうだった。芸を見せるだけでやってきた人たちにとって、大道芸はきつい。エレーナは長い時間経験がなかったので、息があがったというかんじだ。
チェコのヤーナはなかなか受けがよかったようだ。サッカージャグリングというのが新鮮だった。
夜のスペシャルナイトショーは楽しかった。エンマも伸び伸びと演技していた。大道芸のベテランたちが集まっての公演で、それぞれプロの円熟した芸を見せてもらったという感じだ。印象に残ったのは、つなぎ役のペッピー、味がでてきた。ニルスもおかしかった。ニルスのでたとこ勝負という思い切りのよさがうまくでた。ミモザのマジックも味わいがあったなあ。ブルース・スミスがよかった。彼の人柄もあるのかもしれいないが、一生懸命演じるあの生きざまのようなものが、元気を与えてくれる。
明日は雨になるかもしれないということで、今日の反省をどれだけいかせるか、そのチャンスすらなくなる可能性もあるということで、ちょっとビクビクしているのだが、我々にはエンゼルがついている(キネティックはエンジェルを演じている)ということで、雨が降らないことを信じよう。
大道芝居が今日もあったようだが、元市長の高秀さんが特別出演したという。



2002年4月19日 金曜日 11:48p.m. 野毛にエンマ旋風

野毛という街に、エンマはぴったりはまった感じだ。17日のカバBに特別出演したことで、いままで写真だけで、私にだまされた野毛のおじんたちが、そのライブをはじめて見て、すっかり虜になったのが、きっかけ。今日の大道芝居では、観客よりも、共演しているおじさんたちがすっかりとはエンマの魔力にとりつかれた感がある。エンマは、自分ももちろんそうなのだけど、おじさんたちを虜にするなにか魅力をもっている。美人なのだが、お高くすましているわけでない、遠くないところにいる。それがひとつ。それとやはりあのエロチズムだろうなあ。なんでもかんでも全部見えればいいというのではなく、見えそうで見えない、人をすかすようなエロチズムがおじさん世代には、たまらない魅力になっているような気がする。エロスの世界は、陰々滅々、袋小路までいっているような気がするのだが、なにか元気を与えてくれるそんなキュートなエロチズムをエンマはもっている。そこのところが、おじさんたちが集うこの野毛という街にぴったりはまっているような気がする。
おじさんたちが無邪気になれるこの街で、エンマは、もっと無邪気になろうよと誘っている。そこがきっと魅力なのだろうなあ。
とにかくみんな興奮している。今日のお客さんの反応を見ていると、明日からの大道芸でエンマが、ブレークするかもしれない、そんな気がしてきた。
ということで明日から2日間、エンマは野毛坂(場外馬券場のちかく)で1日3回公演する。
私もMCとして、陰ながら応援することになる。
天気もそんなに悪くないようだし、是非是非だまされたと思って見にきてほしい。絶対に元気になれると思う。

