クマのお仕事日誌
2002年9月分


2002年9月1日(日)

6時起床。6時半に家を出て、横浜へ。辻君とよっちゃんと合流、7時26分の成田エクスプレスに乗車。空港までほとんど寝ていた。
成田駅をすぎたあたりで、MのY氏から携帯に電話。飛行機はもう着いているという。
9時空港着。来る前にいろいろあったので入管でなにか問題がないかちょっと心配だったのは本音。でも9時半すぎにみんな無事ゲートに姿を現す。
なにも問題がなかったという。10時前に成田をバスで出発。バスでは完璧に寝ていた。気づいたら足柄のパーキング。11時半だった。ここで一回休憩。
運転手の話では、日曜だったので、都内が空いていて、かなり早いペースだという。
リトルでやったラスベガスとベルギーのビデオを見せるが、ほとんどは寝ていたようだ。
13時半に浜名湖のSPに到着。ランチを皆でとる。オーダーをとる時は10人という大人数だったので、結構大変だったが、比較的スムーズにいく。そしてみんな箸にはとまどっていたが、ミソカツと、うなぎピラフとかを食べていた。
ユネッサンの時の連中は、日本食は全然ダメで大変だったが、このメンバーは大丈夫なのかもしれない。
ここから1時間ちょっと小牧のインターへ。予定より2時間弱早く進んでいる。
16時には宿舎へ到着。少し心配していた部屋割りもスムーズにいき、宿舎の使い方について説明したあと、18時に解散。
ホテルにチェックイン。19時によっちゃんとKさんと辻君の4人で居酒屋で食事。
順調な初日となった。ちょっと予想外だったけど・・・。
まあ問題は明日からだろう。

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2002年9月2日(月)

8時近くに目が覚める。ずいぶん寝たことになる。朝飯を食べて、メンバーの宿舎へ。道具をワゴン車に積んで、バス停まで歩く。
9時30分すぎのバスに乗って、リトルワールドへ。事務所で挨拶をしたあとステージを見学。大きな問題はないようだ。
仕込をするのは、空中ロープと綱渡り。他のメンバーはウォーミングアップのあと、個々にリハ。空中ロープの仕込は30分ほどで終わる。
綱渡りのアンカーをどうするかで、ちょっともめる。アーティストのやりたいように、ステージに穴をあけ、ワイヤーをはり、試しに乗ってもらう。
彼女は大丈夫だというが、床がもつかどうか心配になり、その善後策をリトルのスタッフの人たちと話し合う。ターニャは、なにをしているの、という感じで見ていた。
クウランと空中ロープ以外は、通しで音と合わせてリハ。
14時にレストランで昼食。メニューを決めるのにまた人騒動。通訳をするよっちゃんがきびきびと対応する。
ターニャとジーマを連れて、ホームセンターへ。ワイヤーと留め具を購入。そのあと百円ショップでオープニングで使うサングラスを購入。
イトーヨーカドで買い物をしている他のメンバーと合流。
17時50分ヨーカドーで集合したあと、歓迎会会場へ。
2時間あまりの歓迎会だったが、みんな少しずつリラックスして、日本酒にトライしてみたり、楽しい一夜となった。
最後の締めは、ウクライナ式乾杯「ブジマ」。
歩いて宿舎に戻る。
辻君とホテル近くの焼鳥屋で、飲み直し。結構飲んだかもしれない。
24時前に就寝。

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2002年9月3日(火)

