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クマのお仕事日誌

2004年8月2日(月)

今日から北海道のルスツへ。今回は衣服のみなので、荷物は宅急便で送らず、手荷物。郵便局に寄って漂流民の会の口座から、お金を卸す。今回はこのまま仙台に行き、8日の講演会に参加することになる。
10時半にチェックイン。会社から電話、モスクワからのEMSが、やっと届いたという。ヤマトの超宅急便で送ってもらうことにする。やはり札幌行きは、満員だ。機内で、長谷川濬のノートを読む。今回は詩集の下書き。13時前に千歳空港着。レストランはどこも一杯、結局コンビニでサンドウィッチを買ってバスの中で食べる。
15時半ルスツ着。荷物を預かってもらい、役場へ外人登録証を受領。ルスツから役場まで車で5分ぐらいだったのに、歩くと30分近くかかる。役場の気温計を見たら、20度だったが、これだけ歩くと、汗だく。しかし信じられないような涼しさ。留寿都村の中心に、赤い靴の記念碑が立っている。碑文を読むと、赤い靴のモデルになった女の子は、この村の出身だったという。なかなか悲しい話だ。この近くのトイレに入ると、赤い靴のメロディーが流れてくる。
16時半前にルスツ着。通訳さんとフロントで会う。今晩は部屋がないということだったが、札幌に戻る通訳さんの部屋に泊まることにした。
サーカス会場にいくと、ビーチャとユーリャとエレーナが練習中。担当のM氏に挨拶。なんでも二回目の公演では900人近くの客が入ったという。しかしルスツ自体、すごい人出だ。夏休み前とはぜんぜん様子がちがう。
部屋にチェックイン。電話を見て、びっくり。これではネットにつなげない。一週間はネットを使えないということだ。
夕食するにもどこも満員。ひとり寂しくバイキングで食事。ビールを一杯だけ飲む。そのまま部屋に帰って、横になって、テレビを見て、そのまま23時過ぎに就寝。なんとも健康的な一日となった。

2004年8月3日(火)

昨日は酒も呑まないのによく寝れた。やはり涼しいせいなのだろうか。8時40分札幌に行く8人が下で集合。バスで札幌に向かう。入管の再入国申請で使う書類を部屋に忘れたことに気づく。なんということだ。いまさら戻ることも出来ず、書類を再発行してもらうしかなく、恥を忍んでお願いの電話。あきれられたが、なんとか発行してもらうことになる。これで一安心。札幌まで寝ていく。買い物にでかけるメンバーと会う場所と時間を決めて、再入国の申請に、まず書類を受け取りに行き、そのあと入管へ。ここの入管はずいぶんすいている。10分ほどで手続きが終わる。このあと銀行に寄って、両替のヘルプ。13時半駅前で、領事館に行く2人と落ち合い、タクシーで領事館へ。
1時間ほど待たされたが、こちらが希望していた書類の作成を快く承諾してもらう。これで今回の出張の目的はほとんど終わったようなもの。また駅前に戻り、ここでメンバーと別れる。遅い昼飯。ラーメンを食べたあと、待ち合わせの時間まで、本屋めぐり。旭屋書店で、久しぶりに『虚業成れり』が平積みされているのに気をよくする。
17時半待ち合わせの場所で、またみんなと落ち合う。結局ビックカメラにずっといたらしく、パソコンを購入したものが2人、デジカメやDVDのディスクを買ったものが6人、みんなすごい荷物になっている。
まもなくルスツというところで、携帯に電話、西田がもうルスツに着いたようだ。19時半ルスツ着。部屋が満杯ということは知っていたが、なんとか部屋を確保してもらった。
チェックイン、テレビをつけるとアジアカップの後半がはじまったばかり。玉田が同点ゴールを入れたところ。試合は大熱戦。後半ロスタイムで中沢のゴールを決まったところで、思わず飛び上がる。しかしすごい試合だった。試合が終わってから、居酒屋へ。みんなは、試合が1対2のところまでしか見てなかったらしい。
調子にのって、日本酒を結構飲む。1時すぎに就寝。

