クマのお仕事日誌
2002年10月分


2002年10月1日(火)

いよいよ今日から10月である。大型台風がもしかしたら関東直撃かもというニュース。
昨日の夕刊で少しは申し込みがあるかと思ったのだが、ほとんどない。あれだけ大きな広告でも効果はないということなのだろうか。
14時半新宿の病院で、月一回の糖尿の検査。先月の数値は、かなり落ちたみたいで、先生もびっくり。血糖値の平均値が、通常まで戻った。それなのに何故体調が悪いのか、聞いても回答はなし。
このままでいきましょうということだ。
なんとなく腑に落ちないまま会社に戻る。気のせいか体調が良くなっている。精神的なものもあるのかもしれない。
A新聞社の学芸の記者から電話。10月半ばまで記事がつまっていて、フール祭の記事掲載されるかどうか自信ないという。とにかく記事を書くのでということで質問を受ける。
なんどか電話のやりとりをしたあと、いま記事を出して8日の掲載OKになったという。ホットする。8日は初日だが、当然出た方がいい。少し肩の荷がおりる。
テレビとネットで台風情報。かなり接近しているらしい。西田が今日は何が起こるかわからないので、早く帰った方がいいと皆に指示。
気功の日だったのだが、変更してもらう。17時すぎに会社を出る。
上大岡のヨドバシに寄り、携帯の機種変更。ここまで着いたら、あとはなんとかなるだろう。去年の型を選んだので、3,000円で済んだ。ただ使い方がよくわからない。
19時前に帰宅。雨はすでにやんでいた。
もしかして肩すかし?
食後風呂に入って23時前には就寝。こんな生活が10日ほど続いている。とにかくいまは無理をしないこと。

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2002年10月2日(水)

今日はかなり体調がいいような気がする。
相変わらずフール祭の申し込みは、パラパラ。あと一週間切っているのに、どうしたもんだろう。
昨日台風のために途中でやめていたチラシと当日引換え券のセットをして、郵送する。
大阪で公演するミクロバンドのためのホテルをネットで予約。新阪急ホテルなのだが、結構安く泊まれる。
依頼を受けていたビデオのダビングをして、郵送。
いくつか仕事の依頼が来ているので、その対応をする。
18時会社を出て、planBへ。フール祭のオムニバスに出演するCHiCAのネタ見せ。というかネタ自体は前回も見ているので、今日のポイントはどう繋いでいったかということ。いろいろ考えてきたようだ。
ただ最後のところがいまひとつインパクトがないので、それに対するダメだし。ふたりでいろいろアイディアを出し合う。
CHiCAは、ルックスと相反して、結構女性の魔性みたいなものを引き出すようなネタが、いい味を出している。最後にもうひとつダメだしをしておく。
20時半すぎにplanBを出る。

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2002年10月3日(木)

昨日とくらべて体調はいまひとつ。まだ足元がフラフラする感じだ。
リトルのウクライナチームの4人アクロバットの土台のひとりが、肩を痛めたという。大事には至らないということなのだが、最終的には手術をしなくはならないという。
過酷な労働であることは事実だ。
フール祭の当日配布するパンフの出演者プロフィールの原稿作成。
チェコのエージェントから来た企画用の写真をプリントアウト。展示ものなのだが、ちょっと日本では難しいかもしれない。感想をメールで入れておく。
今日も朝日の夕刊に広告がでる。前回と同じようにほとんど問い合わせなし。広告というのは、難しいものだ。アテにはできないとということなのかもしれない。
機種変更した携帯はメールが出せる。試しに奥さんに出してみる。5分以上もかかった。よくこんな面倒なことをみんなやっているものだと感心する。ほとんど使うことはないだろう。
20時半会社を出る。
「地域史研究はこだて」という雑誌に、『神彰と函館』というエッセイを書いたのだが、函館で取材させてもらった人から手紙が届いていた。
なんとか本にしないとなあ。
今日も何もせずに、24時前に就寝。

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2002年10月4日(金)

朝のニュースで、吉本興業の木村常務が辞職するというニュース。知り合いの多いところだけにちょっと気になる。
昨日はずいぶん体調が良かったので、そのままいい感じでいくかとと思ったのだが、また悪い時に戻った感じだ。とにかくいまはじっと我慢しながら、無理をしないことだ。
都の財団に提出する経過報告を作成、郵送で出す。ぽちぽち申し込みは来るのだが、勢いはあまりない。
大阪のミクロバンドの案内DMを作成、送付。来週の公演なので、どれだけの人が来てくれるかはわからないのだが・・・
18時会社を出て、気功へ。途中今日から軽井沢の仕事に入っているパフォーマーから電話。前回の上越と比べて条件はかなり過酷らしい。泣きが入る。
今日は主に首を中心に気を入れてもらう。1時間強治療を受ける、だいぶ身体が軽くなった気がする。
22時帰宅。

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2002年10月7日(月)

