クマのお仕事日誌ではなく

クマの冬眠日誌

2001年12月22日〜1月6日


2001年12月22日(土)

いよいよ今日から休み。一日目は遅い目覚めから始まる。
午前中は机の上の整理、袋ファイルを片づける。
13時半デスクの大野が来訪。会社から持ってきたパソコンは、いつも携帯電話をつかって通信してきたのだが、二週間もあるので、電話代がかさむので、モデムと接続してもらうのを手伝ってもらう。
いま家にあるモデムは、Mac専用であることがわかり、上大岡のヨドバシへモデムを買いに行く。
カード式のモデムを購入、家へ戻り接続設定をしてもらう。そのあとホームページビルダーをインストールして、自力で訂正する方法を教えてもらう。
17時すぎに大野が帰る。
食事をしてから、袋ファイルの整理と、パソコンに入っている文書を整理。
1時頃まで、デラシネ新年号から始める新連載の原稿をDOS化。
就寝前にクレヨンしんちゃんの最新号を読む。今回はなかなかほろりとする内容になっている。
自宅が火事になってアパートに引っ越してからの内容は、住民のいろいろなキャラクターが出てとてもよくなっていると思う。

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2001年12月23日(日)

8時に起きて、10キロほどジョギング。朝食のあと、午前中は自分の部屋の本棚の整理。
読み終えて、必要がない本を3階の物置にあげるのが年末の恒例行事なのだが、どれもこれもまだ手元においておきたいものばかり。なんとかダンボール4箱分を選択する。
しかしそれでも空きスペースがあまりない、抜本的に考えないとダメなのだが、スペースが限られているわけで、どうしたものか。
このところサーカスの本よりも、漂流民や日露交渉史に関する本が増えてきている感じだ。
昼食後に年賀状の裏面をプリントアウト。今年はわりと早く終わりそうだ。
そのあとモスクワの新井から送ってもらったレンコムの『ユーノアとアヴォス』のビデオを見る。
ロックオペラ風にはなっている。レザーノフを演じるカラチェンツォフが格好いい。
今日は大学ラクビーの準々決勝、ここのところ早稲田はお正月の試合に出れないでいたが、今年はリーグ戦も全勝優勝だし、相手は関西リーグ三位の大体大なので、楽勝と思っていた。実際前半は圧倒的なリードを奪っていたのだが、後半になって次々にトライをとられ、終わってみれば、四点差という辛勝。
メンバーを代えたということもあるのだが、大体大の気迫に押された感じ。
第二試合は関東学院と明治、実力的には関東が上だったが、明治はここ数年戦術的な面で悩んでいたのが嘘のように、従来の縦、縦という攻撃に徹して善戦。
特にノーサイド直前のモールからのトライは圧巻だった。来年はかなり期待できるのではないだろうか。
これで正月は早稲田は慶応と準決勝で対戦することになった。リーグ戦では圧勝したが、今日のようにポロポロミスが続くと危ないかもしれない。
決勝までいっても関東相手だと、かなり苦しいかもしれない。
夕食後、パソコンに入っている書類を整理したり、デラシネの原稿書きをする。
1時すぎに就寝。

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2001年12月24日(月)

7時起床。「ハリーポッター」を見に行く上の娘が、混むのではないかということでこんなに早く起きることに。あとで聞いてみたらそれでも一回目は満員で見れなかったという。
娘を出したあと、ジョギング。
今日はクリスマスイブ。メールでカードが何通か送られてきた。
昨日まとめておいた段ボールにつめた本を3階まで運ぶ。
下の娘を連れて、年末クジのガラガラをやりに行く。一等はディズニーシー、二等が坂本冬子というしょぼい売り出し。
結子は五回のうち三回が赤玉で30円の商品券、二回が黄色でティシュの箱。赤が5回だけでなかったのでよい出来だったのでばないだろうか。
昼食後、上大岡に買い物へ、3人ででかける。八重洲書房で、かみさん用のクリスマスプレゼント、古文書の読み方の本、シャム双生児のノンフィクションと、1万分の1の地図を購入。
ヨドバシで電球と蛍光灯の替えを購入して、地下で買い物。
ここで2人と別れ、杉田のドンキーでバーボン(一本990円)を五本購入、さすがに重くて帰りはバスで帰る。
ビデオ屋に寄り、「ハナマプトラ2」を借りる。
年賀状書き。
我が家のクリスマスイブの食事は、おでん。ずっと食べたかったので、満足。
食事の前にクリスマスのプレゼント。自分は室内履きをもらった。
「ハナマプトラ2」を家族で見る。前回に比べてCGが使いすぎかなという気もするが、一流のエンターテイメントであることは間違いない。ただおでんの食べ過ぎで途中20分ほど寝てしまったようだ。
1時30分就寝。

