クマのお仕事日誌
2002年4月分


2002年4月1日(月)

新年度の開始の日。なのに金・土・日と酒びたりの3日間を送っていたので、完璧に二日酔い。
しかし良く飲んだものだ。土曜日は、漂流民の会が終わって、17時から24時まで、日曜日は、テレビ撮りのあと、この日でレギュラー出演が終わった友川さんと、プロデューサーとして番組を立ち上げたS氏の送別会があり、なんと12時から、新幹線に乗る20時までずっと飲んでいた。
杉田駅まで歩いたのだが、フラフラで身体がぶれているのが自分でも判った。
驚いたのは昨日あった横浜市長選の結果、現職の高秀さんが落ちたこと。いろいろ変化がおこるかもしれない。
ミーティング。秋に予定しているフール祭をどうするかを論議。
なかなか結論は出ない。
とにかく二日酔いの余韻がひどくて、どこかに電話するとかという気力がわかない。
今日はカバB横浜のネタ見せと打合せ、小出から確認の電話がなんどか入る。
Sから川崎の打合せを早急にしようという電話。今週中にやることにする。
中国の綱渡りの王さんに出演要請のメール。今回はギャラとかでなく、みんなでいかにいいショーをつくるかが問題。この条件をのんでもらえるかどうか、ちょっと不安だったのだが、快諾してくれた。
野毛に電話することがあったので、今回の市長選挙の影響を聞いてみる。やはり影響は出てくるだろうということだった。
今日は18時半過ぎに引き上げる。
辛い一日だった。

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2002年4月2日(火)

朝刊を見て、びっくり。なんと一面にカラーでサーカス学校が紹介されているではないか。
なんの話も聞いていなかった。インパクトはある。
出社して西田に聞くと、朝日のカメラマンがちょっと来て写真をとった程度だったので、まさかこんな大きな記事になるとは思っていなかったと言う。
予想されるのは、取材の問い合わせがくることだったのだが、案の定、あっちこっちから終日問い合わせが続いた。対応にあたった辻君が、慇懃無礼な質問が多いので少しムッとしていた。
テレビの取材は、いつも自分たちの都合を最優先する。
朝重森が来社。来週のソロ公演の招待状をあちこちに送ってくれとのこと。
なんで俺がやらなくてはという気もしたのだが、小出の時にもやってあげたので、マスコミ、お笑い関係、ダンス関係の中からリストアップ。
今日はエンマの日。まずはエンマに電話して、査証がとれたかどうか確認。もうパスポートにハンコをもらったという。そこで航空券を最終的にコンファーム。エンマの自宅に直接送ってもらうようにする。
野毛のあとの売り先として、西麻布のバーに話をもちかけて、いい感触だったので、その詰め。
西麻布で、打合せ。ショーチャージをこちら側がもらうかたちでやることに。公演は4月23日に決定する。
たくさん動員すればそれだけ儲けられるということだ。がんばろう。
会社に戻り、重森の招待状を、発送するところまでやって、引き上げる。

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2002年4月3日(水)

久々にジョギング。冨岡公園の桜も全部散ってしまっていた。驚くべきことに、つつじの花の蕾が大きくなっている。これはもうゴールデンウィークの気候ではないか。
サーカス学校に関する問い合わせは、一件、これもテレビの取材申し込みだった。ただ国際サーカス村協会のサイトへのアクセスはだいぶあるようだ。
11時にM氏来訪。公文協関係に来年出す企画のことで打合せ。
カバB横浜公演の案内を、カバBの顧客、メンバー、デラシネの読者、ジャグリングメーリングリストにメールで流す。
やるからには一杯にしたい。
野毛のあとのエンマの宿泊先をネットで探す。結局新宿の前に泊まったことのあるウィクリーマンションにする。あそこだったら歩いて新宿にもでれる、便利だろう。
ロシア関係で珍しく問い合わせ。来週会うことにする。
デラシネ4月号の準備もやっていかないと。

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2002年4月4日(木)

