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クマのお仕事日誌

2003年11月1日(土)

もたもたしているうちに、11時過ぎになってしまう。もう少し早く出ようと思ったのだが・・・。12時45分発の新幹線で静岡へ向かう。まずはホテルに荷物を預け、ラーメンを食べてから、行動開始。先に来ているはずの大野の携帯に電話、神山の公演を次は見ることになっているというので、そこで合流することにした。
しかし相変わらずすごい人出だ。そんな人込みのなか、九州のクライアントの人にばったり出くわす。やはり神山の公演を見るというので、一緒することに。
神山は今回は「カリギュラ」という芸名で、新作を披露。去年のフール祭でつくったものをベースにしてつくったもの。なかなか良かった。まだ完成まではいってないが、磨けばかなりいい作品になると思う。しかし一朗ちゃんずいぶん細くなっていた。
ちょっと休憩ということで、ホテルに向かう途中の学校で、パワーボムという6人組のアクロバットショーをするグループの公演を見る。潜在能力が高いグループだ。大野が資料をもらいためにリーダーと話していたら、西田さんとは何度か会っているとのこと。
お茶を飲んで、次は大野がこの夏ベニスのフェスティバルでみたイタリアの3人組の公演を見る。いきなり「ラス、ドヴァ、トリ、チェトウリ」とロシア語でカウントするのを聞いて吹き出してしまった。アルメニア人のパロディーとのこと。いいグループだった。アリンガにしても、ミクロバンドにしても音楽ものは、イタリアは充実している。
あとはストレンジフルーツの「スフィア」を見るのが大目的なのだが、その前にメイン会場でやっていた海外ものを2本見る。いまひとつ。
7時45分から「スフィア」。六本木とはまた感じがちがう幻想的なショー。六本木でやっていた「フィールド」よりは、こっちの方が好きだなあ。
大野たちは、ホテルへ。ここで会ったKさんと一緒に、おでん横町へ。臭いがしたのだろうか、おでん横町の入り口の飲み屋で、野毛の人たちを発見。向こうは向こうで、いまに大島さんが来ると噂していたところだという。こんなところで会うとは・・・。なんでもここは森さんが12年来通っている店だという。樽焼酎が絶品、そしてこの名前も絶品「朝立ち誉」だと・・・。
かなり飲んだような気がする。一朗ちゃんと大野たちも合流する。看板前に野毛のみんなと別れたあと、芸人三さんたちが飲んでいるというバーに行く。ジェームスやちから、王輝さんたちが飲んでいた。ここでビールを一杯飲んだあと引き上げる。でがけにパワーボムのリーダーとまた出くわす。ポン太と一緒だった。立ち話程度だったが、カバチッタに出たいという話を聞かされる。ぜひ出てもらいたいグループだ。
1時すぎにホテルに戻り、そのまま就寝。

2003年11月2日(日)

めちゃめちゃいい天気、今日はすごい人出になるだろう。10時前のこだまに乗り、名古屋へ向かう。12時すぎのバスでリトルへ。
リトルの手前のしたの駐車場付近で、大渋滞になっている。駐車場に入る車で一杯。ということは今日はかなりの人出になっているのかもしれない。いつもは20分かかるところが、40分かかってしまう。13時のショーはもう始まっている。事務所もがらんとしている。きっとみんな現場に出ているのだろう。こんな人出のリトルは久しぶり。とても客席からは見えないので、バックステージに行く。
メンバーはみんな元気そうだ。
13時の公演が終わってから、ギャラの支払い。いつまでも金を持っていたくなかったので、さっさと済ませる。このあとどこかで飯を食べようと思ったのだが、どこも長蛇の列。しかたないので肉まん一個食べる。
担当の人がなかなか見つからないので、携帯に電話を入れておく。少し暇になったというので、事務所で打ち合わせ。まさかこんな人出になるとは思っていなかったという。
連休の中日で、この好天気、予想をかなり上回る人出になったようだ。1時間ほど打ち合わせ、そのあと病院代の精算を済ませて、レストランで飯を食ってから帰ろうと思ったのだが、すでに食事はないという。しかたないので、そのままバスで帰ることに。
ホテルにチェックインしてから、18時に通訳のKさんと駅で待ち合わせ。お好み焼き屋で食事。
20時過ぎにホテルに戻り、さあこれから神の最後の原稿を書こうと思ったのだが、そのままベットに倒れてしまい、結局は朝まで寝てしまうことになった。
連日だもんなあ。せっかくパソコン持ってきたのに、明日は原稿は書けそうもないし、やになってしまう。

