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クマのお仕事日誌

2003年9月1日(月)

9時前に起床、チェックアウトぎりぎりまで、部屋でパソコンをつかって作業。まずは東京三菱で両替。三菱はパッケージもので、全部ATMを使う。結構な額になったので、封筒で一杯。
時間があったので、前に行って気に入った門司港駅へ足を伸ばす。確かミミクリーチがここで公演した。レトロな感じがして気に入っていた。しかしすっかり観光地になっていたので、がっくり。
12時前に出て、宿舎へ。今日はめちゃめちゃ暑い。荷物を背負って、あちこち歩き回ったもんだから、汗だく。
ベックに両替したギャラと、ハーリックへ約束したエクセス代を渡す。ハーリックに電話、ベックとも話してもらう。
13時過ぎにタクシーで駅へ。ここで突然雷鳴、雨が降り出す。ベックとサウルとお別れ。いい連中だった。
新幹線に乗り込む時に雨が一番すごくなった。びしょ濡れ。席についてからは、後ろの席のダウレトもアーリャも、そして自分もすぐに寝る。3時間ほとんど寝ていた。
名古屋に着いて、名鉄に乗り換えるまでが一苦労だった。荷物が多いとの、距離が長い!
犬山遊園で下車、迎えに来てもらった車で宿舎へ。部屋割りが今回ちょっと問題ではあるのだが、明日メンバーが全員揃ってからだ。
部屋の使い方を説明し、宿舎を出る。駅前の飲み屋で、リトルのK氏とO氏と軽くビールを飲む。携帯にハドガーから電話。明後日からモンゴルに行くというので、今日会うことに。
ホテルにチェックインしたあと、白木屋でハドガーと飲み直し。今回は強い酒は避けようということで、ビールだけにする。
いろいろと面白い話ができた。23時前に別れる。部屋でパソコンの設定。今回はなんとか携帯ではなく、ホテルの電話をつかってネットをしたいと思っているのだが、うまくできない。
1時前に就寝。

2003年9月2日(火)

9時に目が覚める。メールをチェックして、返事を書く。銀行に行き、前渡しをするギャラをおろしたあと、岩の茶屋へ向かう。暑い!じっとしているだけで汗が出てくる。
11時に岩の茶屋へ。ブザーを押しても、ドアをたたいても、まったく反応なし。15分ぐらい経って、やっとダウレットがドアをあける。寝ていたようだ。
市役所へ、住所変更の手続き。12時を少し過ぎたところで、13時まで待ってくれとのこと。近くの喫茶店で、お茶を飲みながら、ダウレットと世間話。
30分ほどで、住所変更の手続きが終わる。そのままバスに乗って、リトルへ。
ウィンチをチェック、ふたりは道具の準備とかるく練習。15時すぎにリトルを出る。
いったんホテルに戻って、少し休んだあと、電車とバスをつかって、名古屋空港へ。昼飯を食べていなかったので、西春駅の立ち食いそば屋で食事。中に入ったら、ほとんど立ち飲み屋。ほとんど常連のおじちゃんたちが、飲んでいる。
18時すきに空港到着。予定では19時半到着の飛行機が、30分早く到着。1時間ぐらい経って、全員が出てくる。みんなえらい厚着。外に出て、うだるような暑さにびっくりしていた。バスに乗って、岩の茶屋へ。ソウルでベックたちと会ったらしい。
みんな元気。部屋わりにちょっと手間取ったが、まもなく落ち着き、簡単に挨拶。団長となるハーリックの息子バルジャンは、ここではなくアパート住まい。K氏の車に乗って、アパートへ。
明日9時に岩の茶屋を出発することを確認。
22時過ぎ、ホテルに戻る。やっと全員が揃い、いよいよこれからということだ。

2003年9月3日(水)

