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クマのお仕事日誌

2003年2月3日(月)

いよいよすべてが巻きモードになってきた。あれもやらねば、これもやらねばと追い立てられる感じ。しかたがない。
しかもまた体調が悪くなっている。ストレスなのかなあ。日曜日は本当になにもせず、ゴロゴロしていただけで、早く寝たはずなのだが、寝たらない感じ、首の張り、胸痛がひどい。しばらく手放していたタイガーバームに頼ってしまう。
野毛のゲストの件で、再度見積を作成、FAX。「ミステリア・ブッフ」出演者用の覚書を作成。
カバチッタの6日・7日のタイムスケジュールを作成してもらうために、関係者と打合せ。当日のボランティアバイトの手配。切符の動きが悪いので、その手だても講じなければならないのだが、まずは当日の手配が先。
すわさんのライブのある日。小出から電話。待ち合わせの時間の確認。19時すぎに内幸町ホールへ。
ほぼ満席。残っている席を見たら、永六輔さんの前しか空いていない。小出が最初はひいていたが、そこに座ることに。小出は今週またTBSの永さんの番組に出るらしい。その件で挨拶。
最初は身体がしんどいのでやめようかと思ったのだが、見に来てよかった。笑いのなかにもしんみりとしたものが漂ってくる。完成度の高いステージだった。
新橋の近くのライオンで、ちらっと飲む。考えてみたら、小出と会うのは、今年初めて。これから先のことで、いろいろアイディアが出てきた。また面白いことができそうだ。
24時前に帰宅。ここのところデラシネのアクセスが伸びている。カバチッタかなあ。でもそのわりにはチケットの申し込みはないのだが・・・

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2003年2月4日(火)

朝起きられず。結局また昼前に出社。やらなくてはならないことがあるのだが、身体がいうことを効かない。首の痛みはかなりひどくなってきて、タイガーバームを何回も塗るが、だんだん効き目もうせている感じだ。気功は明日なのだが、今日にできないかと頼んでみる。なんとか18時すぎだったらできるということで予約を入れてもらう。
カバチッタの前日と当日のスケジュールがあがってくる。これをパフォマーたちに流す。バンドさんの立ち位置の案に関しては、梅津さんにチェックしてもらうことに。
キエフのアーティスト、ロシアのアーティストにスケジュールの確認のため、電話。
木村万里さんから電話。昨日すわさんのライブを見て、感想をメールで送ったのだが、それを明日連載中の「お笑い漂流記」で引用してもいいかという問い合わせだった。カバチッタのことも紹介してくれるということだったので、快く承諾する。
明日やっと『ミステリアブッフ』の稽古にタトゥが合流するので、その時間等の打合せ。明日16時に東京駅でピックアップすることになった。
17時すぎに会社を出て、両国へ。1時間ほど治療を受ける。かなり楽になった。今日来てよかった。先生も今度カバチッタを見に来てくれる。身体が軽くなって、さわやかになって帰宅。

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2003年2月5日(水)

今日はかなり体調が戻ってきた感じ。首の痛みはまだ残っているが、昨日の朝と比べたら雲泥の差。タイガーバームの世話にならずにすんだ。出勤途中、木村万里さんの記事がでているはずだっと思って、毎日新聞を購入。読んでびっくり。万里さんにだしたメールがほぼ全文掲載されていた。酔った勢いで書いたので、少し恥ずかしくなる。
秋口の仕事で、ひとつ可能性がでてきたので、アーティストたちのスケジュールを確認しているのだが、だいたいオーケーになってきた。慌ただしく会社を出て、チッタへ。ひとつ気になるのは、ハトガーが昨日の稽古を風邪で休んだということ。電話をしてみるがでない。13時チッタへ。サブリミットのヨーコさんと落ち合って、会場の下見。そしてスタッフと打ち合わせ。途中浜松のMさんから電話。タトゥを浜松から新幹線に乗せたという。16時すぎに東京到着という。15時すぎに打ち合わせ終了、そのまま東京駅に向かう。タトゥとは、去年の夏以来ということになる。結構の量の荷物をもってきた。そのまま池尻大橋の「ミステリアブッフ」の稽古会場へ。演出家や出演者を紹介。ハトガーも元気に稽古していた。昨日は風邪でたいへんだったらしい。今日はだいぶ良くなったという。安心した。タトゥは方向が光洋ちゃんと同じなので、途中まで面倒みてもらうことを頼む。英語ができる人が何人かいるので、助かる。あとは大丈夫だろう。
明日は稽古がオフということなので、タトゥとハドガーをチッタへ連れて行くことにする。
スケジュールなどの確認をして、あとはまかせることに。
会社の方にカバチッタの問い合わせは何件かきているというが、前回ほどではない、プレイガイドの前売りも前回よりは落ちている。どのくらい入るのかちょっと心配。ボランティアでスタッフを頼んでいる人たちに入りの時間を連絡。