2004年8月4日(水)

少し飲みすぎたようだ。朝風呂に入る。西田の部屋に寄り、朝飯を食べる。食後会場へ。西田がじっくりと会場をチェック。
今日部屋替えをしなければならないので、荷物を整理する。
少し早めに会場へ。11時からの公演は、ほぼ満員。久しぶりでショーを見るが、みんな伸び伸びと演じているし、お客さんも集中してみている。
公演後、舞台裏に行って、西田がみんなに挨拶。昼食をとったあと、15時から二回目のショーを見る。突然お偉いさんが見に来ているというので、気合を入れるために、舞台裏へ。
これがプレッシャーになったのか、空中ブランコで失敗が続出、ハラハラしてしまう。最後の三回転も失敗したのだが、今日はやり直し、二度目で成功。
担当の方の話だと、お偉いさんは喜んでいたということ。ホットする。
17時半のバスで西田が東京へ。このあと風呂に入り、部屋でゴロゴロ。20時に夕食、21時からはぐれ刑事があるので、急いで戻って、テレビをつけるが、この部屋のテレビはこのチャンネルが入らないことがわかる。がっくり。
24時ごろまで、長谷川濬のノートをまとめる。

2004年8月5日(木)

少しずつこのコルホーズの部屋に慣れてきた気がする。熟睡できた。10時半すぎ会場へ。開演直前にお偉いさんがまた見に来ているのにびっくり。昨日3つもトリックを失敗したブランコチームの出来が気になる。二つめのの演技でジェーニャが失敗。いやな予感がしたのだが、失敗はこれだけ。このブランコの演技を見終えて、お帰りになった。ホットする。
携帯に電話、他の現場からクレーム。さっそく対応にあたる。ちょっと心配していたことではあったのだが。
2回目の公演でもジェーニャが失敗。タイミングがぜんぜんあっていない。今日まで通訳してくれていたHさんの最後の日。全員ステージに集まって、拍手でおくる。心根の優しい人で、みんな信頼されていた。
このあとジェーニャが練習、当然であろう。キャッチャーのアンドレイにいろいろ注文が出される。難しいものだ、ブランコは。
火曜日にコンピュターを買ったミーシャが、立ち上がらないということで、相談にのる。ロシアのOSを読み込まないらしい。原因はインストールしたOSがコピーだったこと。ミーシャも諦める。
部屋に戻って少し横になったあと、長谷川濬のノートづくり。
19時半ユーリイが部屋をのぞきに来る。ビデオ撮影。ゴーシャと3人で居酒屋。そのあとゴーシャの部屋でウィスキイを飲みながら、歓談。クラウンの話で盛り上がる。
携帯に電話、サーシャがフロントの前にあるパソコンでなにかしたがっているが、うまくいかないとのこと。行ってみる。写真をどこかに送りたがっているのだが、うまくいかないという。容量がおおきすぎるようだ。やはりダメ。
ゴーシャの部屋に戻って、合流したパーシャもまじえ、また雑談の続き。こうした話はいろいろあとあとタメになることが多い。面白かった。
2時前就寝。

2004年8月6日(金)