今日は電車をつかって、リトルに行くことにする。9時すぎに宿舎へ。9時19分発の電車で犬山駅へ。ジーマ(リーダー)は、駅までは歩いていくことにすると言う。
リトルに着いて、まずは綱渡りのアンカーのワイヤーの調整。
それと平行して、オープニングの練習。ワイヤーの調整が終わってから、個々の演目を音付でやる。
ひとつ気になるのは、全体の長さ。ひとつひとつの演目の長さは5分程度。40分のショーということになっているのだが、つなぎとかオープニング、フィナーレーでどれだけひっぱれるかということだ。
クラウン以外の番組は、全体的に美しさを全面にだしたもので、通しで見たときにめりはりがないような気もする。
会社から電話、フール祭で先日だした保育園へDMを見て、団体で申し込みがあったという。二年前のフール祭でも団体で見てくれた保育園だった。今度は場所が遠いので、どうかと思ったのだが、ありがたいことだ。
15時すぎまで練習。フィナーレまでは稽古ができず。ちょっと押し気味だ。
レストランで食事をしたあと、園内バスでひと回りする。イタリア館で働いているロシア人女性アーニャさんから、食料品などの安いところを教えてもらう。
昨日リトルで夏の公演に参加したサーカス学校のナージャ先生から宿舎に電話があり、アーニャさんのことを教えてもらったらしい。
17時のバスで全員犬山に戻り、駅前で別れる。
ホテルに戻り、洗濯。ここで大問題が発生する。バスと電車の定期を一緒に洗ってしまい、ボロボロになってしまったのだ。
先日メンバーに無くすなよ、洗濯機にかけるなよと注意したばかりなのに、自分がやってしまうとは洒落にならない。
辻君と近くの焼き肉屋で食事。まただいぶ飲んだ気がする。

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2002年9月4日(水)

喉がカラカラ、頭ガンガン、完璧な二日酔いモード。
バラバラになった定期券をとりあえず、かたちにして、いつものリトル行きのバスに乗る。運転手さんに事情を説明して許してもらう。
今日はCM用の撮影日。段取りをジーマと打合せ。
しかし今日も日が強烈に照りつける暑い日になった。それに二日酔い、とにかく水分をとることに。
13時すぎから撮影。2時間ぐらいで終わる。アーティストもこの暑さでかなりバテ気味。
ジーマはフィナーレのリハもしたかったようだが、体力的にアップアップ。明日することに。
このところ昼食は、15時から16時の間にとることが習慣になっている。
昼食後、みんなはメールをチェックするということで、事務所へ。自分は17時のバスに乗ってホテルに戻る。
ベットに横になって、持ってきたミステリー小説を読む。
20時近くのラーメン屋で夕食。
23時すぎに就寝。

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2002年9月5日(木)

犬山に来て、初めて朝ジョギング。犬山城から木曽川にそって走るいつものコース。
昨日アルコールをほとんどとらなかったので体調はいい。
今日一日でいろいろやらないと、明日のゲネプロまでできない。ジーマも気合が入っている。
MCをするKさんを交えて、どこにMCを入れるか打合せ。
そのあと通して一回やってみる。ジーマたちがバイオリンのネタの他に、もうひとつ準備していたネタをやる。
ワイヤーアクロの前のセッティングの時に、客を交えてのギャグをすることに。たぶんこれで時間的には35分ぐらいにはなるはずだ。わりとシリアスな演技が多いので、ジーマとリョーシャのクラウンふたりが、こうして間に入って笑いをとってくれるのは、メリハリができていい。
MCを入れるタイミングと、音のきっかけをチェックするために、もう一度通しでやる。35分だった。ジーマは本番になればもう少し時間が伸びるだろうと言う。
もちろんキッカケのタイミングなど小さな間違いはあったが、ここまで出来ると少し安心できる。
16時レストランでいつものように遅い昼食。
メンバーは先日ロシア人から教えてもらったスーパーに買い物に行く。なんでも今日は百円セールのある日らしい。
少しホテルで休んだ後、6時半Kさんと、前のサーカス担当だったS氏と駅前のお好み焼き屋で食事。
またずいぶん飲んでしまった。ふたりで生ビールを2杯飲んだ後、焼酎のボトルを一本あけ、二本目を頼むところまで飲んでしまった。
24時就寝。

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2002年9月6日(金)

