月刊デラシネ通信 > その他の記事 > クマのお仕事日誌 > 過去ログ2003年8月分

クマのお仕事日誌

2003年8月5日(火)

昨日久しぶりにジョギングしたので、情けないことに足が痛い。
明日リトルに出演するアーティストの査証申請をしなくてはならないので、その書類を作成するのが、今日の大きな課題。
いろいろほかにやらなくてはならないことがあるのだが、とにかくこれに専念することに。
書類をつくる段になって、パソコンに入っているはずの書類がなく、それを探すので、大幅に時間をとられてしまう。
大野が言っていたように、きちんとフォルダーで処理管理しないとこんなことになるわけだ。
のべ3時間ぐらいは、パソコンに入っていた書類だけでなく、書類自体探すのに、使ったような気がする。
ということで、延々22時すぎまで、書類作成。最後のところで同伴することになっている2歳の子供のパスポートコピーがなく、書類が作れないことがわかる。
ハーリックに電話、彼らはいまクラスノダールからカザフまで移動中、汽車に乗っているところで連絡がつかないという。
アルマトゥイに着くのが、9日になるという。お父さんは、キルギス人、お母さんはロシア人、どちらのパスポートに子供の分が入っているか、国籍はどうなっているかは、ここで判断はできない。おっ
結局は、子供の分は後回しにすることにする。
夕飯も食べずに、22時まできつい。ただこれで明日申請することができるので、一安心。
24時前に帰宅。

2003年8月5日(火)

いよいよ今日から小倉行き。4日分の重たい荷物を持って出勤。辻君が入管に申請へ。事務所を離れることになるので、外でもデーターを使えるようにデーターを移行。
秋の仕事の件で、あちこちにメールを出しているのだが、一番気にしていたグループからOKのメール。一安心。
上京中のサーカス学校の先生が、来社、ずっとビデオを見ている。ぜんぜんみることもできずに積んであるビデオがたくさんあるのだが、その中から先生ご推薦のビデオは別にしておいてもらうことに。
14時すぎに会社を出る、今日は千駄ヶ谷駅付近は朝からすごい人、レアルの試合のため。昼食を食べる時間がなかったので、空港でパンを買って、搭乗口で食べる。食べ終わってふとゲート番号を見たら、福岡行きの6ではなく、9。これで乗れなくなったら笑い物、あわてて移動、なんとか間に合う。
18時前に福岡着、国際線のターミナルへ移動。ソウルからの飛行機は、もう到着していた。15分ぐらいで4人が出てくる。元気そう。ベックたちとは一ヶ月ぶり、ジャグリングのダスバトゥイリョフ兄妹とは、5年ぶり、大きくなったものだ。
タクシーで博多駅、博多からこだまに乗って小倉へ。出迎えの人から遅れるという連絡。30分ほど待ち、ウィクリーマンションの鍵をもらい、タクシーで移動。
荷物をおいて、使い方を少し説明し、近くの焼き肉屋で食事。着いたばかりで、そう食べたくないのかと思っていたが、4人ともガンガン食べる。
8時半すぎ、4人と別れ、自分のホテルにチェックイン。パソコンの設定をして、衛星でレアルの試合を見て就寝。

2003年8月6日(水)

10時に目が覚める。10時にメンバーのホテルに行くことになっていたので、あわてて宿舎に電話。1時間後に行くと伝える。
今日は蒸し暑い。今年一番の暑さらしい。宿舎で、いろいろ書類に記入してもらう。部屋の方は問題ないようだ。電話の受け方だけを説明。そのあと歩いてリバーウォークへ向かう。ダウレットがインターネットをつかいたいというので、キンコースを教えておく。
小倉はよく来るところだし、二年前はカザフサーカスが公演したこともあるので、土地勘はあるところだ。しかしこのお城の回りの景色はすっかり変わってしまったものだ。
ショーをする場所を見学、そのあと外人登録の用紙をもらいに区役所に寄る。
そのあとは商店街へ。100円ショップで買い物に付き合う、自分もなんかしら500円分買ってしまった。
このあとは自由で動きたいというので、電話のかけかただけ教えて、別れる。
ホテルの近くのさびれた中華屋で遅い昼食をとって、ホテルに戻る。
どうも台風が近づいているらしい。明後日あたり九州を直撃するかも、リハと仕込みの日なのだが、どうなるのだろう。
今日イタリアから戻った大野と、秋の企画の件で電話で打ち合わせ。これをなんとか処理しないといけない。