朝風呂に入って、酔いをさます。昨日クレームが入った現場に電話、昨日のショーは問題なかったとのこと。ホットする。
明後日にせまった講演会の件で、担当の人に電話、ずいぶんと手応えのある反応になってきたという。少し安心。
今日は暑い、一回目の公演に間に合うように来るはずだった新しい通訳さんは、バスに乗り遅れ、12時近くに来るという。
キルギスタンからの留学生の通訳君、なかなか真面目な青年、日本語もほぼ完璧、心配ないだろう。
二回目の公演で初めてブランコが全演技成功したのを見る。もう見れないかと思ったのだが、良かった。
モスクワに電話、姫路から入るアシスタントの来日の件で打合せ。ちょっと頭に来ているのは、オスマンの帰りの飛行機のソウル−アルマトゥイがキャンセルになったこと。
夕食は通訳君と居酒屋で、彼はあまり飲まないようだ。クラウンとブランコのサーシャが合流。
ブランコのリーダーに呼ばれ、部屋でウィスキーを飲みながら、いろいろ話す。前回はこういう感じで、アーティストと話すことができなかったのだが、今回は昨日もそうだが、こんな風に話せる時間ができて、良かったと思う。
しかし飲みすぎたかも。23時すぎに部屋に戻る。

2004年8月7日(土)

やはり昨日は飲み過ぎだった。朝風呂に入って、アルコールを抜いて朝飯を食べて、荷物の整理。宅急便で荷物を出してから、会場へ。今日も暑い。パーチのビーチャがやってきて、今日の中国との試合のスコアを当てようと言ってくる。ふたりとも日本が勝つという前提での話。自分は3対0、ビーチャは2対1。ウォッカを賭けることにする。
ブランコとパーチを見てから、会場をあとにする。12時にバスに乗って一路千歳へ。チェックインしたあと、空港内のラーメン屋で、味噌カレーラーメンを食べる。先日借りた『荒海からの生還』を読みはじめる。漂流ものだが、面白い。
飛行機は出発が少し遅れて、仙台空港には10分ほど遅れて到着。吉村先生を駅でお迎えしようと思ったのだが、間に合わず。仙台は七夕で賑わっている。バスで実家へ向かう。
夕食を食べたあと、21時からサッカー観戦。2対1になった時は、ドキッとしたが、最後に玉田がゴール、ホットする。いい試合だった。
調子に乗って、また飲んでしまった。ルスツのメンバーから携帯に電話が何本か入っていた。きっと試合に勝てておめでとうということなのだろう。
12時すぎに就寝。

2004年8月8日(日)

7時前起床。朝飯を食べて、加藤さんの車に乗って、駅前のホテルへ、吉村先生をお迎えに行く。30分ぐらい早く着いてしまう。
9時過ぎに、先生がロビーに現れる。電話とかFAXではやりとりしていたが、お会いするのは初めて。車でサンファン館に向かう。車中いろいろな話をする。
10時半すぎ、サンファン館到着。漂流民の展示会を見ていただく。本間さん提供の千石船の模型をずっと見ていた。作った人のことをよくご存じだったようだ。多十郎のジャケットを見て、「ずいぶん痛んでますね」と漏らす。
このあとは館長の案内で、サンファン・バティスタ号の見学。そのあとレストランで食事。鳴瀬に出発直前に、携帯に野毛の福田さんから電話。帯広での話を聞かされる。馬鹿話をしているうちに、先生はサンファン館の車で、鳴瀬に出発。
途中会場で準備している木村副会長に電話、どのくらいの人が集まっているか聞く、開演1時間前で、30人ぐらいだという。どうなるのだろう。
会場には13時すぎに到着。かなりの人で会場は埋まっている。顔見知りの人たちをたくさん見かける。開演直前に200席用意していたイス席が満杯、イスを増やす。良かった!ほっとする。
13時半から開演。やはり先生の話は、面白い。聴衆の皆さんも、みんな聞き入っている。自分が最後に閉会の辞を述べ、お開き。最後に手伝ってくれた会員のみんなと先生をまじえ、記念撮影。ほんとうに会員のみんながよく協力してくれた。大成功だった。
車で先生を仙台駅までお送りする。先生も少しホットなさっていたのかもしれない。こうして尊敬する吉村先生をお招きして、無事講演会をやれたこと、みんなの協力があってこそだ。先生とお別れして、仙台組で打ち上げ。したたかに飲んだようだ。
どうやって帰って来たか憶えていない。とにかくよかった。これで峠を越えることができた。

