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クマのお仕事日誌

2003年12月1日(月)

一度フロントから電話で目が覚める。たぶん11時すぎだったと思う。部屋の掃除はしなくてもいいですねえということだった。
それからまたひたすら寝続ける。15時ごろいったん起きてシャワーを浴び、自販器でカップラーメンを買って食べる。また横になる。ほとんど死人だ。右足が痛い。なぜなのだろう。
18時30分になって着替え、おもむろにホテルを出る。もしかしたらということで、ハーリックの携帯に電話、やっと通じる。いま中国からちょうど帰って来たところだという。今回は22日間も中国にいたとのこと。しんどかったという。また近々中国に行くことになるので、そのときはお前を招待するから、一緒に来いという。
中国にはもうひとりの兄弟分ローマもいるし、それはぜひ行きたい。
19時すぎ、アルマーズ、ワーリャと空中のスベータとオーリャの4人、それと今日初めて会う、リトル大好き人間で、サーカス大好き人間のお嬢さんふたりと、通訳のKさんの8人で、魚民で合コン。
昨日の俺はひどかったらしい。上半身脱いで、服を振り回しながら、踊り狂っていたという。恥ずかしい。
足も痛くなるはずだ。あれだけ昨日飲んだのに、結局また結構な量を飲んでしまう。23時すぎに解散、駅前で練習しているダンスグループとお別れしに来たダウレットとばったり会う。
ホテルに24時すぎに戻る。冷蔵庫にあったビールを飲んで就寝。

2003年12月2日(火)

5時半すぎに目が覚める。6時にホテルを出て、宿舎へ。ほとんどバスに荷物が積まれてあった。来たときの2倍はある。エクセスがどうなるか、心配。
6時半すぎに宿舎を出発。ここでリトルのスタッフとはお別れ。
予定通り7時半前に空港着。ただフライトスケジュールをみると、9時半ではなく9時の出発。30分勘違いしていた。ということはあまり時間がないということだ。それに結構混んでいる。
なのに荷物検査でひっかかる連中が出てきて、せっかく完全梱包していたのを開けられている。問題になったのは、まずダスバトゥイリョフの荷物にあった日本刀のおもちゃ。そしてオリエンタルアクトのふたりの荷物にあったチャッカーマン。日本刀の方は、おもちゃということで事なきを得たが、チャッカーマンは没収。ということで、自分がもらうことに。
その間チェックインを任せていたバウカがなにか探しているのが、見えてきた。何事があったのかと思ったら、ソウルからアルマトゥイまでのみんなの航空券を、カウンターの上のコンピューターの上に置いたときに(普通のひとはそんなところにおかない)、カウンターのとこにあったわずかな隙間に落ちて、とれなくなったという。
ほんとうに最後までいろんなことをやってくれる。時間もないときにこんな騒ぎになってしまった。10分ぐらいして係の人が来て、ドライバーでカウンターのパネルを外し、やっと航空券をとりだす。
今度は荷物のチェックインで、どんどん時間がとられる。時計を見たら、出発15分前。130キロ分のエクセス料金を支払っているうちに、メンバーには手荷物検査のところへ進んでもらう。手荷物検査場はかなりの人ごみ。それでも連中はトイレになどのんびり行っておる。やっと全員集まったところで、9時ぐらい。もう出発時間だ。簡単にお別れ。
係員の人が誘導してくれて、なんとか早めに検査ということになったのだが、ここでもバンバン赤ランプがついて、再検査。見ているだけでもイライラしてくる。
最後のバウカにJALの人が付いていたので、彼らがたぶん最後だったと思う。やっと視界から消えてくれたときは、ホットした。帰ってくれたというのが実感だ。
バスで名古屋に出て、そのままこだまに乗って、帰宅の途へ。寝たかったのだが、神の原稿のゲラの読み直し。明日には戻さなくてはならない。
今日はこのまま会社に寄らずに、14時すぎに帰宅。ほんとうに疲れた。

2003年12月3日(水)

