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旧デラシネ掲示板 過去ログ

11 2002年3〜4月(No.204-244)

244. お待たせしました、会報発送しました クマ [URL]  2002/04/28 (日) 23:40
ながらくお待たせしました。石巻若宮丸漂流民の会会報『ナジェージダ』第2号を今日発送しました。今回は佐川急便のメール飛脚便をつかっています。郵便より安いんですが、ちょっと日にちがかかります。、明後日か3日後ぐらいには、みなさんの家のポストに届けられるはずです。今回は付録が充実しています。
お楽しみに。



243. Re: それでは クマ [URL]  2002/04/25 (木) 12:53
> 当方で受付することにしますか。
> 電話・ハガキ・メールで。ファックスはありません。
今回はなにからなにまで面倒みてもらい申し訳ありませんでした。
よろしくお願いします。



242. それでは 雪狼@広報部 [URL]  2002/04/24 (水) 13:35
当方で受付することにしますか。
電話・ハガキ・メールで。ファックスはありません。
文章は受け取った内容でOKです。



241. 雪狼さんにまたお願い クマ [URL]  2002/04/24 (水) 11:17
寒風沢ツアーの件です。いま会報をつくっているところなのですが、本業がちょうど忙しい時で、遅れております。
ツアーの内容をまとめたものを、一度メールでおくりますので、これでいいか確認してもらいたのですが、もうひとつ申し込み先を今回は雪狼さんのところにしたほうがいいのではと思ったのですが、いかがでしょう。その場合電話でもいいのかどうかということも判断してもらいたいのです。すいませんが、よろしくお願いします。



240. Re: スケジュール クマ [URL]  2002/04/20 (土) 00:43
ロケハンまでしてもらいありがとうございました。
これで会報の原稿は全部オーケーになりました。なるたけすみやかに会報の作成をします。
ご苦労さまでした。助かりました。



239. スケジュール 雪狼@広報部 [URL]  2002/04/19 (金) 17:50
今日、現地を視察して、訪問の時間を決めてみました。

塩釜マリンゲートに8時半集合。
9時に乗船。10時ごろ寒風沢着。
松林寺、日和山などを散策し、伊豆屋さんで昼食。また伊豆氏の過去の津太夫研究の話や、相互の意見交換の場を持つ。
松林寺の住職さんは不在の可能性が強く、踏み込んだところ(過去帳)までいけるかどうか。手紙は出しておきますけど。

それから先は次の行動がありえます。
渡し舟(無料)で野々島東岸に渡り、1キロの道のりを歩いて同島の西岸に出、また渡し舟(無料)で石浜へ。同所を散策し、4時46分発。
これは人数によって渡し舟が使えない可能性もあり、また長いこと歩くため相当疲れると思います。
寒風沢から2時8分/4時38分の船で塩釜に帰るという選択肢もありえます。
石浜をコースにするかどうかは当日決定でも間に合うので、前半部分で皆様にお知らせください。

というわけで。
食費と船代で2000円になります。ただし塩釜帰着後の慰労会の費用は含みません。なお寒風沢では商店も限られるので、各自飲料やスナック類を持っていったほうが良いでしょう。

参加人数は5月8日までにお願いします。当方は例によって2名参加予定です。



238. 了解です 雪狼@広報部 [URL]  2002/04/16 (火) 14:44
19日、一度寒風沢を訪問するので、そこで決定することにします。



237. 寒風沢ツアーについて クマ [URL]  2002/04/15 (月) 23:36
雪狼さんにお願いです。
寒風沢ツアーの簡単な予定と、まわるコース、解散時間の予定、だいたいの予算をまとめていただけませんか。会報に掲載するためです。
ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします。



236. 崎陽雑記(きようざっき) 雪狼@広報部 [URL]  2002/04/12 (金) 20:41
なる本があるそうですが、ご存知でしょうか。ぜひ見てみたい一品です。早稲田大学の図書館のHPにありました。
http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/hyoryu1/hyoryu1-4.htm