2004年8月9日(月)

完璧な二日酔い。朝風呂に入って少しすっきり。朝飯を食べて、家を出る。10時過ぎのバスに乗って、一番町に出る。
なんの目的もなく歩いていたのだが、何故か足は、初恋の人が3年前に出したアジア雑貨の店へ向いていく。どんな風になっているのか、外からのぞくだけにしようと思ったのだが、ばったり店先で顔があって、店内で少し雑談。店の方は順調にいっているようでなによりだ。
仕事の邪魔をしてはなんなので、早めに引き揚げる。帰りのゴマチョリせんべいをお土産にもらう。このまままっすぐ帰ろうと思ったのだが、途中以前澤田豊の番組をつくったS氏が勤めている会社の看板を見つけ、訪ねてみる。ちょうどいたので、昼飯をゴチになる。
13時過ぎに別れる。久しぶりに、話ができてよかった。
駅で切符を買おうと思ったら、指定がかなり混んでいる、結局1時間半後の新幹線の指定をとって、駅前のジュンク堂をぶらぶらする。
14時50分の電車に乗って、一路帰宅へ。缶ビールを一缶飲んで、熟睡。何本か電話が入っていた。そのうちの一本は初恋の人から。訪ねてきたことへのお礼だった。しかし俺は何しに行ってしまったのだろう、店に行くんだったら、なにか買ってくるのが筋というもの。間が抜けた話だ。
ヨドバシでDVDを見て、19時過ぎに帰宅。
これで一段落だ。

2004年8月10日(火)

久しぶりに出社。まずは精算を終わらせて、すっきりしてから、秋の企画の準備。オープニングのコスチュームのデザインを決めて、先方にアーティストの寸法と一緒にメールで知らせる。
秋のことを少し根つめてやらないと・・・また再来週からルスツだし、準備は万全にしておきたい。
午後今日関空から帰国したボエボダのアテンドをしていた大野が、戻り、打合せ。しかしまた9月が殺人的なスケジュールになりそうだ。4日から18日まで留守することになりそうだ。しかも犬山、ルスツ、姫路と駆けめぐることになりそうだ。
たいへんだわな。
打合せ後、糖尿検査に病院へ。数値はいい意味での横ばい。体重も減っている。まあまあいい傾向なのでは。このあと薬を買って、両国の江戸博物館へ。開催中の「江戸幕府とロシア」を閲覧。やはり金のあるところはちがうよなあ。ただいくつか所蔵先が明らかになっていないものがあった。不愉快だったのは、17時すぎになると、あと30分で閉館だと何度も何度も係員や警備員が来て、言っていたこと。落ち着いて見れないではないか!
このあと久しぶりに気功へ。珍しく今回は1カ月半のブランクがあったので、どれだけ気持ちよかったことか、ずっと寝ていた。
バナナシフォンケーキをごちそうになって、駅まで送ってもらう。21時前に帰宅。

2004年8月11日(水)

出勤前に渋谷の図書館により、長谷川濬に関する本を借りる。
手紙を3通書く。ネットで調べ物。ルスツ組は、今月29日で公演終了、このあとメンバーが分かれて行動することになるので、その移動の打合せ。
自分は27日からルスツに移動することになる。秋のリトルのパンフのゲラが送られてくる。オープニングの衣装の件で、キエフのアーティストとメールで打合せ。今回はバラバラなので、オープニングの演出やら音楽の選定、衣装はこちらでやらないといけない。
ずっと探していたデジカメのケーブルを発見、パソコン本体に画像を転送。モスクワに電話、航空券の料金を聞く。
キエフのサーカス学校の先生に連絡、来日日を確認、なんでもキエフは毎日雨で、気温も15度だという。うらやましい限りだ。
18時半すぎに退社。いよいよ今日オリンピックがはじまる。結局女子サッカーのスゥエーデン戦を2時までみてしまう。なかなかいい試合だった。
こんな日がまた続くのだろうか? 