朝飯を食べている時に、仮歯がとれてしまう。昨日昼飯を食べているときにはずれて、夕方歯医者でつけてもらったばかり。仮歯といっても奥歯3本分なので、ないと食べるのに困る。ということで9時に電話を入れ、またつけてもらうことに。
2度も外れたということで、念入りに調整、結局10時半ぐらいまでかかってしまう。12時過ぎに出社。モスクワからFAXで来た図面をめぐって、打ち合わせ。こちらでチェックすべき点を確認する。
デラシネをちょっとのぞいたら、やたらアクセス数が増えている。なにがあったのだろう。
正月明けから来日するカザフの芸人さんの査証申請をしなくてはならない。必要書類、写真などを準備する。
18時会社を出て、千駄ヶ谷の駅前で弟と落ち合い、近くの居酒屋で一杯。これ効くぞと、ウコンの錠剤をもらって、少し飲んだあとに2錠飲む。
23時すぎに帰宅。漂流民の会員から、会報で紹介した善六死亡説はでたらめだという根拠となる資料のコピーが入っていた。

2003年12月4日(木)

今日は一日、正月に急遽出演が決まった芸人さんの来日のための査証申請書類つくり。契約書やら日程表やら芸歴書やら、つくるので丸一日費やす。
なんとか明日には入管にいけそうな感じ。
ただ問題は、飛行機があるかどうか、年末年始はかなり厳しいようだ。いろいろルートを考えないといけないかもしれない。明日入管に行けたとして、査証申請が完了するのは、たぶん今月末、年明け一番早く乗れる飛行機をなんとか探すということになるかもしれない。
押し詰まってからの仕事だからしかたがない。
18時半すぎに会社を出る。

2003年12月5日(金)

いつもより早く家を出て、まずは品川の入管へ。9時半ぐらいに着いたのだが、結構人が少なく、10時過ぎには受付。ただ同行する子供のことで、いろいろやりとりがあった。
前回もこれで申請したはずなのだが、いろいろやりとりはあったもののとりあえず受理してもらう。
このあと銀座に行き、いつもの床屋で散髪。和光の裏のラーメン屋「なかよし」で久しぶりにミソラーメンを食べる。
13時過ぎに出社。
急いでいた案件の査証申請が終わったのでホットする。春の企画の件で、ビデオを見ながらどれを出すかセレクション。もう何度か出しているのだが、ダメだしが出ている。
モスクワから電話、やっとこの一カ月ずっとやりとりしていた図面の件で、お互い納得することができた。
17時会社を出て、日吉の慶応キャンパスへ。『色即是空』というパフォーマンスショーを見る。15分押しではじまる。なかなかつくりが豪華。金かけているという感じ。
ただ寒い。19時半ぐらいに終了、横浜経由で帰宅。カザフからメール、契約内容について、注文が出される。
返事を書いてメールで送る。

2003年12月8日(月)

出勤前に、眼科に寄って、眼底写真をとってもらう。初めて行く病院だが、なかなかイヤな医者だった。眼底はまったく異常なしとのこと。
なんだかんだと1時間ぐらいかかってしまう。
12時前に出社。メールをチェックしていたら、リトルで働いていた空中アクロバットのスベータからメールが来ていた。うれしかった。彼女とは北九州以来2回目の仕事なのだが、今回はあまり話したりすることができなかった。
帰国する前の晩に一緒に飲んだのだが、それがとても楽しかったようだ。メールがもらえるなんて思っていなかった。
今週は3月からはじまるリトルのサーカスの準備にあてることになる。まずはアーティストとの契約書を作成。
先方にFAXしておく。
デスクの大野が、デラシネの更新をしてくれたみたい。しかしまもなくデラシネも4万件のアクセスになる。今年1月じゃなかったかなあ、1万件だか2万件のアクセスを記念してオフ会をやったのではなかったのだろうか。
たいしたものである。
18時会社を出る。

2003年12月9日(火)

10時出社。昨日に引き続き春のイベントの契約書と企画書の作成。昨日もらったスベータのメールに返事を書いて、悪戦苦闘の末なんとか送る。
今日は糖尿の定期検診。先月はだいぶ落ちていたのだが、今日の数字が良くない。11月はずいぶん飲んだもんなあ。せっかくいいところまでいっても、いつもこのパターンの繰り返し。
帰りヨドバシに寄って、ラベルを購入。2年ぐらい懸案になっている机の上に山積みされているビデオを整理するため。取りかかればそんなに時間がかからないはずなのだが。大野が家にあるラックを持ってきてくれたし、なんとか今年にはやっつけたいものだ。
桜木町ファイナルイベントの企画書をちょっと書いてみる。
19時万里で、「鶏煮込みそばを食べる会」。いつも本の装丁をしてもらっている西山さんが、何年か前に食べて、3回夢にまでみたというこのメニューを、みんなで美味しくいだきましょうという、相変わらず馬鹿馬鹿しい会。
西山さんは大満足。そのまま「波の上」に。みんなが帰ったあとも、ひとり残り、結局家に帰ったのは、2時半。

