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クマのお仕事日誌

2003年7月1日(火)

5時半起床。シャワーを浴び、荷物の整理。6時半すぎにリトルのK氏の車にピックアップしてもらい、宿舎へ。ベック夫妻が待ちかねていた。すぐに荷物を積んで出発。関空から出発する他のメンバーは4時に出発。ベックたちも見送ったという。涙、涙のお別れだったらしい。7時30分前に空港到着。すぐにチェックイン。ベックにエクセスの件で少し脅かしておいたのだが、5キロオーバと可愛いもの。それでもベックはあせくりまくり、お金を払おうとする。絶対大丈夫だから金をしまうように言う。2人にお別れ。もしかしたら8月にもう一度会うことになるので、お別れもあっさりしたもの。K氏にお願いして春日井駅まで送ってもらう。ここから中央線に乗り、多治見へ。ここにある現代陶芸美術館で開かれている『ロシアアヴァンギャルド陶芸展』をこの機会に見ようと思ったのだ。9時から始まると思ったら、10時開館という。正味40分ぐらいしか見れないことになるが、しようがない。名古屋から東京までの指定をとり、コインロッカーに荷物を預け、タクシーで美術館に向かう。駅をでたところで、関空に送りにいっている大野から電話、向こうはエクセスがかなりすごく金が足らなくなったので、金を至急送金してくれとのこと。駅前に銀行があったので、そこまで戻ってもらい送金手続き。美術館には開館20分前に着く。それにしても立派な美術館である。展示品のほとんどはかわりばえのしない陶芸品ばかりで、ちっとがっかりだったのだが、ロドチェンコプロジェクトのコーナーは面白かった。来るときに乗ってきたタクシーに迎えにきてもらう。雨が本降りになっていた。多治見から各駅に乗り、11時51分発のひかりに乗る。14時15分すぎ地下鉄早稲田駅で、小出と落ち合い、そのまま教室へ。先週はボロボロだったが、今日はなんとかこなす。小出のライブも最初は、みんなびっくりしていたようだが、最後の方は爆笑。カバチッタの申し込みが20枚近く集まる。ほっとする。小出はこのあと用事があるというので、別れる。先週もいったイタメシ屋で、ビールを2杯飲む。これで早稲田の授業は終わり。なんとなくホットする。今日は地下鉄で日本橋まででて、そこから京急に乗り換えて、帰宅。
かや子のお土産話に耳を傾けながら、晩飯。20時モスクワのペーチャから電話。メンバーのビザはとれたとのこと。

2003年7月2日(水)

先日だしておいたブックレット用の図版のための写真プリントを受け取ってから出社。待ちに待っていたカザフからのビデオが机の上に。日付を見ると、23日に発送したことになっている。10日もかかっているわけだ。ちょっとこれは問題。さっそく見る。空中ロープのふたりは、北九州博覧祭にでていた4人組女性アクロバットのうちのふたり。この番組はオーケーだろう。空中ロープのしなやかさと、空中バンブーの飛び技を取り入れている。クラウンはネタは豊富だが、これといった決め技にかける気もするが、合格点だろう。8月の北九州のカザフ組みが正式にオーケーになる。ハーリックに電話。詳細を伝える。どうやら今年久し振りにハーリックと日本で会えそうだ。
仕事が山積みになっている。昨日から7月、今月は仕事に追われることになりそうだ。
やらなくてはならないことが、おおすぎる。しかも時間に限りがある。焦りは禁物なのだろうが、焦るよなあ。
15時会社をでて、川崎へ。16時からチッタで客席をどうするかの打ち合わせ。いろいろ現場を見ているうちにアイディアがわいてくる。かなりいい感じで客席のレイアウトが浮かんでくる。
17時半別件で打ち合わせ。8月の仕事を請け負う。
ヨドバシで買い物をしたあと、帰宅。

2003年7月3日(木)

11時六本木ヒルズへ。レレファンベールの打ち合わせ。
13時前に会社に戻る。こまかい用事をやっつけて、カザフのハーリックにファックスを送り、そのうえで電話。夏の北九州の仕事に関しては、原則オーケーということになった。一安心。
15時に会社をでて、日暮里のサンタ引っ越しセンターへ。カバチッタの協賛の件で打ち合わせ。いろいろ面白い話しが聞けた。これで協賛が決定する。カバチッタ初の協賛が決まったことになる。
18時すぎに品川へ。本屋をちょっとのぞいて、大森へ。『ユーロサーカスファンタジー』の件で打ち合わせ。
しかしあと1週間でメンバーが来日ではないか。それまでにペンディングになっていることを片づけなくてはならない。来週はかなりハードになるような気がする。
帰宅して、帰国したカザフのベックに電話。夏の仕事がオーケーになったことを伝える。驚いたことに、二日前に名古屋をでたのに、いましがた着いたという。2日間ソウルで飛行機を待っていたらしい。カザフスタン航空の問題とは言っていたが、それにしてもなあ。たいへんだっただろう。本人はホテルも食事も与えられて問題はなかったとは言っていたが・・・・

2003年7月4日(金)