2003年11月3日(月)

朝起きて、窓を開けたら昨日とはうってかわってのどんよりした曇り空。今日も晴れれば凄い人になったのに・・・。
名古屋発10時の新幹線に乗り、姫路まで。姫路に着いたころは雨。バスでセントラルパークへ。13時の公演には間に合う。メンバーと久しぶりの再会。今日が最後ということで、感傷的になっているメンバーもいた。
15時のショーがラスト。ラストショーはいつものように「ゼリョンヌィ(緑色)」ショー。メンバーが打ち合わせなしで、いろんな即興をする。ゼリョンヌィをいままでも何回も見ているが、今日のショーは感動的ですらあった。
ライオスのジャグリングの時に、いつもアシスタントをするキャシーの代わりに、ミーシャが女装して受け渡しをしたのには笑ってしまったが、そのあとが問題だった。
いつも通り10個のリングのジャグリングを成功させ、引き上げようとした時に、7人のメンバーが一本一本クラブを持ち、待ち構える。もちろんなにも知らされていないライオスはびっくりするが、みんなから一本ずつクラブを受け取らざるをえなくなる。彼はいままで練習では7本のクラブのジャグリングをしてきたが、ショーではやったことがない。それを知っていたメンバーが、それにトライしろというのだ。
ジャケットを脱いで、7本のクラブにチャレンジするライオス。自分の隣ではジーマが一緒に見ていたのだが、7本を放り投げた時に、できるできるキャッチしろと叫んでいた。2回のチャレンジは失敗。たぶんライオスのなかでは、3回でやめようと気持ちがあったのだと思う。キャシーがタオルを持ってきて、手をゆっくりとぬぐったあと、3回目の挑戦。いい感じで上がったのを見て、ジーマは大丈夫だ、キャッチキャッチと叫ぶ。そして見事にライオスは7本のジャグリングに成功する。その瞬間自分も「オパー」と叫んだし、ジーマもなにかわめいていた。もちろん出演者全員が喜びの雄叫びをあげていた。鳥肌が立つような瞬間だった。
思わず涙が出そうになった。みんなの暖かい友情と励ましに、見事答えたライオスも立派だったが、それを応援していたメンバーもあっぱれである。「ユーローサーカスファンタジー」の出演者全員は、今回一緒に仕事するのは初めてだった。およそ4カ月間でみんなほんとうに仲良くなった。そのチームワークが導いたものだったように思える。すばらしい連中だ。
公演後撤収、案外早く終わる。セントラルパークのスタッフの人たち3人とお別れしてバスに乗り込む。バスがゲートの前を通り過ぎようとすると、そこに30人以上の人が、さよならと手を振って立っているではないか。みんなもバスを止めてもらい、手を振ってお別れ。これもまた感動的なシーンだった。
19時半から「笑笑」で打ち上げ。そのあとイーゴリの部屋でまた飲み直し。みんなが口々に言っていたのは、いままでの長いサーカス生活のなかで、こんなに和気あいあいと仲良く仕事できたのは初めてだったということ。こんな仕事を与えてくれたことに感謝するということだった。俺たちはもちろんまた次の機会に日本に来たいが、そんなことはどうでもいい、ここでこんな風に出会えたことがなによりうれしいことなのだという。
こんな話をきいているうちに、何度も涙ぐんでしまった。俺も年になったものだ。ずいぶん飲んでしまった。
1時すぎにホテルに戻る。

2003年11月4日(火)

