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クマのお仕事日誌

2003年4月1日(火)

7時半目覚ましで目が覚める。シャワーを浴びたあと、ロビーへ。スプラットの3人と元メンバーでいまUSJで働いているダンが待っていた。歩いて梅田のバス停へ。8時40分のバスで新関西空港へ。彼らはまた今月キャナルに出演するために来日することになっている。
立ち食いそば屋でうどんを食べ、ホテルに戻る。少しベットに横になる。昨日もかなり寝たはずなのだが、まだ寝たりない感じ。10時にチェックアウト。荷物を預け、12時すぎなんばのNGKへ。もうイリーナはそででスタンバイ。かなり緊張している様子。こっちも緊張する。今日は初日ということもあって、時間通りに進行している。出番前に、M氏をはじめ、劇場の関係者がそでに集まる。イリーナはこれを見て、さらに緊張していたようだ。
自分はなにかあると困るので、ソデで見ることに。
12時25分ショー開始。途中何回か拍手の音も。無事公演が終わって、みんな袖に集まる。照明さんから立ち位置の点でダメだし、舞台監督さんからは最後のアンコールの挨拶についてダメだし。皆の反応にたぶんビクビクしていたイリーナは、少しホットした様子。自分自身決して満足がいかなかったということもあるようだが、昨日の反応に比べてみんなの顔がだいぶ和らいでいるのにホットした様子も。
M氏と打合せ。昨日はかなり心配気味だったが、今日客席の反応や担当者の反応を見て、一安心という感じ。自分も久しぶりにピリピリした感じで迎えた初演だった。イリーナの楽屋へ。これから東京に戻るということを伝える。公演前と公演直後のピリピリとした感じはなくなっていた。彼女が一番ホットしたのかもしれない。
ホテルに戻り荷物を取って、そのまま新大阪へ。3泊4日だったのだが、えらくながく感じられた。疲れた。一昨日の飲み過ぎが一番の原因だとは思うが・・・・・
新幹線の中でもずっと寝ていた。横浜に着いてからキエフに電話。ちょうどいま大使館にいるとのこと。なにかあれば携帯に電話するように言う。
家の近くの桜が満開だったのにびっくりする。

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2003年4月2日(水)

冨岡公園を通って杉田駅まで。冨岡公園は桜がいまが盛りという感じだ。久しぶりに会社へ。まずは精算を片づける。
どうも身体の調子がいまひとつ。かなり寝ているはずなのだが・・・・
野毛に入れるペキーノフの娘の分の在留資格がまだ来ていないのが気になる。小出からビデオが来ていた。
15時planBでカバチッタの打合せ。次回公演希望者が集まっての打合せ。やりたいと思っていること、全体の演出について意見交換。だいたいのラインアップが見えてきた。5月に再度ミーティングをすることにする。およそ2時間ほどのミーティング。
カバチッタの裏方を手伝ってくれたS君と軽く一杯。途中キエフのジーマから電話。査証は14日にもらえるとのこと。これでこっちも一段落。
22時前に帰宅。

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2003年4月3日(木)

西田が東村から戻ったところで、ミーティング。いろいろと仕事の話は重なっている。再来週の野毛とキャナルがモロかぶり。対応を確認。それにしたがい、国内線の航空券の手配。
18時から野毛のフラスコで打合せ。ペキーノフの件。
モスクワでペキーノフと会えなかったので、ペーチャに確認してもらったことを説明。問題は、風船を格納するスペースということがわかる。モスクワに問い合わせをすることにした上、報告することに。
久しぶりに波の上に、結局この日も朝2時半まで飲んでしまった。

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2003年4月7日(月)

昨日は漂流民の会があったので、そのまま仙台の実家に泊まる。おやじもすっかり元気を取り戻していた。11時前に家を出て、仙台駅から仙山線に乗って山形へ。13時すぎに山形駅に到着。山形に来るのも3年ぶりぐらいになる。駅のあたりがかなり変わっているのにびっくり。迎えに来てくれたU氏の車に乗って、そば屋で板そばを食べたあと、リナワールドへ。新任の常務さんに挨拶、1時間ぐらい雑談をまじえながら打合せ。
15時半山形発の新幹線に乗って東京へ戻る。行きの仙山線でもそうだったが、帰りもずっと寝ていた。どうしてこんなに寝れるのだろうというくらいここのところ寝ている。東京駅に着く寸前に、キエフのジーマから携帯に電話。ショーの中身についての確認。
20時前に帰宅。

