月刊デラシネ通信 > ロシア > 金倉孝子さんからの寄稿 > エニセイ川ドライブ紀行-2

金倉孝子シベリア紀行第三弾-2
『エニセイ川ドライブ紀行』

後編

(承前)

4日目 旧教と新教のはざまで

 また、次の日は、そこから東の方へ、エニセイ川の右岸の支流、トゥバ川の支流カズィール川の中流にある、チェリョムシャンカ村まで行き、午後からは、一気にクラスノヤルスクに帰るつもりでしたが、路面凍結のため、時速20キロ以上だせず、もう1日、アバカン市に泊まって、やっと5日目に、クラスノヤルスク市に帰ってきました。

氷の流れるカズィール川
氷の流れるカズィール川

 チェリョムシャンカ村へ行こうと思ったのは、そこがやはり、クラスノヤルスク地方の東方面の袋小路だからです。
 クラスノヤルスク地方は、人口密度が世界一少ないと言ってもいいくらいの北部中部は勿論、南部でも、道路網が発達していません。最終的な交通手段はヘリコプターか小型飛行機です。中心都市から比較的近距離の150キロ程度までの村々へいく道路なら、あります。道は、途中いくつかの村々をつなぎ、そのうち、舗装がなくなり砂利道となり、だんだん道が悪くなって、最後は、はずれにある小さな村で行き止まりになり、後は、馬に乗っていくしかありません。
 クラスノヤルスク地方南部の中心地ミヌシンスク市からもそうした袋小路にいたる道が3、4本、放射状にのびています。その中でもチェリョムシャンカ村に行こうと思ったのは、そこに、新興宗教の共同体があると聞いたからです。ロシアでは、昔から、正統派とみなされず、迫害された宗教団体は、シベリアの奥深くへいき、そこで文明と懸け離れた共同生活を送っていました。中でも、有名なのはスタロベーリイという「旧教派」で、シベリアのあちこちに自分達だけの村を作って住みました。今でも、人里離れた自然の美しいシベリアの小さな小川沿いにそうした古い村で、もう、住む人も少なくなっているか、または、廃村寸前の村を見かけることがあります。中には本当に文明から忘れ去られた村もあって、偶然現代文明に発見されたと言うタイガの中の集落もあったそうです。
 さて、チェリョムシャンカ村は、「旧教派」ではなく、「現代のキリスト」と名乗る宗祖が組織した新しい宗団で、シベリアの中でも、最も美しいクラスノヤルスク南部の、気候の比較的温暖なミヌシンスク盆地のはずれ、東サヤン山脈のふもとの寒村に本拠地をおくことにしたそうです。信者達は、元の生活を捨て、ここへ来て、自分達の教会をたて、自給自足の共同生活をしています。宗祖は、ドイツ伝導中で留守でした。
たまたま村の道で会って話をし、自分達の建設中の家まで見せてくれたモスクワ出身の信者リューバさんが、お昼を招待してくれたのもお断りして、2時頃、そこを出発しました。
チェリョムシャンカ村の側を流れるカズィール川の上流は東サヤン山脈のイルクーツク側までさかのぼります。カズィール川にも、その大きな支流のカジール川にも、もう氷が流れていました。後数日ですっかり凍ってしまうでしょう。カズール川の橋の上から、下をゆっくり流れていく氷を眺めていると、周りの景色の美しさに引き込まれ、寒いのも忘れてしまうくらいでした。
 しかし、ぱらっと雨が降った後が大変でした。雪ではなく雨が降ると言うのは、クラスノヤルスク市では気温が高い証拠なのに、ここ、ミヌシンスク盆地では、少し気候の型が違うのでしょうか、なぜか、寒くなって、地面に降った雨が凍り、スケート場のようにつるつるになりました。アバカン市まであと80キロ、クラスノヤルスクまで500キロと言う所で、もうほとんど通行不能なくらいの路面凍結になりました。と言っても、どうしようもないので、ホテルのあるアバカンまでの道を時速20キロ以下でそろそろと運転していきました。途中、霧が出て、5メートル先も見えなくなったりしました。
 夜遅く、やっとアバカンに着き、ホテルを捜しました。「アバカン」ホテルは、一泊2千円と言われたので、断り、1400円の「ハカシア」ホテルに泊まりました。三日前、来る時泊まったホテルも「ハカシア」でした。その部屋は、ゴキブリが這い回っていたので、本当は600円高くても、「アバカン」の方がいいと思ったのですが、高いホテルにゴキブリがいないとい保障はありません。「ハカシア」ホテルの窓口で「ゴキブリのいない部屋にしてちょうだい」と一応言ってみました。「うちは、定期的に殺虫剤を撒いているから大丈夫よ」と言われました。恐る恐る洗面所を見てみると、本当に今度はゴキブリの姿は見えませんでした。人間には無害な殺虫剤だったかどうか、気になりました。

5日目 クラスノヤルスクへ戻る

 アバカン市で予定外に一泊し、次の日、5時半に起きて、クラスノヤルスク市へ向かいました。400キロの道のりで、夏場なら半日でいけるでしょうが、今は道路状況が分かりません。特に、クラスノヤルスク近くなると丘陵地帯、つまり山道を走ることになります。今頃は早く暗くなりますから、灯の全くない雪の山道を走るのは危険です。
 しかし、ハカシア共和国を北上してチュルィム川盆地に出ると、道路状況はよく、少し安心しました。ここも、半乾燥地帯の草原で、国道54号線沿いにまで、昔のクルガン(古代の墓)が残っているので、時々車を止めて写真を取りました。

 ハカシア共和国の国境をこえて(と言っても、看板があるだけ)クラスノヤルスク地方に入り最初の大きな村は、ノヴォショーロフカ村で、広大なクラスノヤルスクダム湖に面した「港町」です。船着き場があり、対岸へフェリー船が通っています。30分で320円だそうです。対岸にはリゾート地、保養所があるそうです。そこが袋小路になっているのかと言うと、そうではなく、最近新道ができ、ミヌシンスクまでも通じているとのこと。私の持っている最新の2001年印刷の地図にも載っていませんから、これは、大発見です。信じられないので、近くの検問所の防弾チョッキで自動小銃を持った人にも念のため聞いて確かめました。ここに、サヤノ・シューシンスキー発電所のような禁止地区はありませんが、ロシアでは、国道の要所要所にこのような検問所があるのです。江戸時代の関所のようなもので、「手形」の代わりにパスポートや免許所などを調べることもあります。調べないこともあります。
 ロシアで新しい道ができるなんて珍しいことです。次回の長期ドライブは、ぜひ、新発見のコースを試してみたいものです。
 5日前に通った道を戻り家に帰り着いた時は、やはり暗くなっていました。


目次へ デラシネ通信 Top 前へ | 次へ