2日間続けて自宅の留守電に、「20日の支払いまだだよ、約束守ってよ、早く振り込んで」というメッセージが入っていた。
もちろん心当たりはないのだが、2日続けてかかってきたということは、間違い電話ではない。
ちょっと気になる。
企画を提案しようと思っているところに電話、資料をとりあえず送ることにする。
そのための企画書を作成、ビデオをダビング。
北九州博覧祭で舞監をしてもらったKさんから電話、4月会社を作ったという。イベントの企画があれば、売り込んでくれるという。
今年用意している企画を早速郵送する。
光洋ちゃんに頼まれていた「かもねぎショット」公演のチラシの裏原稿を書かなければいけない。2年か3年前に見た『ダブルス』を再演するらしい。面白かったのは覚えているのだが、内容について確認するために、チラシを送ってもらう。
200字前後ということだったが、こういうのは結構難しい。やっと書き上げファックスを送る。いいんだろうか。あんな内容で。
今日はサーカス文化の会、先日横浜であったドゥフクレの空中ワークショップに参加したふたりの報告。
ドゥフクレの創造過程みたいなものがちょっと垣間見られて、面白かった。
次回の新作つくりのためのワークショップだったようで、空中での動きを学びたいと思って参加した人たちにとってはかなり不満が残るものだったようだ。
出席者のKさんから、デラシネの重森のソロ公演の案内に間違いがあったことがわかる。
自宅に戻って、見てみたら前回のカバBの出演者がそのまま出ていた。すぐにデスクの大野に連絡、直してもらう。
こうした指摘は助かる。Kさんからは、この前のカバBの司会面白かったですよ、やめないで下さいとも言われた。
もちろん続けてはいきたいのだが、やりかたをまた考え直さないといけないだろうなあ。
いつもなにか大きい公演をやると、変化が起きる。横浜での公演が終わって、どんな動きになるのか・・・

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2002年4月5日(金)

今日は結子は、始業式、かや子はオリエンテーションということで、皆起きるのが早い。
かや子の高校の制服は初めて見る。制服が可愛いというのも、志願した理由のひとつにあったけど、確かに可愛い制服だ。
にぎわい座の件が気になっているのだが、なかなか連絡がつかない。やっとついたと思ったら、下見でもなく正式な打合せにしてもらいたいとのこと。
ただ日程はわからず。
リトルの秋の公演に関して、クリューコフからファックスが来ていた。
レートのことなどでがちゃがちゃいってくる。確かにレートは、変動が激しいということはあるが、あなたの国にそんなこととやかく言われて欲しくないという気持ちもある。
旧ソ連は、ドルが基本通貨になっていることが問題。
カザフのハーリックに電話。エンマが来る時に、なにか日本で提案できるようなビデオ素材を送ってもらうように頼む。
もうハーリックはサーカス場に戻り、昔つかっていた自分の総裁室で仕事をしているという。電話番号も教えてもらった。サーカス場は戻ったが、今度は金つくりに大変だという。何カ月後になるかわからないが、早くショーを取り戻したサーカス場でやりたいので、その仕事に追われているとのこと。
確かにサーカス場が戻ってきただけではすまないわけで、これからもまた彼の苦労は続くわけだ。ただそれはそれでやり甲斐のある仕事なはずだ。
とにかく皆、お前の来るのを待っている。みんないつ来るんだってうるさいから、自分あてにファックスを送ってくれという。
早速6月には行けると思いますという手紙を書いて、ファックスする。
平凡社で本を出すとき世話になった、T氏と駅前のユーハイムで会う。津田ホールでコンサートがあるので、その前に会うことになった。
カンディンスキイの展覧会がすごくいいとのこと。見に行かなければ。
ビールを一杯飲んで1時間ほど話し、そのまま帰宅。

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2002年4月8日(月)

朝、ジョギング。ツツジの花が蕾んでいると思ったら、もう満開のところもある。
昔住んでいた根津神社のツツジ祭りは、GWあたりだと思う。ということは今年のこのあたりの天気は、一ヶ月早くなっているということになる。
いったいどうなるだろう、日本は。
朝ミーティング。フール祭の件で意見交換。
モスクワから送られてきたビデオを西田と見る。3時間ぐらいのビデオだったが、早回しで見る。2、3提案できそうな番組があった。
早速送ってきたエージェントにメールを出す。
辻君たちが明後日リトルに行くので、秋の企画について見積をチェック。今日の時点で、これについては自分の担当に。
エンマからMDが送られてくる。10日ぐらいかかっている。かけてみる。エキゾチックでいい音楽だ。エンマの踊ってる姿が目に浮かんでくる。
19時退社。

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2002年4月9日(火)

