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クマのお仕事日誌

2003年1月6日(月)

いよいよ今日から仕事だ。いつもより30分前に会社に到着。年賀状の整理、バソコンのセッティング。中国で働いているカザフサーカスの兄弟分のローマからメールが来ていた。ずっとパートナーを組んでいた、デニスとファリダのふたりをカザフに帰したこと、動物の調教にあけくれていること、招待するから中国へ来いという内容。可愛がっていたふたりを手放したローマの胸中はいかに。辛かったと思う。
午後ミーティング。リトルが年末に決定して、いろいろすぐにやらなくてはならないことがどっとでてきた。航空券の手配、ビザの準備、いつもよりも遅い立ち上がりなのに、今回は始まるのが早いので、大変だ。
1月はいろいろやらなくてはならないことがある。とりあえずやるべきことをリストアップ、進行表を作成することから始める。電話もあまりなく、ゆったりとしたなかで、仕事が始まったという感じだ。
一番最初にやらなくてはならないのは、カバチッタの制作関係。チラシがまもなく上がってくるはずなので、DMを出すべき人たちのリストを作成、出演者のリストもつくる。
18時半に会社を出る。
22時ぐらいに懐かしいパフォーマーから自宅に電話。10年ぐらい前に市川のサーカスレストランで働いてくれた、アルメニアのスーレンだった。濃い顔だちと、突飛おしもない強烈なキャラクターは、いままで付き合ってきた芸人さんたちのなかでも抜きんでたものがある。あの時一回だけ働いてもらったのだが、忘れた頃に、電話をくれる。別に仕事をくれというのではなく、懐かしくて電話をしてくるという感じだ。どこからだと聞いたら、アルメニアのエレバンからだという。考えてみたらエンギバロフもアルメニア人、スーレンもアルメニア人。いつでも必要な時は呼んでくれというから、連絡先はと聞いたら、ちょっと沈黙があって、あと何日後かにまた電話するという答えには笑ってしまった。こういうところがスーレンらしい。
思いもかけなかった懐かしい電話に、なんとなく和んでしまった。

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2003年1月7日(火)

昨日つくった段取りにしたがって、いよいよ作業開始。まずは4月に招聘するウクライナのアーティストのための契約書をロシア語で作成。メールで添付して送っておく。
この作業をしている時に、机の上に積み重ねておいた書類が気になり、整理を始める。年末にやるべきことだったのだろうが、バタバタしていたからなあ。ウクライナサーカスと、東京都の助成金関係の書類をファイリングしただけで、かなりすっきりした感じ。
10日にカバチッタのチラシがあがるので、DM用のための住所録を整理、宛て名ラベルをプリントアウト。チラシができたらすぐに送れるようにはしたい。
カバチッタに出演予定の重森から電話、今回は辞退したいという。チラシに名前が載っているのになあ・・・
カバチッタの出演者住所録を昨日から作成していたのだが、いつもと違うソフトを使ってしまい、いろいろトラブル発生、時間をとられてしまう。
結局は終わりこの住所録をプリントアウトしたあとで、今日の仕事はおしまい。19時前に会社をでる。

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2003年1月8日(水)

春の大阪でのイベントの契約書を作成。見積をその前に、つくっていたのだが、半角だとか全角がごちゃごちゃになり、何度か訂正しているうちに、わけわかんなくなってきた。どうもエクセルは苦手だ。これでずいぶん時間をとられてしまう。昼飯前にやっと作業終了。
昨日北海道放送から電話があり、頼まれていたレザーノフの本を宅急便で送る。なんでも2月に北方領土がらみの番組で、レザーノフのことを紹介するコーナーがあるらしい。「コマンドール」の表紙になっている肖像画がつかいたいとのこと。この番組はたしか去年ゴンザをとりあげていたはず。
カバチッタのチラシが10日にあがるので、これとチケットを出演者たちに送る手配。メールのある出演者に必要枚数を聞く。
今日は気功の日。首の凝りはなくなったが、内蔵関係のツボが凝っているとのこと。確かに正月はよく飲んだからなあ。飲めるようになったことで、少し調子にのっていたのかもしれない。自重せねば。
21時半帰宅。今日はずっと木曜日のような気がしていたのだが、まだ水曜日だった。時間が経つのが遅い。なんか明日金曜日でないことがわかって、少しがっくり。今日はなにもせずに寝てしまう。

