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クマのコスモポリタン紀行

第14回 伊勢大神楽総舞を見る

 世の中がクリスマスで浮かれる12月24日、伊勢大神楽の太夫さんたちの本拠地、三重県桑名にある増田神社に出向き、六つの社中が集まって全曲奉納する総舞を見てきた。こんな楽しい遠足は久しぶりだった。

 2009年12月24日座布団、おやつ、みかん、ワンカップ日本酒2本、ビデオカメラ、デジカメを入れたリュックを背に、2週間前零下38度のヤクーツクを訪れた時とまったく同じコートを着込んで家を出た。総舞を見続けて15年以上という大ベテランの上島さんご夫妻からの「とにかく寒いからね、厚着してきて。それに下はビニールシートしかないから座布団は不可欠」というアドバイスにしたがったわけだ。ちなみにおやつはこの日神社開門の8時から並び、席をとってくれるという上島さんたちへのお礼。ワンカップは、いうまでもなく寒さ対策の最後の砦であった。

太夫というバス停
太夫というバス停
この小さい路地の先に増田神社がある
この小さい路地の先に増田神社がある
境内は人で一杯
境内は人で一杯
バックヤード(?)
バックヤード(?)

 名古屋から近鉄線に乗り換え、駅の構内で天むすを買い、急行電車に乗り込む。桑名までは20分ほどで着いた。駅前からバスに乗り、太夫という停留所で降りる。なかなかいい名前のバス停である。ここから小さな路地を歩いて3分ほどのところに増田神社があった。思ったよりも小ぶりの神社である。神社の境内には蓆が敷きつめられている。
 到着したのは11時すぎ、始まるのは12時半なのだがすでに境内の半分近くは埋まっていた。上島さん夫妻を探すと、なんとなんと正面の一番前のところに陣取っているではないか。奥さんの話だと8時に来ても一番乗りじゃなかったという。とっていただいた一番前の席に座って始まるのを待つ。この間に弁当を食べ、トイレをすまし、態勢を整える。
 そのうちに社中の人たちが三々五々現れてくる。奥さんの話だと最近は若手の、それもイケメン君が多くなったという。なるほど思ったより若い人たちが多い。この若者たちは、大道芸というよりは演劇をやっていた人が多いという。12時をすぎると境内は立錐の余地もないくらいに一杯になっている。予定では3時間の長丁場、途中休憩があるわけでもなく、トイレも一カ所しかないということで、人をかき分けかき分け、念のために再度手洗いを済ませる。
 神社の奥にある建物からお囃子の音が聞こえてくる。ここでまずお参りしたあと、こちらへやってきて始まるということになっているようだ。いよいよである。ここで上島さんから「真剣に見ないほうがいいですよ、とにかく長いし、適当に楽しむことです」とのアドバイス。ここで思わず肩の力が抜ける。このアドバイスは実に適切なものだったということが、あとでよくわかった。

 

吉野舞
吉野舞

 なんの挨拶も、MCもなく、出演者の皆さんが蓆敷きの舞台(これが結構狭い)になんとなく集まり、お囃子が演奏され、なんとなくはじまりとなった。まずは獅子が出てきて、獅子舞から。上島さんのブログ『雑芸雑報』によると、この日は、鈴の舞、四方の舞、跳びの舞、扇の舞、綾採りの曲、水の曲(長水、半水、突き上げ)、皿の曲、手毬の曲、吉野舞、献灯の曲、神来舞、毬獅子の曲、剣三番叟の曲、魁曲が演じられたとのことである。扇の舞までは獅子舞で、ゆったりとした感じで進んでいく。ひとつ残念だったのは、獅子がお客さんのところを回って頭をがぶりとかんでくれるのだが、自分はかんでもらえなかったことだった。
 綾採りの曲、水の曲(長水、半水、突き上げ)、皿の曲、手毬の曲、献灯の曲、剣三番叟の曲、魁曲が「放下芸(ほうかげい)」と呼ばれる曲芸である。ジャグリング系の曲芸が多いのだが、みな完成度が高いものばかりであった。正直ここまでレベルの高い芸が見られるとは思わなかった。しかもどの芸にも必ず道化役のチャリが出て、演者と掛け合いを演じ、パロディーを演じて、笑いをとる。これが実に楽しいのだ。それぞれの社中の道化役が出てきて、実に軽妙に道化を演じていた。サーカスを見馴れている自分からすると、こうしたチャリが邪魔になり、芸をしっかり見せてくれよといいたくなるはずなのだが、今日はそんなことをまったく思わなかったし、逆にこのチャリにすっかりはまってしまった。お客さんもレベルの高い曲芸に拍手をおくるのだが、むしろこのチャリとのやりとりの方をより楽しんでいるように見えた。チャリには、観客からよく掛け声がかかった。もちろん曲芸を演じる方もきちんとした芸を見せたいと思っているし、実際にすごい技を見せてくれている。ただ失敗してもあたふたするのではなく、見せ方に余裕があるのだ。それはいい芸を見せることより、楽しんでもらうことに重点を置いているからであろう。上島さんからあとで聞いた話だと、今年はこのチャリを演じる人たちの出来が実に良かったとのこと。