2003年8月7日(木)

台風10号が接近しているのが気になる。どうも明日はやばそうだ。気が重くなる。ハンガリーチームの公演が15時からというので、14時に現場集合という連絡をする。
小倉の街を歩いてみる。古本屋が多いところだ、この街は。ナガリ屋という素敵な新本屋さんもある。この本屋は、売れる本を山のように置くために、スペースを拡大する時代にあって、ポリシーを感じさせる数少ない本屋だ。こういう本屋さんがあるというのはうれしい。その反面残念なのは、前に来て、ロシア関係の本を買った古本屋さんの入り口に、8日で閉店しますという貼り紙がしなあったこと。
大野から電話、今日の朝福岡に来ているという。秋の企画の件で打ち合わせ、今晩会うことにする。
14時リバーウォークの現場で集合、このあとリトルで働く2人は、滞在が3カ月を超えるため、外人登録をしなくてはならない、近くの小倉北区区役所に行く。
窓口のおじさんが、めちゃくちゃ丁寧な人で、手続きに30分ぐらいかかってしまう。やっと終わって外に出ようとすると、すごい雷雨。身動きがとれなくなる。現場に電話をするとハンガリーのショーも中止になったという。
とえあえず音源だけでもつくろうということになる。タクシーでホテルに寄り、音源をもって、リバーウォークへ戻る。ここで音源をダビングする。
ダビングを終えて、新幹線に乗って博多へ。大野と秋の企画の件で打ち合わせ。そのあと福岡にいるK氏に電話、一緒に食事をすることに。
久しぶりに会うK氏だったが、いろいろあったのだろうが、なにかふっきれた感じ、あの情熱まっしぐらの熱弁を延々聞かされる。なんとも気持ちいい、熱弁だった。
23時前の新幹線で、小倉に戻る。

2003年8月8日(金)

予定では9時から仕込み、リハなのだが、7時すぎにY氏から電話、台風のため仕込みは中止。ホテルの窓から見ても、かなりの雨。昨日食い損ねた朝飯を食べて、メンバーに電話、とりあえず9時集合はなくなったことを連絡。
もう一度ベットに入り、寝てしまう。昼過ぎ目が覚める。窓の外をみると、通行人は傘をさしていない。テレビをつけると、どうも台風は四国に向かっていることもわかる。現場に電話。イベントはやることになったらしい。その合間を縫ってリハをすることにする。15時半現場集合という連絡をメンバーにする。
遅い昼飯を食べて、新幹線口にある古本屋をのぞいて、現場へ。リハをすぐにするはずだったのだが、ダウレットが道具をひとつ忘れてきたというので、ホテルに戻る。
道に迷ったのかどうかわからないが、1時間半後にやっとアーリャが現場に現れる。18時からショーなので、時間は1時間ぐらいしか残っていない。とりあえずオープニングとフィナーレのリハ。
ベックの踊りが、まるで蛸踊り。リズム感がまったくないおっさんだ。この振り付けはダウレットがしたというが、なかなかセンスがある。キラキラ光るものがある。将来が楽しみだ。
18時からのハンガリーチームのショーを見る。シーソーアクロはなかなかいい。
このあとコンサートがあるので、ステージが空くのは、20時。いったん解散することにする。ラーメンを食べる。
20時からリハ、風が強いので、ジャグリングがうまくいかない。久しぶりにローラに乗るベックも、バランスがうまくとれない。
音と流れについては、スタッフさんにも把握してもらうところまではいった。とにかくつり込みをしないと、空中リングのつり上げ、命綱の取り外しなどのチェックができない。とにかく明日つり込んでからだ。
台風のせいで、だいぶ不安は残るのだが、とにかく明日だ。
いま自分が請け負って仕事をしてもらっているパフォーマーが3組いる。彼らから立て続けに連絡が入る。
別にたいしたことではないのだが、みんながんばってくれている。ありがたいことだ。
22時リハを終え、帰宅。
台風は四国に向かっているようだ。