10時出社。いよいよ今日は海外組の来日。始まるわけだ、フール祭が。
成田に迎えに行った辻君からまずタミラが到着したとの連絡。電話での問い合わせは増えてきているが、手に負えないという感じではない。
22日に帰国するサーカス学校の先生の子供たちの航空券の変更にアエロフロートまで行く。
13時すぎに戻り。この時点で3組の海外組は成田を出て、ホテルに向かっているとの連絡。
16時ワゴン車に、会場で使う荷物を積み込む。なんかずいぶん久しぶりで身体を動かすような気がする。
前に話をしていた東京新聞の記者(大学の同級生)Kから電話。フール祭の記事を書いてくれるという。写真やら原稿のなかみのことで、なんどか電話をもらう。
18時半すぎに会社を出て、みんなが宿泊しているホテルへ。クザンのふたり、ジュロとルネは元気まんまん。ミクロバンド、タミラと挨拶。
駅前のちゃんこ屋で歓迎会。終始会のペースは、ジュロとルネがとる。にぎやかなもんだ。
21時にお開き。みんなでシアターΧへ。ちょうどの公演が終わったところで、バラシがはじまっていた。みんなもしばらく残っていたが、感じとして遅くなると思ったのだろう、それぞれホテルに戻る。
バラシが終わったのを見計らって、舞台の準備。舞台にリノを敷き、袖幕をつり、大黒をつるしたあたりで、23時。そろそろ帰れなくなるということで、先に帰る。なんか久しぶりに身体を動かし、汗を流したら、ずいぶんと身体が楽になってきた。わからないものである。
浅草橋の京急とうまく接続、24時半には帰宅。

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2002年10月8日(火)

さあ今日からフール祭だ。朝昨日読めなかった朝日の夕刊を見ていたら、なんとフール祭の記事が。てっきり8日に出ると思っていたのだが、オープンに合わせてくれたのかもしれない。さすがI記者、あれだけの情報量をうまくまとめてくれている。
昨日久しぶりに身体を動かしたら、結構調子がいい。
10時出勤。昨日の夕刊のせいがあるかもしれない、問い合わせの電話がぽちぽち入る。それと9日の光洋ちゃんの予約を中心に申し込みの電話。
東京新聞のKから電話、記事の掲載が決まったという。この時期に告知の記事がでるのはありがたい。写真をバイク便で送る。
かなちゃんが15時ぐらいに会社を出て、会場へ行った後は、ひとり。タミラからメールを送るように頼まれていたのだが、さっぱり読めない。自信喪失。
17時30分に会社を出て、シアターΧへ。
今日はplanBのメンバーを中心に顔見知りのパフォーマー君たちが多い。ふたを開けて、どんな結果になるのかいないが、期待していた当日精算券を持ってくる人がほとんどいないのにちょっとショックを受ける。曜日のせいもあるかもしれないのだが・・
これを持ってくる人が10人ぐらいでもいれば、かなり期待できるかと思っていたのだが・・
公演中は窓口でお留守番。会場からたくさんの笑いがもれてくる。いい感じだ。辻君とシアターΧのMさんと3人でレセプションの準備。
公演後顔なじみの人から、口々に面白かったよと声をかけられる。
ワインとビールとかわきものでの簡単なレセプション。
21時半からタミラの道具のチェックに立ち会う。今回は道具の輸送代がかかるということで、道具は日本で制作している。西田と、舞台の人を交えながら、ひとつひとつ道具のチェック。タミラからいろいろ注文が出される。これについては西田が明日対処することになった。
23時前にとりあえず今日のチェックは終了。昨日と同じ電車で帰宅。

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2002年10月9日(水)

このところ睡眠時間が5時間ぐらいということもあって、少しずつまた身体に負担がきているようで、今日はシンドイ一日になった。
東京新聞のKから電話、今日の朝刊にタミラの記事が掲載されているという。
あとで見たら写真入りの大きな記事だった。ありがたいことだ。
電話の数は確かに多くはなっているが、ひとりで対応しきれないというところまではいっていない。
オムニバスAの申し込みが結構ある。
マジシャンの内田君の武漢行きが正式に決定。演し物をチェックするためにビデオを見ながら、マネージャーさんと打合せ。彼に最初にあったのは、7−8年前になるが、やっと今回仕事を一緒にすることになったのはうれしい。
18時前に会場入り。光洋ちゃんは開場ぎりぎりまでリハ。今日は開場前にかなり人が並んでいる。当日券も昨日の倍ぐらいは売れた。開演前のロビーがこのくらいにぎやかなだといい。
一番うしろの席で公演を見る。光洋ちゃんのとっても満足のいくステージだったのではないだろうか。
駅前の居酒屋で軽く打ち上げ、生ビールを二杯飲んだところで、最終の時間。あわてて駅に駆け込む。
24時すぎに帰宅。

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2002年10月10日(木)

