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カフェ・クマ−談話室 過去ログ

2002年3月

2002年3月28日 木曜日 3:11p.m. サーカス政治ってなんだ 

ニューズウィーク3月27日号を見た? 特集が「サーカス政治」、表紙にはムチをもつ小泉と、ライオンの格好をした田中真紀子、鈴木宗男、福田官房長官の絵がどかんと載っている。内容は大体読めたのだが、つい買ってしまった。要は、最近の政治のワイドショー化をテーマにしたもので、サーカスと政治が新しく語られているわけではない。おそらくここで編者はサーカスを「見世物」という言葉の代わりに使っているのだろう。
例えばこんな風にサーカスは使われている。
「小泉政権という最強のサーカスを見慣れた観客は、改革の断行という「空中ブランコ」に乗る度胸のない政治家にはブーイングの嵐をあびせるだろう」・・
見世物ということばでは括れない、昨今の政治パフォーマンスを、少し新しくサーカスという言葉に置き換えたのだろう。
小泉は、思い切りテレビ映りを武器に、小泉改革というなにも実体のない言葉を一人歩きさせることで、支持率をあげてきた。そして田中真紀と鈴木宗男の証人喚問は、驚くべき視聴率をあげ、政治が一挙にワイドショーになってしまった。ニューズウィークスは、サーカス政治が、政治に活力を生み、政治のショーアップ化が、社会閉塞状況を打破する力を秘めていると、肯定的に見ているが、果たしてそうなのだろうか?
古代ローマ時代、「パンとサーカス」をスローガンにした皇帝がいたが、その狙いは見世物を開催することで、市民を熱狂させ、治世から目をそらさせることだった。いまはそれに近いのではないだろうか。
政治のワイドショー化のヒロインにのしあがった感がある辻元は、この特集のインタビューで「政治がよくなるなら、サーカスになってもかまわないのではないか」と答えていたが、この直後に議員を辞職せざるを得なくなったというのはなんたる皮肉。
改革という聞こえがいい言葉と、サーカスが結びつけられているところに、実は罠があるように思えてならない。
「聖域なき改革」という言葉の虚しさと、パフォーマンスだけが、空転して、それがサーカスと言葉と一緒にされるのは、勘弁してもらいたい。サーカスものとしては、ふざけんなよと言いたくなる。サーカスになってもかまわないなどという辻元の発言が示すように、まだまだサーカスは、負のイメージとして取り上げられている状態はかわっていない。サーカスという言葉のもつイメージについて、少し考えさせられた一日だった。

2002年3月25日 月曜日 11:05p.m. 漂流民シンポジウム報告 

3月23日大阪で「ロシアに渡った漂流民」シンポジウムが開催されました。会場は立ち見がでるほどの盛況ぶりでした。内容もおよそ3時間にわたって、かなり密度の高いものになり、いい会になったと思います。最初にパネラーとして参加したゴンザファンクラブ、大黒屋光太夫顕彰会、石巻若宮丸漂流民の会、伝兵衛の会(予定)から会の活動内容などについて報告があり、そのあとそれぞれの会から出席したフロアーからの発言のあと、質問を受けて休憩。そのあとに会の発足を準備している広島の久蔵や、愛知の重吉についての報告もありました。
全体的に印象としては、こうした漂流民の会が、ひとつは地域に根ざした活動がベースになっていくことが大事だろうということです。我が若宮丸の会は、まだ発足してまもなく、これからなのですが、ゴンザ、光太夫の会の報告を聞くと、すでに会の活動が地域で定着しており、そこに大きな可能性があるようにも思えました。もうひとつは、あくまでも民間ベースで、自由研究をしていくことの大事さと、可能性です。学問としてやっているわけではないので、それぞれがいろいろな思いをふくらませていくなかで、参加者が自由に研究を楽しむ、そんな姿勢から、またいろいろなことが、生まれていく、発見されていく、そんな可能性が、漂流民の会にはあるような気がします。
それとこうした漂流民の会同志の横のつながりを定期的に持つことで、広がりが生まれていくだろうと思います。その意味では第一歩ということで、今回の集まりは大きな意義があったと思います。
おそらくこれから、こうした集まりをまたしようという機運が生まれてくるのではないでしょうか。
またこの会については、来月号の石巻若宮丸漂流民の会のコーナーで詳しく報告したいと思います。

