クマのお仕事日誌
2002年5月分


2002年5月1日(水)

出社前に信濃町の慶応病院に寄り、先日の治療の精算をする。前回は当然のことながら保険証は持っていなかったので、一万5千円ほど支払った。今日は保険証を持ってきたので、その差額を窓口で受け取ることに。結局一万一千円戻ることに。救急車のお金は入っているのであろうか。それにしては安い。
しかし大病院はすごいものだ。大勢の人が押しかけ、実にシステマティックにその人を捌いていく。
10時半出社。あわただしく仕事日誌をアップし、メールをチェックし、すぐに大野と会社を出る。12時4分発のひかりに乗車、すぐに弁当を食べた後は名古屋前までずっと睡眠。新大阪まで読みかけの本を読む。
梅田のホテルにチェックインしたあと、難波のY社へ。M、K、S氏と打合せ。来年の大きなプロジェクトについて意見を交換する。T氏もひょっこり顔を出し、明日飲みにいきましょうと誘われる。
打合せのあと、近くのお好み焼き屋で食事。
22時すぎにホテルに戻る。デラシネの原稿を書こうと思って、ちらっとバーボンを飲みながらと思ったのだが、すぐに眠くなり、そのまま就寝。

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2002年5月2日(木)

9時起床。朝食をとったのち、少しベットに横になって睡眠をとる。11時チェックアウトし、アネックスホテルに荷物を預ける。ビックブラザーズの荷物が結構あるので、それを新阪急ホテルに預ける手配。HEPに楽屋の下見と導線の確認をしにいく。思った以上に館内のタッパが低い。たぶん問題はないと思うが…
12時すぎに打合せが終わり、街をぶらぶらし、14時にホテルにチェックイン。少し休む。大野から電話。もうバスに乗ったという。新阪急ホテルに行き、荷物を預ける段取りをする。15時すぎにバス到着。ビックブラザーズの4人と大野が金魚の糞のように縦隊になって、4つの大きな荷物を持ってやってくる。みんな陽気な連中。ホテルに荷物を預け、アネックスにチェックイン。
18時すぎYのT氏から電話、難波で落ち合うことに。
18時半難波でT氏と会い、近くの寿司屋へ。今日はキリンカップの日本対ホンジュラス戦がある。テレビで試合を見ながら、酒を飲み、馬鹿話に花を咲かせる。
試合は乱戦となる。3対3だが、日本のディフェンスはボロボロ、得点も全部セットプレー、これが実力なのかしもしれない。
サッカーの試合が終わって店を出る。場所を変えて、ジャズバーへ。M氏も合流。かなり
飲んだと思う。タクシーでホテルまで送ってもらう。何時に寝たかは不明。

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2002年5月3日(金)

9時前に起床。ひどい二日酔いだったが、がんばって朝食を食べに行く。10時HEPの搬入口へ。誰もおりてこない。何度も携帯に電話するが通じない。荷物はホテルの台車を借りて運ぼうかと思った時に、連絡が入る。台車二台をもって担当者が降りてくる。新阪急ホテルまで行き、台車に荷物を積み、楽屋まで運ぶ。
11時すぎに、ビックブラザーズと大野がHEP到着。楽屋で準備。4人とも楽しい連中だ。冗談をいいながらセッティング。
2日酔いは相変わらずひどい状態のまま。楽屋で少し横になる。
14時スタート。2メートルぐらいの人形を被っての4人の回遊パフォーマンスなので、とにかく目立つ、すぐにものすごい人だかりになる。首がろくろく首のようにビョーンと伸びたり、突然駈けだしたり、4人そろって腰を曲げたりすると、客はキャーキャーいいながら逃げ出す。ちょっとしたパニック状態になり、HEPの人たちは結構慌てていた。去年BPズームの回遊パフォーマンスは、さほど人も集まらなかったのだが、ビックブラザーズのは、ケタが違う。女の子を中心に追っ掛けがはじまり、携帯で写真をとったり、携帯で友だち同士連絡しながら、場所をおしえあったりと、熱狂が館内をつつむ。
一番ハラハラしたのはエスカレーター回りで彼らが立ちどまったときに、エスカレーターまわりに人がたまったことと、外に出たとき交差点付近でちょっとしたパニック状態になったこと。一回目と二回目のパフォーマンスが終わった時点で、YのO氏と打合せを重ね、ビックブラザーズについては一階付近でやることにした。三回目は彼らも要領が少しわかってきたのと、こちらの対応がわかり、無難に終わった。
いや、疲れる。回遊型のパフォーマンスは、常に客のケアもしていかないといけないわけで、ずっとアテンドしなくてはならない。シンドイこった。
ビックブラザーズの面々もかなり疲れたようだった。野外とちがって、ショッピングセンターは、勝手が違うようだ。
19時45分にHEP前で集合することにして、いったん別れるが、4人はサウナとマッサージのあるところに行きたいというので、教えてもらったサウナへ連れていく。18キロちかくの人形を肩だけで支えて、腰を曲げた状態が続くので、かなりの負担がかかるらしい。マッサージとサウナ込みで4,900円ということで、最初は顔をしかめていたが、3人が入ることに。
自分はいったんホテルに戻り休む。19時45分にHEP前に行ったが、サウナ組はまだ来ず。20時半ぐらいに全員が揃い、お初曾根崎通りのお好み焼きへ行くが、どこも長蛇の列。結局居酒屋へ入る。まもなく到着したばかりのスプラット3名と大野も合流。それぞれ自己紹介しながら、食事。スプラットの面々はもろオーストラリアという感じだ。なかなかの好青年風。
22時半ぐらいまでこの店にいたあと、皆はもう一軒という感じだったが、自分はホテルに戻る。今日はもう限界。
テレビを少し見たあと24時前に就寝。