会社の留守電にロシア人らしき知らない声のメッセージ。「ミスターオオシマ、アイ、アイアム・・」で切れている。
たぶん、アイアムのあとを言わないと、まったく電話をした意味がないのに・・こういうおばかさんがいるから、人生は楽しくなる。でも誰だったののだろう。
たぶん昨日メールを出しておいたエージェントだと思うのだが。
デラシネのカウンターがおかしい。デスクの大野に問い合わせ。すぐに返事が来て、ニフティー自体に問題があるとのこと、復旧を待つのみ。
クリューコフに先日来たファックスの返事。明日出張する辻と打合せ。
12日に上京するYのT氏と連絡、野毛の近くで宿を手配することに。
にぎわい座の打合せの件で、連絡。メンバーが8人ぐらい下見したいとのこと。なんでまたこんな大人数なの。
エンマの航空券の手配をしてくれた代理店に電話、フェデクスでソウルから発送したとのこと、ネットで調べてもらうと昨日配達して不在だったということが判明。
エンマに電話、今日チケットは受け取ったという。16日は迎えに行けないこと、代わりに辻が行くことを伝える。なにを持って行ったらいいのというから、ベリーダンスの音楽につかっているエキゾチックな音楽のCDを持ってくるように頼む。ウォッカはいらないぞと付け加えておく。
16時からplanBでチッタの公演の打合せ。梅津さん、巻上さんと、出演を予定しているパフォーマーのビデオを見てもらう。その上で、これ以外にどんな芸人さんをくわえていったらいいかを話す。ダンス関係と、ボーイズ関係をあたってほしいという要望がだされる。境界線を越えるような、ジャンルがごっちゃになったものをしたいということだ。
パフォーマーを前面にだし、ミュージシャンがそれを一生懸命カバーするというかたちにしようということに。
20時神楽坂の「りゅうほう」の友川さんたちの集まりの合流。映画監督の澤田幸弘さんもいた。みんな競輪仲間。競輪などやったことのない、見たこともない自分だけが仲間外れなのだが、友川さんの橋渡しで、話に加わることができた。
そのうちに競輪の楽しさみたいなものがだんだんわかってくるから不思議。特に現役時代日本一のマークといわれた工藤さんの話は面白かった。競輪というのは、「人を読む」という友川さんの話がわかってくる。
これは一度やってみたいとマジに思ってしまう。みんなが帰ってから、友川さんと「りゅうほう」のマスターと三人で1時半ぐらいまで飲む。話題は、さっきまで同席していた友川さんの息子さんで、「りゅうほう」でバイトしながら映画学校に通うために上京したばかりのエイト君。いい青年だ。友川さんは彼にいろいろ教えてあげたいといっていけど、それはすごくわかる。
いい親父ではないか。いまの大人たちは教えるということを手抜きしているのかもしれない。

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2002年4月10日(水)

神楽坂で飲んでいたので、近くに住んでいるOの家に厄介になっていた。
たぶん3時前だったと思う。すまないことをした。出張に出かける前に起こしてもらった。
8時30分ごろだったと思う。起きて着替えて、歩いて会社まで。フラフラ状態、少しは冷たい風に当たれば二日酔いも直るかと思ったのだが、そんな甘いもんではなかった。
会社近くのコンビニでサンドウィチを買って、朝食。
これでまた気持ち悪くなってきた。今日は皆出ていない。
何本か電話がかかってきたが、静かなもの。
やらなくてはいけないことが山のようにあるのだが、身体がゆうこときかない。最悪の状態である。
こういう時に限って、ビデオをすぐにダビングして送ってくれとかという話が舞い込む。
いまプレゼンしているカザフの件で、来週最終的に予算書をつけて、プレゼンすることになる、見積をつくらないといけない。
モスクワのエージェントからメールが来ていた。聞いていたアーティストは、空いているとのこと。
18時30分帰社。フラフラ状態のまま、やっとこさ家に帰り着く。
寝る前にデラシネを見たら、やっとカウンターが直っていた。2日間止まっていたから、昨日が4件、今日も4件という情けない数字になっていた。

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2002年4月11日(木)

会社へ行く途中、家の近くでうぐいすの声を聞く。大きい鳴き声だったので、目をこらして見ると、ちょうど鳴いているうぐいすを発見。
ちょっと得した感じ。
イタリア絡みの件で仙台に電話、結局他を紹介されることに。なにをやるにもお金がなければできないことで、結局はたらい回しでおわってしまうかもしれないが、最後までやってみよう。
自分が担当するカバレットチッタの出演交渉は、坊屋三郎氏。やっと窓口がわかる。
エンマファンのひとり横浜産経のH氏に17・18日のにぎわい座のチラシをファックスで送る。すぐに電話が来る、もちろんエンマが出る17日は見に来るとのこと。
13時にぎわい座の下見。メンバーとスタッフ合わせて、15人の大所帯。
舞台監督をしてくれるMさんは、シルクイシ神戸公演の舞監さんだった。
1時間ぐらい下見したあと、こうじとMさんと三人で打合せ。16時まで会社に戻らなくてはならなかったので、途中で帰る。
野毛に新しくオープンした『むつみ屋』というラーメン屋でみそラーメンを食べる。有名な店らしいが、めちゃくちゃ旨いというわけでもないし、それに高すぎる。
16時会社に戻る。来年の企画の件で、ビデオを見てもらいながら打合せ。かなり実現性は高そう。
19時すぎ会社を出て、planBへ。駅近くのそば屋で軽く食べる。ここは美味しかった。
重森のソロライブの2日目、昨日も一杯だったらしいが、今日も結構入っていた。ただ客層が全然違う。見たことのないお客さんばかり。バーもなく、なんとなく居場所がないかんじで、終演後すぐに帰る。

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2002年4月12日(金)