2003年8月9日(土)

朝起きて外を見たら、雨。台風のはずじゃないのといいたくなる。ほとんどリハらしいリハはできていない。今日の午前中どれだけやれるかにかかっていたのに。
とにかく今日でチェックアウトなので、荷物の整理。小倉駅に荷物を預け、9時半にリバーウォークの現場へ。つり込み用のクレーンは降りていた。まもなくベックが現れ、つり込み作業開始。つり込み自体は30分ぐらいで終わる。
通常のつり込みとちがうのは、一点吊りということ。どうしても不安定になる。とりあえずリングだけでも試してみようということになったのだが、雨がひどくなる。ベックはかなりいらついていた。無理もない、スペインサーカスが終わってから、一カ月ほとんど練習をしていない。しかも昨日のリハでは、ローラーから落ちまくっていた。
ローラーバランスの最後のトリック、パーチがどうなるのか、一番気にしている。雨はいっこうに止む気配はない。
午前中に予定されていたリハどころか、14時からの一回目の公演も中止に。16時半からステージが空くので、それからリハをすることになった。
なにもすることがなくなり、とりあえず昼食、そのあと小倉城内にある、松本清張記念館を見学。生前松本清張が使っていた書斎、書庫を復元しているところが、味噌。
15時過ぎここを出るときに、やっと雨が上がる、青空も。大野から電話、福岡空港にいるらしいが、羽田行きの飛行機がかなり欠航になっているらしい。
昨日の段階で、最終便の特割のフライトを予約していたので、成り行きを見るしかない。
16時半からとりあえず、リングの試し乗りをする。17時からステージを使うので、それが終わるのを待って、ベックがやっとパーチのリハ。
全然ダメ。明らかな練習不足。もう時間がない、18時の公演はほとんどぶっつけ本番。
ベックがかなりナーバスになっている。始まる前にどうしてここまで来てしまったのだろうと泣き言も出る。本番前に何度もお祈りをしていた。
オープニング、リング、ジャグリングは問題なし、ローラもほとんど問題なかったのだが、やはり最後のパーチで失敗。
ただ今回の失敗は、納得がいったようだ。次は大丈夫だと盛んにいっていた。あとは回数を重ねることだろう。
19時半、気持ち的にはすっきりしないのだが、もう帰られないといけない。みんなに別れを告げて、小倉駅に出る。
20時半福岡空港着。やはりダイヤは大幅に乱れている。21時半の予約していた便は、搭乗手続ぎを中止。カウンターに行くと、19時半の飛行機で、2時間遅れになっている便に振り替えてもらう。
結果的には21時半出発となった、この便に乗ることに、ほとんどのお客さんは、ずっと2時間近く待たされていた人ばかり。ある意味ではラッキーだったのかもしれない。
23時半羽田着。京急のほぼ最終で、帰宅。時計は24時を回っていた。本当に疲れた。
2時半就寝。

2003年8月10日(日)

奥さんと結子は白州に朝6時半出発。かや子は明日のコンクールの練習のために、10時家を出る。ものすごい暑さ。
家でこまごまとしたことをして、12時半家を出る。
13時半小倉に電話、ベックはやはり最後のパーチのトリックを失敗したという。あとは慣れだと思うのだが。
昼飯を食べ、チッタへ。担当のDさんを見かける。昨日は雨で、ハドガーは室内でやったらしい。Dさんは犬のハルちゃんをかなり気に入っているようす。
14時からハドガーのショーを見る。考えてみたら、ハドガーの犬のショーを見るのは今日が初めて。
暑いのでたいへんそう。ハルちゃんの演技は絶品だ。ただ構成をもう少し考えたほうがいいだろう。
公演後楽屋でハドガーと少し話す。国立モンゴルサーカスはいよいよ今年解散ということになりそう。ハドガーもなんとかしたいという気持ちでいっぱいのようだ。
いろいろなプランを聞く。たぶんなにか手伝えることがあるような気がする。
2回目のショーは見ずに、そのまま帰る。