2002年3月21日 木曜日 0:49a.m. 23日漂流民シンポジウムを前にして

23日大阪で漂流民シンポジウムが開催されます。それを前にして、これに参加される大黒屋光太夫顕彰会の山口事務局長(山口氏は参加できないとのこと)と、ゴンザ・ファンクラブの顧問上村忠昌氏から今日お便りと資料が送られてきました。期せずしてという気がします。そしてシンポジウムに臨む意気込みのようなものを感じました。山口氏から送っていただいたのは、明治大学教授岩井憲幸氏の書いた『光太夫の日本図』です。これは最近モスクワで発見された光太夫が描いた日本地図についての論考です。そして上村氏のは、この17日にコンザファンクラブの例会で発表した「ゴンザ辞書の鹿児島方言とレザーノフ辞書の宮城方言」の資料です。これはいままでもゴンザの辞書に関して数多くの論考を発表されている上村氏が、レザーノフの辞書を徹底的に分析し、ふたつの辞書を比較したたいへんな労作です。このなかで氏は1268語がゴンザとレザーノフの辞書に出てくる共通語彙であることを明らかにし、それをこのなかで共通語彙をふたりがどう訳しているかということを全部あげております。これはすごい。レザーノフの辞書が、上村氏の研究で、やっと浮かび上がった、というか命を得たように思えます。
上村氏も、シンポジウムには出席されるということなので、相談しますが、これは市販の本にはならなくても冊子として、ゴンザファンクラブと、石巻若宮丸漂流民の会の共同で自費出版したいと思います。
出していかねばならないと思います。これを読む人たちが、きっといろいろな発見してくれるはずです。
23日がとても楽しみになってきました。というかその前夜の懇談会がもっと楽しみです。共同自費出版の他にもいろんなアイディアが飛び出しそうな気がします。
漂流民がだんだん面白くなってきてます。


2002年3月18日 月曜日 5:33p.m. シルク・オーケトラを見る 

招待券をもらい、日曜日の5時からの公演を見る。前から四列目といういい席をもらう。一緒に見に行った会社の同僚や、隣で見ていたおばちゃんは、面白いし、きれいだったねと言っていたが、私は、ダメだった。美しい肉体が、クラッシックの生のオケをバックに、躍動するのを見るのは、それはそれでいいとは思うのだが、何故一緒にやるのかという必然性がわからなかった。
サーカスアクト自体も、コントーション、バランス、空中ものと、いろいろでてくるのだが、みんな音楽と同じようにアダージョ系といおうか、同じトーンなのである。劇場公演にも関わらず、ストラップ、ロープ、リング、吊り輪をつかったスウイングもの、クラウドスイングなど、空中ものはバラエティに富んでいる。ただ美しさを見せるところにフォーカスがあてられ、ワンパターンになってしまった感がする。
一種のクラウンの役割を果たしているつもりの、バイオリン弾きが、また邪魔でしようがない。芸と芸の間をつなぐためでも、間におかしさを伝えるためでもなく、ただ無理やり走り回っているようで、目障りだった。これもオーケストラとサーカスを一緒にするというこの企てのなかで、無理やりつくられたキャラクターだからだと思う。
シンプルな照明には好感がもてた。
それとこれに参加していた日本人の矢野君の演じるのが楽しくてしようがないという表情もよかった。身体もすっかり出来上がっていた。
白を基調としたコスチューム、シンプルな照明など、けばけばしくないトータルイメージは、悪くないのだが、なにか一味足らないような気がする。ひとつぐらいとびっきり明るい音楽で、カーニバル的な集団芸があってもよかったと思う。
でもオーチャードホールでサーカスを見せる時代になったのだね。サーカスも進化しているということなのだろう。



2002年3月16日 土曜日 2:27a.m. 第1回オフ会報告

 デスクのおおのです!
 一昨日は始めてのデラシネ通信オフ会でした。横浜・野毛の名物店・萬里 放題亭(萬里の別館です)でそりゃもうたいへんな盛り上がりでした!
 参加者の皆様、ありがとうございました!!

