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【連載】ロシアエトランゼの系譜−ベルチンスキイの生涯−

第6回 さすらいのはじまり−1

25年にわたる放浪生活は、トルコから始まった。

故郷を離れて
スラショフとの再会


故郷を離れて

コンスタンチノーブルの街角で
 ベルチンスキイを乗せた船は、〇〇を出て、黒海を横断し、ボスポイラス湾に入った。ベルチンスキイは目の前に広がるおとぎ話のような町に、目を見張る。
 「私の目の前に、キラキラ光る太陽に満ちた不思議な町が現れた。モスクの寺院の尖塔。真っ白な宮殿。まるで不信の妻たちが身を投げそうななにかの塔。小さなボート。赤いトルコ帽、赤いトルコ帽の海。白い服を着た人たち。太い声。そして旗、旗、旗。はてがない。まるで、パレードの中にいるようだ。まるでお祭りのようだ。」
 船はゆっくりと船着場に入っていった。
 「私は船から降りた。コンスタンチノーブルへ。亡命へ。25年にわたる志願の流刑へ。長い、苦しい憂愁へ。」
 コンスタンチノーブルに着いたベルチンスキイは、高級ホテルのひとつ「ペラ・パレス」に荷を解いた。さっそく町に出たベルチンスキイを出迎えたのは、彼らより先にこの町に来ていたロシア人たちだった。
 誰かかれとなく、寄ってきて帽子をとり、握手をしてくる。そして「どこから来たのですか? 何のため? お食事はしましたのか? どこかへご案内しますよ、隅の方がいいです。そこはロシア人が仕切っていますから」と店に案内してくれた。
 そこで酒を飲み、昔からの知り合いのように心の底から語りあかした。ボルシチまで出された。こんな美味しいボルシチは、ずいぶん久しく食べたことのないものだった。
 ベルチンスキイのトルコでの第一目は、こんな風に始まった。
 彼は毎日のように街を繰り出した。街全体が大きなバザールだった。物売りたちの声、物乞いたちの泣き声、警察の威嚇する声、車の騒音、犬の吠え声が、カーニバルのような賑わいをいろどっていた。街にあふれているさまざまの国の兵隊たちの格好も、ベルチンスキイの目をひいた。トルコ帽をかぶった黒人兵、帽子に羽根をつけたイタリア兵、白い帽子をかぶったアメリカ兵、フランス兵、イギリス兵、ギリシア兵、チェコ兵、ルーマニア兵が、街を行進していた。
 カフェ・タカトリアナの近くの路地に入ると、年取ったトルコ人が、小さなコンロで栗を焼いている。小さなコップで売られている濃厚なトルココーヒーを飲みながら、ベルチンスキイは、ストリートミュージャンの演奏する東洋風の音楽に耳を傾ける。
 通りの真ん中で大の字になって、酔っぱらい、意識を失って寝ているのは、バカでかい図体をしたレスラーだった。彼はロシア人で、マドロスのソコールだった。彼に近づくものは誰もいなかった。ある日彼が警察とやりあっているのを目撃した。十二人の警察官は、あっと言うまに脇に投げ捨てられてしまった。それからは誰も彼のことを触ろうとしなくなった。

スラショフとの再会

 ベルチンスキイは、活気にみちたエキゾッチックなコンスタンチノーブルの街を飽きもせずに彷徨っていた。この街で再び白軍大将スラショフと会うことになる。彼もロシアを去り、最後まで彼と行動を共にした小さな部隊を連れ、この街にやって来たのだ。このなかには、例の恋人、リューダと呼ばれていた将校もいた。
 「私たちは再び出会うことになった。というよりは私が彼を探し出したと言ったほうがいいかもしれない。彼は、まちはずれの小さな汚い家に住んでいた。彼はさらに青白くなり、痩せこけていた。顔には疲労が滲み出ていた。情熱はすでに失せていた。
 コカインは高かった。これを奪われたスラショフは静かだった。すぐに十歳も年老いてしまったようになった」
 この頃ベルチンスキイは、ロシアで知り合いになっていたひとりのトルコ人と出会った。彼はペテルブルグで外交官として働いたことがあり、ロシア語がしゃべれた。ベルチンスキイは、彼にキャバレーを開くようもちかける。「黒いバラ」と名付けられた店は、すぐに評判になり、客がおしかけるようになった。ベルチンスキイは彼に、スラショフのこと、そして彼がいまどれだけ困窮を強いられているかを話した。事情を察したこのトルコ人は、スラショフのもとに、仲間たちの分もふくめてパンとレストランの料理を送り届けてくれた。
 こんな風に半年が過ぎた。スラショフたちはどこかに姿を消してしまう。そしてその一年後ベルチンスキイは『黒いバラ』を辞め、郊外の庭園カフェ『ステラ』で歌うことになった。ある時この店にスラショフがひょっこりと姿を現した。ベルチンスキイが見たことのない仲間と一緒だった。ベルチンスキイが彼のもとに近づくと、彼は嬉しそうにはしていたが、悲しげに微笑むだけだった。彼の顔はもう見分けがつかないくらい変わり果てていた。そこにはかつての白軍の英雄の面影はなかった。悲しげに疲れきった、ひとりの年老いた男がいるだけだった。
 「スラショフは、私にワインを注いでくれた。私たちは黙りこくったままだった。
 突然彼は、躊躇いがちに口を開いた。
 『君はほんとうに知っているかね、君が大きな間違いをおかしたということを、それは自分も一緒だ。私たちは過ちを犯してしまったのだよ。恐ろしいことだ。取り返しのつかない、許されることのない過ちを犯してしまった。私たちは一番大事なことを見落としてしまったのだよ! 私たちには生きる資格なんてないのだよ!』
 彼はシャンパンに添えられていた木製のマドラスを手に取り、それを折ってしまった。彼の顔は苦しみで歪んでいた。
 『私の助言が聞きたいかね? 故国に帰ることだ!』
 私は黙って頷いた。トルコの岸にたどりついた時、私はこのことを理解していた。しかし私は、この過ちを正すことができなかったのだ。
 やがてスラショフがソビエト連邦に向かった。そして何年か後に新聞で、スラショフがひとりの労働者の手にかかって殺されたことを知った。この労働者の兄を、ジェンコエ(ウクライナの都市)でスラショフが絞首刑にしていたのだ。通りでふたりは出会い、男が拳銃を抜き、そして殺したのだ。ソビエト政府はこの男を10年の禁固刑に処したという。
 こうして風変わりなそして恐ろしいひとりの人間が死んでいった・・・」

(この項続く


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