今日の体調はまあまあというところか。少しずつ良くなっている感じはする。ただ睡眠不足とストレスがどう影響するかだろうな。
出勤途中ミクロバンドの大阪行きの切符を購入。ミクロの大阪の手配とか、内田君の武漢行きの手配とかいろいろあるのだが、13時から予定のタミラの稽古に立ち会うように言われる。
12時半シアターΧを出て、みどりコミュニティーセンターへ。東村から公演のアシストをするために上京したオリガが同行。この時間はとにかくアシストの稽古に専念。この公演ではアシスタントが重要な役割をすることになっている。およそ3時間ぐらいの稽古をしたが、とりあえず段取りだけをマスターするだけで精一杯。
荷物を積んでまたシアターΧに戻る。ちょうど17時から神山一朗のゲネをやるというので見学。ゲネのあと、タミラがどうしても今日この公演が終わってから予定されている場当たりのあとに、オリガとふたりだけで練習する時間が欲しいという。気持ちはわかるが、たちあわなければならないスタッフさんの問題もある。とにかくやってみようということに。
19時開場。今日と明日が前売りでは薄いところで心配していたのだが、パフォーマーを中心に当日で買う人が結構いた。パフォーマーたちにとっても、神山がどんなショーを見せるのか気になるところだろう。
ゲネを見たので、今日は表でお留守番。会場からあまり笑い声が聞こえて来ない。たしかに笑えるところはあるのだが、声を出して笑うという感じではない。
公演後何人かの顔見知りの人たちとちょっと話した後、舞台に後片付けの手伝い。21時から場当たりの予定だったが、22時ちかくから始まる。最初に前舞台とブラックライトの置く場所で、一悶着。音と照明のきっかけを中心に場当たり。こういう通訳が実は一番苦手。アバウトなロシア語では対処しきれないところがある。
終わったのは24時半すぎ。当然電車など走っているわけもなく、照明のM氏のタクシーに便乗して、会社近くまで送ってもらう。
ビールぐらいは飲みたいということで、野方ホープ軒で生ビール二杯飲み、ついでにラーメンを食べてから会社に戻る。
2時半ちかくに寝袋にくるまって就寝。今日明日が自分にとってはヤマ場だろうなあ。

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2002年10月11日(金)

7時すぎに目が覚める。あまり熟睡できず。ひげを剃って、メールをチェックしたあとに、会社を出る。両国駅前の松屋で朝飯を食べた後、9時にシアターΧ入り。
タミラとオーリャはもう来ていた。とりあえず昨日の確認事項をそれぞれチェックしたあと、通しでやることになった。
途中何度か、西田からダメだしが入り、直しを入れる。亀田さんたちが入るのは13時ぐらいということだったので、予定の11時をオーバーして、最後まで通すことができた。
12時半シアターΧを出て、いったん会社に戻る。来週からのリトル入りの準備など、こまごましたことを整理。
17時すぎに会社を出て、またシアターΧへ。かなりヘロヘロ状態。
19時半から亀田さんの公演。入りはちょっと悪かったが、いいステージだった。幸いなことに亀田さんのステージは、バラシがほとんどないので、21時すぎからステージがつかえるようになった。
いよいよタミラのゲネ。途中三回ほどストップして、直しと確認があったが、なんとか23時半には終わる。最終的な確認をしたあと、解散。今日はなんとか家に帰れそうだ。辻君とタクシーで秋葉原へ、すごい人込み。あとで総武線が事故で止まっていたことがわかる。
品川から最終の京急に乗って、上大岡からタクシーで1時半に帰宅。
風呂に入って、大阪行きの準備をして就寝。

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2002年10月12日(土)

今日は10時に会場入りなので助かる。7時すぎに起きて、8時すぎに家を出る。電車に乗っている時奥さんから携帯にメール。病気療養中の伯父が亡くなったという連絡が仙台から入ったという。秋葉原で仙台に電話。14日通夜、15日告別式とのこと。大阪出張なので出席できない、仲人をしてもらっているので、奥さんに出てもらうことにした。
10時会場入り。今日はもう通しはせずに、昨日最終確認できなかったフィナーレの部分をもう一度やってみる。特に照明・音響の手直しはなく、あとはタミラが舞台で稽古と準備。
13時すぎに近くの玉屋という蕎麦屋で昼食。昼食から戻ると、東村のサーカス学校のナジェージダ先生が来ていた。ずいぶん痩せたねと言われる。14時客入れ。舞台袖で待機。道具の準備をしていたオーリャがブラックライトのシーンで使う仮面をもって、びっくりしてやってくる。あまり目立たないので螢光塗料を塗ったのだが、そのために仮面が重くなり、かぶるためのひもがもたないという。あわててタミラに確認したうえ、舞台監督のSに頼んでひもを太いゴム紐に替えてもらう。こういうことがあるわけだ。
タミラはかなりナーバスになっている。14時半一回目の公演。舞台裏でモニターを見ながら待機。昨日の通しとちがうところがいくつかあった。客席からあまり笑い声が聞こえて来ない。公演終了。舞台裏に出てきたタミラの第一声は『チェジェロー(しんどい)』だった。客が少ないということもあるし、反応が伝わらないのでしんどかったという。
客がはけたあと、西田を交えて、ダメだしチェック。いくつかうまくいかなかったことを、もう一度確認する。
19時二回目の公演、公演前に客席を見に行ったら、一回目よりはかなり多くのお客さんが入っている。
公演中、オリガが衝立から出すスケルトンの紐が切れてしまうというアクシデント。幸い近くにテープがあったので、Sさんがそれでくっつける。どうもウクライナの紐類は華奢にできているようだ。公演には支障なかった。
モニターでしか見ていないので、客の反応がいまいちわからないが、かなり拍手と笑い声があったように感じた。
20時16分公演終了。ほっとする。ロビーに行ってみんな感想を聞く。ジュリスとクリストフはいまいちという感想だった。光洋も来ていたが、前半と後半どうしてあんな変わったのだろうという意見。
いろいろ意見はあるだろう。タミラもかなり反応を気にしていた。
21時すぎに、シアターΧを出る。これで自分のフール祭の仕事は終わり、そしてミクロバンド以外とはお別れ。クリストフ、タミラ、ナジェージダ先生に別れを告げる。みんなぎりぎりのスケジュールで動いているので、今回はゆっくり酒を飲み交わすことができなかった。こればかりはしようがない。
明日から大阪だ。

