クマのお仕事日誌
2001年7月分


2001年7月1日(日)

6時半起きて、ビーカの部屋から荷物を下におろす。7時ワジムとビーカに別れを告げる。
あっさりとしたもんだ。あとは辻にまかせる。
せっかく早く起きたので、大涌谷の分岐点まで散歩、下りはジョギング。往復10キロぐらいだった。
帰ってそのまま温泉に入って、朝飯を食べようと思ったら、すでに終わっていた。
テレビを見ていたら、今日は35度ぐらいになるという。とんでもない暑さだ。
西田と喫茶室でお茶を飲んだ後、11時40分からのオクサーナの初演を見る。昨日は時間どおりに終わったのに、今日は時間があまったと本人はびっくりしていた。なんのことはないボールを一個ずつジャグリングするのを抜かしてしまったのだ。
やはり緊張していたのだろう。でも演技自体はいい。構成もいいし、なにより美しさが感じられるジャグリングだ。
12時20分今度はナースチャの番。昨日に比べてずいぶんと動きが良くなったし、客とからみも格段の進歩が見られる。
大丈夫だろう。
みんなに挨拶して、今日はバスではなく、登山鉄道で帰ることに。
これがミス。電車は冷房無しで、超満員。なんでもいまはあじさいのシーズン。その見物客もかなりいるようだ。
大汗かいて、湯本まで下る。
17時帰宅。留守電にカザフのローマからメッセージ。明後日カザフの動物園の園長が来日するので、そのホテルを手配できないかという。一応電話してみる。とにかく明日招待している動物園に電話してみることに。
夜久しぶりにモスクワのペーチャから電話。ペーチャともなかなか仕事ができないでいる。
また連絡すると言っておく。
23時半就寝。なんか暑いのもあったかもしれないが、疲れた。

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2001年7月2日(月)

今日もめちゃ暑い。
午前中ミーティングで、明日大分に行かなねばならないことに気づく。間抜けな話だ。
明日は早稲田で授業がある。飛行機を遅くしてもらうことで対応するしかない。
主催者とパフォーマーに電話して、了解を得たあと、夕方羽田を出る便に変更する。
ローマから電話。ホテルの問題は解決したので、探す必要がないという。
多摩動物園に電話。今年雪豹をカザフからもらったことで、関係ができ、園長が日本に来たいということになり、
招待状を送ったりしたとのこと。
ロシア語できる人がいないようなので、何かあればお手伝いしますということになった。
大分から戻ったら連絡してみよう。
午後小樽に8月に出演する芸人さんの査証変更のための書類をつくる。
家に帰ってなんのきなしにテレビを見ていたら、マスクマジシャンが出ていた。
なんでもまた秋に来日するらしい。
そういうことで決まったのだろう。今度はたぶん仕事はまわってこないような気がする。

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2001年7月3日(火)

今日も暑い。いったい梅雨はどこに行ってしまったのだろう。
キエフのサーカス学校に留学していたよっちゃんが、夏休みのためおととい帰国、会社に顔を出す。元気そうだ。
いろいろ話を聞く。ユネッサンのふたりを来週ディズニーランドに連れて行ってもらうことになる。
クリューコフがかなり図に乗って勝手きままにやっているようだ。今後どう扱うか問題だ。
よっちゃんの帰りの航空券のことで、旅行会社と打合せ。学校は9月1日から始まるようだが、それにあわせて帰ると、23万ぐらい、それが9月18日出発にすると13万になるという。よっちゃんは18日以降に出発することに決断。
カザフの航空券もつめておかなくてはならない。スケジュールをだしてもらう。
午後早稲田の授業。今日はワレンチンとカザフサーカスのことを話す。今回はみんなよく聞いてくれているような気がする。
授業終了後携帯に電話。大分で明日公演するポンタのマネージャーから。明日中に帰れると思っていたのが、帰りが明後日になっているという。冗談じゃない。航空券を購入してもらう前にこのスケジュールを確認しているはずだ。
明日の最終は19時40分。公演が終わるのは18時。空港までは1時間かかるのでリスキーだ。主催者のE氏に電話。明日は市内各地で交通規制があるので、無茶だといわれる。5日の朝一で帰ってもらうことで納得してもらい、航空券の予約変更をしてもらう。
会社に戻り、カザフの博覧祭以降にいま話をしているYに電話。明後日ぐらいまでは結論をだしてもらうことにする。
19時25分羽田から大分に向かう。
チェックイン後E氏と打合せ。ワールドカップ絡みの今後のイベントについても話を聞く。チュルタギのビデオを渡す。
ホテル近くのラーメン屋で食事。
3時就寝。

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2001年7月4日(水)