6時に目ざましをかけていたのだが、目が覚めたのは6時半すぎ、あわてて髭だけ剃って、メンバーの宿舎へ。もうほとんど荷物はパスに積み込まれ、おくりにきたセントラルパークのスタッフと別れを告げていたところだった。そして全部荷物を積んだあとは、関西空港から帰るライオスとキャシーと別れを惜しむことに。これからいくつの別れが待っていることか、すっかり仲良くなっただけに別れは寂しいものになる。
予定を少しすぎて、7時10分にバスが出発。当然のことながら、みんなすぐに睡眠体制。このバスには何故かバスガイドのお姉さんも乗っていたのだが、なんとかコミニケーションをとろうとして、ロシア語を使おうとする。そのたびにこっちの席にきていろいろ聞いてくるもんだから、うっとおしくてしかたがない。
結構いいペースで走る。途中4回トイレ休憩をして、16時すぎには品川に到着した。残念だったのはガスっていて、富士山を見せられなかったことだ。みんなビデオを構えて楽しみにしていたのだが、天気ばかりはしかたがない。
予定より早めに品川に着いたので、チェックインを終えたあと、今日のうちに両替をすることにした。奥さんに教えてもらった19時までやっている、渋谷の東京三菱銀行のトラベルカウンターに4人を連れていく。ちょうど人が混み合う時間帯になったところで、山手線に乗った4人はあまりの人の多さにあぜんとしていた。
18時前には、両替を終え、ホテルに戻ることに。自分はそのまま品川から家路へ。かなりへばってしまった。

2003年11月5日(水)

いつもよりちょっと早めに家を出て、品川プリンスへ。8時半ビーコをのぞくアーティストがミーシャとマーシャを見送るために、フロント前に集まる。
バスに乗り込むまで別れを惜しむ。自分も残るメンバーとはもう会えないので、お別れ。バスが発車してからあとも、みんな手を振って別れを告げていた。ほんとうに仲の良いグループだった。
10時半成田到着。2時間ほど出発が遅れることがわかる、ただチェックインははじまっていた。極真会のメンバー10人ぐらい、それとバレエのグループが30人ぐらい一緒。バレエ軍団は、空手軍団の3分の1ぐらいの横幅だった。
気になっていたエクセスも、前に購入していた30キロ分の料金ですむ。時間があるので、少しお茶を飲む。ふたりはもう帰国モード、なによりも1歳半の子供に会えるのが楽しみのようだ。12時ぐらいにふたりにお別れ。
スカイライナーで東京へ。今日から六本木でジンバブエブラザーズの公演がはじまるので、大野とかなちゃんは現場。
会社でメールのチェック、精算を済ます。
帰国第二陣は、今晩22時。空港に見送りに行った辻君から電話が入ったのは20時半すぎ、やっとチェックインが終わったところだという。早く終われば野毛で打ち上げとも思ったのだが、これでは無理。今日の打ち上げは諦めることして、帰ることにする。
結構雨が強くなってきた。

2003年11月6日(木)

やっと落ち着きを取り戻した通常業務の生活。久しぶりのことだ。カザフの連中の帰りの準備をしなくてはならない。まずは航空券のリコンファームの手配。
来週の小出の公演の準備もある。昨日マスコミ回りをしてきた小出に連絡、三社回ってきたという。軽く舞台の打ち合わせもしたとのこと。舞台のことはまかせて、あとは切符売りに励むことだ。
ダスバトゥイリョフの親父から頼まれたミシンの部品の件で、電話。五年以上前に買ったもので、あるかどうか心配だっんたが、型番をいったら、あっさりと手配してもらうことになった。
そろそろフール祭の準備に本格的にとりかからないといけない。いままで頭がそこまで回らなかったが、あまり時間も経っていない残っていない。
今日は18時であがり。

2003年11月7日(金)

出社前に立ち寄り。神彰の自画像をお借りする。ちょっと見せてもらったのだが、すばらしい絵だった。18歳の時に描いたものだが、画家を志しただけのことはある。
びっくりした。貴重品なので、タクシーを拾って会社へ。
昼過ぎにいつも本の装丁をしてもらっているNさんが来社。神の本で使用することになっている「血と薔薇」の表紙の写真を撮影したポジを持ってきてくれた。Nさんにも自画像をお見せする。傑作だねえと一言。
帰る時も、「今日はいいものを見せてもらいました」と言い残していった。
貴重品なので、すぐに出版社に届けることにする。渡しした上で、ちょっと打ち合わせ。そのまま六本木ヒルズに向かう。
15時からのジンバブエブラザーズの公演を見る。なかなかテンポがあっていい。25分のショーなのだが、切れ目なく、アクトが続くので見ていて飽きない。この前の静岡で見た、パワーボムなんかが見たら、いい勉強になるだろうなあ。
後片付けを手伝ったあと、ホテルオークラに向かう。
神彰の件で、以前取材させてもらったK氏と会う。また面白い話をたくさん聞かせてもらった。
今日は神デーだった。