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2002年10月13日(日)

7時に起こされる。大阪のあと、すぐリトルへ入るので、荷物をリトルに送ることにした。その荷物と、持っていく荷物の準備。でがけに、ひとつ大事なものがないのに気づく。でももう時間がないので、あわてて家を出る。
9時50分頃ホテルに到着。すでにミクロのふたりと辻君は外で待っていた。日曜日なので都内はガラガラ、10時すぎに東京駅着。辻君とミクロはここでお別れ。
10時37分発ひかりに乗車。名古屋までは完璧に寝ていた。大阪駅からタクシーでホテルにチェックイン。少ししてからヘップに下見に向かう。デモンストレーションをする場所を見て、驚いていた。劇場はリハ中だったが、何の問題もなさそう。
うどん屋で昼食。ホテルに戻り、あとは自由行動。自分はまたベットに横になって寝る。
起きて、あちこちに電話。失せ物の探索を奥さんとかなちゃんに頼む。果たして出てくるのだろうか。
キエフに電話、無事航空券は来て、すでに4人のメンバーはキエフに来ているという。一安心。
20時通訳してくれるAも到着、4人で近くの居酒屋で食事。フール祭期間中こんなふうにゆっくり食事ができるのは、みんな到着した日だけだった。のんびりといろんなことを話しながら食事。
22時すぎに店を出る。今日は3杯の生ビール。寝酒用にウィスキーの小瓶を購入。結局サッカーを見ながら全部飲んでしまった。明日どんな状態になるのか、ちと楽しみ。確実に少しずつだが、体調は戻りつつある。
1時すぎに就寝。今日はずいぶんと寝れた気がする。

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2002年10月14日(月)

9時に起きる。こんなにゆっくり起きたのは久しぶり。朝飯を食べて、10時にヘップへ。エントランスでデモンストレーション用の音だしチェック。大きな問題はなし。MCは通訳のAにしてもらうことになった。
荷物をホールにあげて、簡単な打合せ。ミクロバンドのふたりは、ばらける。自分もいったんホテルに戻り、少しに横になる。13時にホテルを出て、カッパ横町の古本屋をぶらっと歩く。石井研堂の『異国漂流物語譚』を二千円で購入。
14時会場入り。サウンドチェックと、リハ。簡単なものだ。
ミクロはこのあと着替えて、デモンストレーションの準備。AとMCの台本の打合せ。相当緊張している。
15時半から一階でデモンストレーション。最初は客がいなかったが、次第に客が足をとめ、鈴なりの人となる。良かったのではないだろうか。何人かが、すぐ切符を買いに来た。
17時客入れ。顔見知りの人が何人か来場。17時半から公演。ミクロのフルバージョン公演を見るのは初めて。楽しさが滲み出てくる感じ、とんでもなく技術が高いというわけでもないのだが、楽しませようという気持ちは客に気持ちよく伝わってくる。公演後、素晴らしい公演でしたとみんなから声をかけられる。
後片付けは簡単なもの。荷物を持ってホテルに戻り、20時半からヘップのスタッフを交えて、打ち上げ。ミクロのふたりがガリをお土産に持って帰りたいと前から言っていたのを思い出し、ガリをかなり大きめのパックに二人前いれてもらう。
22時半にお開き。明日の朝は早い。とにもかくにもこれでフール祭は終了。ほんとうに疲れた、でも東京組の方がもっと大変だったと思う。
しかしよく乗り越えられたと思う。明日はみんな帰国。それが終わって初めてホットすると思う。

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2002年10月15日(火)