昨日は調子にのって飲みすぎたようだ。二日酔い。
外は雨。ホテルで傘を借りて、いつものバスにのりリトルへ向かう。
新聞社から、今回のサーカス公演のことで質問事項が来ているので、それに答えてもらいたいとのこと。
結構たくさん質問がある。
12時からYちゃんとKさんとジーマで本番の打合せと、確認。
13時からゲネプロ。
お客さんはパラパラだったが、館内放送でステージに来るように案内してもらう。
正味37分のショー。客席の反応が、客が少ないのでいまいちわからないが、上々の出来だと思う。
所長ほかリトルの関係者も満足そうだった。
ゲネプロをとったビデオをみんなでみながら、昼食をとったあとに、反省会。
このあといくつかそろえなくてはならないものがあり、みんなは犬山で買い物へ。
自分は、イトーヨーカドで時計の電池を替えてもらい、今晩食べるものを買って、ホテルに戻る。
読みかけていた『凶運を呼ぶ女』をベットに横になって読みはじめる。
途中カップラーメンを食べ、ちょっとビールを飲みながら、結局23時すぎまで読みふける。読了後就寝。

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2002年9月7日(土)

いよいよ今日から公演。いつもより一本早いバスに乗るが、メンバーの姿はなし。おそらく始発のバスに乗っているのだろう。
リトルに着くと、みんなはステージでウォーミングアップ。
天気予報では雨が降るかもということもあって、客席は満員というわけではなかったが、そこそこ入る。公演関係者の人たちが続々ステージに集まる。
11時第一回目の公演。客席の反応が抜群にいい。MCのKさんも、ここ数年にないくらいの感動と言っていた。リトル関係者の人たちの反応もかなり良かったようだ。
公演後すぐに楽屋へ行き、いつものように初演おめでとうの挨拶。みんなも客席の反応が良かったこともあって、満足げだった。
二回目の公演は、もしかしたら今度PAをやらなくてはいけないかもしれないので、PA席で見る。
このあと、久しぶりに韓国亭に行き、キムチラーメンとおにぎりを食べる。
3回目の公演が終わり、レストランで軽く初演打ち上げ。シャンパンで乾杯。
明日も三回公演あるので、また今度来たときにゆっくり宿舎で続きをやろうと言ったら、少しだけでいいから今日やろうということになる。
18時お好み焼き屋で前のサーカス担当Sさんも交えて、軽く一杯。
そのあと19時半に宿舎に行く。みんなで今日撮ったビデオを見ながら飲む。ほとんどのメンバーは飲まないで、自分とジーマだけが飲む。ウクライナから持ってきたウォッカを二本あけてしまう。
楽しい夜だった。23時すぎにホテルに戻る。

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2002年9月8日(日)

完全な二日酔い。今日でチェックアウトなので慌てて荷物をまとめる。
朝飯を食べて、チェックアウト。大きい荷物は、宅急便で送る。しかし今回もまたもや無駄な荷物を一杯持ってきたものだ。われながらやになる。
10時すぎのバスに乗って、リトルへ。
25日からYちゃんが、東京に戻るので、その間PAをしなければならないので、一回目の公演でPAを少しやることにする。
オープニングの音を出して、次の空中アクロバットの曲をかけたのに、音がでない。MDの調子が悪いようだ。早速トラブル。
フラフープジャグリングでイリーナが衣装を変えるというので、客席から見るために会場に戻る。リトルの人たちから、早速やりましたねと言われるが、これは自分のせいではなく、器械のせいだと説明。
公演後辻君にデッキやMDを見てもらう。理由がわからないが、MDの読み取りができなかったようだ。もう一度ダビング。
二回目の公演は、最初から最後までとりあえずPAをやる。途中の難しいところだけは、Yちゃんにやってもらう。自分でもできるという自信がでてきた。
韓国亭で冷麺とキムチを食べる。楽屋へ寄って、みんなに挨拶。いろいろなことを頼まれる。
15時半のバスに乗って、犬山駅へ。
16時51分名古屋発の新幹線に乗る。乗車前にKさんに電話。3回目の公演で4人アクロバットが短縮バージョンを初めてやったのだが、その印象を聞く。
あまりしめりがなかったらしい。
新幹線の中では名古屋から横浜までほぼ熟睡。
ほぼ一週間ぶりに帰宅。

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2002年9月9日(月)