9時半起床。下のレストランで朝食。今日出演するパフォーマー、ブルース・スミス、ポンタ、エリック・バーグも食事中。
ブルースとポンタは今回が初めての仕事になる。
10時半ホテルを出発、今日のイベントの会場へ。街全体がキリンカップ一色という感じだ。
しかし暑いし、日差しも強い。こういう時の野外のイベントは辛い。
プロデュースをするE氏に挨拶、さっそく簡単な場当たりリハ。ブルースの荷物の出し入れに結構時間がかかるので、予定を変更、トップにもってくる。
リハが終わった頃に携帯に会社から電話。T企画のS社長に連絡してくれというので、電話。
8月大分でやる韓国のマダンノリについて、大分の担当者と会って打合せをしてほしいとのこと。
一回目の公演が終わってから急きょ打合せすることに。
会場ちかくのふぐ料理屋でY氏以下5名のスタッフの人たちと一緒に食事し、現場レベルの打合せ。
現場の様子がだいぶ見えてきた。ここで食べたふぐ茶漬けが美味しかった。
三回のステージでは三回目がお客さんも多く、反応も良かった。ブルースのステージは、エネルギッシュでとてもいい。元気を与えてくれるようなステージだ。
大分のお客さんの反応もとても素直だ。それとこれはプロデューサーのE氏の指導なのだろうが、スタッフの人たちみんな細かいところまで気をつかってくれる、なにか手作りの優しさを感じられるいい現場だった。
いやになるくらいの暑さのなか、こうした優しいおもいやりが感じられる現場はありがたい。
19時に現場を引き上げ、ホテルでシャワーを浴びてもらった後、近くの居酒屋打ち上げ。
ビールが美味しかった。だいぶ日に焼けたようだ。
ブルースはとても面白いキャラクターをした男だ。ハートがある。
22時すぎに解散。
部屋に戻り、メールのチエック。このところ『デラシネ通信』へのアクセスが増えているような気がする。何故だろう。不思議。
7月号の原稿を二本、デスクの大野に送信したあと、1時就寝。

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2001年7月5日(木)

7時すぎに早めに朝食をとってしまう。9時にロビーに集合。市の車で空港まで送ってもらう。
空港はかなり混み合っている。昨日のサッカーの試合の取材陣が多いようだ。ギリギリでチェックイン。
羽田に到着したら、カメラを持っている人がたくさんいるので、何かと思ったら、昨日試合を終えたサッカーのジャパンのメンバーもちょうど大分から到着した様子。
トイレで柳沢、鈴木、平瀬と一緒になった。
取材陣の狙いは、パラグアイがら呼び寄せられたのに、試合で出れなかった広山。彼は急いで迎えの車に乗り込んでいた。
東京も結構暑い。冷したぬきそばをたべたあとに、出社。
やらなくてはならないことは結構あるのだが、なんかやる気がおきない。
それにこの前の箱根で冷房を効かせすぎて寝てしまい、風邪もひいてしまったようだ。
18時前に会社を出る。
ヤマサキの旅券記録を調べてくれていた奥さんからの報告、1910年までの記録にはヤマサキの名前もヤマネの名前もないという。
何故なのだろう。ほんとうに不思議だ。
夜Aさんからのメールで、最近『デラシネ』へのアクセスが多くなった謎が判明。ニフティーのマジックフォーラムでマスクマジシャン絡みで紹介されたらしい。
なんとなく理由がわかってほっとする。またいつものペースに戻るだろう。

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2001年7月6日(金)

少し昨日よりは幾分涼しいが、あいかわらず蒸し暑い。
出社すると留守電に、カザフの動物園長のメッセージ。多摩動物園に電話してみたら、ちょうど本人がいたのでかわってもらう。
いまからサファリパークに行くので、夕方ホテルで会うことにする。
小樽で仕事をするローマたち3人の在留資格認定書の変更を大野がやってくれたので、これを含めて、全員のものを園長さんに頼んでカザフにもっていけることになった。
大使館に提出する招待状や、他の書類の準備をする。
YのT氏から電話。人間車輪が北九州のあと五週間大阪で仕事ができるようになったという。これは朗報。
旅行会社にカザフのメンバーの航空券の予約を依頼。
18時新宿のワシントンホテルへ。
息子と一緒で彼が英語ができるということを聞いていたが、会ってびっくりまだ12才の少年だった。
多摩動物園のひとたちもたいへんだったろう。部屋で少し話し、ローマから預かったものをもらい、こちらも渡してもらうものを託し、ちかくで食事をすることに。
結局天ぷら屋さんに入る。園長さん、てんぷらがすっかり気に入ったようだった。
明日午後からどこかお土産を買うのに、付き合ってくれという。アルマトゥイでハーリックやローマに、大島は、俺たちの兄弟だから、きっと全部手伝ってくれると言っていたらしい。
そういう話しならしようがない。明日2時にホテルに来ることにする。
酒に興味をもっていたようなので、一本だけ頼む。おそるおそる口につけたが、すぐにうーんこれはいけると大喜び。なんでも肝臓を悪くして、ここ2ヶ月ぐらいはアルコールを一滴ものんでなかったという。
また明日会うことにして、ホテルまで送り、別れる。
帰宅してメールをチェックすると、デスクの大野からメール、7月号発刊という。これでアクセスがまた減ることになるだろう。

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2001年7月7日(土)

今日は七夕。雨の天気予報だったが、快晴ではないか。
10時半家を出て、とりあえず会社に寄る。カザフのサーカス団に提出する書類に社判を押し、メールを2、3通流す。
新宿は凄い人出だ。ホテルに着く前に携帯に電話が入る。園長さんは部屋に戻っているというので、直接部屋へ。
園長さんは昨日酒とビールをちゃんぽんにしたせいで、気持ちが悪くなりよく寝れなかったという。
3時部屋を出て、とりあえずは秋葉原に行くことにする。秋葉原も凄い人だ。
ここのところよく来る、ラオックスの免税店へ。園長さんは、どうしても兄と自分のために浴衣を買いたいということだったので、まずは浴衣などや民芸品を売っている階へ行く。
いろいろ迷っていたようだが、9000円のわりといい浴衣をお兄さんの為に購入する。このあとは、細かいお土産の買い物。
上野動物園に行った時に、アメ横には行ったようだが、暑いせいもあって、あまりよくお土産ものを見れなかったらしい。かなり真剣な表情で、時間をかけて探していた。
そのあと他のフロアーも見物。気になっていた買い物が無事終わったせいか、ずいぶんとホットしていた様子だった。
ローマやハーリックが言っていたように、お前はお土産探しのスペシャリストだとのたまわっていた。
そんな風に褒められても、あまりうれしくないけど、ローマたちの顔はたったろう。
7時ホテルに戻って荷物をおき、夕食をとる。今日は息子が食べたいといっていたピザを食べようということで、ホテル近くの「カプリチョーザ」へ。
日本食よりは、こっちの方が口にあっていたみたいだ。
8時半ホテルでふたりと別れ、10時すぎ帰宅。
なんでも何度もロシア人から電話があったという。留守電を聞くと、オクサーナからだった。よっちゃんの携帯の番号を教えてくれという。明日電話をもう一度してくるとのこと。
なんか疲れてしまった。