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2003年4月8日(火)

朝やはり起きれず。疲れがどっとたまっている感じがどうしても抜けない。11時すぎに出社。昨日の夜ペーチャから連絡が来たので、その件で野毛に連絡。宿泊リストを作成して、野毛にFAX。
今日へんな天気。会社へ来る時は、日がでていたのに、強風が吹いて、雨も降り出す。これじゃ桜もいよいよ終わりだろう。野毛が始まるまでは時間的に少し余裕があるので、この間に少し整理作業をしておかないと・・・・
デラシネも更新しなくてはいけないし、ひとつひとつやることをやっていくしかない。
17時半大雨の中、会社をでて、両国の気功の先生のところへ。かなりこっていたようだが、治療を受けてだいぶ楽になった。21時すぎに帰宅。

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2003年4月9日(水)

通勤途中、ドイツのジャグリング雑誌『カスケード』を読んでいたら、2年前箱根のユネサンスで働いていたウクライナのグリンチェンコブラザーズの写真が掲載されていた。彼らは今年のパリのツモローサーカスコンクールで銀賞を獲ったようだ。ちょっと不良ぽい連中だったが、技は一流だった。これからあちこちから引き合いがくるだろう。
にぎわい座で17日の公演の打合せだったので、南太田駅で降りて、大岡川沿いの桜を見物しながら、日ノ出町まで歩く。桜はほとんど散ってしまったあとだった。10時半からにぎわい座で打合せ。舞台の人は去年と同じ人なので、話が早い。19日に公演する三雲たちと、協力して舞台設営をすることに。これだと話が早い。
12時すぎに出社。今日はかなり体調がいいせいもあって、少し前向きな姿勢で仕事に取り組む意欲が出てくる。
細かい仕事で以前問い合わせを受けていた件で、電話。ちょっとしんどい仕事なのだが、引き受けることにする。
モスクワに電話。野毛に参加するペキーノフたちの査証の確認。昨日大使館に申請に行って問題はてかったというので、一安心。
糖尿の検査で病院へ。今日から先生が代わる。血液検査と、処方箋をもらうだけなのに、3000円もとられる。4月から三割負担になったからだ。薬代と合わせて、7000円以上の金が一回でかかることになる。つらいよなあ。
18時すぎに仕事を終えて、帰宅。

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2003年4月10日(木)

午前中雑用を整理。デスクお大野ががんばってくれて、デラシネの4月号の早版がアップされている。かなり忙しいようだ。
午後から夏にやるサーカスの番組のビデオを見ながら、構成を辻君と考える。オープニングとフィナーレも考えなければならないが、とりあえず順番を決めていく。ステージと客席についても打合せ。
こうじが来社。プロフィールと写真を持ってきてくれる。
17時小出、Kaja、VJが集まり、17日の公演の打合せ。それぞれやる予定のネタを出し、その順番を決めていく。基本的には11月にやった高校の芸術鑑賞会の内容と同じなのだが、ネタ自体はかなり変わっている。ご時世を反映して、かなり濃いブラックものが主体となる。小出とVJはなんども一緒にやっているので、映像のつくりにしても、ツカーという感じだ。
打合せを終えて、代々木駅近くの居酒屋で軽くビールを飲むことになった。軽くのはずだったのだが、結局閉店まぎわまでいて、さらに会社に戻り、また飲み直し。こんなはずではなかったのに・・・途中で眠くなり、常備している寝袋にくるまって就寝。

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2003年4月14日(月)

徴兵され戦地で機関銃をもたされるという夢を見て、寝起きが悪い。久しぶりに恐い夢を見た。熟睡できなかったこともあるのだろうか、土日はゆっくり休んだわずなのに、体調も思わしくない。
朝一番でミーティング。今週の予定を確認。
野毛とリトルのチラシを、関係者に送付。40通ぐらいになった。。今回ペキーノフファミリーは、2日だけの公演だが、来年は長期でどこかに入れ込みたい。
デラシネの4月号がアップされていた。おおのも仕事が忙しくて、大変なようだ。
やらなくてはならないと思いながら、なかなか手がつけられないでいた、ロシア語の契約書つくりにとりかかる。途中で何度もフリーズしてしまい、なかなか思うように進まない。結局19時ぐらいまでかかってしまう。今日はこれでお仕事は終わり。

