月刊デラシネ通信 > その他の記事 > クマのお仕事日誌 > 過去ログ2003年3月分

クマのお仕事日誌

2003年3月1日(土)

天気予報の通り、朝から冷たい雨が降りしきる。荷物があるので今日はバスで新鵜沼の駅まで。ジャグラーと綱渡りのルスは一本前のバスで会場入り。雨もそうだが、寒い。4年前のモンゴルの初日を思い出す。あの時は雪が降ってきた。この雨でどれだけ人が集まるか心配になる。
11時前、半分の客席が埋まるぐらいの人が集まる。本社関係の関係者の人も数多くみかける。
最初のヘススのジャグリングの演技をみていると、白い息が見えた。そうとう寒いし、手もかじかんでいるはずだ。お客さんの受けはいい。ただ時間が昨日のゲネの時より長くなって、52分弱。ちょっと長い感じがする。さっそくダメだし。2回目の公演が終わったところで、レストランで食事。リトル側からのダメだしもこの時だされる。3回目、ずいぶん良くなった。お客さんは減る一方なのだが、しかたがない。雨は強くなる一方だし、寒さもますばかり。明日の日曜は天気もよく、暖かくなるというから、どっと人が押し寄せることであろう。
バックヤードでシャンパーンで乾杯。
18時半からまた昨日の居酒屋で、メンバーを集めて幕が開いたお祝いを。20時前になったところで、今日東京に戻る、自分と西田、辻は引き上げることに。
21時すぎの新幹線に乗り、新横浜まで。ずっと寝ていた。24時前に帰宅。

このページのTopへ

2003年3月4日(火)

昨日は休み。一日中横になって寝ていた。少しは身体が楽になった。
朝出勤してまずは調子の悪くなったパソコンを辻君に見てもらう。メモリーが足らなくなったらしい。いろいろファイルを移して、なんとか100MGを確保、とりあえずワープロは動くようになる。
ロシア行きの件で、旅行会社の人が招待状とパスポートをとりに来る。なんとかビザの方は、至急扱いではなくても間に合いそう。
ビザの取得の件で、シンガポール大使館に電話。どうして場所が変わると、手続き方法がちがってくるのだろう。
16時ある代理店が来社。再来週のイベントの件で打合せに来る。またずいぶん急な話である。
今日は気功の日。また少し首のあたりが重い感じになっていたので、ちょうどよかった。21時半すぎ帰宅。

このページのTopへ

2003年3月5日(水)

午前中今後の仕事について打合せ。ロシアへ行くまでやらなくてはいけないことが見えてきた。12時前に会社をでて、クラブチッタへ。最終的な精算の数字がでる。予想以上の赤字。次回の公演については、きちんと集客できるような体制づくりをしないとできないということだ。
そのあと新しい企画の話を、担当者を交えて、打合せ。
15時半ぐらいに打合せを終えて、いったん会社に戻る。ひとつ気になっていた3月に来日するメンバーの在留資格認定証がやっと到着していた。二度手間をかけたくないので、提出する書類の確認のためにウクライナの日本大使館に電話。書類については、外務省のHPを見ろとそっけない。しかもあとでHPを見たら、そんなに詳しくでていないではないか。ちょっとひどいよなあ。
モスクワから戻ってきたplanBのS氏と電話で打合せ、懸案になっていたカバチッタ反省会の日取りを、10日にする。メールでパフォーマーたちに流す。
18時半会社をでる。

このページのTopへ

2003年3月6日(木)

ひとつ気になっているのが、今度大阪に入れる芸人がなかなかつかまらないこと。在留資格認定書はとれたものの、その確認のために何度か電話しているのだが、つかまらなかった。やっと早朝電話して捕まえる。ほっとする。今日海外公演から帰ってきたばかりだという。一安心。
ということでまず査証を入手するための書類を作成。
野毛の契約書も作成。
ロシア行きのスケジュール表を作成する。
16時前に会社を出て、野毛の事務所へ。契約書にハンコをもらう。今度のゲストのロシアのグループ公演について打合せ。モスクワで打ち合わせる内容を確認。
18時半から横浜にぎわい座へ。ほぼ満員の盛況。クレーパッチやマサヒロ水野の姿も見かける。公演後楽屋に行き、S氏に挨拶。カバチッタ見に行きたかったのだが、行けなくて残念、とても関心がありそうだった。
外に出たら、雨。波の上に寄ろうと思ったのだが、腹も減っていたし、ラーメンを食べて、今日は真っ直ぐ帰ることにした。