2003年12月10日(水)

朝9時目が覚める。うそってという感じ・・・。しかも今日は朝から大野も辻もいないので、ひとり。とにかくヒゲだけ剃って着の身着のまま家を出る。なんとか10時半すぎに出社。
飲み過ぎと寝不足で体調は最悪。春に提案町中の、最終的な見積もりをメールでクライアントに送付。4万件近くなってきたデラシネを見てみたら、なんと39999番目をあててしまった。危ういところ。
午後にめでたく、4万件突破。
フール祭の出演者のプロフィールをつくり直し、確認のためパフォーマーに連絡。チラシが来月早々できあがる、いよいよそこからまた忙しくなる。
今日は仕事にならない。18時過ぎに退社。途中気功の先生から電話、よくよく手帳を見たら、今日は治療の日だった。それを忘れるなんて・・・
今日治療してもらえば、どれだけ楽になったことか・・・、残念! 来週にしてもらう。
20時前帰宅。

2003年12月11日(木)

寒い日になる。契約書をつくって、メールでカザフに送る。カザフの日本大使館に電話して、年末年始の査証受付の日確認。結構タイトなスケジュールになる。
ただ今年になって、申請自体は3回目になるので、大使館の方も、事情を察してくれているのが、助かる。
あとの問題は飛行機、ソウル−アルマトゥイが週一便になったのが大きい。
今日も野毛へ。桜木町閉鎖イベントの打ち合わせ。だいぶ内容が見えてきた。
24時ころ帰宅。

2003年12月12日(金)

11時打ち合わせの場に直行。来春のイベントについて、最後の詰め。だいたい見えてきた。お昼過ぎに、出社。
カザフのハーリックに電話、かなりタイトなスケジュールになっているので、段取りの確認。
月曜日に手術をして、入院している先生に電話。術後の状態はいいとのこと。昨日手術の時のビデオを見ながら、ロシア語のわかるドクターが来て、説明してくれたという。
月曜日に退院するとのこと。元気そうだった。
来年夏の企画のため、連絡をとるように頼まれていたモスクワの芸人に電話。今年夏会った男。愛称と電話番号しか知らなかったので、本人以外が電話に出たら、説明するのがたいへんだなあと思っていたのだが、本人がすぐに出てくれたので助かった。
日本からいきなり電話が来て、びっくりしていたようだが、こちら側の提案を喜んでくれた。しかも今日は彼の誕生日だという。いい誕生日になったという。
18時会社を出る。

2003年12月15日(月)

昨日の夜フセインが逮捕されたというビックニュースが・・・。しかし新聞は休刊日。それにしてもブッシュがえらそうに言っている「正義」って何だ?という感じがしてならない。
そろそろ査証の申請でイライラしてくる。ここ2、3日のうちに来てもらわないと、間に合わなくなる。とりあえず大使館に提出する申請書類を作成する。
年賀状の準備、名簿の整理。
フール祭のチラシのゲラが上がってくる。情報が詰めきれないのが、いつも悩みの種なのだが、今回の裏面はすっきりして、見やすくなっている。
みんなで校正。出演者に原稿は送っていたのだが、返事がきてない人が何人かいる。連絡をとって確認。
夕方、金曜日に連絡をとったパフォーマーに細かい条件を書いてFAXで送るも、いかない。もう一度本人に連絡、確認したら番号をひとつ間違っていた。
数字の聞き取りは慎重にしないと。
自宅に帰ってから、先生から電話。退院したという。やはり家が一番と言っていた。

2003年12月16日(火)