こっちは涼しいとつくづく思う。一週間ぶりに出社。
机の上に、鰻どんライブやらこうじのライブの申し込みの紙が貼りつけてある。
まずはフール祭に出演するタミラの査証関係の書類を作成。
スイス大使館に電話、いま来ているウクライナのメンバーが日本公演のあとスイスに行くので、その査証を日本でとれないかどうか聞く。
ジーマは簡単そうなことを言っていたが、結構たいへんそうだ。
先週フール祭のDMを大量に送ったので、申し込みがメールやら電話で来るようになった。
友だち関係はとにかく回数券を買ってもらうことにする。
野毛の一千代のSちゃんから電話。こっちにはうな丼ライブの申し込みが一件も来てないという。こっちも10ちょっとの申し込み。少し焦る。電話セールスをしなければならないようだ。
17時すぎにN新聞社でT氏とN氏と面会。
そのあと両国の気功へ。だいぶ良くなっているとのこと。それは自分も感じている。車で蔵前まで送ってもらう。
22時帰宅。

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2002年9月10日(火)

今日リトル組は初めての休演日。知多半島のビーチランドに行くことになっている。若いから家でじっとしているよりも、リフレッシュすることで疲れを癒すということなのだろう。
メンバーから頼まれていたことがいくつかあったので、それをまずやってしまう。
タミラに査証書類を送ったうえで、メールでDHLのナンバーを伝える。
14時半病院で糖尿の結果と検査。食後とはいえあいかわらず血糖値が高い。ただ8月の検査結果は、血糖値の平均値、コレストロール、中性脂肪とも平均値になっているとのこと。
ということで状態は良くなっているということだ。
いったん会社に戻ったあと、planBへ。
二ヶ月遅れで、カバチッタの反省会。いろいろ反省点もあるが、基本的にはみんな次回もやりたいということだ。
11月にカバBをやり、そこで次回のカバチッタでやるネタを皆でみてもらいながら、今後のことを考えていこうということになった。
2時間ぐらい話し合ったあと、planB所蔵のビールを飲みながら、各自雑談。
9時半頃抜け出して、帰宅。

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2002年9月11日(水)

先週かなりの数のDMを送っているのだが、申し込みの電話がまだまだ少ない感じ。
考えてみれば、開幕まで一ヶ月を切ってしまっている。
大阪HEPのF氏から電話、10月14日ミクロバンド公演が正式に決まる。これも時間が少ないなかでの決定だが、うちからすればありがたい話しだ。
同じく声をかけていた名古屋から電話、今回は無理だということに。しかたがない。
リトルのメンバーに電話。昨日の海水浴は楽しかったとのこと。
T企画のS社長に電話、先日手紙で依頼していたフール祭のチラシをS氏が教えている大学でまく話しの確認。サンプルを今日もってこいとのこと。
18時すぎに持っていく。割引当日精算券をつけてまいていただけれることになった。
大学だけでなく、ほかの集まりでもまいてくれるとのこと。偉い方に、こんなお願いをして申し訳ないのだが、快く引き受けていただいた。
19時恵比寿ガーデンプレスで、仙台時代の友人と待ち合わせ。ビアホールで軽く飲む。
11月に山へ行こうという相談。久しぶりに気の置けない友人たちと再会し、気持ちよく飲めた。

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2002年9月12日(木)

久しぶりに全員顔を揃えてのミーティング。現在それぞれかかえている仕事の結果と経過の報告のあと、フール祭の打合せ。
現場の作業もやっていかねばならないが、一番大事なのは、動員。とにかくどんなえぐい手つかってもいいから、人を集めなければならない。
いま話しがきている10月の軽井沢の遊園地の仕事の件で、写真をクライアントにメールで送付。
リトルのKさんから電話、空中ロープのスベトラーナの足の状態がよくないとのこと。ロープに踝があたらないような方法がないかという質問に対して、西田がとりあえずの対処法を教える。
昨日配布してもらうことが決まった当日精算割引券セットを五百部作成しなくてはならない。とりあえず割引券を500作成。
17時40分会社を出て、planBへ。今日はこうじのソロライブ。
40人ぐらいの入りだった。公演の内容はほんとうにいいものだった。いってみればこうじにとってはソロとしてのデビュー戦。大きなプレッシャーがあったと思う。終わった後、顔を合わせたら、「やっと終わった」とぽつりと洩らしていたのが印象的だった。
よくここまで仕上げたものである。
公演後少しダメだしと、感想を本人に言い残して、22時前にplanBをでる。
けっこう皆残っていたし、差し入れの酒もだいぶあったようだから、長い夜になったのではないだろうか。
でもいい公演だった。嬉しくなってくる。

