クマのお仕事日誌
2002年6月分


2002年6月3日(月)

朝、庭で、寄宿野良猫のミケが雀をくわえてパフォーマンス。捕まえたぞ、そら見ろってな感じ。こいつは、トカゲや小鳥をよくハンティングするのだが、あきるとそのままポイというのが、悪い癖。
今日もさんざん遊んだあげく、庭に頭のない雀を置き去りにしていった。
とんでもない猫である。
出社すると、ひとつ事件。チェコから今度来る芸人の査証申請を先週の金曜日にしたのだが、一週間かかると言われたという連絡。一週間だと、間に合わない。ワールドカップの影響もあり、飛行機をかなり苦労してとったので、変更はまず無理。
エージェントの話によると、レターをつけて、書類を提出して、一応受理されたということだが、プッシュする必要があるだろう。
13時新宿の喫茶店で、フール祭に出演を予定しているKさんと打合せ。
新宿駅には、W杯めあてらしい外人客もちらほら。
会社に戻って、クリューコフとロシア語で交わす契約書を作成。
FAXを送る前に、キエフに電話。
プラハの日本大使館に電話。出発するまでなんとかビザを出してもらえるように、お願いする。なんとか努力してみましょうと言われ、ちょっと安心。
カザフに6月18日から行こうと思っていたのだが、チェコ組の帰国と重なっているし、カバチッタもある。
再度延期する旨ハーリックにFAXを送る。
大分出演者のためのスケジュール表を作成したところで、今日の仕事は終了。
19時会社を出る。

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2002年6月4日(火)

チェコのエージェントからメール。査証の方は順調に進んでいるとのこと。今日もう一度確認するというが、たぶん大丈夫だろう。
フール祭の助成金のことで、担当の人に電話。明日のアポイントをとる。
キエフからビデオと、査証用の書類が届く。
カバチッタのDM用の案内文を作成し、コピーをとる。
先週のMRの結果を聞きに、新宿の病院へ。千駄ヶ谷の近くは、ブルーのTシャツを着たサポーターの人で一杯。国立競技場で、今日のベルギー戦の模様が、放映されるためだろう。
MRの結果は、一番心配していた脳は問題なし、ただ一緒に撮ってもらった首の写真を見ると、頸椎板ヘルニアの疑いがあるというので、また外来で後日診断してもらうことになった。
ここのところの首の痛みの原因は、ここにあったのかもしれない。血糖もコレストロールも高いので、この際専門医に見てもらった方がいわれる。このあと糖尿の専門医の診断を受ける。
いまのうちに治さないと、血管がボロボロになってしまう、少し真剣に取り組まなければならない。
今月もう一度採血して、その結果をふまえて診断してもらうことになる。美人の女医さんだった。これを励みに本当に真剣に治療しよう。
ヨドバシに寄って、懸案のひとつだったデジタルカメラを購入。
今日はこれで帰ることにした。
帰宅して日本とベルギーの試合を見る。
寝る前にメールをチェック。チェコのエージェントから、査証がとれたという連絡。
これで一安心。

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2002年6月5日(水)

10時東京国際フォーラムへ。
東京駅には、緑色のアイルランドのユニフォームを着た外人サポーターたちが結構集まっていた。かしまスタジアムに行くのだろう。
秋のフール祭の助成金のことで、都の担当の人と打合せ。申請時の内容から縮小されたので、その変更の件で相談。
内容的には縮小でも、かえっていい内容になったと好意的にとらえられる。
この一週間ずっとこのために書類をつくったりしていたので、うれしい。助成金の額は、少なくなるということだが、助成自体はするという結果は、万々歳。
ホットした。帰りのエレベーターで、思わずガッツポーズ。
会社に戻ると、カバチッタのチラシが届く。いいチラシになった。
昨日準備していたDM150部にチラシを入れて発送。いよいよスタートだ。
14時中央放送を訪れ、O氏と会う。相変わらず元気でパワフルだ。
このまま真っ直ぐplanBへ。中野富士見町の駅に着いたところで、にわか雨。結構濡れる。
梅津さん、巻上さんとパフォーマーたちの初めての顔合わせになる。ショーに使う音楽に関しての打合せのあと、ショーの構成について。
20時半ミーティングのあと、小出、神山、こうじと駅近くの居酒屋で軽く一杯ということになる。
結局場所を替えて新宿まで行って、店を出た時は、すっかり世の中明るくなっている。
始発で、会社に戻り、寝袋にくるまって、少し睡眠。

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2002年6月6日(木)

