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クマのお仕事日誌

2002年11月1日(金)

今日から11月。
久々に歯医者へ。親不知の治療だったので、かなりしんどかった。これで今回の治療は終わり、次は半年後の定期検診。
出社すると、中国にいるローマから留守電が入っているとのこと。聞いてみると結局武漢まで来ているので、連絡が欲しいとのこと。
昼過ぎに中国の西田から電話。ローマがそばにいるというので代わってもらう。日本から友人が来ているというので、特別に休みをとって武漢まで来たらしい、自分たちが世話になっている中国の文化省の人も来ているので、西田に紹介したいとのこと。
明日一緒に昼食をとることになった。
明日から三連休、5日の公演の支払いの準備。
仙台のおやこ劇場から電話、12月の光洋ちゃんの公演のチラシ用の原稿を大至急欲しいとのことなので、作成してFAXで送る。
17時半会社を出て、久しぶりに野毛へ。萬里で福田さんと久しぶりに会う。
そのあと波の上へ。デスクの大野とデラシネリニュアルについて打合せ。結局25度の泡盛をかなり飲んでしまった。深夜のご帰宅。

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2002年11月5日(火)

金曜日の飲み過ぎがたたり、せっかくの三連休もまた寝たきり状態。いかんなあ。首の痛みはそうでもないのだが、足元がふらつく感じ、特に右足がかったらるい感じがする。
9時半会場のハマギンホール入り。近くのコンビニにケイタリングの品を購入。11時すぎからゲネプロ。
担当の先生も顔を出す。プロジェクターとカメラのために席をとっているのだが、あらかじめ押さえていた席とちがっていたため、席の振替をする必要がでてきた。自分が対応することに。
客入れの13時半ちょっと前にゲネが終了。ゲネといってもさらっと流した感じなのだが、映像とのからみもいい感じで、いい公演になるのではという感触。ただ問題は今日のお客さんの高校生がどんな反応をするかということだろう。
客入れで席の振替を終えて、弁当を大急ぎで食べる。
14時開演。一番うしろの席で見る。回りは父兄というか、お母さんたち。今回のこの仕事のご縁をつくってくれた波の上のママも開演ぎりぎりに間に合う。
今日の公演については、とにかく客の反応がどうなるかまったくわからないということが、出演者が一番不安に思っていたわけだが、小出は頭の天皇もののところで、「学校は楽しいですか?」のあとに「オナニーはしてますか?」といきなりかました。ここでどういう反応がくるかというわけだったのだが、いきなりドッーと来た。
これで一挙にペースが乗ってきた感じだ。今回の公演の実験でもあった映像とのからみも非常にうまくいった。
成功といえるのではないだろうか。
公演後小出もKaja、VJコミックもみんな大満足。
萬里放題亭でスタッフさん、学校の担当者もまじえて打ち上げ。
楽しい打ち上げだった。小出とKaja、先生と四人で波の上へ。先日のことがあるので、今日は泡盛は飲まずに、オリオンビール。22時半に店を出る。小出はかなりヘロヘロモードだった。静岡からの連チャンで大変だったと思う。

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2002年11月6日(水)