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2003年2月6日(木)

10時出勤。やることをやって、あちこちに電話して、慌ただしく会社を出る。ハドガーのゲストハウスに寄って、渋谷駅でタトゥと落ち合い、川崎へ。何故か王健と出会う。王健は、チッタの近くに住んでいるらしい。チッタにはパフォーマーがだいたい集合。舞台監督のTを中心に準備は進んでいる。ハドガーとタトゥをみんなに紹介。15時半ころまでチッタで仕込みに立ち会う。
16時半すぎにキダム会場に到着。シャムシュールからなんども連絡が入る。もうまもなくというのだがなかなか来ない。開演ギリギリに到着。品川で人身事故があったため、遅れたらしい。
キダムのプレビュー。なかなか良かった。シャムシュールはかなり感動していたようだ。モスクワの奥さんにまで電話していた。帰り、品川駅構内の居酒屋でシャムシュールと飲む。23時京浜東北線にシャムシュールを乗せて、別れる。

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2003年2月7日(金)

めちゃめちゃ体調が悪い。昨日飲んじゃうからだよなあ。
11時会場入り。南武線が人身事故で停まったらしい。今回は南武線組が多く、何人かがこのため遅れるという連絡。今回は舞台監督のTにまかせている。リハとか段取りの問題は、彼にまかせる。その意味では、仕事はだいぶ減った。
パフォーマーは、てんでばらばらに会場入り。14時すぎにこまっちゃが入り、音合わせ、そしてリハが始まる。
すべてが押している。イライラするのだが、しようがない。
個々のリハが終わり、通しのリハ。
立っているのもやっとの状態だ。こうなるとタイガーバームを塗りたくるしかない。
通しのリハが押している。開場を大幅に遅らす。18時半から見に来いって言っておきながら、面目無い。
当日の客の入りも前回ほどの勢いはない。
結局この押している状態がずっと続く。なんと終わったのは23時10分前。3時間半の公演になってしまった。
楽屋で簡単なビール乾杯。
みんな撤収の準備をしているうちに、最終電車に間に合うかどうかというシビアーの現実に面することに。
チッタをあとにしたのは、24時過ぎ。帰れなかったこうじ、カジャ、神山、サブリミット、VJ、スタッフとして手伝ってくれたゆっこ、関谷君、planBの斎藤と深夜営業の居酒屋へ。
あっという間という感じで、閉店時間。みんなそれぞれ帰路につく。京急は自分だけ。案の定寝過ごして金沢八景まで。朝7時前に家に到着。服を着たまま布団にもぐり込む。
結局この日というか、次の日も、10日も一日中家でごろごろしていた。立ち上がることができなかった。
8日の朝刊に、リトル存続という名鉄社長の記者会見の声明がちらっとでていた。

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2003年2月12日(水)