目が覚めたら、9時半。3時間弱ぐらいは寝たことになる。コンビニに行って、トマトジュースとサンドウィチを買って食べる。
10時半ミーティング。
明日からしばらく留守になるので、会社でやらなくてはならないことをとにかくひとつずつこなしていく。
カバチッタのチラシ、チケットを郵送。メールで情報を流す。
奥さんから「猛省を促す」とのメール。確かになあ、糖尿を治すと誓ったばかりだもんなあ。
14時すぎ遅い昼食をとる。このあたりが一番辛かった。
16時すぎ新宿に出て、リムジンで成田に向かう。もちろんバスの中で爆睡。
18時成田着。飛行機はちょっと前に到着済。しかしふたりが出てくるまで1時間ぐらいかかった。サポーターらしき人たちもだいぶいる。フランコとパパは元気そう。
リムジンで東京まで行くことにする。バスのなかでまた寝れると思ったのだが、パパが隣に座って、ずっとしゃべりつづける。
面白いお父さんだ。自分が一緒に仕事したことのあるチェコのアーティストの話で盛りあがる。
東京からタクシーに乗って、品川プリンスへ。外国人のサポーターも結構泊まっているようだ。
チェックインしたあと、近くのビアホールで食事。
フランコはおとなしい、16才というから、かや子の一歳上。パパはさかんに英語も勉強させて、練習も毎日させて、一流の芸人にすると意気込んでいた。
二十年前に自分が仕事したことがある、ビーナスというチェコのファミリーのことが話題に。笑ったのは、このファミリーの親父が、パパにどうしても日本から買ってきてもらいたいものがあると頼まれた品物が、カップヌードルだとわかったとき。パパはこのものがどんなものかわからないのだが、ビーナスの親父は、これを「ファンタスティック」な食べ物だったといったのを聞いて、よほど高いものだと思っているようだ。とりあえず二個だけは買いたいという。
そういえばあのメンバーはよくカップヌードルを買って食べていた。
21時すぎに別れる。
家でメールをチェックしているうちに、どうもウィールスメールを開いてしまったようだ。やばい。
今日はもうヘロヘロ、とにかく寝ることに。

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2002年6月7日(金)

朝メールを開くと、送信に失敗したというメールが6通あった。ウィルスに感染した可能性大。
10時半品プリへ、チェックアウトし、荷物をフロントに預ける。15時にまたフロントで会うことにする。
一緒にどこか案内してやりたかったのだが、会社でやることがある。
出社して、やらなくてはならないことを整理。
13日から大分のイベントに出演する大阪のオレットのエージェントから電話、オレットが海外にいるため、航空券をエージェントの方に送ってもらいたいという。すでに発送したあとだったので、PのMさんに電話。
すぐに宅急便の番号を教えてもらった。なかなかここまではできない。たいしたもんである。すぐに大阪のエージェントに連絡、宅急便屋とコンタクトをとってもらうことにする。
カバチッタの件で共同通信のK氏から電話、記事にしてくれるとのこと。ありがたい。
カバチッタのチラシをマスコミ関係者に送付。
小出のソロライブの招待券を見てもらいたい人たちに送る。
デスクの大野から電話、もしかしてウィルスにかかったのではと言われる。駆除ワクチンをFDで自宅まで送ってもらうことにする。それまでは、家の感染したマシーンのネットは切ることにする。家に電話して、ネットのラインを外してもらう。
ここまでやったところで、もう時間。近くの蕎麦屋で昼食をとり、品プリへ。
ホテル近くのカフェでふたりがぼんやり座っていた。退屈したと思う。
荷物をピックアップして、京急線で羽田へ向かう。
ワールドカップ中で、チェックインで時間がかかるかと思ったが、すんなりチェックイン。時間ができたので、空港内をブラブラ。
ワールドカップの対戦カードがパネルで展示されたのを、じっと見ていたら、パパがベルギーの国旗を見つけて、突然いまベルギーのレートはいくらになっていると聞いてくる。彼はこのパネルが、各国の交換レートを書いたものと思ったらしい。
また笑わせてもらった。
家に電話したいというので、ICカードを買ってやり、プラハに電話。奥さんに無事着いたことを連絡。
16時半羽田発。30分ぐらい寝る。
大分空港に着いて、荷物を受け取る。出口のところで、一個荷物の番号があわない。これをキャリーに載せたパパに聞いたら、これは自分たちのじゃないという。オイオイ、それじゃ載せるなよ。
あわててターンテーブルに戻す。荷物が出て来なく心配そうにしていた男の人が、それは自分のだと名乗り出る。すいませんと謝り荷物を渡す。
パパの性格がだんだんわかってきた。
Mさんが出迎えに来てくれた。出口を出て、車に荷物を積んだところで、7、8人の男たちに囲まれる。みんな耳にイヤホーンをつけていたので、警察かと思ったら、案の上、フーリガン対策のための私服の警察だった。
Mさんが対応にあたる。外人で、荷物も多かったので、格好の餌食になったようだ。10分ぐらいMさんが対応していた。それにしても、なにもそんなに大勢で職質する必要もなかろうと思うのだが・・・
車で、ホテルへ。フランコとパパは今日からはシングル。その方がいいだろう。
明日8時にレストランで落ち合うことにして別れる。
荷物を整理したあと、簡単な食事をして、コンビニでビールを買い、部屋でアルゼンチン、イングランド戦を見る。
いい試合だった。
24時就寝。