2004年8月12日(木)

上大岡からあっさり座れてしまう。電車もガラガラ、もしかして普通の会社は今日あたりからお盆休みなのかもしれない。
デジカメから、パソコンに転送した写真を整理しておく。ルスツで撮ったものはろくなもんでない。ほとんどがボツ。写真は、撮ったときに転送して、整理しておかないと、たいへんなことがよく分かった。かなり時間をくってしまう。
秋のリトルのスケジュールを作成してみる。今回は来日がバラバラだし、そろってリハできる時間もあまりなく、結構たいへんそう。ちょっとシミレーションできてよかったかもしれない。
済州島の馬サーカスのビデオを2本ダビング。文化の会会報用に、済州島の原稿を書く。
17時半には会社を出て、紀伊国屋サザンシアターへ。公演中のこまつ座の「花よりタンゴ」を見る。こまつ座の芝居を見るのは、1年ぶりぐらいになるが、ほんとうに楽しめる。最初から最後まで楽しめた。舞台が、昭和22年の銀座のダンスホールというだけで、わくわくものなのだが、相変わらず作者井上やすしの庶民への柔らかな眼差しが、いい。
歌も良かった。見終わったあと、これだけすがすがしくなる芝居にめったに会えるもんじゃない。公演後いつも手伝ってもらっているHさんが、裏方で入っていたので、あいさつしに、舞台へ。軽く飲むことにする。
新宿駅の近くの居酒屋で、軽く飲む。なんとか京急の最終に間に合い、1時すぎに帰宅。サッカーを見ようと思ったが、パラグアイが1点とったところでダウン。就寝。

2004年8月18日(水)

束の間の夏休みも終わり、今日から出勤。今年は14・15日と恒例の白州家族旅行。いつも4泊5日なのだが、自分だけは2泊3日と短気滞在となった。
白州では娘にあきれられぐらいに朝寝・昼寝・夜寝をしていた。ちょっとだけアートキャンプに出かけ、田中泯さんに会った。相変わらず何かを作っている。今回は土間舞台をつくっていた。
白州での夜は、いま話題の「ダヴィンチ・コード』に読みふけっていた。なかなか面白かった。帰って来て16日は朝までTVでオリンピック鑑賞。17日は買ったばかりのDVDのセッティング。いつも休みだとそれ調べ物だ、原稿書きだということになってしまうのだが、こんな休日のすごし方もたまにはいいだろう。
ということで十分リフレッシュしての出勤。メールのチェック、たいした大きなニュースはない。今晩から大野がフランスに行くので、その引き継ぎ事項。いろいろあるなあ、これは。
プレゼン中のビデオ探し、韓国のチュルタギ祭のに提出する資料の作成をして、13時からのフールBのネタ見せに立ち会う。今回はなかなか面白いのができそうな感じ。VJ以外は、加納君も安田君もソロを見るのは、初めて。非常に熱心に真剣に取り組んだあとが見える。いろいろダメだしをする。あと一週間磨けばかなりいいのができるのではないかという手応えがあった。
スタッフのひとりS君から一足早い誕生日のプレゼント、豆をもらう。すっかり明後日誕生日だということを忘れていた。
しかし今日はくそ暑い。外にでると息がつまりそうになる。16時過ぎ会社に戻る。サーカス文化の会の会報の発送作業をして、18時半過ぎに会社を出る。

2004年8月19日(木)