235. レザーノフの露日辞典配布します クマ [URL]  2002/04/12 (金) 01:02
レザーノフの露日辞典の翻訳は、当会の副会長でもある東北大学東アジア研究センターの平川新氏のプロデュースで、出版されました。ただ一般的に入手することが難しいということで、この出版の意義もなかったのではと、以前私はこの『デラシネ通信』のなかで発言しました。
これじゃ学者の点数稼ぎで終わってしまうのではという結構辛辣なことを言いました。一般的にこの辞書が使われれないのなら、意味がないのではということも言ったと思います。プロデューサの平川さんは、私のこの発言を大変重く受けとめてくれ、ひそかに増版する手筈をしてくれていました。そしてこのたび、増版までこぎつけてくれたばかりなく、これを最大限有意義に利用してほしいということで、会に120部寄贈するということまで根回しをしてくれました。
ということで、いま私のもとに平川さんの手配で、辞書翻訳が120部届けられました。
会員のみなさんには会報と一緒にお送りできます。
このことにより、市民レベルでこの辞書をベースに方言研究の道が開けたと思います。
平川さんありがとうございます。
会員以外の方にも、この辞書に興味がある人にくまなく配られるように、やりかたを考えてみたいと思ってます。
この辞書をつかって、方言研究、あるいは18世紀の日本語、ロシア語研究、文化の研究のすそ野がひろがるのなら、私としてもとてもうれしいことです。最大限みんなで利用しましょう。



234. Re: 集合時間は9時45分で 本間英一  2002/04/11 (木) 21:38
> 松林寺には帰国した津太夫・左平ばかりでなく、ロシアに留まった民之助・左太夫・銀三郎の戒名も残っています。ということは、津太夫と左平の最初の戒名もあるはず。(先日太十郎・儀平の最初の戒名に気づかなかったのは落ち度でした…)
これらの戒名は、もうすでに亡くなったと思ってつけたものでしょうか。だんだんと色んなことが分かってきましたね。18日だと私も参加できそうです。石浜のある桂島は菜の花がまだ咲いているでしょうか。



233. 集合時間は9時45分で 雪狼@広報部 [URL]  2002/04/11 (木) 15:56
石浜のほうは、最善のコースを一度調べてきます。

松林寺には帰国した津太夫・左平ばかりでなく、ロシアに留まった民之助・左太夫・銀三郎の戒名も残っています。ということは、津太夫と左平の最初の戒名もあるはず。(先日太十郎・儀平の最初の戒名に気づかなかったのは落ち度でした…)

昼ご飯は寒風沢の伊豆屋さんで、ということにしましょう。伊豆さんの知り合いの方に、津太夫の墓探しをした方がいるらしいので、調査の時の話も聞けると嬉しいですね。



232. Re: 観光船 クマ [URL]  2002/04/08 (月) 18:59
> 塩釜発は、9時30分と10時14分とがあります。
> どちらがいいでしょうか。
10時14分にしましょう。9時45分に港集合ということで案内はします。
> なお石浜によるのは可能ですが、
> 少し面倒なことになるか長い時間の船待ちが必要になりそうです。
あまり長い時間船待ちだけというのはね、どんなもんでしょう。
これについては石垣先生にも相談してみます。



231. 観光船 雪狼@広報部 [URL]  2002/04/08 (月) 16:17
塩釜発は、9時30分と10時14分とがあります。
どちらがいいでしょうか。
それで選ぶほうの30分前に港に集合、としましょう。
なお石浜によるのは可能ですが、
少し面倒なことになるか長い時間の船待ちが必要になりそうです。



230. Re: 寒風沢 クマ [URL]  2002/04/04 (木) 22:30
> 18日でOKです。
> 集合時間は、時刻表次第で決めますが、午前9時〜10時の間で設定したいと思います。
手配ありがとうございます。
集合時間がわかりましたら、また連絡ください。会報に時間を入れて掲載します。
私は、寒風沢は行ったことがないので、とても楽しみ。
でも前日に仙台に入らないとダメですね。
でもこうしてちょこちょこ帰るきっかけができたことで、両親も喜んでいるし、いいことです。
お父様にもよろしくお伝えください。