いよいよ来週から野毛が始まる。久々の現場になる。しばらく会社で落ち着いて、デスクワークができなくなる。ということで、やらなくてはならないことの整理。
15時半会社を出て、横浜大桟橋へ。大桟橋なんかに来るのは実に久しぶりのこと。しかしまわりの景色は全然違っている。
昔はよくここにボリショイサーカスのメンバーを迎えや、送りに来たもんだ。いま大桟橋は工事中、6月には改装オープンするらしい。
YのT氏と落ち合い、ロイヤルウィングに乗り込む。
25日にY社の創立記念パーティーがあるのだが、それにエンマが出演することになっている。船内を見学したあと、食事をしながら打合せ。
19時下船して、YのT氏と一緒に野毛に繰り出す。
萬里で本日二回目の夕食。途中から福田さんも入る。
紹興酒を3本飲んで、かなり酔っぱらってしまった。ドルフィンに行く。ここから先の記憶があまりない。
どこでT氏と別れたかも覚えていない。あとで聞くと家に着いて、二度ぐらい倒れながら階段を昇って二階に行ったらしい。

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2002年4月15日(月)

朝大変なことが発覚。金曜日べろんべろんに酔っぱらったときに、どうも弁当箱をなくしてしまったらしい。リックに入れたはずなのに、どうしてそんなものがなくなるのか、奥さんは唖然とする。会社に忘れたのではいわれる。
結局会社にもない。リックの中が結構ぐぢゃぐぢゃだったので、書類とかチラシを出し入れしている時に落としてしまったのかもしれない。
馬鹿みたい・・・
今週は野毛があるので、送迎の手配などの確認のために打合せ。明日のエンマの来日は辻君。18日のキネテッィクとヤーナは辻君、エレーナは自分が担当することに。大野がキャナルに17日から入るので、ふたりで対応しなくてはならない。
にぎわい座の公演もあるので、今週はかなりバタバタすることになる。
野毛の福田さんから電話、大道芝居にエンマを出して欲しいとのこと。チョイ役らしいが、おそらくこれはエンマと仲良くなるための方策であろう。
カバレットのにぎわい座公演で、あちこちから電話。舞台のこと、手配のことなどなど。
カザフの企画の見積を作成、メールで送付。
ロシアものの企画をつくりこれもメールで送付。
サーカス新聞の会報の原稿を書いて、印刷、発送までやる。
にぎわい座の公演プログラムを作成、印刷。
明日エンマが来日するが、迎えに行けないので、ロシア語で手紙を書いておく。
となんだかんだとあり、20時頃まで仕事。
でも去年を思えば、ちょろいもの。去年の今ごろは大変だった。でも仕事が一杯ある方がいい。

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2002年4月16日(火)

朝からなんとなくドキドキする。エンマは無事に飛行機に乗れたんだろうかということもあるし、今日の都の説明会のこともある。
にぎわい座のグループは、11時集合、なんどか現場から電話が入る。とりあえずは問題なさそう。
イタリアものの企画の件で宮城県に電話。予算はないという。明日明後日中にやれないなら、やれないの結論をださないといけないだろう。
12時半前に、成田の辻君から電話、無事にエンマは来日したという。電話で少し話す。
14時国際フォーラムで助成金の説明会に出席。
15時終了、まっすぐにぎわい座に向かう。順調に進んでいるようで、明日の分のばあたりが始まっていた。みんなそれぞれ緊張した面持ちでリハ。
17時ホテルにエンマを迎えに行く。少し痩せた感じがする。ちょっと腰が痛いという。ハーリックが空港まで大島に渡してくれって山羊を連れてきたという。たぶんそういう風に言えとハーリックに言われたんだろうけど、冗談に聞こえないところが、ハーリックらしい。
まずはにぎわい座へ、みんなに紹介したあと、明かりと音の合わせてみる。
飛行機の中でも、ホテルでも全然寝れなかったというので、ヘロヘロ状態。萬里に行って簡単に食事。どうやって投げ銭を集めるかについて真剣に話し合う。
福田さんから電話、フラスコで皆待っているから顔を出してというので、フラスコへ。
皆に紹介する。男たちは、生エンマを見て、少し興奮気味。
事務所で少し打合せしたあと、ホテルへ戻る。目覚ましをセットしてあげて、別れる。

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2002年4月17日(水)