8時起床。岩の茶屋へ、めちゃくちゃ暑いし、日差しも強い。岩の茶屋で、まず荷物の積み込み。ダスバトゥイリョフの親父が、車に乗って、リトルへ先に向かう。メンバーと一緒にバスでリトルへ。
10時到着。ダスバトゥイリョフが、吊りものに取りかかっている。親父やる気十分である。メンバーは着替えて、それぞれ道具の準備にとりかかる。
今回はあまり時間がない。吊りものをしている間に、音源をもらってダビング。ジャグリングのメンバーのが、結構めんどい。
バルジャンにギャラを支払う。暑いので、2リットルのペットボトル4本を持ってきたのだが、あっという間になくなる。自動販売機で、何本買ったのだろう。
無理もない、今年一番の暑さだったらしい。ダスバトトゥイリョフの親父は、ひとりタワーに登って、孤軍奮闘、喉も乾くだろう。ひとりで2本分は飲んでいた。
吊りものが一段落したところで、レストランで食事。昼食後オープニングの練習。アルマトゥイで練習してきているようで、合わせを中心にリハ。
シルクロードというイメージが伝わってくるオープニングになっている。今回はダスバトゥイリョフが、とりまとめをしているので、まとまりがある。ある意味では安心してみてられる。
17時にリハ終了、17時30分の最終のバスで犬山へ。メンバーはイトーヨーカドで買い物。
暑いということもあるのだろうが、かなりへばった。疲れた。ホテルで少し休んだあと、20時すぎにデニーズで夕食。
おじいちゃんとおばあちゃんがふたり、仲良く並んで食事していた、いい光景だった。
部屋に戻って洗濯、原稿もかかないといけないのがあるし、カバチッタのこともやらないといけないことがあるのだ、なにもする気になれず。はぐれ刑事を見て、寝てしまう。

2003年9月4日(木)

昨日は10時間近く寝たことになる。今日も暑い、9時30分発のバスに全員乗って、リトルへ。
11時から最初の通しが始まる。空中ロープのアシストなどをその前にチェック。音合わせをまったくしていないので、途中何度か直しが入る。音響はKさんとバルジャンがすることになっている。最初でしかもこれが初めて音と一緒にやるわけで、できないのが当たり前なのだが、芸人たちから、バンバン容赦なく文句が出される。そこまで言わなくてもいいんじゃないの、という感じもするのだが・・・
約1時間で終了、流れ的にはあまり問題はないと思う。あとは音との合わせだろう。Kさんはウクライナの時も、音響をしているので、いいのだが、バルジャンは初めて。彼がどれだけできるかだろう。次の通しは、15時から。バルジャンはこの間、芸人たちに音の件で、確認作業。まじめな男だ。おやじは、ガラパッチな男なのだが、バルジャンはおとなしく、育ちのよさが感じられる。
韓国亭で昼食。15時から二回目の通し。ここでどれだけ音があわされるかが、問題だったのだが、今回は音もほとんど問題なく、スムーズに流れる。気になる時間も、45分ぐらい。おそらく42、3分におさまるだろう。
いくつかダメだし。
MCをどう入れるかで、ダスバトゥイリョフと打ち合わせ。彼は間にMCはいらないという。ただ見ているから言うと、あった方がいいのではないかというのが、リトルの意見。
実際にお客さんが入って、その反応を見て、決めていこうということになる。なんとかかたちはできたように思える。
17時のバスで戻る。メンバーは買い物。自分はホテルに戻り、今日送ってくれと頼まれていた書類をつくる。
それを終えて、少し横になる。20時近くの食堂で夕食。今回は酒をあまり飲まないように心がけている。連日缶ビールを飲むだけ。
ホテルに戻り、『男はつらいよ』を見て、就寝。読まなくてはならない本や、書かなくてはならない原稿の資料を一杯持ってきたのだが、なかなか手をつける気にならない。
まずは幕をあけることだ。

2003年9月5日(金)