相変わらず調子が良くない。足元がふらつく感じ、胸の痛み、原因がわからないのがなんとももどかしい。もう一度病院に行く必要を強く感じる。
中国にいる西田からFAX。武漢の雑技コンクルールに参加していたマジシャンの内田君が、銅賞を受賞したとのこと。たいしたもんである。また彼が世界を舞台に活躍できる機会になればいい。彼は一地方に留まっている人材ではない。
13時planBでカバBの打ち合わせ。20日の公演内容について、進行について打ち合わせ。今回の楽しみは、小出が司会としてショーを進めていくこと、そして立川笑志さんという噺家が参加すること。カバチッタを意識しての出演らしい。20日の公演の打ち合わせが終わったあとは、カバチッタの内容について話し合う。21日にカバチッタの打ち合わせをし、だいたいの出演者を決め、そのあとミュージシャン側と話し合うことにする。
16時前に帰社。クラスノヤルスクからメール。レザーノフの遺品のチェックのために、専門家ともども来年早々にきてもらいたいとのこと。市として正式に招待する準備があるという。とはいっても渡航費はこっちもちなのだが・・・
少しずつ動いてきた感じがする。
ものこの日はダメ、18時に会社を出る。電車に乗ったあたりから少し楽になってくる。これはいつものパターン。なんなのだろうね。
上大岡でおり、八重洲ブックセンターでハリポタをやっと購入。そういえば最近電車のなかで、ハリポタを読む人を結構見る。しかしねえ、みんながみんな同じ本を読むのってちょっとおかしいと思うのだけど。
結子はさっそく読み始める。
明日はお休みさせてもらうことにする。

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2002年11月11日(月)

西田が中国出張から戻り、かなちゃんも出社ということで、久々に全員がそろってのミーティング。こうして全員が揃うのは、一カ月ぶりぐらいかもしれない。
武漢で行われたサーカスコンクールで銅賞をとった内田君のトロフィーを西田が持ち帰ったのだが、これがなかなか立派なもの。
このコンクールで、またいろいろな国のアーティストやディレクターと出会い、収穫もたくさんあったようだ。
プレゼンしている来春の企画用のビデオが届き、それをチェック。いいのではないだろうか。
ドルがいい感じで安くなっている。そろそろ支払いの準備。
リトルの4人アクロバットのふたりがまた負傷したとのこと。やはりかなりハードな芸なのと、ここのところ急に寒くなったこともあるのだろう。今回はケガが多いのはしかたがないかもしれない。
あと二週間なんとかがんばってもらいたい。
今日月曜日ということもあって、体調の方はいつものように不調。夕方が特にしんどかった。
18時半すぎ会社を出て、代々木の駅前のハンコ屋さんで、頼んでいた石巻若宮丸漂流民の会のゴム印を受け取る。

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2002年11月12日(火)

午前中来年の企画の件でミーティング。先日の小出のライブのビデオが来ていたので、先生に送る。
小出に電話。昨日出た『週刊現代』に記事がでるはずということだったが、出ていなかったので、その確認。なんの連絡もなかったというから、来週回しか、ボツになったのかもしれない。
ただ23日TBSのラジオ番組で20分ぐらい出演することが決まったという。これは楽しみ。
14時半糖尿の定期検診。血糖値もコレストロールもみなまた下がっている。ただこのところの体調不良を説明すると、先生が勤務する東京医大の神経内科を紹介してもらうことになった。脳神経には、二回もいっているのだが、異常を発見されなかったので、より内科にちかいところでみてもらった方がよいとのこと。6月に撮ってもらったMRの写真も渡された。早いうちに行きたい。
会社に戻って、国際交流基金のサイトをチェック。来年の企画については12月2日が締切りらしい。
なにかだせるものがあったら、早めに書類を準備しなくてはならないということだ。
18時退社。

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2002年11月13日(水)

出社途中、広尾のスイス大使館に寄り、ウクライナチームのイリーナのビザの申請手続きをする。
明日10時半にできるという。
会社に戻って、まもなく新宿中村屋の地下の喫茶店へ。今日は久々に神彰の取材。神がスポンサーとなった伝説の雑誌『血と薔薇』の編集に携わったNさんと会う。実は前の会社に勤めていた頃、Nさんとは何回か新宿二丁目のバーでお会いしている。Nさんはもう覚えていなかった、無理もない、20年以上も前のことなのだから。
2時間弱とても中身の濃い話を聞くことができた。
14時すぎに会社に戻る。
国際交流基金のサイトから、申請に関するところをプリントアウト。いろいろな項目があるのにちょっと驚く。利用しない手はない。
来週月曜日にリトルに行くことにした。この日はうな丼ライブのある日だが、しかたがない。一千代に電話してキャンセル。
沖縄三線の先生に電話、来週ぐらいのぞきに行くことにした。
18時に会社を出て、気功の先生のところへ。先生の見立てによると、だいぶよくなっているというのだが・・・
ここ二週間ぐらい悩まされている足のふらつくような感じは、何が原因なのだろう。血糖値がだいぶ下がったので、そのせいではないかと先生はいうのだが・・・
21時半すぎに帰宅。身体がだいぶ軽くなったのに調子に乗って、バーボンを3杯ほど飲んでしまう。これが結局よくないんだよなあ。