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2002年6月8日(土)

7時半起床、シャワーを浴びたあと8時に朝食。フランコもパパも出てきた洋食セットの多さにびっくり。サラダもハムエッグもほとんど手をつけず、残す。
明日からはコーヒーとパンだけにしてもらう。
9時ホテル出発。去年プレイベントで仕事をしたことがある若草公園に着く。スタッフの数の多さにびっくり。軽くばあたりをやったあと、テレビ撮りの簡単な打合せ。
10時生放送。フランコがちょっと芸をしたのを流して撮るという感じだった。
MDを持って来なかったというので、ホテルに戻る。
12時本番直前に、音のきっかけの打合せ。一回目はゲネリハのようなもの。途中客との絡みを交える。まだ若いので客と絡むところまでいっていない。ボールを落とした時に首をかしげるのも気になった。
公演後このあたりをダメだしする。
携帯にかつての同僚Kから電話。彼女はいまワールドカップのプレス関係の仕事をしている。札幌から羽田を経由して、これから大分に入るという。時間があったら飯を一緒に食べようということに。
パパがビールを飲みたいというので、ビールだけを飲ませるカフェを探すがなかなかない。やっとオープンカフェをみつけ、生ビールを飲んで一息。
このあと五階建ての100円ショップがあったので、そこに連れていく。感動していた。
自分はいったんホテルに戻り、昼寝。出かける前にメールをチェック、クラスノヤールスクのKさんからメール。レザーノフフォンドの人たちからの手紙が添付されていた。「レザーノフと日本」展へ向けて、いい情報がたくさんあった。
17時二回目の公演。一緒のステージで仕事をしたBunBunというパフォーマーは、去年キャナルであったことがあった。少し話す。
二回目の公演は、客との絡みも少しは良くなった。ただこの時間西日が目に入るようで、センターから外れたところで演技さぜるを得ない。
ホテルに戻り、ビールを飲みながらブラジル・中国戦を見る。
24時就寝。健全な生活を送っている。

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2002年6月9日(日)

朝ジョギング。大分港の方まで走ってみる。ホテルに戻りシャワーを浴び、朝食。パパが、またティッシュを口許にあてたまま現れる。昨日もひげそりに失敗したのだが、今日もまた失敗、しかも昨日は一カ所だったのに今日は二カ所から血を出している。
11時ホテルを出て、会場へ。明日が大分で試合があるということで、外人の姿もチラホラ見かける。
夏と同じような暑さ。
一回目の公演が終わった後、今回パパがどうしても買ってかえらなくてはならないもの、痛みをとるtigleという軟膏探しに薬屋へいく。よくよく話を聞くとメーカーの名前ではなく、ロシアでティーグル、つまり虎の絵が描いてあったという。中国製の漢方薬のひとつかもしれない、ということで、会場近くの漢方薬店に行ったら、すぐに見つかった。
パパこれで安心。今度は、昨日孫娘用に見つけた水着を一緒に見に行って欲しいという頼み。
デパートの子供用品売り場に見てみたら、メーカー品でたかが子供の水着なのに、全部で二万ぐらいの高価な商品。サイズを確認して、月曜日に買いにくるので予約しておいてもらう。
実業家と結婚した娘に対して文句たらたらのパパなのだが、孫娘は可愛いのだろう。
ここでいったん別れる。次の公演は18時までなので、時間はたっぷりある。府内5番街をプラプラ歩いていたら、見たいと思っていた映画『KT』がかかっている映画館があった。時間を見ると、ちょうど始まるところ、あわてて映画館に駆け込む。
まさか大分で『KT』を見ることになるとは・・・
久々に骨太の社会映画を見た。期待に違わない出来、見てよかった。
遅い昼飯を食べて、ホテルに戻り、ウクライナの芸人との契約書をつくったあと、会場へ。今日は日曜日ということもあるのだろう、結構お客さんが集まっている。
フランコの出来も、この回が一番良かった。パパがお客さんがいないのが、一番やりずらいんだよとしみじみ言っていた。
客とのやりとりもうまくなっている。エンディングをもう少しハデにするようにダメだし。スタッフたちの間から、今日は気合が入っているよね、という声も。
近くのスーパーで食料とビールを買い、日本対ロシア戦のテレビ観戦の準備。
いい試合だった。決勝リーグ進出も現実性を帯びてきた。
いくつかスポーツニュースをはしごしたあと、24時すぎに就寝。

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2002年6月10日(月)

