クマのお仕事日誌
2002年7月分


2002年7月1日(月)

W杯も終わり、7月1日上半期がスタート。なんとなく祭りのあとモードなのだが、気を入れてやらないと。
今日は大野が、新築マンションへ引っ越しということで、お休み。予報では雨だったが、小雨程度で、引っ越しにはちょうどいいかもしれない。
カバチッタの打合せの件で、チッタと舞監のMさんと連絡をとる。間際だが、8日に会場での打合せということに。
フール祭の企画書用のプロフィールを作成。
文化の会の会報原稿も作成。今週中にカバチッタのチラシを入れて、発送したい。
ということで、今日はほとんどパソコン相手に企画書つくり。
19時すぎに会社を出る。
家に戻ったら、どでかい海外からの荷物が届いていた。先週ネットで頼んでいたアメリカの古本屋からの荷物だった。
欲しかったクルーゼンシュタインの「世界一周アトラス」だったのだが、250ドルでいい買い物をしたと思っていたのだが、開けてびっくり。ティレジウスの長崎での一コマを描いたスケッチが一枚だけ。
よくよくオーダーシートを見ると、1813年版からのコピー1枚と書いてある。まるごと本一冊だと思っていたのだが、あれまあ。
ちょっとショック。
長崎のスケッチだったことが救いだったかも。

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2002年7月2日(火)

朝ミーティング。フール祭の助成金を受けるにあたって、注意事項を確認する。
大阪のY社のM氏が来社。去年から一緒にプレゼンしている企画について、提出する最終的な予算の詰め。
上越のホテルの出演者と交わす、覚書を作成。作成しているうちに、クライアントと確認すべき点がいくつか出てくる。
メールを入れておく。
15時半Mクリニックへ。先日の血液検査ではかなりいい数値がでている、ただいつもここまではいくのだが、これが持続できないでいた。先生も、これだけすぐに節制できる人も少ないが、さらにこれを持続させるとなるともっと少なくなるという。
いまのままの状態を保つ感じで、とりあえずはがんばってみよう。
会社のメールに、ロシアのスラフスキイの娘さんからメールが入っていた。スラフスキイにちょっとしたプレゼントを人を介して渡していたのだが、それへのお礼だった。(このいきさつについては、コスモポリタン紀行『新浦安編』に書いてある)。
すごく喜んでくれたみたいだった。よかった、よかった。いつもスラフスキイのことをお父さんと呼んでいたのだが、スラフスキイは、これからはお前を息子と呼ばせてもらうと書いてきた。92才になっても、相変わらず元気にサーカスの本を書いているようだ。
大学時代の、あまり親しいともいえない同級生から、何故か本が送られてくる。自分で本でも出したのかと思ったら、開けてびっくり大川隆法の本だった。こういうことか、と納得。少し寂しい思いになる。
18時新宿のトップスで、カバチッタの舞監をしてもらうMさんと打合せ。素人目では見えないさまざまな問題点が出てくる。
Mさんがひとつアイディア、ダンスが出来るようなスペースを客席につくったらという。なるほどなあ。
白州で梅津さんたちが演奏していたとき、お客さんたちが何人も踊っていたのを思い出した。これも手かもしれない。
20時に別れ、そのまま帰宅。

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2002年7月3日(水)

今日も一日ひたすら机に座り、パソコンに向かってデスクワーク。
上越に出演してもらうパフォーマーの人たちの連絡リストを作成し、覚書とスケジュールをFAXで入れる。
昨日の打合せでMさんから言われたカバチッタの進行台本を作成する。
電話で照明のMと打合せ。いろいろ仕事が重なって身動きできない状況らしい。
舞台監督、照明、チッタに進行台本をFAXで入れておく。
フール祭のオムニバス出演希望者のビデオが到着、みんなで見る。
明日出る産経のカバチッタの記事の最終確認のFAXをチェック。
帰り際にデラシネを見たら、アクセス数がふだんの倍ぐらいになっている。どうしたのだろう。
19時半会社を出る。