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2001年7月9日(月)

もしかしたら梅雨は明けたのではないだろうか。
一週間ぶりにジョギング。昨日はわりとというか10時過ぎには寝たので、身体は快調。
午前中ミーティング。夏休み時期、あたりまえといえばあたりまえなのだが、かなりスケジュールが詰まっている。
この調整がたいへん。
問題は8月の韓国。いろいろ問題がある。いちばん要となるのは、予算の問題。
T企画S社長とアポをとる。
3時にS社長と打合せ。11日にはすべての問題をコンクリートにすることに。
途中ユネッサンに行ってもらっているヨッチャンに電話。オクサーナやナースチャがいろいろ困っている問題があるようだ。
13日に行った時に、解決しなくてはならない。
会社に戻りメール等をチェックしたあと、四谷の紀尾井ホールへ。
ポクロフスキイーアンサンブルの公演を見る。こういうものはめったに見えない。本当はドンコサックの民謡を聞くのが、大きな目的だったのだが、
むしろ婚礼の儀礼や、葬式の儀礼など、演劇的要素が強い演目の方が面白かった。
9時終演。
今日も早く寝る。

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2001年7月10日(火)

いつもより1時間ほど早く家を出て、新宿ワシントンホテルへ。9時20分到着。部屋には、多摩動物公園の園長さんをはじめ見送りに何人か集まっていた。ここでクメック園長は、恒例の儀式だといい、ウォッカをコップに注ぎはじめる。
おい冗談じゃないよ、まだ朝なんだぜと言っても、聞き入れるわけもなく、結局三杯一気飲みさせられることになる。
10時リムジンで、クメック親子は成田に向かった。慌ただしいにせよ、楽しい一時をおくれたようだ。
アルマトゥイのローマに電話、書類を受け取るように指示する。
暑いのと、朝から飲んだウォッカのせいで、ボッーとするなかで、夏の上越に出演するパフォーマーに電話して、来週の打合せの日取りを決める。
今日はバスで、早稲田まで行く。昼飯に気持ち悪いのに何故か、メンチカレーというおそろしくこってりしたものを注文してしまう。
今日が早稲田の最終授業。びっくりしたのは、自分のお気に入りのロシアのロックバンドDDTのビデオを流したのだが、何人もの学生が、このCDどこで手に入るか聞いてきたこと。
結構インパクトがあったわけだ。
お世話してくれた助手のK氏と、講義後ビールでも飲もうということになる。近くのレストランに入ったら、佐藤純一先生がビールを飲んでおられた。合流して、結局はビールを奢ってもらうことに。
楽しい一時だった。先生と別れたあと、生協に行き、K氏とまたビールを飲む。K氏は最初は東洋哲学科を卒業して、露文に学士入学をしたという。こういう脱線する人は、大好き。
結構いい感じで酔ったまま、山本光洋の「モノプレイ2」を見に行く。
九州のN氏、パフォーマーのK氏、いつもお世話になっているT氏などが会場に来ていた。
公演後打ち上げに合流。マスクマジシャンのことで、K氏とかなりつっこんだ話しをする。彼の人間性云々というより、彼がしたネタバラシという行為、そしてそれをテレビで放映するということの問題について、わりとじっくりと話し合う。
23時10分引き上げる。品川の最終に乗り、1時帰宅。

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2001年7月11日(水)

こんなに早く梅雨が明けると思っていないから、まだこの暑さに対する心の準備ができていない。
しかし朝から照りつける日差しの強さにはぐったりする。
自分の気持ちの中では、明日から箱根という気持ちがあって、今日中に全部やりかけの仕事をやらねばと結構焦っていた。
サーカス文化の会の会報をとりあえず、片づける。
13時からplanBでカバBの打合せ。電車の中で、明後日から箱根ということがわかって、思わずニンマリ。一日得した感じ。
テーマをセッションということでやってみたらどうかと提案。音楽とか、異ジャンルのものとセッションすることで、また新たな展開があるのではということだ。
次回の9月は、セッションでやることに。
携帯電話を家に忘れたことに気づく。暑さボケかもしれない。
会社に戻って、デスクワークを片づける。なんていっても一日得したのだから、気持ちにも余裕が。
7時新宿のルミネの吉本の劇場へ。K氏と打合せ。東京代表の横沢氏とも挨拶。渋谷の公園劇場ができたときにお会いしたことがあるのだが、覚えてくれたみたいだ。
新喜劇をちょっとのぞく。ほとんど満員。若い人だけでなく、中年のおじさんたちの団体が結構めだつ。面白い客席風景だった。
9時劇場を出て、帰宅。

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2001年7月12日(木)