体調はいまひとつ。2日間休むと、もう水曜日になっている。そんな感じだ。
リトルワールドから所長の訃報を知らせるFAXが届いていた。12月打合せに行った時に、入院しているということは聞いていたのだが、あまりにも突然の知らせでびっくりする。享年50才とのこと。自分と同じだ。その意味でもショック。葬儀は今日ということだ。
やらなくてはならないことはたくさんあるのだが、なにか仕事に手がつかない。カバチッタの精算もしなくてはならないのだが、手がつかず。
本格的にロシア行きの準備、日程を調整し、とりあえずのコースとスケジュールを出してみる。同行するスポンサーに確認、オーケーをもらう。
夏の企画を頼まれているところから催促の連絡がはいる。とにかく明日までに作成して送ることに。
ハドガーが来社、あるところに提出しようと思っている番組をビデオで見せてもらう。ダビング。
モスクワに電話、なんどかメールを送っているのだが、どうもうまくいかないので、直接電話することに。
19時前会社を出る。なんとなく足取りが重い。

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2003年2月13日(木)

体調は昨日よりはかなり良くなった感じだ。今日は夏用の企画書と予算書と、ビデオの編集を片づけることが先決。ビデオをまず通しで見て、使えそうな番組を決めた上、ダビング作業。プログラム構成を考えながらダビングしたので、モニターの前に張りつけ状態で作業。なんとかビデオの編集を終え、これに基づいて企画書と見積の作成。
いちおう二本作成して、メールで送る。
モスクワのペーチャに電話、秋の企画用の写真を送ってもらうように頼む。
ハドガー来社、今晩夜行バスでいったん名古屋に戻る。土日所属している企画会社主催のショーがあるらしい。
今日は5時間ぐらいビデオモニターの前にいたことになる。
19時すぎに会社を出る。これでひとつ懸案事項を片づけることができた。考えてみれば来週金曜日にリトル入りしてからは、10日すぎまでは事務所に戻れないことになる。やらなくてはいけないことをひとつずつ片づけないと・・・・・
明日は、カバチッタの精算に手をつけないと・・・

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2003年2月14日(金)

今日はとにかくカバチッタの精算をやっつけることが先決。まずは当日引換分の精算。次にパフォーマーが手売りで販売した分の精算。残券と照合するしかない。チッタに電話、当日券とPG販売分の実数を問い合わせ。考えてみたら、もう後援公演が終わって1週間経っている。早いものだ。今ごろこんなことを問い合わせるのもちと問題なのだが、とにかく仕事が詰まっていたのでしようがない。入場者数はほぼ前回並、今回は各方面で見てもらいたいを招待したので、有料入場者数は若干減っている。かなりキツキツで支出も組んでいるのだが、やはり今回も10万近い赤になりそうだ。厳しいなあ、この数字は。前回の赤字を補てんしようと思ったのだが、また赤字が膨らんでしまったことになる。ちょっとブルーになる。
春に呼ぶ予定のアーティストの査証を入手するための書類を準備。
16時、今度モスクワに一緒に行く人と初めて会う。酒が一滴も飲めないという。自分にとってもいいことかもしれない。
新宿駅のホームでタトゥと落ちあい、航空券代を払う。彼は、3月10日にヘルシンキに戻るというので、もしかしたら彼と会うのはこれが最後になるかもしれない。もう少し時間をかけていろいろ話したかったのだが、また会えるだろう。彼のガールフレンドに、カバチッタでの彼の演技についてメールで寄せられた感想を渡す。そのまま高田馬場に出て、西武線に乗りかえ、新井薬師駅へ。今日は久しぶりに神彰の取材。「北の家族」で働いていたT氏の話を1時間半聞かしてもらった。非常に面白い話がたくさん聞けた。21時半すぎ帰宅。「もののけ姫」をやっていたので、結局最後まで見てしまう。

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2003年2月17日(月)

まずはロシア行きにともなう作業。まずは手配をしなくてはならない。スケジュールを立てて、それを旅行会社に送る。
ちょっと遅い気もするのだが・・・
先日送った夏向けの企画について連絡。もうひとつ素材的にたらないようだ。
ロシアに持っていく契約書を作成しはじめる。三種類の契約書をつくることになった。
これで今日はもう目一杯。笑志さんとVJの落語バトルがある日で行きたかったのだが、体調的に無理。あきらめる。

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2003年2月18日(火)

