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【連載】ロシアエトランゼの系譜−ベルチンスキイの生涯−

第8回 ルーマニア−1 ハイエナたちの巣窟

 コンスタンツァに着いたベルチンスキイは、ブカレスト、ベッサリオ、キシニェフと、ルーマニア国内をまた彷徨いはじめる。
 ドニエステル川を隔てて、すぐそこに祖国ロシアがあったこの国で、ベルチンスキイが目にしたのは、ここの国の人々の汚い部分であった。物や金に対する貪欲なまでの執着心に、彼の心は痛む。
 ルーマニア編の第一回目は、ここの人々のハイエナぶりを紹介する。

ハイエナたち
額の金を落とすな
ある女性の悲劇


 コンスタンツァに着いたベルチンスキイは、ブカレスト、ベッサリオ、キシニェフと、ルーマニア国内をまた彷徨いはじめる。
 ドニエステル川を隔てて、すぐそこに祖国ロシアがあったこの国で、ベルチンスキイが目にしたのは、ここの国の人々の汚い部分であった。物や金に対する貪欲なまでの執着心に、彼の心は痛む。
 ルーマニア編の第一回目は、ここの人々のハイエナぶりを紹介する。

ハイエナたち

 ブカレストのレストランで働いている時だった。あるパーティーの席で、イタリアの外交官のひとりが、こんなことをベルチンスキイに言ってきかせた。
 「友人よ、よく聞くがいい。ルーマニアというのは、くっつけたり剥がしたりする国なんだよ。どんな方法をもちいても、ルーマニア人はあなたのお金を取ってみせるはずだ。そう文字通りなんでも取ってしまう。しかしあなたを助けるためではなく、あなたに悪いことをさせないために、全部とりあげてしまうのさ」
 ベルチンスキイは、彼が正しかったことをイヤというほど思い知らされることになる。
 ある日誰か見ず知らずの人間が現れて、「ご存じでしょうか。私はあなたのコンサートができないようにすることも出来るんですよ」と言い寄ってくる。「どうして、何のため」と訝しげに聞くベルチンスキイに対して、「私は検閲局で働いてます。あなたが歌の中にプロパガンダを持ち込んでいると言ってしまえば、コンサートはすぐに中止になるでしょう」と答える。しかたなくマネージャーが「いくら?」と聞くと、「200」という答えが返ってくる。ふたりは、ため息をついてこの金を払うのだった。
 何日か経って別の男が現れ「コンサートは出来ません」と言い出す。「どうして」と尋ねると、「私は消防委員会から来ました。劇場は木造です。今日は切符が売り切れでしょう。人が一杯きます。危ないのです」と答える。「いくら?」と聞く。「300」というので、また300をポケットから取り出すのだった。
 ある日のこと、コンサートが終わり、劇場から出ると、暗がりの中から怪しげな人物が2、3人現れる。車に近づいてきて、ちょっと笑い、わざと咳払いをしながら、なにかぶつぶつ文句をいい始める。
 「何があったのですか?」とマネージャーが尋ねる。
 「私たちは秘密警察から来た、サツなんです」
 「えっ」
 「私たちはあなた方をつけるように言われているのです。誰と会って、どんな話しをするかをね」と答えたあと、すまなそうな調子で「犬の仕事ですよ」と付け加えるのだった。マネージャーは、一人ひとりに10ずつ渡す。彼らは車のドアをあけて、「どこかで食事でもするのですか?、ご心配なく、お邪魔はしませんよ、ごきげんよう」と言ってドアを閉めた。
 彼らはレストランまでついてきて、ベルチンスキイたちが食事をしていたテーブルからすぐ近くのところに席をとり、シュピリッツ(白ワインの水割)を注文する。もちろん伝票はベルチンスキイに回されてきた。