出社前に病院により、月に一度の糖尿の検査。今月はヤクルトの糖尿に効くというお茶をずっと飲んでいた。果たして成果はあるのだろうか。
しかし暑い。これがあと一カ月半続くのかと思うとぞっとする。
夏の仕事に関して契約書の案をふたつつくり、相手先にファックス。
1日得しているので、余裕で仕事。
昨日光洋ちゃんの公演を見てきた、大野と辻に感想を聞く。大野は前回のでちょっとがっかりだったけど、今回は良かったという。辻は、マリオネットが涙がでそうになるぐらい良かったという。
前回のが、アイディア先行なのに対して、今回はきちんと身体の動きを見せていたということなのかも。
サーカス文化の会の会報つくり。『ダル・シャンの奇怪なサーカス』という本と、昨日連絡をもらった子ども向けのサーカスの写真集を紹介。
大塚さんから教えてもらったフィンランド映画『白夜の時を越えて』をネットで調べる。原題は『火食い』、なかなか面白そうなサーカスを舞台にした映画のようだ。
子どもの向けのサーカスの写真集のカメラマンH氏が来社。サーカス村や、ACCにも関心があったみたいだ。昨日光洋ちゃんの公演も見たという。
この本410円という値段だが、なかなかしっかりした本。
久しぶりに早く帰る。
代々木駅で、明日の成田エクスプレスの切符を購入したあと、帰宅。
かなちゃんから昨日送ってもらった野菜をつかって今日は、カレーライス。
なんとなくそんな予感がしていた。

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2001年7月13日(金)

8時26分発の成田エクスプレスに乗り、成田第二へ。グリンチェンコ兄弟が乗っている飛行機は、1時間半のディレイ。
読みかけの『市長の娘』を喫煙できる待合室で読み終える。なかなか面白かった。
11時7分到着、ふたりが出てきたのは40分後。12時16分発の成田エクスプレスの切符を購入。サーシャとセルゲイは、元気そう。煙草が吸いたいというので、喫煙コーナーへ。
前払いのギャラを渡すと、ドルに両替したいという。手元に3万だけ残して、残りをドルに両替。時間なので、空港駅に行くと、稲毛で人身事故があり、出発を見合わせているので、払い戻ししてくれという。
バスじ行くしかないかと思ったが、ちょっと様子を見ることに。10分後には復旧というので、ホームで電車が来るのを待つ。
結局20分ぐらい遅れて、出発。新宿には1時40分頃着く。昼食は肉がいいかと思い、ステーキとスキヤキの店へ。ステーキ定食を頼んだに、スキヤキ丼がでてきた。しようがないので、これを食べることに。以前ワジムが、日本の肉料理で、甘いのが食べれなかったと、言っていた。スキヤキはまさにそれ。ふたりとも残していた。
安いカメラが欲しいというので、ヨドバシを見るが、最低でも5,000円。秋葉原へ行けばもう少し安いのがあるはず、ここで買うのはやめたほうがいいとアドバイス。
15時半発のロマンスカーに乗る。
この兄弟、結構田舎もの。聞いてみれば、外国初めて、飛行機初めて。ロシア語が世界中でつかわれていると思っている。何故日本でロシア語が通じないのか、テレビでロシア語放送がないのは何故か、不思議でしようがないようだ。
それになんでもドルに換算しないと気が済まないというのにも参った。しばらくは電卓をずっともって、対応した。
ふたりともきれいな顔だちをしているし、結構愛想いいし、日本でもてそうな感じだ。気のいいのは弟のセルゲイ、兄をいろいろたしなめる場面もなんどかあった。兄のサーシャは、どこか不良ぽいところがある。酒を飲みすぎると、ちょっとやばいタイプかもしれない。
ホテルにチェックインしたあと、ユネッサンの4階の受付へ。天井の低さが心配だったので、とりあえず、ためしにやってもらう。辛うじて大丈夫。とりあえず5日間はここで我慢してやってもらうことにする。
オクサーナとナースチャはいない。W氏に紹介。食券カードを渡される。ということは今日食事は食堂ですませろということなのだろう。
昼スキヤキでちょっとかわいそうだったので、イタリアレストランにふたりを連れていく。
ピザとトマトスパゲティーを食べて、これが本当のわれわれが食べれる食い物だとサーシャがいう。ふたりとも結構食事では苦労するかもしれない。
部屋に戻る。ふたりが入れ代わりやってくる。サーシャが冷房が効かないというので、部屋に行ってみたら、そこはサウナ状態。
暖房で、三〇度に温度が設定されていた。あわてて冷房に切り換え、二二度に設定する。
セルゲイが風呂へ行こうというので付き合う。湯船で頭からもぐっていいかというので、人がいなければいいんじゃないと答えたら、突然ドブーンという音。二三回タイブしていた。きっとこれがしたかったのだろう。
風呂上がりに、自動販売機でドリンクを買う。ここでもセルゲイは、いろいろ聞いてくる。千円札を入れて、コーラを買ったのだが、札を入れたところをじっと見て、おつりが出て来ないと不満そう。コインがでてきてるじゃないかというと、どうして札で出て来ないと聞いてくる。ちょっと予想外の質問。
千円の時は、コインでしかお釣りがでないと説明。コインでも買えるぞというと、やっと納得した。
このふたり、結構慣れるのが、たいへんかもしれない。
12時すぎに就寝。

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2001年7月14日(土)

