クマのお仕事日誌
2002年1月分


2002年1月7日(月)

いよいよ今日から仕事はじめ。冬眠から目を覚まし、久々の通勤電車に乗る。昨日久しぶりに20キロ近く走ったものだから、脚がパンパン状態。
10時20分前に出社。
5人揃って朝のミーティング。
これもまた何カ月ぶりのことではないかという気がしてくる。
やらなくてはならないことがいくつかあるのだが、とりあえずは年賀状の整理、住所録の訂正をやってしまう。
秋に予定しているウクライナのサーカスのプログラムを西田が大体決めてきたので、それを見ながら打合せ。
美男美女揃いで、なかなかいい番組になるのではないだろうか。
ゴールデンウィークに提案しているパフォーマンスの予算書を、もう一度見直し、作り直してみる。
いわれている金額をオーバーしてしまったが、これがギリギリの線。これで出してみよう。
昼過ぎ韓国から電話。韓国の知っている人といえば、チュルタギの金さん、ユー君しかいない。案の定ふたりからだった。
といっても言葉ができるわけでなく、交換手を通じての会話になるが、うまく話せない。日本語で「元気?」って聞いたら、しばし沈黙があって、「イン・マイ・ハウス」という答えが返ってきた。
新年なので、挨拶がしたかったということだが、嬉しかった。今年は金さんたちは、南北統一のキャンペーンをかねて、チュルタギツアーを開始するし、フェスティバルもプラン中。
またきっと会えるだろう。
18時すぎに退社。静かな感じで新年がはじまった。

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2002年1月8日(火)

10時出社。Mマジシャンのダンサーとして来たロシア人エレーナからビデオが来ていたので、それを見る。
旦那がストラップで、シルクドゥソレイユにも出演していた。エレーナは新体操的な動きでフープを使う。なかなかいい芸だと思う。
planBのSから電話。今日カバBのミーティングがあるという。すっかり忘れていた。出席する旨伝える。
13時からミーティング。出席者も少ないし、今月は出演者も少ない。中身的にはなんとかなると思うが、今年はいろいろと仕掛けていこうと思っているので、出演者サイドにもう少し意欲があってもいいと思うのだが・・
15時すぎに会社戻り。
夏のイベントを提案しているところから電話があったという。いま提案しているのがちょっと難しそうだという。なにか他にない?という話だ。
野毛からも電話、今年のフェスティバルの件も含めて、一度来てくれとのことなので、明日行くことにする。
キエフのコミックマジックのビデオをダビングしながら見る。かなり笑わせてくれる。早速夏の新しい提案ということで送る。
メールを見ていたら、「海を渡ったサーカス芸人列伝」を読んだ人から、私が子孫ですというメールが届いていた。びっくり仰天。
早速返事を書く。
少しずつ起動してきたかなという感じかな。
19時会社をでる。

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2002年1月9日(水)

午前中は、企画書を作成。予算が決まっているので、楽は楽なのだが、予算内でやろうとすると、どうしても無理が出てきてしまう。
こういう時は、つくっていてもあまり楽しくない。でもそんなことも言ってられない。
カバBの出演者についての打合せ。いまのところ5人なので、昨日からパフォーマー君たちに打診をしていた。
神山氏が出演するとのこと。これでかなり締まるだろう。
自宅で使うパソコンを買い換えようと思っていた。Macはもう諦めているのだが、親指シフトをつかえるものというとかなり限定される。
親指シフトというかたわもののワープロソフトにこだわるしかない。
デスクの大野ともメールで相談しながら、機種を決める。
そして思いきって発注すること、しめて285,600円也。高いけどしようがない。
15時すぎに会社を出て、野毛へ。
今年のフェスティバルの演し物について、ビデオを見ながら打合せ。今年はワールドカップもあるので、サッカー絡みの企画をやりたいのだが、なかなかピタッと来るものがない。
18時前野毛に4月にオープンするにぎわい座の舞台を見に行く。ほぼ完成している。
小ホールは、いわいるフリースペース。いろいろつかえることはつかえそうだ。
簡単な説明を聞いたあと、万里へ。福田さんと久しぶりに会ってごちそうになる。
福田さんに12日のラグビーの大学選手権の予想を聞いてみる。関東学院が有利だけど、早稲田のFWが運動量で圧倒して、関東のFWを疲れさせて、後半勝負になれば、早稲田が勝てるかもしれないという。
いい線をついているのではないだろうか。
22時万里を出る。