気ばかりせっているのだが、なにひとつ集中して取り組めないというイライラがつのる昨今である。再来週は一週間まるまる北海道で、会社にいない。その間でやらなくてはならないことが山ほどある。
イライラの原因のひとつだったカザフから、やっとビデオが届く。ダビングしながら見る。平均点以上の番組だと思う。送られてきた3つの番組のうち2つを選ぶことになるのだが、だいだい自分の腹は決まる。宅急便で送る。先方の担当に電話をいれるが、今日は休みとのこと。休み中に連絡をとることにしよう。
来週にやらなくてはならないプレゼンの企画のことで、大野と打ち合わせ。ビデオをみながら、プレゼンするグループを絞っていく。これも実はイライラの原因。なんとか素材をそろえる。
16時すぎ、銀座の喫茶店で、H社のI氏と面会。そのあと旭屋書店により、本を購入。モスクワのペーチャに連絡、ビザはとれたのだが、飛行機が満席だという。また一難去って・・・・・だ。
予定の日をずらしてもいいから、とれるかどうか調べてみるように言う。
カザフのハーリックに電話。ビデオは届いたこと、査証申請の書類を早く送るように頼む。息子が電話口にでて、メールのアドレスを教えろという、書類や写真をメールで送るつもりらしい。これができたら、こう毎日のように電話しなくてもいいわけで、すばらしいことなのだが・・・・
そううまくいくだろうか?

2003年7月7日(月)

今日はとにかく、ある程度見通しつくまでは帰らないつもりで出社。朝ミーティング。そのあと夏のこまかい仕事の件で、覚書や契約書をまずやっつけてしまう。それぞれ確認のためにFAXを流す。
結構これが時間がかかる。昼すぎてから、ロシア語の契約書をつくるつもりだったのだが、大幅に押してしまう。あちこちから電話が入るので、なかなか集中できない。
なんとか16時過ぎから契約書つくりに入る。ハーリックからFAX、メールを送ろうとしたのだが、送れないという。金曜日に教えてもらったアドレスに何度もメールを送るがこれもダメ。
夕方秋のリトルの件で電話。こちらのプレゼンした内容で決定する。これでもう一安心。
8月来日予定のカザフ組の査証をとるために、かなりギリギリのところまできている。ハーリックに電話。とにかく別なアドレスをもっている奴を探して、一刻も早く送ってもらうように頼む。
秋のプレゼンのための日程が決まる。今度は一発で決めたいところ。
22時すぎに帰宅。

2003年7月8日(火)

来週の北海道行きまでにやらなくてはならないことを一つずつ処理していかないと。横浜がらみの企画書の最終案をやっとこさ作成、メールで送る。8月に頼まれていたパフォーマーの件で、あちこちに電話。ハドガーが空いていたので、すぐにクライアントに資料をFAXする。
カバチッタのチラシもつくらないと。原稿がやっととりそろう。
14時糖尿の検査。なんと数値が跳ね上がっている。ここのところ体調もいいし、どのくらい下がっているのだろうと思っていたのに、がっくりくる。膵臓を調べたほうがいいということで、急遽CTスキャンを受けることに。かなりへこんでしまう。ペーチャに電話。とれないと思っていた13日モスクワ発のチケットがとれたという。どうなっているんだろうね。いろいろ裏の道があるということだろう。これで全員で動けることになった。なによりだ。
そのまま六本木にでて、「ベアーズキッス」の試写をみる。一度モスクワスクラップでこの映画のことは紹介していたのだが、それを見た宣伝担当の人が試写会の案内をくれた。日本ではぜったいに見れないと思っていたので、ラッキーという感じ。サーカス映画といってもいいだろう。冒頭サンクトペテルブルグのサーカス場がでてきたあたりでぞくぞくとくる。ロードムービーのひとつ。クマと少女の旅のありかたが印象に残る。サーカスファンには見てもらいたい映画。
ハーリックに電話、メールが届かないというと、今晩中にはなんとかなるはずだという。信じるしかない。
18時過ぎ気功。先生に今日の病院の話しをしたら、心配する必要はないという。膵臓もそんな弱っていないですよということで少しホットする。確かに神の原稿を書いていたとき、かなり飲んでいたように思う。そのせいでしょうといわれる。
21時前帰宅、メールを見るとカザフからメールが届いていた。やったあという感じなのだが、一番欲しい資料が入っていない。すぐに返事をうっておく。

2003年7月9日(水)

朝メールチェック、カザフからメール。これで書類がそろったかにみえたのだが、ひとつだけ書類が届かず。すぐに送るように返事をうつ。それにしても、カザフとメールのやりとりができるなんて、すごいことだ。しかも窓口は、ハーリックの息子。いままでハーリックに何度も電話を入れていたのだが、これでだいぶ楽になる。
カバチッタの打ち合わせが明後日ということなので、それをメンバーにメールで流す。今日プレゼンするビデオをチェック。今回はVJに仕事として頼んだのだが、いいものをつくってくれた。
11時半フレゼン。かなり熱の入ったプレゼンになる。クライアントもすっかり気に入ってくれたようだ。帰り際に、今日のは良かったなあと言われる。これで大きな峠は越えた。明日にはだいたいのメドがつくだろう。
会社に戻り、まずはカザフの入管用の書類を作成、金曜日には提出できそう。なんとかギリギリセーフになりそうだ。これもカザフとメールでやりとりができたからだ。
北海道に行くまで、あと3日。どれだけこなせるかが、最大の問題。時間との勝負。明日はエンドレスになるかも。ということで意気込んで仕事にかかるが、パソコンがいうことを聞かない。HDの容量が目一杯になっている。辻君に頼んで、書類の整理。
今日は浅草雑芸団の公演があるので、17時には会社をでる。鳩の森神社のところで今年はじめて蝉の声を聞くいよいよ今年も夏がやってきたということか。18時開演ギリギリに木馬亭到着。カバチッタの仮チラシを一人一人に手渡し。うれしかったのは、手渡せなかったお客のひとりが、わざわざとりにきてくれた事。少し手応えを感じる。楽しい公演だった。なんとなくほんわかという気持ちになり、上島さんたちに挨拶もせずに、まだやっているほおづき市をぶらぶらする。こういう季節感のある行事でいいものだと思う。