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2001年12月25日(火)

7時半起床。結子を起こす。今日は朝散歩をすることになっている。眠そうだったが、とにかく家をスタート。
今日は梅林小学校を経て、妙法寺を回って戻るという、1時間コース。結子は結構楽しそうだった。
朝食後、掃除をしたあと、昨日途中で寝てしまった『ハナマプトラ2』の見逃した部分も見る。結構重要なところを見逃していたようだ。
昼食を食べたあと、部屋であいかわらず整理作業。今日はパソコンに入っている文書のうちデラシネ通信に関するものを整理する。
たいぶ整理されたような気がする。
今日は手巻き寿司、毎日がお祭りのような感じ、二日続けて酒を飲むことになり、これが仇となり、食事後ソファーに横になって寝てしまうことに。
風呂に入ってから、デラシネの原稿でずっと気になっていた長崎通詞に関する原稿を書きはじめる。
2時半就寝。

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2001年12月26日(水)

今日はちょっと遅い目覚め。昨日少し調子にのってバーボンを飲みすぎた。
朝食を食べて一休みしたあと、照明器具の掃除。すぐにおわるはずだったのが、天井についている黒い染み、自分の部屋から流れ出た煙草の煙りであることがわかり、それを拭き落とすことになる。
結局夢中になって、なんとなく大掃除モードへ。
昼食を食べるころには結構ヘトヘトになってしまった。
Kさんから借りていた映画『イースト・ウェスト』のビデオを見る。しかし字幕がないことがわかり、ちょっとロシア語だけではきついので、パスしてしまう。
代わりに6年前BSでやっていたチェコ映画『道化師と女王』を見る。
これがなかなか面白かった。なによりもマイムの鬼才パリフカが道化師役を演じていたことだった。彼のことは本やディミトリーなどからも聞かされていたが、動く演技を見るのは初めて。映画の中でも卓越したマイム術を見せている。
宮廷道化師のことをテーマにしている。中世と現代を交錯させながら、道化師と女王、チェコに旅行に来たドイツ人と結婚したフランス婦人に仕える案内人の関係が描かれる。
ビエラ・ヒチロバという監督の1987年の作品。チェコ語では道化(フール)のことをシャシェークということが初めてわかった。ロシア語ではシュートなのだが、語源的に関係があるのだろうか。気になるところだ。
パソコンの前に積み上げられていた本の山を片づけることにする。これはパソコンの読書カードに入力しようと思って手つかずになっていたもの。
今日はとりあえず3冊分の読書カードを作成。
夜はカレー。おかわりしてまった。ここのところ食欲が凄い。いいのだろうか?
夕食を食べたあと、昨日書いた「長崎通詞」の原稿に手を入れる。
1時就寝。

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2001年12月27日(木)

7時半起床。ジョギング。
午前中病院に行って、先週の検査の結果を聞く。先月並。そのあと郵便局に寄って、漂流民の会の口座の住所変更手続き。
印刷を頼んでおいた振替用紙は来年にならないとできないという。入会を申し込んでいただいている人には、なるだけ早く案内を送りたいので、手書きで振替用紙に口座番号を記入することにする。
家に戻り、今日の大きなテーマ窓拭きにとりかかることに。かや子も参加、二階をかや子と結子にやってもらい、一階の主に外回りを担当する。
これが終わってなんとなくひとつ区切りがついたような気がしてくる。
昼食後、漂流民の会に入会を申し込んでくれた人に案内と振替用紙を送る最後の作業。振替用紙に口座番号を手書きで、記入し、口座名のところにスタンプで会の名称を押していく。約20通ほどのことで、たいして時間はかからなかった。
今後会員が増えていったらどうなるのだろう。
読書カードの入力作業を続ける。これを終えるとなにか集中できるような気がする。
パッチ・アダムスが来日した時のドキュメンタリーを見る。今年9月に放映されたもの。
病気を持った子どもを励ますという筋立てだが、いい内容だったと思う。
パッチとは、フィアデルフィアで会っている。あの時はどうして社会活動をしないのだ、ディミトリーに絡んでいた。
パッチにとってのクラウニングは、あくまでも人を治療するという目的に成り立っている。ディミトリーとはまったくちがうクラウニングだ。
あの時のことを思い出す。
今日は湯どうふ。手巻き寿司、おでん、湯どうふとハレの食事が続いてる。
食後やっとベルチンスキイと長崎通詞の原稿を完成、デスクの大野にメールで送信。
12月号はそろそろおわりという感じになってきた。
どうしてもコスモポリタン紀行を書こうという気構えが出て来ない。エンマのことをどうしても思い出してしまう。それと時間が経つうちに印象が薄れてしまうこともある。
この休み中の一番大きな課題は、神彰の原稿を、いっきょに書き上げることなのだが、まだ一行も書いていない。ついつい雑用が先になってしまう。
そろそろ神彰モードにしないと。
今日開幕した全国高校ラグビーの一回戦を見終わったあと、就寝。1時30分すぎだと思う。