2002年4月19日 金曜日 1:50a.m. カバB in 野毛 無事終了

横浜にぎわい座小ホールでのカバB公演の二日間にわたる公演が終了した。とてもいい公演だったと思う。どの番組もそれぞれ見応えがあった。メンバー各自が緊張感を持ちながら公演に挑んでいた。はずれの番組がなかった。いずれ落ち着いたら、きちんと評を書きたいと思うが、こうしたいろいろなパフォーマーが、それぞれのネタを舞台にかけながら、競い合うことで、観客も、パフォーマー自身も充実した時間が過ごせる、それがプラコメ、カバBをやる大きな意義だったとあらためて思う。最近のカバBを見て、これ以上続ける意義があるのか、正直いって迷っていたのだが、やはりこうした公演を見ると、パフォーマーたちのやる気があれば、やはり続けていく意義があると思う。
今日の公演には、うちの会社が野毛大道芸に呼んでいる海外のパフォーマーにも見てもらったのだが、みんな喜んで見ていた。しゃべくりものもたくさんあったが、言葉の意味がわからなくても、彼らが見て、理解できる、共感できるものもあったようだ。
バラエティーショーでも、少しとんがった、自分で表現したいものを表現する、それに挑みながら、お客さんに楽しんでもらう、そうした基本スタンスが、プラコメであり、カバBだったはずだ。
やはりどこかで演じる側のメッセージが伝わるものを演じて欲しいと思う。
期待を抱かせたのは、カバBでは若手という括りにはいる、小林誠、安田太朗、バーバラ村田、いながきあつきが気合の入った演技を見せてくれたことだ。こうした若手が台頭してくると、また面白くなるかもしれない。
それに今回Kajaと神山一朗というベテランに属するパフォーマーが、新しいことに挑戦してくれたのも嬉しかった。若手が、勢いを見せるような演技をし、ベテランたちがそれをしのぐようなことにチャレンジする、そうした中から、なにか生まれるかもしれない、そんな気がしている。
もうひとつは、今回は座長が小出、座長補佐こうじという役割分担ができたことで、いろいろな意味でうまくいったところがある。彼らに任せることで、うまくいくのではという気もしてきた。
座付き作家が、いままで日本のエンターティメントを動かしてきた。しかわがカバBには、座付作家がいない。それが、小出でありこうじの仕事だと思う。小出とこうじガ座付き作家になるのが、一番いいと俺は思っている。たぶんそれができるはずだよ。、あなたたちば。

2002年4月17日 水曜日 0:13a.m. カバBin野毛今日開幕

今日の一番大事なニュース。エンマが無事来日しました。さっそく賑わい座で、リハ中のカバBのメンバーと合流。ばあたりをしてきました。去年の比べて少し痩せたかなという感じはしましたが、ゴーイングマイウェイは相変わらずです。元気でした。
もしもこれを小樽のメンバーが見ていてくれたらなのですが、みんなによろしくといってました。特にユキさんにはお土産があるようなので、ユキさんの連絡先を教えていただければと思います。
明日から私にとっての野毛ウィークが始まるのですが、まずはカバBです。今日の場当たりとリハをちょっと覗いた感じでは、かなり期待できそうな感じです。メンバーそれぞれ、自信作をぶつけているようです。ピリピリしている感じはいいですね。楽しみになってきました。
見なければ損かもしれないですぞ。










2002年4月11日 木曜日 11:37p.m. 重森一ソロライブ『青い鳥』を見る

重森一の二年ぶりのソロライブ『青い鳥』を見てきた。前回のソロライブが、完成度が高いものだっただけに、こんどはどんなソロをみせてくれるのだろうという期待を抱いていた。
うーん、ちょっとはぐらかされたかなあという感じが正直なところだ。今回演じた三つのネタをすでに見ていたということもあったのかもしれない。前回のソロでは、ネタをバラバラに演じるというよりは、ストーリーらしきものがあった。今回は『青い鳥』というテーマらしきものはあるのだが、三つのネタをつなぐものがなかったような気がする。
重森の特性というか、魅力は、板の上での圧倒的な存在感、肉体の存在感にある。今回のライブでもその魅力は薄れていない。これはとても大事なことだと思う。上手に演じるのでなく、粗削りでも存在感で勝負できる芸人はそうはいない。1時間ちかく重い緊張感をずっと持続できるのは、この男の持ち味だ。
ただいまどんな方向で舞台をつくっていくのかという意味で、迷っているのだろう。小出とはちがった意味での、負の笑いをつくりたいというのもあるのだろう。肉体で語り物を演じたいという志向もあるのだろう。いろいろやりたいことがわき出て、それを整理しきれないでいる、迷いのようなものを感じた。
見ているものに対して、正直にその迷いを伝えているところが、重森らしいと言えるかもしれない。どんどん迷ってほしい。テーマとかで括ろうとせずに、自分はどうしたらいいのか、ぶつけて欲しいと思う。
公演の時に配られていたパンフで、自分のやっているものをなんて言ったらいいのか、名前をつけてほしいなどと、書いていたが、そんなことはいま考えることではない。テーマとか、ジャンルの括りとかをいまは気にせずにやることの方が大事じゃないのだろうか。
それと音楽の使い方、思い切って音楽はつかわないでやってみたらどうだろう。自分のパフォーマンスに音をつけることは、時に効果的なこともあるが、逆に音でひっぱられるということもある。いまは無音でやる方向でいったほうが、逆に可能性が生まれるそんな気がした。