このページのTopへ

2003年3月7日(金)

ロシア行きの旅程、金額が出てくる。それをスポンサーにFAXで流す。ほんとうに延期になってよかった。延期にならなかったら、とてもこんな具合にはいかなかっただろう。
4月19日から福岡に入る芸人の契約書を作成。メールで送る。よくよく考えてみたら、19日から野毛の大道芸。福岡にも立ち会わないとまずいし、野毛に入る芸人の来日は17日。完璧にかち合ってしまっている。いままで気づかなかった。基本的には福岡に立ち会うことにする。ということは17日の小出のライブにも立ち会えないということだ。あれまあ。
16時すぎに会社を出る。京浜東北線が人身事故で止まっていたので、品川から京急で横浜まで出て、関内へ。野毛の『波の上』で知り合いになった眼鏡屋さんに寄って、遠近両用眼鏡をつくる。
19時ちょっと前に、『ミステリアブッフ』を見に、神奈川県民ホールギャラリーへ。
なかなかの人出。あちこちで知り合いの顔を見かける。ロシア関係の人たちはほとんど見かけず。パフォーマンス関係の人が多い。21時半終演。
23時前に帰宅。やっと雨もあがっていた。

このページのTopへ

2003年3月10日(月)

午前中ミーティング。山形のスポンサーから電話。夏にサーカスをやる話がかなり具体的になってきたようだ。
ロシア行きの最終的な請求書がきたので、振込。13時近くのゲストハウスに行き、ハドガーのチェックアウトに立ち会い。ハドガーは昨日というか今日朝まで、飲んでいたらしく、フラフラ状態。荷物を持って、会社まで。『ミステリア・ブッフ』の仕事は最初はしんどかったようだが、ずいぶんと刺激になったようだ。ギャラと交通費を支払う。いそいで弁当を食べて、planBへ。
15時からカバチッタ反省会。それぞれの反省点、構成や客席のつくりについて、意見を聞かしてもらう。次回の内容についても話を聞く。18時終了。こうじとKajaと三人で新宿の居酒屋で反省会の続き。二軒目は石橋さんのやっているゴールデン街の『ガリガンチュア』。だいぶ飲んでしまった。磯子行きの終電に間に合わず、桜木町からタクシーで帰る。えらい出費になってしまった。

このページのTopへ

2003年3月11日(火)

朝起きれず、昨日の酒がかなり残っている。会社に遅れる旨電話したら、山形のスポンサーに電話せよとのこと。電話したら、いきなり、いつまで家にいるんだとかまされる。夏の企画の方向性がかなり明確になってきた。
12時出社。やらなくてはならないことが、山ほどあるのに、二日酔いで仕事は進まず。14時すぎに新宿の病院へ。先日撮ったMRの結果は異常なしとのこと。だが12月の検査の結果は、かなり数値が高い。
会社に戻り、キエフに電話。大阪に入る芸人の査証の書類が着いたかどうか確認。今日届いたという。明日大使館に申請しに行くとのこと。もう一度明日連絡することに。
野毛に入るロシア人チームの人数をひとり増やしてもらいたいという連絡。五歳の子どもなのだが、ファミリーというのがテーマなので、いいと思う。航空券だけの問題なので、値段を調べてもらう。野毛にも連絡。
もうフラフラ状態。身から出た錆っていうやつだなあ。
18時半から気功。だいぶ良くなった。帰りに佃煮をお土産でもらう。これが旨いんだ。
21時半帰宅。しかしなにもロシア行きの準備してないだよなあ。

このページのTopへ

2003年3月12日(水)