2003年7月10日(木)

北海道に行く前、これもやろう、あれもやらなくてはと意気込んで出勤したのはいいが、相変わらずパソコンがいうことをきかない。いろいろ捨てるのだが、いっこうにHDは軽くならない。イライラしてくるうちに時間だけが経っていく。早めに昼食をとって、12時半に会社をでて、川崎の某会社へ。義父から紹介されて、ある大手メーカーのかつての労働組合委員長と面会。ちょっと古い手だとは思うのだが、券売のために労組をつかうための情報収集。手応えはあった。北海道から帰って来たら、現労組の委員長と会うことになった。会社をでようとしたとき、雨がすごい降りになる。車で駅まで送ってもらう。
16時すぎ会社に戻り、パソコンと格闘。もうどうにもならないことがわかった。考えてみればもう何年使っているのだろう。window95なのだ、このマシーンは。よくがんばってくれたと思う。新しいのを買うしかない。ちょっとショックだけどしようがない。それにしても派手にいろんなものを捨ててしまったものだ。かなりカッカしていたから、大事な文書やデーターをだいぶなくしてしまったようだ。またへこむ。気持ちを入れ換え、しようがないと思うことにした。北海道にはこのマシーンを持っていくしかない。こういうときは諦めが肝心なのかもしれない。
やろうと思ったことは半分もできていない、何故なら参照すべき文書を全部消してしまったのだから。
できることだけをやり、今日は仕事をやめることに。19時半会社をでる。

2003年7月11日(金)

今日は辻君が入管、大野が九州ということで、ひとり。ほとんど機能しなくなったパソコンを相手に、格闘するのはあきらめ、できることからはじめる。契約書を3通作成、クライアントに送る。
プレゼンをしていた秋の企画に、ゴーがかかる。これでまた忙しくなる。
北海道行きの準備、持っていく書類、向こうに行っている間にやらなくてはならない書類を整理する。
15時からplanBで、カバチッタの打ち合わせ。今回がリハ前の最後の打ち合わせになる。だいぶみえてきたような気がする。19時会社に戻り、やりかけていたことを全部整理して、持っていくものをチェックする。
全部を終えたわけではないが、なんとか見通しはついた気がする。20時半会社を出て、代々木駅前の新しくできたラーメン屋で食事。まじい。
新しいパソコンを購入することを決断。もうしかたがないだろう。

2003年7月13日(日)

今日から出張。昼は何故か野毛の一千代で、ひつまぶしを家族3人で食べることになる。フライトインフォメーションで到着時間を確認、40分ぐらい遅れるとのこと。かや子の公開リハーサルをかみさんと結子は聞きに行く。時間が余ったので、県立図書館、横浜駅前の本屋二軒廻る。リムジンで成田へ。本を読みながら、到着を待つ。飛行機が到着してから、メンバー9人が出てくるまで1時間ぐらいかかる。今日の大きな問題は、5mちかくあるロシアンバーが、バスに乗るかということ。ホテルまでのシャトルバスはそんな大きくなかったが、楽々載った。20時半ホテルにチェックイン。すぐに集合して、バイキングのレストランで食事。そのあと部屋を訪れ、みんなに前払いを払う。寝る前に携帯に充電しておこうと思って、充電器を出したら、なんとかや子の使っているauのを持ってきたことに気づく。あわてて家に電話。すぐに自分のを北海道に送ってもらうことにする。なんというミスだろう。我ながらあきれる。23時すぎに就寝。

2003年7月14日(月)