 レポートを投稿するようにとのクマ氏のお達しでしたが、もたもたしているうちにクマ氏自身がお仕事日誌に書いちゃいました。でもめげずに、当日の実況報告を私も少し。

 ご参加いただいたのは、
・編集者でクマ氏の古くからのお友達という木村妙子さん、
・中国アクロバットの王健(ワン・ジェン)さん(堺正章にかくし芸を指導した方ですが、私としてはNHK「英語であそぼ!」の体操のコーナーでもおなじみでした! もうすぐ横浜のお芝居に出演されるそうです)
・ジャグラーの石川健三郎さん(TVチャンピオンのジャグラー選手権の準優勝者!)
・同じくジャグラーで人気サイト『見世物広場』とジャグリング季刊誌『ジャグパル』を作っていらっしゃるチャン助さんこと安部保範さん
・やはりジャグラーのMさん(この方の芸もすごいんですって!見たい見たい!)
・会場・萬里の福田さん
・野毛大道芸実行委員会のスタッフ山村祐子さん(ご主人は野毛でマッサージ店をやっていらして、クマ氏はじめ参加者の何人かがよく行っているそうです)
 それにクマ氏と私の9人でした。
 パフォーマー寄りのメンバーですね。私はほとんどの方とは初対面でした。

 おいしい料理(特に餃子と白菜漬け!)を食べながら、いろんな芸談が飛び出し、ホラ話あり、人生論あり、硬軟とりまぜて実に愉快な4時間弱でした!
 プロになるかどうか迷っているという、アマチュア・ジャグラーのMさんに、福田さんは「やりたいならやればいいじゃない、ねえ。」という相変わらずのものすごい説得力。怒涛のごとく流されそうになったとき、王健さんや石川さんがプロの立場から、また木村さんが現実的な観点から、真剣なアドバイスに引き戻していたのも印象的でした。

 今回はサーカス・芸方面優勢のデラシネ・オフでしたが、次回は漂流方面やロシア方面に興味のある方にも参加していただけると、もっと混沌とした楽しい会になるでしょうね!
 あー、今からなんだかわくわくしてます。(まだちょっと酔ってる?)


2002年3月13日 水曜日 11:52p.m. こまつ座『國語元年』を見る

今日紀伊国屋ホールでこまつ座の『國語元年』を見てくる。
いい芝居でした。私は最近ほとんど芝居というか、せりふ劇を見ません。マイムやパフォーマンスばかりです。が何故か去年こまつ座の「父と暮らす」モスクワ公演に少しばかり協力させてもらったことが縁で、こまつ座の芝居だけは去年から何本か続けて見ています。『石川啄木』『夢の裂け目』、こまつ座ではありませんでしたが、『犬の仇討ち』も井上さんのが書いたものでした。
井上ひさしという劇作家の底力というものを思い知らされています。
基本的にエンターテイメントだと思うのです。せりふのやりとりのなかで、いかにして客を楽しませるのか、それに徹しているところが、すごいと思います。
今回は明治7年全国統一言語を政府が画定するために悪戦苦闘する文部官僚とその家族がおりなす、悲喜劇をとりあげています。薩摩弁、会津弁、遠野弁、長州弁、河内弁などが飛び交うなか、言葉を統一するということが、いかに困難で、時の権力と密着した危険なものであることが説かれているわけで、共生ではなくグローバリゼーションという道を歩もうとしているいまの時代にとってひとつの警鐘をならしている、その意味では、アクチュアリティのある芝居だと思います。
ただ井上ひさしの戯曲の真骨頂は、セリフのやりとりのなかで、こうしたドラマが、見ている間はこんなことを考える暇をあたえず、ヴォードビルの世界へと引き込むその力量でしょう。引き込まれてしまうのです。正直いって、実は開幕前椅子に座った瞬間に眠くなってしまって、ヤバイと思ったのですが、幕が開いて方言が飛び交う頃には、すっかり舞台で演じられていることに呑み込まれてしまったのです。
それと目線が庶民というか大衆というか、そこに定められていることが、ある力強いメッセージを伝えることにつながっていると思います。
劇作家として、言葉の魔力、威力、豊さを知っているからこそできた芝居でしょう。役者さんも皆達者な演技でした。主人公を演じた佐藤B作、女中頭を演じた剣幸の演技には圧倒されました。京都の公家くずれを演じたたかお鷹は、ほぼクラウンの演技でした。
井上さんに、レザーノフと善六がつくった露日辞典を読んでもらいなあ。きっとなにか芝居になるヒントを見つけてもらえるような気がします。
久々に大笑いをした2時間40分でした。