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2003年4月15日(火)

冨岡の街に、燕が戻ってきた。春もそこそこに初夏がまもなくということなのかもしれないが、今日は肌寒い。
大阪に電話、イリーナの様子を聞く。元気にやっているようだ。昨日つくった契約書をチェック、直したものをプリントアウト。モスクワにFAXしておく。
ひとつ懸案になっていた長期の遊園地の仕事について、心当たりに電話をかけてみる。何人かは興味をしめしてくれた。野毛が終わってから決めて行きたい。
キエフのジーマからメール。ビザも取れ、航空券も購入したとのこと。今日朝テレビを見ていたら、タトゥが17日に来日が延期になったと報じていた。とういことはジーマやペキーノフたちと同じ飛行機で来るという可能性もある。もしかしたら生タトゥが見れるかもしれない。ちょっと楽しみ。
昨日カザフのハーリックから電話があったというので、電話するが、すぐに切れてしまう。頼んでいたビデオの件だとは思うのだが・・・・。
今日は18時半に退社。

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2003年4月16日(水)

朝10時桜木町駅前の
ひおシティーにより、打ち合わせ。来年のみなとみらい線開通にともなうイベントの件。今日は暖かい。少し歩くと汗ばむ感じ。渋谷により、塩とたばこの博物館をのぞく。レザーノフの遺品の件でキセルと水たばこのことを確かめたかった。意外に収穫があった。13時すぎ会社へ。明日から会社に来れないので、やらなくてはいけないことがいろいろある。仮払い、航空券、出演料など明日の準備。そのあと夏のイベントの件で確認事項をチェック。明日来日する芸人さんたちに情報を提供しなくてはならない。モスクワに電話。野毛組みはすべて順調で、まもなく空港まで送りにいくという。
キャナル組の件で、担当の人と再度確認。
18時に会社を出る。ペーチャに頼まれたものを探しに文房具屋へ。わりと簡単に見つかった。
そのまま帰宅。

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2003年4月17日(木)

6時半起床。横浜からリムジンに乗って、成田へ。途中奥さんからメール。タトゥの来日が中止になったという。がっかり。
9時半すぎ成田に到着。すでに飛行機は到着済。タトゥの来日中止の紙を持った人が立っていた。わりと早くに野毛組がまず出てくる。数分後にジーマたちキャナル組到着。お互い顔見知りのようだ。まずは野毛組を見送って、ジーマたちを連れて、羽田へ。リングやバーなどを積むときに、リムジンの係員が、壊れてもいいですかと聞いてくる。こんなばかな質問はない。なんで言葉の使い方がわからないのだろう。壊れても責任をもてないということなのだろうが、いきなり壊れてもいいですかはないだろう。
12時すぎに羽田到着。航空券を購入、お茶を飲んだあと、ゲートまで見送る。そのまま京急に乗り、野毛へ。フラスコで打ち合わせ中。大きな問題はないようだ。一応公演場所の下見。風が強いのが気になるようだった。
そのままペキーノフたちと別れ、にぎわい座へ。すでに場当たりが終わったあと、順調に進んでいるようだった。
通しの稽古をみながら、表の準備。いろいろ予約を整理していると、90枚近く売れていたことがわかる。これだといい線いくかもしれない。食事をおえたペキーノフたちがやってくる。明日の予定を決めたあと、ホテルに戻る。5歳の娘ターニャが、眠いを連発。無理もない。今日は休むことだ。
18時過ぎから客がパラパラ来はじめる。19時開場。いい感じの入り。
客の受けもよかった。21時終演。バラシ。19日の公演も野毛からみということで、イスと照明の一部をばらしただけ。22時会場をあとにする。明日自分は5時起きなので、打ち上げには参加せず。参加したら、えらいことになりそうなことは、よくわかる。22時半帰宅。留守電にハーリックからのメッセージ。明日電話しよう。

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2003年4月18日(金)