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2002年5月4日(土)

9時過ぎまで寝る。ずいぶん寝た気がする。最近の体調の悪さは睡眠不足が主な原因なような気もする。今日はずいぶんと楽な感じ。朝飯はパスして、シャワーを浴び、またベットに横になる。
11時ホテルでスプラットと大野と合流し、HEPへ。大野の話では昨日の夜は、あれから二軒ハシゴをしたという。ビックブラザーズはだいぶ欲求不満があったらしい。ストリートとは違って、いろいろ規制の多かった昨日の仕事に、いらいらがつのったようだ。大野が話を聞いてやったことで、少しはガス抜きになったのではないだろうか。
スプラットと現場を見ながら打合せ、自分まで神経質になって、エスカレーターで倒立をしたいという彼らの提案に、やめた方がいいじゃない、と言ってしまう。とにかく様子を見ることに。
今日はスプラットの担当に。13時半一回目。テンポ良く、こういう場での公演になれているようで、客さばきもうまい。お客さんの反応もよい。わざわざ見に来てくれたYのK氏も大満足。14時からビックブラザーズの公演。今日は立ち位置が良く、その場その場でドラマを演じるようまでになっていた。心配はないだろう。K氏は興奮気味。
二回目のスプラットの公演が終わったあと、ホールに行き、F氏とお茶を飲みながら、打合せ。10月のミクロバンドの公演に関して。
三回目のスプラットが終わろうとした時、大野から携帯に電話。17時から公演が始まるビックブラザーズの三人が食事から戻っていないという。ちょっと探しに行く。HEPを出たところで、リーダーを発見。もう時間だそ、というとそんなんだ、レストランに行ったのだが、混んでいて、なかなか注文したものがでなかったという。なんとひとりは食べ残した食事を入れたビニール袋をもっている。15分押しでビックブラザーズは公演開始。この日帰るので、スプラットとお別れの挨拶。18時すぎに楽屋に戻ってきたビックブラザーズにも慌ただしくお別れ。担当のO氏には携帯で挨拶。雨が降りはじめたので、地下街を通って、大阪駅へ。
新大阪で八角弁当とビールを買って、18時40分のひかりに乗車。京都に着くまで弁当とビールを飲んで、あとは小田原までずっと寝ていた。
22時半帰宅。

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2002年5月7日(火)

出社すると、チェコからヤーナの代役となる弟のビデオが到着していたので、早速見る。
前のビデオの時よりはずっと良くなっている。
今日はヤーナに関する問い合わせが2件あった。せっかくの話なのに、ケガで来れないとは・・・極力弟のフランコを押すことにしているのだが。
早稲田の授業で使うビデオの準備。
14時早稲田へ。今回の教室は前よりもでかいし、新しい。最新設備なので、使い方がいまいちわからない。
ただまた体調がいまいち。なにを話しているのか、途中でわからなくなる。
真剣にもう一度検診を受けたほうがいいかもしれない。
17時会社に戻る。
野毛とエンマの時の精算、大分の見積を再度作成したあと、帰る。
家に戻って、タミラのビデオを見る。メリハリがきいていてなかなかいいのではないだろうか。
とにかくいまは深酒をしないことと、睡眠をとること。24時過ぎに就寝。