査証の件で、朝方なんども夢を見る。こういう時の夢は、いつも自分の都合のいいような内容になっている。だからなんとなく嫌な予感がする。
ただ準備はしなくてはならない、DHLで発送できるよう準備をする。
連絡先がわからない芸人を探さなければならない。友人のひとりにメールを入れておく。なんとかこの2、3日で探さないと・・・。
午後2時を回っても、書留は届かない。ということは今日来ないということだ。最悪のことを考えて、来ない場合の対策にとりかかる。とりあえずクライアントに現状を報告。しかたがないよねえと言われて、少しホットする。
航空券の手配をどうするかについても考えておかないといけない。
年賀状の宛て先をチェック。明日ラベルをプリントアウトすることにする。
今日は先週忘れてしまった気功の日。治療中、時間にすればわずかなものだと思うのだが、爆睡していたようだ。
21時帰宅。
寝る前にメールをチェックしたら、今日朝だしたメールの返事が届いていた。ただしロシア語が全部文字化けしていて、読めないという。
明日電話してみよう。

2003年12月17日(水)

1月はじめに来日予定の芸人たちの査証の件がいまの一番の懸案事項。昨日クライアントにもしかしたら到着が遅れるかもしれないと報告したので、少しは気が楽になった。
とはいうものの、今日届いてくれたら、なんとかすべりこみセーフにはなるのだが・・・
年賀状用の宛て名シールをプリントアウトして、貼る作業を終わらせる。
3月からはじまるイベントが正式に決定。昨日から探している芸人さんはぜひものだといわれ、プレッシャーを感じる。
お昼過ぎに書留で査証の書類が届く。ヤッタという感じ。急いでDHLに連絡、集荷に来てもらう。ハーリックにも電話で連絡。航空券の手配をしてもらっているところにも連絡。現地の日本大使館に電話して、休日の再確認。23日もやっているということがわかる。これでほぼ予定通り来日できるだろう。クライアントにも連絡。
とにかくホットした。
18時から大森で打ち合わせ。食事をご馳走になる。品川駅構内の居酒屋で、辻君と飲み直し。
23時すぎに帰宅。斜め向かいの家の門柱に座っていた野良猫のミケが、「ニャー」と一声。「また今日も酔っぱらいか」と言っているように聞こえたので、「いいだろう飲んでも」と言って撫でようとしたら、またニャーと言って立ち去ってしまった。
ドイツにいるイリーナに電話、探している芸人の連絡先を聞き、電話。やっと本人をつかまえることができた。2月以降はスケジュールが空いているし、ぜひ仕事をしたいという。良かった。これで一安心。
そのまますぐに寝ればいいのに、安心したので、またバーボンを二杯飲んでしまう。

2003年12月18日(木)

やっぱり昨日飲みすぎたようだ。8時すぎに目が覚める。結局1時間近く遅れて出社。
神さんの本宣伝用の原稿を書かなくてはならないのだが、何度書き直しても、イマイチの内容。
携帯に迷惑メールがすごい勢いで入ってくる。アドレスを変えることにする。これを知らせるメールを出す。といっても5人しかいなかった。考えてみれば、この5人以外のメールを受け取り拒否にすればよかったのかもしれない。
1月に来日するメンバーの航空券の受け取りについて、連絡をもらう。現地でピックアップになりそうだ。
結局原稿は書けず。ほんとうは今日漂流民関係で、ロシア人と会うことになっていたのだが、行くのを諦める。
18時過ぎに、会社を出る。

2003年12月19日(金)

水曜日に送ったDHLの行き先をネットで追跡すると、とりあえずベルギーまでは行っていることが判明した。
した。なんとか月曜には着いてもらいたい。
来春3月からのイベントの件で、契約書その他資料を一式送っていたので、それについてクライアントと確認の電話。
年明け早々に、契約締結ということになる。
13時過ぎ会社を出て、新橋の内幸町ホールへ、小出の公演を見に行く。昨日は満杯、今日の夜もほぼ満杯だという。昼間も半分以上入っていた。顔見知りのパフォーマーが何人もいる。
一番うしろの席で見る。
公演後すぐに、会社に戻る。年賀状書きの続き。
18時45分ワゴン車で会社を出発。東村の資料館をめざす。途中西田から何回か電話、東村は雪が降りはじまったようなので、それを心配しているようだ。
途中ドライブインでトイレ休憩をしただけで、9時半ぐらいには資料館に到着。やはり寒い。
西田がつくってくれていた夕食を食べながら、軽く一杯。23時すぎに就寝。

2003年12月20日(土)