229. 寒風沢 雪狼@広報部 [URL]  2002/04/04 (木) 11:29
18日でOKです。
船を借りるのは無理とのことで、今回は石浜と寒風沢だけに決めましょう。塩釜駅から普通に遊覧船で渡海(大げさ。。。)
集合時間は、時刻表次第で決めますが、午前9時〜10時の間で設定したいと思います。



228. Re: ハワイへ行きました クマ [URL]  2002/04/04 (木) 10:22
レザーノフの航海日記が収められている、「コマンドール」という本によると、ハワイに碇泊していた時は、レザーノフとクルーゼンシュタインとの間の対立が激しくなり、レザーノフは孤立無縁の状態にあったようです。思うように食糧も得ることが出来ず、航海中で一番イライラしていた時期だったと思います。
レザーノフや津太夫たちが航海した航路をたどる旅なんてのもしてみたいですね。



227. ハワイへ行きました 本間英一  2002/04/03 (水) 22:24
3月25日より4月1日までハワイに行ってきました。留守中の定例会の記事など石巻かほくの記事で見ました。ご苦労様でした。さて、ハワイ島の南岸、ナジュジダ号がさまよった辺りの海を見てきました。想像よりもはるかに険しい海岸で溶岩の為、黒色の崖がつづき、錨泊するようなところはほとんどありませんでした。キャプテンクックが寄港し、殺害されたケアラケクア湾は比較的良好で、現在はマリンレジャで賑わっていました。



226. Re: リンクさせていただきました クマ [URL]  2002/04/01 (月) 14:53
> こんばんは。いつもお世話様です。
>
> さてさて、事後連絡で申し訳ないのですが、クマさんのHP、
> 内容的に非常に素晴らしいので、勝手ながら今般リンクさせて
> いただきました。お暇なときにでも紹介文内容の確認などして
> いただければ幸いです。
ありがとうございます。紹介文も立派なお言葉をいただき恐縮しております。桜樹ルイ16世さんとは、日ロ交流協会の掲示板で知り合いました。日露関係のことで、いろいろ知恵を拝借したり、励まされたりしております。皆さんも一度桜樹ルイ16世さんのHPをご覧になって下さい。決してアダルト系ではありませんので、安心して見られます。なかなか濃いサイトですよ。
こちらこそ今後ともよろしくお願いします。



225. Re: お疲れ様でした クマ [URL]  2002/04/01 (月) 12:49
お疲れさまでした。斉藤先生は、二日前に出張中に疲労のため倒れてしまい、実家のある宇都宮で休養していたそうです。当日も宇都宮から直接会場にお越しいただいたとのことでした。
当日は八人の方に会員になっていただきましたので、当会も六〇名を越えました。河北新報の方も取材に来ていたようなので、いずれ記事になるのではないでしょうか。久野さんの話ですと、水曜日に「石巻かほく」で漂流民シンポジウムの記事がでるらしいです。
寒風沢探訪ツアーですが、5月18日でどうだろうということになりました。よろしくお願いします。



223. お疲れ様でした 雪狼@広報部 [URL]  2002/03/30 (土) 17:28
今日はお世話様でございました。
船の構造などは絵で見たくらいだったので、映像で見てみると実感するものがありますね。
海難事故の書類についても、また考え直すことも出来ました。津太夫らは帰国の日まで浦賀への通航所や積荷送り状をきちんと保管していたわけで、あらためて書類の重要性を確認しました。
今日話に出た「浦証文」、そして積荷損害の保証も今後の課題だと思います。



222. リンクさせていただきました 桜樹ルイ16世 [URL]  2002/03/30 (土) 00:15
こんばんは。いつもお世話様です。

さてさて、事後連絡で申し訳ないのですが、クマさんのHP、
内容的に非常に素晴らしいので、勝手ながら今般リンクさせて
いただきました。お暇なときにでも紹介文内容の確認などして
いただければ幸いです。