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2002年1月10日(木)

朝ジョギングで、ベイサイドマリーナまで行く。ちょうど朝日が昇るところに出くわした。朝日ってほんとうにぐいぐいと昇っていくのだと感心する。
手袋を買ってもらったので、していく。なんとなく嬉しくなってしまう。
夏用に提案している企画について、電話でクライアントと打合せ。
なんとかとりたい仕事だ。
サーカス文化の会の会報用の原稿を書く。去年は新聞を出していない。2月に新聞を出さなくては。
3月に渋谷のオーチャードで公演する「シルク・オーケストラ」のチラシを入れることにする。
そろそろ落ち着いてきたので、忘年会できなかった人たちに声をかけて、新年会の準備。
とりあえず来週は2本になりそう。
このところ静かな日が続く。19時退社。

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2002年1月11日(金)

午後T企画のS社長に会いに行く。新年のご挨拶と、先だって見せてもらった浜村ファミリーのポスターを『デラシネ通信』に掲載してところ、子孫の人から連絡をもらったので、そのことを報告する。
子孫が見つかったことには、S社長だいぶ興奮していた。わざわざあのポスターを実寸大でカラーコピーしてくれて準備してあった。
これはどうなるかわからないけど、続けて書くなかで、調べる必要があるのではと助言される。確かにそうだ。
『海を渡ったサーカス芸人列伝』は、連載を終えることになっていたのだが、これはすぐに再開しよう。
S社長から、戦前大阪で「ピエールボーイズ」と題されて公演していたヴァラエティショーのプログラムを見せてもらう。東京を追われた森川信らが中心になってやっていたショーらしいが、驚いたのは、毎週一回番組を替えてやっていたこと。すごいエネルギーだ。
このプラグラム、しかも洒落ている。隔月でネタに困っているわがカバBもこのエネルギーを見習わなくては。
夜なななのソロライブ。去年春から続いたなななの季節も今日が、最終回。ほぼ満員の盛況ぶり。
帰り久しぶりに会ったチャン助さんと、ミキと一緒になる。ミキは、ドゥフクレの空中ワークショップに応募して、通ったらしい。
23時すぎに帰宅。

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2002年1月15日(火)

静かな日が続いている。
午前中サーカス文化の会会報の発送作業。今日は3人でできたので、1時間足らずで完了。
午後、カバBのアンケートにEメールのアドレスを書いてもらっていたのを、まとめて入力。すぐにやらなければいけないことなのだが、なかなか暇がなかった。
100件ぐらいになった。
来週のカバBの案内をこれで流す。10件近く配信不能で戻ってくる。すぐにアドレス帳から削除しておく。
ゴールデンウィークの企画の件で、見積を作り直す。与えられた予算内でやるためには、人数を減らすしかない。残念だけどしかたがない。
18時に退社。塾帰りのかや子と行き違いになる。

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2002年1月16日(水)

午前中、野毛にオープンする新しい劇場を西田と一緒に下見。先週も見せてもらったのだが、西田にも見てもらい、なにかアイディアがあればと思った。
1時間ぐらいかけて、じっくりと下見。西田は、慎重に細かいところまでチェックしてくれたので、小ホールで舞台をつかった場合の公演のイメージが、かなり具体的になる。
来てもらってよかった。
基本的に小ホールについては野毛のプロデュースでオープニング期間の二週間運営されることになりそうなので、とりあえずは野毛の企画が出そろったところで、空いているときに、企画を出すかたちになるだろう。
やはりカバBのスペシャルというかたちになるかと思う。
西田から昨日見たという映画『ガンダハーラ』の話を聞く。面白そう。見なくてはいけないようだ。
会社に戻って、野毛のフェステバルに出演をプレゼンしているアーティストの見積をつくり、FAX。
合間を見て、『デラシネ通信』更新のお知らせを、知り合いの人たちにメールで送信。
こういう営業活動も必要だ。これからも更新毎に案内を送ろう。
今日は「穴子の会」。高円寺の寿司屋で、T、N、H、Kといういままで自分の本をつくってくれた編集仲間と穴子を堪能する。今日は酒もいいのがあるとのことで、しぼり酒を三合飲んですっかりいい気分になる。
24時近くに帰宅。
『デラシネ通信』の今日一日のアクセス数は、いままでで2番目の記録。
大事ですね、営業は。
21日からいよいよ自宅もADSLを導入することになっているが、それ用のレンタルのモデムが届いていた。