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2002年9月13日(金)

今日は横浜デー。いったん会社に出勤してメールなどのチェックをしたあと、横浜に向かう。
出かけに高校時代の柔道部の先輩から電話、フール祭チケット買ってくれそう。
12時半すぎに、MM地区でTと落ちあい、現場を見ながら、なにが必要かを確認。
野毛の萬里で中華ランチを食べてから、JRで山手まで。この駅で降りるのは初めて。なにもないところだ。
某学校で、11月芸術鑑賞会でダメじゃん小出の公演について打合せ。内容的にきついと思ったのだが、先生はOKだという。商談成立。
このあと関内に出て、開港記念館で開催中の異国来船と測量図展を見学。目的はここで所蔵しているクルーゼンシュタインの世界紀行本をチェックすること。
フランス語版とドイツ語版の二冊を持っているようだ。
ここから歩いてフラスコに行く。16日の鰻どんライブのセールスプッシュ。
17時半すぎに、仕事を終えたN氏と一緒に波の上へ。ママに学校公演がOKになったことを報告。
途中で福田さんも現れたが、早々と消える。ママの話では、鰻どんライブには10人ぐらいが行くとのこと。波の上が混み合ってきたので、萬里へ。福田さんはもう帰ったとのこと。
餃子と白菜といつものメニューで、紹興酒を一本あけて、一千代へ。
うちに来ている予約と野毛と波の上分を合わせると、40人ぐらいが集まりそう。まあまあいい感じなのではないだろうか。
軽くビールを飲んで、この日はお開き。
22時ぐらい帰宅。

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2002年9月16日(月)

雨。さすが小出のライブの日だ。雨男面目躍如である。
16時に家を出て、17時一千代入り。福田さんがもう来ていた。手伝ってくれるYちゃんと小出と3人で客席のスタンバイ。
17時半前にはお客さんもパラパラくる。予約なしで、大道芝居関係者も、座長の高橋長英さんをはじめ、何人も来てくれる。気がついたら、有料入場者は49名という、大入りになった。
19時半からライブ開始。planBとはまったくちがう場所で、暗転なしで、とにかくしゃべくりだけで1時間のライブをする。本人はなんどか段取りとちがうところが結構あったようだが、そんな気にはならなかった。
また別な一面が見れてよかったと思う。こういうライブもこなしていくと、芸に幅が出てくるのではないだろうか。
20時半ライブ終了。金曜日にあった先生ととなりの店で打合せ。ダメだしをいくつか受ける。
小出と手伝ってくれたYちゃん、旦那のTちゃん、それと今日静岡から見に来たK嬢も合流。ここで焼酎を2本あけた。
そのあとお礼報告のために波の上に。ここでまた泡盛をしこたま飲むことに。
気づいてみれば、もう1時すぎ。途中でK嬢が具合を悪くしたのだが、介抱はTちゃんにまかせる。
またママに家の近くまで送ってもらう。小出はなんでも明日朝ラジオ日本で録音があるという。大丈夫だったのかしらん。

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2002年9月17日(火)

9時半に奥さんに起こされる。ヤバイ。喉からから、頭ガンガン、二日酔い。あわてて髭だけそって家を出る。
11時すぎ出社。打合せ。
なにをやるにもまったく仕事にならない。
15時から水中三姉妹のネタみせがあるので、14時20分に会社を出る。
西武新宿線で野方まで。西武新宿線に乗るのは、久しぶりだ。
15時すぎから、ネタみせ。頭ガンガンの状態で大丈夫かと思ったのだが、なんとか1時間ちかくのネタ見せに付き合うことができた。
構成のことや、内容のことで2、3ダメだし。
17時30分会社に戻る。今日はやらなくてはならないことがいくつかあったのだが、もう身体が言うことをきいてくれない。18時すぎに会社を出る。

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2002年9月18日(水)