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2002年5月8日(水)

10時出社。ミーティング。HEPに残って立ち会った大野の話だと、やはりあれから5・6日とたいへんだったらしい。なによりもHEPオープン以来という来客の多さがネックになったようだ。
商業施設での回遊ものについて、これからも提案していくときに、いい経験をしたということだ。
さっそく引き合いがきている。
大分の見積を作成、FAXを送る。
M氏が来社、来年以降の企画を打合せ。
16時planBで、先日のカバB横浜公演の反省会。構成や制作の面で、反省点がいくつか出されたかが、総じて緊迫感のあったいいステージになったのではないかというのは、総意だったと思う。
今後のカバBについてどうするかについても意見交換。いままでのようなやり方ではだめということでは、意見は同じ。ただ今後どうするかについては、チッタでの公演をすすめていくなかで、考えていこうということになる。
そのあと、チッタに出るメンバーが残り、公演や演し物について意見交換。
19時30分に終了。メンバーは飲み行くみたいだったが、自分は明日のこともあるので、真っ直ぐ帰る。
家に戻り、メールをチェックしようとしたら、ネットが全然つかえなくなっている。
いろいろやってみるが、つながらないまま。
24時就寝。

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2002年5月9日(木)

7時起床。8時すぎに電車に乗って、浅草へ。東武線の浅草駅の近くにスターバックがあった。コーヒーを買って特急両毛に乗り込む。コーヒーを飲んだあとはずっと寝ていた。とにかく睡眠が十分でないと、体調がとたんに悪くなる。
相老に着いて、乗り継ぎの時間があったので、駅前近くの喫茶店で早めのランチ。わたらせ渓谷に乗ってからも、1時間近く寝ていた。
13時すぎに沢入駅に到着、西田に迎えにきてもらい、学校へ。
サーカス学校に来るのは、今年初めて。生徒も増えて活気がある。先生が、やせたわねと声をかけてくる。
先生とも今年初めて会う。
14時からミーティング。生徒ひとりひとりからの意見を聞いて、それを訳していく。先生からは、みんなとにかく急いでなんでもかんでもマスターしようとしている、あせらないで、基礎をしっかり学ぶことが大事であり、倒立ひとつでもまちがったやりかたで覚えると、次のステップへ進めないという注意が出される。
先生にとっては10人といういまの生徒の人数は、ぜんぜん多くない、十分に対応できるという。
17時ぐらいまでかかる。もう少したいへんかと思ったのだが、まあまあきちんと訳せたのではないかと思う。
車でまた駅まで送ってもらう、ここでチョンボ。乗ってすぐに寝てしまったのだが、まもなく終点というのでびっくり。なんと反対方向に乗ってしまったのだ。車掌さんに言うと、いいよすぐに折り返しで桐生にいくから、料金も沢入から相老分でいいと言ってくれる。
19時20分に相老着。昼食べた喫茶店でまた、夕食を食べる。
20時10分の特急に乗り、浅草へ。またほとんど寝ていた。
22時浅草着。家に着いたのは、23時半。パソコンは相変わらずネットがつながらないまま。いろいろ設定を変えてみるがダメ。
1時就寝。

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2002年5月10日(金)

まだ体調がすぐれない。睡眠時間と酒を飲む量で、翌日の体調ががらっと変わる。
ということで昼から出勤。
大分の航空券の手配など、やることはたくさんある。ワールドカップ期間中ということで国際線も国内線もチケットがなかなかとれにくいということがある。
東北放送のS氏から、ミラノ行きの航空券もとれないかという話も舞い込む。
これも代理店の人に照会。はやめはやめでやらないといけないということだ。
14時会社を出て、新浦安駅へ。
ずっと会わなくてはならないと思っていたスラフスキイの知り合いのマジャンと会うため。
彼はディズニーシーで九ヶ月働いていて、スラフスキイの頼まれ、ずっと自分のことを探していたらしい。
知り合いを通じて、やっと探しあててくれた。時間があるとはかり思っていたのだが、時の経つのは早いもので、来週16日には帰国してしまうというので焦って、今日会うことにした。
16時新浦安で落ち合い、宿舎まで歩いていく。
いい宿舎だ。まず最初にしなくてはならないことは、スラフスキイに見せるビデオを撮影することだと言いだし、ビデオのセットを始める。
このあとバーボンと弁当を出され、乾杯。面白いおじさんだ。
このあとセルゲイに電話、部屋に来てもらう。
この宿舎にはロシア人だけで20人近く住んでいるという。なんかモスクワに行っているような気になってしまう。
20時すぎ、セルゲイと別れて宿舎を出る。おじさんが途中まで送ってくれる。いい夜だった。
23時すぎ帰宅。