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2002年1月17日(木)

カバBをにぎわい座でやる方向で、とりあえずミーティングのためパフォーマーのみんなにメールとファックスを送る。
ワールドカップ用のイベントについて、具体的な企画書と見積を作成、ファックスする。
大阪のM氏、北九州のK氏とカザフで世話になったふたりから、久々に連絡をもらう。
次なるプロジェクトの話。いまは少しでもなにか手がかりがあれば、食いついていかねば。
具体的になりそうな企画が2つある。それについて企画書をつくるために打合せ。なにを提出するかを決める。
来週ぐらいにクライアントと会って、提出する段取り。
17時すぎ、クリューコフに連絡。オデッサからの休暇から帰ってきた様だ。なんでもパリのフェスティバルに行くらしい。
秋の公演について、出演者との交渉を進めるように言う。詳しい情報はファックスで送る。
今日も18時すぎにあがる。

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2002年1月18日(金)

野毛にロシアの似顔絵描きに関する記事をFAXする。
エンマの営業をしなくてはならない。2、3思いつくところに資料を送る。
午後時間が空いたので、上野の国立博物館へ。結構混んでいる。学生ぽっいのもいたが、圧倒的に中高年の人たちが、多い。
歴史上の有名人物の直筆の資料の前では、みんな長い間見ていた。
絵巻ものはみんな興味深いものばかりだった。お目当てのレザーノフ来航絵図は、たぶん全部を公開していないように思える。
ちょっとがっかり。
会社に戻りクリューコフのところに電話、アーティストの名前をFAXで知らせるように連絡。
にぎわい座の日程の調整。カバBについては何人かから出たいという意志表示。最近でていないパフォーマーたちから出たいという声がきているのはうれしいこと。
18時半早稲田松竹で早稲田の授業で世話になったK君と、デスクの大野と落ち合い、近くの「だいこんの花」という居酒屋で、新年会。
酒も美味しく、料理も凝っていていい店で、楽しい一時をすごさせてもらった。
24時近く帰宅。

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2002年1月21日(月)

家を出るとき、雨が降り出す。結局一日中雨降り。
午後3時すぎには、すごい雷雨になる。この雨をついてななちゃんが来社。
ソロライブが終わって、少しホットしたようだ。
ディズニーシーで働いているロシア人から電話。クラウンで、モスクワの私のサーカスの先生スラフスキイから言われて私を探していたらしい。
セルゲイに会社の電話番号を教えておいた。一度ディズニーシーに行かないと。
野毛のことがあったので、エンマに電話。二日間だけでは足りないのでもう少し仕事を探してくれという。当然だよな。まだローマがアルマトゥイにいるというので、ローマにも電話。
皆お前を待っている、とにかく来いとのこと。
行かなければならないか・・・

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2002年1月22日(火)

昨年来から机の上に積み上げられているビデオの山にとうとう手をつける。
特に去年は忙しかったので、海外から送られてきたビデオはほとんど見ないで机に置いているうちに、大きな山が三つできてしまった。
いずれ手をつけなければと思っていたのだが、カザフの企画書をつくるのに、この山の三分の一を占めているカザフの資料を整理する必要に迫られた。
何日かかるかわからないが、とりあえず今日は個人のビデオをチェック、必要ないものはつぶすことにした。
しかしこのビデオは増える一方で、どう整理したらいいものか見当がつかない。スペースは限られているわけだから、ある程度古いものは処分するしかないように思えるのだが、その判断が難しい。
今日は10本程度のビデオを早回しで見る。
東北放送のK氏より電話、産経新聞で若宮丸の会のことが、大きくとりあげられているという。
そういえば金曜日に取材の電話をもらっていた。
20年近くの付き合いになる神戸のT氏が上京してきたので、一緒に食事する。
品川にホテルをとったというので、品川の港南口にあるオフィスビルの中にあるイタリアレストランをネットで検索、予約する。
港南口に出たことはほとんどないが、急速なテンポで景色が変わっている。新幹線が停車することになり、再開発が進んでいるとは聞いていたが・・
大変なもんである。
T氏は、相変わらず忙しいそう。たまには仕事抜きで世間話をしながら旧交を温めるのもいいものだ。
22時帰宅。

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2002年1月23日(水)