額の金を落とすな

 「この国では出来ないことなどひとつもない。すべては金次第だった。ルーマニアほど泥棒の多い国を私は知らない」
 こうベルチンスキイは書きとめている。
 なによりも辛かったのは、同じミュージシャン仲間も、ハイエナと化していたことだった。
 演奏の合間に、ひとりのミュージシャンが客席におりていく。彼は片手にお盆をもち、チップを集めるのだが、驚くのはもう一方の手で生きたハエを握っていることだ。これは彼がお盆のお金を盗まないようにするためのものだった。金を集めて舞台に戻ってから、彼は握りしめていた手を開き、ハエを放つことで、金に手をつけていないことが証明されるのだ。仲間など誰も信じていなかったのだ。
 金持ちの酔っぱらった客が来たとき、バンドは客のテーブルの近くに呼び寄せられる。客は札束を取り出し、そのうちの一枚に唾をつけ、ひとりのミュージシャンの額に、貼りつける。ミュージシャンはこの紙幣が床に落ちないように演奏し、曲が終わるとこれをポケットにしまい込むのだった。そしてまた客は新しい紙幣をミュージシャンの額に貼る。
 この光景を見たときの驚きをベルチンスキイは次のように書いている。

「最初に見たとき、私はミュージシャンへの恥ずかしさで顔から火がでそうになった。私も同じミュージシャンであることが恥ずかしかった。私に食事をごちそうしてくれたスポンサーに、こんなことをしないでくれとお願いした。しかしミュージシャンたちは、私が彼らの稼ぎを邪魔すると見なし、文句を言ってきた。私はだまってこれが行われるのを見守るしかなかった」

ある女性の悲劇

 ベルチンスキイを呆れさせたのは、この国の人々が欲しいものを手に入れるまでは、ありとあらゆる手段をつかい、目的を果たそうとすることだった。
 「ルーマニア人がもしもあなたの持っているもの、時計やネクタイ、彼女が気に入ったら、すぐにそれを渡すことだ! 何故ならば欲しいものを手に入れるまでだったら、彼らあなたに悪行の限りをするにちがいないからだ」
 こう語るベルチンスキイは、ベッサリオの街で、この警句を絵に描いたようなエピソードを耳にした。
 キシニェフに絶世のロシア女性が現れた。彼女は、テラスポリの町から凍ったドニエストル川を渡り、国境を越えキシニェフにたどり着いた。ここで映画館『オルフェウム』の支配人でオデッサ出身のギリシア人パパダッキが彼女をかくまった。この女性は毎日司令部に出頭して、尋問を受けることになった。彼女は川向こうの国のスパイだと疑われていたのだ。彼女はブルジョワの婦人で、ソ連から逃げてきた、この時代だったらどこにでもいる普通の女性であり、スパイの嫌疑を受けることが不自然だった。
 不幸なことに、彼女の美しさが仇となった。ここの将軍ポポビッチが、彼女の魅力にすっかり心を奪われてしまったのだ。尋問で彼女をへとへとにさせ、憔悴しきったところで将軍は、自由を保証するから、彼と一緒になるように提案してきたのだ。彼女はこれを拒否した。将軍は執拗だった。しかし彼女を説得するのが無理だとわかった将軍は、激怒し、再びドニエストル川を渡らせ、ソビエトに戻るよう命じた。朝5時に彼女は川岸に連れられた。そして凍った川を渡ろうとしたとき、背後から銃弾が浴びせられた。
 この事実を知ったパパダッキは、ブカレストに向い、最良の弁護士を雇い、裁判所を駆けめぐり、調査を要求した。大臣や国王までにも請願した。しかしすべて徒労に終わる。将軍は無傷のままだった。パパダッキはマスコミを金で動かすことに成功するのだが、反対勢力の新聞各社が将軍への攻撃をやめてしまった。弁護側が裁判所に正式に抗議を提出したりし、スキャンダルはおおきな広がりを見せたのだが、すべてはもみ消されてしまった。パパダッキは、どこかに連れ去られ、そのあと粛清されてしまう。
 ベルチンスキイは、この鬼畜ともいうべき将軍ポポビッチとコンサートでしばしば出会うことになる。


 ルーマニアでの生活は、このようにベルチンスキイにとってあまり順調とはいえなかった。人間づきあいで疲れることが多かった。しかしまだこれは序の口だったのである。ハイエナたちの魔手は、彼自身へと伸びてきていた。


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