5時目ざましで目が覚める。ほとんどそのままの状態で、家を出る。空港のキオスクでパンを買って、搭乗手続き。あまり時間もなく、パンをふたつ無理やり胃にぶちこむ。これは結果的に良かったと思う。7時離陸、飛行機のなかでは、ほとんど寝ていた。たぶんいびきをかいていたかも。8時40分福岡着。地下鉄に乗って、キャナルへ。トラスの準備がはじまっていた。ジーマたちも立ち会う。この仕込みが結構時間がかかる。14時ぐらいにつり込みが終了。キャナルの近くのかろのうろんやで、うどんを食べたあと、ホテルにチェックイン。家からメール、カザフからFAXが来ているという。転送してもらう。朝早かったので、少しベットで横になる。
カザフのハーリックに電話。元気そうだ。
19時キャナルへ。ショーをみたあと、リハ。ジーマは番組をいろいろ考えてくれてきた。とてもいい構成になっている。リハを見ていたお客さんからも拍手が沸き起こる。たぶん問題はないだろう。
リハを終えて、スーパーに寄って、買い出し。ジーマたちの部屋に寄り、軽く一杯。ジーマも今回はのびのびとしている。一緒に今回来た、ヤーロフたちもいい奴だ。2時ぐらいまで飲む。
ホテルに戻る途中、ラーメン屋に寄って、ラーメンを食べる。博多は活気がある。この時間でもみんな元気にラーメンを食べ、酒を飲んでいる。
3時就寝。

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2003年4月19日(土)

昨日の天気予報で雨というのが気になったのだが、夜は星もでていたし、きれいな月。まさか雨は降るまいと思ったのだが、朝方から雨音。目が覚めて、カーテンをあけるとやはり雨。9時前に朝食を食べる。ショーは16時から、なにもすくこともないので、キャナルのイベントを見に行く。ソニンの新曲発表会、田中康夫知事が中心となった長野県のプロモーションを見物。
辻君から電話。野毛の方は、風が強いという。雨にも負けず、風にも負けず、やらなくてはならないということなのか。
昨年秋に大阪から福岡に転勤になったKさんがキャナルへやってくる。一緒にお茶を飲む。小一時間だったが、久しぶりにあったK氏からパワーをもらう。会って良かった。
雨が降り続ける。15時ジーマたちがやってきて、仕込みの準備。この回は雨で危険ということで、中止。ジーマたちはがっかり。
辻君から電話、野毛の方はかなりの人でになったらしい。投げ銭もかなり集まったようだ。
18時の公演もキャンセルになる。雨がやまない。一度も公演をみないで、このまま東京に戻るのはどうだろう、ということで、明日も残ることも覚悟する。キャナルのKさんが、大丈夫ですよ。昨日の流れを見て、心配はないので、どうぞ帰ってくださいといわれる。ありがたい。このまま帰ることにする。
ジーマと今年の夏の話をしたあと、別れを告げ、タクシーで空港へ。19時15分の飛行機に乗り、東京へ戻る。
22時帰宅。空には星ときれいな月が。昨日の福岡と同じ。もしかしたら明日雨かもといういやな予感。しようがないよなあ。天気だけは。

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2003年4月20日(日)

8時すきに野毛から電話。小雨は降っているが、今日は決行ということになったという。当然の判断であろう。
10時すぎに福富西公園の現場へ。雨はあいかわらず。11時ペキーノフたちが、会場入り。雨など、気にならないようだ。むしろお客さんが集まるのかどうかを気にしている。
12時一回目。ほとんど客はいない、ペキーノフの男二人がグリーティングで客寄せ。それでもいろいろアナウンスしてもらったりしているうちに客が集まる。昨日一緒に公演していたチンドンのかぼちゃ商会は、今日は中止ということで、この会場はペキーノフの独占会場とある。昨日は風が強くてできなかったでかいマトリョーシカをつかったり、またちがうかたちのショーとなる。ただ雨ということで、いろいろ計算もちがってきたこともあったようだ。りーだーのリョーシャはとても不満足そう。はじめてなまのショーをみたが、テンポもあり、なによりも温かさがある。とてもいいグループだと思う。
2回目の公演も少し短くする。これは賢明な判断と思う。お客さんも雨の中立ってみるのはたいへんだ。このへんの臨機応変の判断は見事だ。公演に誘うDMをあちこちだしていたのだが、それをもらって見に来てくれた人が、良かったと言ってくれる。うれしいよなあ。
3回目が一番お客さんも多かったし、投げ銭も多かった。この雨のなかペキーノフたちは本当によくやってくれた。いいグループだ。
後片付けも早い。楽屋に一緒にいても、なにかこの人たちと一緒にいると苦にならないというか、落ち着く。ピリピリしていない。楽屋で感じるこの温かさが、そのままステージにも現れているように思える。
17時半打ち上げ会場の叶屋へ。
リーダーのリョーシャといろいろ話す。みんな喜んでいたよ、今年の家族という野毛のテーマに一番ふさわしいゲストだったと思う、シルクドゥソレイユだけがサーカスじゃない、サーカスのもつ温かさ、楽しさ、それをもらったような気がすると言ったら、リョーシャが、こんなことを言ってくれた。それは俺たちが、こんな家族だからさ、奥さんとも仲いいし、子供ともうまくいっている、ごく当たり前のふつうの家族だからじゃないの、ふつうの家族がやっているから、みんなそれを感じてくれているからじゃない、と。
たしかにこの家族と一緒にいると、無理していない、自然な感じが伝わってくる。無理やりサーカスで生計を立てているわけではない、家族一緒にいることがあたりまえというその自然さ、それがこの家族の持ち味なのだろう。いいなあ。とても好きになってしまった。
8時半すぎに、撤収。今日はターニャのテンションが高かったなあ。ホテルで別れて、これからもう一軒というところなのだが、明日も早いし、やめてまっすぐ家に帰る。明日8時ホテル集合ということで、野毛を去る。