2003年8月11日(月)

いよいよ今日はかや子の県大会の日。本人はあまり緊張していない感じ。朝飯を食べて、自分が最初に家を出る。
奥さんからメ−ル。ゴミを出して、出勤。
リトルとウィンチの件で連絡、10月の敦賀博の件でリストを作成して、メ−ルで送る。秋の企画でプレゼンしようと思っているカンパニーからビデオが来る。ダビングして、宅急便で送る。
クライアントにその旨連絡を入れる。
13時半会社を出て、神奈川県民ホールへ。
場内は満員。かや子たちが出演する3つ前の学校の演奏から聞く。かや子たちの番。ちょうど上手側に陣取っていたので、パーカスはよく見える。
課題曲ではシンバル担当だったかや子は、自由曲の指輪物語では、大奮闘。ほとんどかや子しか見ていなかったが、全体的にもりあがりというか、メリハリというか、いい出来だったと思う。
打ち合わせどおり、演奏が終わって、記念写真を撮っているところへ行く。みんないい顔をしていた。全力を出し切ったという喜びを発散していた。
撮影後、半券を渡す。
19時前、かや子から電話、金賞だったという。東関東大会にはでれないとのことだが、満足のいく結果だったろう。
これで晴れて明日から白州へ行ける。
ブックレットのゲラが上がったので、それを執筆者にFAXで送る。

2003年8月15日(金)

今年の夏休みはあっという間に終わってしまった。いつもなら4泊5日の白州家族旅行も、自分とかや子だけは2泊3日。一日目はほとんど寝ていたし、二日目は午前中塩沢温泉でお風呂につかっただけ、身体気象農場にもいけなかった。
しかも漂流民のブックレットの初校ゲラがあがり、その校正もしなければならず、ゆっくりするどころのさわぎではなかった。しかたがない。こんな年もある。
ということで、3日ぶりに出勤。お盆ということもあり、静かなもの。ほとんど電話もなく、たまっていた仕事をゆっくりできた。
昼過ぎに、カザフの在留資格認定証が届く。いいタイミングだった。大使館に出す資料の件で、現地大使館に連絡して確認したうえ、書類を作成する。出来上がったのは18時過ぎでDHLの集荷が間に合わないと思ったのだが、今日は21時までやっているというので、今日出すことができた。
カバチッタの申し込み者にチケットを郵送。秋の企画の件で、大野と打ち合わせをしたうえで、だいたいのラインアップをつくり、来週火曜日にクライアントとアポをとる。
静かだと、仕事も進む。気持ちよく仕事を終え、18時すぎに帰宅の途へ。

2003年8月18日(月)

昨日は「大須オペラ」の打ち上げで結構飲んでしまい、ちと二日酔い。この公演をプロデュースした福田さんもかなり昨日は、へばっていた。
午後に福田さんから電話、もう一度来年やりたいと劇団の人に頼まれたという。確かに面白いものだし、やる意義はあるが、福田さんひとりの手でまた来年というのは、きつい話。福田さんは十分に役目を果たしたわけだけから、次回やるのなら別なかたちでやるのが一番だと思う。
今週・来週の2週間ぐらいしかまともに会社にいられない、少し余裕が出てきたから、カバチッタのこともやらないと。
ということでDM第二弾の準備、招待状の作成とリストチェックまでしておく。
マイクロソフトのXPを狙った新型ウィルスがあるということで、その対策処置。
ある名刺が必要になり、名刺をチェックするハメになる。いらない名刺が山のようにある。結局見つからず、ごみ箱はいらない名刺の山となった。
白州のS氏から電話、11日のリハの稽古場の件について確認、Yに頼まなければと思っていたのだが、忘れていた。あわてて電話、ただもうその日はふさがっているとのこと。油断していた。ほかを探さなければならない。20日に大量のチラシの折り込みがある。2名必要という。ひとりはいるのだが、もうひとり誰かいないかということで、メンバーにメールを送る。
たぶん自分がいくようになるだろう。
18時退社、家でブックレットの校正作業と図版の整理、1時までかかる。