久しぶりにさわやかな秋晴れ。この急激な気候の変化と、連日の飲み過ぎがたたって風邪気味。
10時ウクライナ大使館で文化担当官と面会。リトルでのウクライナサーカスの報告と、フール祭での協力にづいて話し合う。
タミラ公演の動員のために、ロシア語でチラシをつくったのを見てもらう。ぱっとこれを見るなり、直していいですかとペンを持ち校正に入る。それからはロシア語のお勉強モード。わずか五行程度の文章なのに、真っ赤かになってしまう。恥ずかしい。
もう一度直したものをファックスすることに。
会社に戻り、小樽関係の契約書、覚書を作成。
15時小樽に行ってもらうこうじと重森が来社。簡単な打合せ。去年もやっているところなので、楽といえば楽。
フール祭に出演するパフォーマーとの打合せが、30日にあるのでその段取りで大野があちこちに連絡。
リトルから電話。昼食の時に、メンバーがご飯にマヨネーズをかけすぎているというのでレストラン側から注意を受けたという。聞いてみたら、2日で1キロ消費したという。半端じゃない量だ。
ちょうどジーマから電話が来たので、マヨネーズの食べ過ぎは、身体に悪いよとそれとなく注意しておく。
ある程度仕事が一段落ついたところで、当日清算券をチラシにセットする作業。今日はとりあえず五百部作成。20時までかかった。
20時半会社を出る。

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2002年9月19日(木)

最近は深酒すると2日抜けないことが多い。今日はやっとふつうの身体。朝久々にジョギング。
今度朝日新聞に出す広告の原稿をつくる。フール祭のチラシだけでも情報満載で、どうやって情報をまとめるか大変なのに、小さな広告でどれだけのことを載せるかで苦労する。
写真をなるだけ使ったものにしたいという案で、まとめてみる。
これができあがったところで、広告代理店に連絡。明日原稿を渡すことにする。
割引用のチラシのセット。
リトルのKさんから電話。メンバーはどうも昼飯がいつも同じメニューなので飽きてきたとのこと。それはそうだよなあ。自分でさえ一週間で厭きたもの・・・
来週行ったときに相談することにする。
これもメンバーから頼まれていた体操用シューズの件で、あちこちに連絡。特殊なものだし、外国ものは扱わず、国内製品だけを取り扱っているようだ。
割引セットチラシ500枚を神楽坂のT社の事務所に届けたあと、日本プレスセンターへ。
『日露歴史再認識シンポジウム』を途中から聞く。
19時からレセプション。このイベントに誘っていたU氏と歓談。ここで卒業以来ぜんぜん会っていなかった大学の同級生から声をかけられる。
まさに二十五年ぶりの再会、びっくりした。なんでもいまはT新聞社の外報部に勤務しているとのこと。モスクワ支社にもしばらくいたらしい。
U氏とKと3人でレセプションのあと、飲み直し。
またずいぶん飲んだかもしれない。あああ。

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2002年9月20日(金)

午前中新聞広告の原稿をみんなチェックしてもらい、渡せるようにワープロで文字原稿を作成する。
これがどれだけ小さな枠の中で、まとめられるか、専門家にやってもらうしかない。
VJが来社、11月の公演の件について打合せ。彼にも映像で出演してもらいたいと思っている。
10月からリトルに入る四人アクロバットのリーダーに、リトルの公演のビデオを送る。
割引精算券つきのチラシ150セットを、日本ジャグリング協会に送付。
オムニバスBに新たにヂバドロアノが出演することになったので、この情報をまとめたチラシをつくる。なかなか面白そうなグループで楽しみだ。
リトルに電話、来週行くときにもっていくギャラをドルにするか円にするかの結論をだしてもらう。
ジーマが今度は山に行きたいという。これについては行ったときに話し合うことに。
国際フォーラムにチラシ届け。
17時すぎA広告社来社、広告原稿を渡す。とりあえず連休明けにゲラを作成してみせてもらうことにする。
ある程度仕事が一段落したところで、割引チラシセットを作成する。
20時半会社を出る。

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2002年9月24日(火)