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2002年7月4日(木)

出勤途中キオスクで産経新聞を購入。県内版にカバチッタの記事が大きく出ていた。これで少し滞っている券売に動きが出てくるといいのだが。
カバチッタの舞台の件で、パフォーマーにいくつか確認のために電話を入れる。
上越の仕事の件で、パフォーマー側からいくつか疑問点が出されてきたので、それを整理してクライアントにメールで送る。
午後依頼されていたカザフの構成案を作成して、メールで送る。これで決まってくれたらいいのだが・・・
サーカス新聞の会報をコピーして発送。西田曰く、今月号はなかなか中身が濃いのでは。
キエフに電話をいれる。明日また電話が欲しいとのこと。
19時すぎに会社を出る。

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2002年7月5日(金)

午前中立ち寄りで、午後出社。
カバチッタの申し込みが一件きた。かなり厳しい状況だ。
リハの件、打合せの件で、連絡を取り合う。リハについては、当初前日の11時からということで、チッタサイドの了解をもらっていたのだが、急にミュージシャンの都合で、16時からにならないかという話になる。
善意でお願いしていることなので、言いづらいのだが、しようがない。またチッタに電話して、変更のお願い。了解してもらう。
当日の手配で、いつも手伝ってくれているスタッフに手伝いのお願いの連絡をいれる。
フール祭のチラシが大詰めのところまできた。最終的な確認を参加者までおくるところまで、来週には入稿ということになりそうだ。
夕方朝日新聞から電話、カバチッタ今回は記事として掲載できなかったという知らせ。かなりあてにしていたので、ショックは大きい。
キエフに電話、ひとりパスポートが9月に切れる芸人がいる。そのためにすぐに招待状が欲しいという。おいおい今頃そんなこと言うなよという感じなのだが、急いで文章をつくって、FAX。確認する。
いろいろあった日だった。

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2002年7月8日(月)

10時半出社。カバチッタの申し込みが3件来ていた。
あと二日なんとかたくさんの人に来てもらいたい。
フール祭のチラシの原稿がほぼ出来上がる、内容をチェックするのと、プロフィール関係でパフォーマーの人たちに確認の電話を入れる。
カバチッタの招待状をFAXで入れる。
ましゅ&keiのましゅが来社。今度ふたりのソロの作品がつくったという。飯田になんども足を運びながら、じっくりとつくった作品だという。
いい話だ。こうして時間をかけて作品をつくることは大きな財産になる。東京近郊ではしばらく公演がないというが、是非生の舞台を見たいものだ。
15時クラブチッタへ。舞監のMさんと一緒に、打合せ。チッタのスタッフさんもとにかくいいものにしたいということで、動いてくれているので、助かる。
読めないことがたくさんあるのだけど、とにかくまずは明日のリハの流れを見て、現場対応ということになる。
いよいよだ。
18時会社に戻る、カバチッタ関係で準備しなくてはならないものを整理。書類関係もまとめておく。
電話でS氏と明日の動きについて確認。
キエフとカザフに電話。
20時会社を出る。

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2002年7月9日(火)

めちゃめちゃ暑い日になった。明日は真っ直ぐ会場なので、会社で明日必要なものの準備と整理。
進行表をもう一度作り直す。辻君のお父さんが昨日から沖縄に行っている話が出て、台風が大変らしいと話題になる。
13時すぎにチッタ入り。とりあえずステージまわりを決めたあと、綱渡りのセッティング。
微調整はあったが、1時間ぐらいでセッテイングと試技完了。道具の出し入れの部分をリハ。
バンドさん用のモニター設置。スライドの合わせ、ビデオ用の回路などを先に決める。
16時にバンドさん集合の予定だったのだが、17時半ぐらいにやっと集合という感じ。中にはヨーロッパツアー帰国後直行してくれた人もいた。
バンドさんの音合わせを先にやってもらう。
そのあと、顔合わせということで、舞台上でひとりひとりを紹介、そのあと順番通りに、場当たり、今日は音と合わせが中心になる。
思ったよりはスムーズに流れ、21時には終了。明日の入りの時間を確認して解散。
23時前に帰宅。ニュースを見ていたら、なんと台風が明日関東を直撃するというではないの。
自分の目と耳を疑うが、どうもマジらしい。それでなくても集客のことで頭がいたいのに、これで台風にでも来られたら、一体どうなるの、いやになる。
チケットの予約が入っているかもしれないと思い、メールをチェックしようとしたら、またネットがつかえなくなっている。
ふんだりけったり、少しやけになって、バーボンを3杯飲んじゃう。1時すぎに就寝。

