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クマのお仕事日誌

2004年2月2日(月)

土曜・日曜と二日間、飲兵衛ラリーの後遺症で、ほとんど寝たきり老人になっていた。しかもまたぎっくり腰の兆候も・・・。
なんとか8割ぐらいに体調が戻る。しかしなあ、自分でオールナイトなんていったけど、寄る年波には勝てないということだろう。
オスマンたちの帰りのフライトがキャンセルになったことで、ちといろいろとたいへん。オスマンからは、タシケントからアルマトゥイ経由ではなく、ビシュケクに行けないかというリクエストが出されたのだが、便はあるものの、満員だという。
しかしカザフのフライトはいろいろたいへんだ。とりあえずウェイティングにしてもらう。
3月のイベントの件で、契約書を速攻でつくり、クライアントにFAXで送る。
秋の企画の件で、素材集め。いろいろとやることはある。
19時過ぎに退社。

2004年2月3日(火)

やっとふだん通りの体調に戻る。ということで元気に出社して、まずは昨日つくった書類をプリントアウトとコマンドをだすものの、プリンターがまったく反応せず。用紙つまりと出るのだが、どこにも詰まっているようすはない。30分ぐらいいろいろいじくっていたが、なんともならず。見るに見かねて、辻も加わり見てくれる。そして確かに微妙なところに紙が詰まっているのを発見。ただこれをとるためには、全部ばらさないならないよう。ここでついに西田が加わり、解体作業を行い、見事に詰まった紙をとりのぞくことに成功する。
かなり前から詰まっていたようだ。およそ1時間プリンターに振り回されたことになる。
書類を印刷して、やっと一段落。さあこんどはカバレットシャーレのビデオをダビングしようと思ったら、デジの方が、途中でどうしても止まってしまう。原因不明。別のデジに換えてダビングすることにした。ここでもおよそ1時間のロスがあった。今日はこんな日なのかもしれない。
結局この日はやろうと思ったことの半分ぐらいしかできなかった。
野毛の一千代で恒例のふぐ半額セールが金曜からある。その予約の電話を入れる。「大島です」というと、「町内会長さん?」と言われる。いつも間違われる。大島という会長さんがよく鰻の出前を頼むらしい。今度電話するときは、「町内会長じゃない大島です」ということにしよう。
17時半会社を出て、気功へ。ちょっとぎっくり気味だったのだが、左足の太股の凝りが原因ではないかということを言われる。ジョギングを再開して2カ月ぐらいになるのだが、走りかたがおかしいのかもしれない。
気持ちよくなって、21時過ぎに帰宅。
しかしデラシネのアクセスがすごい、また100を越えた。飲兵衛ラリーも終わったのだが、昨日『虚業成れり』を買ってくださいメールをあちこちに送ったので、そのせいかもしれない。

2004年2月4日(水)

駅までいく散歩コースのひとつ、杉田の梅林を久しぶりに通っていくと、梅が結構咲き始めている。このまま暖かくなってしまうのだろうか?
出社して、まずカバレットシャーレのビデオをダビング。それからフール祭関係の資料をあちこちに送る。マスコミ対策、動員などをポチポチやっていかないといけない。
それを終えて、フール祭のプレスリリースを送るために、週刊誌と新聞のマスコミリストの整理をはじめる。かなりリストが古くなっているのと、関係ない人たちもいるので、それをこの際思い切って整理することにした。
これに今日はほとんどかかりきり。
17時半会社を出て、N氏と会うまでのひとときを銀座の本屋まわり。教文館も旭屋書店も、新刊コーナーではなく、岩波コーナーに置いてあった。なかなか新刊コーナーに置いてもらうのは難しい。ただ広告を見て、買いたいという人は、岩波コーナーに行けばいいわけだから、そこにあることはある意味で確実に買えるというわけでもある。
いままで5冊の本を出しているのだが、一度ぐらい自分の本を本屋で買うのを目撃したいなあと思っていたのだが、旭屋書店で、それを目撃することになった。ひげを生やしたおじさんが、レジで『虚業成れり』を購入していた。じっと見ていたら、にらみかえされてしまった。
18時半N氏と一年ぶりぐらいに会って、一杯やる。お互い近況は自分の身体のことからはじまる。年だわなあ。
22時すぎに帰宅。

2004年2月5日(木)