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2002年11月14日(木)

やはり昨日飲んだバーボンのせいで、調子が悪い。フラフラ君になってしまっている。
またスイス大使館に寄って、イリーナのビザを受け取る。
11時すぎに出社。めちゃ調子が悪い。
13時レザーノフの件でテレビ・ドキュメンタリー制作をしたいというU氏が来社。前にも会ったことがあるのだが、レザーノフの遺品が発見されたというデラシネの記事を見て、もう一度企画を出したいということ。
1時間半ぐらいミーティング。番組になるといいのだが・・・
前に出していた企画のことで、さらに資料を出してもらいたいという連絡。来週早々に提出しなければならない。
時間がしばらく経っていたので、どんな企画をだしていたのかわからなくなる。あわてて資料を探す。
18時退社、このところいつもそうなのだが、品川から電車に乗ると、ずいぶんと身体が楽になってしまう。今日は早々に寝ることに。

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2002年11月15日(金)

来週月曜日にリトルにいくので、その準備をまずしてしまう。新しい四人アクロバットのビデオを撮っていないので、カメラを準備。ネットで新幹線の空き状況を見る。
会期中に怪我をしたメンバーの保険について、リストも持参しないと。
リトルから電話、イリーナが直接スイスに入りたいという。気乗りはしないが、一応調べてもらう。
提出していた企画で、その詳しい資料を要求されていたので、その作成。
今日も18時過ぎに帰る。
家に着いてすぐに、携帯に電話が入る。今日プレゼンがあった来春の企画がほぼ通りそうになったという思いもかけない連絡。
ヤッターという感じ。3月末なのであまり時間がないが、とにかく朗報であることは間違いない。

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2002年11月18日(月)

9時23分新横浜発の新幹線に乗り、犬山へ。車中ずっと寝ていた。
12時半にリトル到着。韓国亭でKさんとKさんと3人で昼飯をとったあと、楽屋へ。
知らないロシア人がふたりいた。一宮のロシアバーで働いているダンサーだという。
イリーナにスイス入国査証を渡す。今度は航空券を手配してくれという。なんでも27日から仕事が始まるらしい。手伝ってやらなくてはならない。
13時半からの公演をビデオ撮影。四人アクロバットの新作、なかなかいい。ずいぶん洗練された気がする。受けも良かった。
公演後事務所で来春の企画のプレゼン。メンバーがなかなか決まらなかったが、ビデオを一緒にみながら、メンバーを決めていく。こちらの提案がほとんど通る。一安心。リトルもこれで決まって安心したようだった。
今後お互いに確認すべきことをまとめ、事務所を出る。
ジーマたちが待っていた。帰国に関する細かいことをチェック。一緒のバスで帰る。
名古屋駅で少し時間あったので、駅ビルの三省堂をのぞく。ここで前から欲しいと思っていた「自然と文化」を購入。吉本の田中さんの講演録が掲載されている。
18時23分発の新幹線で新横浜へ。1時間近く睡眠。21時帰宅。

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2002年11月19日(火)