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2002年5月14日(火)

月曜日は休みにしたので、身体がかなり楽になった感じ。いつも見ているめざましTVの占いを見ていたら、今日は予定したことが予定通りにいかなくなるとのこと。これがばっちり当たった一日になった。
JR京浜東北線が故障のため、横浜から京急に振替客が殺到し、電車が大幅に遅れてしまう。
いつもより30分くらい遅れて会社に到着。
大分のイベントに参加するチェコ人の査証をとらなくてはならない。そのために契約書を作成、クライアントにFAXで送る。
問題は国内国外の航空券の手配。W杯のため、両方とも空いている便が少ない。このアレンジをする。
自分がこのイベント期間中はベタでつかないといけない感じだ。問題は間に弟の結婚式が入っていること。調整しなければ。
13時半会社を出て、早稲田へ。前回に比べて体調はいいので、大丈夫かと思ったのだが、ビデオの器械の調子が悪く、結局30分ぐらいビデオを見せようと思ったのが、見せられなくなった。
予定通りには行かないという占いがばっちり当たってしまったわけだ。
前回は体調不良、今回は機器不良と今年はどうもうまくいかない。
17時帰社。
大分のクライアントから今度は期間中のホテルがなかなかとれないという連絡。
とにかく早めに宿泊、移動をなんとかしなくてはならない。
明日が締切りになっていた『東北学』に掲載する原稿をメールで送る。
今月はもう一本50枚の原稿を書かなくてはならない。なんとか早く終わらせたいものだ。
19時会社を出る。

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2002年5月15日(水)

八割方体調は戻ってきたような気がする。
大分の件の国内線の手配の確認。なんとかフィクスされそうだ。
ずいぶん久しぶりに余裕をもちながら、仕事できる環境になったような気がする。机を整理しながら、メールの返事などを送る。
モンゴルのクラウンハトガーから電話、明日東京に来るというので、午前中会うことにする。
手紙が来ていてそのままにしていたものに返事を書く。
18時にあがる。
冨岡駅に着いたら、駅の構内につばめがぽつん一匹とまっている。今年はどうしたのだろうと気にはなっていたのだが・・
2、3日前に駅の近くのたばこ屋の軒先につばめが巣をつくり、雛たちに餌を与えているのを見て、今年はここにしたのかと思っていた。
帰り道たばこ屋の軒先を見ると、つばめの巣がなくなっている。もしかしたら駅で見たつばめは、巣を失い彷徨ったものなのかもしれない。だとしたらあの雛たちはどこに行ったのだろう。
ちょっと気になる。

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2002年5月16日(木)

大分の契約書を作成、送付。
リトルの秋の準備をしなくてはならない。図面やビデオなどをまとめて、送らなければならないが、これは来週早々にやることに。
付き合いの長いエージェントから電話、最近できた施設のためにプレゼンをしたいとのこと。
資料を作成することに。
14時半会社を出て、川崎駅へ。
チッタの下見。ひとり車で来たので、車に乗って会場まで行くが、一方通行ばかりで、なかなか入れない。人もいなかったので、十メートルぐらい一方通行を無視して、やっと搬入口に車を置く。
ここで一見してヤーサン風のごつい男ふたりが突然現れ、一方通行を無視するとはなにごとかと食ってかかられる。
適当に謝っておいたのだが、自分が持っていた傘をとりあげられ、頭を殴られる。川崎は恐いところだ。
16時すぎに、全員でチッタの下見。やはり綱渡りのアンカーが問題に。いろいろ強度を調べたり、場所をチェックしたりしながら、結局は客席の前の方に設置することに。
1時間ちかく下見、近くの居酒屋で初めての人もいたので自己紹介を兼ねながら、ショーの内容の打合せ。
いろいろなアイディアがでてくる。
19時すぎに散会。
冨岡駅の構内にまた昨日と同じように燕が一匹所在なげに泊まっている。いったいどうしたのだろう。巣がなくなって、途方にくれているようにも見えるのだが・・・