会社で雑用をしてから、14時にホテルにエンマを迎えに行く。
野毛の回転寿司屋で昼食。結構食べていた。
にぎわい座に入るまでに、明日はケアできないので、ちょっとMMのあたりをおしえてやろうと思い、ランドマークまで散歩。上まで行きたいというので、69階の展望台へ。
エンマは高いところが大好きだという。俺は大嫌いなのに。
時計を見たら、16時15分前。16時からゲネが始まるので、あわててにぎわい座へ向かう。
16時からゲネ。エンマの時に客の代わりに、マルと手塚とこうじがステージにあげられる。手塚の時が一番おかしかった。みんな大笑い。
19時開場、始まる前に小出とどのくらい入るんだろう、ちょっと心配だよなあと言っていたのだが、なかなかいい感じの客の入り。結局100人近くの人が入った。
梅津さんたちも来てくれた。それぞれ自信作をぶつけてきたので、ステージから緊張感が伝わってくる。
客の受けもいい。Kajaと神山のランニングコントも、昨日のリハよりは全然良くなっている。
マルが怪我したらしく、額から血を出しながらも熱演。小林君も村田さんのもなかなかの出来だった。
エンマの時に、クレーパッチと産経のHさんがあげられ、場内大爆笑。
公演後、みんな面白かったと声をかけてくれた。クラブチッタの人も、梅津さんも大喜びだった。梅津さんも、チッタでの公演に手応えを感じてくれたようだ。これだけのメンバーがいれば、あえてボーイズものにこだわる必要はないとも。
先日坊屋さんと交渉はしたのだが、ちょっと無理だと思っていたので、ホットする。
公演後萬里放題亭で打ち上げ、21時から予約していたのだが、22時の入りになってしまった。23時までだったのを24時まで延ばしてくれた。
明日の出演者は早めにあがる。24時お開き。
エンマと一緒にドルフィンへ。エンマは紅茶を2杯、自分はバーボンに2杯。マスターから友川さんが6月にライブをやるという話を聞く。
エンマに、客と一緒のも楽しいけど、ダンスだけのを見てみたいとちょっと絡む。私のダンスはお客との即興がメインになっているとは言っていたが。
ダンスも好きだけど、いつまでもできるわけではない、いまはとにかくお金を貯めることが先決だとも。
2時すぎにホテルまで送り、タクシーで帰宅。

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2002年4月18日(木)

10時前に出社して、メールをチェックしたあとすぐに、現場で上京しているM氏と落ち合い、カザフの最終的なプレゼン。
今回はかなり具体的な話になったし、手応えがあった。すぐに予算書をつくって提出しようとようことになる。
会社に戻り、書類の整理。辻君から電話、チェコのヤーナと、キネティックが無事到着したとのこと。とりあえずはホテルにぶっこんでもらうことにする。
14時すぎの成田エクスプレスで、成田へ。こうした移動時間は貴重な睡眠時間。熟睡する。
16時半すぎに、エレーナが到着。ちょうどいいバスがあり、そのままYCATへ。ホテルには20時ぐらいかなあと思っていたのだが、19時前には到着する。
19時に今回のACC招聘のアーティストが全員集合、それぞれ自己紹介。キネティックとは約一年ぶりの再会。エンマとエレーナはロシア語でなにか話し合っていた。
ヤーナは英語がしゃべれるのだが、付き添いの旦那は英語もロシア語もできないので、ヤーナが通訳することに、彼女の負担が大きいかなという感じ。
にぎわい座カバBの公演を見に行く。
今日もいい出来だった。みんな達成感があったのではないだろうか。
来日組もみんな喜んでいた。公演後近くの居酒屋で、食事。
エレーナはかなり疲れている様子。23時すぎに店を出て、ホテルに戻る。
カバB組の打ち上げももうすぐ終わるとのこと。ただ一朗ちゃんからビデオをもらわなければならなくなり、打ち上げ会場へ。
ちらっと飲んで、解散。
最終で帰る。

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2002年4月19日(金)

午前中にエレーナとキネティックの下見に辻君がアテンド。問題はなさそう。
辻君が戻ったあとに、今度は自分が野毛へ。
15時にヤーナ夫妻をホテルからピックアップ、ラウンドマークの現場まで歩いていく。
問題はなさそう。ふたりはこのまま残るというので、ここで別れる。
17時ホテルでエンマをピックアップ。大道芝居の現場を見て、楽屋となるところを下見。
18時半ごろ出番だというので、いったんホテルに戻る。時間が空いたので、フラスコへ。
韓国からヨッチャンスのメンバーが到着したばかりで、打合せをしていた。なにやらもめているので、おもしろそうだから、首をつっこんでみる。
歌詞が長くて覚えきれないので、カラオケのビデオを見ながら歌いたいというので、モニターが必要だという。ビデオデッキをもってきたというので、それを見る。ボロボロでしかもプラグが丸で、コンセントにあわない。
やはりテレビなしでやったらというを話をしたら、眉間にしわをよせていたので、どうしても必要なのかと思ったら、「もういらいな、それより腹減った」と言いだしたのには大笑い。
エンマを迎えにいかなくてはならなかったので、ホテルにいくが、エンマはもういない。楽屋にいってみると、エレーナと一緒にいた。
結局予定より、40分遅く出番。エンマのシーンのおひねりが一番多かったかもしれない。
2回目ではフィナーレはパス、出番のあとそのままふける。
3人でお好み焼き屋さんへ。
22時ぐらいにホテルで別れる。

