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【連載】ツィルカッチたち−アリーナの片隅で

第1回 ロシアサーカス物語その1
 ロシアサーカスを築いた男−アキム・ニキーチン

 バレエや体操と共に、旧ソ連が世界に誇るお家芸のひとつにサーカスがある。七千人ともいわれるアーティストを擁するロシアは、中国と並ぶサーカス大国として世界に君臨してきた。ソ連邦解体という劇的な時代の変化を迎えたロシアで、サーカスは、いまだ国民から圧倒的な人気を持つ娯楽の王様であり、さらにショービジネスのドル箱商品として、世界各国でひっぱりだこの人気を誇っている。
 戦争や革命、さらにはソ連の解体という歴史のいばら道を乗り越えて、サーカスはいつもロシア人の心になくてはならないものとしてあった。
 一三○年前ペンザにロシア最初のサーカス場をつくり、ロシアサーカスの栄光の道を切り開き、ロシアサーカスの父と呼ばているアキム・ニキーチンの歩んだ道のりをたどりながら、ロシア人のもうひとつの魂の拠り所、サーカスの歴史を振り返ってみたいと思う。当時ロシアでは、フランスやイタリア、オーストリアの興行師が乗り込み、興行を仕切っていた。ロシア人が経営するサーカスはまだなかったのである。


 ロシア最大のサーカス興行師となるアキム・ニキーチンの人生は、ヴォルガ河中流の河口にある商業都市サラトフの路上から始まった。
 「人がパンを得るためにする仕事で、当てが知れず、最も憐れなのは、オルガン弾きだろう。」
 これは、十九世紀の作家グリゴロービッチの言葉であるが、農奴として生まれたアキムたち一家は、この最下層の仕事−オルガン弾きで生計を立てていたのだ。アキムは、もの心ついた時から、兄のディミトリーや弟のピョートルと一緒に、重い手回しオルガンを担ぎながら街から街へと歩き回り、父の仕事を手伝っていた。
 三人の兄弟は、たまたまサラトフで公演中のイタリアの道化一座に預けられ、厳しい指導のもと、軽業や曲芸などをみっちり仕込まれることになる。ニキーチン三兄弟のサーカス芸人としての土台は、ここで築きあげられる。もっともあまりにも非道な訓練に耐えかねて、三人はこの一座を脱走、故郷サラトフを離れ、地方の見世物小屋や定期市を四年近く放浪することになるのだが・・・。
 しかしこの旅は、ニキーチン兄弟を一流の芸人に育て上げることになる。ディミトリーの力技、ピョートルのアクロバット、アキムの道化芸は、各地で人気を呼び、サラトフに戻り、再び両親のもとで仕事を始めたニキーチン兄弟のもとには、あちこちのプロモーターから仕事の依頼がひっきりなしにくるまでになった。
 このなかで、プロモーターの窓口となって一座を仕切っていったのは、次男のアキムであった。アキムが全てを決定するようになる。

 商才に長けていたアキムは、一座をさらに大きくするために、ちょうど売りに出されていたオーストリアのサーカス一座のテントと馬を買い取ることを決意する。両親や兄弟たちがあまりにもリスクが大きすぎると、心配するのをよそに、アキムは、公証人立会いのもと財産委譲の契約にサインする。一八七三年十二月五日のことであった。
 曲馬乗りのユーリャ嬢を加えたニキーチン一座は、二台の馬車に道具を積み込み、クリスマスに開かれる定期市で賑わうペンザを目指して、吹雪の道を吹っ飛ばした。旗揚げ公演に胸をふくらませ、ペンザに入ったニキーチン一座であったが、思いもかけない難事が待ち構えていた。定期市に出演するために、旅廻りの一座がここペンザにたくさんあつまり、もうニキーチン一座が公演するための場所がないというのだ。自分を信じここまでついてきた家族や仲間を裏切るわけにはいかない、アキムは絶体絶命のこのピンチを、不屈の闘志で乗り越える。落胆と絶望で一座のもとに帰る途中、太陽の照り返しでキラキラ輝く雪原がアキムの目に入る。アキムの頭に咄嗟に、ひとつのアイディアが閃いた。「川だ!」
 確かに地上にはもう場所がないかもしれない。しかし川の上だったら誰も文句がつけられない。アキムはペンザ市の役人と交渉、川の上にテントを建てる了解を得る。この時からニキーチン一家と座員たちの不眠不休の戦いが始まる。氷原にテントを建てて、興行をするというのは、常識を越えていた。馬小屋をどうするのか、氷は溶けないのか、街外れの川での公演に人は集まるのか、といったさまざまな難問が待ち受けていた。アキムは先頭に立ち、この難問に立ち向かった。この時孤軍奮闘のアキムを助けたのは、血を分けた兄弟や両親ではなく、新しく仲間に入った曲馬乗りのユーリャであった。

 夜中灯油を焚きながら作業を続ける一座のもとに、警察署長が訪ねてくる。氷の上にテントを建ててはならぬというのだ。市の許可をもらってあるというアキムに対して、危険だから認められぬといって譲らぬ警察署長の交渉は、座礁に乗り上げ、険悪なムードになっていた。せっかくここまでだどりついたのに、ここで公演するのはもうダメなのかという、雰囲気が一座を包んだときだった、ユーリャが署長の前に歩み出て、こう切りだした。
 「助けて下さいよ。ニキーチン兄弟の初めての事業なのです。私たちはペンザの人たちを楽しませるためにやってきたのです。サーカスがない定期市なんて、考えられないでしょ。きっとお礼しますから。」
 媚びるような目でゆっくりとしゃべるユーリャの美貌に、署長も心を動かされる。最大のピンチはこうして切り抜けられることになった。
 ユーリャは、アキムのサーカスに賭ける情熱に、いつの間にか心ひかれてしまっていたのだ。ユーリャは、やがてアキムの妻として、生涯アキムを、そしてニキーチンサーカスを支えていくことになる。この後も何度となく訪れる窮地を、ユーリャは持ち前の明るさと、アキムへの変わらぬ愛と信頼の力で救っていく。

 さまざまな苦難を乗り越え、十二月二十五日ニキーチンサーカスは、開幕する。ロシアサーカス最初の公演として、この日は永遠に歴史に刻みこまれる。アキムは、この日のために、皆に内緒で大きな幟をつくっていた。この大きな幟は、皆が寝ることも忘れつくったテントのセンターポールに大きくはためいていた。幟にははっきりとした文字で『ニキーチン兄弟のロシアサーカス』と書かれていた。
 この日旗揚げしたロシア最初のサーカス『ニキーチンサーカス』をこれから待ち受けていたもの、それは当時ロシアのサーカス界を牛耳っていたイタリアやオーストリア、フランスなど外国からロシアに渡った興行師たちとの熾烈な闘いであった。
 アキム・ニキーチンの闘いはこの日から始まったのである。


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