昨日コンビニに買っておいたサンドウィッチを部屋で食べる。多少今日は涼しい気もする。日差しがないせいかもしれない。
10時すぎのバスに乗って、リトルへ。11時からオープニングとフィナーレのリハ、12時からゲネプロというスケジュールを確認。
ステージのスピーカーから音がでていないことに気づく。いろいろチェックするが、音は出ず。この状態でリハをすることに。
12時からのゲネプロには、お客さんもたくさんつめかける。リアクションを知るためには好都合。気になった音でのミスはほとんどなし。コスチュームも初めて見たが、悪くない。
テンポもあるし、メリハリも効いて、いい番組になった。関係者の反応も悪くない、というかいい。所長が長さを全然感じないよねえ、と言ってくれる。中身が濃いからだろう。
メンバーもほっとしていた。一番安心していたのは、ダスバトゥイリョフの親父だ。よく短い時間でこれだけまとめてくれた。
韓国亭で昼食。14時からCF撮影。それぞれ決め技の部分を撮影。1時間ぐらいで終わる。
ここまでたどりつくと一安心だ。
16時のバスで犬山に戻る。ホテルに戻り、パソコンで作業。そのあと少しベットに横になって、寝る。
18時過ぎ、今日はKさんも交え、お好み焼き屋で食事。リトルに来て、はじめてまとめて酒を飲んだ。
ホテルに戻り、原稿書きに挑戦したが、やはり続かず、そのまま就寝。

2003年9月6日(土)

いやな目覚め。カバチッタの公演、客がガラガラという夢。もう来週には公演なのに、リトルにかかりきりで、カバチッタのことはなにもできないでいる。しかたがないといえは、しかたがないのだが・・・。
9時30分のバスでリトルへ。ほぼ全員同じバスに乗り込む。スピーカーも音がでるようになったというし、スタンバイはオーケー。
ハドガーの奥さんと娘さんが見に来る。西田も到着。リトルの元事務局長H氏、名鉄の文化レジャー管理部の人たちが顔を揃える。H氏とお目にかかるのは久しぶり。H氏がくるだけで、まわりがピリッとするのが、よくわかる。
11時から一回目の公演。お客さんの反応は上々。ワッという歓声がおこる度に胸が熱くなってくる。しかしいいショーをつくってくれたものだ。公演後演出をし、全体をまとめてくれたダスバトゥイリョフにおめでとうと抱き合って初演を祝う。ほんとうにこのお父さんがいてくれて、ここまでこぎつけたのだと思う。いろいろ癖のある親父だが、サーカスに賭ける情熱は熱いものがある、ハーリックのためにも良いショーをつくろうと一生懸命やってくれた。めずらしくこの時目頭が熱くなった。
楽屋に行って、みんなにも挨拶。みんなもホットしたようだ。今日は音響もバウカがやってくれたようだ。彼もこれでみんなと一緒。全員でつくったショーだ。
客席に戻ってみんなの感想を聞く。みんないいショーだと言ってくれた。良かった。ほんとうにホットした。
2回目3回目のショーを見て、最後のダメだし。フィナーレで「さよなら」と言っていたところを、「ありがとう」と言ってもらうことにする。
16時20分のバスで、犬山に戻る。ホテルで一休みし、18時に駅前に集合。歓迎会の会場へ。和気あいあいとしたいい歓送会だった。空中ロープのオーリャとスベータから、15日絶対来てくれといわれる。オーリャの誕生日なのだよなあ、この日は。
ルスツの楽日で、北海道なのだよ。その日は。
21時前に解散。リトルのスタッフの人たちも、今回の公演の内容に満足してくれているようで、うれしい。
ホテルに戻り、そのまま横になって、テレビをみながら、23時すぎに就寝。

2003年9月7日(日)