めざましの占いで、今日は大ポカがでる日なんてでていたのだが、当たってしまう。昨日頼んでおいたロシア行きのスケジュールについて連絡がきたのだが、日本−モスクワの便が13日まで全便満席というのではないか。この時期のアエロフロートで、混み合うことなんかまったく考えていなかった。春休みの卒業旅行ということで、2月下旬から3月中旬まで混み合うらしい。もう少し早めにやっておいたら、こんなことにはならなかった。まさに大ポカである。一緒に行く人の都合やら、クライアントの事情もあるので、すぐに事情をメールで入れる。
12時チッタで精算と、今後のことについて打合せ。有料入場者数については、前回を20名ほど下回っている。支出をきちんと計算していないが、今回も10万ぐらいの赤字になりそうだ。やはり問題は、プロモーションだということに。その意味で次回の6月というのはきついのではないかということになった。とりあえず6月の公演については、白紙に戻すことに。次回の時期などについては、今後詰めていくことに。
14時半新宿の病院で糖尿の検診。ショックだったのは、いままでの先生が代わってしまったこと。好みの女医さんだったし、この先生についてから、実際に糖尿に関しての数値は下がっていたのに・・・。院長の診断を受ける。最近の体調不良を訴えると、もう一度MRを撮るように指示される。明日撮影することに。16時前帰社。ロシア行きの件でスポンサーに電話。スケジュールを遅らせることで同意をもらう。これにともないまたあちこちに連絡。なんとか明日にはfixさせたい。
GWの仕事の件で、キエフの芸人に電話。スケジュールは空いているということなので、条件をメールで送る。
19時会社をでる。

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2003年2月19日(水)

ロシア行きのスケジュールを決めなければならない。変更後のスケジュールを旅行会社に連絡、モスクワ−東京は空席があるということなので、これで押さえてもらう。とりあえず一安心。結局来月14日から21日まで滞在、22日帰国ということになった。ビザの件や、ロシア国内でのチケット手配が残っているが、大体はこれで完了。変更、変更でたいへんだったが、自分にとってはいい結果になった。つまり見れないと思っていた『ミステリアブッフ』も見れ、小出のソロも見れ、東大史料編纂所の講演会も聞けることになったわけだ。
カバチッタの収入がでたので、これをメールを持っている出演者に報告する。反省会は11日にすることになった。
モスクワに電話、民族アンサンブルの出演に関し、諸条件を出していたのだが、その確認。オーケーをもらう。明日契約書をファクスで送ることにする。
仙台のおふくろから電話、かなりあわてている。おやじが精密検査を受けた後に、急に容体が悪くなったという。心臓に水がたまったということらしい。一時は集中治療室に入れられ、かなりあわを食ったらしい。とりあえずは処置して、いまは安静にしているという。またたまる場合もあるということで、明日もう一度その結果を聞くことになっているという。驚いたのだろう。しばらく話をしているうちに、だいぶ落ち着いてきたが、最初の方は、かなりシドロモドロだった。
19時気功へ。先生ご夫妻はカバチッタを見に来てくれた。いろいろ感想を聞かされたが、とても参考になった。このところ体調が悪いのだがと言うと、それは触ってもわかった、ストレスでしょうねと言われる。なにか音楽聞くとか、リラックスする時間をとったらいいですよ、と言われたのだが、自分にとってリラックスできる時間ってどんな時だろうと、考え込んでしまう。一番は酒を飲んでいる時で、確かに飲んでいると身体は実に楽なのだ。でもそれは決していいことではないだろう。自分にとってリラックスできることって何なのだろう。
21時半帰宅。

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2003年2月20日(木)