2003年8月19日(火)

久しぶりに一駅歩いて、杉田駅から乗る。一週間ほとんど運動らしい運動をしなかった気がする。10時出社。今日プレゼンする資料の確認。
ブックレット用の図版資料をコピー。カザフの査証申請用の書類を現地大使館にFAXする。もうそろそろ書類はアルマトゥイに届いていると思う。

14時から糖尿の検査、病院で顔知り合いのY氏と会う。カバチッタの券を3枚かっていただいているのでお礼。先月の結果は、まあまあ。CTで内蔵を撮影してもらったのだが、内蔵に関してはきれいなものでしたという話を聞かされてちょっと一安心。
まっすぐ六本木に向かい、打ち合わせ。これでラインナップとスケジュールがすべてフィックスされたことになる。あとは現場での具体的な話を詰めていくことになる。
今回もたっぷりめの仕事となる。9月からがまたたいへんだ。
ヨドバシで買い物をして、18時半喫茶店で、ブックレットの打ち合わせ。今回協力してもらっているT氏とKさんにはずいぶんと迷惑をかけてしまった。ふたりの協力がなかったら、ここまではできなかったと思う。
1時間半ぐらい打ち合わせしたあと、ライオンで軽くビールを飲む。
23時半帰宅、それから最後の校正と、図版資料の貼り込み作業をして、2時すぎに就寝。

2003年8月20日(水)

今日は記念すべき50歳の誕生日。とうとう50を超えたわけだ。50を超えてまず真っ先にしたことは、ひげそりで顔を切ってしまい、血だらけになったこと。顔に大きな絆創膏を貼って出社。ろくなもんじゃない。
カバチッタの11日に予定しているリハの会場をどうするか、昨日からずっと考えていたのだが、野毛のフラスコがいいのではと歩きながら思いつく。
早速野毛に電話、仮押さえてもらう。ちょっと一安心。ブックレットの校正の締め切り、出版社に締め切りを延ばしてもらうに交渉。8月一杯まで延ばしてもらうことになる。これでだいぶ楽になった。
13時から世田谷パブリックシアターでカバチッタのチラシの折り込みがあるので、駅で立ち食いそばを食べて、三軒茶屋に。12時45分すぎには折り込みが始まる。20以上の団体が集まってのなかなか豪華な折り込みだ。
50になって最初の仕事が、折り込みかと苦笑い。ずっと自分は50になったらこの仕事から足を洗うと言っていたのだが、やはりしばらくはこの仕事を続けていくということなのだろう。途中からS君も参加。およそ2時間で終わる。ちらっとお茶を飲み、会社に戻る。
16時過ぎ会社に戻る。ブックレットの出版社から電話、やはり締め切りは来週中にということに。しかたがないか。
なんかずっと立ちっぱなしだったので、くたびれてしまう。モスクワのペーチャから電話、誕生日のお祝い。ロシア人にとって50の誕生日というのは、たいへん大きな記念日だという。もう飲んでいるかというから、冗談じゃない、仕事しているというと、そうかおれはお祝いに飲んでいるという。確かにちょっと声が酔っぱらっている感じ。まあありがたいことだけど。
カザフのハーリックのところに電話、査証の書類が届いたかどうかを確認、届いていて、いまから大使館に書類を出しにいくとのこと。い17時半会社を出て、駅の近くにいくとすごい人出。今日はナイジェリアとジャパンの試合がある日。
18時半両国で気功の治療。治療を受けてから一年になるが、だいぶ身体自体はよくなったと思う。
携帯に電話、航空券をハーリックのところに届けたのだが、不在でまた戻ってしまったという。あわててハーリックにもう一度電話。今日はずっと家にいたという。確認のために明日番号をメールで送ることにする。
21時すぎに帰宅。