2003年11月10日(月)

朝から雨。しかし昨日の選挙結果はなんだったのだろう。自民党が負けたというわけでもなく、民社党が勝ったというわけでもなく、結果的にはなんの変化も生まれないということになるのではないか。
投票率が悪かったのも、国民がこのままでいいと思ったからなのだろうか。腑に落ちないなあ。
久々にミーティング。フール祭について打ち合わせ。冬休みは、12月23日から1月5日までということになった。今年はよく働いたし、休みもあまりなかったもんなあ。
ゆっくり休ましてもらおう。
先日頼んであったミシンのペダルと電球が届く。土曜日にリトルにいった時に渡せる。
リトル組の最後の支払いの件について、バウカに確認のメールを出す。この前バウカに会った時に、親父のハーリックのパソコンが燃えてしまって、メールが見れないと言っていた。パソコンが燃えるということはどういうことなのだろう。いずれにせよハーリックとは、メールのやりとりがいまはできないということだ。
夕方HEPから電話、金曜日に産経と毎日に小出の記事が大きくでたらしい。そして今日共同通信から電話で取材したいという話が来ており、つないでもらいたいとのこと。神戸新聞と京都新聞に告知がされるということで、メリットは大きい。小出の携帯に電話を入れるがなかなかつかまらない。たぶん電車の中なのだろう。
18時すぎ、電車からおりた小出から連絡、今日取材を受けてもらうことにする。
こうした記事が、どれだけ集客につながるかだろう。
19時前退社。

2003年11月11日(火)

朝出かけにテレビで、京浜東北線が止まっているというニュース。こういう時は振替輸送で、京急もかなり遅れがでてしまう。案の定15分ぐらい遅れてしまう。
ただ横浜から座れたので、読みかけの『見世物探偵が行く』をだいぶゆっくり読むことができたので、よしということにしよう。
来春のプレゼンのための打ち合わせが、来週に決まったので、誰を出すか打ち合わせ。いろいろな条件があるので、セレクトが難しい。
もう少し詰めることにする。
少し手があいたことで、サーカス村通信の発送のお手伝い。
18時にあがる。なんと穏やかな日が続くのだろう。

2003年11月12日(水)

二日ぶりに青空。リトルのシルクロードのビデオをダビング、クライアントに送る。
犬山に電話、バウカにギャラの最終支払いの確認。リトルに電話、来春の企画のことで、出演者の変更が出たので連絡。今日最終的な会議があるとのこと。
夕方電話をもらうことに。
15時半たばこと塩の博物館の学芸主任I氏と面会、先日来お願いしていたクラスノヤルスクで撮影したレザーノフの遺品とおもわれる品々について、意見を伺う。
ほとんどが中国製もしくは新しい時代のもので、レザーノフが持ち帰ったものだという可能性はほとんどないとのこと。ある程度予測されたことではあったが、がっくり。この結果を待っているクラスノヤルスクのアンナに報告しなければならない。
ちょっとパルコの本屋をのぞいてみる。まったく新しくなって、見ずらくなった。わりと好きな本屋だったのだが、もう行く気がしない。
携帯にクライアントから電話、いま日本を旅している吉本の漫才ゲリラをリトルでできないかという話をつないでもらいたいという依頼。
そのまま両国の気功の治療へ。リトルから電話。来春のサーカスが正式決定したという知らせ。良かった!
漫才ゲリラの話をする。原則オーケーとのこと、あとは直接話してもらうことに。
20時過ぎに帰宅。今日はブックレットの申し込みが合計15冊。すぐに送る手配。

2003年11月13日(木)