昨日も一日寝たきり老人だったのだが、体調は良くない。後頭部にしこりのようなものを感じるし、フラフラする。下の娘が学校に行った後、奥さんに事情を説明。緊急で見てもらえる病院を探してもらい、電話。タクシーで磯子の脳神経科病院に向かう。
9時から診断。1時間くらい待たされて、まずはCTを撮ってもらう。写真を持って診察を受ける。脳に異常はなく、ストレスからくるものではないかという。またしても原因不明。
車で自宅へ戻る。今日は休むことにする。明日リトルに持っていくギャラのことで、かなちゃんと連絡。自分の銀行に振り込んでもらうことにする。
昼飯を食べた後、奥さんが銀行でギャラをおろしたあと、外貨を買いに上大岡まで走る。
とにかくソファーにずっと横になっている。
奥さんから電話、上大岡ではドルが全部買えなかったので、横浜に行くという。
17時奥さん帰宅。明日渡すギャラを封筒に入れてもらう。
とにかく休むしかない。

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2002年9月25日(水)

8時20分初のひかりで名古屋へ。車中はずっと寝ていた。とにかくよく寝れるのだ。
11時前にリトルに到着。一回目の公演にテレビの取材でタレントの松村邦洋が見に来ていた。そのとなりにはでかいきぐるみ人形。しかも一番前で見ている。
メンバーは吹き出しそうだから、やりずらいとこぼす。一回目はとりあえずYちゃんのPAの段取りを見るだけ。
一回目の公演が終わった後、少しひとりで練習。
やはり体調は最悪。こうした小さなストレスがなにか負担になるようだ。2回目の公演では、Yちゃんにそばにいてもらい、とりあえずはPA操作。
食事のあと、15時半のバスでホテルに戻る。
ホテルにチェックインして、ずっとベットで横になる。飯を食べようと思って外に出たのだが、レストランとかで食べるのが面倒になり、スーパーで寿司を買って、部屋で食べる。
とにかくベットに横になっているしかない。
23時前に就寝。

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2002年9月26日(木)

少しは良くなったような気もするのだが、足元がまだフラフラする感じ。
いよいよ今日からひとりでPAの操作。一回練習をする。
4人アクロの飛び手が、右膝に違和感を感じるという。公演後病院に行くことにする。
1回目の時、早速音だしのタイミングを2回ほど間違う。皆からもっと早くとか、遅くとかいわれる。
公演がステージ近くの芝生でごろ寝。横になっているのが一番。
2回目はわりとうまくいったと思ったのだが、ピンマイクのスイッチを入れるのを忘れる。
公演が終わると、ずいぶん気持ちが楽になるのだかろか、身体も楽になる。
食事後、駅の近くの病院にワレリーと行く。整形外科の先生がおらず、外科の先生に見てもらう。
レントゲンを撮って、それをみながら症状を説明。靱帯が伸びたか、切断しているのではないかと言われる。ドキリ。明日整形外科の先生が来るので、もう一度精密検査をしてもらうことにする。
なにか落ち込んでしまう。メインの番組だけにここで、これ以上できないということになったら、大変だ。ワレリーにはとにかく明日見てもらうということだけ伝える。
今日も外で飯を食べる元気もなく、帰りにスーパーに寄り、弁当とカップメンを買って、部屋で食べる。
昨日と同じようにベットに横になって、ひたすらテレビを見る。今回はパソコンも持ってきていないし、本も読む気になれない。
しかもワレリーのことが気になり、憂鬱な夜を過ごす。
23時前に就寝。

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2002年9月27日(金)