ほぼ丸一日つかって、カザフの企画書づくり。
カザフのビデオを見ながら、つかえるところをダビングしながら内容をチェック。
久々に気合が入った企画書ができたのではないだろうか。
ローマと前に大阪でいろいろアイディアについては、話をしていたので、骨子は自分なりにできていたのだが、今回は番組構成まで突っ込んで企画書を書いた。
にぎわい座の件で、東京かわら版のO氏と電話で打合せ。元気いいぞうができないかと思ったのだが、スケジュールがダブっているので今回は無理ということに。
元気さんは、いつか野毛でやってみたい。
とりあえずこれでにぎわい座については、メドがついた感じ。
18時前に会社を出て、野方ホープ軒でラーメンを食べて、世田谷パブリックシアターへ。
仙台のYさんたちがスタッフとして制作に関わっている「イヌの仇討ち」を見る。(感想はクマのつぶやき参照)
八割ぐらいの入りだったが、びっくりしたのはマスコミをはじめ、演劇関係者が多数詰めかけていたこと。
地方発の演劇ということで、注目を受けたのだろうか。
22時半帰宅。新しいパソコンが到着していた。今日は遅いので、とりあえずセットアップだけ。
フリーセルを少しやってみる。

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2002年1月24日(木)

昨日つくったカザフの企画書の手直し、ビデオの編集。
今日は前にもらっていたカザフの音楽関係のビデオを早回しで見る。モンゴル系のものが多かったが、楽器の種類がちょっとちがう。
いろいろ面白いのがある。
14時からplanBで緊急ミーティング。4月のにぎわい座での公演と、クラブチッタでの公演に関するミーティング。
めずらしく大勢のパフォーマーが集まる。
出演希望者がかなりの数になるので、一応制作サイドでセレクションをすることにした。
エントリーシートをS氏が作成、希望者に渡す。
打合せのあと、オズとゴッシュのビデオを皆に見せる。ゴッシュの評判が高い。
カバBの公演まで時間があったので、ジョナサンで軽くビールを飲んで飯を食べる。
19時40分10分押しでカバBの公演。昨日は10数人、今日も10数人、少ない。
客が少ないせいもあるのかもしれないけど、全体的に静かな公演。テンションが低かったような気がする。
公演後、久しぶりに飲み明かすことに。
夜になるとねずみが元気に走り回っている。
3時すぎに舞台の方に行って、座布団を敷いて寝る。

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2002年1月25日(金)

8時半S氏に起こされて、目を覚ます。planBの地下室で5時間近くは寝たことになる。
みんなはすでに始発の電車に乗って帰ってしまったあと。
中野駅まで歩く。駅の立ち食いソバやで食器を片づけようとしたときに、前の人にぶつかって、汁がこぼれる。この日一日ソバの臭いがついたまま。
9時半会社着。
カザフのビデオの続きを試写して、ダビング作業。これ以外は仕事にならない。
言っていることもかなり支離滅裂だったようす。
15時すぎに会社を出て、川崎のクラブチッタの内覧会を見に行く。
Tと落ち合って、M氏に企画資料を渡す。音楽関係者で会場は一杯。この業界とは付き合いがないが、まったく違う。
17時にチッタを出て、ヨドバシでLANケーブルを購入。ADSL接続のための準備。はたしてうまくいくのだろうか。
家へ着くと分厚い封筒が机の上に置かれている。去年やった早稲田の授業のレポート。ハードルを高くして、なんとか読む量を減らそうとしたのだが、ハードルは決して高くなかったようだ。
50人近くのレポートが同封されていた。
来週中に採点をしなくてはならない。トホホ。

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2002年1月28日(月)

土日と二日間ASDL設定と接続で悪戦苦闘したが、結局接続できず。
何が原因なのかわからない。
会社に来てから、真っ先にパソコンの先生でもあるデスクの大野に事情を説明したメールを送る。
すぐに返事。IDが間違っているという。
モデムとかハードの問題だとばかり思っていたのだが、とにかく帰ってからトライしてみよう。
午前中ミーティング。
クリューコフからFAX。28日からパリに行くという。
カザフの件でYのM氏と、金曜日会うことに。
今年は仕事を積極的にとりいかなくてはならない。そのためにもまず企画書をつくり、先方と会うことが必要だ。
ということで、今日も企画書つくり。
18時半会社を出る。
夕食を食べて、再びASDL接続に挑戦。大野が言ったにやってみるが、ダメ。
もう一度設定を初期設定に戻し、大野が言った様にやり直す。すると見事に開通。
IDが間違っていたのだ。
これで一件落着。いよいよ我が家でも快適なネット生活がおくれるようになるわけだ。
めでたし、めでたし。