フール祭のマスコミリストを完成させ、プレスリリースを発送する。もう少し細かいパブリシティーを考えなくてはならないだろう。
去年末からずっと打ち合わせていた、3月の大阪のイベントが、やっと正式に決定になる。これからかなり巻きでやらないと、たいへんだ。
秋用に、提案しようと思っていたビデオが届き、みんなで鑑賞。こちらが意図しているコンセプトにはぴったりだ。すぐにスケジュールを聞くためメールを出す。
18時に会社を出て、横浜の本屋をのぞいてから帰宅。最初に行った西口の栄松堂が、改装中で閉まっていたのにいやな予感。
ポルタの丸善、ルミネの有隣堂、いずれの本屋さんにも置いてなかった。ちょっとショック。もう一軒上大岡の八重洲をのぞくも、やはり置いてなかった。
地元なのに、冷たいよなあ。
21時前に帰宅。

2004年2月6日(金)

午前中立ち寄りして、12時過ぎに出勤。急に決まった仕事のため、スケジュールの確認をしなければならなくなる。あちこちに電話。
それとビデオを探し。だらしないものだから、探すのに一苦労。なんとか探していたものを見つけることができた。
会社を出る前に、フール祭がらみで提案していたことの回答が来る。この調整のためにまたあちこちに電話。
渋谷から野毛まで行くのに、はじめてみなとみらい線を使う。馬車道でおりるのだが、まず料金が高い、200円近く高くなった。それと馬車道から野毛までの道がわかりずらい。やっぱり京急で日ノ出町だなあ、これからは。
楽しみにしていた一千代のふぐ半額セール。しかし途中から福田さんが連れてきた人たちに議論をふっかけられ、ふぐをゆっくり味わうところではなくなった。ちと残念。
流れで「波の上」に。結局3時近くまで飲み、考えてみたら先週の飲兵衛ラリーと同じぐらい飲んでしまうことになる。

2004年2月9日(月)

金曜日の深酒がたたり、また先週同様週末は寝たきり老人になってしまった。なんとなくブールな週末だったが、気をとりなおすべく、気持ちを奮いたたせながら、出勤。
フール祭の告知をデラシネのトップにもってきたせいなのだろうか、カウンターが朝からすごい勢いでまわる。結局いままでの最高アクセス数になった。
フール祭のバブリシティーの件で、知り合いの記者に電話、学芸欄の担当者にとりついでもらうようにお願いする。
ロシア語の契約書を作成する。キエフの先生に電話、いろいろお願いごとをする。モスクワに連絡、探してもらっている芸人さんについての確認。いい芸人さんがいたようだ。すぐにビデオを送ってもらうようにする。
先週送った在留資格認定書も届いたとのこと。
18時すぎに退社、新宿の滝沢で、Hさんと会う。21時すぎに帰宅。

2004年2月10日(火)

来週後半から大阪出張が控えているので、フール祭のことをいろいろやらないといけない。まずはパブリシティー。
いまは新聞もスペースが限られているので、早めにやらないといけない。それと招待リスト。2月はあっという間に過ぎていく。早め早めに動かないと。
春に来日するウクライナの芸人さんの契約書を作成し、明日からキエフに行く西田に渡す。
18時会社を出て、新宿の末廣亭の隣にある『昆布や』という飲み屋へ。今回の本のお祝いを内輪でやってもらう。このところ本のことでは、いろいろあって、結構へこんでいたのだが、楽しい宴で、ずいぶんすっきりした。
なもんで、またかなり飲んでしまった。あとの方はかなりくどくなっていたように思う。ほぼ最終で帰宅。でもいい飲み屋さんだった。酒を飲むための店で、最後はうどんで締めるというパターン。

2004年2月12日(木)

やっと体調も戻り、久しぶりにさわやかな感じで出社。3月大阪でやるイベントの契約書を作成し、送付。
フール祭が終わってからのBPズームの公演について、最終的な詰め。今回はフル公演はできないが、ワークショップと、チョイ出演の話がここへ来て、浮上、その詰めをする。
昼食後大泉学園へ、懸案事項のひとつだった『虚業成れり』の取材で世話になった、木原さんのところに資料の返却と、できあがった本を届けに行く。大泉学園周辺の風景が一変したのにびっくり。
木原さんはずいぶんと年老いた感じになっていたが、出版を喜んでくれたのがなによりだった。
16時前会社に戻る。先日提案していたロシアのクラウンについて、いい感触という連絡。問題はスケジュールがわからないこと。何度も連絡しているのだが、留守電になっている。
彼らからもらっていたビデオに、もうひとつ電話番号があったので、ここに連絡。いまアラブ首長国連邦で公演していることがわかった。17日にはモスクワに戻ってくるという。携帯の番号を教えてもらう。何度もこの電話にかけるのだが、つながらない。
もしつながらなければ、夕方にもう一度電話くれという話だったので、家に帰ったら電話することにする。
20時前帰宅。夕食後モスクワに電話、スケジュールが空いていることを確認。良かった!