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2002年5月20日(月)

10時出社。定例のミーティングが終わったあと、10月にやるクラウンフェスについての打合せ。
出演者をどうするかについて話し合いが終わった後、タイトルをどうするかで、袋小路に入る。
ただこれをまた宿題にすると、きりがないということで、途中昼食を挟んで、延々と討議。ひとつ案が出される。
とりあえずこれを基に話を前に進めることにする。
自分は全体的な予算と、今日名前がでたメンバーとの出演交渉をすることになった。
ひとつ骨格が見えてきたかなという感じだ。
早速担当する出演者と連絡、会う段取りやら、スケジュールの確認のための連絡を入れる。
やろうと思っていたことがなにも出来ず。
サーカス学校の先生の息子さんの招待状だけは作成し、キエフに送付。
19時前にあがる。
最近気になっている冨岡のつばめ、巣をなくしたたばこ屋さんの軒下の燕は、店の人が巣のあった台のようなところへ置いた箱の中でとりあえずは、暮らしているようだ。
巣が落ちたかなんかしたのだろう。この雛たち無事に巣立つことができるのだろうか。気になるところだ。

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2002年5月21日(火)

朝でがけにパソコンのスイッチを入れたら、またネットがつながらなくなっている。コンセントを抜いたり、コードを抜いたりしてもダメ。しばらくはダメかもしれない。
病院に寄って、久しぶりに糖尿の検査。この一カ月ジョギングもしていないし、薬も飲んでいない。案の定すでに尿検査で+。来週の結果を聞くのが恐ろしい。
先日話のあった韓国の企画について、企画書とビデオを送る。
重森が来社。秋の公演についてミーティング。フリンジー部門に参加することが決定。
弁当を食べて、早稲田へ。前回ビデオデッキが調子悪かったので、少し前に来てチェック。今度は大丈夫なようだ。やはりヘッドの具合が悪かったようで、まるごとデッキを替えたとのこと。
今日はデスクの大野も見物に来る。
いままでの中では、一番まともだった気もするが、学生の反応はイマイチ。
授業が終わったところで、昨年授業を手伝ってくれた小林君と落ち合い、大野と三人で高田馬場まで歩いて飲み屋探し。さすがに17時前に空いている店はない。
17時すぎに前にも三人で行った居酒屋へ。
今日は4月に結婚した小林君の結婚祝い。かなりのろけられてしまった。
幸せな人と酒を飲むのは楽しい。久しぶりに日本酒をガンガン飲む。
節制するのは明日からということに。
23時帰宅。

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2002年5月22日(水)

このところの度重なる体調不良もあるので、精密検査を受けることにした。野毛で知り合ったO氏に連絡、来週検査を受けることにする。
ハトガーに頼まれていたものを送ろうと思ったら、住所がない。電話して住所をFAXしてもらう。すごい達筆な日本語でびっくりしたが、義理のお母さんが書いてくれたとのこと。
クラウンのポンちゃんに電話。来月のサーカス文化の会の報告を頼む。快諾してくれた。
午後からはずっとひき延ばしておいたリトルの秋公演のためにアーティストに送る宿舎についての解説をロシア語にする。
キエフに電話。引っ越すようなことを言っていたので、その確認。秋ぐらいまではとりあえず、いまの家だという。
クリューコフは、いまキエフの演劇フェスティバルのために大忙しだということだ。そういえば、フェスティバルは5月末だった。今度の日曜日がラストだという。いまごろキエフはカシュタンが咲き乱れているのだろうなあ。
午後こうじが来社。秋のフェスについて説明。よろこんで出演したいとのこと。
あと3〜4人フリンジーの部に出演してもらう人を探さなければならない。
今日は早めに、18時であがる。

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2002年5月23日(木)