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2003年1月9日(木)

またしても身体に異変。腕、脚に湿疹。じん麻疹なのか、単なる湿疹なのか。とにかく痒い。それじゃなくてもすぐにかっちゃっく(掻くこと)ほうなので、まずいかもしれない。
出社前に、いま話が来ている場所の下見をする。たいした成果なし。11時出社。昨日FAXで送った大阪でのイベントの契約書の件で、返事。OKをもらう。来週出す企画書についての下準備。
午後からフール祭に関するミーティング。12月にやった実行委員会準備会を踏まえて、各自がレポートを提出、それをもとに話し合い。いろいろ決まってきた。今回のミーティングで各自やらなてはいけないことを行動にうつしたうえで、2月にまた打合せをすることになった。3回目は、どうしても成功させたい。
今日はサーカス文化の会がある日だったのだが、私用のため出席できず。
帰宅すると、湿疹の範囲が広がっていることに気づく。今日は風呂はやめにする。

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2003年1月10日(金)

湿疹の範囲が広がって、あちこちに赤い湿疹ができて気持ち悪い。これ以上ひどくなったら医者にいくしかない。
リトルの春の企画がようやく始動しはじめたのだが、もうひとつ気持ち悪いのは、夏の企画用の番組をまだ提案できないこと。ビデオ待ちの状態だったのだが、やっとエージェントよりビデオ到着。早速見てみる。なかなかいいのを提案してもらった。これだったら大丈夫だろう。
カバチッタのチラシが昼前に到着。今回もいいのが出来あがった。早速DMやマスコミに発送すく準備にとりかかる。約200通の発送となると、やはり半日かかってしまう。
これを終えたあと、パフォーマーたちに出すチラシを送る手配。考えてみたら、明日から三連休。今日中に手配してしまわないと。まだ連絡が来ていないパフォーマーがたくさんいる。みんな休みでもとっているのだろうか。
19時すぎに作業終了。

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2003年1月14日(火)

湿疹はさほどひどくはなっていないのだが、原因不明というのも嫌なので、出勤前に冨岡の皮膚科の病院に寄る。医者に症状を説明したら、最初に首にでた湿布負けがひどくて、それが皮膚の弱いところに飛んでしまったのでしょう、よくあることですと言われる。別にアレルギーというわけではないとのこと。塗り薬と飲み薬をもらう。また新年早々病院かと、結構へこんでいたが、たいした症状ではないので、すこしホットする。
11時前に出社。今週中にプレゼンしなくてはならない企画があるので、その準備。提出先に電話をしたら、来週水曜日にプレゼンということになり、少しほっとする。
午後にモンゴルのサーカス学校に5か月間留学していたBが来社。去年サーカス学校で見た時と比べて、ずいぶんと身体が引き締まっていた。ハドガーはまだモンゴルにいるという。行けばいったで仕事がいろいろあるのだろう。写真をいろいろ見せてもらったら、あの懐かしののストロングマンのお父さんの姿が・・ずいぶんと年をとった感じだ。
カバチッタのDMを先週送ったのだが、ぼちぼち注文がきはじめる。とにかくスタートが遅れているので、なんとか前売りで200以上は確保したいところ。メールで、カバチッタの案内を、いままでカバBを見た人たちを中心に流す。
モスクワ行きの日程を決めなくてはならない。2月に行こうと思っていたのだが、リトル組が、20日には来日なので、それにあわせようとするとかなり、無理がでてくる。3月リトルの開幕を終えた後、行ったほうがいいだろうということになる。
もう一度日程を調整しなくてはならない。
19時すぎに会社を出る。

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2003年1月15日(水)