2004年2月13日(金)

10時出社、フール祭の動員の件で、カバチッタで世話になった方に電話、都内の労組を紹介してもらうようにお願いする。
13時すぎに会社を出て、昔世話になった会社へ。『虚業成れり』で世話になった大川氏に、できあがった本を渡す。二十年ぶりぐらいで、奥さんとも再会。いろいろたいへんそうだったが、相変わらず元気そのものだ。
16時鴬谷の事務所へ。1時間ほどいたあと、時間が余ったので、東京駅に出て、大丸の上の三省堂と八重洲ブックセンターを視察。三省堂には残念ながら本は置いておらず。
驚いたのがブックセンター、入ってすぐの新刊コーナーの一番手前のところに平積みされていた。しかも沢木耕太郎の新刊書の隣。ちょっと感激!
19時神楽坂のそば屋『ちくま」へ。今日のメインイベントは、去年暮れに渡したカザフのソバの実を打ったものを試食すること。
しかし粉にして、練ってもらったはいいが、やはりソバにはならず、今日はそばがきにしたとのこと。なんともワイルドな味だった。相当脅かされたが、食えないものではない。同席していた出版社のYさんが、あまった粉をもらうことに。これを一体どう料理するのであろうか。
楽しくほどほどに飲んで、そばで締める、これが一番いい。
24時前には、帰宅。

2004年2月17日(火)

昨日歯医者に行ったら大事になってしまい、治療で半日かかり、結局会社を休むことに。しかし顎がはずれるのではないかというぐらい、ガンガンやられてしまった。
10時蒲田のF社を訪ね、フール祭の売り込み。委託で販売してもらうことになったが、ここで思いがけなくいい情報を得る。三百人劇場の近くに系列会社があるという。さっそく紹介してもらうことにする。
以前メールでビデオを送りたいと言ってきた芸人さんからビデオが到着、さっそく見る。久しぶりに迫力のある演技に、何度か声をあげてしまった。
昼過ぎ前夜祭に出演するチャイソンズの安西君がチラシをとりに来社。キエフから西田が帰国。暖冬ということだったのだが、急に寒くなり、けっこうな雪になったという。
西田が、朝見たビデオの芸人さんと会ってきて、実物のショーも見たという。やはりすごかったとのこと。どこかに入れたいものだ。
サンケイ新聞のH氏から電話、フール祭の記事掲載が決まったという。
辻から電話、紹介してもらった劇場のちかくの会社に打ち合わせに行ったら、50枚買い取ってもらったという。
日本に戻ってきたハドガーに電話、来週会うことにする。
気功の治療に両国へ。足がぱんぱんに張っていたようで、いつもより長めの治療になる。ずいぶん楽になった。
21時すぎに帰宅。夜携帯にラトビアから電話、芸人さんの売り込みだった。

2004年2月18日(水)

通勤途中に必ず会っていた犬を散歩させている婦人がいたのだが、この3カ月ぐらい見かけることがなく、ずっと気になっていた。犬でも死んだのかとか、病気でもしたのかと、勝手な妄想をしていた。今日は、朝早い打ち合わせがあったので、いつもより15分ぐらい早く家を出た。そこでこの婦人を見かけ、なんとなくホットする。ポニーテイルの髪をばっさり切っていたのが気にはなったのだが・・・
9時半大森の事務所で、フール祭の券売の打ち合わせ。こうした初めて会う、クラウンのことなどにまったく知識のない人たちと話をすることは、とても大事なことだと思う。1時間半ほど話し込む。一般の人たちをどんな風にして、劇場まで足を運ばせるか、それがポイントになるわけだからこうした営業活動は、重要だと思う。
12時前に、出社。昨日電話が来たラトビアにFAXを送る。フール祭の招待の準備。
ハーリックにメールを送る。明後日から1週間ほど会社を留守にするので、やらなくてはならないことを処理。
今日はW杯の予選のオマーン戦。18時に会社を出る。帰りの電車が結構混んでいるのもテレビ観戦する人が多いということなのかもしれない。
俊輔がPKを外すところから見る。しかしよくロスタイムで点をとれたものだ。