出社前、いつも行く銀座の床屋に寄って散髪。少しすっきりする。
出社して、ハトガーからもらったビデオを見る。娘が映っていると言っていたが、すぐわかった。大きくなったもんだ。
いよいよハトガーも犬を使ったショーを始めた。まだまだだが、いいショーになりそうな予感がする。彼の持ち味は、あの優しい人なつこいキャラクターだろう。
見た感想をメールで送る。
サーカス文化の会報をつくらなくてはならない。野毛に6月1日のシルク・バロックの件で電話。今回は無料公演ということで、応募者が結構集まったらしい。記事は紹介程度にすることにした。
チャン助さんにルーマニアサーカス第二弾掲載について問い合わせのメールを出す。
来週月曜には発行したい。
大分のホテルが確定。スケジュール表をつくる。6月6日は東京泊まりなことに気づく。ネットで品川プリンスを押さえる。
18時退社。竹橋の国立近代美術館にカンディンスキイー展を見に行く。今日は20時まで入場できる。先に見ていたかみさんが、見た方がいいと言っていたので、急きょ見に行くことに。
すごい人。でもぎゅうぎゅうで見るという感じではない。今回はロシアにある絵がほとんど。良かった。
二階から四階の常備展も見る。阿久根さんが『玉乗り大曲芸』の表紙に使った玉乗りの絵があり、ちょっと感激。
21時帰宅。

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2002年5月24日(金)

朝、歯医者に寄る。次は7月だが、今年いっぱいかかりそうな感じだ。
11時すぎに出社。
大分の件、アーティストとの覚書を作成、FAXで流す。
カバチッタの当日精算券を作成してもらう。早稲田の授業で配るつもり。
福岡からN氏が上京中。20時ぐらいに四谷で会うことに。
新宿のヨドバシに寄って、四谷のしんみち通りにある「こうや」という中華屋へ。
新宿西口は、ビックカメラが昨日オープンということで、たいへんな人出。
「こうや」という中華屋さんも、超満員。Nと大野、辻の4人で、7月のイベントの打合せを兼ねながら、食事。
東京駅経由で、23時すぎ帰宅。

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2002年5月27日(月)

出勤前にテレビを見ていたら、坊屋三郎氏が亡くなったというニュース。カバチッタに出演してもらおうという話がもちあがり、坊屋さん本人に電話したのは、いまから二ヶ月ぐらい前のことだと思う。
耳は遠そうだったが、元気な声だった。いわれたギャラがとんでもない金額だったので、あきらめたのだが・・・
フール祭の関係で、オムニバス公演に出演を予定しているパフォーマーふたりと面会し、打合せ。
今年は、こうしたかたちで出演者と話し合いながら、またはネタを見せてもらいながら、一緒につくっていくというスタンスが大事になる。
今週中にはだいだいの概要をかためていかなければならない。
サーカス文化の会の会報をプリントアウトして、送付するための作業を19時頃までしたのち、帰宅。

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2002年5月28日(火)

朝ジョギング。先週の金曜日から一ヶ月ぶり再開したのだが、まわりの風景がだいぶ変わった。ツツジはもうなく、あじさいの花がちらほら蕾をつけている。
家を出る前にメールをチェック。ずっと探していたアートフレンドの幹部社員の消息を知っているという人からメール。しかもこの知らせをくれた人は、早稲田の文学部の学生。今日授業があるので、あえないかとすぐメールを打っておく。
カバチッタのチラシの原稿が、メールで送られてくる。かなりいいものになった。梅津さんと、王さんが大きくフィーチャーされている。色づかいもポップでいい。
このチラシをどれだけ効果的につかうであろう。今日の早稲田の授業で配布するために、コピーをとる。
夏休みにいつも入れているホテルの仕事に入れる芸人さんのあたりをつける。
14時前に会社をでて、バスに乗って早稲田まで。
今日が最後の授業となる。いままでやったなかでは、一番まともに出来たかもしれない。
今年のレポートに関しては、自分のやったテーマに関心ある人から、エントリーしてもらい、個々に課題を与えることにした。たかがレポートでややこしいのだが、この方がきちんと対応できる気がした。
授業の最後に、カバチッタの当日精算券を希望者に配る。30枚以上はけた。これだけ来てくれたらいいのだが・・
レポートのエントリーは2人だけ。締切りを7月末にしはしているが、たぶんあとで申し込みはないだろう。来年のレポート読みは楽になりそうだ。申し込んできた学生には迷惑かもしれないが、いろいろ読んだ方がいい本や、資料についてこめまに連絡しようと思う。
去年の授業をとった学生が、声をかけてくる。デラシネを見て、救急車に乗ったことを知り、心配していたという。ありがたいことだ。
そして今朝メールを送っていた学生のT氏がやって来る。早速話を聞くために、近くの喫茶店へ。
いろいろ面白い話がたくさん聞けた。本人に手紙を書いて、取材を申し込みたい。
今日はこのまま会社に戻らず、帰ることにする。