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2001年12月28日(金)

7時半起床。ジョギングでベイサイドマリーナまで走る。9時すぎ戻ると、野良猫から飼い猫にトラバーユしたミケが来て、窓のところにへばりついている。
ここのところ家に来る時間が長い。餌を貰っている家がどこかに行っているのかもしれない。
昨日から我が家でご飯を食べている。あまり有り難そうじゃないところは相変わらずだが・・・
『日本人の足跡』が届く。産経新聞で連載されていたものが本になった。澤田豊のことを書いた田伏君が送ってくれたのだろう。
3階にまた荷物をあげていた時、大きなダンボールにごっそり『海を渡ったサーカス芸人』の本が入っているのに気づく。あと8冊で完全になくなると思っていたのに、50冊あった。
そう120冊近く買い取ったのだから、そう簡単になくなるわけがない。
午後から読書カードにインプット作業をまた始める。今回は倉田喜弘氏の『海外公演事始』から、海を渡ったサーカス芸人に関してカードをとる。これがたくさんあってたいへんなことになってしまった。
でもヤマサキの出国の記録を探して、頓挫状態になってしまっているいま、教えられることが多々ある。
ヤマサキはもしかしたらいきなりロシアに行ったのではないかもしれないし、ヤマダサーカス団のメンバーも現地で合流した芸人もいるような気がしてきた。
外交史料館にある資料探しについてもヒントを得る。
若宮丸漂流民の会にわざわざ出席してくれたテレビ番組制作の宮崎さんから石巻でもらっていたビデオを見る。『極北の白い大河』といういまから10年前にテレビ東京で放送された2時間番組。バイカル湖から白海に流れるレナ川を取材したドキュメンタリー。
なかなか骨太の番組、民放らしくないNHKのようなつくりで、自然やプレストロイカ直後の現況を追いかけている。それにしても相当時間と金がかかったのではないだろうか。
18時半からマスクマジシャンの番組。全部は見なかったが、ところどころ見る。
日本に来てスタジオで撮ったものではなく、アメリカのFOXで流していたものが多いのはどうしてなのかな。
最後は後ろ姿だが、マスクをとり、NHKホールを枠なしで消していた。これで最終回とのこと。
デラシネ通信の新年号の目次をつくる。結局今日も神の原稿に入れず。
1時半就寝。

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2001年12月29日(土)