明後日からモスクワ。やることが山のようにたまっている。まずはモスクワに持っていく打合せ用の書類を準備。民族アンサンブル関係で打合せ事項をFAXでもらう。キャナルに4月に入るウクライナ組の査証申請用の書類を揃える。同じ時期に来日する野毛組の書類で揃わないものがある。ペーチャに連絡。明後日の申請は難しいかもしれない。これもまた時間との闘いになりそうだ。
14時六本木で秋以降の企画でプレゼン。いくつか興味を持ってせらったものもある。至急バジェットとビジュアル資料を提出することに。
帰り駅に寄って、成田エクスプレスの切符を購入。
18時まえに会社を出て、銀座へ。久しぶりの銀座だが、前いた会社の近くにラーメン屋林立しているのに驚いた。そのうちの一軒でラーメンを食べてから、小出のライブ会場へ。
いい公演だった。進化しているという感じだなあ。
22時すぎに帰宅。キエフに連絡、大阪に入るウクライナのパフォーマーは、今日大使館に行き、無事書類を受け取ってもらえたとのこと。航空券も買ったという。まずこれでこの件は一安心。モスクワに電話、野毛組の書類の件で、自宅に電話があったらしい。ちょっと明後日の申請には間に合わなそう。
なんとか火曜日に申請できればいいのだが。一段落ついたところで、モスクワ行きの荷造り。なんでこんなに荷物が多いのと思ってしまうのだが、毎度のこと。ヘルスメーターで測ったら、23キロだった。

このページのTopへ

2003年3月13日(木)

出勤途中、確定申告の申請を投函。あれだけ医療費に金かけて、領収書を一生懸命集めて、昨日作成してみたら、2800円しか戻らないことがわかって落ち込んでしまった。4月から3割負担になるというし、病院に通うのもちょっと考えものである。
ヨドバシに寄って、デジカメ用の備品を購入。電池やカードで1万近くになってしまった。なんでこんなに高いの。
キャナルにはいるキエフの芸人から契約書がFAXで送られてくる。モスクワから野毛に参加する芸人の芸歴書が来ていた。野毛組の査証申請用の書類を作成。今日は東大の史料編纂所で講演会があるのだが、ちょっといくのは無理そう。残念だがしかたがない。
GWの川崎の大道芸の出演者について回答がくる。こうじと重森に連絡。
クラスノヤルスクからメール、空港には市のお偉いさんが迎えにきてくれるとのこと。どんなことになるのか?
先日のカバチッタのミーティングを踏まえ、チッタの会場をいつ押さえるかについて、チッタと打ち合わせ。いろいろやりとりがあったが、9月13日(土)を押さえてもらう。メンバーにこの件でメールを流す。とにかく早めに早めに動いていかないと。
航空券やらビザやら送られてくる。いよいよ明日なわけだ。
野毛でやる小出たちのライブがキャナルに行く日と重なっていたのであるが、調整のうえ、このライブが終わってからキャナルへ入ることにする。昨日小出やVJに立ち会えないと言ったらかなり白い目で見られていたので、少しほっとする。しかし、今年は重なる日が多い。夏もかなりバッティングしている。早稲田の今年の授業の日程をもらって、返事をしようと思ったら、かなり厳しい状況にあることがわかった。まあ忙しいのはいいのだけど・・・
いつもより30分ほど早めに退社。20時前に帰宅。

このページのTopへ

2003年3月24日(月)

ロシアから戻り、土日2日間ほとんど寝ていたような気がする。昨日もかなり早く寝たはずなのだが、朝どうしても起きれず。結局2時間ほど遅刻して出勤。電車のなかでもずっと寝ていた。まずは今回の出張の一番の目的だった民族アンサンブルとの打合せの件について、クライアントに報告。今週金曜日に会うことにした。
あとはいろいろ書類の整理。精算には手がつかず。明日だ。
キエフに電話、29日に来日するイリーナに便名を確認するが、手元に切符がないのでわからないという。アエロフロートのサイトを見て、時間を確認。
『東京かわら版』に大友氏が書いたカバチッタVol.2の評が掲載されていた。
夕方近くになって、何故かくしゃみを連発。鼻水も出てくる。モスクワでひいた風邪がぶり返したのかもしれない。ということで今日は19時半でひきあげることに。

このページのTopへ

2003年3月25日(火)