それでは、今後とも何卒宜しくお願い致します♪



221. 平川さんへ クマ [URL]  2002/03/28 (木) 13:07
30日ですが、13時ぐらいに博物館に行くつもりでいます。
軽く打合せをした方がいいと思ってますが、いかがでしょう。
一応入会案内を百部持っていくつもりでいますが、多すぎますか?
というか会場で配布できるのでしょうか。
私は明日朝から、仕事で石巻に向かいますので、メールは明日以降は見れなくなってしまいます。
では明後日、楽しみにしています。



220. 寒風沢訪問例会 雪狼@広報部 [URL]  2002/03/20 (水) 22:28
5月の最終日曜日(26日)が候補でしょうか。この島は過去に3度訪れていますが、若宮丸のことを知らなかった時のこと。これからは違った気持ちでこの地に足を踏み入れることになりそうです。

> もし、必要なら寒風沢の松林寺にある津太夫の過去帳の写真もあります。
こちらもお願いします。
同じ寒風沢の左平、そして帰国することのなかった左太夫・銀三郎・民之助の戒名も残っていますが、同じ浦戸の辰蔵については木崎先生の本にも書いていませんね。寒風沢にないとすれば、塩釜か七ヶ浜のどこかにあるかも。こちらも探してみたいです。

昨夜は仙台暴風でしたが、若宮丸が嵐の中どれほど大変だったんだろうと思いました。普通の生活でも暴風は嫌なのに、逃げられない破船の中・陸も見えない状況は想像もつきません。



219. ティレジウスのスケッチ クマ  2002/03/19 (火) 23:48
なんとか実現したいと思っている『レザーノフと日本』展について、いろいろと調べております。目玉のひとつと考えているナジェージダ号に乗船していた画家ティレジウスの描いたスケッチのあり場所がわかりました。
よく仕事を手伝ってもらっているモスクワの知人が、これが国立ロシア図書館に所蔵されていることをつきとめてくれました。
彼女が言うには、オリジナルを日本で展示するのは難しいのではということですが、なんとかトライしたいと思っています。
クラスノヤールスクにあるレザーノフの持ち帰ったものにどんなものがあるのかわかれば、とりあえずそこで提案書をつくり、アタックを開始したいと思ってます。
地元の新聞社と博物館、美術館あたりと一緒にやるしかないと思うのですが、それともうひとつNHKあたりがつくと理想的なのですが、誰かコネクションないですかね。



218. Re: 寒風沢 E.本間  2002/03/19 (火) 19:05
> 本間さん>
> 写真、届きました。ありがとうございました。
過去帳の写真、どうぞお使いください。本当に良い鳴瀬訪問でした。もし、必要なら寒風沢の松林寺にある津太夫の過去帳の写真もあります。5月下旬の寒風沢散策の件ですが、テニスシーズンでもあり週末は参加できるかどうか分かりませんが皆様のご都合にあわせてください。



217. 寒風沢 雪狼@広報部 [URL]  2002/03/15 (金) 16:24
本間さん>
写真、届きました。ありがとうございました。
こうして過去帳の写真をあらためて見直すと、先日の感動がまたよみがえってくるようです。うちのHPでも、ぜひこの画像を使用させてください。
それにしても、いいかげん髪の毛を切る必要を感じさせる写真でもあります(笑)。HNどおり狼のタテガミみたい。

>5月下旬ぐらいに寒風沢あたりを皆で歩いてみたいですね。
>この企画は、雪狼さんと本間さんが中心になって組んでみてください。
わかりました。寒風沢の伊豆屋さん(山下氏の「解題」にも名前が見える方です)に強力なツテを作ったので、はやめにお膳立てをしておこうと思います。
記録にも残る津太夫・左平・左太夫らの戒名だけでなく、善六とともにロシアに骨をうずめた辰蔵・民之助の戒名も同地で見つかるかもしれませんね。