6時すぎに起床。テレビを見ていたいたら、モスクワが大嵐でたいへんなことになっているのを知る。3人は無事乗れたのだろう、ちょっと心配になる。シャワーを浴び、チェックアウト。成田インフォメーションに電話、今日の飛行機も30分ぐらい遅れるとのこと。とにかく空港へ行くことにする。第一ターミナルで朝食をとって、待つこと約1時間。ラトビアからクラウンのビーコが降りてくる。リガ−プラハ−パリ−成田と乗り継いできただけにさすがに疲れた様子。第二ターミナルへ移動。モスクワから来るメンバーを待つ。椅子に座って待っていると、「大島さん」と声をかけられる。昔勤めていた中央放送エージェンシーの経理をしていたMさんだった。Mさんもモスクワ来るお客さんを待っているとのこと。かつての社長や同僚の動向を聞かせてもらう。今日のこの便には、ボリショイサーカスのメンバーも乗っていたようだ。知っている顔もチラホラ。やがてペーチャとミーシャ、マーシャが出てくる。これでやっとユーロサーカスファンタジーに参加する12名が全員そろったことになる。ホテルから昨日来日したメンバーも到着。11時35分発のバスに乗り、羽田へ向かう。まずチェックイン、荷物を預ける時、やはりロシアンバーが問題になる。いろいろチェックを受け、なんとかすべて預けることができた。空港内のイタリアレストランで昼食。15時50分発の飛行機に乗る。ほとんど寝ていた。
17時20分千歳に到着。迎えのバスに乗り、ルスツリゾートに向かう。いままで2度ルスツに行っているが、いずれも雨。景色など全然見えなかったが、今回は晴天。羊蹄山が見えた時には、その雄大さにびっくり。19時半ルスツに到着。すぐにチェックイン。案内された豪華な部屋を見て、メンバー全員びっくり。20時から歓迎会。和洋中、細かい心配りがされた食事に、ちょっと感動。今回のメンバーは初めてここで会うひとばかり、それぞれまだ遠慮もあるし、旅の疲れもあるのだろうが、おおむね静かに食事。
1時間半ぐらいでお開き。ペーチャの部屋でちらっウォッカを飲む。ペーチャは飛行機で全然寝てないということで、さすがに疲れた様子。23時ぐらいにこちらもお開き。そのまま就寝。

2003年7月15日(火)

8時すぎに起床、シャワーを浴び、メンバー全員そろって朝食。バイキングなので、楽だ。10時から仕込。舞台はできており、吊りもの関係の仕込が主体。ライオスやボォエボダらは、荷物のパッキングをといて、道具の組み立てとチェック。まずジーマがロープのつり込み。ジーマが吊ろうと思うところに吊るためにはタワーの高さが50センチぐらい足らない。タワーの上に小さな脚立を立てて、対処する。ジーマがつりこんでいる間に、空中ブランコのミーシャは、ワイヤーと鉄棒を床面に広げ、スタンバイ。ジーマのつり込みが終わった後、ブランコのつり込み。これが今日の仕込のメインイベントのようなもの。
その間他のメンバーは、めいめい練習。14時すぎに仕込完了、一回マーシャがブランコに乗ってみる。微調整をして、仕込は完了。昼食をとったあと、15時から全員そろってミーティング。大きなテーマは、こちらで考えたプログラムの順番を確認してもらうことと今後のスケジュールについて。今回は辻君がプロデューサーなので、辻君から全部話してもらう。まだみんな顔をあわして、まもなく遠慮しているという感じ。手伝いが必要になる人、手伝ってくれる人を確認。ブランコのミーシャが手伝いとして何度も名乗り出てくれた。助かる。17時ぐらいに解散。
フロントで郵便が来ているかどうか確認、まだ充電池は来ていない、自分の電話に合う充電池もない。とうとう携帯は電池切れで、使えなくなる。朝食、昼食をとったレストランで、夕食。そのあとペーチャの部屋で、辻君と3人でウォッカを飲む。23時すぎに就寝。

2003年7月16日(水)

9時前に朝食をとって、部屋で歯を磨いているときに、フロントから電話、家からの速達が届いたという。やっと充電器がついた。これでなんとか仕事になる。さっそく充電、パソコンに接続してメールのチェック。2日メールを見れなかったのだが、たいしたメールは来ていなかった。こんなものである。
10時から音と合わせて、順番にしたがってリハ。ライオスのジャグリングの白いボールとリングが、黄色の背景幕のなかで、みずらくなっているのが最大の問題。立ち会っていたルスツのA氏と相談、中央にある赤の幕の部分を広げてみることにする。場当たりリハが終わったところで昼食。14時からオープニングとフィナーレのリハ。オーフニングの音楽はジーマが何曲か持ってきてくれていたので、それをみんなで聞きながら、曲を決め、それに合わせてみんな振りを考える。辻君から簡単にオープニングのアイディアを説明、それにそってまず動いてもらい、それぞれアイディアを出して、リハ。ここでリードをとったのが、いままでずっとおとなしかった、クラウンのビコ。2、3回動いているうちに、固まってくる。一度通してやり、これはOK。次にフィナーレのリハ。ジーマが用意してきた曲がいまいちで、これについてはあとでやることに。とりあえず動きを決める。
そのあと一回通してやってみる。ブランコの手伝いをするジーマのはけと、フィナーレまであまり時間がないというのがちょっと問題になる。終わったあと辻君からダメだし。一回通しまでできたので、一安心と言うところだ。
明日の午前中に外人登録をすることにした。
今日は居酒屋で辻君とペーチャと食事。結構飲んだ。ペーチャといろんな話をしてもりあがる。24時すぎ就寝。

2003年7月17日(木)