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2003年4月21日(月)

6時半起床。朝飯を食べずに、野毛のマンダリンホテルへ。8時すぎにペキーノフ一家が下りてくる。チェックアウトして、車に乗り込む。おやじのリョーシャはちょっとお疲れの様子。途中までは余裕かと思ったのだが、事故渋滞にまきこまれ、約1時間ほとんど動けないような状態に。新木場の事故現場を過ぎてからは、快調に流れだし、10時半すぎに空港に到着。空港はガラガラ、チェックインも簡単にすむ。カウンターでもターニャは人気者。両替をして、通関へ。5人と別れる。ほんとうに手間のかからないいい連中だった。
レストランで遅い朝飯を食べたあと、成田を出発。しばらく寝ていた。錦糸町のインターでおりて、両国の気功の先生の新居に寄り、荷物を積むところまで付き合う。電車で会社へ。
夏にやるモンゴルサーカスの件で、主催者から何度か電話が入る。日程や予算の調整。
16時すぎハドガー来社。犬のハルちゃんも一緒。夏のモンゴルサーカスの件でビデオを見ながら、出演者について打合せ。野毛ではずいぶんと楽しくショーができたようだった。投げ銭もそこそこ集まったらしい。ハドガーと打合せが終わったあと、18時半ごろ会社を出る。なんかヘトヘトという感じ。やっどひとつ峠を越えたような気がする。

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2003年4月22日(火)

やっと日常の生活に戻ったという感じだ。久しぶりに杉田まで歩く。10時出社。20日過ぎにやりますからと言って保留している仕事がいくつかある。まずはそれに手をつける。
昼飯を食べた後、先日の野毛でペキーノフたちが集めた小銭を持って、原宿のUFJ銀行へ。土日と銀行が閉まっていたのと、月曜日早い出発だったので、投げ銭を両替できなかったので、こちらで立て替えて、札を渡していた。しかしこれだけ小銭が集まると、結構な重さになる。しかも近くの銀行はみんなATMだけになってしまい、原宿までいかなくてはならない。両替ではなく、入金というかたちにしてもらう。えらい時間がかかると思ったが、5分ぐらいで済んでしまう。これで野毛の仕事はすべて完了。芸人さんたちは大道芸で集めた投げ銭をどうしているのだろう。14時すぎ会社に戻り、ゴールデンウィークの仕事の件で、クライアントとパフォーマーに連絡。覚書をつくらなくてはならない。17時半過ぎ会社を出て、新宿駅前の滝沢で、神関係の取材。貴重な資料をお借りすることができた。こういう資料が手に入ると、少しピッチをあげて書かねばという気になってくる。
20時半帰宅。

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2003年4月23日(水)

野毛が終わってからやりますといってある仕事のうち、まずやらなくてはならないのは、通年でやるイベントに入れるパフォーマーの手配。あちこちに話しておいたのだが、何人か候補者が出てくる。それでもまだ足らないので、またあちこちに連絡。果たして集まるのだろうか? とにかくやるしかない。
福岡のジーマに電話。今日はオフだという。公演はお客さんの受けもよく、満足気。ブラステルという国際電話専用のカードについて照会を頼まれたので、それについての回答。このカードは旧ソ連にかける電話カートでは一番安いらしい。2,000円で40分間話せると言っていた。パンフレットもロシア語で書いてあるし、問い合わせのオペレーターもロシア語で応じてくれる。なかなか便利。
大阪に出す請求書を作成。18時すぎに退社。