身体がだいぶ軽くなった感じがする。
去年検査を受けた結果を聞くために、東京医大へ。相変わらずの混みよう。本は持ってきたのだが、どうも病院の待合室で読む気にはならない。結局1時間半ずっと寝ていた。頸椎の超音波、血液検査、神経の伝導を調べてもらったのだが、特に大きな問題はないという。ただ末梢神経がいくぶん削れているというので、そのための薬をもらうことになった。少しは悪いところが、はっきりしてなんとなくホットする。
13時半会社に戻る。ビデオのダビング。タシケントサーカスのビデオを見る。これがなかなかよかった。
中国にいるローマに電話。ハーリックの新しい電話番号を教えてもらう。ローマは元気そう。
おふくろになんべんも電話するのだが、でない。やっと15時すぎに電話。心臓にたまっていた水はもうなくなったということで、明日ぐらいから一般病棟にうつり、1週間ぐらい入院するとのこと。ホットする。結局は病院側のミスであることがわかり、院長が謝罪したとのこと。医療ミスについていろいろニュースがあったが、こうして身近におこってはじめて現実となるわけだ。おふくろは昨日も興奮して寝れなかったという。今日はとにかく安心して寝れると言っていた。
キエフのジーマに電話。春の企画について、他の出演者にあたってもらっている。それについてメールをもらっていたので、それについて打合せ。候補者のビデオは会社に前に送ってあるという。それを探して見てみる。結構すごい。問題はそれができるかどうかだ。これを打合せするために、また電話。話している途中で、ぶっつり切れてしまう。たぶんバッテリーが切れてしまったのだろう。
19時に会社をでる。

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2003年2月21日(金)

今日から犬山、16時まで会社で、書類の整理、ロシア行きの準備。つくづくリトルのあと、すぐにロシア行きでなくてよかったと思う。とても無理だったろう。16時会社をでて、16時半東京発の新幹線に乗り込む。浜松までは寝ていた。それから吉村昭の『大黒屋光太夫』を読みはじめる。ずっと楽しみにしていた小説。これは丁寧に読みたい小説だ。名古屋からバスに乗って空港へ。リトルのKさんと待ち合わせ、食事をしたあと、下におりて、カザフから来るアーティストを待つ。しかし今日はまた同じ時間帯に次から次へ飛行機が到着する。ゲートから出てくる人たちを見ていると、実に面白い。台北、香港、ソウル、北京、アジアからの便がほとんどなのだが、皆似ているようで、どこか国柄があって、見ていて飽きない。成田よりずっと面白い。アジアの片隅で、という吉田拓郎の唄を思わず口ずさんでいた。ラッシュアワーのように次から次へと降りてくるなかで、やっと待っていたカザフからのアーティストふたりを見つける。到着してから1時間経っていた。荷物を積んで、宿舎へ。かなり疲れているようす。ふたりの会話はカザフ語。簡単に部屋の使い方を説明して、あとは明日ということにする。
帰りコンビニに寄って買い物をして、23時すぎに今回の宿舎となるアパートへ。荷物を整理して、パソコンの設定などをしているうちに、1時すぎてしまった。

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2003年2月22日(土)

目が覚めたら11時ちょっと前。ずいぶん寝ていた。13時すぎに宿舎へ行くことになっていたが、少し遅れると電話。まずは2キロぐらい先にあるスーパーで、買い物。アパートに戻る時に、雨が降り出す。朝飯兼昼飯をつくって食べる。14時すぎに宿舎へ。ふたりはベットで毛布にくるまっていた。暖房がきかなかったという。確かに部屋は寒い。石油ファンヒーターを持ってきて、火をつける。
イトーヨーカドまで歩いて買い物。道々いろいろ話する。「ところでお前は何人なのか?」と聞かれたのにはびっくりした。「日本人だ」と答えたら、フーン、どこでロシア語を学んだとかなりしつこく聞かれる。カザフサーカスのメンバーのことは、いろいろ知っていた。彼らはハーリックやローマとはあまり親しくなさそうだ。
奥さんは物静かで、ちょっと元気がなさそうで心配だったが、食品売り場に行ったら、とたんに元気なった。目をらんらんと輝かせ、買い物に走る。彼らはイスラム教信者で、豚肉は食べない、羊肉を買いたがっていたが、かなわず。米やパン、スパゲッティ、卵に、チーズ、紅茶、まあとにかく山のように買い物をした。ただ酒は買わず。一滴も飲まないらしい。これじゃローマやハーリックとはあわないわなあ。
宿舎に戻り、シャワーの使い方を説明。ただお湯がでない。リトルに電話する。まもなくK氏がやってきて、いろいろ見てくれ、お湯がでるようになる。これで一安心。彼らも買い物をして、シャワーも浴びれるということで、だいぶ落ち着いたようだ。
18時犬山駅で、大野と落ちあい、食事をしたあと、アパートへ戻る。いよいよ明日は、メンバー全員が揃うことになる。