2002年4月10日 水曜日 11:32a.m. 『テルミン』を読む

映画の『テルミン』を見て、前に読んだ竹内正美著『テルミン−エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』をもう一度読み直す。著者はテルミン奏者としても知られている、日本のテルミン普及につとめている第一人者。前に一度読んで印象に残っていなかったわけがわかった。テルミン奏者として、テルミン紹介者として、どちらとも書きたいということで焦点がぼけてしまっているのだ。ここではテルミン奏者としての立場を全面に出して書いてもらったほうが、よかったように思える。テルミンの生涯を中途半端になぞってしまったからだ。この本で書かれていることと、映画でテルミン自身が語っている内容にも食い違いがいくつかあった。
テルミン自身、ソ連に戻ってからのことで、言いたくないこと、触れたくないことがあるのは当然だと思う。伝記を本気で書くなら、そこのところを周辺の資料を掘り出すことで、固めて書くことが必要になるのだが、著者はそこのところをかなりおざなりに紹介してしまっているのが残念。注を読むと、テルミンの伝記的な部分は、2つのロシアで出た評伝紹介記事と著者自身がテルミンを学んだ縁戚関係にあるカヴィナと、テルミンの娘へのインタビューに負っている。おそらくKGBにしばらく在籍したテルミンについては、謎の部分がたくさんあると思う。そこは本人の回想だけでは絶対にカバーできない。周辺にいた人たちの証言、資料を照らし合わせて、はじめてわかるはずだ。おそらくロシアでそうしたことをしている研究者はいるはずだと思う。つまりまだ未解明のことがたくさんある、テルミンの謎の生涯について、簡単に2、3つの資料だけで、紹介してしまったことは問題なのではないだろか。わかっている事実だけを拾い上げて、まだわからないところは、誰かの判断だけで書かないで、空白のままにしておくことが必要だったと思う。
開発に関わったという盗聴器の話や、スターリンとの問題、レーニンの死後、遺体を凍結して、医療技術が発達したあと、蘇らそうというエピソードは、そういう話もあった程度で紹介すべきだと思う。それが事実のように書いてしまうことはちょっと問題だ。
それよりもテルミン奏者としての観点から、テルミンという楽器について、もう少し突っ込んで書いた方が、良かったのではないだろうか。そこがもったいないように思えた。
映画を見てから書けば、また違ったものになったかもしれない。

2002年4月6日 土曜日 11:41p.m. 『テルミン』を見る

劇場で見れなかったドキュメンタリー映画『テルミン』をビデオ屋さんで借りて見る。なかなか面白かった。
まずテルミンという楽器の不思議さ。いくらボックスがあったとしても、なにもない空間を指で揺れ動かして、音を出すというのは、やはり奇妙。電子音楽なのだろうけど、なにかとても神秘的な気がする。あの時代のロシアアヴァンギルドたちも、前衛的なことをしながら、不死について真剣に考えていたりしていたわけで、科学と精神性がどこか繋がっていたような気がする。
それとテルミンという人の生きかたのすごさ。アメリカで華やかな生活したあと、KGBに拉致されて、シベリアのマガダンという最も過酷といわれたラーゲリに送り込まれ、戻ってきたあとは、盗聴のためにKGBで働かされたりと、実に過酷な人生を送っていたわけだが、この映画に出てくる90すぎてからのあの顔に、そうした辛苦が刻み込まれていない、透き通った穏やかさがある。
最後にかつての教え子のクララというおばあちゃんと再会するシーンは、感動的だった。テルミンはまるで昔のあの美しかったクララに会うように、抱きしめてキスをする。彼は年月も年齢も超越してしまったのかもしれない。
それと彼がアメリカにいる時にやろうとしていたテルミンダンスも面白そうだった。
今度クラブチッタでやるカバBでは巻上さんがテルミンを演奏してくれそうなのだが、パフォーマーを組ませると面白いかもしれない。
実は以前に「テルミン」という本を読んでいたのだが、まったく印象に残っていない。読み返すことにしよう。