しかし暑い、息が詰まりそうになる。汗だくになって出勤。
大野が残した宿題をやるのに振り回される。しかもオプションで、ひとつ緊急ものが発生し、アーティストに連絡をとらないといけなくなる。
自分が済州島に行ったときもそうだ、いない時になんか起きるんだよな。ビデオをダビングしてクライアントに送り、アーティストと連絡をとって、一段落。リトルの秋の企画の件で、オープニングをどうにかしなくてはならない。辻君からいろいろアイディアをもらい、なんとなくイメージができあがる。
ルスツの方は順調のよう、ピーク時で1300人の観客が入ったという。どうやって入れたのだろう。
昼過ぎ、去年「ミステリアブッフ」とカバチッタの2回目に出演してもらった、タトゥの彼女が来社。今後のプロモーションについて話し合う。
明日提出しなくてはならない、企画についてパフォーマーたちと連絡。
バヤンを受け取りに、安西君が来社。9月に小出やこうじとやる公演のチラシを持ってくる。
サーカス文化の会の会報を発送したあと、18時に会社を出て、青山のスパイラルホールへ。キャパロチカを観劇。青山一丁目で降りたら、えらい歩くことになった。休憩中に、K大のI先生と、演劇評論家のTさんとばったり。I先生は、先日白州でも会った。しかしこの公演は、楽しみにしていたのだが、完璧なハズレだった。
渋谷まで歩く、ガード下の吉野屋で、豚キムチ丼を食べる。前にもここで初めて豚丼を食べたような気がする。気のせいか味がずいぶんとなじんできた感じ。
22時半帰宅。この日は、ソフトボールの試合まで見て、2時すぎにダウン。

2004年8月20日(金)

今日は、51回目の誕生日。奥さんから首からかける携帯のストラップをプレゼントされる。携帯をいつもどこかにやってしまうので、便利かもしれない。
今日提出する予定になっている企画書つくりにまずは専念。アーティストとも連絡をとりながら、なんとか完成させ、FAXで送る。これで一安心。
来年用の企画のプレゼンのため、ビデオをチェック。どれを出すかをだいだい決める。
カバレットの収支試算書を作成。昨日キャパロチカを見て、ちょっと火が点いてきた。企画書までいかないが、とにかく次の布石をどうやって打つために予算内容をチェックすることからはじめる。
18時前会社を出て、東横線に乗って、野毛に向かう。携帯にバンバン電話。留守電を聞いたら、至急というので、菊名で下りて、とりあえず電話してみることに。
オスマンのメンバーがけがをしたという。場合によっては、現場に向かってもらいたいという。とりあえず、担当に電話。大きな問題がないということで、現場に来なくてもいいという話になる。そのあといろいろ情報が錯綜したのだが、とりあえずはなんとか落ち着く。
この間に携帯が鳴り放しで、とれない電話がたくさんあった。今日会う予定だった人で、万里の場所がわからないという電話も何回かあった。結局この人は1時間遅れで万里到着。悪いことをした。それに今日は誕生日ということで、ルスツにいるアーティストから誕生おめでとう電話も何本かあった。
万里を出て、久々に「波の上」へ。9月にはこの場所を引越するらしい。現場から電話、病院に行った結果、単なる打撲とのこと、骨や腱などに損傷はなし、とりあえず明日は休演日だし、休んで様子を見ることに、大事に至らなくて良かった。
自分のけがのことはほっといて、誕生日おめでとう、健康に気をつけるように言われたのにはちょっと苦笑。
うだうだと1時近くまで波の上にいた。タクシーで帰宅。連日のオリンピック観戦で疲れていたのもあって、へべれけになっていた。タクシーで降りたところが、杉田。家まで結構歩くことに。
誕生日をいいことに、今日はおごってもらっちゃった。「波の上」から、ハブ酒までもらう。いろいろあった51回目の誕生日だった。

2004年8月23日(月)

女子マラソンを最後まで見たので、やはり眠い。しかし過酷なコースだった、よくあれだけ走れたものだ。
走ることはもうやめようと思ったのだが、昨日ちょっと走ってみた。やはり気持ちいいものだ。
今日は暑くないので楽。オスマンのけがもたいしたことはなく、昨日は通常通り仕事をしていたという。なによりだ。大野の宿題をやっつけてから、カバチッタのビデオをダビング、出演を予定しているメンバーのビデオを、バンドさんに渡しておこうと思い立ったのだ。これを終えて、収支書と簡単な企画書を作成する。
オリンピックに夢中になっているうちに、台風が北日本の方にいたことを知らないでいた。ルスツでサーカスをしているのだから、少しは注意を向けなければならなかった。
明日成田にモスクワからの芸人を迎えに行くことになる。18時過ぎに、退社。品川からウィング号に乗って、爆睡。