一日中雨の肌寒い日。多少は楽になった気がする。定時に出勤。ウクライナのアーティストの在留資格認定書がまだ届かない。ちょっと気になるところ。現地大使館に提出する書類を作成しておく。大阪の劇場に提案する番組を選ばなくてはならない。3時間ほどロシアから持って来たビデオや、いままで見ていなかったビデオを見ながら、ダビング。とりあえず9演目をセレクトして、宅急便でスポンサーに送る。
タシケントのローマのお姉さんから電話。ビデオを送ってくれるとのこと。
携帯が完璧におかしい。アンテナが立たないし、まったく通じない。電池をとってまたつけたりしたのだが、直らない。ドコモショップに持っていく。内部がいかれてしまったので、新しいものに替えてもらう。ただ登録していた電話番号のメモリーがどうしてもとれないので、手作業で入力しなおさなければならないことがわかる。えらいことだ。時間がないので、今日は新しい電話だけもらって、入力作業は明日することにする。
そういえばパソコンのメールのアドレスも、移行中におかしてなってしまった。ロシア病にでもかかったのかしらん。
18時半気功へ。先生いわく身体がガチゴチになっているという。無理もないわなあ。いつもより15分ぐらい長く治療してもらった。21時すぎに帰宅。
モスクワで買ってきたDDTの新作アルバムを聞きながら、バーボンを飲む。これはいう曲はないが、あいかわらずシェフチクはいい。

このページのTopへ

2003年3月26日(水)

出勤前に銀座の床屋に寄って散髪。ずいぶん伸びてしまった。「お客さんは髪の毛が減りませんね」と言われて思わず苦笑。会社に着いてすぐに、待ちに待っていた在留資格認定書が、届く。良かった! すぐに大使館に提出する書類を作成して、コピーをとりEMSで送る。これでなんとかギリギリだが間に合うはずだ。一応念のためにキエフのアーティストに電話。受け取ったらすぐに大使館に行き、こちらにも連絡するように伝える。
これでひとつすっきりする。
4月17日のにぎわい座公演の劇場下見と、メンバーとの打合せの日程を決める。あっという間に売り切れかと思っていたが、まだ20枚程度しか予約が来ていない。少し真剣にやらないといかんかもしれない。絶対面白いんだけどなあ・・・・。
携帯電話のメモリーを書き写すために、一日だけという条件で、前に使っていた携帯を借りることに。かや子にアルバイトとしてこの作業をやってもらうことにする。
18時すぎに会社を出る。

このページのTopへ

2003年3月27日(木)

朝がかや子から携帯を受け取る。なんでも朝6時に起きて、メモリーの移しかえをしてくれたとのこと。がんばってくれたわけだ。助かった。
関内の眼鏡屋さんに寄り、ロシアに行く前につくってもらった眼鏡を受け取る。今度のは遠近両用。いままで使っていたのが、中近両用、足元がちょっと不安な感じ。まあ慣れれば大丈夫だろう。
出社して、まずこの秋に招聘する民族アンサンブルのビデオをダビング。モスクワでデジカメで撮ったもの、ボーカルのおじさんからもらったビデオをダビング。
昨日ハドガーが送って来たビデオをチェック。夏の企画としてに提案する素材。
14時に代々木駅でロシア人と会い、ビデオを受け取る。
会社に戻って、ロシア民族アンサンブルの資料を翻訳。
キエフのイリーナに電話。昨日無事に査証をもらったとのこと。29日10時40分に成田着の飛行機で来日。
野毛に出演するペキーノフファミリー公演のことで、大事なことを聞くことを忘れていた。モスクワのペーチャに質問状をFAXしておく。
18時にあがり、高田馬場の居酒屋へ。早稲田のI先生、F君、出版社の人2人と一杯やる。なんでもサーカス事典のようなものをつくろうということらしい。面白い話なのだが、たいへんだろうなあ。結構遅くまで飲んでいた。品川からの京急の最終で帰宅。

このページのTopへ

2003年3月28日(金)

昨日の深酒が重くのしかかる。かなりきつい。
12時30分ロシア民族アンサンブルの件で、クライアントと打合せ。モスクワでもらって来た資料、撮影した資料を渡す。これでこの件については一段落。あとは10月の本公演が始まるまではさほどやることもない。
モンゴルのビデオをダビング。クライアントに送る。野毛に参加するロシアチームの在留資格認定書が届く。これはわりと早かった。子どもの分を別申請しているので、それが来るのを待って送ることになる。いないあいだに来ることも考えて、すぐに送れるように資料を準備する。
18時すぎに会社を出て、半蔵門のFM東京ホールへ。三雲やKaja、こうじが出演する津軽三味線とのコラボレーションの公演を見る。230席のホールは立ち見も出るほどの盛況ぶり。中身もなかなか充実していた。三人ともよくがんばったと思う。自分の芸だけでなく、手踊りまでさせられていた。稽古も大変だったろう。22時30分帰宅。

このページのTopへ

2003年3月29日(土)