6時に起床、シャワーを浴びて下へ降りる。ミクロのふたりはすでに降りていた。チェックアウトをしてバス停へ。7時のバスに乗るつもりだったのだが、その前の6時40分のバスに乗れた。7時40分に関西空港着。すぐに搭乗手続き。結構時間がかかっている、一番気になるのはエクセスなのだが・・・
10分ぐらいで手続きが終わる。エクセスが20キロあったのだが、料金はとられなかったようだ。
レストランで朝飯を食べたあと、8時半にゲートに入る。再会を期して別れ。手のかからないいい連中だった。
これでまず今日の一幕は終了。続いて第二幕開始。名古屋へ移動。今日成田に来日するリトルのウクライナ組の交代メンバーを名古屋で受け取らなければならない。10時すぎに辻君から電話、無事4人は成田に到着したとのこと。このあと東京に移動、新幹線に乗せたあと連絡をもらい、名古屋駅のホームで受け取ることになる。移動中はほとんど寝ていた。
名古屋駅に到着したところで、携帯電話がおかしくなって、電話がかけられなくなったのに気づく。電話を受け取ることはできるのだが、ダイヤルできない。辻君から電話、14時28分着のひかりに乗せたということ、メンバーのひとりと電話で話す、ふたつの目の駅で降りること、だいたい2時間乗ること、降りる駅が名古屋であることを教える。メンバーのリーダーは落ち着いていたので一安心。時間が結構あるのだが、とにかく電話を直さなくてはならない。ドコモショップを見つけ、直してもらう。ダイアルオフにしてしまったらしい。
14時28分ひかり着、図体の大きいのが3人、こどもがひとり降りてきた。名鉄の名古屋駅まで移動。多少緊張はしている様子。
犬山遊園で下車。リトルの人の車に乗って、宿舎に移動。ちょうど遊びから帰ってきたメンバーと出くわす。4人アクロバットの連中はよく知っているようだ。
とりあえず4人分のアバンスを渡し、宿舎を出る。出る前にクラウンのリョーシャが今日木曽川で魚を釣ったので、みてくれと言う。台所には大小二十匹ぐらいの鯉が。明日リーダーのジーマの誕生日に料理することになっているようだ。それにしてもよく獲ったものだ。
ホテルにチェックインしたあと、Kさんと一緒に近くのお好み焼き屋で食事。考えてみたら今日は昼飯は食べていなかった。
20時すぎにホテルに戻り、今日来日した北朝鮮に拉致されていた日本人の帰国関係のニュースを見る。23時就寝。明日からまた新メンバーのリハとかで、いろいろあるだろうが、とにかく今日は疲れた。

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2002年10月16日(水)

7時すぎに目が覚める。シャワーを浴びて、朝食をとり、バス停へ。自分が預かっていた定期をどこかにやってしまったというのに、よりによって新入り君2人が定期を持って来なかったという。まったく・・・
バスを降りる時、運転手の人に事情を説明、今日だけはということで許してもらう。
朝の練習は、前と比べてずいぶん緊張感がない感じだ。アトランテイスがまもなく帰国するということもあるのだろう。一回目の公演を新入りグループが観覧。そのあとリハ。ジーマがまったく同じ振付でやると言っていたが、本当に同じ音楽と振付でリハ。アトランテイスの連中は、面白いと言って見ていたが、普通こんなことはありえないはずだ。自分たちと同じ演技をするグループが同じ振付でやるということは完全なコピーであり、普通は許されないことだ。
ジーマがなんどかダメだしをして、結局頭の三十秒ぐらいで今日のリハは終わる。
ジーマのテンションが高い。今日は誕生日ということもある。2回目の公演のあと、新入り君たちのリハはなし、誕生日の準備らしい。
アトランティスのセルゲイが首が痛いというので、病院へ。
19時から宿舎でパーティー、差し入れにビールと寿司を持っていく。今回のグループはみんな若いということもあるのだろうが、料理は乾きものとフルーツ、ウォッカとバーボンも用意されていたが、みんなカクテルにして飲んでいる。ウォッカを割って飲むところに、世代の差を感じる。
余興で、みんなで公演中のプログラムのパロディーを演じる。
通訳のK君が帰り際に重大な事実を明らかにする。定期を3枚預かっていたという。リトルから預かっていたのは2枚のはずだと言うと、自分がもう一枚送ってきたという。なんのことはない、なくしたと思っていた定期券だったが、送っていたのだ。これで一件落着。ホットする。
24時すぎまで、ふたりのジーマとセルゲイ、ワレリーと飲んでいた。こんなに飲んで大丈夫なのだろうか。

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2002年10月17日(木)

やはり昨日飲みすぎてしまったようだ。体調は最悪、朝起きた時はそれほどでもなかったのだが、バスに乗ってリトルに着いてからが大変だった。まともに歩くこともできないような感じ。
1回目の公演が終わって、新しいグループのリハが始まる。このグループはアトランテスのように入念なウォーミングアップをしない。軽く身体をほぐしたあと、すぐに飛びはじめる。
まだ身体が固い感じはするが、そこそこやってくれるだろう。音の合わせて一回通してやってみる。
リハが終わったあとは、芝生で横になって休む。これが体勢としては一番楽。公演後オープニングと番組のリハに立ち会い、そのままバスでホテルに戻る。カップラーメンを食べて、ベットにずっと横になっていた。何時に寝たかは不明。

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2002年10月18日(金)