久しぶりに、犬山城、木曽川の川べりをジョギング。今日はまた日差しが強く、暑くなりそうだ。
10時すぎのバスでリトルへ。客席の反応は、昨日よりも今日の一回目の方が、断然いいし、二回目、三回目と良くなっていく感じさえする。2回目の公演に、名鉄本社の重役が見に来る。いつもは必ずダメだしをもらうので、ちょっと心配だった。
あとで聞くと、まったくダメだしはなし、良かったとお褒めの言葉をもらったとのこと。リトルのスタッフもこれで一安心というところではないだろうか。
アルマトゥイのハーリックに電話、初演が無事終わり、大成功だったと報告、彼も喜んでいた。
また日本で会えるのが楽しみだ。
明日はリトルに寄らず、まっすぐ名古屋へ行くので、みんなとしばしの別れ。ダスバトゥイリョフと、バウカからお土産をもらう。
17時前にホテルに到着、書類を作成して、会社にメールで送ったあと、少し横になって寝る。
19時前に、近くの食堂で夕食を食べ、部屋に戻り、原稿書きに挑戦するが、やはりダメ。東京に戻ってからだ。
23時すぎに就寝。

2003年9月8日(月)

荷物をまとめ、宅急便で送る手配。結局役に立たなかった原稿を書くための資料と、昨日もらったお土産で、バックはパンパン。なんとか詰め込んで、発送する。
バスで明治村へ。名鉄の仕事をして10年以上になるのに、明治村には一度も行ったことがなかった。博覧会をテーマにして企画展をやっているので、この機会に見に行こうと思い立った。
10時前に入館。1日でも足らないよといわれていたが、確かにその通り。広大な敷地に、たくさんの明治時代の建築物が80近くある。テーマ館だけはちゃんと中を見たが、あとはほとんど中に入らず、ざっと回っただけで、2時間かかってしまった。
それにしてもこんな施設を最初につくった人は、たいしたもんだと思う。移築する作業だけでもたいへんだったろう。もう一度ゆっくり訪れてみたいところだ。
12時のバスに乗り、犬山に戻り、電車で名古屋に出る。来年のフール祭の件で、P企画のO氏と会う。
最近ビルを買ったということで、まずはそこを案内してもらう。5階建ての立派なビル、これを買って、ここを拠点に本格的にサーカス芸人やクラウンを育てていこうというのだから、たいしたもんである。
「いまはやりがいあります」と言っていた笑顔が素敵だった。3月のフール祭についてスケジュールや会場について打ち合わせ。
これで今回の出張は終わり。新幹線で横浜へ。缶ビールを一缶飲んだら、そのまま横浜まで寝てしまった。
カバチッタにモードを切り換えないと・・・・

2003年9月9日(火)

久々に会社に出社。机の上が、カバチッタの申し込みで一杯かと思ったら、そうでもなく、ちょっとがっくり。川崎の労働組合の割引券が送られてくる。これでどれだけの人がくるのだろう。来たらもうけものという感じなのだが。
出張精算をやっつけて、持ち帰った書類の整理。昨日六本木ヒルズに入るタビーザ・ロボットが東京入りしている。いよいよ明日から公演。
ルスツ組が、来週から姫路へ移るので、その手配の確認。ルスツに何度か電話。仕事は順調なのだが、やはり同じところで、しかも回りにはなにもないところでの仕事ということで、いろいろストレスもたまっているようだ。
カザフ組からもらったウォッカでもお土産に持って行ってやろう。
カバチッタまであと残すところ、4日ということで、チケット申し込みの整理、11日のリハの準備、残っているチラシの配布などを、いろいろやる。
今回キャンドルショーがあるので、火器使用の許可を出さないといけない、舞台監督のTがチッタでその申請の手続き。
そういえば、全然電話での申し込みがないなあ。今回はマスコミへのアプローチが甘かった。
17時半会社を出て、気功へ。触った感じ全然身体の調子はよさそうですよと言われる。確かにそれは自分でも感じている。
すっきりして帰宅。

2003年9月11日(木)