8時起床。結子を起こして、朝散へ。今日の目的地は坪呑公園。大島家のプロジェクト、大岡川源流から河口まで走破の調査も兼ねている。
地図で見ると源流は氷取沢公園にあるようなのだが、坪呑公園の下から湧いた水が源泉という説もあるらしい。いけば何かわかるかもしれないということだ。
小田小学校から15分ぐらいのところに公園はある。確かに池があって、水が湧いているようなのだが、金網が張りめぐらされて入れない。ここにはゲンジボタルが棲息しているらしい。
大岡川の源流かどうかについては不明。なにか看板でもあるかと思ったがそれもない。でもなかなかいい公園だった。往復1時間の散歩だったが、結子も楽しかったよう。
朝食のあとクロス貼りの壁紙についている煙草の煙りの染み落とし。スポンジに洗剤を含ませて落とすやり方でいとも簡単に落ちる。
そういえば今日で禁煙3日目。いつまでもつか。
午後義妹と甥っ子がやってくる。カレーの昼食。
フロリダにいるサーシャからクリスマスカード。やたらぶあついのだが、あけてみたら彼が市川のサーカスレストランで働いていた頃の写真、そして二年前に生れた子どもの写真が入っていた。
市川の写真は10年ぐらい前になるのだろが、まったく若いのでびっくりしてしまう。
なんでも日本のディズニーランドで働かないかという話しがあるらしい。そういえば今日来たメールでディズニーシーで働いているロシアのマジシャンが自分に会いたがっているので、連絡してくださいというのがあった。この人は聞いたこともない名前の芸人だった。それにしてもセルゲイ、このマジシャン、そしてサーシャとギャラが安いということでロシア人の芸人が大量にディズニーに買われていることなのだろう。
今年7月にWOWOWでやっていたクラプトンのビデオを見る。インタビューのなかでブルースが好きだ、それはブルースは誰か人に聞かせようというのではなく、自分だけのための歌だから答えていたのが印象的だった。
読者カードの入力作業。今日は杉本つとむ『江戸洋学事情』。杉本先生は長崎通詞のことをとても買っている。たんなる通訳ではなく、貪欲に海外の文化を吸収した文化移入の先駆者であったというのが先生の基本的なスタンス。
馬場佐十郎については本当に愛情をもって書かれている。馬場佐十郎の義父為八郎のことをいつかきちんと調べたいと思っている。
ビデオ屋で借りてきたクレヨンしんちゃんの最新映画『オトナ帝国の反撃』を弓ちゃんや一君も一緒にみんなで見る。
いままでの作品と比べて、ちょっと構成があらいような気がするが、視点はいいかもしれない。70年代に幼年時代少年時代をおくっていた今のオトナたちが、20世紀博覧会と題されたレトロなテーマパークにはまり、そこからぬけだせなくなったという視点は、おもしろい。
去年の今ごろは、21世紀のはじまりだとか言ってずいぶんと浮かれていたような気がするけど、今年はテロもあったし、唯一の頼りだったアメリカ経済が落ち込み、21世紀のはじまりが、終わりのはじまりみたいな感じになっていた時に、なにか新鮮だったなあ。この映画は。
たかが漫画なのだけど、21世紀を僕は家族と一緒に生きるんだと行って懸命に闘うしんちゃんの姿にちょっと感動。
『火の鳥』第3回ヤマト編を読む。だんだんはまりつつある。
夜やっと神の原稿にとりかかるが、いまいちノリが悪く、2時間ほど書いたところでやめて、1時すぎに就寝。
かや子はいとこの弓ちゃんとおそくまでお話していた。

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2001年12月30日(日)

8時起床。朝食を食べてから、横浜ベイサイドマリーナまでジョギング。10時すぎぐらいだったが、日曜というのにまったく人気がない。
かや子、結子はいとこたちと一緒に中華街にでかける。
昼食はひとりでうどんを食べる。食べ終わってからJ・ジャバンニの『生き残った者の掟』のビデオを見る。
ずいぶん前にダビングをしていたもの。フィルムノワールもので日本でいうヤクザ映画なのだが、ジョバンニの作品は、歯切れが良くて好きだ。
この映画の舞台になったところは、コルシカ島のジロラタという。海に囲まれた結構険しい山並みの乾いた風景が内容にマッチしている。
あとで気になって地図を見たがジロラタはなかった。ただコルシカ島は思ったより大きいし、標高2,000メートル以上の山があるのにちょっと驚く。
夕食はいとこたちも一緒に手巻き寿司。にぎやかなこと。
神彰チェコ編を書きはじめる。少しノッテてきた。煙草が吸えないので、口が寂しくなり、沢庵やマーブルチョコをつまむ。これはこれで身体に良くないだろうね。
1時就寝。

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2001年12月31日(月)