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2002年4月20日(土)

9時40分にホテルに全員集合。野毛組は自分が引率、伊勢佐木町のエレーナは辻君、MMのヤーナは大野が担当、野毛の交差点で分かれる。
エントリーをしようと思ったら、エンマがいない。しばらくして、にぎわい座にAさんから電話、エンマがここにいるという、電話に出てくださいといわれ、エンマにかわる。道に迷ったという。迎えに行くことに。
エンジェルさんたちは問題なし。いったんホテルに戻る。音出しの件で少しトラブル。ジャックは合うのだが、音がでない。スタッフのほうで、調整してくれることに。エンマもホテルに戻る。
エンマもエンジェルも12時スタート。すでにたくさんの人が待っている。
一回目の公演ということでエンマも緊張気味。予定通り自分がMCを担当。かんでばかりいた。やはり慣れないことはやるもんでない。
お客さんはおじいちゃん、おばあちゃんが多いので、なかなかエンマがさそっても出て来ないので、やりずらそうだった。
投げ銭を集めるだんになると、みんなさっーとひいていく。難しいもんだ。一万三千円ぐらいの集まり。三回ともこんな感じだった。
公演終了後、エンマと明日どうやって金を集めるか綿密に打合せ、作戦をたて、明日にそなえる。これだけ打合せやっておいて、雨だったりしてなんて、笑っていたのだが・・・
夜、にぎわい座の小ホールで大道芸スペシャルナイトに、エンマが出演することになっている。現場で簡単な打合せ。携帯にS氏から電話。にぎわい座にいるから来ないといわれる。エンマを連れていってみる。
いま連載中の濱村の話、ドキドキするなあ、面白いと言われる。
19時ちょいすぎにショーが始まる。エンマは一発目。150人ぐらいの客でほぼ満員。ニルス・ポールとブルース、ミモザのショーがよかった。
公演後、近くの居酒屋で、みんなで食事。エンマもエレーナもへろへろ。明日雨にならなければいいねえといいながら、別れる。

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2002年4月21日(日)

8時すぎに雨の音で目を覚ます。昼過ぎから降るというのが予報だったので、早く降りだしたことで、昼過ぎには晴れるかもしれないと都合よく思ったのだが、ネットの予報を見たら、ほぼ一日雨。
野毛から携帯に留守電が入っていた。正式に野毛と伊勢佐木町は中止とのこと。辻君と大野に連絡。とりあえず本人たちに連絡し、予定どおり10時半にホテルで会うことにする。
野外でのフェスティバルだから、こういうこともあるわけだが、いままでこのイベントに関わって、朝から中止というのは初めてのこと。
なんとなく浮かない気持ちになる。
10時30分集まって、とりあえず公演のあるMM21に皆で行くことにする。ヤーナの公演は15時20分から。それまでにおさえたいパフォーマーのビデオ撮ることに。今日はバイトで友川さんの息子、エイト君にビデオ撮りをお願いしてある。
15時に集まることにして、いったんばらける。
今日の朝日新聞にヤーナの写真がでかでかと出ていたので、ヤーナの出演時間を聞く客が多い。
MM21では今日2カ所が会場になっている、ここで12組公演することになるので、一組一回だけの公演。
ヤーナの公演を生で見るのは、初めて。いいショーだった。スピード感があるし、美人ということもあるのだろうが、なにかけなげな感じを与えるのもいい。
エレーナもジュリイも、エンマも大喜び。公演後フランス大使館のワールドカップ担当が、ヤーナとなにから話していた。
17時ホテル集合、打ち上げ会場の叶屋へ。途中エレーナと一緒ににぎわい座に寄り、Sさんの奥さまと息子さんと会う。エレーナはどうしてもふたりにあってお土産を渡したがっていたので、ふたりに会えて大お喜び。
今年は雨ということもあり、打ち上げに参加する芸人さんも、スタッフさんも少ないので、ゆっくり久しぶりに会った芸人さんと話ができた。
21時お開き。ホテルに戻り、ギャラの支払い。キネティックさんとヤーナとはここでお別れ。
エンマがどこか飲みに行こうというので、またドルフィーへ。ちょうどライブが始まるところ。
スタッフのYさんから電話、こっちに合流することに。エンマは、仕事が一段落したということで、ガンガン飲む。ここでもビールを2本飲んでいた。
Yさんの旦那さんで、マッサージ氏のTさんも一緒。腰が痛いとずっとエンマが言っていたので、マッサージを明日頼むことに。どこか痛いとか注文はあるか聞いてくれと言われたので、注文はエンマの身体に触らないことって言ってやった。とにかく明日12時半にホテルまで来てもらうことに。
2時頃店を出て、エンマをホテルまで送り、帰宅。

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2002年4月22日(月)