今日は、カバチッタのリハ。12時に野毛山フラスコに。しかし今日は暑いなんてもんじゃない。いったいいつになったら、秋とやらやってくるのだろう。
次々に汗だくになって出演者が到着する。最初に当日の流れを説明。今回は構成案があらかじめできているので、その点では楽。
あとはプログラム通りに、バンドさんとの合わせ。今回は、あらかじめシカラムータの曲を聞いて、曲の選定をしてあるので、その意味でもスムーズに進む。
18時にあらかたリハは終了。そのあとちんどんといながきの絡みの部分のリハ。今日のリハを振り返り、もう一度構成について、大熊さんと再検討。かなりいい内容になったと思う。
万里放題亭で、軽く食事。そのあとカンパリというバーに初めて、行ってみる。
締めは、「波の上」。今日は泡盛を1合だけにして、終電で帰る。

2003年9月12日(金)

実は、この記録は9月18日に書いております。カバチッタのリハを野毛でやってから、一週間経ったなんて、とても信じられないくらい、あっという間のことでした。記憶が定かでないことも多いのですが、とりあえずメモということで。

午前中は、いま来日中のカザフサーカスの団長ハーリックを10月に呼ぶための査証申請の書類を作成。
プリンターが調子悪くなったり、いろいろあったが、作成を終わり、アルマトゥイに送ることができた。
小樽の仕事の覚書を作成、パフォーマーとクライアントに送る。
これからは、カバチッタの準備。明日持っていくものを整理、やっかいなのが、パフォーマーの手売りのチケットの処理。明日現場で、やるしかないのだが、それをどう整理するか。
とりあえずの準備をして、今日の仕事は終わり。
電話でのカバチッタの問い合わせは二件あった。今回はほんとうに電話の問い合わせがない。
あとは明日だ。

2003年9月13日(土)

いい天気なのだが、風が強いし、暑い。台風のせいかもしれない。雨が降らないだけでもよしとしなければならないかもしれない。
10時川崎駅に到着。ケイタリング用のドリンクを購入してから、会場入り。仕込みは順調な様子。
出演者が続々会場入り。チッタといろいろ打ち合わせ。
14時前からリハ。14時に消防の査察。15時から折り込み。この折り込みが結構たいへんだった。現場は、S氏と舞台監督のTに任せて、表の準備。
客席つくりが、リハと平行して進む。
今回は時間が経つのが早い。あっという間に、客入れ。50人ぐらい並んだのかなあ。ちんどん、がーまるが客入れを演出。いい感じで始まる。
隣でやっている当日券が、あまり伸びていない。関係者受け付けは、けっこういろいろあってたいへん。
公演後1時間ぐらい経ってから、やっと客席でゆっくり見れるようになった。
ほぼリハ通りの段取りで、進む。客席の反応もいい。
21時30分過ぎ終演。
精算を野毛のYさんに手伝ってもらったので、助かった。楽屋で簡単なビールで打ち上げ。チッタの事務所で、ちょっと反省会。
そのあと魚民へ。帰る人は、三三五五引き上げる。このあとつぼ八で、希望者が残りダラダラと飲む。
明日仕事がある神山は、途中からコーラにする。3時すぎに解散。神山と自分はタクシーで引き上げる。

2003年9月14日(日)

10時過ぎに起こされる。荷物を最終的にまとめ、佐川に電話。姫路のホテルに送る。
メールをあけると、早速カバチッタの感想がいくつか。大谷さんからの今年見たもので一番でしたという感想に、ちょっと目がうるうるしてくる。
11時半すぎに家を出る。今日も暑い。よせばいいのに、羽田空港で生ビールを飲んでから搭乗。当然のごとく、すぐに寝込む。
14時半千歳空港に到着。ラーメンを食べて、ルスツ行きのバスに乗り込む。客は自分だけ。1時間半ぐらいずっと寝ていた。こっちも暑い。
ホテルに到着、辻君と打ち合わせ。こっちもいろいろと問題があるようだ。
明日は、撤収があるので、今日打ち上げ。18時から打ち上げ会場へ。メンバーとは久しぶりの再会。今日のために家から、ウォッカをお土産としてもってきた。それをみせたら酒好きは、みんなうれしそう。
ルスツ側も今回のサーカスには、いろいろ不安はあったようだが、客も増えたし、反応も良かったということで、満足してもらったのがなにより。
お開きになったあと、辻君の部屋で、酒飲み三人男が集まって、ちらっと飲み直し。いろいろたまった愚痴を聞く。
今回の契約内容、ルスツ側の対応に対しては、スーパーを連発、とても満足している様子。ただやはり細かいところではいろいろたまっていることもあるのはしかたがない。ガス抜きのようなもの。
23時すぎにお開き。しかしずっと飲み放しではないのか、自分は。