いとこたちは10時ぐらいに引き上げる。かみさんはお正月の準備。
今日はジョギングもお散歩もなし。
午前中にデラシネショップの集計をまとめてみる。去年はほとんどゼロに等しかったけど、今年は結構でた。
「サーカスと革命」は6冊、「海を渡ったサーカス芸人」3冊、「シベリア漂流」9冊、「幻談義』5冊、エンギバロフのビデオ8本という結果。9月に何故かまとめて売れていた。何故なのだろう。
この調子で来年もがんばろう、といっても売る本はあまり残っていない。新しい本をつくらなくては。
切り抜きを整理したり、若宮丸の会関係の事務整理をする。
昨日書いた神の原稿を読み直そうと思って、原稿を見ると、この休みに入ってずっと書いていた原稿の前半部分が消えている。
どこにあるはずだとあちこち探すがない、どういう理由かしらんけど消してしまったのだろう。こういう時は嘆いてもしようがない、原稿が消えたという現実から出発するしかない。
原稿用紙にして約20枚分、だいたい内容は覚えている。気を入れ直して、原稿を書く。
紅白は小林幸子と、モー娘を見た程度。見る番組もなく猪木軍対K1全面対決をちらっと見る。最後の試合以外はみるべきものはなかった。しかし最後の試合に出ていた安田とは、元孝ノ富士という相撲とりだった。
もう俺には後がないという必死さが勝利を呼んだのだろう。
0時汽笛が鳴り響くいつもの新年。
1時半に就寝。

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2002年1月1日(火)

8時起床、結子を起こして、朝散歩。今日は氷取沢の方まで行ってみる。元日といをことでほとんど人影がない。犬を散歩につれて歩くひとぐらいしかいない。
9時すぎに戻る。
パソコンでデラシネ通信を開けると、明けましておめでとうのご挨拶。メールを見て、大野が昨日23時半ぐらいにアップしてくれたことがわかる。ありがたいことだ。
10時皆で新年の挨拶をして、おせちを食べる。ちらっと酒を飲んでいい気分。隣に新年の挨拶、かや子と結子はお年玉をもらう。
昼前に年賀状が到着。
昼過ぎにいつものように冨岡八幡に初詣。えらく人がならんでいる。小一時間待つことになる。今年はかや子が高校受験。
希望の高校に入ってくれたらいいのだけれど。
昼飯はコンビニで買ったカップ麺。普段食べたことがないので娘たちもちょっと興奮。
今日はほとんど書斎には入らず、酒を飲んで、テレビを見てという生活。
仙台から電話、今年は弟の嫁さんが初めておやじやおふくろと会っている、賑やかなことだろう。
仮装大賞を見る。今年は新体操とか一輪車をつかった演目が上位を占める。ただアイディアだけではなく、身体をつかわないと賞がとれないということなのかもしれない。
今日は1時前に就寝。

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2002年1月2日(水)

9時起床。すぐにテレビをつける。箱根駅伝の一区の10キロ付近。ほぼダンゴ状態でレースが進む。
朝飯を食べたあとも、ずっと駅伝を見続ける。二区で法政のエース徳本がリタイヤするというドラマが。なによりも嬉しいのは、早稲田が久々にトップを走ってぐれたこと。時間にして2時間ぐらいのことだが、まちがいなく先頭で走っていた。
今日は駅伝もずっと見たいのだけど、大学ラグビーの準決勝がある日。箱根の坂登りが始まるまえから、チャンネルを切り換える。
これも久々の正月に登場する早稲田は、第一試合で慶応と対戦。リーグ戦は圧勝しているが、大学選手権の二試合はあまり良くなかったので心配。が心配は無用だった。慶応のディフェンスも前回と比べてかなり厳しかったし、早稲田の攻めを読んでいたが
が、FW、BK一体となったいい攻撃、山下も見事な突破力とステップで2トライ。前回同様三十点近くの差をつけての勝利。
その頃箱根は、坂登りで神奈川大が駒沢を逆転往路優勝。早稲田は5位だった。立派な成績。
ラグビーの第二試合法政対関東学院も、いい試合だった。
駅伝とラグビーが一日で楽しめ、しかも両方とも早稲田が活躍するという、本当に何年ぶりかで過ごした幸せな日だった。
夕方パソコンをいじっているうちに、デラシネ通信の表紙をどこかにやってしまうというチョンボ。
デスクの大野に泣きを入れるメール。
夜は少し気合を入れて、神の原稿に立ち向かう。4部八章をようやくあげる。2時すぎに就寝。原稿を書きながらバーボンをかなり飲んでしまったようだ。

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2002年1月3日(木)