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2003年2月23日(日)

朝9時アパートをでる。宿舎まで約45分歩いて宿舎へ。途中犬山ハーフマラソンのランナーを見かける。人が走っているのを見ると、なんとなく血が騒いでくる。もうしばらく走っていない。走りたいよなあ。木曽御岳がきれいに見える。昨日とはうってかわって快晴。宿舎で、カザフのベックたちと世間話。カザフのサーカスの状況、中国からローマに追い出されたデニスやファリダの近況もわかった。なによりも気の毒なのは、中国からアルマトゥイに戻るバスの中で、デニスとファリダが有り金を掏られてしまったことだ。なんということだろう。
11時メンバーが宿舎に到着。みんな元気だ。部屋割り、宿舎の使い方を説明した車でリトルへ向かう。レストランで食事したあと、荷物が到着。それぞれ荷物を開け、すぐにセッティングにかかる。今日の到着組にはかなりハードなスケジュールなのだが、みんな元気に準備。カザフのベックの空中ものの仕込は簡単に終わる。問題は綱渡りのアンカー問題。これについては道具が今日はそろわないということで、明日に。車で駅前まで送ってもらう。イトーヨーカドで買い物。時間を決めていたのだが、なかなか皆そろわない。やっとそろったところで、アパートまで歩いて帰る。なんか疲れてしまった。タクシーでアパートへ。簡単な食事をして、横になったらうたたね。結局10時すぎには布団に入って寝る。

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2003年2月24日(月)

歩いて宿舎まで。出発の時間には全員そろわず。結局乗ろうと思っていたバスには乗れず。
まずは綱渡りのセッティング。一回張ってみるが、アンカーが十分ではないことがわかり、また道具を用意してもらうことになった。めいめいリハーサルをしたあと、オープニングのリハ。イタリアの二人組はなかなかにぎやかで、いろいろ演出に口をはさむ。そのこともあってか、なかなか思うように進行しない。まったりとした感じで、待ちが多くなる。月曜というせいもあるかもしれないが、あちこちから電話。
15時すぎ綱渡りのセッティング。やはりまたうまくいかず、道具の調達。綱渡りのルスを残して、他のメンバーはバスで駅前まで。今日は18時から歓迎会があるので、1時間近く時間があるので、待ち合わせ場所を決めて、自由行動。カザフ組のふたりを連れて、ホームセンターと100ショップに案内する。待ち合わせの時間にまたしても全員そろわず。20分近くまたしても意味もなく、待つことに。
18時すぎ歓迎会会場へ。カラオケがおいてあり、少し飲んだあとは、大カラオケ大会へ。イタリアのガウチョの兄弟が大活躍。まあずいぶんと歌っていた。とにかくこのふたりはにぎやかだ。
20時半すぎにおひらき。今日もなにをしたわけでもないのだが、疲労が濃いのは、あのにぎやかな連中のせいかもしれない。
24時前に就寝。

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2003年2月25日(火)

昨日は乗れなかった9時6分のバスに、今日は全員乗車。まずは昨日少しだけしか練習できなかったオープニングの合わせ。何回かやってやっとかたちができてくる。今回はイタリアのコーディネイターの義妹が、振付師として来日している。いろいろ時間がかかるのは、彼女の振付に、アーティストたちがいろいろアイディアを出しているからだろう。見ていてていらいらすることもあるが、みんないいものにしたいということなのだから、黙って見守るしかない。昼食タイムをはさんで、途中にいれるコントのリハ。カザフの夫婦と昼食時にまたいろいろ話す。なんでかしらないが、ふたりといると落ち着く。やはりカザフ人とは、馬が合うのかもしれない。
オープニングから一通り通して流してみる。ここで道具の出し入れ、命綱を誰がもつかなど、段取りを決めていく。全体的に音楽も衣装も、スペイン風で、華やかでいい構成になっているのではないだろうか。最後にフィナーレのリハ。
今日はもうバスがないので、車で駅まで送ってもらう。外人登録用の写真を撮って、メンバーとは解散。途中スーパーで買い物。家にたどり着いたのは、20時半頃。携帯にリトルから留守電、メンバーのひとりがパスポートを落としたらしい。宿舎の近くのホテルのフロントで預かっているとのこと。大野に電話。
今日も自炊。夕飯を食べたら、もうなにもする気がなくなる。テレビを横になってみて、12時すぎには就寝。