朝9時半横浜発の成田エクスプレスに乗って、成田空港へ。飛行機は定時到着。イリーナもすんなりと出てくる。別に問題はなかったようだが、フラフープを無理やり預けされ、それが少しひん曲がっていたのが、気になるようだった。リムジンで東京駅まで行き、のぞみで新大阪まで。バスの中で、昨年来たウクライナサーカスのメンバーの近況を教えてもらった。一番驚いたのは、あとから参加したアクロバットカルテットが一昨日、イスラエル公演に向かったということ。なにもこんな時期に行かなくてもいいものを・・・・・
16時前に新大阪到着。タクシーでNGKへ。まずは楽屋に道具をおいて、劇場見学。気にしていたフラフープは特に問題はなさそう。ゲストハウスにそのまま行き、荷物を置いて、近くのスーバーで早速買い物。その足で、近くのお好み焼き屋で食事。あいかわらずこの娘は偏食だ。ゲストハウスに送る。明日13時に迎えに来ることにする。一緒に食事したマジシャンのHさんの車で梅田まで送ってもらう。
大野たちは九条というところで飲んでいるということだったが、遠そうだし、行くのも面倒だったので、部屋でバーボンを飲みながら、釣りバカ日誌を見て、そのまま寝てしまう。

このページのTopへ

2003年3月30日(日)

12時前にナビオに楽屋へ。芸人さんたちがみんな揃っている。M氏から電話、イリーナを連れて梅田まで来てくれるとのこと。10日前に始まったこのイベントも、今日が最終日。ほとんど現場の仕事はなにも手伝うことができなかった。完璧に丸なげ状態。今日はビデオ撮影をすることに。13時すぎからまずファイブで、オーストラリアのロボットパフォーマンスを撮影。そのあとイリーナたちと合流。サブリミットの公演を見る。イリーナは気に入った様子。そのあとナビオの前で、がーまるの公演を見る。Mさんは大受けしていた。スプラットのパフォーマンスを見に、またファイブへ。このあと、イリーナたちとは別れ、ナビオ前で公演していた大阪の囃子ものを撮影。今度は三番街に行って、ロボットをもう一度撮影。少し時間があいたので、ヘップホールに挨拶。
日本のパフォーマー9人がヘップ内をロービングするというので、それを撮影。これだけのローピングはなかなかない。迫力があった。これでフェスティバルも終了。楽屋で後片付けを手伝う。19時半から打ち上げ。だいぶ飲んだ。ここに合流したヘップホールのFさんと、新阪急ホテルの地下のバーで飲みなおし。バーボンをダブルで5杯飲む。飲み過ぎだっちゅうの・・・
またそのあとメンバーと合流、あとはまったく記憶にない。

このページのTopへ

2003年3月31日(月)

13時すぎに携帯に電話が来たので目が覚める。頭ガンガン、足元フラフラ状態。シャワーを浴び、まずは揚子江で胃に優しいラーメンを食べ、地下鉄に乗って、難波まで。駅からゲストハウスまでやっとの思いで歩いたという感じ。イリーナはもう出たあとという。劇場へ向かう。
挨拶まわりをする予定だったのだが、年度末で皆さんお忙しいようで、タイミングがあわない。イリーナもそろそろウォーミングアップをしなければということで、劇場脇のスタジオへ。ウォーミングアップ後、コスチュームに着替え、18時にスタンバイ。ただ本番がかなり押しているようで、やっと18時20分すぎに終わる。そのあと後片付けをしたあと、リハーサル。明かりについては、昨日打ち合わせていたので、その確認。立ち位置を決め、軽くリハをしたあと、通しでやってみる。劇場支配人ほか、関係者が厳しい目で客席から見守る。Tさんもやって来る。一回やって、ダメだし。照明についてイリーナからも注文。再度通しでやる。終わったあと担当のM氏と打合せ。ビデオで見たときはソンテ感じなかったのに短く感じるという。短いというか物足りないということなのだろう。どうしたらいいかを少し打合せ。イリーナもかなり緊張はしていたようだが・・・
とにかく明日本番で客が入った状態でどういう反応があるのかを見てみようということになる。もう今日はフラフラ、M氏もこれを見て、さすがに飲み行こうと誘ってくれなかった。タクシーでホテルへ、コンビニでビールと簡単に食べるものを買って、部屋で食べ、すぐにベットに横になる。22時前には就寝。

このページのTopへ


過去ログ一覧へ デラシネ通信 Top