めちゃめちゃ二日酔い。8時頃起こされるが、今日は遅くても大丈夫といって、また寝たようだ。起きたら結子がまだいるからどうしたの聞くと、これから病院に行くとのこと。ぶつぶつが出てかゆいらしい。
風呂に入って朝飯を食べたあと、かみさんから電話。結子は水疱瘡とのこと。予防注射を打っているので、軽くすんだ、ただ学校は今週一杯休むことになる。
12時20分ホテルにエレーナを迎えに行く。エンマがお別れに下におりていた。タクシーを拾ってYCATへ。ちょうどエンマをマッサージに、Tちゃんがホテルに到着。
エレーナは空港まで来ることはないというので、バスに乗せたところでお別れ。
あっさりしたものだ。彼女はクレバーで、優しいいい子だった。きっとまた会えるだろう。
14時前会社に戻り、ミーティング。フール祭については、日本人を中心にしたものでいこうということになった。問題は出演者をどうするか、こちらから何人かのパフォーマーに声もかけながら、公募もすることになる。
18時すぎに会社を出て、マンダリンホテルへ。エンマにマッサージどうだったと聞くと、すばらしかったとのこと。あと3日これでがんばれるだろう。
萬里にまた行く。福田さんが暇そうに二階で本を読んでいた。祭りのあとって感じだ。
一千代の誠ちゃんも合流。やはりみんな昨日の雨は結構こたえたようだ。
エンマも疲れた感じだったので、早々に引き上げる。22時すぎに帰宅。

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2002年4月23日(火)

体調が絶不調。首筋が猛烈に凝ってしまい、足元がフラフラ状態。やっとの思いでホテルへ向かう。
エンマはすでにチェックアウトを終わっていた。彼女の荷物がガラガラひきながら、電車でとりあえず会社へ向かう。
会社で少し仕事をしたあと、ハーリックがエンマに渡したビデオをエンマの説明つきで見る。いくつか面白いのがあった。
タクシーで新宿のウィクリーマンションへ。14時すぎにチェックイン。そのまま近くのデニーズで食事。自分はそのまま会社に戻る。
ただフラフラ状態はひどくなる一方で、電車の中で寝ていたら、結局大江戸線を一周するハメに。
フール祭の件で、パフォーマーに連絡。
18時またウィークリーマンションに行き、エンマをピックアップ、地下鉄で六本木まで。ここでチョンボをする。駅からまったく逆方向に行ってしまい、結局会場に20分遅れで入ることに。
しかも30分ぐらい歩かせることになった。相変わらず首筋が張ってしようがない。
パーカッションの伊藤さんと簡単な打合せ。ノリでいこうということになった。
21時半から公演、パーカッションのソロのあと、エンマと伊藤さんの掛け合いが5分ぐらいあって、20分ぐらい伊藤さんのソロ、そのあとエンマの客をつかった演し物という1時間ぐらいの構成。
パーカッションとの掛け合いはもう少しあってもよかったと思う。ちょっと不完全燃焼の気がする。
ビールを飲んで、店を出て、タクシーでウィクリーの近くまで。近くの今度はジョナサンで食事。もう時計は24時をまわっていた。店を出て、自分はタクシーで会社に戻る。
少しだけウィスキーを飲んで、1時すぎ寝袋にくるまり就寝。

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2002年4月24日(水)

たぶん相当疲れていたのだと思う。寝袋で寝たわりには、熟睡できた。8時間ぐらいは寝れた。
ちょっと元気回復。9時半ぐらいにコーヒーを入れ、仕事にかかる。
サーカス学校の生徒たちのアンケートを先生のためにロシア語にしなくてはならない。たぶん先生も早く読みたいはずだ。
でもそんな時間がないので、今日は全部できず、明日続けてやることにする。
今日は小出のソロがある日。一昨日ぐらい前から申し込みが殺到しはじめた。たぶん一杯になるだろう。かえすがえす今日見れないのが残念。
ウィクリーにエンマを迎えに行く。テレビがつかないと文句を言っていたが、ビデオとの切り換えのボタンを押したら、すぐテレビが見れるようになった。
地下鉄をつかって、新橋の第一ホテルへ。最初に音だしのチェックをしてから、どこかにいこうという腹積もりだったのだが、会場は準備がそこまで整っておらず、みんな忙しく動き回るだけで、相手にもされず、ただスタンバイができるのをじっと待つだけ。
17時半頃やっと音のチェック、着替えの場所を確認して、司会の方と進行の打合せ。
20分ぐらい押してパーティーが始まる。
8時15分ぐらいに出番、途中主催者から巻きがはいる、エンマはそれを見て、フィナーレの演技にもっていく。このへんはさすがだ。
今日はハンバーグ一個しか食べていない。すぐに着替えて、主催者に挨拶をしてホテルをでる。近くの居酒屋でビールを飲みながら食事。
ウィクリーに送ったあと、中野坂上の駅で、小出のライブを見た帰りのTとUとひっこり遭遇。今日のも面白かったという。
渋谷で別れる。結局品川から最終一本前の電車で帰宅。
モスクワから電話があったという。2時すぎ就寝。