2004年2月20日(金)

今日から大阪出張、支度にちと時間がかかってしまう。歯医者に寄って、化膿止めの薬をもらってから、出発。新横浜からではなく、品川から新幹線に乗る。
名古屋までは完全熟睡、大阪までもってきた本を少し読む。梅田のとんかつやで昼飯を食べ、14時半から春のイベントのための打ち合わせ。NGK前のジュンク堂を覗いてみる。新刊コーナーでは『虚業成れり』は見つけれず。
会社から電話、やっと待っていた空中ブランコのビデオが届いたという。
17時NGK前で、西田と落ち合い、Y社で打ち合わせ。
19時過ぎからゲストハウスで、オスマンたちとウォッカパーティー。15人ぐらい集まりにぎやかな飲み会になる。
ウォッカ、ビール、焼酎、ワインのチャンポンをしたあとに、近くのバーに繰り出し、バーボンを飲む。締めは、NGK近くの自動販売機でビールを買って飲む。自動販売機はやっていないと言ったのだが、オスマンは大丈夫、やっているといってコインを入れると確かにビールが出てくるのにはびっくりした。電気は消えていたのに。
3時とか4時ぐらいだっただろう。

2004年2月21日(土)

西田に8時過ぎに起こされる。明日起こしてくれよと西田に頼まれてきたのに・・・。あわてて髭だけそって難波駅に向かう。どうも寝るとき眼鏡を左目に刺してしまったようで、目が痛い、涙が出てくる。
9時発の特急に乗って、関西空港へ。ちょうど飛行機が着いたころ到着。前回のトリオオスマン来日の時は、これからが長かったのだが、40分ぐらいでフランソワが出てくる。西田も迎えに来ていたので、フランソワは感激していた。
荷物もそんなにないので、電車で行くことにする。
12時前にゲストハウス着、それにしても今日は暖かいを越えて、暑い日だ、汗が出てくる。
いったん荷物を整理してもらい、一緒に昼食をとる。このあと西田と別れる。フランソワはかなり疲れているようだ。いったん休んでもらい、19時に一緒に食事に行くことにする。
こっちも二日酔いでヘロヘロだ。少し寝ようと思ったら、M氏から電話、打ち合わせをしようということに。
バーリャの部屋に寄って、ギャラを払う。アルマスとオーリャは、新体操の道具を買いに、三国へ。二日酔いで頭が痛いと言っていたバーリャが、ウォッカを買ってくる。これが一番いい薬だという。
テレビで日本と韓国のサッカーを見ながら、結局ふかりでウォッカを半分あけてしまう。
そのうちにアルマーズが戻り、19時になったので、ふたりも誘い、フランソワと一緒に食事をする。ちかくのお好み焼きへ。ふたりともフランソワがカワイイもんだから、まあ世話のやくこと。英語もバンバンしゃべる。
こんな一面があるとは、あいつらも男だとういことだ。
フランソワは眠そうだったし、食事のあとコンビニでちょっと買い物をして、すぐに部屋に戻る。こっちもヘロヘロ、シャワーを浴びて、ベットに横になり、そのまま寝てしまう。

2004年2月22日(日)

昼近くまで寝ていた。考えてみたらあまりまともな食事をしていないような気がする。朝飯兼昼飯をとることにする。前から行きたかったレストラン、自由軒で、織田作の好物だったという、名物カレーを食べる。具がなく、カレーチャーハンのようなご飯の真ん中に生卵があり、それとソースをかけて混ぜて食べる。なかなかの美味だった。
部屋に戻り、横浜女子駅伝を見る。15時フランソワの部屋をノックするが応答がない、しばらくしてもう一度しつこくノックすると、完全に寝ていたようで、スリップ一枚姿で顔をだす。もう3時だというとびっくりする。ずっと寝ていたという。
3時半すぎに道具を持って、NGKヘ。進行表をつくるための打ち合わせ。ビデオを見ながら、あらかじめ照明の希望などを聞いて、M氏が進行表を作成。それをコピーして、各スタッフさんに渡す。
18時過ぎからリハの予定だったが、ずいぶん押しているようで、その間フランソワはスタジオで練習。
19時前からリハ、一回通しでやってみる。音のきっかけがちょっとちがったくらいで、ほとんど問題なし。オスマンの時は、一回やってからがたいへんだったのだが、まあ簡単なものだ。
フランソワもスタッフさんが、みんなプロで、一回説明しただけで、一発で仕上げてしまうのに感激していた。舞台も素晴らしく、やりやすいと興奮していた。ACCからは、いつもいい仕事ばかりもらえるわとも。
舞台監督のSさんと、M氏、Hさんと4人で近くの居酒屋で食事。フランソワはずっと寝ていたわけで、これが今日最初の食事だったわけだ。
食事中に雷、へんな天気だ。
部屋に戻り、明日両替するかどうか聞きに、バーリャの部屋に行くと、日本人の友だちが3人来て、一緒に飲んでいた。小一時間ほど一緒にビールを飲む。
23時前に部屋に戻り、就寝。自分も時差ボケのような感じだ。