9時半に目が覚める。9時間寝たことになる。朝食は9時で終わりなので、今日は朝飯抜き。
リハは3時から。散歩がてらに彫刻の森駅まで行ってみる。あいかわらずすごい日差し。
汗だらけになる。11時40分のオクサーナの公演を見る。グリンチェンコ兄弟も見にきていた。
この公演のあと、4人と一緒に食堂で昼食。ナースチャとオクサーナはだいぶ慣れたようだ。おばちゃんが親切にしてくれるとオクサーナが言っていた。最初は慣れなかったご飯も食べれるようになったという。
4人はゲームセンターに遊びにいく。ホテルに戻り少し昼寝。
2回目のオクサーナの公演のあとに、グリンチェンコたちのリハ。ハンドアクロはなかなかのもの。お客さんが群がってき、大拍手。これだけ派手な芸は初めてなので、インパクト十分。
途中セルゲイが、調子に乗って、手すりで逆立ちをしはじめたので、びっくり。もうこれ以上はやるなと注意。
問題は客との絡みだろう。これは明日様子見るしかない。
公演後兄貴のサーシャと少し話す。彼は19才、今回日本に来たのは、徴兵を回避するために必要なお金がどうしても欲しかったからだという。18才以上から義務化されている徴兵を回避するために、500ドル支払う必要があるという。
3回目のオクサーナの公演のあと、21日から公演することになる場所を見学。ここはゴールデンウィークにも公演したところ。高さ、広さ問題ない。ちょっと心配なのは、湿気と暑さ。
セルゲイが、すぐにでもプールに入りたいという。水着のバーゲンで500円の水着を買う。兄のサーシャは、なんと子ども用の水着を購入。だぶだぶの水着より、ぴしっときつめの水着がいいようだ。
今日はセルゲイの誕生日だというので、どこかで飯でも食べようかと思ったのだが、4人はプールに入りたいというので、好きなようにさせる。
若い人たちとは適当に距離をおいて付き合わないと、たいへん。
部屋に戻って、サッカーを見ながらビールを飲んで、早めに就寝。

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2001年7月15日(日)

6時すぎに起床。ジョギング。箱根は坂が多いのでシンドイ。
風呂に入って、朝食をとったあと、部屋で少し休憩。
11時のオクサーナの一回目のショーのあと、いよいよグリンチェンコ兄弟の初演。衣装がなかなかいい。
最初にハンドアクロをもってくる、これでお客さんはびっくり。途中ジャグリングを入れるが、これがお粗末。ポロポロ落としていた。
そしてまたハンドアクロのエチュードを入れる。お客さんを入れるのもあったが、子ども程度はいいが、大人はちょっと難しいだろう。
終わってから、少しミーティング。構成を変えた方がいいだろうということになる。最初にジャグリングをもってきて、エチュードをいれて、最後に今日最初にやったハンドアクロを見せたほうがいいだろう。
問題は音源を、編集し直さなければならないこと。来週ぐらいにこれをやる必要がある。
食堂で支配人と会う。食事後皆を連れて、支配人に挨拶。
ここで4人とは別れる。
バスと電車をつかって家に戻る。小田原に着いた時、バスから降りて、外気に触れ、その熱気に驚く。やはり箱根は高い分まだ涼しかったのだ。
夜、以前市川のサーカスレストランで働いていたロシアのクラウン、セルゲイ・パブロフから電話。いま東京にいるという。しかも一年の長期の契約できたという。
いつか会うことにする。
23時に就寝。

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2001年7月16日(月)

朝ジョギング中に転び、膝をすりむいてしまう。一週間のはじまりに、なんとも素晴らしいたちあがりだこと。
このところの教科書問題をめぐっての韓国側の日本に対する強硬姿勢が気になる。
あんな馬鹿な教科書を採用するという公立学校もあるとか、腹が立ってくる。
韓国ものをいろいろ仕掛けようとしている時だけに、気になる。
今週は、外での打合せとか、現場もないので、たまっている作業を片づけ、早くすっきりしたい。
夕方上京中のリトルワールドのお嬢さんふたりと横浜で食事。チュルタギのメンバーとよく行った韓国料理屋でプルタギを食べる。ふたりは、マッコリがお気に召したようで、立て続けに飲んでいた。
あやしげな福富町界隈を散歩したあと、万里支店へ。ここでも紹興酒を一本飲んで、餃子を食べる。まあよく食べること。
結構酔っぱらったようなので、タクシーでホテルまで送る。
24時過ぎに帰宅。

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2001年7月17日(火)

カザフの航空券の手配。まずは小樽に先にくるメンバーはオーケーが出た。
福岡到着組はまだウェイティング状態。
14時からT社で、夏の上越のホテルに出演してもらうマジシャン3名と打合せ。去年出演してもらった人が2名いるので、話しは早い。
雑談でマスクマジシャンについての感想を聞いてみる。一人は、番組自体がつまらなかったという感想。他のふたりは、問題にするほどのこともないのではという。
帰り恵比寿の駅前の古本屋をのぞく。幕末にロシア視察旅行に出かけた内藤の本があった。九〇〇〇円。欲しいけどちょっと手がでない。
しかし暑いし、蒸す。嫌になる。
会社に戻ると、カザフの動物園の園長から、日本で世話になったとお礼のファックス。
今度はアルマトゥイで会えるだろう。
伊豆の公園で8月パフォーマーを探しているという連絡。ナナちゃんに電話。スケジュールは空いているという。うまく決まるといいのだが。
久しぶりに早めに帰宅。

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2001年7月18日(水)