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2002年7月10日(水)

朝のニュースでは、夕方には台風が関東に接近するとのこと。
家を出る前にもう一度ネットを繋いでみるが、ダメ。説明書を見て、初期設定のやりなおし、いままではこれでもダメだったのだが、なんと直ってしまう。
ぼつぼつ降りだした雨の中、歩いて杉田まで。200を越えるかどうかというところだったが、この台風で、もしも100前後という数字になったらどうしようと憂鬱になってくる。
こういう時は、もう腹をくくるしかない。
銀行で釣り銭を両替して、チッタに10時すぎに入る。パフォーマーはだいだい集まっている。小出の公演の時はいつも雨降りなことを思い出し、今回の台風騒ぎの犯人探しで気を紛らわせる。
ひとつ問題が、ミュージシャンサイドから、一部ダメだしが入り、昨日決めた立ち位置を変えたいとの連絡が入る。舞監さんと相談、シュートも直さなければならないし、昨日やった作業が無駄になりますねと言われる。確かにそうだが、とにかくミュージシャンの人たちが来てから、決めることにする。
14時半梅津さんと多田さんが会場入り、内容についてミーティング。もう少し一体感をつくろうということに。パフォーマーに集まってもらい、この点を確認、梅津さんからも、もっと楽しんでやりましょう一声。
16時からゲネというか、通し。エンディングのところだけを直して、本番待ち。
落ち着いたところで会社に電話、やはりキャンセルの電話が結構入っているとのこと。
チッタのM氏が、今日はこの台風で客は来ないでしょう、これだけで終わらせるのは残念なので、またやりましょうと言われる。
当日受付の準備、手伝いに来てくれたT女史にこの場はまかせる。
18時半客入れ、台風がどうなっているのかはわからないが、結構いい出足。テーブル席がそれなりに埋まりはじめる。
顔見知りのお客さんたちと話をしているうちに、椅子が足らないという連絡、結局開演まで130ぐらいの椅子を足す。後ろから見るとなんとなく一杯という感じ。
5分押しで始まり、21時半すぎに終演。内容構成上いろいろ問題はあったと思うし、反省点は多々あるのだが、とにかく第一回目を立ち上げることができたということが大きい。チッタのMさんが、是非またやりましょうと言ってくれた、これだけいいもので、こんなコンデションで人がこれだけ入ったというで手応えを感じたのだと思う。公演前のまたやりましょうとはニュアンスが違う。
驚いたのは、当日券が35枚出ていたこと。予想外だった。
天気も天気なので、楽屋で軽くビール打ち上げ。
途中で抜けて、精算のために事務所へ。精算を終えて、楽屋へ行ったら、もう真っ暗でだれもおらず。
誰かの携帯をならし、居場所をつきとめ、飲み会に合流しても良かったのだが、帰りの電車も心配だったので、真っ直ぐ帰ることにする。
ほっとした。

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2002年7月11日(木)