2004年2月23日(月)

トリオオスマンの最終日、公演は一回だけということで、彼らはお土産買いに走る。
時間が空いてしまったので、前から見たかった映画『この世の外で』を見る。開演前に朝飯兼晩飯をかっこむ。このところまともな食事をしていない気がする。
オスマン最終公演には、ゲストハウスのお母さんも顔をだす。自分初めて客席から見る。ほんとうに客席の反応はいい。アルマーズがローラーでわざと失敗するところでは、いいぞ2枚でなど声がかかる。
公演後、荷物の片づけ。はやいもんである。17時過ぎにはゲストハウスに戻る。
Tさんから電話、飯でも食いましょうということになる。
またかなり飲んでしまう。二軒目のナツメロバーで、何曲歌ったことか・・・・

2004年2月24日(火)

二日酔いで頭ガンガン、フラフラ状態。今日はフランソワの初日、オスマンの連中と客席で見る。いろいろダメだしがだされるが、大きな問題はなし。
きれいなジャグリングだし、後半のバトンのジャグリングは迫力がある。照明もきれいにつくられていた。
フランソワもほっとした様子。
オスマンの両替に付き合う。携帯に電話が入る。どうも14時に打ち合わせをする約束をしていたらしいのだが、忘れていた。
両替を終えて、打ち合わせ場所に。
2回目のショーが終わったあと、照明でもう少し工夫したいとの要望がだされる。フランソワもやってみたいが、リハが必要だろうということになる。
17時過ぎゲストハウスに戻る。なにもする気がおこらず、ベットに横になって、結局この状態で朝まで過ごすことに。

2004年2月25日(水)

目が覚めたのは9時、ベットから抜け出したのは10時過ぎ、14時間近く寝ていたことになる。フランソワの理由のない疲労病が移ったのかもしれない、というよりは二日酔いの延長だろうが・・・
やっと身体が通常の状態に戻った気がする。12時25分からフランソワのショーがあるので、その前に朝飯兼昼飯のチャンポンを食べ劇場へ。昨日のショーよりは動きもあったし、客席からも声がかかり、いい感じだった。公演後フランソワもやっていてエネルギーを感じたし、昨日よりはずっとテンションも高くできたと、満足気。
一緒にゲストハウスに戻る。あちこちにメールを送り、電話をするうちに、2時半。ワーリャの部屋に行くと、フランソワとアルマーズも来ていて、写真大会。
公演があるフランソワは、みんなにお別れ、アルマーズがなかなか離れようとせず、ワーリャにもうフィニュシュと言われる。
15時半迎えの車が来て、荷物を積み込む。ゲストハウスのお母さんが、別れの時、「みんなあかんたればっかりだったのが、いっぺんにいなくなると寂しくなるなあ」と涙ぐむ。みんなもお母さんのことは大好きだったし、ちと寂しそうだった。
16時半すぎに関西空港着。すでにチェックインもはじまっており、あまり待つこともなく手続き完了。
17時半すぎにゲートに消えていく。また今度は4月に再会ということもあって、あっさりとした別れ。
松屋でカレーを食べて、はるかと新幹線をつかい、名古屋へ。途中チャイソンズの安西君から電話。4月17日野毛の大道芸があるとき、またシャーレでショーをすることになった。山本光洋、小出、手塚、武井君、そして大阪の華乃屋さんを入れて「野毛的歌のアルバム」というショーをすることにしたのだが、それに出演してもらうことになった。
楽しいショーになるのではないかと思う。
21時すぎにチェックイン、しかし部屋の狭さにびっくり。朝食付で5500円だから、文句はいえないけど、イスがないので、パソコンも打てない。カメラを持ってくればよかった。こんな狭い部屋は初めてだ。こうなると寝るしかない。
23時過ぎには就寝。