2003年8月21日(木)

午前中に、まずカバチッタ関係の招待状とDMを送る準備をする。これがけっこう手間。招待状を作成し、コピー、宛て名シールを作成。3時間ぐらいで発送の準備が整う。
ブックレット用の図版資料を整理して、Kさんに送る。やっとここでこの作業は、自分の手から離れることになる。あとはKさんに一任。なんとなくホットする。
ブックレットとはいえ、一冊の本をつくるのはたいへんなことだ。
なんとなくずっと重荷になっていたふたつの仕事が片づいたので、少しホットする。やらなけれはならないことは、たくさんある。
カザフの来日もまもなく。考えてみれば、ほとんど何の準備もしていない。ということで、まずは書類の山になっている机を整理、必要な書類をピックアップしておく。
来週一杯である程度、めどをつけないと。18時すぎに退社。

2003年8月22日(金)

暑くなってきた。これから夏が始まるのだろうか。いまさらはじまられても、身体がついていかない。北九州の仕事が来週で終わるので、荷物の手配。
リトルの来日まで、あと10日あまり。気になっているのは、付き添いで来るアーティストの赤ん坊の在留資格認定証がまだ届かないこと。ほかのメンバーはみんな申請が終わっているのだが、赤ん坊のがまだ。
一昨日ぐらいから来るのではとずっと待っているのだが、もしも今日来ないとかなりやばい状況だ。と思っていたら、12時前に郵便屋さんが書留を持ってくる。いそいで、DHLで発送する手配。
念のために、カザフスタン日本大使館にFAXを送っておく。
リトル関係の来日からの流れをまとめてみる。今回は来日してから、公演が始まるまでの時間があまりない。かなりタイトなスケジュールになりそうだ。
一緒に、自分のスケジュールをつくってみる。11月3日で姫路公演が終わるまでは、かなり厳しい状態だ。
来週中には、秋の博覧会に出演する民族アンサンブルの査証の申請をしなければならない。その準備をしたところで、タイムアップ。
神楽坂に向かう。神の本でつかう写真を借りるために、T氏を訪ねる。いろいろ面白い写真があった。ネガを焼いてもらうことにする。
そのあとそば屋で軽く一杯。日本橋経由で、泉岳寺からの最終特急に間に合う。24時すぎに帰宅。

2003年8月25日(月)

世界陸上が始まってしまい、結局遅くまでテレビに釘付け状態になってしまった。100メートルのフライング事件はちょっとひどいよな。
9時から歯医者。今日で治療が終わりかと思ったのだが、まだ続くようだ。今日も暑い。12時すぎに出社。
フール祭の打ち合わせ。それぞれがやることを確認する。しばらく忙しい日が続くので、こまめにこうしたミーティングを重ねることがきっと大事になるだろう。
リトルのスケジュールをつくり、FAXで送る。スケジールをつくるといろいろ見えないところが、わかってくる。
金曜日に今度キエフに留学するサーカス学校の生徒の航空券の手配をしていたのだが、なんと驚くべきことに、9月一杯はモスクワ−東京は満席とのこと。夏休みならともかく、9月に満席というのは、なにがあったのだろう。一応キャンセル待ちで予約をいれていたのだが、
早速とれたという返事。一安心。
敦賀の博覧祭に出演するアーティストの査証の準備をしはじめる。通訳を手配しなければならなくなり、長野の知人のところに電話。久しぶりでいろいろと話し込む。いまは高校と予備校で非常勤の先生をしているという。
相変わらず元気だが、ということで通訳としては働けないないことになる。また別に探さないと。
18時すぎに退社。

2003年8月26日(火)