携帯を見たら、留守電が入っていた。小出からだった。川崎駅前の魚民にいるから、来ませんかというお誘い。時間は12時半になっていた。誘うんだったら、もう少し早く誘えよって感じだ。
まさに台風一過のピーカンの空。しかも暑い。
今日はみんな出かけているので、一人で留守番。
一番先にしなくてはならないと思っていた都の助成金の状況報告書作成にとりかかる。不明点があったので、事務局に電話したら、先日変更届けを提出してもらったばかりなので、必要ないという。よかった。
昨日来てもらった人たちにメールでお礼。
上越の件で明日打合せがあるので、そのための確認事項をつくる。
一番やっかいなカバチッタのチケット整理と、精算にとりかかる。パフォーマーに預けた分でわからないものがあったので、電話で聞く。こうじに電話したら、小出、こうじ、神山、Kaja、ちからとスタッフ2人が、朝まで飲んでいたという。店を出たら、青空でしたという。
元気なことだ。
来週から西田が東村に行ってしまうので、打合せをしてしまう。
キエフのサーカス学校に行っていたよっちゃんが戻ってきた。リトル用の写真とか他の書類をもらう。
近くの居酒屋で、みんなで一杯やる。よっちゃんもいろいろ苦労があったようだ。
24時すぎに帰宅。
デラシネをチェックしたら、アクセス数が伸びている。しかもカバチッタの制作ノートがずいぶん伸びている。見た人とか、これなかった人とかが見ているのかもしれない。
いつも見ている嶋田さんのサイトでも昨日すぐに評が出ていたし、ジャグリングのメーリングリストにも評が出ていた。
こうした反響が出てくるのは、なによりもうれしい。
多田さんからもメール。熱がさめないうちに、反省会と次回の企画について話し合いたいとのこと。時間が経つにつれて、自分の中でも、あれをしたいとか、これがしたいとかアィデイアがわき上がってくる。
まじめに早い時期にまた集まりたい。

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2002年7月12日(金)

出社途中、10時に渋谷に寄り、上越の仕事の件で打合せ。今回は出演してもらう全員が、はじめての仕事となる。主にショーの中身のことについて確認。
しかしどうでもいいがめちゃめちゃ暑い。
会社へ着いて、一番やっかいなカバチッタの精算に手をつける。手売で預けたチケット、委託販売の分で返ってきたチケットをまずは整理。当日返券していないパフォーマーに連絡、枚数を確認。
売ったチケットの現金と返券分と合わせる。最初は20枚近く誤差があったが、券が見つかったりして、2枚分のチケットが不明なことがわかる。
表にしてチッタにファックス。何人か券を購入していたのにこれなかった人がいる。
来週には支出関係を整理して、きれいさっぱり精算を終わらしたい。
17時すぎに会社を出て、野毛へ。フラスコで王さんと会って、楽屋に忘れた衣装とギャラを渡す。少なくて申し訳ないと謝るが、楽しかったから、大丈夫と受け取ってくれた。
福田さんの携帯に電話、Nにいるというので、そこに向かう。福田さんと会うのは久しぶり、15日にぎわい座で講演するという記事が朝日に出ていた。その話でもりあがる。
泡盛を何杯か飲む。この店の女将さんは、デラシネの愛読者だったことがわかり、またそこで盛りあがる。
このあと、だるま寿司、一千代と回る。考えてみれば、野毛に来るのは、大道芸以来。楽しかった。
すっかりいい気持ちになり、帰りの電車で一駅乗り過ごしてしまう。能見台から歩いて家に帰る。

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2002年7月15日(月)

風が強い日だ。
ウクライナの査証関係の書類をつくる。先日よっちゃんが持ってきてくれた資料をもとに、芸歴書、契約書を作成。パソコンに入っている書類の管理が悪いので、てまどる。
14時すぎに、VJ来社、カバチッタの精算と、ビデオ室から撮ったビデオのチェック。なかなかよく撮れている。
17時前に会社を出て、野毛へ。
にぎわい座の階段をおりようとしたら、パイカルと餃子の臭い。ロビーでは今日講演する福田さんの差し入れの餃子とパイカルが並んでいる。
ほぼ満員。福田さんは、店の服を着て、サンダル履き。相変わらず達者な話術だ。
質問コーナーを入れて、2時間ちょっとの濃い内容だった。
放題亭で、軽く打ち上げ。そのあとまたNへ。ハブ酒を飲む。ここで福田さんは引き上げる。このあとRに行ってお開きとなった。
12時すぎに帰宅。