今回のロードは、酒をあまり飲んでいないので、身体の調子がいい。朝また昨日と同じコースをジョギング。
なんでも今日から九州地方は梅雨入りだという。
朝飯を食べながら、昨日のサッカーの話。パパ曰く「昨日の試合は、とても見応えがあった」。
パパは今日はひげそりをやめたようだ。
メールをチェック。チェコのエージェントのムシルから、日本の勝利を祝うコングラッチュレーションメール。
会社にいろいろ書類を添付してメールを送付。携帯からなので、やたら時間がかかる。
11時すぎ会場へ出発。今日はチュニジアとベルギーの試合が大分であるので、街には外国のサポーターの人たちが繰り出している。
一回目の公演が終わった後、同じステージでやっていたポカスカジャンの公演を見る。なかなか面白い、笑えるステージだった。
連絡がとれなかったサーカス学校の先生とやっと連絡がとれる。
今日はサッカーの試合があるということもあって、二回目のステージは15時から。ショーが始まる直前ににわか雨、客も少ない。
公演後ホテルに戻る。
チュニジアとベルギーの試合を見た後、ふたりに日本食を食べさせるために、近くの居酒屋へ。
箸がうまくつかえず、苦労していた。刺身とか寿司とか、串焼きを注文したのだが、あまり食べない。
夜はあまり食べないという。朝もあまり食べていないし、夜も食べない、いったい昼はなにを食べているのだろう。
フランコは慣れてきたのか、よくしゃべる。
パパは次の仕事をとりたいのだろう、一生懸命自己PRをしていた。
22時店を出る。
大分に来て、初めて外で飲んだことになるが、可愛いもの。生ビール2杯と、日本酒1合だけ。今回は寝酒と称して飲んでいたパーボンも買わずに、お茶を飲んでいる。
これだけ飲まないロードも珍しい、というか初めてではないだろうか。
ニュース23を見た後、就寝。

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2002年6月11日(火)

機嫌良くジョギングに出かけたのはいいが、走り出してまもなく雨が降りだし、びしょ濡れになってしまう。
会社に契約書をメールでに送るのに手間取る。どうもニフティーポートは携帯だと遅くなるようだ。
11時半会場入り、今日は昨日と比べて街はいったて静か、メキシコ人らしいサポーターを何人か見かけたが、人通りもまばら。
13日にいったん東京に戻るので、その間の打合せをする。
一回目の公演が終わったところで、急にラジオの生放送が入る。チェコ語をパパがロシア語にして、それを日本語にする。にぎやかな感じは出たのではないか。
14日の会場となる城址公園を下見に行く。
途中あちこちのブースから声がかかる。結局茶道のブースに連れて行かれ、お茶を体験。フランコは正座できずに、おろおろしている。韓国のテレビ局の取材を受ける。
二回目の公演は完全な雨の中。客はほとんどおらず、客との絡みを入れずに公演。
大分に来ているKに電話、食事をすることにする。
19時Kのホテルに出向き、都町の焼き肉屋で食事。ここは去年韓国のマダンノリのメンバーと一緒に食事したところ。
生ビール二杯と、ジンロ一本飲む。Kの話だと、プレスの仕事はいろいろ大変らしい。
22時に別れ、ホテルに戻る。一日ぐらいはこんな日があってもいいだろう。木お茶という血かららしいいニー府ティー港のあたりで飴

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2002年6月12日(水)

たいして飲んでないのだが、久しぶりということもあったのかもしれない。朝のジョギングは中止。
今日はテレビの生中継があるので、9時半に会場へ。10時に打合せ、最後にフランコが「見に来てね」と日本語でいうことになった。何度か練習して、ボールの上にチェコ語で書いたメモも貼って、大丈夫と余裕綽々だったが、だいたいこんな時に限って本番で忘れることが多い。
10時40分から中継、案の定フランコ君、見に来てねを言えなかった。楽屋でテレビを見ていたスタッフの人が、「いいの、いいの、フランコのあの笑顔で十分です」と言っていた。
スタッフとフランコの中で、いろいろ交流が生れている。今日はネットでみつけたチェコ語のサイトで簡単な日常会話をプリントアウトしたスタッフがそれをもとに、フランコとやりとりをする。
舞台裏でフランコは人気ものだ、16才なのに、素直で、いつも笑顔で、ひとなつこいのがいいよね、日本にいないよね、という声も聞いた。
明日から3日間現場を離れるので、こんなかたちでスタッフと仲良くやってもらうと助かる。
一回目の公演まで時間があったので、パパと近くのスターバックスでお茶する。メキシコやイタリアのサポーターたちが目立つようになった。メキシコ人はひとなつこく、遠慮なく日本人に声をかけている。
一回目の公演が終わったところで、留守中のことを打ち合わせるために、城址公園へ。
打合せのあと、まずい焼きそばを食べて、部屋に戻り、少し昼寝をしたあと、イングランドとナイジェリアの試合を見る。同時に行われているアルゼンチンとスウェーデンの試合も気になるところ。結局ふたつの試合とも引き分け、アルゼンチンは決勝トーナメントに出れず。またしても番狂わせだ。
若草公園で、打合せの内容をパパに伝える。
19時市役所の公用車で、空港にオレットを迎えに行く。道中運転手さんにいろいろ大分の話を聞かしてもらう。安いフグ屋を教えてもらった。
空港はガラガラ、それでも相変わらず警察官が10人ぐらい。昨日Kと飲んだとき、言っていたが、この警備のものものしさ、厳しさが、お祭りムードに水をさしている。
20時20分定刻通り大阪から飛行機が到着。オレットとは今回が初めての仕事。彼女はイギリス出身、今日イングランドが決勝トーナメントに進出が決まったので、上機嫌。
21時30分ホテルに到着、チェックイン。テレビをつけると、南アフリカとスペインの試合の後半がはじまったところ。近くのコンビニでビール、ほか弁で弁当を買って、テレビ観戦。
23時半すぎに就寝。