かなり寝たような気がするのだが、足元がフラフラする感じは昨日とあまり変わらない。病院へ行くことにする。電話帳で脳神経がある病院を探して、タクシーで病院へ。中央病院だったが、さほど待つことなく診断を受けることができた。念のためにまたCTを撮る。先月と同じように脳には異常がないという。とりあえず点滴を受けることに。
12時すぎに病院を出る。Kさんに電話。もう一回目の公演でアトランティスの公演は終わりだという。とにかくリトルへ行くことに。いくぶん体調はよくなったような感じ。昨日はろくすっぽ食事をしていないので、腹もすいてきた。台湾亭でラーメンを食べた後、ステージへ。アトランティスのメンバーひとりひとりに千秋楽のお祝いの挨拶。
新グループは初公演ということで、少し緊張気味。
2回目の公演で、新グループ『クリボエ・ローク』初演。オープニングなどはまだまだだが、とりあえずこなしたどいう感じ。肝心の自分たちの番組では、かなり高い位置での旋回技もはさみながら、まずは無難にこなす。二回ほどミスもあった。リトルの人たちもとりあえずホットした様子。
楽屋へ行って、初演おめでとうの挨拶。この連中は明るい。
今日はこれで終わり。14時半のバスでホテルに戻る。途中スーパーで食料品を買い込み、とにかく横になって休むことに。
会社から電話、小出の写真を朝日のI記者が探しているとのことなので、あちこち連絡をとり、手配。I記者の話だと、24日の夕刊に小出のインタビュー記事が出るらしい。
食事をとったあとは、ずっとベットに横になっていた。明日は4時半起き。とにかくここを乗り越えることだ。

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2002年10月19日(土)

あまり寝れなかった。何度も夜目が覚める。この2日ずっと寝っぱなしだったということもあったかもしれない。
4時半起床、髭だけそって、フロントに電話、玄関の施錠をはずしてもらう。
外ではすでにKさんが車で待っていた。なんでも昨日は宿舎でもりあがり、ほとんど一睡もしていないという。
5時10分すぎに宿舎へ。アトランティスのリーダーは食堂でもくもくと朝飯を食べていた。兄弟のセルゲイとリョーシャは、寝ていない様子。まだ酔っぱらっている。
けっこうぎりぎりに宿舎を出発。リーダーのジーマ以外は、みんな見送りに出てきた。
犬山から各駅で名古屋へ。7時9分発ののぞみに乗せる。東京で迎えに出る辻君の携帯に乗せたことを連絡。一緒に見送りに出てくれたリトルのKさんは、すっかり気が抜けた様子。いったんホテルに戻り、朝飯を食べて、荷物を整理、チェックアウト。
10時にリトルに到着。来年の企画の件で、打合せ。
11時のショーを見る。新メンバー『クリボーエ・ローグ』は少し落ち着いてきた様子。やはり旋回技は迫力がある。リトルの所長さんからダメだし。公演後ジーマとグループのリーダーのセルゲイと、ダメだしの内容について話し合う。
いまの構成はほとんど『アトランティス』のコピーだが、『クリボーエ・ローグ』としての技も徐々に加えてもらうようにする。
さっそく4人が見てくれといって、新しい技を見せてくれた。
アトランティスが去り、クリボーエ・ロークとターニャ以外は、なんとなく寂しそうな感じで、練習にも気がはいらない感じだ。特にイーラは、辛そうだった。
今日はこれで帰ることにする。みんなにお別れを言って、リトルを出る。
またいくつか用事を頼まれる。
名古屋で昼飯を食べて、ひかりに乗って、新横浜へ。車中はずっと寝ていた。
とにかくこれでやっとピークを乗り越えることができた。
17時すぎに帰宅。

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2002年10月22日(火)

日曜は一日ソファーに横になって終日過ごす。そして月曜も会社を休み、休養。多少は良くなった気がするが、相変わらずフラフラ状態は続いている。
久しぶりに出社。机の上に24日の小出のライブの申し込みが、べたべたとはりつけてある。急いで集計すると、軽く50を越えていた。なんでも昨日の朝日の夕刊にインタビュー記事が出たらしい。昨日の夕刊は読んだはずなのだが・・・
出張の精算、メールの返信。とりあえずやらなくてはいけないことが、いくつかある。11月5日の小出の学校公演の件をまずは処理。小出と連絡をとり番組の確認、担当の先生と打合せ。
来年春の企画をいくつか提案しなくてはいけない。その準備。
午後になると体調はまたしても悪化。
18時会社を出て、両国の気功へ。いまはこれが頼り。先生に言わせると、そんなに悪化していないという。疲労とかが重なったり、酒を飲みすぎると、どうしても一時的に血の流れが悪くなるのではという話。
1時間近く治療を受けると、身体がずいぶん楽になった。朝の状態が嘘のよう。いままでは二週間に一回だったが、できる限り一週一回治療を受けるようにする。
22時前に帰宅。今日は会社のビデオが壊れているので、家でテープをダビングしなくてはならない。晩飯を食べながら、ダビング。
机の上に一通の封書。神彰の取材をお願いしていた人からの返事。快く受けていただけるとのこと。後半部分の鍵を握る取材だったので、思わずガッツポーズをとってしまう。
寝る前にデラシネをチェックしたら、なんと70を越えるアクセス数。なにがあったのだろう。夕方見た時は30近くだったのに。小出の新聞記事がでたせいなのかもしれない。
1時前に就寝。

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2002年10月23日(水)