朝2時間近くミーティング。
ミーティングが終わって、昼飯を食べてから、planBへ。ここ数週間悩まされていた足元がふらつく状態が、昨日あたりからなくなっている。糖尿の薬を先週末から減らしているのだが、そのせいなのだろうか?ただ胸痛がひどい。このところよく寝れていない。こうしたことが重なるとよくでてくるのだが・・・
14時すぎにplanB到着。明日のカバBのゲネを見る。久しぶりに大勢のパフォーマーが集まった。今回は小出の司会で進行するのだが、それがどうなるかが楽しみだ。それと初参加の落語家の笑志さんがどんな話芸をみせてくれるのか、このあたりがポイントだろう。コント系が多く、パターンが似たりよったりという気もするが、みんな気合は入っている。
一通り終わったのを見て、新宿のマイシティーのプチモンドへ。完全にリニュアルされておりで、景色が一変して、プチモンドもあいのにびっくり。携帯で連絡をとり、待ち合わせの場所へ。小一時間打合せ。
会社に戻り、今日中に提出しなくてはならない、来年の企画の構成案を作成して、メールで送って、今日の仕事は終わり。
19時すぎに会社を出る。

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2002年11月20日(水)

出社途中郵便局に寄って、漂流民の会の口座からお金をおろしておく。とりあえず今度会報を送って、今年度の経費はだいたい締めになる。4万ぐらいの残高になる。まあまあじゃないだろうか。
10時半出社。12月仙台である光洋ちゃんとななちゃんの公演に関して、主催者、そして光洋ちゃんと打合せ。会場図面、スケジュールを光洋ちゃんに郵送。
12月にあるクリスマス会の覚書を修正して、クライアントに送り、出演者用の覚書を作成する。
先日のミーティングでフール祭の反省会兼次回のための意見交換をしようということが決まった。それに参画してもらえそうな人が何人かいらしたのだが、参加してもらえるかどうか連絡をとる。
ウクライナチームで今回病院で治療したメンバーのリストを作成。4人アクロバットの3分の2が怪我をしている。それだけハードな芸ということだろう。
今日はカバB。アンケートをつくる。そこそこ予約申し込みもきている。
会社を出る前にメールをチェック。検討してもらっていた神彰を本にする話が、ほぼOKになったという知らせが入っていた。大きな励みになるビックニュースだ。
17時半すぎに会社を出る。
planBは久々に人が多く活気があった。いつものように中華屋でラーメンを食べる。
ほぼ満員の客席、パフォーマーも多い。コント系が多かったが、これだけいろんなパフォーマーが出て、小出のMCで進行するということで、中身は充実していた。
公演後バーも賑わっていた。23時すぎにplanBを出る。品川から最終の一本前の電車に乗れた。

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2002年11月22日(金)

昨日は休み。少ししんどかったこともある。とにかく許されるかぎり無理はしないことだ。
出社してから、日曜日にリトルに行くので、その準備。支払うギャラのチェック、新幹線の予約、ホテルの手配、持っていくものの確認。
来春の企画の件で、大阪に行って打ち合わせる必要がある。来週はいろいろたてこんでいるので、再来週で日程を調整してもらったうえ、正式にアポイントをとる。
来週はウクライナの帰国、再来週までいろいろスケジュールがつまってきた。
フール祭の反省会兼次回への準備会の日程が、決定した。
昨日デラシネが2万件をクリアーした。たいしたもんだ。告知版でオフ会の案内をだす。年末だからあまり人はあつまらないだろうなあ。
13時過ぎに会社をでて、浅草橋の浅草区民館へ。14時からカバチッタのミーティング。15人ぐらいのパフォーマーが集まる。3時間ほどミーティング。どうも受け身のパフォーマーが多い。やりたいんだか、やりたくないんだか、なんのために来ているのかわからない。
そんなにこっちは面倒みきれない。パフォーマー側の出演者がだいだい決まる。
17時前に終了。そのまま両国に行って、気功。先生がいうにはだいぶよくなっているという。確かにそれは感じている。まだ時折首のところが痛くなったり、胸痛はあるのだが、一時からくらべたらだいぶ良くなった。
いつものように蔵前まで送ってもらい、そのまま京急に乗り、帰宅。