2002年3月12日 火曜日 0:12a.m. ありがとうございます、ついに1万件突破しました

いま見たら、10001件目でした。自分で1万件をヒットさせたらちょっと馬鹿だよなあ、と思っていたのですが、危なかった。ニアミスで、よかったと胸をなでおろしています。
なにはともあれ、なんとなくホットとしました。
ネットの世界ですから、1日1万件アクセスのあるようなサイトもあるわけで、2年ちょっとかかって1万件突破したからって、大喜びするのは、傍目から見たら、騒ぎすぎと思われることは承知のうえですが、自分としてはうれしいことです。
これを一里塚にして、またここでいろんなことを試していきたいと思っています。
私としては、ネットの世界と活字の世界の中間のようなところを狙っていきたいというのが、基本的なスタンスです。
自分の書きたいことを自由に書ける場を自分で確保したかったということからはじまったわけです。それがネットという世界で流すことによって、ひとつはリアルタイムで書ける楽しみができました。自分が見たパフォーマンスのことや、読んだ本のこと、即座に書けたことは、よかったと思います。
それと誰が読んでいるかわからないというスリリングさもあります。急遽連載を復活させた、「海を渡ったサーカス芸人列伝」も、偶然デラシネを見てくれた人がお便りをくれたことからはじまりました。本をいままで何冊かだして、いろんな反響はありましたが、デラシネを通じて、またずいぶんとその反応というか、反響というのか、ひろがったと思います。
野毛をよく知っている人が、オフ会と萬里というのが、ミスマッチでおかしかったというメールをくれましたが、そのミスマッチの感じを、自分としてはいつまでも大事にしていきたいと思ってます。
決してメジャーにはなれないB級娯楽映画の世界が、きっと自分としての狙い目なのではないかと思ってます。
ということで、これからもよろしくお願いします。
ところで誰が、1万件目だったのでしょうか?
ちょっと気になります。
はしゃぎついでに、なにか景品を差し上げたいと思いますので、お申し出ください。たいしたものではありませんが・・
オフ会、いまのところ参加者は私を入れて、6人です。もうちょっときてくれるとうれしいなあ。

2002年3月8日 金曜日 11:48p.m. 「演劇の十月」シンポジウム−メイエルホリドの夕べ

パネラーとして参加したこのシンポジウム。お客さんは30人ぐらい、若い人が結構多かったですね。最初に武田清氏からメイエルホリドのプロフィール、問題にすべき点について説明が1時間ほどあり、そのあとロシアで放映されたメイエルホリド特集のテレビ番組から、ビオメハニカのエクササイズのほか何シーンかをビデオでみせてから、私ともうひとりの演出家の大岡氏が入って、自由に話すという構成。武田氏の説明は、さすがに大学の先生だけあって、上手にメイエルホリドの演劇をまとめていたが、上手すぎて、メイエルホリドのケレンさみたいなものが、伝わらなかったように思える。いまさらスタニスラフスキイとの比較や、30年前のピーター・ブルックの真夏にメイエルホリドの演出が取り入れられたといわれても、ピーンとこない。演劇という枠のなかだけでとらえるから、平板になったのではないかと思う。
私が発言したのは、メイエルホリドが理想とした俳優というのは、もしかして、クラウンなのではないかということ。演劇ではなく、サーカスやマイム、クラウニングのなかに、メイエルホリトがやろうとしたことが受けつがれているのではないかと思うと語り、サーカスの演出家で、メイエルホリドから大きな影響を受けたというグニェーシェフのつくったジャグリングの番組と、彼が振りつけたタガンカ劇場の「フェードル」のワンシーン、クリューコフの野外パフォーマンスのビデオをみせた。大岡氏は、演出家であり、俳優であったということから、自分の体験を含めてメイエルホリド体験を巧みに語った。メイエルホリドの身体性をつきつめると、マイムやアクロバット、サーカスにいくことになるが、演劇にとってなにを学ぶのかという話が、具体的で面白かった。
でも今頃何故ロシアアヴァンギャルドなのか、そしてメイエルホリドなのか、そっちが問題なような気がした。
演劇という観点からでなく、パフォーマンス、サーカス、クラウンからみてのメイエルホリドはどうなのかという問題の方が、いまはずっとアクチュアリティがあるような気がしてきた。