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2002年4月25日(木)

10時出社。昨日の小出のライブの感想を聞く。辻君も大野も、前回と比べてちょっと重い感じもしたが、よかったとのこと。
サーカス学校の生徒たちのアンケートの翻訳を続け、昼前に終わらせ、資料館にFAXを入れる。
この忙しい中、どうしても今月中にやらなければならないのが、石巻若宮丸漂流民の会の会報を作成し、発送すること。自分ではもうできないので、デラシネのデスクの大野に編集をお願いしてある。
最終的な構成を出してもらい、印刷屋まで持って行ってもらうことになっている。
メールのやりとりをしながら、最終段階まで詰める。
13時前に会社を出て、ウィクリーでエンマをピックアップ、新宿の小田急のカツラ屋へ行く。
人毛のかつらが欲しいというのだが、注文になるらしい。
湘南電車で横浜へ。初めて乗るが確かに速い。関内の喫茶店でちょっとお茶を飲み、大桟橋へ。雨が降りだす。
船に乗って、現場の確認と音だしと照明のチェック。
今日はY社の創立九十周年パーティー。T氏がプロデューサー。エンマを社長に紹介してもらう。
出番まで船の中を散策。結構喜んでいた。
19時前本番、客は少なかったが、みんなノリが良く、いいショーになった。
ゲストの人が下船後スタッフだけで残りの料理とドリンクで簡単な打ち上げ。さっさと食べて引き上げる。
桜木町から、東急線をつかって新宿まで、今日は地下鉄に乗せるところまでにしておく。
23時すぎに帰宅。

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2002年4月26日(金)

大変な一日となった。
まずは、チェコのエージェントから先日野毛に来たフットポールジャグラーが、怪我で6月来れなくなったという知らせ。
つい4日前にまた6月会おうといって別れたばかりなのに。とにかく対応策を講じるのと、主催者に連絡するのが先決。主催者がなかなかつかまらない。
代案としてエージェントから、弟が同じ演技をしているので代わりのどうだろうという連絡。問題はビデオなのだが、以前に送ったなかにあるという。
探して見るが、やはり男なのでビジュアル的にどうかという気もする。
とにかくなんとかしないと・・・
石巻でのイベントをなんとかしたいと思っていたのだが、時間的にもう無理という結論に達する。
残念だがしようがない。
17時すぎだった。後頭部、首の付け根が猛烈に痛くなり、胸のあたりも痛くなり、座ってられなくなる。もしかしたら頭か・・・、どうしよもなくなり、救急車を呼んでもらう頼む。みんなキツネにつまされていたような顔をしていた。
でもそうしてもらうしかない。横になるように言われるが、なにか横になるとそのまま起き上がれなくなるような気がしてくる。
辻君に付き添ってもらって救急車に乗る。意識は自分でも確かなのだが、なにか不安で胸が一杯になるり。
近くの慶応病院の救急室へ。着替えさせられ、点滴を受けながら、問診を受ける。やはり脳の傷害ということが一番危惧されたことで、その傷害をチェックする質問や検診が続けられた。
まもなく担当医が現れ、診断を受ける。夕方に、こんなひどくはないが、おなじような症状が何度かあったという話をしたら、テンション性神経傷害の一種でしょうと言われる。過労やストレスからくるもので、心配はないとのこと。少し休んでお引き取り下さいと言われる。首の張りがひどいようなので、湿布薬も持って行ってくださいと言われる。
辻君を呼んでもらって、診断の結果を会社に報告してもらうに頼む。
人騒がせなことになってしまった。着替えて、19時過ぎに精算を済ませ、薬をもらって病院を出る。
会社に電話。
主催者から電話が入っていたということで、電話を入れる。代案のビデオをとにかく見せてくれということになった。
ほんとうに大変な一日だった。

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2002年4月30日(火)

いよいよエンマが帰国する。8時半に電話してくれというので、電話、もう起きいていた。
杉田まで歩く、駅の近くでつばめを見かける。もうそんな季節になったのだ。
10時チェックアウト。中野坂上近くのドトールでお茶を飲む。
11時43分新宿発の成田エクスプレスに乗る。
成田でチェックインしたあと、両替。レートは131円。最後にどうしても寿司を食べたいというので、ランチは寿司。
14時ちょい前に搭乗口でお別れ。6月またアルマトゥイで会えるはずだ。
例のサッカージャグリングの件で主催者に電話。ビデオを見て、弟でいこうということになった。
これでこの件は一件落着。成田エクスプレスに乗り、また東京へ。
16時すぎ会社に戻り、ミーティング。それぞれゴールデンウィークのスケジュールを確認。
19時帰社。

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