メンバーは午前中村役場で外人登録。自分はクラウンのビコが、あとで送った荷物が千歳空港に着いているので、その通関手続きをするために千歳空港に行くことになった。この荷物の中には、メイクセットが入っている。通常の手続きをすると、来週の配達になるので、明日まで配達してもらうために、急遽空港へ行くことにした。朝、本人とレストランで会ったのだが、いたってのんびりしたものだ。わざわざお前のためにほぼ一日つぶして千歳へ行くというのに、ごめんの言葉もない。むかつくけど、しかたがない。10時半にホテル発のバスに乗り、空港へ。国際線の到着ロビーで通関業者の人と会い、書類のチェック。13時に税関に行って、別送品申告を出す。これで問題ないでしょう、明日には荷物が届けられることになるでしょうとの話。まあここまできた甲斐があったというものだ。小樽で仕事をしているふくちゃんと、先週上越で仕事をしているトガに電話、何の問題もないという。帰りはルスツまでの直行のバスがないので、いったん札幌に出て、そこで路線バスに乗って、ルスツへ。乗り継ぎがうまくいき、16時すぎにルスツち到着。ちょうど通しリハが終わったところで、辻君がダメだしをしているところ。ペーチャの話では、おおむね問題はないが、コスチュームが赤が多く、背景幕の赤とタブってしまっているということが問題かなということ。
17時前に解散、いよいよ明日はゲネだ。かなり順調に進んでいるといえるのではないだろうか。ビコが近づいてきて、問題なかったらしいではないかというので、ムカッと来て、問題はあった、ただ明日荷物が届くということは間違いないけど、問題はあったと言い返す。どんな、というから、税金を一杯払うことになるだろうとと言ってやった。この男、とにかく、ありがとうの一言がない。本当にむかつく。手荷物で持ってくれば、それですんだ話だったのだ。こっちとら昼飯も食わずに、6,000円かけて、空港まで行ってきたというのにだ。
19時今日は別なレストランで晩飯。昼飯を食べていないので、どか食いしてしまう。昨日飲みすぎたので、今日はビールを一杯だけ飲むことに。

2003年7月18日(金)

ゲネプロが13時からなので、午前中は時間があく。朝食を食べてから、部屋で来ていたメールに返事を書いたりする。昨日から読んでいた「サーカスの奴隷」の翻訳もやってしまう。
12時部屋を出て、園内一周歩いてみる。広いところだ。いままではあまり人もいなかったのだが、遊園地は結構人がいる。
13時15分ぐらいからゲネプロ開始。気になるのは、アーティストの顔が暗くて見えないこと。明かりを足せればいいのだが・・全体に流れがきれいすぎる感じもする。拍手をもらうタイミング、息抜きみたいな「タメ」が必要かもしれない。アーティストたちもそれは感じらしい。ゲネのあと、ダメだし。司会が入るので、そこで「タメ」をつくれるかもしれない。
今日はホテル内のファーストフード店で昼食。16時からテレビの取材について打合せ。今日別件の用事があり、ゲネプロが見れなかったA氏も顔を出す。場内がかなり暑いので、窓を開けることにする。背景幕は青に代えてもらうことにする。A氏は今回のプロジェクトの責任者なのだが、いす並べとか細かい作業も全部自分でやられる。窓開けと椅子の並べ替え作業を手伝う。表の入り口には看板も立つ。
部屋に戻り、カザフに出すメールの原稿を書いて、送付。
19時今日はフランスレストランで食事。なかなか美味しかった。今日もあまり飲まずに、23時すぎにはベットに入り、横になる。わりと健康的な日を送っているかもしれない。いよいよ明日からだ。

2003年7月19日(土)

8時前にレストランで朝食。何人かのメンバーが食事していた。今日が初演ということで多少緊張気味。9時現場でMCの人と、音響の人と打合せ。ビコがやって来て、荷物の件で迷惑をかけたのに、なんのお礼もせずに済まなかったと詫びをいれてくる。10時半ぐらいからポチポチお客さんも入ってくるが、まばら。ビコが客席でグリーティング。11時いよいよ開演。音がなって、MCがしゃべって、オープニングという段取りだったのだが、いきなりオープニングの音楽が入ってしまい、段取りとちがってくる。メンバーもあわてていた。およそ50分のショー。客席はまばらだったが、客の反応はよかったと思う。公演後初日おめでとうの挨拶をしに、楽屋へ。再度MCの人たちと確認。メンバーはすぐに昼食をとりにレストランへ。15時のショーは、お客さんもだいぶ増えて、オープニングも失敗もなく、いい流れで終わる。担当のA氏もショーの内容に関しては、ほぼ問題ないのではいうことだった。公演後ジーマの部屋に呼ばれる。メンバーも何人か集まり、軽くビールを飲む。ジーマからDDTのCDROMをもらう。
18時半からレストランで軽く打ち上げ。さすがにみんな初演も終わったということで、だいぶリラックスしていた。三々五々解散となったが、酒飲みの男たちが残り、ビコの部屋に集合。それぞれ酒を持ち合って、二次会。ウィスキー、日本酒、ウオッカ、ビールとちゃんぽんだったが、あまり量は飲まず。ビコ、ボエボタ、ジーマからビデオを合計10本預かる。初めて出会うメンバーでの公演ということで、いままで遠慮をあったが、ずいぶんと打ち解けた感じにはなったのではないかと思う。
辻君もひとつの仕事をとりあえず幕を開けるところまでこぎつけて、ホットした様子。これからおよそ4ヶ月という長丁場だが、とりあえず無事にスタートがきれたというところではないだろうか。ペーチャの部屋に寄って、ビデオをもらったあと、荷造りして、大浴場で一風呂あびて、24時前に就寝。