観音寺さんでは儀平の墓を探したという話も出ましたが、寒風沢には津太夫の墓を見つけようとした人もいたらしいので、その時のことなどを伺えるのではないでしょうか。



216. Re: 室浜観音寺住職より くま [URL]  2002/03/15 (金) 15:35
たしか渡辺住職は、当会の会員でしたね。
了解しました。
明日にでも送っておきます。



215. 室浜観音寺住職より E.本間  2002/03/14 (木) 21:35
クマさんへ
先日の鳴瀬訪問で観音寺の住職、渡辺照吾様より若宮丸漂流民の会の会員名簿のコピーが欲しいとのことで、石巻文化センターの庄司さんに聞きましたが名簿は大島さんのところに有るとのことで、さしつかえがなければ観音寺さんへ送ってくださるようお願いです。なにか、鳴瀬町の女性の方で当会の会員の方がいて住職さんは誰だか忘れてしまったそうです。



214. 成瀬訪問について クマ  2002/03/13 (水) 23:20
本間さん早速過去帳の写真お送りいただきありがとうございました。
雪狼さん原稿ありがとうございました。
天気もよかったみたいで、収穫も多かったみたいで、なによりです。
私の若宮丸の取材の最初は、太十郎の墓を見ることからはじまりました。ですから非常に感慨深いものがあります。生意気なようですが、あの記念碑がある高台から室浜を見たときに、この海が見たくて帰国の道を選んだのだろうなと思ったものです。
今回の大きな収穫は、過去帳を実際に見たことでしょう。またそこで住職さんのお話も聞けたことはとてもよかったと思います。
こうしたひとつひとつの積み重ねから、なにかが生まれると思います。5月下旬ぐらいに寒風沢あたりを皆で歩いてみたいですね。
この企画は、雪狼さんと本間さんが中心になって組んでみてください。
いい話ありがとうございました。



213.  雪狼@広報部 [URL]  2002/03/13 (水) 20:02
原稿を送信しています。
あ、本間さん、今日はありがとうございました。
こうやって実際に歩きながらだと、文書やネットでは感じられない新鮮さがありましたね!



212. 鳴瀬訪問 E.本間  2002/03/13 (水) 19:28
雪狼さんと、3人での鳴瀬訪問は天気もよく大変良かった訪問でした。風は強かったのですが、室浜の観音寺は周りを山で囲まれて風が当たらず暖かかった。私は、太十郎の墓を見るのは初めてで、また過去帳も見せていただき、収穫は大きかったです。帰りに、鳴瀬川河口にある白鬚神社も見てきました。ここには、航海安全の八大龍王の碑(嘉永年間)や弁財天供養塔(宝暦年間)も有りました。
雪狼さんとお父さんありがとうございました。 本間



211. Re: 成瀬に行ってきました くま [URL]  2002/03/13 (水) 17:09
ごくろうさまでした。天気はいかがでした。

>
> >太十郎や儀兵衛の過去帳
> はい。本間さんがここで話題を出してくれまして、文化年間の文書を出してもらいました。儀平や太十郎の戒名も発見しまして、感激でした。
やはりあったのですね。感激するのはよくわかります。これも是非『レザーノフと日本』展に展示したいものです。
たぶんあるとは思っていたのですが、良かったです。大収穫だったのではないでしょうか。

> 今度は、例会の一環として室浜訪問したいですね。寒風沢・室浜・石巻をコースにしてあるいてみましょう。

一日で回るのもいいですが、じっくりと歩いて探索するのが、いいのではないかと思っています。3月は仙台ですので、その次は是非探訪ツアーをやりましょう。
それでは気合の入った原稿お待ちしています。



210. 成瀬に行ってきました 雪狼@広報部 [URL]  2002/03/13 (水) 15:37
今日午前9時、鳴瀬町役場に到着、そこで本間さんと合流して教育委員会に向かいました。

そこでは、いつものように、地元でもあまり知られていないことから話題をはじめ、若宮丸の会の紹介や今後の活動目標を話してきました。
それから例のお墓の移動の件も話題に上りました。
つづいて、観音寺の和尚さんを紹介していただいており、大高森へと移動。教育委員会様の車で案内いただくという待遇です。