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2002年5月29日(水)

めざましテレビの占いを見たら、獅子座は最下位。
病院に寄って、糖尿検査の結果を聞く。なんと血糖値が200の大台に。いままでの最高値になっている。コレステロールも中性脂肪もみな高い。
薬を余分にもらう。ここ二ヶ月の不摂生のせいだろう。落ち込む。
今日はMRの検査の日。11時20分にまず診察を受けることになっている。真っ直ぐ行こうと思ったのだが、会社に寄ることに。キエフからFAX。先日出した書類を受け取ったようだ。ただひとつ問題が。この処理について西田に連絡。
新宿のMクリニックへ。野毛で知り合ったO氏が勤務している。院長の検診を受け、一ヶ月前に救急車で運ばれたときの症状を説明する。
今日もらった糖尿の結果も見てもらう。来週今日のMRの結果と同時に、糖尿の専門医に診断を受けることになる。
MR室は会社のすぐ近くにある。初めての体験。胸と頭と首と三カ所、約40分かけて撮影してもらう。ずっとなにかキーンとした音がしていた。
14時会社へ。
夏の仕事の芸人を探すために、あちこちに連絡。
18時会社を出て、世田谷パブリックシアターへ。今日田中泯さんの独舞の公演。入場する前に、辻君ご推薦の近くの豚記飯店で坦々麺を食べる。黒ゴマと辛味がまじわあい、なかなか
美味しかった。
19時すぎに会場へ。開場したばかりだが、すごい人。
白州でよく会う人たちの顔をたくさん見かける。泯さんのお客さんは、不思議なたたずまいがある。どこかなくストイックな感じがするのだが、思い込みだろうか。
前半はちょっと辛かった(なんどか意識を失いかけた)が、途中からはまり込む。板の上での存在感はなんといっても凄いものがある。踊るというよりは、踊らされている。なにか憑かれている、なにかが宿っているそんな感じがする。
公演後いつものように、ロビーで酒が出されて、みんなで懇談。ビールは半分だけ飲んですぐに帰る。今日の数値のことがどうも気になってしまった。
22時すぎに帰宅。

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2002年5月30日(木)

朝ジョギング。やっと身体が軽くなってきた感じがする。とにかく飲み会を減らし、寝酒と称していたバーボンのがぶ飲みをやめることだ。
今日予定されていた飲み会があったのだが、電話を入れて、今日はとりやめということに。
夏のホテルの仕事に入れられる芸人さん探し。なんとか読めてきた感じ。あとはスケジュールの確認。
カバチッタのチラシがまもなくあがる、個人的に出すDMのリストつくりに伴い、名刺をパソコンのデーターに打ち込む。
個人的には100枚を目標にしている。6月に10日ほど東京を留守にするので、行く前にいろいろ布石をうっておかないと。
机の上を整理して、いよいよ今週の大きな目標であった、フール祭の企画書と、予算書つくり。
とにかくこれを片づけないと落ち着けない。
会社の3人は、シアターΧのイメージ・サーカスの公演を見に行く。自分は明日。
仙台から12月に予定されている光洋ちゃんの公演の件で電話。スケジュールの変更が出そうとのこと。光洋ちゃんに確認。大丈夫そう。
18時半会社を出る。

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2002年5月31日(金)

いよいよW杯の開幕、一カ月間日本はどうなるのだろう。どうも実感がわかないのだが、本当にフーリガンが大挙来日したり、皆テレビに釘付けってな具合になるのだろうか。
カバチッタのDMを出す人たちをピックアップ、とりあえずラベルをプリントアウトしておく。チラシは、来週火曜日には出来上がる予定なので、出来たらすぐに送れる体制をつくっておく。
フール祭の件で、出演を予定しているMさんが来社、打合せ。
夏の仕事の件で、紹介してもらった芸人さんに連絡、スケジュールを聞く。やはりお盆の時期が仕事が入っている。この時期がいつも問題になる。これも来週中にはクリアーしたい。
シアターΧへ。イメージシネを見に行く。会場には顔見知りがたくさんいる。
いつもながら楽しい公演だ。カバレットチッタの仮チラシを持って、S君も来ていた。ここに来るようなお客さんにまずは見てもらわないと・・
23時すぎに帰宅。ビデオで録画していたフランス対セネガル戦を見る。フランスが負けるという波瀾の幕開けだ。

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