薬を昨日寝る前に塗ったら、嘘のように湿疹がよくなった。痒みもほとんどない。早くに医者へ行けばよかった。
しかし今日は寒い。西田は今日からヘブンアーティストの審査。前回は真夏の炎天下の下、そして今回は真冬の寒風すさぶなか、審査員の体力テストも兼ねているのではないかと思うくらいの劣悪な状況のなか、大変なことだ。
今日梅津さんと会うことになっているので、カバチッタのメンバーで前回見せられなかったパフォーマーのビデオをダビングする。リトルから電話、春のサーカスのタイトルを「スペインサーカス」にすることが最終決定。
スペイン関係の資料はほぼ出そろい、航空券、ビザの手配に入る。
いまなによりも一番気がかりなのは、夏用のプレゼン企画のビデオがあと2つ来ていないこと。再度送った相手に確認の連絡。なんとか今週中にはそろえて、提出したいもの。
キエフのクリューコフに電話。再三電話をくれというFAXをもらっていた。年末に電話で話があった日本のクラウンたちとの合同プロジェクトについてだと思う。本人がいなかったので、答えをFAXで送る。最終的には一緒にできないということ。
少し早めに退社。高円寺駅でTと落ちあい、ジロキチへ。チラシの折り込みをしたあと、開演まで時間があったので、白木屋でビールを2杯飲む。
開演直前に行くと、ほぼ満席状態。しかし楽しいコンサートだった。2時間たっぷりクレズマー音楽に浸れた。公演後梅津さんにTを紹介。チラシとチケットをお渡しして、23時ごろ店を出る。外はめちゃめちゃ寒い。酔いがすぐにさめる。1時前に帰宅。

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2003年1月16日(木)

寝坊してしまう。昼過ぎに出社。
とにかくいま一番気になっているのは、待っているビデオがいつ来るか? モスクワからのビデオについてメールが届いていたのだが、確認のために電話する。あと1日待って欲しいとのこと。木村万里さんがプロデュースするすわ親治の公演情報が出ているHPを見ていたら、あと17日とあった。向こうは2月3日の公演。ということはカバチッタまであと三週間ということだ。ちょっとペースをアップしていかないといかんなあ。
芸人さん向けのDMを出す。
会社を19時ぐらいに出て、途中ラーメンを食べて、新宿のゴールデン街へ。カバチッタに出演してもらう石橋幸さんがやっているお店「ガリガンチュア」へ。ご挨拶とチラシとチケットを届ける。途中S氏も来店。ママさんの楽しい話に耳をかたむけているうちに、結構飲んでしまっていた。最後は唐がらし入のウォッカで締める。久しぶりのウォッカ、うまかったなあ。
12時半帰宅。

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2003年1月17日(金)

午前中、待っていたビデオの一本が到着。早速見る。一番のポイントは、クラウンだったのだが、典型的なクラウンで、これだったら問題ないだろう。あとはモスクワのビデオだけだ。もう一度モスクワへ電話。13日に日本に戻った人に、渡したということしかわからない。連絡先などを確認してもらう再度依頼。
野毛に出演を依頼していたアメリカのジャグラーから来れないというメール。すぐに野毛に連絡。今晩行くことにする。
このところ携帯に迷惑メールがばんばん入るようになった。解説書を見て、パソコンからのメールを拒否するように設定する。16時すぎに会社を出て、野毛の事務所へ。
ゲストについては、来週中に結論を出してもらうようにする。なんとかメドがつきそうな感じになってきた。
チラシを波の上と、萬里に持って行こうと思ったのだが、携帯に電話。すぐにメールをチェックしなくてはならなくなり、至急家へ直行。
モスクワからのメールで、ビデオを渡した人の会社の連絡先がわかった。すぐに電話。しかし休暇中で、来週火曜日からの出社だという。火曜日以降の入手というのが濃厚になってきた。会社のこの件を連絡。

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2003年1月20日(月)