2003年9月15日(月)

9時すぎに、目が覚める。タワーのレストランで、遅い朝飯をとって、11時の公演を見る。
今日はルスツの秋の大きなイベント食い倒れ祭りの最終日。すごい人だ。12時からは、バーベキュー会場での公演。
この公演が終わったあと、今回のルスツ側の担当プロデューサーと、いろいろ打ち合わせ。初めての仕事だったが、満足してくれたことが、なによりもうれしい。
15時最終公演。ほぼ満員。終わったあと、楽屋を訪れ、千秋楽おめでとうのあいさつ。
吊りものの撤収は、1時間ぐらいで終了。荷物の積み込みが、18時ぐらいということで、出演者はいったん部屋に戻る。今日までのギャラを支払いに、それぞれの部屋を訪ねる。
飲み助三人は、すでにウォッカでおめでとうの乾杯。
ギャラを支払い終わり、荷物の積み込み。今回の舞台道具のほかに、ステージや機材も全部トラックに積み込み、このあと姫路まで、ルスツのスタッフが30時間かけて陸送することになる。たいへんな作業だ。
荷物を積み込み、飲み助3人と辻君と5人で、居酒屋へ。この居酒屋には飲み助3人はよく通ったようで、店の人たちも別れを惜しんでいた。
このあとロシアンバーのイーゴリの部屋で、ウォッカ、ワイン、日本酒、ビールとありったっけの酒を飲みながら、千秋楽を祝う。
何時に部屋に引き上げたのか・・・・・

2003年9月16日(火)

9時ホテル出発ということなので、8時過ぎに起きる。頭はガンガン。当然のこと。無理やり朝飯を詰め込み、チェックアウト。
ルスツの皆さんのお見送りを受けて、バスに乗り込む。ほとんど寝ていた。
10時半すぎに千歳空港到着。チェックインを済ませて、搭乗ゲートで、早い昼飯を食べる。飛行機に乗り込むところで、携帯に電話。リトルからだった。
出演者のひとりオリガが、病気のため、いま病院で検査を受けるところだという。通訳のKさんのメールで調子が悪いという話を聞いていたのだが、ドキッとする。
12時前に搭乗。ずっと寝ていた。14時すぎに伊丹空港着。携帯にリトルからまた電話。検査の結果は深刻なようで、もしかしたら実手術の必要もあるという。
明後日また再検査という。すぐに明日リトルに行くことを決め、連絡。
姫路からの迎えのバスに乗り込んだのが、14時半すぎ。自分はバスに乗れず、ワゴン車へ。リトルのオリガのことが、気になってしかたがない。いろいろな状況を考え、あちこちに電話。
16時姫路のウィクリーマンションに到着。新築のウィクリー。部屋割り、使い方、備品などの点検をして、解散。
メンバーは、買い物に行きたいということで、17時半集合して、辻君がアテンド。
19時半、辻君と焼き肉屋で食事。自分が明日明後日は立ち会えないので、打ち合わせもしておく。
22時すぎにベットに入るが、名古屋の爆発事件のニュースなどをついつい見てしまう。

2003年9月17日(水)