2003年7月20日(日)

6時目を覚ます。大きな荷物を宅急便にだし、レストランで朝食。なんでも昨日は2000人の宿泊者ということで、混み合っている。今日の公演は、結構人が多いかもしれない。7時50分すぎに路線バスに乗って、札幌まで。ほとんど寝ていた。札幌駅前で頼まれていた電話のカード代を振込。電車で千歳空港まで。11時すぎにチェックイン。恒例になんた六花亭のお菓子をお土産で買う。ラーメン市場なるところで、ちと早めの昼食。旭川ラーメンの徳一番という店に入ったが、話しにならないまずさ。期待はしていなかったが、ちょっとなあ・・・
飛行機を待つ間に「カニバル」をよみ終わってしまう。飛行機ではずっと寝ていた。
14時羽田着。六本木の現場に電話、ちょうど14時の公演が終わったところだという。15時からだと勘違いしていた。とりあえず会社に寄って、それから六本木ヒルズへ。すごい人出。あとで聞いたらいままで最高の人出でだったらしい。17時からレレファンベールの公演。お客さんとして見る。なかなか不思議で面白いパフォーマンスだ。自分も頭から吸い取ってもらった。公演終了後楽屋でワインで軽く乾杯。メンバーたちと挨拶。明日早朝の出発なので、汗だらけの衣装を乾かしてパッキングしなければならない。楽屋に衣装を並べて、暖房をかけて乾かすことに。その間に食事。3連休の中日ということもあるかもしれないが、どこも一杯。やっと居酒屋に入り込む。5人のメンバーはみんないい奴だ。21時半もうそろそろ乾いているかもしれない、ということで楽屋に戻る。自分はここでお別れをする。23時すぎに帰宅。とりあえずは一段落というところか。

2003年7月21日(月)

20時半家を出て、羽田空港へ。22時前に札幌からの便到着。まもなくミーシャとペーチャが出てくる。タクシーで大森のホテルに向い、チェックイン。明日は早いので、そのまま解散。24時前に就寝。

2003年7月22日(火)

6時半起床。朝食をとらず、ホテルを出て、大森から東京へ。8時ののぞみに乗る。大阪までほとんど寝ていた。新大阪でひかりに乗りかえ、姫路に11時すぎに到着。タクシーで姫路サファリパークへ。12時からハイワイヤーショーをやるというので、見せてもらう。ペドロ・カリーロ一座は、三人組。座長のペドロの奥さんは、ラトビア人。南米のチームらしいしなやかなジャンプ力があざやか。最後はライオンの檻の上でのバク転。公演後みんなと話をする。ラトビア人のターニャはロシア語で話できるので大喜び。担当の人が、彼女があんなうれしそうな顔をしているのは初めてだと言っていた。ターニャも、ロシア語で話ができてとてもうれしいと言っていた。やはり母国語で話せるというのは、大きいのだろう。公演を見た後、会議室で打合せ。宿舎、食事、舞台設営などについて確認。ホテル内になんでも施設のあるルスツのようなわけにはいかないようだ。
会場の下見、ブランコのセッティングについては、ほとんど問題なし。問題はむしろ舞台、そして客席をどうするかということ。これについて現場で詰める。おおよそのことを決めて、あとの細かいことは逐次打合せをすることにする。タクシーを呼んでもらい、姫路駅へ。15時5分のひかりに乗り込む。飯を食べるひまがなかったので、弁当を買って、車中食べる。ミーシャもペーチャも腹ぺこだったろう。大阪で乗りかえて、関西空港へ。チェックインしたあと、少し時間ができたので、軽くビールを飲む。
結果的に彼らを連れてきて、早めに現場を見せて正解だった。ミーシャが帰ってから、他のメンバーにも説明してくれるだろう。事前にいろいろわかっていれば、現場での対応もちがってくる。それにしてもミーシャは疲れたと思う。ミーシャは18時札幌行きの飛行機で戻る。ここでペーチャとはお別れ。
ペーチャと一緒に羽田行きの飛行機に乗る。出発が20分ぐらい遅れる。20時半羽田着。辻君から電話、ミーシャと会って、これからルスツに向かうという。ペーチャをホテルに送り届ける。今日はもう食事はいいというので、そのままここで別れる。22時半帰宅。

2003年7月23日(水)

6時起床。今日はかや子の吹奏楽コンクークの県予選のある日。出掛けに、今日はいつもちがう、なにか奇跡がおこるかもしれないと言い残す。実力では無理ということを本人もわかっているのだろう。7時すぎに電車に乗り、大森のホテルまでペーチャを迎えに行く。8時にチェックアウト。東京発9時の成田エクスプレスに乗って、成田へ。すぐにチェックイン、両替したあと、軽く今後のことを話して、10時半にゲートに入る。
横須賀線で錦糸町に出る。気功の先生から電話、治療を受ける前に一緒に昼食をとることにした。15時すぎに治療を終え、会社に戻る。モスクワのスベトラーナに電話、ペーチャが無事に帰国の途についたことを連絡。
机の上がごちゃごちゃ、まずは精算を済ませて、とりあえずやらなくてはならないことを整理。
17時半頃かや子から電話、県予選を通過したという。奇跡がおきたわけだ。めちゃくちゃ喜んでいた。このところ入試も入れると、3連敗だったから喜ぶもひとしおだと思う。
今日はもうヘロヘロなので、18時すぎに帰る。
家に帰る途中、小樽で働いてくれたふくちゃんから電話、無事仕事を終えたとのこと、いろいろ刺激を受けたみたいだ。22時携帯に、夏のイベントの件でクライアントから電話、途中で頭にきて、電話を切ってしまう。