かなり体調は良くなった感じだ。朝杉田の駅まで歩く。
小出の申し込みが、60を越える。前回のこともあるので今回は65で受付を打ち切ることにする。
あっという間に締切り。
昨日子供たちが帰国したサーカス学校の先生に電話、寂しい?って聞いたら寂しいけど直になれるでしょうとのこと。先生の帰国の日にちを決める。
アエロフロートに予約を入れる。
サーカス文化の会の会報用原稿を作成。
スイス大使館から電話、ウクライナのメンバーのひとりが日本公演のあとスイスで仕事、そのために日本でビザを申請をしたいということで何度か連絡をとっていた。必要書類が揃ったという連絡。明日申請書をとりにいくことにする。
西田が武漢の雑技大会に審査員として参加することになっている。前にカザフサーカスのローマがメールで、人間車輪と鳩のショーでこの大会に参加すると連絡をくれていた。一応確認と、その後のカザフサーカスの状況を聞くために中国のローマに電話。
ローマは自分からの電話ということがわかると、大喜び。大会に奥さんとデニスが参加するとのこと。心配していた国立サーカスを退団したハーリック元総裁も、新しいサーカス団を結成して、文化省の支援を受けて元気に活躍しているという。
ローマ自身は、肩の怪我のあと動物調教師に変身して、元気で働いているとのこと。しかもメールでは来年は仕事がないと書いてきたのだが、中国の仕事は来年10月まで延期になったという。条件もいいしと、とても喜んでいた。いつまでも話したかったのだが、この調子だと1時間ぐらいは話さないといけない感じなので、電話が入ったと途中で切る。でもずっと気になっていたので、ハーリックもローマも兄弟たちが元気でがんばっていることがわかって、とても幸せな気分になる。
うれしくなってきた。
18時半すぎに会社を出る。とにかく良かった。

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2002年10月24日(木)

昨日よりも体調はいい。朝杉田まで、少し遠回りして歩く。体調的には、昼過ぎの打合せの時が一番しんどかった。あとはまあまあ。60%ぐらいかなあ。
10時出社。明日から西田は中国に長期出張。いろいろと準備やらやらなくてはならないことやらたいへんそう。
来年の春の企画について、選考用のビデオを送ることになっていたが、その前に、こちらの方針を電話で説明する。午前中にサーカス文化の会の会報作成をおわらせる。あとは静岡のチラシを待つのみ。13時に渋谷東急インの喫茶室でクラブチッタのM氏とT氏と待ち合わせ、なんといつもつかっていた喫茶室がなくなっている。しかたなくメトロビルまで行って、打合せ。
M氏とは久しぶりに会うことになる。来年のカバチッタについて打合せ。今月中にスケジュールをだして、来年は四回カバチッタをやろうということになる。
そのあとバスでスイス大使館へ。ウクライナのメンバーのイリーナのための査証申請用紙をもらう。帰りもバスで千駄ヶ谷まで。
17時半会社を出て、ラーメン屋で食事してからplanBへ。今日は小出のライブ。すでに何人かのお客さんが待っている。今日も満員。ずいぶんと客層が変わってきたように思える。
小出に落ち着きが出てきた。少し余裕もでてきたのだろう、いろいろ試しているのがわかる。
20時40分ぐらいにライブ終了。今日はお客さんの引きが早い。缶ビールを3本飲んで、22時半ぐらいにplanBを出る。
24時前に帰宅。

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2002年10月25日(金)

少しずつ整理モードになってきた。机の上に並んでいる袋ファイルのなかで、終了したイベント関係をフラットファイルにファイリング。
まだ今年も残っている仕事はあるにはあるのだが、大きなものは終わっている。これからは来年の仕込と売り込みをメインにしていかないといけない。
取引先に電話で打診。
漂流民の会の会報を出す時期になってきた。12月の例会の日取りを会長と連絡して12月7日に決定する。
会報の原稿をあつめなければならない。
スイス大使館でもらったビザの申請書をリトルに送る。
11月5日の学校公演の契約書を捺印した上、先方に送る。
18時すぎに光洋ちゃん来社。まず12月公演の詳細について打合せ。どうも自分は日程を間違っていたようだ。主催者に連絡、スケジュールと予算の確認。
そのあと近くの居酒屋で、一杯やる。話の肴は、フール祭。光洋ちゃんにとってはいろいろな意味で達成感があった公演になったようだ。それも前回のフール祭に出演したことが大きかったということだ。継続は大事なことなのだ、やはり。
光洋ちゃんとの話はいつも刺激があって楽しい。
今日はビールだけにする。といっても結構飲んだかもしれない。23時前にお開き。
24時すぎに帰宅。

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2002年10月28日(月)