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2002年7月16日(火)

朝6時半すぎに電話。長女の高校の連絡網、今日は台風で休みになるという。小学校も、暴風警報が出ているので、休み。ふたりとも、また布団に入って寝はじめた。
雨が降らないうちに家を出たのだが、途中で降られる。
上越の仕事のトップバッターをつとめる、U女史が台風の中、来社。簡単な打合せ。
ウクライナサーカスの査証申請の準備。なんとか今日中に出したいと思っていたのだが、いろいろ足りない書類が出てくる。
昼飯もとらずに、ぎりぎりまで書類つくり。15時半の受付締切りまで間に合うかどうか微妙だったのだが、とりあえず入管に行ってもらう。
結局間に合わなかった。しかたがない。今週金曜日に提出することに。
どうやら台風は通りすぎたようだ。
上越で仕事をしてもらうパフォーマーの人たちに、手配に関する書類を送る。
昨日の酒がまだ残っているみたいで、調子が悪い。18時半会社を出る。

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2002年7月17日(水)

暑い日が続く。もうじき梅雨も終わりなのだろう。
冷房を効かした事務所で、今日はデスクワークの一日。上越の仕事の件で、クライアントと交わす契約書を作成、ウクライナサーカスの契約書を訂正して、キエフに送る。
来年の企画書を作成したあと、カバチッタの経費を集計する。
どのくらいの赤字になるのか、ドキドキしてしまう。
午後久しぶりにいつも舞監をしてくれているHさんが来社。元気そうだ。
カバチッタの照明をしてもらったMから電話、今回の仕事で、いろいろダメだしを受ける。
舞台のことで責任をとる者が一体誰なのか、それが実に不明確だった。確かに責任の所在を明確にすべきだったと思う。
同じことは舞監さんにも言われた。
18時すぎに会社を出て、真っ直ぐ家に戻る。

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2002年7月18日(木)

今日リトルワールドで打合せ。駅に行く途中で、カラスの死骸と出くわす。上のほうで、一匹のカラスがずっと啼いていた。
10時20分新横浜発のひかりで名古屋へ。読みかけの『冬の旅人』を少し読むが、すぐに眠くなって、三河安城まで寝ていた。
犬山に着いて昼飯を食べようと思ったのだが、ちょうどバスが来るというので、パンを買って、バスの中で食べる。
リトルの事務所のレイアウトが変わっていたのに少しびっくり。
サーカス担当のKさんとレストランでお茶を飲みながら、近況を聞く。
15時K氏とA氏と打合せ。こういう話は電話ではすまない、やはり来て話さないと。
1時間ほどで打合せが終わる。そのままバスに乗り、犬山へ。
17時半のひかりに乗って、新横浜まで。『冬の旅人』をずっと読む。長編小説なのだが、今日は200ページぐらい読めた。実はこの小説のタイトルのロシア語訳をしていた。もちろんおおぴっらには出ていないので、どうでもいいことなのだが、内容と違っていたらいやだなあと思っていた。まんざら外れてはいないような気がする。いよいよ佳境に入ってきたかなという感じだ。
上大岡のヨドバシで、テレコを購入、家へ戻る。
高校野球の応援にブラバンのメンバーでかりだされているかやこだが、今日の試合で、負けてしまったらしい。本人は今年は強いと言っていたはずなのだが・・。二回戦で消えたわけだ。
なんか疲れてしまった。24時すぎに寝る。

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2002年7月19日(金)