 曲芸をひとつずつふり返ってみたい。
 「綾採りの曲」は木棒をつかったジャグリングとデビルスティックの芸。
「綾採りの曲」
 「水の曲」は、長水、半水、突き上げと三つに分かれている。正確には覚えていないが、かなり長い間演じられていた。技として見栄えがあり、スリリングでもあったのが、竿をどんどんつなぎあわせていき、そのバランスをとっていくもの。外で風の影響を受けながら、バランスをとる技も見事であったが、その竿の先から5色の紙テープが出てくるのにはびっくり。青空の下色鮮やかなテープが風に舞うさまは、実に美しかった。
 最初に出てきた棒の上に鞠をのせてジャグリングをする技を演じる時に相方をしていたチャリの人のテンションはかなり高かった。(帰りはこの人に車で駅まで送ってもらった)お客さんからずいぶん声がかかっていたが、おそらくお客さんの半分以上は常連さんなのかもしれない。こうしたかけあいの呼吸も楽しい。
「水の曲1」
「水の曲2」
 「献灯の曲」は、なかなか高度なバランス芸なのだが、この凄さを伝えようとしない、むしろ相方のチャリにスポットが当たるように振る舞う。芸を見せるのではなく、芸を通じて楽しんでもらうという、この大神楽のスタイルにだんだん馴染んできた。このころになると、座布団の上に座っているものの、結構きつい窮屈な姿勢なので身体全体がかなりへばってきていたのだが、心はこの大神楽のゆったりとしたリズムに呼応し、ひらかれてきたようだ。上島さんが「真剣に見ないほうがいいですよ」という意味がわかってくる。ここで見せてもらっているものは、正しくは芸といえないのかもしれない。さまざまな技を見せてもらってはいるが、この技を芸として評価することよりも、この技を通じて神を(人々を)楽しませようとするこの人たちの気持ちと一体となること、そっちの方が大事なのである。バックでずっと演奏されているお囃子のリズムが、すっかり自分の身体にしみこんできていた。
「献灯の曲」
 「皿の曲」は、大きな皿を額やアゴで立てたり、手のひらで返したり、棒の上に載せてバランスをとったりするのだが、他の技と比べてテンポがあった。
「皿の曲」1
「皿の曲」2
 「手鞠の曲」 ここまでほとんど口を開かなかった上島さんが、「これは手鞠の曲、珍しいですよ、普通はやらないですよ」とちょっと興奮気味にコメント。三つボールのジャグリング(正確には二つボールと扇)なのだが、ジャグリングの原点はこれじゃないかと思わされる素朴なテクニックの積み重ねがあった。お見事である。
「手鞠の曲」
 「玉獅子の曲」 個人的にはこの曲が一番好きだった。玉をめぐって獅子と翁のやりとりをみせるのだが、面をかぶっている翁のしぐさが絶品、囃し方もからんでくるのだが、この掛け合いがまさに絶品であった。(囃し方の人と駅でばったり、名古屋まで一緒だった。福井から今日は来ていたようだ)翁自身はまったくしゃべらず、マイムだけの演技なのだが、笑いのテンポが実にゆっくり、そしてしつこいのが、とてもいい。しつこく鼻くそをとるしぐさには大笑い。1分間でどれだけ笑いがとれるかという方向にきている昨今のテレビの笑いとは、まったく対極にある、時間なんて決まっていないし、こっちはこっちのペースでやるよ、というこのまったりとした感じがとてもよかった。
「玉獅子の曲」
 「剣三番叟の曲」 剣をつかったジャグリング。
「剣三番叟の曲」
 「魁曲」は「花魁道中」とも言われているように華やかに総舞を締めくくる。土台となる人の肩の上に華やかな着物を着た獅子が乗り、アクロバッティクな軽業を見せていく。上の獅子には各社中のイケメン君たちが扮していた。土台となった人たちもしっかりと支えていた。見事なものである。
「魁曲」1
「魁曲」2
あっというまに静かな境内に
あっというまに静かな境内に

 およそ3時間、存分に楽しませてもらった。そんな余韻にひたるまもなく、ものの30分もしないううちに、手際よく境内に敷きつめられていた蓆や飾りものが片づけられていく。ここにさっきまでたくさんのお客さんがつめかけ、観客と芸を奉納する演じ手がつくりだす濃厚な場があったということがまるで幻のように感じられる。これが、旅から旅へと神を届けるため各地を遍歴する伊勢大神楽の本質なのかもしれない。

 伊勢大神楽の社中が六団体もあり、西日本を中心に旅を続けているということは、それを受け入れる家やコミュニティーがあるということである。しかも若い人たち、中堅どころの人たちが社中の中心となっている、なくなりつつあるものをぎりぎりで守っているというのではなく、現在もまさに生き生きと活動をしているわけである。初めて総舞を見て、伊勢大神楽の魅力にすっかりはまったことは間違いない。来年も時間があればぜひ見たいと思った。そしてもうひとつ気になったのは、この旅する獅子たちを人々はどう受け入れているのであろうかということである。
 次は伊勢大神楽とともに旅をしたいものである。 


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