2003年7月25日(金)

カバチッタの営業で、9時川崎に本社があるF社の労働組合の委員長に面会、チラシができたら、具体的に川崎の地区労に斡旋のお願いをすることにする。もう一社系列の組合の委員長を紹介してもらう。やりかたも含めて具体的な話しをする。チラシができないと、話しにならないことがわかる。やはりチケットを売るためには、足で稼がないとダメだ。今回これがどれだけ効果があるかはわからないが、なによりも人と会って話さないと、手応えというのがわからない。11時半会社に電話、まだカザフの在留資格認定証は届いていないという。やはり月曜日になるかもしれない、腹をくくって対処するしかない。
12時半会社へ。在留資格認定証が届いているという。ホットとする。すぐにDHLで発送の手配。
28日から大野がイタリアに行くので、その間にやらなくてはならないことをお互いに仕事をしながら打ち合わせ。とにかくやることが多すぎる。今度はリトルのメンバーの査証申請が気になってくる。早く資料を手に入れないと。17時からフール祭の打ち合わせ。18時会社をでて、横浜へ。横浜駅で、VJと会う。外は雨。さすが小出だ。また雨だ。西口のSTスポットで受付。今日もほぼ満員らしい。
21時すぎ終演、近くの居酒屋にTさんとVJと入る。メニューに値段が書いてなく、料理も美味しかったので、勘定がちと心配だったが、リーズナブルな値段だった。小出が合流と同時に看板だという。河岸をかえて、ぐっと庶民的に白木屋へ。飲んだ、飲んだ、朝4時まで飲む。ベロンベロンの状態でタクシーで帰宅。

2003年7月28日(月)

土・日完全に死んでいた。せっかくの久し振りの休みだというのに、ほとんどなにもせず、家でゴロゴロしていた。それにしても土曜日の宮城北部の地震にはびっくりした。昼まで寝ていたら、奥さんにたたき起こされ、あわてて実家に電話、家は大丈夫だという。おふくろにかえって「どうしたの、からだの調子悪いの?」と心配される。無理もない、二日酔いで寝起きで電話したのだから・・・
それにしても鳴瀬、矢本、南郷あたりの被害が今回は大きいようだ。漂流民の会員も住んでいるところだけに心配だ。
今日から大野はイタリア、西田は東村でワークショップ、今日は辻君とふたり。明日から辻君もキャナル。今週は自分ひとりになる。購入してあったパソコンの設定を辻君にしてもらう。なかなか設定がたいへんなようだ。パソコンがつかえないので、机の書類の山を少し整理、いらなくなった書類を処分する。リトルのカザフ組の航空券の予約、査証申請の準備なども。
設定が終わり、初めて新しいパソコンに触る。OSはXPなのだが、ぜんぜんやりかたがちがうので、かなり戸惑ってしまう。しばらくは苦戦しそうだ。こういうことは少しちゃんと落ち着いて構えてやらないとダメだろうなあ。あれもしながらこれもしながらだと、たいへんそう。
18時半会社をでる。

2003年7月29日(火)

今日からひとりお留守番。カザフからFAX。航空券のことで問い合わせ。手配してもらったところに確認。そのあとパソコンと格闘がはじまる。日本語が入力できないというのが、なんといっても問題。いろいろ設定をいじってみるが、らちあかず。昼まで格闘、とうとう私のパソコンの神様、仏様であるデスクの大野に泣きを入れる。珍しく暇をしているというので、会社にきてもらうことにした。その直後、なんか知らないがいじっているうちに、日本語が打てるようになった。なんなんだろうねえ。この勢いに乗って、アウトルックの設定に挑戦、すんなりとはいかなかったが、これもクリアー。あとは各種名簿を作成しているファイルメーカーのインストールに挑戦、これがパーだと、いままでつくってきたデーターが全部パーになる。しかし今日はだめ。これがつかえないと、カバチッタのDMが送れない、非常に困るのだが・・・
弁当を食べながら、大野から見るように言われていたビデオをダビングしながら見る。これはすごい、けど、実際に日本でできるのだろうか?
カザフの航空券の回答、それをFAXでカザフに送る。いま進行しているイベントの件で来ていたクレームへの処理、プレゼンしていた件がダメになったという連絡、それをアーティストに連絡。こんなことをやっているうちにアット言う間に、18時。イタリアにいる大野から電話、元気そうだった。
18時半会社をでて、駒場のアゴラ劇場へ。いいむろなおきの公演を見る。考えてみれば、こうした純パントマイムの公演を見るのは、初めてかもしれない。いろいろ考えさせられた。清水あきら、山本光洋らマイムの連中がたくさんいた。この公演についての感想は、いずれ観劇雑記帳にまとめるが、ド・マイムなんだよなあ、マイムって極端な話し、道具だと思う、それをパントマイムだけで見せるという行為の裏付けにあるのはなんなのだろう。マイムは説話でもないし、抽象的なことを描く、つまり詩のようなものでもないと思う、見る側に演じている人がなにをやっているのか、少なくてもカラダの動きでわからせるのが最低限必要だと、思う。それを演じてがなにをやっているのか、さっぱりわからず、それについて思考をはりめぐらすというのは、正直いって苦痛である。パントマイムってわかりやすいというのが、大前提で、その先なにを表現するのか、笑いなのか、あるいはダンス的なものなのか、それが問題だと思う。その前の段階で、パントマイムだけでなにかを表現しようとし、それがわかりづらいというのは、やはり問題ではないかと思う。
20時半に公演終了、渋谷へでたら21時前、今日は桑野さんのバフチンの本の出版記念をエサに飲み会がある日。この時間だったらまだやっているかもしれないと出席しているはずのT氏の携帯に電話、まだやっているというので、顔を出すことに。みんな出来上がったあとで、追いつくまもなく、22時半にお開き。
富岡に着いたらめちゃくちゃすごい雨、傘は持っていたが、びしょ濡れ。そのまま風呂に直行。