郵便局に寄って、カバチッタのチケット代を下ろしたあと、クラブチッタへ。
預かっていた入場券の残りと、手売りと前売りの分のチケット代を渡した後、精算についての打合せ。
チッタ側で出している数字も、こちらが出している数字も、ほぼ裸の状態の数字、どうがんばっても収入よりも支出がうわまってしまう。今回はともかく、それをどうするかというよりも、自分の持ち出しというかたちで処理するしかない。
結構な金額になるがしようがない。次回なんとか余剰金を出して、それで埋め合わせるというかたちしかない。
支出も収入も見えないでやってまったわけで、こうなるのはしかたがないことだし、あらかじめ覚悟していたことでもある。支出がある程度見えてきたので、あとは収入の部分をどうするかが次回の課題となる。入場料をあと500円あげておけば、採算的には、トントンになった。すべては次回以降の糧にしたい。
照明さんと舞監さんに振込をして、会社に戻る。
今日中に完成しなければならない来年の企画書つくりにとりかかる。
ウクライナの査証申請のため大野が入管へ。
キエフのクリューコフに電話、航空券、荷物その他確認事項を伝える。
これで少し一安心。
16時会社を出て、17時すぎの新幹線に乗って、仙台へ。車中『冬の旅人』をやっと読み終える。
19時半国分町の『笑仙』で、T放送のS氏と飲む。昨日も深酒したようで、辛そうだった。久しぶりに天賞の大吟醸を心ゆくまで飲むことができた。
23時すぎに実家到着。

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2002年7月22日(月)

サーカス学校の先生の娘のオーリャと息子のサーシャが来日する日。成田空港へ直行。10時空港到着。すでに飛行機は30分前に着いているということだったので、すぐに出てくるかと思っていたら、なかなか出てこないし、そのうちに出迎えの人もいなくなり、ゲートを出てくる人たちも少なくなり、ちょっと心配になってくる。
10時半になって、やっとふたりが出てきて一安心。結構荷物があるし、重い。
どうも入国手続きの時に列を間違えて待っていたらしい。
12才のサーシャは、ちょっと緊張気味。スカイライナーで上野まで出て、タクシーで浅草に行くことにする。スカイライナーの中ではふたりともぐっすり寝ていた。
12時すぎに浅草着。12時40分発のりょうもう号に乗せたところで、ふたりとはお別れ。赤城で先生と西田が出迎えることになっている。終点までなので心配はないだろう。
浅草で昼飯を食べて、14時前に会社に戻る。
カバチッタの最終精算をSにFAXで送る。赤字分の扱いをどうするか、打合せ。
リトルの秋のウクライナの件で、辻と打合せ。
いよいよ明日夏のリトルの催事、クラウンカーニバルのため、東村のサーカス学校部隊が、リトルに移動することになる。
辻も明日からリトル入りすることになっている。
フール祭のチラシゲラがあがる。各方面に確認しなくてはならない。
東村の西田から連絡、無事ふたりは資料館に着いたとのこと。先生も久しぶりに子どもたちに会えて、安心したことだろう。
18時半会社を出る。しかし暑い一日だった。

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2002年7月23日(火)

リトルではじまるクラウンカーニバルの移動の日。会社は、大野とふたりだけ。
フール祭のチラシゲラを、都にFAX。確認をもらう。
漂流民の会の名簿をコピー。
フール祭のポスターのデザインがあがってくる。今回は阿久根チカコさんのクラウン人形の下絵をデザインしたもの。五点上がってくるが、どれもみんないい。
どれを選ぶか迷ってしまう。
14時すぎ、移動中の西田から電話。いま長野の上田とのこと。なんでも一緒に走っているフクチャンの車のエンジンに穴があき、廃車処分になるというアクシデントが発生したという。
なんとか荷物はワゴン車に全部積むことができたというのだが、いきなりのトラブルだ。西田はもう居直っていた。
18時すぎ会社を出る。

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2002年7月24日(水)