朝病院に寄って、先週の検査の結果を聞く。血糖値もコレストロールもかなり落ちていた。特にコレストロールは、いままで三年ぐらいずっと正常値を上回っていたのだが、正常値になってしまった。
これには先生もびっくり。先月毎日飲んでいたヤクルトの蕃爽麗茶の効き目があったのだろうか。これだったら毎日飲まなくては。そして仙台の親父にも送ってやろう。
出社して、小樽関係の手配。ホテルを予約する時カザフ人が泊まると言ったら、結構嫌な感じの反応をした。
会社の電話番号を教えようとしたら、何かあったら困るので24時間対応できる携帯の方を教えてくれという。
ちょっといやな感じ。
いまの一番の懸案は、大分の韓国のアンサブルの公演の件。予算が決まらっていない。とにかく強引に予算をつくって、契約書を作る。
韓国から電話。最終決定はまだかという。今日中に返事をすると答える。
契約書をT企画にファックスで流す。すぐに電話。予算はこれでいいが、例の教科書問題で、日本各地で韓国ものがキャンセル続出なのが心配だという。
このあたりをクリアーにしてもらわないと言われる。確かにそうなのだ。
不可抗力で来日できなかった場合の契約のありかたをどうしたらいいか、今回はそれがポイントになる。
一応このへんの事情を書いて、韓国にメールを送る。
18時会社を出る。帰りファミリーマートで、蕃爽麗茶四個購入。また大量に購入しなければ。

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2001年7月20日(金)

今日から三日間休める。土日休めるというのは久しぶりのこと。昨日の夜なんか何をしようか考えただけでわくわくしてしまった。
長女は、23日の吹奏楽のコンクールの最後の追い込み、奥さんも差し入れ班で、学校へ。結局下の娘と、家でゴロゴロすることになる。
一番気になっているのは、韓国の件。例の教科書問題があって、本当に来るの、確認とってと言われている。一応昨日メールを出しているのだが・・
夕方近くにメールが来る。
教科書問題に関しては、グループの内部で会議をして、日韓の文化の絆をここで切るのは良くないということで参加を決めたという。
自分は問題の本質をひとつ見落としてたことに気づく。
韓国側の最近の強硬的な姿勢があり、それによって政府から行っちゃだめだよ、と言われることを心配した問い合わせだった。
逆だったはずだ。日本で教科書問題があり、これに対して自分はこう思っているのだけど、あなたたちは、それに対してどう思ってますかと、最初に聞くべきであったのだ。
クライアントとの契約のことがあり、来れなくなったらどうすると聞かれ、こうした大事なことを考えていなかったわけだ。
恥ずかしい。
少なくてもマダンノリのメンバーは、教科書問題でどう対応するかを、最初に話し合っていたわけで、それをきちんと自分の問題としてとられ、結論を出していた。
彼らはまったく悪くないのであり、あんなインチキ教科書を文部省が認めたことに非があったわけだ。
すぐにソウルにメールを送る。そしてクライアントにもこのメールをプリントしてファックスで送った。

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2001年7月23日(月)

朝出勤前に駅の入り口のところにあった燕の巣が空っぽになっているのに気づく。
一昨日見た時、だいぶ雛が大きくなっていたのにびっくりしたのだが、もう巣立ってしまったわけだ。
いまごろは、旅の途中なのだろうか。なんとなく切なくなってくる。
暑い日が続いてはいるが、今日の暑さはハンパじゃない。呼吸困難になりそうだ。
韓国の件、クライアントとの契約書の不可抗力のところを直して、ファックスして、電話。これでいいだろう、捺印するから、契約書を持ってくるように言われる。ファックスでもとりあえずは良かったのだが、契約書だし、捺印してもらいに行くことに。
その前に韓国の方にもファックスを入れて、メールでとりあえず、ファックスでサインしたものを返送してもらうよう依頼。
14時炎天下の中飯田橋でおりて、神楽坂まで歩く。明日からお祭りらしく、祭の準備で賑わっている。ここは雰囲気があって、いい街だ。でも暑い。
T企画に到着、汗がダラダラ。そんなに暑いのかって聞かれる。この時すでにタオルはビショビショ状態。
契約書に捺印をしてもらいあとは、S社長と雑談。先日『デラシネ通信』に書いた「浜村」の原稿をプリントアウトしたものを渡す。
なんでもロンドンのコベントガーデンにある演劇美術館みたいなところで、日本人のサーカス芸人のポスターを見たことがあったという。
日本で調べるよりも、海外に目的をもって調べた方が成果はあるのかもしれない。
会社に戻ると、韓国からも契約書にサインしたものがファックスで届いていた。これで明日査証の申請に行ける。
韓国に関しては宿泊と空港からのバスの手配をすることだ。
少しはメドが立ってきた。
19時帰社。
今日は長女の吹奏楽のコンクール、ずいぶんと一生懸命やっていたから、県大会にいけたらいいのだが。
帰宅すると、さっき連絡があり、銀賞だったということ、残念ながら今年も県大会には行けず。
21時すぎに長女が帰宅。ずいぶんとすっきりとした感じだったが、発表が会った時は、かなり泣いたらしい。帰宅してすぐに、顧問の先生から電話。かなり泣いていたので、心配になったらしい。
さんざん泣いてすっきりしたということだ。さあこれから夏休みだと張り切っていた。ずいぶんとたくましくなったものだ。
今日は早めに、23時前に就寝。

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2001年7月24日(火)

とにかく暑い。朝でかける時に、すでに30度を越えていた。息がつまりそうな暑さだ。
午前中に、8月大分の手配関係を進める。
午後大野と辻が、韓国の査証の申請に入管へ。
重森とSのT女史から相次いで電話。今日小出と飲むことになっていたので、誘う。
17時小出、T、重森が来社。9月に重森と小出がやるライブのチラシについての打合せ。
18時から近くの飲み屋で、4人で飲む。かなり飲んだようだ。ビールを飲んだあと、重森と小出と3人で焼酎を一升空けた。
記憶では、小出が大門で特急に乗せてくれたところまでは覚えているのだが、結局終点の久里浜まで行ってしまった。
タクシーで家まで戻る。そのまま2階の寝室に行って、倒れこむように寝る。