出版社に寄り、神の自画像を受け取り、借りたところにそのまま返却に行く。
11時半すぎに出社。たいした準備は必要ないのだが、明日の小出の公演の準備。
来春のリトルが正式決定したので、出演料ほか、細かい数字を出す。結構厳しい数字になる。航空券とか、荷物代を詰めないといけないだろう。
またこれからがたいへんだ。
出張の準備、今回は小出の公演のあとリトルに寄って、ギャラを払わなければならない。結構金額が大きい。2日間緊張しないといけない。
カザフの帰りのチケットの予約確認書をもらう。いろいろ不明点があるのだが、明日にしよう。
19時S社のT氏といつものそば屋で一杯。この前きた時に約束したカザフのそば実をプレゼント。マスターは一目見るなり、きたねえ。粉にしてそばにするわけでもないので、しようがない。一度これでそばを打ってみるとのこと。
23時すぎに帰宅。

2003年11月14日(金)

いつもよりちょっと早く家を出て、新横浜発のぞみ109号に乗車。電車で先日もらった筒井康隆と桂米朝の対談『笑いの世界』を読む。なかなか面白い。
11時40分新大阪着。小出たちと合流して、タクシーでヘップへ。明かりはもう仕込んでもらっているので、仕込み自体はあっさりしたもの。
15時半からランスルー。その間に弁当の買い出しやら買い物、そのうちに前事務局長のF氏が顔をだし、世間話。
18時半開場、顔見知りの人たちと挨拶。なんだかんだと100人以上の人が入る。最初は客席の反応も、いまいちというか、構えている感じがあったが、だんだんなじんでくる。
いいノリだったとおもう。初めての大阪公演としては成功だったろう。びっくりしたのは元気いいぞうが来ていたこと。
彼はいま大神楽の公演で、関西を回っているらしい。ぴあでこの公演をみて、駆けつけてくれたとのこと。
公演後ホテルにチェックインして、打ち上げ会場へ。大阪在住のパフォーマーや元気も加わった。
このあと二次会は、なんばのちんどんの華乃屋さんがやっている不思議なスナック。まただいぶ飲んでしまう。
近くのラーメン屋で締めて、ホテルに戻る。たぶん3時ころだったと思う。このラーメン屋は前から行きたいと思っていたところ。いかった美味しかった。

2003年11月15日(土)

8時過ぎに目が覚める。昨日どうも寝る前に、ラーメンを食べたのにもかかわらず、昼用に買っておいたパンを食べたようだ。胸焼けがしてしようがない。
昼過ぎに名古屋着、天気は快晴。雨が降るような話だったのだが・・・
13時の公演前にリトルに到着、バウカを呼び出しギャラの支払い、とにかくこれが気になっていたので、早く済ましたかった。バウカはこのまま宿舎に帰り、支払いの準備。
支払いが終わったので、これで一安心。公演前のメンバーのところに行って、挨拶。ダスバトゥイリョフに頼まれていたミシンの部品を渡す。
腹がすいてきたので、台湾亭でラーメンを食べる。2回目の公演のあと、次の仕事の件で、ダスバトゥイリョフたちと打ち合わせ。3回目の公演が終わったらレストランで一杯やろうという。
来春以降の企画の件で、K氏とレストランで打ち合わせ。
3回目が終わったあと、ダスバトゥイリョフの親父とジャグリングのリーダーのワレンチンとレストランで一杯やる。カツ丼が食べたかったようだが、メニューはめん類のみというので、生ビールとミートソースをオーダー。閉店まで飲みながら雑談。
17時のバスに乗って、帰る。
新横に止まるのぞみがちょうどあって、それに飛び乗る。なんとか座れたのはいいが、隣合わせの客がとんでもないおやじで、電光ででるニュースをいちいち大声で解説するのにはまいってしまった。ニュースが出てくるたびにあげる「アッ」という叫び声で三度ぐらい目が覚めた。
21時前に帰宅。

2003年11月17日(月)

ハーリックから久しぶりに電話があった。なんでもいま中国にいるらしい。リトルに出ている空中ロープの二人組を1月から中国で働かせることになったという。たぶんローマが働いているところ。
ビザをとるために、パスポートのコピーをFAXしてくれというので、朝一番でFAXを入れる。
出張の精算を済ます。
モスクワに何度かメールを入れるが、戻ってきてしまう。結局は電話することに。来年春の仕事のオファー。スケジュールは空いているとのこと。
ペーチャにも電話を入れておく。
来春の企画の予算書作成に本格的にとりかかる。ここからがいろいろたいへんになるわけだ。
漂流民の会の会報の件で、大野と何度かやりとり。パソコンはなかなか難しい。ズレが出てしまった。なんとか修正してもらい、原稿は完成、あとは印刷する手配をしなくてはならない。
18時にあがる。