2002年4月4日 木曜日 1:48p.m. 玉井喜作編集『東亜』全目次について

玉井喜作の伝記『シベリア漂流』を書くときに大変お世話になった、泉巖さんのご子息で和歌山大学教授泉健さんが、玉井がドイツで刊行したドイツ語雑誌『東亜』の全目次を翻訳し、和歌山大学教育学部紀要に発表している。いままでざっとしか目を通していなかったのだが、昨日じっくり見てみたが、『東亜』というこの月刊誌は、いろいろな意味で重要な意義があると思う。
これについてはいつか、別なところで、詳しく述べたいと思う。
目次を翻訳することで、それぞれ関心のある人が、調べるためのガイダンスができた意義は大きい。
例えば私がいま追いかけている海を渡ったサーカス芸人、濱村保門の海外の足跡を追いかける時にも『東亜』は参考になりそうなことはわかった。目次を見ると、日本人がドイツで公演するときの案内や劇評がいくつかある。貞奴と音二郎の公演についての記事がいくつかあったし、福島というサーカス芸人の案内記事もある。
もうひとつ漂流民関係でも、若宮丸漂流民のひとり吉郎次の墓をイルクーツクで発見したのは、玉井のところで世話になった小宮であり、もしかしたら『東亜』を探っていくなかで、なにか糸口がわかるかもしれない。日露戦争前後に出されていた雑誌なので、シベリアに関係する記事がたくさんある。もしかしたらこのなかに、小宮に墓を案内したムルクというイルクーツクに長年住んでいたドイツ人が、書いた記事がある可能性もある。
それとひとつ思ったのは、『東亜』で書いた玉井の記事をまとめることで、玉井が書いた本を出すことも可能なのではということだ。
いろいろな可能性がみえてきたような気がした。
今回の翻訳はその意味でも非常に意義のあることだと思う。
泉さんから何冊か抜き刷りを預かっているので、もし希望者がいたら、一報していただければと思う。
玉井は、まだまだ調べる必要がある人物である。

2002年4月2日 火曜日 0:35p.m. クマさんが負けた−横浜市長選挙雑感 

意外な結果だった。ほぼ全党相乗りで出馬したクマさんこと、高秀市長が、4選ならず、敗北に終わった。何度か野毛で会ったことがあるけど、気さくなおじさんでいい人だったのだが、やはり4選というのが、仇になったのかもしれない。
自分とこの政党で推薦しているのに、その党の最高責任者が「政党が負けた」なんて他人事のように言っているが、そんなのんびりしていいのだろうか。また政治に大きなうねりが起きようとしているのかもしれない。横浜市民として、これから横浜がどうなるのかも気になる。特に文化行政はどうなるのだろう。高秀さんの残した遺産は、今後どういう風に継承されるのだろう。例えばにぎわい座とか・・
ただひとつ気になるのは、小泉総理誕生、そのあとの衆議院選挙での自民党勝利と、今回の市長選挙の構図が結構にていること。4選打破とか構造改革とかいっても、なにも実体はないのではないか。改革を求めるといっても、小泉が一年何もしないことは、皆が認めているはずだ。パフォーマンスだけではないか。改革という言葉だけが、ひとり踊り、なにも実体がないことに、もう少し目を向けるべきではないだろうか。
新市長になった、若い中田という人が、私には何をしようとしているのかよくわからない。ただ改革という言葉だけをひとり歩きさせるのは、要注意だということは肝に命じておいた方がいい。
田中真紀子や石原の異常な人気などは、前回とりあげた「サーカス政治」というくくりの中で、見ると、警戒する視点が必要なのではないだろうか。時代が、改革という名のもとで、右に傾斜しているように見えてならないのだが・・・



連載目次へ デラシネ通信 Top 前へ | 次へ