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2001年7月25日(水)

今日は箱根に行く日。あわてて起きる。携帯を見たら、留守電のマーク。聞いてみると、小出からだった。「大島さん、いま乗っている電車は、久里浜行きです、もうすぐ上大岡です、乗り過ごさないでください」というめッセージだった。
優しい男だ。
横浜を経由して小田原に着いたのが、10時すぎ。辻に連絡、先にユネッサンに入ってもらう。
とにかく二日酔いでフラフラ。夏休みから新たに公演をしているユートピアの会場に。オクサーナが演技中。
結構人が集まって見ている。ただすごい湿気と暑さ。じっとしているだけで汗が滲んでくる。オクサーナもボールを何度か落とす、やりずらいのだろう。
公演後オクサーナが、ここでやるのはとても辛いという。
楽屋で皆の話しを聞く。サーシャとセルゲイは、コスチュームの首のファスナーのところが、あたってしまい、軽い炎症をおこしている。
絆創膏を貼るだけでもかなりちがうはずだ。
12時ふたりの演技を見る。中間で入れているジャグリングで、あいかわらずボールを落としていたが、ずいぶんと良くなっている。ハンドアクロという演技はかなりインパクトがある。歓声がなんどもあがる。
公演後すばらしかったはとおばさんが話しかけてきた。
昼食をとったあと、サーシャとセルゲイの音源をダビング。
二回目のショーが終わったあと、一瞬すごいにわか雨。雨があがったあと、ユネッサンを出る。4人とも、すこし日本の生活に慣れてきたので、ちょっと倦怠期に入っているのかもしれない。
バスで小田原に着いたのが、17時前。切符を買って、構内に入ったところで、東海道線が止まっていることがわかる。落雷らしい。
30分ぐらい電車に乗って待っていたが、動く気配がない。小田急線と相鉄線の振替輸送を利用することにする。小田急も相鉄もダイヤは相当乱れている様子。
19時に万里でデスクの大野と編集会議をする予定になっている、遅れそうな気配だったので、福田さんに電話を入れておく。
結局桜木町に着いたのは、20時近く。万里には、大野が来ていない。電車が遅れているのかと思っていたら、電話が入り、寝過ごしたという。
福田さんといろいろダベッているうちに、大野がやってくる。万里はそろそろ閉店ということで、福田さんと別れを告げて、沖縄料理の店に行って、大野と打合せ。
8月からの新企画や、訂正事項についてみっちりと打合せができた。
帰宅したのは、12時すぎ。パソコンを開いてみたら、なんとデラシネ通信の今日のヒット数は、たったの5件。
これも暑さのせいなのだろうか。
メイエルホリドの選集が来月刊行されるらしい。楽しみだ。

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2001年7月26日(木)

涼しい朝、何日ぶりのことか。生き返る。
明日から西田が韓国に行くので、ユー君に渡してもらう書類やら資料を準備する。
T企画のS社長から電話、昨日富山で絵本のコンクールがあり、その審査員として高岡に行っていた時に、飛び出す絵本の展示がたまたまあり、そこに1887年制作のドイツの絵本で、日本の軽業師を描いたものが案たという。仰向けになって足を踏ん張っている芸人が支えている棒の上に猿がいたという。
月曜日に会った時に、デラシネ通信の『海を渡ったサーカス芸人列伝』のところをプリントアウトして渡しておいたのだが、それで思い出して連絡をくれたようだ。
高岡の図書館に行けば見れるということだが、年代が年代だけに興味がある。
西田にユー君用の資料を渡す。
週末にフジロックに大野が、今度は寝袋を貸してくれという。
今週は2回ボッカすることになるわけだ。
18時すぎに退社。冨岡の駅に着くと、なんと巣立ったと思ったツバメたちが、また巣に戻っていた。
月曜にいなくなったのだから、3日ぶりの帰還ということになる。どこかで旅立つ前のトレーニングでもしてきたのだろうか。
函館市史編纂室のSさんから、先日お願いしておいた資料が送られてきた。石巻かほくの掲載紙、ゴンザの会の会報も。すべて漂流民がらみ。
ニュースステーションに、D・カッパーフィルドが生出演していた。華のあるマジシャンだ。
連チャンが効いており、23時前には床に就く。

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2001年7月27日(金)

朝駅のツバメの巣を見ると、空っぽ。明るいうちは、旅立ちのリハサールをしているのかもしれない。
出勤前に銀座の床屋に寄って、散髪。今日も涼しい。助かる。
10時半出社。
ななちゃんの結論が出てないので気になり、電話をするにもメモをなくしてしまい、連絡先を見つけるまでが一騒動。
結局ぽしゃる。ナナちゃんが楽しみにしていたのに、残念。早速ダメコール。携帯がつながりにくいらところにいたようだった。ゴメンだめになったっと言ったら、「エッ」のあとに、笑い声。やけくそだったのかもしれない。そこで切れてしまったので、メールを入れておく。
大分の分の航空券を予約。お盆時期に重なっているので、料金が定額なのがイタイ。
若宮丸友の会発起人呼び掛けの案内文をつくる。
ヨドバシに買い物。途中紀伊国屋に寄り、ずっと探していた「オールド・ルーキー」をやっと手に入れる。
辻と大野は、明日から行くフジロックフェスが相当楽しみの様子。
上越の件で、クライアントと契約の詰め。
18時すぎに会社を出る。
駅でツバメの巣を見ると、七匹全員いる。もしかしたらどこかで飛ぶための練習をしているのかもしれない。
ビデオ屋に寄り、「キャラバン」と「フリークスも人間」の二本を借りる。
ナナちゃんからメール。あのあと、一緒に稽古していた小出と飲みに行ったらしい。