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2002年6月13日(木)

10時すぎにロビーでダイアンと落ち合い、迎えに来た車に乗って、城址公園に向かう。
セッティングの手伝いをして、音響さんと舞台監督さんと簡単な打合せ。ダイアンはあらかじめ風船をつくる必要があるため、1時間前に会場に入りたいということなので、車の出迎えの時間を変更してもらう。
16日のスケジュールが変更になるというので、電話でフランコグループに知らせる。
13時ダイアンの一回目のショー。初めてライブのショーを見る。いろいろなアニマルバルーンが、巧みな大阪弁でつくられていく。なかなか楽しいショーだ。
客はそんなに多くなかったが、反応、特に子供の反応がいい。
特にダメだしする必要はなし。明日以降のスケジュールを確認して、現場を去る。
途中昼食をとって、ホテルに戻り荷物を受け取り、駅前のバス停まで歩く。今日はメキシコ対イタリアの試合があるということで、大勢のメキシコ人サポーターが街を練り歩いている。なかなか陽気で、意気軒昂。あちこちで輪ができ、歌を歌ったり、応援のエールを交わす姿が見られた。前のベルギー・チュニジア戦よりは、ずいぶんとにぎやかだ。
バスに乗って、大分空港まで。
「聖の青春」をバスの中で読みはじめる。はじめからぐいぐい引き込まれる。
18時羽田着。そのまま真っ直ぐ家へ。

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2002年6月16日(日)

朝6時起き。羽田には余裕をもって着いたつもりだったのだが、着いてすぐに搭乗開始。
読みかけだった「聖の青春」の続きを機内で読む。最後の方で涙がとまらなくなる。前から気になっていた本だったのだが、やられてしまった。
10時すぎに大分空港着。今日はこれから試合ということで、乗客のほとんどはサッカーを見に来た客、空港も混んでいた。
バスだとフランコのショーに間に合いそうもなかったので、ホーバークラフトを利用して、市内へ向かう。バスで1時間かかるところ25分で着いてしまう。
若草公園に、なんとかぎりぎりで到着。驚いたのはフランコが、ジャパンのユニフォームにフランコと書かれたコスチュームを着ていたこと。スタッフさんからのプレゼントらしい。現場のチーフIさんに聞くと、とにかくフランコは人懐こく、人柄もいいので、皆から好かれ、なんの問題もなかったという。
もしかしたらヤーナよりフランコで正解だったかもしれない。最後のショーとなる今日の公演も、ずいぶんと良くなった。最初のショーから比べたら、格段の出来。若いということは素晴らしい。
オレットが城址で最後の公演、それを見にすぐに城址に向かう。
舞台裏で今回のイベントのプロデューサーEさんと会う。市民の反応もよく、大満足の様子。Eさんのひとつのイベントへの考え方、ホスピタリティーと手作りそれが貫徹されたいいイベントだったと思う。
オレットの荷物の整理を手伝い、14時すぎに会場をあとにする。
ホテルにチェックイン、15時半からセネガル、スウェーデンの試合をテレビ観戦。
18時フランコ親子と一緒に白木屋へ。相変わらずあまり食べない。試合帰りのサポーターで店が混み合い始めたあたりに、店を出る。
土曜日の弟の結婚式、そして今日も朝早いということもあって、疲れてしまった。ベットに横になり、何度か居眠りしながら、スペイン・アイルランド戦を見る。まさに死闘となった試合だった。
試合が終わったのが23時、そのまま今日は就寝。

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2002年6月17日(月)

今日はオフ。土日と朝早い日が続いたので、この日はゆっくり9時すぎまで寝る。
朝食をとったあとは、部屋にこもってひたすらパソコンに向かって原稿書き。ところがまたしても途中でフリーズしてしまい、結局九割方できていた原稿のほとんどを失ってしまう。
めげずに記憶があるうちにということで、またパソコンに向かう。掃除も断り昼飯も食べず、14時近くまでひたすら原稿書き。
途中明日空港まで出してもらう車の時間を確認するために主催者に連絡、サーカス学校の先生に娘息子の来日のための査証の手続きの件で連絡、上越のホテルの仕事の件でO氏に連絡をとる。
14時ホテルを出て、タクシーでアサヒ温泉へ。先日Kと飲んだときにここの招待券をもらった。Kは去年韓国のユーたちが大分で働いたときに、ここにアテンドとして来ている。なかなかいいところだよというので、行くことにしたのだが、どこかに招待券を紛失。
でも入場料390円と安いもんだ。フランコは水着持参、やばいとは思ったのだが、知らぬふりを決めこむ。パパは寝湯が気に入ったようだ、何十分も浸かっていた。ここは天然の温泉というが味噌。
3−40分入っていた。パパと風呂からあがり、ビールを飲みながらメキシコ対アメリカの試合を観戦。パパは身体が真っ赤になっていた。係の人が来て、水着の着用はまずいので、注意してくださいと言われる。フランコに言いに行くと、もうあがるという。
前半戦を見終わったところで、帰ることに。2人を中心部でおろし、ホテルに戻る。
またテレビでサッカー観戦。結局はメキシコの負け。
19時すぎに近くのトンカツ屋で晩飯。部屋に戻ってブラジル・ベルギー戦を観戦。ブラジルの攻撃は本当に見ていて気持ちがいい。みんな攻めるのが大好きみたいで、守るのが嫌いなようだ。この辺がウィークポイントだろう。
2時間ぐらい原稿を書いたあと、就寝。ここ2、3日咳が出てとまらない。風邪というわけでもないと思うのだが・・・