やらなければならないのだが、なかなか手がつけられないでいたカザフのビデオの編集にとりかかる。
以前だした構成案にしたがって、ビデオを編集する作業なのだが、カザフのビデオだけで、20本近くあり、その中のどれに入っているかをつきとめるのが、まず大仕事。
結局また途中で投げ出すことに。構成案自体に無理があることがわかる。
構成案を直すことが先決。
ウクライナサーカスの件で、クリューコフに確認事項をメモして、FAXを送る。
17時半会社を出て、野毛へ。
萬里で小出、デスクの大野、M氏との飲み会。途中から福田さんと森さんも加わる。
小出のライブを一千代のうなどんライブでできないかなあという話をちょっとしたら、福田さんがすぐに、一千代に行こうと言いだす。そのまま一千代に行って、小出のうなどんライブを9月にすることが決定。さすが即決の野毛である。
このあと、Rでまたのみなおし。ずいぶん飲んだ気がする。帰りはM氏のタクシーに便乗。何時に帰ったのか記憶にない。

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2002年7月25日(木)

完璧な二日酔い。今日は有明コロシアムにボリショイサーカスの一回目の公演を見に行くことになっている。いつもより早く出なくてはいけないのに、寝坊。朝飯も食べずに、家を飛び出す。
チラシに品川からバスが出ているとあったので、品川で降りてバス停を探す。
お台場へ行くバス停の前に、顔見知りの人がバスを待っていた。誰だかは思い出せないのだが、多分顔を知っているということは、サーカス関係者だろうと踏んで、この人と同じバスに乗る。
品川の海際を通って、高速を走ってバスは、お台場へいくのだが、品川火力発電所とか、大井火力発電所とかあるのに驚く。
顔見知りの人が、東京テレポート前で降りたので、ここで降りる。とても有明コロシアムが近くにありそうにはなかったのだが・・・
この人は、裏道らしきところからヴィーナスポートに向かう。ここでこの人が誰だがを思い出した。前によく仕事をしていたラフォーレの人だ。直接は話したことはないのだが、何度かラフォーレで仕事をしていた時に会っていた。ということはサーカス関係者ではないので、行き先も有明コロシアムではないはず。あわてて駅前に戻り、タクシーを拾って、有明コロシアムに向かう。
10時すぎに到着。招待券を座席券に引き換える。10分すぎにKさんと落ち合い、会場へ。
前のビックサイトよりは、ずっと見やすい感じだ。お客さんの入りは、五割ぐらいだろうか。
なかなか面白かった。会場を出ると、雨。Kさんと東京国際展示場前で別れて、りんかい線に乗って会社に2時近くに戻る。
二日酔いがぶり返してきて、調子が悪い。ほとんど仕事らしきことはできず。
カザフのビデオの整理をしかけるが、全然ダメ。
携帯にキグレサーカスから電話。O社長が今日でやめるので、それを熊の調教師のロシア人に伝えてくれという。Oさんがやめるというのでびっくり。
とりあえずシャシュールに電話をかわってもらい、説明。途中でシャムシュールの嗚咽が聞こえてくる。彼もショックだったのだろう。
今晩もう一度電話することにする。
18時すぎに会社を出て、神保町のミロンガというビールバーで、Kさんと、H氏と会う。
飲みはじめはすごく調子が悪くて、どうなるかと思ったのだが、3本目のビールを飲んだあたりから、調子が戻る。でも今日は3本目を飲んだところで、お開き。
家に22時頃戻る。メールをチェックしてすぐに寝る。

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2002年7月26日(金)

午前中はお留守番。いよいよ明日からリトルでクラウンカーニバルが始まる。現場はたいへんだろう。
フール祭のチラシのゲラの最終があがる。
ウクライナ大使館に電話、後援の確認をとる。カザフのビデオを整理して、YのM氏に送る。
デラシネの告知板を更新すべく、なんどかトライするのだが、なかなかうまくいかない。いたずらにアクセス数を増やしただけに終わる。
夕方フィンランド人のマジシャンが、彼女の日本人と一緒に来社。日本で仕事を探したいとのこと。ビデオで見る限り、わりとニューウェイブで、ダンスとジャグリングとクロースアップマジックをミックスしたものを演じている。
いろいろ話を聞いているうちに、少しやる気になってきた。声をかけるところはいくつかありそう。
18時すぎに、9月にシアターΧでやるダンスフェスティバルのチラシをとりに、ダンサーが来社。
19時前に会社を出る。

