会場 国立近代美術館
観覧日 2002年5月24日
今度のカンディンスキイ展はすごいらしいという話をみんなから聞かされ、閉幕まぢかの近代美術館にでかけてきた。
今回の展覧会の特色は、展示されている絵のほとんどがロシアの美術館が所蔵しているものであることだ。エルミタージュ、トレチャコフ、プーシキンといった有名美術館の他に、ニジ−ゴロドやエレバンなど、地方都市からも集められている。
入り口ちかくの「ムルナウの町で」という油絵の色づかいでまず、まいってしまった。カンディンスキイはかたちもそうだが、色のつかいかたでも豊かな才能をもっていたことにあらためて気づく。
こうしてカンディンスキイの絵だけを見ていると、彼の抽象をめぐる軌跡は、終始一貫していたのではないかという気がしてくる。彼自身のなかでは、ずっとはじめの頃から、抽象に対する思想は同じだったのではないだろうか。初期の頃も晩年の頃もある意味で同じ抽象概念のなかで、創作していたような気がする。だからある意味で、表現上の冒険がないという気もしてくる。拡散するエネルギーではなく、中心に向かうエネルギーが彼の創造を支えていたのかもしれない。彼の抽象画は、うちへうちへ向かって、中心に向かっているように思えた。だから冒険がないというか、こじんまりした感じがしたのも事実である。
ただ今回展示されていたなかで、一番興味ぶかかった、革命の頃に描かれたコーナーだけは異質な感じがした。全体に黒を基調に、とにかく暗いのだ。このコーナーの最初の『黄昏』という作品は、その暗さを象徴している。他の芸術家たちが、革命の到来に歓喜し、エネルギーを爆発させるのに対して、この暗さはなにを物語るのだろうか。革命に有頂天になった芸術家たちを待ちかまえていた、革命後の悲劇を、彼は予期していたのであろうか?
それと色の使い方で、この革命期の絵画もそうなのだが、墨をずいぶんつかっていたのにも驚いた。墨をつかった線、あるいは色そのものとしての黒が、ひとつの奥行きを与えるような印象がした。
中身の濃い、展覧会であったが、その内に向かうエネルギー、内向性のようなものが、個人的には重い感じがした。このあと所蔵品展でみたクレーの絵の軽やかさ、フレームを越えるような伸びやかさを見て、なにかホッとした気分になったのは、この重さから解放されたせいかかもしれない。
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