9時起床。箱根駅伝の坂下りが始まっていた。すでに駒大がトップを奪っていた。あとは大手町のゴールまで駒大の独走となる。
往路だけで終わるかと思ったが、早稲田は復路も大健闘。区間新を含む、区間トップがふたり、最終的には第三位、立派なものである。
この日は大手町のゴールまで最後まで見る。
昨日の夜少し飲みすぎてしまったようだ。胸が痛み、調子も悪く、ほとんど書斎にも入らずソファーでごろ寝。
3時から高校ラグビーの準々決勝を見る。二回戦でもロスタイムで逆転した大体付がまたもロスタイムで逆転。この試合が一番見応えがあった。
ラグビー・駅伝三昧の二日間は終わった。
相変わらず、デラシネ通信のトップページは復帰せず状態。
昨日はミスターマリックのネタバラシ、今日はフジテレビでマジックのネタバラシものをやっていた。
どうしてまたこうも似たような番組になるのだろう。そういえば大食いものも本家の12チャンとTBSがやっていた。芸のないこと。
夕食後も具合が悪く、風呂にも入らず、はぐれ刑事のスペシャルを見るだけでなにもせず。12時前に床につき、「火の鳥」の乱世編上を読み、就寝。

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2002年1月4日(金)

ラクビー・駅伝三昧の2日間で身体がなまってきたし、結子も退屈そうだったので、今日はかねてから計画していた大岡川源流から河口までを歩くというプロジェクトを始めることにする。
今日は大岡川がふたつの川(日野川と笹下川)に分岐している地点から、河口に向かっていけるところまで行こうということになる。
受験生は残し、結子と奥さんと三人で出発。上大岡までは電車で、あとは歩いて分岐点を地図で探す。これがなかなか面倒だった。
笹下川はすぐに見つかったのだが、分岐点が見つからない。30分ぐらいうろうろする。奥さんの「川の流れている方向にいかないとまずいんじゃない」という一言が目を覚まさせる。
得意の当てずっぽうで歩いていたのだが、川の流れと反対に分岐点を探していたのだ。
奥さんにナビゲータを交代してもらい、地図を渡す。すぐに分岐点が見つかった。バカみたい。
あとは川沿いを歩くことに。これがなかなか変化があって楽しい。川には鯉もいるし、鴨もいる、河口近くになるとユリカモメも群がっている。川沿いの道もなかなか気持ちがいい。
途中ファミレスで食事をして、川沿いの道を歩きながら、一本橋という南太田駅近くのところで今日は終わり。河口まではまた次回ということになった。
結構歩いたと思う。実際に住んでいる街の知らないところを歩くのもなかなか楽しいものだ。いろいろ発見もあった。
夕方上大岡で買い物をして、家に戻る。
ずいぶんと年賀状が届いていた。
パソコンをあけると、無事デラシネ通信も復活していた。デスクの大野が直してくれたのだろう。
見るテレビがないということで、かや子が見たがっていた「ペイ・フォワード」のビデオを見はじめる。
19時半すぎに仙台で飲み会をしている重美や博、安住、ひろ美から電話。15時半から飲んでいるということで出来上がっている。
みんな盛りあがっているようだし、楽しいそう。今年こそは山に行くことを約束して電話を切る。「ペイ・フォワード」のポイントとなるところをこれで見逃したようで、見続けるのをあきらめ、新日東京ドーム対決を自分の部屋で見ることにする。
小川と佐々木の最後の試合が一番の楽しみだったのだが、4分ほどでノーコンテスト、いかにもプロレス的な終わり方にがっかり。
神の原稿、イブ・モンタン編にかかる。1時前睡魔に襲われ、瞼が閉じて来たので、この前のようにまた原稿を消してしまったらたいへんだと、ここで終わりにする。
「火の鳥」八巻乱世編下を読み終える。あと残すところ5巻となった。

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2002年1月5日(土)