7時半一番遅く起床。雪がぱらついている、しっかり朝飯を食べたあと、西田と辻は早めにサーカス学校へ向かう。こちらはやることもなく、ストーブの前でうたた寝。
12時資料館を出発、サーカス学校へ。この頃から雪が本格的に降り出す。午前中は時折ぱらつく感じだったのだが、かなり本格的な降りになっている。
ビデオのセッティングなど、準備をする。とにかく寒い。
14時の公演スタートの頃は、かなり積もりはじめた。でばなをくじくような雪のせいか、お客さんは少ない。この雪じゃしかたがない。
約1時間40分のショー。本格的なサーカスショーになっている。みんなこれだけ腕をあげたのだ、たいしたもんである。
問題は雪、もうかなり積もっているし、車はすっかり雪で埋もれている。車で来た人は、もう帰るのはあきらめている。中には自転車で来ているひともいた。
とりあえず宴会が開かれる予定になっている国民宿舎に、バスと車で送ってもらうことになった。
18時半から打ち上げ、生徒たち、わざわざ今日の公演を東京から見に来て、泊まるつもりだった人のほかに、帰れなくなった人が集まっての宴会になった。中には、来春からサーカス学校に入ろうとしている人たちも4人ぐらいいた。最初は初対面の人が多いということで、自己紹介を兼ねて、感想などをひとりひとり言うことに。
あとは無礼講ということで、カラオケ大会。かなり盛り上がった。22日に誕生日を迎える校長の西田に生徒たちからプレゼント。西田も関口さんも幸せそうだった。
いい会だった。途中雪のせいなのか、何回か停電になる。部屋に戻って、露天風呂につかろうと思ったが、ちょうど掃除で閉鎖中。諦めて、24時ぐらいに就寝。
明日どうなるかは、神のみぞ知るだわなあ。

2003年12月21日(日)

7時過ぎに目が覚める。またいつものようにいびきがうるさかったようだ。西田は今日どうやって戻るかの対策に走っている。
車で帰るはずだっのだが、電車でわれわれは帰ることになった。風呂入って、朝飯を食べて、9時半に出るはずの路線バスを待つものの、雪のせいで、時間が大幅に遅れているようだ。結局ホテルの支配人が自らバスを運転して、りょうもう号の始発駅赤城まで送ってくれることになった。
あっという間に雪景色になっているのにびっくり。しかし快晴だし、気温も高くなっているので、急速に雪は溶けている感じだ。
11時36分発のりょうもう号に乗り、浅草まで。ほとんど寝ていた。
15時半帰宅。しかし東村から先生たちを乗せて車で来る西田と辻は、きっとたいへんなことになっているのだろう。
夕方モスクワのペーチャから電話。

2003年12月22日(月)

今日が予定では仕事納めの日、ただ掃除なんかできるのだろうかという感じで、仕事は溜まっている。
13時に原宿で打ち合わせ、1時間ぐらいと思っていたのだが、結構かかってしまう。これでもう掃除は無理。
今日はDHLで、査証の書類がカザフに届く日。なんどもネットで追跡調査、昼過ぎに配達済になっていたので、一安心。
明日キエフに帰国する先生が、会社でビデオを見ている。机の前に積まれているビデオの山から、ビデオをとって見ては、いろいろ批評をしてくれる。こっちとら全然見る暇がない、この山積みのビデオを整理するのは懸案事項ではあるのだが・・
19時から両国のチャンコ屋さんで忘年会。ハーリックにその前に書類を受け取ったかどうか電話、受け取ったが、パスポートを持った芸人たちは明後日にならないと、アルマトゥイに来ないという。パスポートなしで、書類を受け取ってもらうかどうかわからないが、とにかくパスポートのコピーをもって明日大使館に行くように伝える。
あれだけ言っておいたのに。
美味しいチャンコだった。みんな二次会に向かっていたが、自分はまっすぐ帰宅。その前に先生とお別れ。

2003年12月23日(火)

カザフのビザのこともあったので、会社に行くつもりだったのだが、しんどくなってきた。家でごろごろ転がっていた。
15時過ぎに、ハーリックに電話、無事大使館に書類を出し、年内に査証がもらえることになったという。
これでやっと、やっと一安心。休みの体制に少しは気分が向いてきた。

2003年12月25日(木)