>太十郎や儀兵衛の過去帳
はい。本間さんがここで話題を出してくれまして、文化年間の文書を出してもらいました。儀平や太十郎の戒名も発見しまして、感激でした。
戒名の説明ももらいまして、今まで考えたこともなかっただけに、大いにためになりました。

和尚様にもお墓の移動先についてどこがいいかと話になりましたが、やっぱり移動しないといけないんでしょうね…

最後に太十郎のお墓に行きまして、あらためて戒名を確認しました。

今度は、例会の一環として室浜訪問したいですね。寒風沢・室浜・石巻をコースにしてあるいてみましょう。



209. Re: そうですか・・・ くま [URL]  2002/03/12 (火) 12:05
いよいよ明日ですね。天気がいいといいですね。
ひとつお願いなのですが、太十郎や儀兵衛の過去帳のようなものは残っていないのか、調べていただけますか?
> 帰ってきたら早速原稿に取り掛かりますよぅ。
ありがとうございます。助かります。



208. そうですか・・・ 雪狼 [URL]  2002/03/12 (火) 10:57
では本間さん、明日の9時15分に、役場前で。
さきほど先方と連絡がつきました。
帰ってきたら早速原稿に取り掛かりますよぅ。



207. 鳴瀬町訪問 平川  2002/03/11 (月) 19:02
 13日の鳴瀬町訪問ですが、なんとか訪問したいと、会議等が入らないようにしていたのですが、ついにつかまってしまい、抜けられなくなってしまいました。今回はあきらめて、次の見学会を期します。申し訳ありません。



206. 特集新聞見ました 安倍冨士男  2002/03/11 (月) 10:00
こんにちは。
盛岡の安倍です。

石巻かほくの正月特集号を読ませて頂きました。
紙面のトップの写真を見て、びっくりしました。
実家の近所の阿部先生(鳴瀬町在住)がニコニコして出ているではありませんか。
実は、阿部先生には、昨年のゴールデンウィークに、松尾芭蕉の奥の細道ルート(松島から石巻間)を教えて頂いたばっかりでした。
二人で半日がかりで旧道と廃道を走ったのでした。
んん〜。ますます縁を感じる今日、このごろでした。



205. Re: ハリストス教会 クマ  2002/03/04 (月) 22:36
たいへん興味あるお知らせありがとうございます。
そもそもニコライが函館でロシア正教の布教をはじめた時、最初に洗礼を受けた日本人のなかに、伊達藩の侍が多く含まれていたということがずっと気になっていました。
石巻には羅紗売りをしていたロシア人が結構いたような話も聞いたことがあります。
そして今回の石巻千石船造船の祖、中村家の先代(15代目の方は東京在住)中村幸助氏(故人たぶん石巻生まれ)は帝政ロシア時代にロシアの神学校を出て、ハリストス教会の宣教師もしていたという話、なにか因縁じみていますね。
どんな資料なのでしょうか、とても興味があります。
前に書いた『シベリア漂流』にも書いたのですが、玉井喜作と一緒にイルクーツクで、半年近く生活していた椎名という男も、ロシア正教の神学校に入るために、シベリアをさまよっていました。
そんなこともあってこの中村なる人物が、いつロシアにいたのかも関心があります。
貴重な情報ありがとうございました。
中村幸助については、気に留めておき、調べてみます。



204. ハリストス教会 E.本間  2002/03/04 (月) 20:18
先日、仙台の方よりご連絡があり石巻千石船造船の祖、中村家の先代(15代目の方は東京在住)中村幸助氏(故人たぶん石巻生まれ)は帝政ロシア時代にロシアの神学校を出て、ハリストス教会の宣教師もしていた。後には、満州やシベリアでも活躍したという方の資料を預かり、これから少し調査してみるとのことで、興味のある話なのでお知らせします。また何かわかったらお知らせします。石巻とハリストスとのつながりもだんだん増えてくるようです。


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