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2003年4月24日(木)

ここのところ、区議会議員の選挙で、会社周辺をを宣伝カーがしきりなしに回りうるさくてしかたがない。
新聞テレビでSARSのことが連日報道されている。海外から招聘する仕事に携わっている身からして、これが今後どうなるか気になる。現に、いま九州で公演しているベルギーの空中ブランコのソフィーのフライトは、最初香港経由だったのが、フライトキャンセルになり、ソウル経由に急遽変わったりしている。
26日から川崎のチッタデラではじまるイベントにアッパーホッパーとこうじにでてもらうことになっている。クライアントとパフォーマーにいくつか確認事項をチェック、覚書を作成して、送る。
ここんところずっとやっている夏のイベントのパフォーマー探しをとりあえず、まとめクライアントに途中経過をファックスで流す。何人かやってもらう人は見つかったのだが、スケジュールを調整する必要がある。あともう少しというところ。
福岡の方はまだ雨続きのようだ。今日も一回しか公演ができないという。ゴールデンウィークは雨が降らなければいいのだが。今日も18時すぎに退社。

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2003年4月25日(金)

明日からGW。今年のカレンダーは、もしかしたら最悪かもしれない。29日と3、4日は休めそうな感じ。
明日の川崎の仕事について、パフォーマーと最終的な確認。GWが始まるので、6日の舞台道具のピックアップに関して、ネゴシエーションをしておく。
ハドガーに連絡、夏のサーカスについて、最終的に出演者の確認がとれたという。これで夏のこの仕事については、契約を結びところまできたことになる。
このところマスコミでは連日六本木アークスのことが報じられている。今日がグランドオープン。見に行かないといかんだろうなあ。5日までヌーボーサーカスというイベントをやっているらしい。見に行けたら見に行きたい。
18時すぎにあがって、両国の気功の先生のところへ。治療を終えて、駅まで送ってもらう途中会社から電話。急遽27日リトルに行かなくてはならなくなった。

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2003年4月27日(日)

新横浜発9時50分の新幹線に乗り、名古屋へ。車中ロシア語の新聞記事の翻訳。名古屋駅で落ち合うことになっていた大野とうまく会えずに、大野は先に急行に乗って、犬山へ。12時30分すぎ、バス停で大野と会い、バスでリトルへ。今日は天気もいいので、なによりである。
2回目と3回目の公演を見たあと、事務所で打合せ。
日帰りの予定だったのだが、今日は泊まることにする。
ホテルにチェックイン、19時半にホテルを出て、メンバーの宿舎へ。イタリアのガウチョのメンバーがつくってくれたパスタをごちそうになる。23時すぎ宿舎を出て、ホテルに戻る。

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2003年4月28日(月)

コンビニで朝飯を買って、10時過ぎのバスに乗り、リトルへ。今日は、平日で2回公演なのだが、学校の団体客が多く、けっこうにぎわっている。
公演終了後、打合せをして、17時半のバスで犬山へ。駅前の白木屋で、S氏と軽く一杯。20時半すぎに店を出て、名古屋へ。ちょうどうまいぐあいに、新横浜にとまるひかりがあった。飲んでいたので、新横までずっと寝ていた。
24時前に帰宅。疲れた。
1日からまたリトルへ行くことになった。明日は一日中ごろ寝になりそうだ。

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2003年4月30日(水)

10時出社。待っていたビデオが届いていた。さっそくみてみる。いい番組だとおもうが、問題は高さだろうなあ。
国際電話、ビデオを送ってくれたところからだった。タイミングがいいこと。高さのことを確認すると、なんとでも調整できるという。
5日の福岡行きのために、仮払い、ギャラ、航空券を受け取る。
16時会社をでて、新幹線に乗り、新大阪駅前のホテルにチェックイン。荷物を開いてびっくり、着替えを詰めたとおもったのだが、もって来るのを忘れたみたいだ。ショック。3日間へたすれば4日間着たきりすずめになってしまう。明日朝早いので、24時前には就寝。

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