珍しく今日は、かや子が一番最初に起きる。今日塾で試験があるとのこと。
かや子にとっては受験というゆうなれば最初の試練の年。正月返上でよくがんばっている。
風が強い一日、かや子が塾に出かけようとしたときに突然雨、そしてすぐに雪。
気分的に神彰モードになっている。午前中から原稿を書きはじめる。やっと気合が入って来た感じだ。
取材に協力していただいた元AFAの社員の人たちの年賀状を見て、またやる気がわいてきた。今年にはなんとかしたい。
午前中東京ドームでやっているボリショイサーカスの宣伝番組を見る。毎年恒例の番組だが、ネタ不足という感じ。
ただいまから十五年ぐらい前に一緒に仕事をした象のサーカスのカルニーロフの奥さんが出ていたのに、ちょっとノスタルジアを感じる。
旦那はだいぶ前になくなり、そして娘のだんなは一昨年交通事故でなくなっている。でもおばちゃんがんばっている。
高校ラグビーの準決勝を見る。今年のMVPは、敗退したが大工大付だろう。今日も僅差だったが、実に気持ちのいいラグビーをしていた。
ノーサイドの瞬間はちょっとジーンとしてしまった。
神の原稿、イブ・モンタン編がだいだい出来上がる。いい感じで書けたと思う。大事なのは次の章へのつなぎ部分。これを今日はものしたい。19時半かや子を迎えに行く。
試験がおもうようにできなかったらしい。ちょっと落ち込んでいる。これから3月までこうした気持ちの上での浮き沈みに闘っていかなくてはならないのだろう。
よくがんばっているように思えるのだが・・・
今日はがんばって神の原稿を3時までかかって書きつづける。途中またパソコンの調子がおかしくなってハラハラしたが、なんとか大事にはいたらず。
チェコ編のところで気になっていたところを手直しし続け、なんとか満足いくようなところまでいった。イブ・モンタン編は、スッーと書けた感じ。
次の章へのつなぎと、頭の部分をちょっと書いて今日のところは終了。なんとか前半部分は見えてきたかな。
あまり全体の構成を考えずに、いまは書けることは書いていくことが大事だと思う。
AFA時代のことに関しては、書けるだけ書いていくことだ。AFA後についてが一番今回難しいところになると思うが、はしょらずに書けそうな気はする。
玉井の時がそうだったのだが、ベルリン時代が少しおざなりになったのは、シベリア時代が書きたいということで、調べがついていかなかったところがある。そこではしょった感じになったのだろう。
神については、AFA以後をどれだけのテンションをたもちながら書くことかということがポイントになるかもしれない。
ただこれについては、今年中になんとか書き上げたいし、本にまでもっていきたい。
ついに禁煙に耐えられなくなった。といっても煙草はなく、レ・クザンのメンバーから三年前にもらった紙巻き煙草を見つけ出し、それを吸うことになった。ずいぶんと巻き方がうまくなったと思うのだが。

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2002年1月6日(日)

冬眠生活もいよいよ今日が最後となった。ずいぶんと長い休みだった。神彰の原稿はこの2−3日で馬力がかかるというスロースタートとなったが、この勢いが大事。
今日はかみさんと結子が、「ハリーポッター」を見に行くということで、なんと6時半起き。
自分が起きたときはすでに出かけた後。
かや子が起きてくるのを待って、朝飯。
掃除をしたあと、「火の鳥」の最後太陽編の3巻、そして最終巻の13巻(これは手塚治虫がかなり初期に描いたもの)を読み終える。
構想力の大きさ、時代を描く力量はたしかに凄い。圧倒された。二週間まったく活字を読むことはなかったが、これだけ濃いものを読めたのだから満足。
TBSで前に放映した「オホーツク三都物語」を見る。オホーツク、サハリン、カムチャッカを取材したものだが、なかなか面白かった。
カムチャッカの少数民族が演じていた踊りが印象に残る。顔相撲というミミックの芸、そして動物のしぐさを真似て踊る芸、マイムとミミックが基本になっていた。
カムチャッカには、戦前北海道からかなりの数の漁民が渡っていた。それは外交史料館にある旅券下付表を調べたとき、その数の多さにびっくりしたのだが、番組でそのまま居ついた日本人のことをルポしていた。
15時から約1週間ぶりにジョギング。久しぶりに遠出する。海の公園まで行って、柴ファーマー経由で戻る。およそ18キロ。気持ちよく走れた。
宅急便で久野氏より若宮丸特集号が届く。楽しみにしていたもの。なかなかいい仕上がりになっている。久野さんの気合が感じられる。
かみさんと結子は一回目に見れたらしい。かや子はあまり面白くなかったといっていたが、ふたりとも内容に満足の様子。
今日は、神の原稿は書かずに、次に書くレニングラードバレエや呼び屋についての資料を出して、すぐに書けるような体制をつくっておく。
気持ちを入れ換え、明日からは仕事日誌だ。だいぶ鋭気を養えたので、仕事モードで臨戦体制だ。

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