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クマのコスモポリタン紀行

第2回 小倉を歩く

 小倉は好きな街のひとつだ。駅裏のごちゃごちゃした感じ、大都市なのだけど、整然としていないのがいい。街自体がすましてないのが、きっと肌に合うのだろう。一番好きなのは、立ち飲み屋が並んでいる駅裏と、そして旦過市場だ。あの雑然とした雰囲気のなかを歩くだけで、不思議な活力をもらうことができる。
 小倉は私にとっては、いろいろと因縁のある街である。
 今回は、北九州博覧祭に出演する国立カザフサーカスのメンバーと一緒に10日間ほど滞在することになったのだが、数日間気ままに、小倉の街を歩くうちに、いろいろな想いが交錯してきた。

 前に働いていた会社で、この街に営業の仕事で一ヶ月近く滞在したことがある。年の瀬も押し詰まった12月のことだったと思う。小倉を拠点に、熊本、福岡、大分などをアタッシュケースを持ちながら、私はボリショイサーカスをセールスしていた。生協、青年会議所、新聞社など、ほぼ飛び込みにちかいかたちで営業していた。売れるまで帰ってくるなと、言われた。いまから思えばずいぶんと無茶なことをいう社長さんだったと思う。最初は営業のイロハも知らない自分が、300万以上もする品物、しかもサンプルなどなく、企画書だけもって、見ず知らない人と会って、いかにこのサーカスが素晴らしいものか説明するだけで、買ってもらえるわけがないじゃないかと、半ば諦めの心境だった。二週間ぐらい、まったく成果がなかった。実際に売れるわけがないと思っていた。会社に電話をして、売れそうにもありませんと泣き言をいっても、帰って来いとは言ってもらえなかった。
 暮れはどんどん押し詰まってきた。いつも日参していた旦過市場は、買い物客でいっそう賑わいを増していた。もしかしたら本当に帰れなくなるかもしれないと思いはじめた。その頃の小倉は、時間がつぶせるところがなかった。駅の近くのピンク映画館によく通ったものである。映画館から出るたびに虚しい気持ちになった。
 五木寛之の『青春の門』の舞台になった香春のボタ山を見に行ったのは、そんな時だった。もう行くところもなく、時間もつぶすこともできなくなり、ふっと思って出かけた。削られた山肌の荒々しさを目の前にして、気持ちがすっと楽になった。そして頑張らねばと不思議な活力が湧いてきた。
 もう一度ダメでもともと、やってみよう、そんな気になっていた。一からやり直し、いままで電話しても反応のなかったところに、もう一度電話してみた。確か大分の生協だったと思う。会議でやろうという話しになって、ちょうど電話しようと思ったところだといわれた。初めて突破口が開けた。2会場が売れた。これが自信となった。初めて自分でサーカスを売ることができたのだから。あとはトントン拍子だった。熊本、福岡、北九州と次々に売れて行ったのだ。不思議なものである。大分に行き、最後の契約の詰めをして、この時の出張は終わった。とんでもないノルマだと思っていた5会場の公演を自力で売ることができたのである。契約をとりつけ、会社に電話をした。いまから夜行で東京に戻りますと言ったら、よしご苦労さんと言われた時は、心底嬉しかった。自分へのご褒美にA寝台にした。会社に着いたのは12月28日の朝、長い出張は終わった。いまから15年前のことである。いまでも忘れられない。
 この時泊まっていたのは、旦過市場の近くの小倉セントラルインというホテルだった。あの時旦過市場で刺身や漬け物、おでんを買ってホテルの部屋で酒を飲んだものである。考えてみれば、これより5年ぐらい前初めてサーカスと一緒に仕事をして、やっと慣れてきたとき、このホテル滞在中に辞令をもらって正式社員になったのである。小倉は私にとってはいろいろ因縁ぶかいところなのである。

 あの時小倉駅は、ぼろかったし、ださかった。いまは新しい駅ビルになっている。駅前の一番目立つ建物はそごうなのだが、いまは閉店している。駅前の一等地にそびえ立つ建物が、いまは空き家。このアンバランスが小倉という街の特徴なのかもしれない。
 駅ビルに入っている店舗は、新宿、横浜、大宮などのルミネにあるのと同じ、駅は自分の街の顔になるのに、どうしてこんな没個性になってしまうのか。この街にルミネは似合わない。そしてモノレール。これは前に来た時もあっのだが、垢抜けない代物といっていいのではないだろうか。
 北九州というか、小倉は、垢抜けない街でいいと思う。なんか突っ張っている、もしかして今回カザフサーカスが参加している北九州博覧祭もそうかもしれないし、スペースワールドというアトラクション・パークもそうかもしれない、ドームの競輪場もある、一流を目指しているのだが、一流にはなれない、ダサさ、それが小倉の魅力だと思うし、そこが好きだ。
 博多や札幌がつまらないのは、東京のコピーになっているからだ。小倉は、街と呼べるなにか雰囲気を隠し持っているような気がしている。
 小倉の街の繁華街魚町は、アーケードが迷路のように張りめぐらされている。ちょっと横に入っても、また別のアーケードが現れる。なにか迷路を歩いているようで結構楽しい。

 この商店街で、ナガリ書店という渋い本屋さんを見つけた。知らない街を歩いていて、なによりも嬉しいのはいい本屋さんを見つけること。このナガリ書店は、かなりレベルが高い。サーカス研究家で、尊敬する阿久根巖氏の最新作「逆立ちする子ども」を見つけてまず嬉しくなった。露文時代の一年後輩で、急逝した久保木氏が訳したブルガーコフ論の新作もあった。そしてそんな広くもない店内にもかかわらず、ぶあつい埴谷雄高全集や渋澤龍彦全集が、どんと並べてあるのにも驚いた。かなり嬉しくなって、外へ出たら、旦過市場をめざとく見つけたカザフのメンバーの一行が、うろうろ歩いているのが目に入った。ナガリ書店は、この市場の入り口のすぐ近くにあるのだ。こういう時は、あまりメンバーとはかかわりたくない。逃げるようにして横町に入ったら、ここもアーケードになっているのだが、ほとんど人通りがない静かな通りだった。このルネッサンス通りにあった古本屋アタゴ書店に入る。そんな広い店内ではないのだが、なかなかいい本が並んでいる。中年のおじさんが、一生懸命本棚を見つめていた。そういえば小倉の街には、中年やもっと上のおじいちゃんが、ひとりでよく歩いているのを見かける。たぶん仕事はもうしていないと思うのだが、ひとりで街を歩いている。目的がなく歩いているというわけではないと思うのだが、こうしたおじちゃんたちをよく見かける。
 さてこの本屋で不思議な本を見つけた。『関熊太郎伝』という本だ。暁印書館という茨城県の本屋さんから出されている本で、水戸藩出身で明治時代に北方を探険した男の伝記だ。いつか荻窪の古本屋さんで『環海異聞』を見つけて、若宮丸漂流民のことが気になって調べることになったように、こうした未知の一冊の本との出会いが、また私の運命を変えることになるかもしれない。これもまた旅の魅力である。


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