久しぶりに家で2日間休日を過ごすことができた。でもこれは今日だけに限ったことではないのだが、月曜になるとまた調子が悪くなる。一日中しんどかった。
土日に、トラム劇場でモラレスファミリーのサーカスがあったのだが、大野も辻も見に行っていて、すごく良かったという。クザンのロロが、演出に関係していて、去年会った時に、いいサーカスだったといっていたのを思い出した。
見れなかったのはとても残念なのだが、休日に世田谷まで出かけていく体力はなかったと思う。残念!
そういえば27日のVJの公演はどうだったのだろう。本人には見に行けないと言ったとき、見逃したことを一生後悔しますよって言われた。そういえば来週は静岡の大道芸か!
軽井沢に入れているパフォーマーが、11月1日で変わるので、その手配。11月3日群馬のイベントの手配も。
モラレスの舞台スタッフで来日していた、クザンの舞台クルーのモーリスが来社。何故かクザンのメンバーに人気のランドセルが欲しいということで来社、会社に去年調達しておいたの
2つのランドセルがあったので、それをプレゼント。モーリスは昨日が楽日ということもあって、かなり飲んだみたいだ。うらやましい限り。
サーカス文化の会報の発送作業を終えたところで今日の仕事はエンド。
帰りに上大岡のヨドバシに寄って、かやこの誕生日プレゼントを購入。八重洲ブックセンターで、結子に約束していたハリーポッターの新作を買おうと思ったのだが、在庫はなし。
それにしてもすごい人気だ。
20時帰宅。

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2002年10月29日(火)

秋晴れの日が続く。朝の40分ウォーキングもいい天気だと気持ちがいい。体調も昨日よりはずっといい。もしかして月曜病?
11月3日の群馬でのイベントに関して、出演するミキと、主催者に出迎えの最終確認。
12時から11月5日のダメじゃん小出『黒く塗れ!2002』の打合せ。出演する小出、VJ、Kaja、舞台スタッフの5人が会社に集まる。今回は学校公演なので、反応が読めないところが多々あるのだが、とにかく学生に媚びるのではなく、ありのままでぶっつかるのが大事。
VJが結構やることがあり、たいへんそう。日曜日の公演はたくさん人も集まり、面白い公演になったという。まだその疲れが抜けないようだが、あと一週間がんばってもらうしかない。内容的にはかなり面白いものができるのではないかと思う。
12月の光洋ちゃんの仙台公演の契約書作成、お金の流れなど、かなちゃんにチェックしてもらう。
中国に行っている西田は、今日から武漢入り。雑技大会に出演する内田君の荷物の受け取りの件で、中国と確認をとるが、最終的に受け取ったかどうかはわからず。
またこれに合流するクザンのジュロからメールが入り、泊まる予定のホテルの連絡先がわからないという。なんでも出発まぎわらしい。西田がいるので、心配はないと思うけど・・
帰りにまた上大岡のヨドバシに寄り、かや子の誕生祝いを購入。20時帰宅。
モスクワのシゲルちゃんからモスクワ便りが届く。モスクワ劇場襲撃に関するレポート。まさにタイムリーな便り。デスクの大野にすぐにメールを転送する。

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2002年10月30日(水)

杉田までのウォーキング中に、久しぶりにエンマの曲を聞く。懐かしいなあ、いま何をしているのだろう。
出社してすぐに、中国にいる西田から電話。内田君の荷物は無事受け取ったとのこと。明日到着するジュロの出迎えについて確認。
明日から軽井沢に入るパフォーマーに連絡、確認をとる。
12月のクリスマスの仕事で問い合わせがきていた件について、ななちゃんの資料をFAX。すぐに返事が来て、オーケーをもらう。
こういう風にすぐ決まるときもある。ななちゃんにはもうひとつ仮で押さえてもらっているので、クライアントに催促の連絡。
リトルのウクライナのランチ問題で、やっともうひとつのレストランの連絡がとれる。とりあえず中華で明日試食してもらうことになった。果たして口にあうのだろうか。
18時退社、両国の気功へ。毎度のことなのだが、治療を受けるとかなり楽になる。
22時帰宅。

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2002年10月31日(木)

春の企画でプレゼンしていたアーティストから連絡があり、日本に来れないということになった。そこで午前中代替えになる番組を探すために、ビデオをチェック。帯びに短し、襷に長しという感じだ。他にもあたる必要がありそうだ。
早めに飯を食べて、懐かしのかつて勤めていた会社中央放送エージェンシーへ。社長O氏は、来週ロシアに行くとかで忙しそうだったが、なかなか面白い話を聞けた。
会社に戻ってから、春の企画の件で打合せ。予算ありきで対応するしかない。
リトルから電話、レストランを代えて欲しいということだったので、中華もののお店で試食してもらったのだが、不評だったらしい。予想していたことではあった。あの連中は完全なマックエイジで、舌がおかしくなっている。中華ものは口に会わないと思っていたが、案の定だ。
水餃子はよかったようだが、マーボ丼はおもいきり不評だったらしい。また対策を考えないと。
昼会ったO氏から電話、取材の取り次ぎをお願いしていたのだが、連絡をとってくれたとのこと。いろいろ今回の神彰の取材の件では、世話をしてもらっている。ありがたい。
18時すぎに退社。今日はかや子の誕生日ということで、食後にケーキを食べる。
寝る前にデラシネをチェックしたら、とんでもない勢いでアクセスが伸びている。おそらくデイリーではいままで最高のアクセス。100を越えていた。
メールをチェックしていたら、デラシネの神彰のところを見ていたクラッシック関係のサイトをもっている人が、クラッシック関係の他のHPの掲示板で、宣伝してくれたとのこと。
これが原因だろう。しかしたいへん影響力だ。びっくり、そして感謝。さっそくお礼のメールを入れる。

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