2002年3月6日 水曜日 0:59p.m. 新しいサーカスと日本人

今週土曜日NHKBCの「地球に乾杯」で「めざせ二十一世紀サーカス」というタイトルで、フランスの国立サーカス学校のことがとりあげられます。ここの学校のことは、森田裕子著「サーカス−ここに生きる人々」の中で詳しく紹介されています。いわいるヌーヴォーシルクという新しいサーカスの基盤をつくっているところです。
どんな番組になるか楽しみです。おそらく中心になるのは、ここで3年ぐらい前から学んでいる日本人金井君になるのではないかと思います。金井君のように海外でサーカスアーティストとして活躍している日本の若い人は結構います。
私も知らなかったのですが、今度公演する「シルク・オーケトラ」にも矢野さんという日本人が加わっているそうですし、マスコミには一度もとりあげられていませんが、クラウンカレッジ出身の長野みずよも、ヨーロッパのサーカスを渡り歩いています。いまは日本で活躍しているKajaも、ノルウェーのアーノルドサーカスでクラウンとして働いていました。
「海を渡ったサーカス芸人」は、戦争を挟んで海外を渡り歩いた沢田豊の人生を追いかけましたが、あれを書いている時は、まさか日本の若者がサーカスを生業に、海外で暮らしていくなんて考えられないことでした。
ずいぶんとたくましくなったものです。
こうした動きを見ていると、いずれサーカスが日本でもいまとはまったく別のかたちで、根づいていくような気がします。
時間はかかるのでしょうが、そんな日が早くくるように、たぐりよせるのも、自分たちの仕事だという気がします。

2002年3月6日 水曜日 0:57p.m. 新しいサーカスと日本人

今週土曜日NHKBCの「地球に乾杯」で「めざせ二十一世紀サーカス」というタイトルで、フランスの国立サーカス学校のことがとりあげられます。ここの学校のことは、森田裕子著「サーカス−ここに生きる人々」の中で詳しく紹介されています。いわいるヌーヴォーシルクという新しいサーカスの基盤をつくっているところです。
どんな番組になるか楽しみです。おそらく中心になるのは、ここで3年ぐらい前から学んでいる日本人金井君になるのではないかと思います。金井君のように海外でサーカスアーティストとして活躍している日本の若い人は結構います。
私も知らなかったのですが、今度公演する「シルク・オーケトラ」にも矢野さんという日本人が加わっているそうですし、マスコミには一度もとりあげられていませんが、クラウンカレッジ出身の長野みずよも、ヨーロッパのサーカスを渡り歩いています。いまは日本で活躍しているKajaも、ノルウェーのアーノルドサーカスでクラウンとして働いていました。
「海を渡ったサーカス芸人」は、戦争を挟んで海外を渡り歩いた沢田豊の人生を追いかけましたが、あれを書いている時は、まさか日本の若者がサーカスを生業に、海外で暮らしていくなんて考えられないことでした。
ずいぶんとたくましくなったものです。
こうした動きを見ていると、いずれサーカスが日本でもいまとはまったく別のかたちで、根づいていくような気がします。
時間はかかるのでしょうが、そんな日が早くくるように、たぐりよせるのも、自分たちの仕事だという気がします。