もしかしたらビデオが届いているのではと思って、朝ポストをのぞくが、来ておらず。やはり明日以降に入手ということになりそうだ。とりあえず先週まで来ていたビデオはスポンサーに送っておいたのだが、届いたという連絡が入る。内容的にはあまり問題なさそうだ。あとはいま待っているビデオを送って、番組を固めた上で、契約という段取りにもっていかなくてはならない。
カバチッタのパフォーマーに、22日ミーティングの連絡を流す。こちらの方も押し気味だ。内容を決め、構成案を今週中につくりたい。
明後日提出する企画書を作成。
来週提出すく予定の企画のビデオを作成。
モンゴルにいるハドガーから27日に成田に着くという連絡。彼の東京での部屋をなんとしても見つけなければならない。3時間ぐらいネットでウィクリーマンションを探す。なかなかいい物件がない。何件か仮申し込みを送る。そのうち3件は、希望日がとれないという連絡。今日中に見つけることはできなかった。ちょっと焦ってくる。もう少し前にやっておくべきだったと反省。
20時会社を出る。キグレで働いているシャムシュールと明日桜木町で会うことにする。

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2003年1月21日(火)

留守電にモスクワからビデオを預かってきた人からメッセージ。会社に持ってきているとのこと。連絡をとり、昼すぎに会社までとりいくことになった。ここ数日のイライラの原因がこれで解消される。12時半にビデオを受け取りにいき、早速会社で辻君と見る。待っていた甲斐があったというべきか、すごい空中ブランコだった。これだったら文句はないだろう。モスクワに電話、スケジュールの確認と写真の手配を依頼する。見る前はドキドキだと言っていた辻君もちょっと興奮気味。
ハトガーのウイクリーがなかなかいいのがない。仮で申し込んでいたところは全部ダメ。なんとか明日ぐらいには探さないとまずいだろうなあ。
空中ブランコのビデオを来たことで、クライアントといよいよ契約の詰めの話をしなてくはならない。来週ぐらいに会って細かい打合せをしなければならないだろう。細かい見積の件で、ダメだしがいろいろきているらしい。結構ハードな交渉になるかもしれない。まして初めての取り引きだし、いろいろありそうだ。
糖尿の検査。12月の数値はやはり高くなっていた。最近胸痛がひどいといったら、循環器の先生が今日診察というので、見てもらうことに。症状を説明、いまも胸痛がするといったら、その状態で心電図をとった方がいいということに。結果は異常なし、ストレスでしょうということだった。なんか心配事があると「胸がいたい」というでしょうとのこと。心配ないどいわれても痛みは消えないわけで、そんなものなのかという感じ。
18時半桜木町でシャムシュール夫妻をピックアップ、まずは萬里へ。福田さんと会うのも久しぶり。ふたりとも美味しいを連発して食べてくれた。ここでパイカルを一杯飲んだのが、失敗だった。波の上に寄り、今度は泡盛の45度。シャムシュールはがんがんいく。ずいぶん飲んでしまった。桜木町までふたりを送り、京急の最終には乗れたのだが、文庫まで行ってしまう。タクシーで帰宅。久しぶりに飲んだなあ、シャムシュールとも久しぶりだったし、楽しい飲み会だった。

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2003年1月22日(水)

二日酔いで頭がガンガンする。今日はなんとしても10時まで出勤しなくてはならない。朝飯を食べずに出勤。
最初にしたのは弁当を食べたこと。今日提出する企画書をプリントアウト。ハトガーの住まいをなんとか決めなくてはならない。知り合いがいる外人専用のゲストハウスを紹介してもらう。原宿に物件があるという。とりあえず仮予約してもらう。
12時すぎに会社を出て、planBへ。今日はパフォーマーが集まってのミーティング。公演する内容を聞かせてもらう。その上で、今日来ていないパフォーマーたちからもらってあるアンケートと照らし合わせた上で、とりあえずこちらサイドで構成をみんなで考えていく。構成のラフが出たところで、ミーティングは終わり。自分がこれを一回まとめることになる。
16時すぎに、原宿で企画のプレゼン。かなり大きな話になりそうだ。
原宿のハドガーの物件を外から見てみる。普通の民家。ちょっと古いかなという感じがしないでもない。
会社に戻らず、まっすぐ両国の気功の先生のところへ。
肝臓のつぼがはっているとのこと、当然だよなあ。
21時すぎ帰宅。メールをチェックしているうちに、どうもウィルスメールを開けてしまったようだ。すぐに対応しなくてはならないのだろうが、もう身体がゆうこと効かない。24時前に就寝。