2003年7月30日(水)

10時出勤、メールをチェックしたあと、すぐに六本木へ。11時から打ち合わせ。プレゼンのあとの、予算、スケジュールを含めたこまかい詰め。この段階に入るとシビアーになってくる。だいたいのフレームが出来上がる、これからがたいへんだ。12時半帰社。
今日はムシムシする。カザフにメール。ビザ関係の書類が届いたかどうか、大使館に申請に行ったのかを確認。
秋のリトルの公演の件で、電話で打ち合わせ、いまの大きい問題は、宣材用の資料をどうするかということ、いまあるものだけでなんとかなりそうな感じ。
相変わらずパソコンと格闘、毎日一つずつ進化しているような気もする。
カバチッタのチラシがやっとできあがったという連絡。さあこれからだ。こっちも。現物は明日会社に届くことになった。14時半会社を出て、江東公会堂へ。考えてみれば、ここを訪ねるのは20数年ぶり、一番最初の呼び屋の仕事となったボリショイ舞台サーカスのリハ会場がここだった。すっかり変わっているが、なんとなく風景に見覚えも。あの時はほんとうに修羅場だった。確か3日間ここでリハをしたはずだった。朝早くから夜遅くまで、たいへんだった。舞台袖はくまやら犬やら、マジックの大道具で足の踏み場もなく、リハどころではなかった。いま思うと懐かしいものなのだが・・・
ルスツで働いているジーマの知り合いのクラウンが出演しているレニングラード舞台サーカスの公演を見る。主催者に用件をつげると、舞台袖でスタンバイしているユーリイとゴーシャの楽屋に案内される。開演前に少し話しをする。
会場は6割ぐらいの入り、客席の反応はいい、番組も中堅どころを集め、それなりにまとまっている。しかしクラウンのふたりは、面白い。よく身体も動くし、くどくなく、短いギャグを小気味よく演じている。これは掘り出し物かもしれない。公演後また楽屋に挨拶、団長を紹介してもらう。8月23日にまた横須賀でやるというので、その時にまた会うことにする。
カザフのハーリックに電話、査証申請はして、明日にはビザがもらえるとのこと、秋のメンバーの査証用書類もなんとか今日・明日中にメールで送ってもらうように頼む。カザフの航空券のことで代理店に問い合わせ。査証手続きが終われば、一山越える感じになる。10月の民族アンサンブルの公演の件で問い合わせ、とてもいまはそこまで頭がまわらない。カザフの件を片づけてからにしたいのだが、主催者の意向もあり、そうもいかない。
住吉駅から押上に出て、そのまま浅草線に乗り、帰宅。

2003年7月31日(木)

10時出勤。しかし本当に夏らしい日がない、今日も薄曇り。夏の白い雲と青い空が見たくもある。
11時すぎに大野が来社して、バソコンをいじってもらう。どこが問題ですかというような感じだったのだが、一番あてにしていたデーターの入ったファイルは、結局使えないことがわかった。
大野曰く、まめにバックアップをとらないから、ダメだという。400件ぐらい入っていたデーターだけに、なんとも心残りが・・・
大野に、いろいろ設定をしてもらう。これでほぼ新しいパソコンで対応できそうな感じだ。
カバチッタのチラシ到着。いよいよこれからが本番。S君にきてもらい、まずは出演者にチラシを送る手配、そのあとにDM関係を手伝ってもらう。
いまプレゼン中の企画の件で、電話でスケジュールについていろいろやりとりをする。これは結構たいへんだ。
カザフ来日の件で、リトルと打ち合わせ。ひとつひとつやっていかないといけないのに、どれから手をつけていいかわからない状態。仕事がたまる一方。
20時すぎに作業終了。DMは発送までいかなかったので、明日引き続きやってもらうことにする。
ちらっと近くの居酒屋で飲んで、24時すぎに帰宅。カザフからメールで写真が届いていた。ただあと2人分たらない。いつもらえるか確認するためにメールを送くり、就寝。


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