2002年3月4日 月曜日 11:17p.m. ハーフマラソンを走るの記 

昨日、三浦市民マラソンのハーフマラソンの部に参加してきた。三浦の大会は、コースがとても気持ちよく、大根がもらえるし、なにより家から一時間以内で行けるのが魅力で、何度か参加している。
ハーフは、いつも10キロぐらいをジョギングしているので、根をつめてトレーニングするほどのこともなく、あまり身構えずに参加できる距離だ。ということで今回もあまり準備せずに参加した。ただ前日は野毛で入念にマッサージをしてもらった。これが功を奏したようで、スタート直後から体が軽く、気持ちよく走れた。折り返して気づいたら、ずいぶんと後ろの方にいることがわかり、足も動いていたので、10キロすぎから、ピッチをあげる。それからはまさにごぼう抜き状態で、おそらく100人近くの人を追い抜いたのではないかと思う。これがなかなかの快感。気持ちよかった。
海岸の近く、大根やキャベツ畑の丘稜地帯を走るので、まわりの景色を楽しみながら走れるのだが、折り返してからは、この見物に加えて、前方に走る人のなかで、追い抜くべくターゲットを決めて走った。今回は黄色いシャツを着た人をターゲットにして、走った。アップダウンが結構あるので、上の方を走っているとき、かなり遠くの下の方で走っている人がよく見える。このなかから黄色いシャツを着た人を見つけ、それを目標に走るのだが、これがまたいい退屈しのぎになって、楽しかった。だいたい10人ぐらいの黄色い人を追い抜くことができた。
スタートして直後に、先にスタートした10キロの部に出場、折り返してきた渋井陽子に遭遇、速い、速い。F1の車と自転車ぐらいの差があった。
ということで、無事完走、2年ぶりのロードレースを気持ち走り終えた。どうでもいい、タイムと時間だが、これが驚くべくことに、靴につけるなんとかチップというやつのおかげで、すぐにわかってしまうのだ。ちなみに私の順位は、4408人中3208位、タイムは2時間10分39秒だった。偉そうなことが書いてきたが、並以下っていうことだね。同じ日のびわ湖マラソンで優勝した武井が2時間8分だから、一流ランナーの半分の速度というわけだ。
2年前に始めてフルマラソンを走って、30キロから40キロのきつさに、もう二度と走りたくないと思ったものだが、ハーフだとちょっと物足りない感じ。またフルマラソンに挑戦してみるか。

2002年3月1日 金曜日 11:33p.m. RE:祝ローマ!!カザフスタンサーカス!!

菊地さん、久しぶり!
そしてお祝いの言葉ありがとう。
あの夏小樽で、ローマとサーカス場をもう少しで取り戻せそうだと、遅くまで、あのグリーンホテルで、ウオッカ飲みながら話し合ったことを思い出します。
ディーマ、エンマ、ローマにとって、小樽で皆さんと一緒に仕事できたことは、ほんとうに楽しい思い出になったと思います。
皆さんも元気でしょうか。
ディーマとローマは、今週中国公演のために、アルマトゥイを出ました。汽車で5日ぐらいの旅になると言ってました。契約は1年間、長い公演になります。ただローマは、サーカス場を取り戻したことに関連して、またアルマトゥイに戻り、国立カザフサーカスの副団長に就任し、番組つくりやアーティストのまとめ役として、辣腕をふるうことになるそうです。
そして「ゆきさん」の気になるエンマですが、4月日本に再びやってきます。横浜の野毛で開かれる大道芸フェスティバルに出演することが決まってます。フェスティバルは4月20・21日に行われます。
いま私は、そのあとの仕事を探しているところです。
うまくいけば2週間か3週間は、日本にいることになると思います。
このめでたい出来事に、私はすっかり酔っているもんですから、できれば今月末にお祝いにアルマトゥイに行こうかとおもってます。
その時には皆さんがアルマトゥイで公演できるよう、少し具体的に話を進めてきます。
また小樽で、会えることになれば、いいですね。
お祝いの場は、いくつもあっていいではないですか!
皆さんによろしく!


2002年3月1日 金曜日 3:30p.m. 祝ローマ!!カザフスタンサーカス!!

ご無沙汰しております。
パロシクスの菊地です。
そうですか、とうとうサーカス場を取り戻しましたか。
やりましたね。
うれしいです。
その後「ローマ」「ディーマ」「エンマ」はどうしているのか気になっていました。
「ディーマ」はメールをくれると言ったのにくれないし・・・。
ドラムの「ゆっき」も心配していました。
早速みんなに報告しますね。
本当におめでとうございます。



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