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2003年1月23日(木)

朝メールをチェックしたら、案の定ウィルスメールをぶんまいていたことが判明する。この中のメールにウィルス駆除のソフトをダウンロードできるサイトが出ていたので、そこにアクセス。ところがなかなか簡単に成功というふうにはならない。出なくてはならなくなり、その後の処理をかみさんにまかせる。
電車に乗っているときにかみさんから電話、無事駆除に成功したという連絡。ひとまずほっとする。
横浜で一件立ち寄りの用事があったので、それを終えてから、昨日予約を入れていたゲストハウスの事務所に向かう。会社のすぐ近くにあるゲストハウスが、27日から空くというので、そこにしてもらう。その方がなにかと便利だと思う。しかも新築だし・・・。15時に帰社。このところ仕事が押し気味になっている。いろいろやらなくてはならないことがたまっている。
まずはウィルスメールをまいたことへのお詫びメールをアドレスを登録している人たちに送る。害を及ぼしてないといいのだが・・・
夏の企画が大詰めにきている。細かい点の確認がつづいていく。来週には一回現地に行くことになりそうだ。この件で芸人たちへ連絡。
ここまで終えてから、カバチッタの昨日のミーティングを踏まえて、構成案をつくる作業に入る。ミュージシャンサイドから、これをもとに意見を聞かなければならない。
20時すぎに、会社を出る。

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2003年1月27日(月)

朝から雨。今日からウィグルサーカスの人が会場下見に来日。西田は1週間アテンドでつくことになる。先週末ミュージャンサイドで構成案について検討してもらったうえで、だしてもらった案を、パフォーマーたちにメールで送る。メリハリの効いたいい構成になったと思う。
13時渋谷でカバチッタの件で、チッタのM氏、舞台監督のTと打ち合わせ。チッタサイドでの券売はまだ10枚程度ということ。前回もそうだったので、とあまり心配していない様子だが・・・。ちょっと不安だよなあ。
今日モンゴルから帰って来るハドガーから、到着予定の15時すぎても連絡がない。ゲストハウスのオフィイスが18時でクローズしてしまうので、事情を説明、とりあえず仮契約ということで、今日一日だけ使えるキーカードをもらうことにする。17時過ぎにやっとハドガーから連絡。1時間半のディレイだったようだ。まっすぐ会社にきて貰う。新宿のオフィイスに行って、キーをもらう。すごい雨になってきた。
会社に戻り、夏の企画のプレゼンについて打ち合わせ。
19時半ハドガー到着。そのまま会社の近くのゲストハウスへ。ちょっと狭いようだが、ハドガーは大丈夫とのこと。近くの居酒屋で食事。ずいぶん疲れた様子だ。なんでも今日の朝まで一睡をしていないという。こっちに戻る前夜、酔っぱらいにからまれ、警察沙汰になったらしい。よくよく顔をみると殴られたあとも。モンゴルもずいぶんと物騒になったものだ。事情がわかったので、早めに引き揚げる。
「ミステリア・ブッフ」の稽古には明日から行くことにする。
23時すぎに帰宅。

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2003年1月28日(火)