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2003年2月26日(水)

今日は自分が遅れてしまう。ちょっとの差で電車に乗れず、いつものバスに乗り遅れる。ずっと悩まされ続けていた足もとフラフラする感じ、首の痛みがここ数日ほとんどない。こんなことは何ヵ月ぶりだろう。前回ウクライナでリトルに来たときは、一日中ホテルで寝ていたり、病院に行ったりと、まさに絶不調のさなかにあったのだが、あの時と比べたら雲泥の差だ。
午前中一回通しでリハ。道具の出し入れ、ヘルプなどをチェックする。大体全体が見えてくる。
午後1時からCF撮り。毎回のことだが、同じパターンで進む。3時ぐらいに撮影終了。このあとそれぞれがリハ。4時のバスに乗って、駅へ。カザフのふたりが買い物に付き合ってくれというので、イトーヨーカドに寄る。他のメンバーが若いし、元気も良く、言葉も多少英語はできるといっても、そんなに自由にできるわけではないので、ちょっと浮いている感じがするが、長年あちこちのサーカスで働いているのだし、大丈夫だろう。
6時すぎにアパートに戻る。少し休んで、焼きそばをつくって夕食。
食事のあと、テレビを少しみたあと、ほんとうに久しぶりに神の原稿を書きはじめる。
1時すぎ就寝。

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2003年2月27日(木)

風が冷たい。今日はリトルが休館日なので、バスはでていない。まずは市役所で外人登録手続きをしたあと、三台の車に分乗して、リトルへ。
11時半から衣装をつけての通し。リトル側からのダメだし、演出サイドからのダメだしが出され、どうするか打合せ。全体的には大きな問題がないのだが、オープニングから最初の演目へのつなぎや、ローラーバランスの道具の出し入れなど、スムーズにいかないところを直す必要があるだろう。これを受けてオープニングの手直し。
15時半からもう一回通し。オープニングはずいぶんと良くなった。まだ流れで直さなくてはならないところがあるが、明日のゲネプロを録画して、それをみながら手直しすることに。外はだいぶ寒くなってきた。
17時半車で駅まで送ってもらう。いったんアパートに戻ったあと、演出とコーディネイトを頼んだアレクサンドロと妹、大野、Kさんとでうなぎ屋で食事。名古屋名物ひつまぶしを食べる。久しぶりにまともな食事をしたような気がする。アレクサンドロは、サーカスをテーマにすでに三冊の本をだしているとのこと。日本人ジャグラー高島のことも知っていた。21時半帰宅。
神の原稿の続き。

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2003年2月28日(金)

今日は公開ゲネプロの日。メンバーは10時すぎに再度通しをやって、チェック。しかしリトルでいままでこれだけ通しをしたグループはいないのではないだろうか。ずいぶんとテンポがでてきたような気がする。今日の昼飯は、みんなサンドイッチ。
アレクサンドロから、彼が書いたジャグリングの本をもらう。写真は図版もたくさん入ったなかなか面白そうな本。タカシマの写真もでていた。
13時から公開リハ。お客さんも結構集まる。実際にお客さんがいると反応がわかるので面白い。ジャグリングが結構反応があった。事務所でビデオをみながら、再度ダメだし。ベックのローラバランスの荷物の出し入れについて、慌てないように注意する。本人もビデオをみてわかったようだ。
18時半から居酒屋で、リトルの担当の人たちと一杯やる。途中西田と辻も加わる。
Kさんの車で公団まで送ってもらう。明日はここを引き揚げることになるので、少し整理。
12時すぎに就寝。

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