今日が実質的な仕事納めの日。10時半すぎに出社。メールを簡単にチェックしたあと、窓拭きをまずやり終える。それから自分の机回りの整理、昨日も掃除機はかけたのだろうが、もう一度自分の机のまわりを掃除機をかけて、13時過ぎに大掃除終了。
航空券のことで、カザフからメールが届いていたので、電話をする。ソウル−関空のチケットがないという。これはソウルからDHLで送っている。手配してもらっている会社の情報だと、今日か明日には届くはずという。アカウントナンバーを聞いて、それをカザフにメールで知らせる。
メールがつながらないドイツにいるアーティストに、FAXを送っておく。桜木町ファイナルイベントの企画書をコピーしておく。昨日いいのができたのだが、何故か紛失してしまった。あういうのは結構効く、もう慣れたけど・・
大野も出社してくる。自分の年賀状を作成する。今年は1月に出る神彰の本の表紙をつかわしてもらう。来年は5日から大阪出張なので、出張の準備をして、今年の仕事は終わり。
17時すぎに会社を出る。
桜木町ファイナルイベントの打ち合わせのため、野毛へ。「波の上」で打ち合わせ。少しは輪郭が見えてきたのと、時間がないということはよくわかった。
20時すぎに、家からメール。トイレットペーパを買ってこいという指示。日ノ出町の京急は21時までやっているはず。
20時半すぎに店を出て、トイレットペーパを買って、家へ戻る。本の再校も終えたし、なんとなく一区切りついた感じになった。
明日からほんとうの冬休みになるわけだ。

2003年12月26日(金)

結子と冬休み恒例の朝散歩。小一時間近所を散歩。冨岡八幡に行く。
午前中は、部屋の整理。神彰の再校に関して、確認しなければならない点がいくつかあったのだが、その件に関して問い合わせいたところから、FAXが入る。
編集の人にこれをFAXで送り、電話で確認。これでこの件に関しては終了。
昼飯を食べてから、ジョギング。走っている時に、携帯に電話。今回も装丁をしてもらっている西山さんから、装丁を無事入稿したとの知らせ。
今回もいい装丁になった。出来上がりが楽しみ。
17時過ぎに家を出て、バスで磯子公会堂へ。かや子の冬休みコンサートを聞きにいく。今回はパート毎のアンサンブルが中心。パーカッションの5重奏は、金賞をとっただけあって、聞き応えがあった。パーカッション全員による一斗缶をつかった演奏はなかなか良かった。以前キャナルで呼んだトラッシュカンバンドのビデオを見て、つくったオリジナル演奏。親の贔屓目もあるのかもしれないが、今回のコンサートでは一番良かったと思う。
カバチッタのなかで、やっても面白いかもしれない。
20時終演後、近くのお好み焼き屋で夕食。

2003年12月27日(土)

朝飯を食べてから、紅葉が丘の県図書館へ。日ノ出町は、馬券を買う人たちで相変わらず賑わっている。
郷土資料室で、同人誌を閲覧、必要な箇所をコピー。神彰を終えて、次なるテーマに向かって、スタートを切ったわけだ。
思った以上に成果があった。
13時半すぎに図書館を出て、野毛へ。万里で昼飯を食べる。福田さんがいて、結局昼間からビールを飲むことに。桜木町のイベントについて、ちょっと話す。
だいたいの状況はわかってきた。
16時すぎに帰宅。
今日は、みんなで、クレヨンしんちゃんの『焼き肉ロード』を見る。今回のはなかなか面白かった。
年賀状書きを2時近くまでやる。今回は神彰の本の宣伝DMのようなもの。考えてみれば去年も神さんだったし、ちょっと顰蹙ものかもしれない。
年賀状書きが終わって、なんとなくホットする。

2003年12月28日(日)

今日は、昨日行けなかった冨岡総合公園に朝散歩。年賀状を投函。家に戻ってから朝飯を食べて、部屋の片づけ作業。
ファイル関係を整理、ずっととっておいたもので結局不要になったものをどんどん捨てていく。気持ちのいいこと。でもいつものことだが、あとで読むつもりだった、見るつもりだったものは、結局は不要になってしまうものばかり。読もうと思った時に、さっとでもいいから読まないとダメなんだよなあ。
義理の妹家族がやって来る。お昼を一緒に食べてから、ジョギング。やっと走るのに慣れたきた感じがする。
夕食は、隣で恒例の手巻き寿司。21時ぐらいにモスクワのペーチャから電話。夏の企画の件と、リトルに出演するアーティストのことで、問い合わせ。
この日も2時ぐらいまで起きて、整理に勤しむ。


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