出勤途中に、日曜日にやっていた大黒屋光太夫のラジオドラマを録音したものを聞く。吉村さんの原作を忠実にラジオドラマに再現している感じだ。ただあまりにも「別れ」だけが、強調されすぎているのではという気になった。ドラマにはしやすいのかもしれないけど。
今日がブックレットのゲラ戻しの日。図版をCDに焼いて、送付。これで解放されるわけだ。
仙台の懐かしい友というか、初恋の人から電話。お互い八月に五十歳になったということで、電話をくれたみたいだ。うれしいものだ。
ちんどん博が今日から始まる、チラシの折り込みについて電話。すでに大熊さんがチラシを持ち込んでいるとのこと。
金曜日にルスツで働いているロシアンバーのひとりが、肩を痛めて休んでいたのだが、今日の二回目から公演をはじめるとのこと。結構心配していたのだが、これで一安心。
午後は、十月の若狭博に出演するロシア民族アンサンブルの査証申請の書類つくりに専念する。今週金曜日に提出できそう。
18時会社を出て、久しぶりの野毛へ。途中Sから電話、ちん博のチラシが足らなくなったらしい。S君に電話、明日500枚もって、木馬亭に行ってもらうことになった。
デスクの大野と万里で、デラシネ通信リニュアルの打ち合わせ。だいたいの構想が固まる。
福田さんが途中から合流、大須オペラの話に花が咲く。今回は福田さんの力で公演にこぎつけたわけで、その意味で、ほんとうにご苦労さんだった。
福田さんが消えたあと、「波の上」へ。泡盛を3本飲んで、ご帰還。

2003年8月27日(水)

ロイヤルパーク汐留に直行。昨日上京してきたサーカス学校のナジェージダ先生を迎えに行くため。いま日テレで、開催中の大道芸フェスティバルに出演しているグリンチェンコ・ブラザーズの公演を見に来たもの。
11時の約束だったが、先生はまだ寝ていたみたいだった。グリンチェンコの部屋に立ち寄る。2年ぶりで会うのだが、特別な挨拶もなく、ふつうの感じ。昨日は結構遅くまで、飲んだようだった。
彼らを日本に持ってきたプロモーターの女性に、会ってもらいたいということで、彼女の部屋も訪ねる。こちらもまだ寝ている。下のカフェで待つことに。
もう少し広い場所だと思っていたのだが、あまり広くない。人の行列ができていたので、ショーを見るためなのかと思っていたのだが、そうではなく、ラーメン屋のウェイティングの客だった。ドイツでヴァリエテをしているプロデューサーのロシア人の女性と、情報交換。グリンチェンコたちは、ここで来年1月まで契約しているようだ。
12時からの大道芸のショーを脇で見ながら、三人で雑談。
先生を連れて、会社に戻る。
木馬亭に折り込みに行ってくれているS君から電話、無事に500枚の折り込みが終わったという。
先生は、いつものようにビデオ鑑賞。また机の上に山積みになって、開封さえしていない新着ビデオを見てもらう。
15時駅前の喫茶店で、出版社の人と打ち合わせ。とりあえず神の本は、来年1月出版ということで、進めることになった。
そのためにはまずいったん返ってきた原稿を、9月一杯に戻すこと。また神モードに頭を切り換えなくてはならない。
16時半帰社。入管に出す書類をチェックしてもらう。今日は体調不良のため、早めに帰宅。

2003年8月28日(木)

出勤前に、銀座の床屋に寄る。散髪を終えて、前勤めていた会社の前のところで、かつての同僚のN氏にばったり。立ち話だったが、近況を話し合う。
この年になると、やはり身体の話が多くなる。11時すぎに出社。
ユーラシア研究に頼まれていた原稿を完成し、FDにおとして送付。
何故か10月になにかという話がこのところ立て続けにきている。不景気なわりには、こんな話がくるというのは、少しずつ景気が回復しているということなのだろうか。
今日はサーカス文化の会の日。イタリアで神山一朗と一緒にフェスティバルに参加していた大野の報告。一朗ちゃんにとっては初の海外公演だったわけだが、ずいぶんがんばったようだし、収穫も多かったみたいだ。
22時すぎに帰宅。 

2003年8月29日(金)