2003年11月18日(火)

めざましの占いによるといい日になるはずだったのだが、朝出社していきなりトラブルが。先日借りていたものの一部がないという連絡が入る。あわてて撮影してもらったところに電話。確認したがないといわれる。おおげさに言えば、世界にひとつしかないもの、いっきょに暗い気持ちになる。
再度借り主に電話、絶対にどこかにあるはずと言われる。確かにあったことを自分も思い出した。再度調べてもらうようにお願い。およそ2時間後あったことが確認される。ホットする。
借り入れと返却は自分が立ち会ったのであり、大事なものなのに、確認しなかったのはミスだった。
なんとかおさまってよかった。
今度はコピー器のトナー切れ。いろいろやってみるがなかなかうまくいかない。電話の転送もうまく解除できないと、うっとおしいことばかり起こる。こんな日なのだろう。
ということで早々に退却。ペーチャから電話、先日送ったFAXのうつりが良くないという。ほんとうに今日はこんな日なのだろう。

2003年11月19日(水)

今日は大野と辻がお休みの日で、お留守番デー。ふたりとも六本木がはじまって、土日はずっと出勤が続いていた。
頼まれていたプレゼン用のビデオ作成に取り組む。
リトルのKさんから電話、オリエンタルアクロのナターリアが公演中に腰を痛めたらしい。火曜日が休みだったのだが、結局今日もダメということで宿舎で休養しているらしい。ちょっと心配。
カバチッタの収支をまとめようとしたのだが、チッタとの精算表が見つからない。最近こういうことが多い。いかんなあ。
結局探しついでに、机の引き出し整理。
いそいで提出しなくてはならない見積もり書があるのだが、エクセルがうまく使えない、これも中途で挫折。
16時すぎにトナーが到着、FAXが使えるようになる。モスクワにFAX。
19時すぎ新橋の焼鳥屋で朝日新聞のI氏と食事。氏がプロデュースした「笑いの世界」の話で盛り上がる。この数日間取り組んでいた朝日に掲載する記事について、だいだいOKということでホットする。これで少しは酒の量も減るだろう。
結局終電で帰る。座れたのはいいが、寝てしまい、あやゆく乗り過ごすところだった。よせばいいのに、また飲み直し。原稿書くので、連日深酒が続いていたのに・・・

2003年11月20日(木)

完璧な二日酔い。10時過ぎまで寝るというテイタラク。会社に電話して、昼過ぎになることを伝える。
12時すぎに出社。リトルのKさんに電話、ナターリアの具合を聞く。今日からもう演技をはじめているという。どうも軽度のぎっくり腰だったようだ。一安心。
明日のプレゼン用のビデオの制作。まあ今回も面白そうな番組が集まったのではないだろうか。
これができあがって、春の見積もりつくりで頭を悩ませる。18時会社を出て、赤坂のライブハウスへ。上海夜鶯のミュージカル仕立てのショーを見る。以前一千代のうなどんライブで見たことがある。
カバチッタの出演者に考えているので、ちゃんとしたショーを見たかった。ほんとうに雰囲気のあるグループだ。エノケンの歌に、上海演歌、蘇州夜曲も良かった。カバチッタにはぴったりのグループだと思う。公演後安さんにご挨拶。いきなりズドラーストヴィーチェと言われたのには笑ってしまった。
このライブハウスに入る時、「ほや・仙台」という看板が目に入り、気になったので、ここをのぞいてみることに。仙台というか石巻の方の出身のママさんがやっている店。
地元の食べ物が一杯。ついつい話し込んでしまい、結局この日は京急の終電にはタッチの差で間に合わず。
京浜東北線の最終の大船行きに乗る。新杉田からタクシー。1時帰宅。明日は久しぶりに野毛だ。

2003年11月21日(金)

午前中立ち寄り、まっすぐ六本木に向かう。ベドラムOZの13時からの公演を見る。チューブアクトのわりには、動きがあって面白かった。チューブがくねる時、見ていたおばちゃんが、一緒になって腰をクネクネさせるのが、愉快。