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2001年7月30日(月)

また暑さがぶりかえしてきた。出勤するだけで汗だくになる。
電車で、昨日郵送で送られてきた『祝祭と日常』という本を読みはじめる。
これは、ソ連時代の編集者が書いた回想録を訳したもの。翻訳したのは、「ロシアアヴァンギャルド全集」の編集者で、レザーノフの翻訳を岩波にもちかけてくれた木村妙子さん。
この本を訳したいという話しは聞いていたが、いつのまにやっていたのだろう。
会社に着くとフジロックフェスに行ってきた辻が、テントを片づけていた。なんでも今日の朝に着いたらしい。
コンサート自体は楽しかったらしい。テントと寝袋を貸したお礼に、ホラーサーカスのTシャツをもらう。
このホラーサーカスも今年のロックフェスに出演していたが、いまいちだったということ。
『デラシネ通信』の8月号の早版が出来上がっていた。またリュニアル、だいぶ読みやすくなった気がする。
韓国のメンバーの在留資格認定証が届く。サーカス学校のナジェージダ先生の認定証も東村の方に届いたという。
上越の契約書を作成、郵送する。
韓国から西田が戻る。ユー君から契約書を預かってきてくれた。ステージの大きさと、リハーサルを含めてのタイムスケジュールを教えてくれとのこと。
韓国は台風で、川が氾濫してたいへんだったらしい。お土産のトウモロコシのお茶を飲む。甘味があって美味しかった。
6時半会社を出る。駅のツバメたちはいない。もう旅立ったのだろうか。

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2001年7月31日(火)

出社して、いつものようにメールをチエック。タイトルがおかしいので気にはなったのだが、よくメールをもらうところだったので、開いてみたら、途中エラーの表示。
文字化け状態になっていた。気になって、発信者に問い合わせ。
飯を食っているとき、ふと文字化けでない部分にHellとかあったのを思い出し、これは最近話題のウィルスではないかと心配になって、辻に見てもらう。
間違いなく話題のウィルスだという。これを送ってくれたところからもメール、ウィルスに汚染したのが、原因で発信されたものだという。
Sircamというこのウィルスは、汚染されると、マイドキュメントに入っている文書を無作為にリストに入っているところへ発信し、さらには、Cのファイルとディレクトリーを10月16日に自動的に削除してしまうというおそろしいもの。
ウィルスなんて他人事だと思っていたが、こうして現実のことになって、あたふたする。
これを発信したところが、ワクチンについての情報サイトをいくつか教えてくれたので、それを見てみる。
15時にセルゲイと会う約束をしていたので、気にはなったのだが、帰ってからじっくりやることにする。
東京駅の京葉線乗り場のところに行ってセルゲイを探すが、見つからない。ここは地下深く携帯も入らない。あっちこっち探すがいない。まさか上には上がってないだろうと、思ったのだが、まずは会社に電話してみる。ちょうどセルゲイらしき人物から電話が入っている様子。八重洲のバス乗り場のところにいるらしい。
下で待っていろと言ったのに、とにかく上へ向かう。
エスカレーターのところで、知らないおじさんに声をかけられる。スーツ姿なのだが、泥だらけ。傘をしっかりと握りしめている。この傘5千円したのだけど、買ってくれないかという。沼津まで帰る切符が買えないという。
そのままほっぽといても良かったのだが、目をうるうるさせているのを見て、立ちどまって話しを聞いたのが運のつきだった。
鈍行で帰るには3000円と言っていたが、千円札が2枚しかなかったので、それを渡すことになった。傘はどうするかね、というので、いらないと言った。そういう答えがくることをあらかじめ予想していたような聞き方だった。
もしかしたらだまされたかなとも思ったのだが、あれが演技だとしたらまさに迫真の演技、大道芸で投げ銭を出す価値はあったかと思う。
やっと八重洲口でセルゲイを発見。近くのコーヒーショップで1時間半ぐらい話す。
一緒に仕事をしてから10年ちかく、モスクワで一回顔を見かけたことがあるのだが、ずいぶんと久しぶりの再会だった。
聞けばあの時一緒に来た奥さんも元気、14歳になる娘も元気だという。ほとんどモスクワでは仕事をせず、アメリカのフロリダのディズニーランドで仕事をしたりするほか、テレビ番組の製作演出みたいなこともしている。
今回の来日はデベズニーシーでの仕事、来年の5月までの契約だという。
これからもしばしば会うことになるだろう。
会社に戻り、本格的にウィルス対策。問題はウィルスに本当に汚染したかどうか。駆除ワクチンは、まず汚染されたかどうかをチェックできるというので、とりあえずはダウンロードして、それを開いて、チェック。
時間にして3分ぐらいだったが、ほんとうにドキドキしてしまった。
結果はNO FOUND。ほっと一安心。
ウィルスやら、2千円をたかられたりと、変な一日だった。
ウィルスに汚染されたかもしれないから、メールを開くなと、家に電話したのだが、家に帰ったらかみさんが、最初はお父さんがなにかに感染して、どこかに隔離されるのかと思ったと大笑い。
笑い話ですんでよかったというところか。

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