月刊デラシネ通信 > ロシア > 『ロシア芸術の現在』講義通信2006 > 講義メモ 第1回
エジプト・クレタ文明の時代にジャグリングやコントーションの絵が残されている
ローマ時代にサーカスが見世物になる
サーカスの語源−サークル(円形の舞台)
映画「グラディエイター」(2000年)ラッセル・クロウ主演
帝政ローマが舞台
コロセニウム
「パンとサーカス」
中国の漢の時代、武帝の時代に西域の芸人を集めて大きなサーカスの大会が開かれた
(紀元前100年ぐらい)
ローマ帝国の崩壊後−芸人たちが離散していく、放浪の旅へ
こうした放浪芸人が、ロシアにもやってくる。
ソフィア寺院(1037年に建造される)に竿芸と放浪楽師のフレスコ画が残されている。
ビザンチンとの密接な関係−キエフ・ルーシ
988年キリスト教を正式に受容
![]() ソフィア寺院のフレスコ画(全体) |
![]() スコモローフとパーチアクト |
タルコフスキイの映画「アンドレイ・ルブリョフ」の「1400年スコモローフ」のエピソードを上映
映画の中で、イコン画家がスコモローフのことを「悪魔の手先」と呼ぶ
「中世放浪芸人の文化史」について
いかに芸人たちが虐げられていた存在だったか
芸人と差別の問題
人を楽しませる職業につく者たちが、何故卑しい存在として差別されるのか
日本でも同じ
![]() ルボークに描かれたクマのコメディー |
「クマと山羊が一緒に遊びました。お互い目を見つめあいました。クマはサラフィンをつけた山羊を見ていました。山羊ちゃんは、ミーシャ(クマちゃん)に目配せをしました。このときからふたりは友だちになりました。音楽や躍りを一緒に習いました。ご主人さまに仕えるようになりました。踊りをしたり、遊んだり、一緒にワインを飲むようになりました。太鼓をもった調教師は、口上を言って人をわらわせ、みんなからお金を集めました。そしてまたお客さんの前にクマたちを連れて行き、お金を集めました」 |
今年ルスツリゾートと姫路セントラルパークで公演したウズベキスタンサーカスで演じられた「パーチ」の演目を上映
ソフィア寺院に残されているフレスコ画に描かれている竿芸「パーチ」について
「サーカス辞典」からそのルーツとなったもの
兵士たちが塀の外を見るために竿の上に人をのせた
奈良の正倉院に弾弓図が残されているが(8世紀)そこにも竿芸の絵が描かれている
こうしたパーチ芸のルーツは、西域、エジプト近辺ではないかと言われている
歴史とは人と物の動きによってつくられたもの−その産物のひとつがサーカスによる東西交流だった
スコモローフの消滅
芸人たちは定期市場・町へ定住化
見世物小屋からサーカスへ
ロンドンのアストレイ・サーカスが近代サーカスの発祥といわれる
ヨーロッパに次々にサーカスが生まれていく
19世紀前半にロシアにもイタリア、フランス、ドイツのサーカスが進出
最初は外国の興行師がロシアサーカスを占有
サラトフ生まれのアキム・ニキーチンがロシア人による最初のロシアサーカスを創設する
「フェリア・ミュジカ」のプロモーションを上映
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