2004年2月26日(木)

夜中2時ぐらいに目が覚め、しばらく寝れなくなる。フランソワーズの時差ぼけがうつったのかもしれない。長谷川濬の小説を一編読んだあと、眠りの世界へ。
8時すぎに目が覚める。久しぶりにしっかり朝飯を食べる。今回出張に出て初めての朝飯なような気がする。10時チェックアウト、バスの時間を調べて本屋さんを三件チェック。今回の本はいろんな棚にあるからおかしい。大阪のなんばのジュンク堂では企業のコーナーにあった。高島屋の上にある三省堂はノンフィクションのコーナー、駅前のジュンク堂はバレエコーナーにあったので、大衆芸能の棚にこっそり移動させておく。
11時半発のバスに乗り、長島温泉へ。40分ほどで着くが、その間ずっと寝ていた。しかし初めて来たが大きな施設だ。
公演会場は、大広間、すでにほぼ満席の感じ、みんな浴衣に着替えて飲んだり食べたりしている。楽屋を訪ねると、懐かしい顔。最初のモンゴルサーカスの水流星をしていたオユンナと、愛称江口君、それと二回目のモンゴルサーカスのストロングマンの愛称おっさんがメンバーとして来日していたのだ。再会を喜ぶ。
13時からショー。なかなかいい内容だと思う。公演後楽屋を訪ねて、しばし談笑。しかしモンゴルの人たちは、人懐っこい、コントーションの少女とストロングマンの男が真剣に遊んでいる。ハドガーも仲間と一緒なので、ずいぶんとリラックスしている感じだ。
15時のショーの前にみんなに別れを告げる。このまま帰ろうかと思ったのだが、せっかく来たのだし、一風呂浴びることに。
小一時間風呂に入って、名古屋行きのバスに乗り込む。今日はこのまま家に直帰。20時前に1週間ぶりに帰宅。
しかし今回は疲れた。

2004年2月27日(金)

久しぶりに出社。昨日ハドガーからもらったビデオをダビング、スポンサーに送付。7日に来日するハンガリーサーカスのスケジュールを作成、リトルに送る。こちらの準備もしなくてはならない。送迎のためのジャンボタクシーに料金その他を尋ねる。犬山のホテルをネットで予約。
午後ミーティング。おもにフール祭を中心にいろいろ仕事が重なる、3月・4月のスケジュールを確認する。しかし今回は見事に、フール祭とリトルがバッティングしてしまっている。自分はリトルに行かなければならないので、フール祭にはいないことになる。どうも自分はフール祭とは縁がないようだ。一回目も途中から大阪だったし、二回目もミクロバンドと一緒に大阪だった。今回は完璧にバッティングで、まったく立ち会うことができない。
今年は、内容も充実しているし、見たいものがたくさんあるのに、残念だ。BPは前に見ているのでともかく、初来日のオキドク2が見れない。バラデューはこのあと大阪でなんとか見れるのが不幸中の幸いか。今回は海外組もそうだが、国内組の公演が充実している、三雲やスティーブ・マーシャルといった実力派が、ステージ用にどんな新作をつくったのか興味があるし、オムニバスに出演するパフォーマーたちが、どんな作品を見せてくれるのかとても楽しみだったのに。
手塚君は久しぶりのステージだし、フール祭2回目のこうじも、シャーレでの作品がとてもよかっただけに、気になる。初出演のシルブ・プレはどんな作品をつくったのだろう。加納君や大阪の池田君、そしてルルは、ステージで見たことがないので、楽しみだったのに。
もちろんあとでビデオでは見れるとは思うが、ライブとビデオはぜんぜんちがう。仕事だからしようがないのだが、やっぱりライブが見れないのは、悔しい。
しかし3月・4月はまた去年の秋並の忙しさだ、3月は大野がたいへんだし、4月は自分がたいへんなことになっている。忙しいのはありがたいと思わなければならんだろう。大野がつくったスケジュールを見ながら、かなり気持ち悪くなってきたのは確か。
夕方ペーチャから電話、いろいろ提案している芸人さんの結果がどうなっているかを知りたがっている。サーカスシーズンを前にみんな予定を決めなくてはならない時期でもある。来週早々には連絡すると答えておく。
20時すぎに退社。


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