12時からブリーズベイホテルで始まった野毛の賀詞交換会に出席。東横線桜木町駅の廃止、地方統一選挙などもあることで、生臭い挨拶が続く。結局最後近くまで残り、飯を食うのに専念。結構飲んでしまった。これでだいぶ時間が押してしまう。15時半出社。待っていたハトガーを連れて、ゲストハウスの事務所へ行って、正式契約。このあとplanBへ。今日は石橋さん、風間さんと、こまっちゃの音合わせがある。16時半着いた時は、石橋さんのリハは終わっていた。簡単な打合せ。
風間さんが遅れて到着、さっそく当日用の衣装を着て、踊る。途中から梅津さんがサックスで音をつける。なかなかエキゾチックでいい感じだ。18時にplanBを出て、「ミステリアブッフ」の稽古場に向かう。ハトガーに道を確認させながら稽古場へ。これだけの人だかりだと、かなり大変かもしれない。
19時すぎに稽古場に到着。ハトガーを演出家に紹介。ハトガーも稽古に加わる。光洋ちゃんもこの芝居に参加している。サーカス学校のチイも伸び伸びと稽古をしていた。
演出家の加藤さんの紹介で、美術を担当している串田和義さんと挨拶。拙著『サーカスと革命』を読んだとのこと。
しばらく稽古を見て、21時半すぎに稽古場を出る。光洋ちゃんにハトガーを代々木まで送ってもらうように依頼。
23時半帰宅。留守電にハトガーから無事着いたというメッセージ。
夕刊を見てびっくり、リトルワールドが2005年の愛知博のあと、閉館されるという。

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2003年1月29日(水)

羽田から、10時発の千歳空港行きに乗る。到着までずっと寝ていた。電車で札幌まで。駅に着いたらやはり寒いこと寒いこと。13時半のアポだったので、時計台でラーメンを食べることに。ここで携帯を落としたのを拾ってもらった。まっすぐクライアント先へ。ここへ来るのは、これが3回目。トイレに寄って、事務所に行く前に、名刺を出しておこうと思って、名刺入れを探すのだが、ないことが判明。ちと動揺。定期やバンクカードも入っている。どこをどうさがしてもない。そのままクライアントの事務所へ。
およそ1時間近く突っ込んだ打合せ。契約書を交わすところまではいかなかったが、やることを互いに確認。無事商談成立。
帰りのエレベーターの中で、この交渉を最初から担当していた辻君と握手。新規の仕事がとれた。
会社に電話を入れると、このクライアントが入っているビルの中で、私の名刺入れを拾ったという人から電話があったという。すぐに戻る。ビル管理室で名刺入れを受け取る。なんのことはない、トイレで探している時に、落としてしまったのだ。馬鹿みたいな話。
駅で航空券を購入、頼まれていた六花亭のチョコレートを買う。17時15分の飛行機で羽田に戻る。
祝杯をということで、野毛の萬里で祝杯をあげる。そのあとは「波の上」へ。25度の泡盛をだいぶ飲んでしまった。

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2003年1月31日(金)

昨日はダウン。一日寝ていた。ここんところちょっと夜が遅い日が続いたので、疲労およびアルコールの蓄積度がかなり増えてしまったようだ。今日の朝も、かなりしんどく、結局お昼に出社。カバチッタでやらなくてはならないことが、山のようにあるのだが、その前に片づけておかなくてもたくさんある。
秋の企画で提出しているロシアのアンサンブルのビデオが来ていたので、それを鑑賞。ひとつぴったりのがあった。これだったら文句なしだろう。モスクワに電話、スケジュールを確認してもらうように頼む。29日に夏の企画のプレゼンをかけていたものがある、それについてクライアントと打合せ。再度提出する必要がありそうだ。これも急ぎ目でやらないといけない。
夕方近くになってから、カバチッタの仕事にとりかかる。当日客席まわりにもパフォーマーを配置したいということで、それをメールで流す。先日のミーティングを踏まえて進行表を作り直し。チケットの郵送。さらに追い込みのチラシを送付。
「ミステリア・ブッフ」に出演するTATUから、成田に到着したという連絡。今日は稽古がないので、演出家に引き合わせようと思ったのだが、無理。2月5日に連れていくことにする。ハトガーは昨日今日休みなので、犬山にいったん帰っている。
朝日の夕刊の情報欄にカバチッタのことがでているのだが、特に問い合わせの電話はなし。少しずつ集客のことが心配になってくる。20時半会社を出る。

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