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2002年11月24日(日)

10時すぎの新幹線に乗って、名古屋へ。めずらしく車中で1時間ぐらい読書。リトルには2回目の公演が始まったあたりに到着。前回リトルで会ったいま一宮で働いているウクライナ人のダンサーが自分を探していた。ステージ横のカフェで打合せ。
あまり関心はないのだが、一応ビデオをもらっておく。
公演が終わったところで、楽屋へ挨拶へ。3回目の公演は超満員。空席がなく、裏でモニターを見ることに。
終わったところで、いつものように「ザ・カンチャーニェ(千秋楽おめでとう)」と、みんなと握手。
ステージで記念写真。
後片付け自体はすぐに終わる。17時半には荷物の片づけが終了。Kさんの車に乗って、今日の打ち上げの買い出しをする。
19時半宿舎へ。何度か乾杯が続く。一杯だけウォッカを飲んだだけで、あとばビールとワインをちびりちびりやる。
途中から来たハトガーと一緒に24時ころ引き上げる。

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2002年11月25日(月)

10時すぎに目が覚める。外は雨。前回病院に行った時に、保険証をもっていなかったので、精算をしなくてはならない。犬山中央病院へ。保険証は持ってきたものの、肝心の領収証を忘れてきたことに気づく。無駄足に。アーア!
いつも寄る古本屋を見て、駅の近くで昼飯を食べて、ホテルに戻る。
ホテルで横になって、読みかけの本を読んだり、テレビを見たりして時間をつぶす。
17時すぎに、Kさんと通訳のKさんと3人で、居酒屋で軽く一杯。
そういえば昨日結構飲んだのだが、体調はさほど悪くない。
明日は朝3時起きなので、8時ぐらいに引き上げる。軽くシャワーを浴びて、横になって、テレビを見て、23時ぐらいに就寝。

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2002年11月26日(火)

目覚ましの音で、3時起床。Kさんの車に乗って、宿舎へ。バスへすでに到着済。メンバーも皆起きていて、準備はできていた。
4時すぎに出発。一回目の休憩は、牧ノ原のPAだったのだが、それまでずっと寝ていたようだった。
いいペースで走っているようだった。ずっと寝ていたのだが、御殿場に入る前で前の運転席が騒がしい。事情を聞くと、高速の御殿場から、松田まで事故のため、通行止めになってしまったという。すでに朝の7時。とんでもないことになった。ドライバーは、下に降りることを決断する。御殿場で降りて、箱根を経由して、小田原からまた高速に乗るも、川崎付近でまた渋滞。
用賀で降りたのは、10時すぎ。首都高速もまた渋滞。結構きわどくなってきた。湾岸に入ったのが、10時半。ここからはスムーズになる。なんとか12時前には着けそうな見込み。
12時前に成田到着。カウンターはガラガラ。チェックインは比較的スムーズに。エクセスが100キロ近くある、しかたがない。
あまり時間もないので、慌ただしくお別れ。
皆でレストランで入ってオーダーをとり、自分の天ぷらソバがきたところで、場内アナウンスで呼び出しがかかる。箸をつけないまま、あわてて下へ。
空港使用税が入っていないチケットがあるので、それを払って下さいとのこと。人騒がせな話だ。
今日はこのまままっすぐに帰ることにする。14時発のリムジンに乗り、横浜へ。とにかく疲れた。

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2002年11月27日(水)