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2002年7月29日(月)

辻君がリトルの初演を終えて、東京に戻ってくる。今回のクラウンパレードは、ひとりひとりの仕事がステージだけでなく、グリーティング、ワークショップなど目一杯なのと、この暑さで、みんなかなりバテバテの状態らしい。
まだ始まったばかり、怪我や病気にならないようにするのが、ポイントといえるかもしれない。
フール祭のからみで、よっちゃんのキエフでのパントマイムソロ公演のビデオを見る。ずいぶんと成長したものだ。
13時半planBで、フール祭に出演するCさんのネタ見せ。鼠が走り回るplanBで、ひとりだけのショーを見る。いくつか注文をだす。
ひとつひとつのネタは問題ないので、あとは繋ぎをどうするかということがポイントだろうと思う。
16時すぎに会社に戻る。
ここのところの寝不足と、朝ジョギングしたせいもあるのかもしれないが、夕方また首のまわりが重たく、しんどくなる。
18時すぎに会社を出る。

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2002年7月30日(火)

朝30分早く出社、全員揃ってのミーティング。西田は、今日から始まるヘブンアーティストのオーデションの審査員で、ずっとでぱっなしになる。
あとで新聞を見たら、新宿の都庁前とやっていたという。暑かったろう。
ウクライナの査証用の書類つくり。在留資格認定書がまもなく届くはずなので、今度は大使館に提出する書類をつくらなければないない。
確認のため現地の大使館に電話して、必要書類を聞く。在留資格認定書をもらっていて、これだけ書類をださなければないない大使館は他にないのではないだろうか。
出稼ぎで日本に来るウクライナ人がたくさんおり、しかもトラブルが多いということなのだろう。
とにかく言われた書類をつくり続ける。
クリューコフに電話、現在の状況を知らせる。
サーカス文化の会はよっちゃんのキエフ滞在レポート。今日はヘブンアーティストがあったためか、出席者が少ない。ACCの社員以外は、小原さんだけ。
報告は面白かった。前の半年レポートは、右も左もわからずただただ夢中なだけこだったが、今回はしっかり目標をもっていったこともあり、壁に何度も遭遇したようだ。
なかなか熱の入ったレポートだった。
22時すぎに帰宅。ビールを軽く飲んで、メールのチェックをしたあと24時前に就寝。

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2002年7月31日(水)

息がつまるような暑さ。出社前に銀座の床屋さんに寄って散髪、少しスッキリ。
11時すぎに出社すると、入管からウクライナの在留資格認定書が届いていた。大使館に出す書類を昨日つくっていたので、それのチェックと足りないものをまとめる。
いざ出そうという段になって、在留資格認定書の裏側に貼ってある公演場所と日程のシールが、間違って貼られてあることが判明。明らかに入管のミス。滞在期間自体は三ヶ月でおりているので、たいした問題ではないと思うのだが、一応入管に電話。
正しいシールを上から貼ってくれとのこと。
キエフに電話、今日書類を発送することを連絡、その他こまごまとしたことを確認。
なんとかDHLで発送することができた。
16時新宿のトップスで、梅津さん、多田さん、斉藤氏とカバチッタの反省会。
やってみてわかったことがたくさんあり、その意味では前回の公演はやって良かったということだ。次回の内容などについても、いろんな案が出される。
とりあえずは1月ということで日程をfixさせて、それからいろいろ出演者にあたっていこうということになった。
18時高島屋の地下のつな八で天丼を食べてから、サザンシアターのこまつ座公演を見る。
会場は超満員。新作ということもあるのだろうが、全公演完売、追加公演もあるということだから、たいしたものである。
不覚にも最後近くで、ほぼオイオイ状態で泣いてしまった。
21時半終演、代々木から電車に乗って、帰宅。

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