公演のあと、そのまま1時間ほど打ち合わせ。会社に戻ったのが、15時ぐらい。昼飯を食べ損ねたので、コンビニでお寿司を買って、食べる。

17時半すぎに会社を出て、野毛に向かう。渋谷から東横線に乗ったのだが、考えてみればこの路線、1月末でなくなってしまうわけだ。これから野毛に行くとなると、やはり京急になってしまうのだろうか、それにしても不便になることは間違いない。

万里へ。久しぶりに大野と福田さんと馬鹿話。石巻かほくの連載で福田さんのことを無許可で書いてしまったので、その事後報告をしておく。連載のコピーを渡しておく。

大野と神の本が出てからのデラシネでの広報活動について打ち合わせ。そのあといつものように『波の上』へ。

来年の東横線桜木町廃止にともなう、イベントのことで盛り上がる。自分が実行委員長に任命された。いろんなアイディアが浮かんでくる。こいつは楽しくなってきたなあという感じ。

24時すぎに帰宅。

2003年11月25日(火)

昨日の夜サーカス資料館入り。朝6時起きで、先生の膝の手術の件で、前橋の病院へ。8時半まで受付をするということで、6時半すぎに資料館を出発。
9時すぎにまずMRの撮影。先生も寝ていたというが、待っていた自分も待合室で寝ていた。このあとすぐに診察があるのかと思ったら、手術をするための検査をしてこいという。3カ所回る。
やっと診察になったのは11時すぎ。先生から手術についての説明。内視鏡をつかって膝の半月板の状態をみるということだ。先生も納得。このあと麻酔についての説明を受けてくれというので、麻酔科の先生のところへ。
全身麻酔がいいのか、半身麻酔がいいのかを中心に20分ぐらい面談。12時半すぎにすべて終了。先生が一番疲れたと思うが、通訳する方も、気を使ってしまった。麻酔、小水、腱、軟骨などなど、いろんな単語を覚えた。
このあと高崎の入管へ。すごい混みよう。51人待ちだった。近くのケンタッキーで食事したあと、自分は先に電車で帰ることになった。
先生が、今日はこんな日なのね、と言っていたが、あの調子だと17時前ぐらいまではかかったのではないだろうか。
高崎線で上野まで出て、今日はそのまま帰ることにした。

2003年11月26日(水)

10時出社。メールチェック、返事を書いたあと、オリエンタルバザールへ。リトルのメンバーから頼まれていたドラゴンの絵柄がついた着物を見に行く。店の人に許可をもらって、デジカメで撮影する。
会社に戻り、メールで送る前に、Kさんに確認の電話をいれる。ネットで見ていて、それで注文しようということになったらしい。それならそれで早く言ってくれよという感じだが、まあ荷物にならなくて良かったかもしれない。
モスクワのペーチャに図面をFAX。
来春のイベントについて、見積もりを作成。これでぶつけるしかない。かなりぎりぎりの数字になった。
朝日のI氏から電話、昨日の晩遅くに原稿をいれておいたのだが、最終的にOKをもらう。ほっとした。ここ数日はこれにかかりきりだった。
カバチッタの収支を作成。これもずいぶん時間がかかってしまった。
18時渋谷でU氏と落ち合い、二軒飲み屋をまわる。先日氏がプロデュースしたTVドキュメンタリー『霧のアリューシャンからの伝言』のビデオを見て、えらい感動してしまった。その話をめぐって盛り上がる。ほんとうにいい仕事だと思う。
終電一本前の電車で帰宅。神彰の初校のゲラが届いていた。活字になってくると、いよいよだなあという感じになる。
今週中に読まなくては・・・・

2003年11月27日(木)