2004年8月24日(火)

8時30分YCAT発のリムジンで、成田へ。車中1時間半しっかり睡眠。モスクワからの飛行機は定刻前に到着、そんなに待つことなく、アレクセイを出迎える。彼は日本初来日、見るものすべてが珍しくてしようがないという感じだ。
羽田までのバスの中で、ずっとしゃべっていた。しかし毎度毎度のことで笑うのは、日本人の平均月収を聞いてくること、これはほとんど定番といってもいい質問事項だ。
羽田に着いて、荷物を預け、レストランで食事。そんなに食べれないというわりには、しっかり二人前食べていた。オリンピックの話題で盛り上がる。ロシアがあんまたメダルをとれていないことが、しゃくにさわっているようだ。アメリカには負けたくないとも・・・
14時前に搭乗口まで送る。新宿のヨドバシでビデオテープを購入して、出社。
秋のリトルのサーカスの番組をダビングしながら、チェック。さほど大きな問題はないと思うのだが、やはりオープニングをどうするかだろう。
ダビングを終えて、19時前に退社。

2004年8月25日(水)

涼しくなったもんだ。9時から歯医者。また3時間かかる。親不知の治療だったので、めちゃくちゃしんどかった。13時に会社で打合せがあって気が気でならなかったのだが、しかたがない、携帯に電話を入れて、アポの時間を伸ばしてもらう。
14時前に会社着。打合せを終えて、弁当を食べて、もう行かないといけない時間。歯医者ですっかりスケジュールが狂ってしまった。16時過ぎに、planB。ゲネを見る。
ネタ見せの時とはまたちがう。
予約で37人といういい感じの数字だったのだが、出足から順調、小出、こうじ、安西、重森たちも顔を出す。
ビデオを撮る役割を仰せつかったのだが、加納君のところでテープチェンジするところでトラブル発生、ビデオがフリーズしてしまう。ほんとうにここ一番の時にヘマをやらかすのよなあ。面白く撮ってくださいと言われたのに、シャレにならない。
公演後残ったメンバーでダメだし、これが明日の公演でどういかされるのか、それもまた楽しみのひとつ。
小出、VJ、重森、加納、堀江と一緒に中野の居酒屋で二次会、そのあと小出、VJと3人で、朝まで飲む。
閉店後5時すぎの電車で、会社へ。またやってしまった。

2004年8月26日(木)

9時半すぎに、会社で目を覚ます。3時間ぐらいは寝れたかもしれない、が、やはりアルコールが重く体の中に沈殿している感じ。ローソンで、ボヤージのチケットを購入、コーヒーを買って、会社に戻る。
ほとんどつかいものにならない体になっている。いろいろメールやら来ているのだが、ろくすっぽ返事もできず。
飯も結局は食べれず、ボーと時間をすごす。
16時半すぎに会社を出て、planBへ向かう。中野富士見町の駅前でもりそばを食べて、少し復活。
今日は昨日ほど客は入らなかったが、安田君は、昨日のダメだしを踏まえて、新たなことにチャレンジしてくれた。二日続けて見に来てくれた人もいた。二日見て、やはりそのちがいの面白さのようなものをアンケートに書いてくれた。
終わって、後片付けを済ましたあと、ビールで軽く乾杯。昨日の今日なので、23時前にplanBを出る。結局最終で家にたどりつく。
もうへろへろ、オリンピックどころではなくなった。
風呂に入って、2時就寝。


この後の日誌は、「クマのデラシネ日誌」


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