よくよく考えたら、靱帯に異常があれば、歩くことも大変だし、演技もできないだろうということになった。たぶんたいしたことはない、そう思い込むようにした。
めざましテレビを見ていたら、恵ちゃんが今日で終わりという。いつものようにさわふかな笑顔で、去って行った。
メンバーと一緒のバスに乗り、リトルへ。
ワレリーの練習を客席から見る。膝のことは気にしているようだが、痛がっている様子はない。本人にどうだと聞いても、大丈夫だという。
都合4日ぐらいずっと寝ていてばかりいたので、今日はかなり身体が楽に感じられる。八割ぐらいもどった感じだ。
PAの方は、2回の公演中に、また小さなミスをいくつかしてしまう。何故完璧にできないのだろう。やになる。
メンバーはドイツ広場で公演中のドイツの音楽隊の公演を見に行く。戻ってきたワレリーとKさんの運転する車で病院へ。
30分ほど待たれたあと診断を受ける。先生が膝を触りながら、ワレリーに質問。靱帯はしっかりしているとのこと。これでほっと安心。半月板を覆っている膜のあたりに炎症があるかもしれないので、くわしくMRを撮ってみてからということになる。
ワレリーにMRのことを説明するのがたいへんかと思ったが、彼の兄貴が撮ったことがあるというので、すんなりわかってくれた。30分ほど撮影に時間がかかる。
そのあと写真を見ながら、もう一度診察を受ける。ほとんど肉眼ではみえないぐらいの小さな傷が膜にあるとのこと。湿布をし、サポーターをして固定し、公演後はできるだけ安静にすることで直によくなるだろうとのこと。
良かった。Kさんが早速リトルに報告。
しかし昨日の外科の診断はいったい何だったのだろう。心配させあがって・・・
ただ何事もなかったのはよかった。ほっとする。
今日は体調もいいし、部屋で飯を食べるのももう厭きたしということで、KさんとSさんと3人で近くの居酒屋で食事。
ビール2杯に焼酎の薄めのお湯割を4杯ぐらい飲む。
24時前に就寝。

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2002年9月28日(土)

29日に仙台で石巻若宮丸漂流民の会の例会があり、予定では今日まっすぐ仙台に入ることになっていたのだが、この体調だし、今回は見合わせることにした。
荷物をまとめ、宅急便で出す。
調子に乗って飲みすぎたようで、また足元がフラフラの状態。今日はせっかくの週末というのに雨。
モンゴルから帰ってきたばかりのハトガーが一回目の公演を見に来る。
公演のあとにKさんと一緒にお茶を飲みながら話す。そのあと楽屋に連れていき、皆を紹介。
一回目の公演でまたピンマイクのスイッチを入れ忘れる。いかん。
ハトガーからまたモンゴルウォッカ「ジンズキハーン」をお土産でもらったのだが、それを2回目の公演終了後に倒してしまい、瓶を割ってしまう。クラウンのリョーシャがビニール袋を持ってきて、半分ぐらいはなんとか残す。
足元も手元もおかしくなっているのかもしれない。
完璧を期した2回目だったが、またタイミングを間違う。少しへこむ。
絶対3回目こそと思ったのだが、一番前にひきつるように笑う子供がいて、ペースをくずれてしまう。結局は一度もノーミスでできなかった。
レストランで食事の時に、みんなに謝る。
ワレリーの膝の具合は、昨日よりも良くなったという。なによりである。
5人のメンバーを自転車屋に連れていき、そこで別れて、名古屋へ。
18時20分の新幹線に乗る。缶ビールを一本飲んで、あとばずっと寝ていた。
21時前に帰宅。

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2002年9月30日(月)

一週間ぶりに出社。体調は相変わらず、足元がフラフラする。
今日はシアターΧでパフォーマー全員と、舞台関係者が集まっての打合せ。大野たち3名は朝からシアターΧに詰めっぱなし。
問い合わせと注文を何件か受ける。ワークショップの申し込みが多い。肝心のチケットの申し込みがまだまだの状態。
BBCで出した人たちに、もう一度チケット買ってのメールを個別に送る。
小出から11月の公演の下見の件で電話。また新聞に出たみたいで、10月公演の注文は結構ある。なんでも土曜日のラジオで、木村万里さんが永六輔に小出のことを話したらしい。
今週からはじまる軽井沢の仕事の件で、電話でやりとり。
VJが来社。来月のplanBでのソロライブのチラシと、カバチッタのビデオダビング分を持ってきてくれる。
今日は朝日の夕刊にフール祭の広告が出る日。問い合わせの電話がどれだけ来るのか楽しみにしていたのだが、ほとんどない。
気持ち的に沈んじゃうよなあ。
夕方また足元フラフラ状態。19時半すぎに会社を出る。
今日で9月も終わりである。

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