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2002年6月18日(火)

7時前に起床、ジョギング。今日はいつもちがうコースを走ってみる。途中図書館を見つける。出発まで時間があるので、今日は図書館で時間潰しをすることに決める。
朝食をとって、9時半チェックアウトをし、荷物をフロントに預ける。ふたりは、また買い物に出かける。
歩いて豊の国情報センターへ。ここにある図書館はなかなかすごい。閲覧室の天井が高くて、広々とした感じがする。あちこちに座って調べられるように椅子が配置されてあるのもうれしい。畳の閲覧室もある。まずは郷土資料室へ。こういうところをのぞくと、大分のことが少しは把握できるようになる。
閲覧室で、ロシア語の辞書を借りて、ティレジウスに関する論文をノートをとりながら読む。全部読み終わったあと、閲覧室を見て回る。いろいろ発見がある。雑誌コーナーで「自然と文化」に吉本の田中氏が、カザフサーカスについて書いているのを発見。
ラーメンを食べて、ホテルに戻り、14時半車で空港に向かう。
大急ぎでチェックインして、日本対トルコの試合を待合室で見る。トルコが一点先制したところで、大きなため息がもれる。アレックスのフリーキックがコーナーポストにあたったところで、搭乗案内。
18時羽田着。バスで一緒だったおばさんたちの話から日本が負けたらしいことがわかる。念のため家に電話、結子が出て、1対0でやはり負けたとのこと。
リムジンに乗って、成田へ。20時すぎに成田に到着。パパが、チェックインしたすぐに帰ればいい、そうすれば韓国対イタリアの試合の最後あたりは見れるだろうと言う。
ところがエアフランスのカウンターに行ったら、長蛇の列、セキュリティーチェックのところにも長蛇の列。何事がおきたのかと思って係の人に聞くと、本国でエアフラがストライキを明日する予定で、そのために時間がかかっているという。
結局ふたりがチェックインできたのは、22時過ぎ、飛行機の出発時間は21時55分だから、たぶん1時間遅れぐらいの離陸になるのだろう。フランコとパパを税関のところに連れて言って、慌ただしくお別れ。
こっちが帰る手段があるかどうかが問題。
急いで下に行くと、辛うじてYCAT行きの22時25分発のバスがあった。
24時を過ぎてYCATに到着、京急の最終に間に合わず、タクシーで帰る。
家に着いたのは、1時すぎ。ひとつだけ嬉しかったのは、韓国がイタリアに延長戦を制し勝ったこと。やったね。
2時前に就寝。

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2002年6月19日(水)

10日ぶりに出社。打合せ。
都の助成が内定していたフール祭の内容がかわって、変更届けを提出していたのだが、正式にそれが認められたという通知が文書できていた。
助成額は少し減らされたのだが、これで体制が整ったことになる。前回よりは資金面では少し余裕ができたことはなにより。
机の上にファックスできたカバチッタの申し込みが何件か置かれてあった。リストを作成。まだまだである。最低でも300は入れたいところ。一応自分のノマルは100と思っているのだが、まだ半分もいっていない。あと二週間がんばらねば。
メールが来ていて、返事をだしていなかったのがいくつかあったので、まとめて返事をだしておく。
17時半クラブチッタで打合せ。15分くらい遅れてしまう。
ビデオのことや舞台のことなどで、1時間半くらい打合せ。
いろいろこれからやらなくてはならないことが見えてきた。
19時半チッタを出て、京急でそのまま帰宅。

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2002年6月20日(木)