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2002年1月29日(火)

12時から野毛で野毛地区センターの賀詞交換会なので、直行。病院に寄って検査の結果を聞く。案の定前回より数値がみな高くなっている。正月中はよく食べたし、よく飲んだものなあ。
中央図書館で、本牧夜話とアヴェマリアが入っている谷崎潤一郎全集を一冊かりる。
ブリーズベイホテルへ。すでにたくさんの人が詰めかけている。1時間近く市の人や、議員さんたちの挨拶を聞かされる。今日は福田さんもネクタイをしている。
にぎわい座の件と、フェスティバル関係の打合せをちょっとする。出演者はこれでほぼ決まり。
福田さんが、前からやりたいと言っていた仏具の売り出しを大道芸期間中できることになった興奮気味。
産経新聞のH氏が、今晩6時から萬里で会わないと誘われる。ついでだからこのまま居たらと言われるが、いったん会社へ行くことに。
14時半に会社出勤。
あまり仕事にならない。野毛の出演者として決まったアーティストにメールで連絡。
19時、また野毛に。萬里でH氏らと食事。
H氏らにいつも持ち歩いているエンマの写真を見せたら、大喜び。大道芸の時は手伝いたいと申し出る。
エンマの話と仏具の叩き売りの話で、盛りあがる。
いつの間にかに仏具の叩き売りの口上をすることになっていた。これが飲んだ時の話だけだと思ったら大間違い。福田さんはきっとこの話をあちこちに言いふらすに違いない。
きっとやらされることになる。覚悟を決めなければ。
萬里を出て、波の上に皆でいくことに。途中O氏とKさんと出くわす。波の上は、満員で入れず。結局暖簾を下ろしている一千代に無理やり入り込む。
またエンマの話でもりあがる。これも勢いで、今年5月皆で弘前にオートバイサーカスを見に行くことになった。今年でオートバイサーカスは解散するらしい。
野毛で一番盛りあがるパターン。久々の馬鹿話で暮れた楽しい一夜だった。

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2002年1月30日(水)

ちょっと二日酔い。20分ぐらい遅刻して出社。
キエフのクリューコフ宛てのFAXの文面をつくる。
野毛のフェスティバルに出るパフォーマーが大体固まったので、出演者たちにメールで、条件等を知らせる。
ラスベガスにいるエレーナからすぐに返事がくる。喜んでいた。
急きょ候補にのぼった韓国のチュルタギは結局は今回見送り。ユーにメールを出しておく。
13時すぎに、A君来社。カバBで映像をつかった演し物を毎回やってくれている。
エンギバロフのビデオをDVDにダビングしてくれ、持ってきてくれた。映像をチェック。これで劣化は防げるわけだ。
カバBでやったセッションのビデオを見る。
企画書づくり。しかしこれだけ企画書づくりに専念しているのは、実に久しぶりのこと。
ひとつでもふたつでもこうして作っている企画書が実現することが大事。
夕方キエフにFAX。
カバBの横浜公演を17・18日の二日間することにした。
動員のこともあって2日大丈夫かなという気もしないでないが、出演者希望者が多そうだし、これでいこう。
18時半会社を出る。

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2002年1月31日(木)

私用で午後からの出社。
野毛に出演が決まった芸人さんの他への売り込みをしなくてはならない。
簡単なプロフィールと番組紹介を一枚の資料にまとめてみる。
テーマパーク用の企画書をやっと完成させる。
19時からサーカス文化の会。
今日去年暮れベルリンとプラハに行った辻の報告。ヴァリエテやサーカスをずいぶん短い間に回ったようだ。
プラハの二流の観光客めあてのオペラ劇場の客引きの話には笑ってしまった。
自分がプラハに行ったのは、10年以上前。ずいぶんと街のようすも変わったのだろう。
帰りの電車で、レポートを読みはじめる。採点の締切りが、4日だから明日には発送しなければならない。
帰宅してから続きを全部読むことに。みんな一生懸命書いている。
何度か吹き出したこともあったが、努力のあとは見られる。結局2時までかかってしまう。

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