昨日はかなり早く寝たはずなのだが、寝たりない感じ。こういう時は危ない。
やはり終日体調が悪いままだった。
午前中ミーティング、16日に忘年会、21日から冬休みということになった。
昨日一緒にバスに乗ってきたKさんに電話、昼飯を一緒に食べることにする。
13時前にKさん、そして少し遅れて通訳のKさんが来社。会社の近くのイタ飯屋でランチを食べる。
16時planBへ。稽古中の泯さんとしばらくぶりで会う。上映中の「たそがれ清兵衛」の話に。泯さん自身は三回見たという。評判いいもんなあ。みなくちゃなあ。
カバチッタの打合せ。バンマスの梅津さんとTさんとplanBのS氏の四人で、出演予定のパフォーマーのビデオを見ながら、どんな構成にするかを打合せする。だいたいの出演者が決まった。とりあえずこの線で、チラシ等の制作を進めることにする。
だいたいのおおまかな内容・構成ができあがったと思う。
今日はサーカス文化の会がある日なのだが、体調が悪く、このまま帰ることにする。21時すぎに帰宅。

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2002年11月28日(木)

出社してすぐに、東京医大へ。糖尿の先生から紹介され、神経内科で見てもらうことに。大病院は待ち時間が長いことだけは学習したので、覚悟を決めてひたすら待つ。それでもお昼前には診察の番が回ってきた。症状を説明し、前に撮ったMRのフィルムを見てもらう。大局的にみると、現代の医学では異常なしということになるという。首の痛みも、姿勢の問題とかで片づけられてしまい、さらには精神的な問題もあるのではと言われてしまう。結構今日の診断で、なにか原因がわかるかと期待していたのだが、そうはいかない。
いろいろ食い下がってみたのだが、とにかく大きな異常はない、調べたいのなら、神経の反応検査、頸椎動脈のエコー検査をするよと言われたので、してもらうことにする。その検査の予約をして、会計を済ます。
昼すぎに会社に戻る。
16時クラブチッタのM氏とカバチッタの打合せ。チッタ側はだいぶ力が入ってきている。いろいろな提案がだされた。クラブチッタの看板にしていきたいということも考えているようだ。
いいことだ。2回目をいいものにするのが、まず大事。
打合せを終えて、今日はこのまま帰ることにする。途中上大岡のヨドバシにより、FAXの複合機をとうとう買うことにした。今回は珍しく三回も通っての決断。
家に帰ってメールをチェック。やっとオフ会の申し込みが一件入っていた。今度は多くて4−5人というところになりそうだ。
明日はドッグの検診なので、23時すぎには就寝。

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2002年11月29日(金)

6時に起きて、6時半には家を出る。今日は生活慣習病検診。場所は初めていく新宿の検診センター。なんと歌舞伎町の外れになる。朝の歌舞伎町界隈はなかなかすごい。ほとんど人通りはないのだが、早朝から結構風俗系の店も開いている。中国の人が多い。
8時10分に到着。すぐに着替えて説明を受けて、検診がはじまる。いつも思うのだが、こういうところのスタッフのしゃべりかたは、マックとかコンビニの人たちと同じ、すべてマニュアル化されている。しようがないのだろうけど。
10時半にはだいだいの検査が終わる。血糖値が高かったのと、貧血気味だという指摘を受ける。貧血というのは初めての指摘。ほかには異常なし。
新宿駅で駅ソバを食べて、出社。野毛に提出する来年の企画のビデオを見る。ハドガーが持ってきたモンゴルの三姉妹は使えそうだ。今回の一押しだろう。野毛にとりあえず紙資料をFAX。来週5日に、ビデオをもっていくことにした。
14時ユーハイムで、Yさんと打ち合わせ。神の本づくりがいよいよ正式にはじまることになったわけだ。
週刊新潮のT氏から電話、以前からお願いしていた神をよく知る新潮社のOBのかたと再来週会うことになった。
17時半会社をでて、気功へ。首のあたりがかなり凝っているとのことだった。
21時帰宅。神のことがいよいよスタートしたことで気持ちが高揚してきたこともあるのだろう、バーボンを飲みながら今後の進行表を作成する。
3時すぎに就寝。

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