これだけサッカー漬けになってしまうと、試合のない日が2日も続くとなにか生活のペースがかわったようで調子が悪い。
会社で、「今日は試合がないだよなあ」と独り言を10回ぐらい言っていたらしい。
上越の仕事のスケジュールとラインナップをつめなければならない。あちこちに電話やメール。
明日までは大枠を提出することになっている。
石巻若宮丸漂流民の会の例会の案内を往復はがきで作成。コピーがつまり、なんどもやり直し。1時間ぐらいかかって、やっと完成。明日には発送できそうだ。
カバチッタのパブの件で、産経新聞と朝日新聞に電話。書いてくれそうな感じ。
S氏がなかなかつかまらない。夕方やっと捕まえる。カバチッタの制作の件でいろいろ詰めなくてはならないことがある。明日電話で打合せをすることにする。
午後から本格的に雨降り模様。
キエフからやっと写真が届く。
連絡をとりたいのだが、なかなかつかまらない。
家から何度も電話したのだが、国際回線がつながらない。また明日連絡することにする。

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2002年6月21日(金)

カバチッタのチラシをあちこちに送る。早稲田で授業をしていたときに仮の申込書を作ったのだが、それに記名した人、巻上さんが、今度ライブをする野毛のドルフィーなどにチラシを送る。
仙台の東北放送から電話、カバチッタの件で、来週水曜日に生放送の中で、電話インタビューを受けることになった。
産経新聞横浜総局からも問い合わせ。来週火曜日に取材を受けることが決まった。
手伝ってもらうことになっている舞監と照明さんに資料と、とりあえずの進行表を送る。
今日はブラジルとイングランドの試合。家で録画してきたのだが、やはり様子が気になる。会社のテレビはNHKが入らない。我慢しようと思ったのだが、結局音声だけで、ブラジルの勝利を確認。こんな味気ないことはない。
18時神田のナウカへ。前に店舗があったところから、100メートル離れたところに移転したので、そのお祝い。
といっても何も持っていくわけでもなく、結局はごちそうになってしまった。
お店で、最近出たばかりというサーカスのポスター集を見せてもらう。きれいな本。早速注文した。
近くの蕎麦屋さんで、漂流民のことをサカナに一杯飲む。
23時前に帰宅。

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2002年6月24日(月)

定例の朝のミーティング。
フール祭のチラシについて、意見交換。チラシの原稿を早急にまとめないと。
13時朝日新聞のI氏とカバチッタの件で面談。カバレットという言葉をどう日本語で説明するか、それが問題になる。
そのあと共同通信に向い、K氏に王さんの写真を届ける。K氏はカバBを何度か見ているなかで、小出に興味を持っている様子。
16時すぎ会社に戻る。
雑用を片づけたあとキエフに電話。
19時すぎに会社を出る。
結子と奥さんは今日ジブリ美術館に行った。結子は相当興奮していたみたいだ。トトロの付箋をもらう。
夜鹿児島のKさんから電話で、ペテルブルグ東洋学研究所のゴレグリャド教授が亡くなったことを知った。
レザーノフの辞書探しで手伝ってもらった恩人、2年前に電話をもらい、環海異聞のロシア語訳ができましたと喜んでいたのに。
ショックなニュースだ。

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2002年6月25日(火)

10時半すぎに、久しぶりに野毛のフラスコへ。カバレットチッタの件で、産経新聞の取材を受けると、王さんと打合せのため。
野毛の飲み友だちのひとり産経新聞横浜総局のHさんに記事を書くようにお願いしていたのだが、紹介記事だけでなく、少し大きめに取り扱ってくれることになった。
1時間ぐらいに取材を受けたあと、王さんにもインタビュー。
王さんと音楽のこととセッティングの件で打合せ。野毛にもチケットを預かってもらう。
野毛の事務所のスタッフと雑談。やはり仕事はかなり減っているようだ。いづこも同じだ。
13時半会社に戻る。来年の仕事の件で、会社で打合せ。見積を来週はじめに提出することになった。
上越のスケジュールを調整、パフォーマーの人たちにも連絡、スケジュールを確認したあと、クライアントに最終案をファックス。
18時45分からサーカス文化の会。今日はW杯の準決勝ということもあるのかもしれない、あまり集まりが良くなかった。今日はポン太君の欧州ツアー報告。
22時すぎ、ちょうど試合が終わった頃に帰宅。結果を言うなとわめき、耳をふさいで自分の部屋に籠もり、ビデオで試合を鑑賞。
韓国は少し疲れてていたみたいだったが、最後までゴールを狙おうとするひたむきさ、試合終了のホイッスルが鳴ったあとのサポーターたちからの拍手に、ちょっと感動した。
またネットの調子が悪い、調整をいろいろしているうちに1時すぎに。

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2002年6月26日(水)