アエロフロートに先生の帰国の便の予約を入れる。混み合っていると言われたのだが、先生が持っているチケットをFAXで送ると、優先順位がたかいチケットだったようで、予約がとれるとのこと。ひとまず安心。
この2、3日取り組んでいた見積もりが完成。チェックしてもらい、FAXでクライアントに送る。
今日はテンションが高いといわれる。朝日の原稿も書き終えて、ほっとしていたこともあったのかもしれない。
リトルにメンバーにあげるビデオをパルに変換してダビングする。
18時からブックレットを編集してくれたKさんと、T氏の慰労会をかねた打ち上げと称して、飲み会。
執筆者のひとりK氏と、いつも本の装丁をしてくれるNさんご夫妻も合流。楽しい飲み会になった。ちと飲みすぎたようで、一駅乗り過ごしてしまう。
次はこの席で話題になった野毛の萬里で、鶏煮込みそばを食べにいく会ということに。

2003年11月28日(金)

今日は歯の治療の日。お昼ぐらいまでかかってしまう。かなりハードな治療だった。13時すぎに出社。麻酔が効いていて、15時ぐらいまで口が夕不自由なままだった。
明後日からの出張の準備。
15時過ぎに東村から西田と関口さんが到着。今日はがーまるの公演と気功があるので、17時すぎに会社を出る。
クライアントから電話、来春のサーカス公演について、提出していた見積もりについての返事。だいたい合意という方向に。
17時半から気功、そのあと亀有襟に向かい、カレーを食べて、カメリアホールへ。小出、ダイ、手塚、光洋ちゃん、クレーパッチなど知った顔が・・。
公演終了後すぐ引き上げる。

2003年11月29日(土)

11時からサーカス村の総会ということで、8時半すぎに家を出る。秋葉原で降りなくてはならないのに、寝過ごしてしまう。
シアターχの会議室で、8名が集まっての総会。サーカス学校も少しずつ充実してきているのがわかる。
13時前に、総会を終え、デニーズで昼食。そのあとバラケル。せっかくここまで来たのだからということで、江戸東京博物館でやっている平賀源内展を見ることに。
今日が初日ということでなかなか混み合っていた。常設展のなかで、エノケン展もやっていることを知り、そっちも見にいく。これがなかなか充実していた。レビューの資料はとても参考になった。
浅草橋経由で帰る途中、携帯に電話。もうダメかと思っていた企画について、OKが出たという連絡。またちと忙しくなるかもしれない。
17時帰宅。

2003年11月30日(日)

8時すぎに家を出て、名古屋へ。13時すぎにリトルに到着。横浜を出るときは大雨だったが、こちらは雨があがったよう。千秋楽雨というのはなあ。
2回目の公演を途中から見る。ハーリックに電話してみるが、電話はつながらず。バウカに言って家に電話してもらうが、いつ中国から戻るかはわからないという。
台湾亭で昼食をとる。いよいよ15時から最後の公演。ダスバトゥイリョフの親父もいるせいか、おふざけはあまりなし。ただちょっと感動的だったのは、ローラーバランスのアルマーズの時。音楽をまったくかえて、袖で他のアーティストが集まり、声援をおくるなか、アルマーズがサッカーボールの上に板をしいて、その上でバランスをとるといういつもやっているアクトに代わり、さらに回るという演技を見せてくれたこと。あいつはたいしたやつだ。みんなというかアーティストはおお喜ぶ。この前のラヨスもそうだが、こんなゼリョンヌィイは見ていてて気持ちがいい。
公演後記念撮影のあと、撤収。やはりダスバトゥイリョフの親父が頼りになる。他のアーティストたちが、顔なじみと別れを惜しんでいるときに、もくもくと働いている。結局が彼が吊りものを全部外す。
17時半すべての片づけが終了。いったん宿舎に戻ったあと、19時15分に駅前で待ち合わせ、歓迎会をした居酒屋で打ち上げ。またしてもバウカが遅れてくる。これをダスバトゥイリョフの親父と待つことに。
リトルの人たちも今回の公演にはとても満足してくれたようだ。11月はかなりのお客さんが来場したらしい。これもサーカスの中身が良かったという評価をもらった。うれしいことである。メンバーも喜んでいた。
ここは21時半ぐらいでお開き、これから3日前に誕生日を迎えたオリエンタルアクロのナターシャの誕生日会をするために宿舎に戻る。道中ダスバトゥイリョフの親父とずっと一緒、いろいろクドクド同じ話を聞かされる。
岩の茶屋での二次会は、正直いってなにがおこったのかよく覚えていない。ダンスをしたような記憶はあるのだが・・・
あさがたホテルには戻ったようだ。


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