9時半品川駅で、辻君と待ち合わせ。バスに乗って入管へ。天王洲アイルに引越から、入管に一度も行ったことががなかったし、申請方法も変わったというので、この機会に行ってみることにした。
大手町のあのゴミゴミしたビルよりは、ずっと立派だし、コンビニや、待合室もあるので、快適。約1時間待って、申請。以前に比べたら嘘のような簡便な手続き。
プロモータの台帳があるのだが、その最初の頃の筆跡は全部自分。なつかしいものだ。ここの難点は、遠いことぐらいか。以前は強圧的な感じが、建物からもしたものだが、少しは柔らかくなった気もする。
12時すぎに会社へ。
いよいよ明後日から出張なので、仮払いやら出演料やら、前払いやらをもらったり、準備に追われる。2日に来日する予定のカザフから、しばらく連絡もないので、電話してみる。
ハーリックがほとんど順調だが、2つほど問題があるという。ひとつはいま用意している宿舎の部屋数が足らない、もうひとつは、舞台道具のエクセスのお金がないので送金してもらえないかという。
簡単に解決できない、大きな問題である。もう少し早くに言ってもらえば、いいのに・・・・。
すぐに対応策に追われる。宿舎の件は、すぐにリトルに電話。送金に関しては、あまりにも時間がなさすぎる。そうでなくても旧ソ連の国への送金はいつも問題なのに。
ブックレットの出版社から図版の件で電話。
いくつかの提案を、カザフにメールで送る。
バスで、早稲田へ。大隈庭園で?さん新作『森の気配』を見る。非常にいい公演だった。公演後ちょっと飲みながら、出演者のロシア人のダンサーらと歓談。ワシリーは去年白州にも来ていた。その時もいろいろ話したのだが、なかなか面白い男だ。いわゆるニューロシアの若者ではなく、古いロシアンスピリットを大事にしている男。白州にちょうどはまるような男だ。
帰りがけに、?さんに来年は絶対白州に来てよといわれる。「忙しくて」といいかけると、すべてにおいて完全燃焼しようと思わないことだよと言われる、なんとなく心に残る言葉だった。
24時前に帰宅。今日は、200メートルの決勝。うたた寝していたのだが、かみさんに起こされ、ライブを見ることができた。感動的なレースだった。
時計を見たら、4時5分。すぐに寝床へ。

2003年8月31日(日)

8時起床。朝飯をかっこんで、家を出る。10時9分新横浜発ののぞみに乗る。今回は飛行機ではなく、新幹線で小倉へ行くことにした。ずっと読もうと思っていた、漂流民関係の資料を5時間弱の移動中に読もうというのが、大きな理由。
すぐに寝てしまったのだが、名古屋の手前から読み始め、小倉に着くまでに読み終える。14時半小倉到着。小倉の駅に着いたら、雨が降り出す。前回も雨に苦しめられたのだが、やはり自分が雨男なのだろうか。
カザフから電話、エクセスの分のお金はなんとかできたので、送金する必要がないということ、ほっとする。
ホテルにチェックインしたあと、リバーウォークへ。公演準備中のベックやダウレトたちと挨拶。みんな元気そうだ。
16時からの公演を見る、オープニングのダンスがどうなったかを中心に見てもらいたいとベックが言っていたのだが、相変わらず蛸踊り。笑ってしまった。
なんでも一昨日公演中のボリショイサーカスを見に行ったという。19時からの公演に何人かロシア人が見に来ていた。そのうちのひとりが、会いたいというので、話を聞く。
公演後ただちに、吊りものの撤収、とパッキング。リバーウォークの人たちに挨拶して、タクシーで宿舎へ。
近くの鉄板焼き屋で、みんなで食事する。今回のメンバーはほんとうにやりやすかった。ベックも前回のスペインサーカスに比べたら、ずっとやりやすかったと思う。
23時すぎに別れる。ホテルに戻りすぐにテレビをつけ、女子マラソンを見る。マラソンのあと、1時半ぐらいまで見てたのだが、眠くなりあとは諦め、就寝。


過去ログ一覧へ デラシネ通信 Top