東北放送ラジオの生放送のインタビューを7時半から受ける。カバチッタの宣伝もかねてという話だったのだが、ワールドカップの見かたというコーナーだったので、話のほとんどはW杯のこと。サッカーの話をしてもらうということは事前に聞いていたのだが、ここまでディープに話さなければならないとは思っていなかったので、少し焦る。
ただパーソナリティーが、何度か出演したこともあるテレビ番組のキャスターのT氏だったので、気楽にしゃべれたことは確か。最後にカバチッタの宣伝をさせてもらう。まさか仙台から見に来る人はいないと思うが・・
10時出社。
明日が小出のライブということで、予約の電話が10本ぐらい入る。明日も満員だろう。
フール祭のチラシの原稿、プレスリリース用の原稿を作成。
家からメール、ネットがまたつかえなくなっていたのだが、復旧したとのこと。
上越のスケジュールの件で、最後のネゴシエーション。これで決まりにしたい。
いつも使っているメーリングリストにカバチッタの情報を流す。
「東京かわら版」が送られてきた。カバチッタのことを大きくとりあげてもらう。
昨日取材を受けた産経新聞の記者の人から、掲載予定原稿がファックスされてくる。これに写真が入ると結構大きい記事になるのではないだろうか。
今日はブラジルとトルコ戦なので、18時半すぎに会社を出る。
冨岡の駅に着くころSから電話。今日から始まった光洋ちゃんがでる、かもねぎショットの芝居の時チラシの折り込みをお願いしようということになる。
光洋ちゃんに留守電を入れておく。

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2002年6月27日(木)

今日は、血糖値の検査がある日。朝飯を食べずに、新宿の病院で採血。ここは血糖値の数値がすぐにわかる。
なんと133までに落ちている。一カ月前に調べた時が、200だったからずいぶん落ちた。この間きちんと薬を飲んで、間食をせずに、酒を控えめにしたのが良かったのだろう。
ちょっとうれしくなる。
10時すぎに出社。
「東京かわら版」にカバチッタのことをとりあげてもらったので、お礼の電話をいれる。Oさんとは久しぶりだったので、ついつい長話になった。
かもネギショットの公演で配るチラシの件でこうじに電話。今日はみんな小出のライブがあるので、それにつきっきりで、行く人間がいない。
仕方がない、自分が行くことにする。光洋ちゃんにその旨電話を入れる。
カザフのハーリックに電話。ハーリックの部屋の直通に電話したのだが、いつものように彼がすぐに出るのではなく、女の人がまず「カザフ国立サーカスです」と出る。少しずつ組織がまたもとに戻ってきたのだろう。
「どうだ、その後サーカスは大変か?」と聞くと、「サッカー残念だったなあ、日本をずっと応援してたのに」と逆に慰められる。
「もちろんお金がないし大変だけど、楽しいし、面白い」と元気な声。それでいいのだ。いままで三年間思うように仕事さえできなかったのだから。いまはサーカスに集中している、そんな満足感があるのだろう。
8月からはいよいよサーカス場でカザフサーカスの公演がはじまるらしい。
いつものように「いつ来る?皆待っているぞ、きれいな姉さんも用意している、早く来い」と言われた。
充実している感じがよくわかる。
16時半会社を出て、三軒茶屋へ。トラム劇場で、チラシの折り込み。久しぶりだなあ。折り込みするのは。1時間ぐらいで終わり、真っ直ぐplanBへ。
ほぼ満員。
公演後共同通信のK氏を小出に紹介。22時すぎまで飲みながら、サッカーの話で盛りあがる。
24時前に帰宅。仙台からさくらんぼが届いていた。キエフに電話。血糖値が下がったお祝いに久しぶりにバーボンを飲んでから、就寝。

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2002年6月28日(金)

今週は気温も低く、雨が降る日が多かったが、今日久しぶりに太陽がのぞく、汗ばむ日。空を見上げるとまぶしくなる。
12時からニューオオタニで、ベラルーシ建国十一周年のパーティーに出席。日本ベラルーシ協会のT氏と挨拶。会うのは実に久しぶり。
元気そうだった。ランチタイムのパーティーということで、あまり料理もなく、ワインを少し飲んで、軽い料理をつまむ程度、知っている人もほとんどいない。もうじき帰任するロシア大使がいた。
T氏の紹介で、大使と挨拶、なんでも大使はゴシュケービッチについて研究をしているとのこと。日本ベラルーシ通信で、自分が書いていたゴシュケービッチノートについて知っていたらしく、ぜひこの件についてゆっくり話し合いたいと言われる。明日夏休みで帰国するので、9月に戻ってから、是非大使館に来てくださいとのこと。
T氏の話だと、本国で外務大臣をしたこともある大物外交官らしい。
ソ連時代の官僚、っていう感じだ。
たいして食べれなかったので、紀伊国屋の地下のうどん屋で釜揚げうどんを食べ、紀伊国屋を一時間ぐらい見て回る。何冊か欲しい本があったが、岩波新書を一冊買っただけ。
15時半Mクリニックへ。整形外科の外診の日、先日のMRの写真を見ながら、診断をうける。頸椎板ヘルニアの疑いがあると前に言われたのが、そこまではいっていないし、そんなひどい具合でもないといわれ、いささか拍子抜けしてしまう。自分としては首が痛いのは事実で、今日診断を受けて、具体的に治療が受けられると思っていたのだが、はぐらかされた感じだ。
16時半帰社。
午前中にクラスノヤールスクへ送ったメールが、配信できないというサーバーからの連絡。ロシア語だとOul Lookを使うしかないということだろう。
19時すぎに会社を出る。

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