7時起床、朝飯を食べて、支度をして、姫路駅へ。9時前の新幹線で名古屋へ向かう。本を読むとかそんな気にはまったくならない、ずっと寝ていた。
名古屋に着いてから、通訳のKさんに電話。今日オリガなしでどうするのか、聞いてみたら、彼女は出演するという。
えっと思ったのだが、それだけ体調も良くなっているという。12時すぎにリトルに到着。まず事務所で、昨日の診断の結果を聞く。婦人科系の病気なのだが、どうも状況的には、明日即手術ということになりそうな気配だ。
ただオリガの話を聞くと、とても体調もいいという。リーダの親父と話し、いくら体調がいいといっても、医者の判断には従わなくてはならないし、そうしようという。
明日の検査次第では、手術ということもありうるので、旦那にも付いていってもらうことにする。
とにかく明日の検査結果の医者の判断に従おうということだ。
リトルで昼食をとり、バスで犬山に戻る。ホテルにチェックインしたら、もうなにもする気がなくなった。コンビニで買ったビールとかっぱえびせんが夕食。ずっとベットに横になって、サッカーと、はぐれ刑事を見て、そのまま寝てしまう。

2003年9月18日(木)

早く寝たはずなのだが、なんどもなんども目が覚める。結局は、熟睡できずに起きる。
このところ不規則な生活が続いているが、これだけは続けているストレッチをやり、シャワーを浴びて、朝食をとる。
少し早いが、待ち合わせの犬山遊園の駅に向かう。通訳のKさんが到着、車で宿舎へ。オリガとベックの息子のイリアスを連れて、病院へ向かう。本人はきわめて体調も良く、具合もいいというが、一応入院に備えて、身の回り品を持参する。
一番早く着いたのだが、診察はずいぶん後回しになる。あっさりと診察が終わる。今日手術する必要はないという。もう少し状態を見たいので、来週月曜日に再診することになった。しかも仕事もしていいという。どういうことなのだろう、何度も説明を求めるが、様子を見るのと、今日の採血の検査が必要だという。
今日の手術がなくなったということは確かに良かったが、最終結論は後回しということで、オリガにはすっきりといかないようだ。こっちもそうだが、もしかしたらこのまま大丈夫なのかもしれないという気もしてきた。
とにかくそのままリトルへ。所長に事情を説明。一回目のショーは、昨日練習したオリガ抜きのバージョンではなく、いつものショー。
全体的にメンバーに疲れが見える気もする。暑さが続いているせいもあるのかもしれない。
このまま残ってもしかたがないので、姫路に戻ることにする。メンバーに別れを告げる。明日はストラップのアーリャの誕生日。それまでいてくれと頼まれるが、そうもいかない。
また来週来ることになる。
名古屋から新幹線に乗って、17時過ぎに姫路駅に到着。辻君に連絡、飯を食っていないというので、すぐに下のレストランで食事。姫路の方は、順調にいっているようだ。
ステージもルスツでつかっていたものをそのまま使い、空中ものの仕込みもうまくいったようだし、現場の人ともうまくいっているようだ。
辻君の携帯に電話、ちょっと大きな仕事の話が飛び込む。
辻君はメンバーの宿舎へ、ネットの接続にいく。自分は部屋に戻って、久しぶりにメールへの返事、お仕事日誌のまとめがき、カバチッタの出演者やスタッフに報告のメールを書いたりと、パソコンの前に座って作業を続ける。
22時前には、ベットに横になり、ニュースステーションを見ながら、就寝。
確かにすっきりとした解決にはならなかったが、一安心したことは事実。

2003年9月19日(金)

夜何度も目が覚め、熟睡できない。7時前に起き、朝飯を食べ、メンバーの宿舎へ。8時15分迎えに来た3台の乗用車に分乗して、セントラルパークに向かう。
今日は会場となる「風の城」(風が通る小高い丘の上にある、石造りの素敵な建物だ)で、消防訓練が行われる。最初に所長が、真剣に取り組みましょうと挨拶。メンバーにすれば、何のためということではなからやる気がない。
まずは、火災発生の合図から、避難訓練。いきなり誘導するスタッフが誘導路を間違い、やり直し。続いて消防署の人から、避難訓練に対してあまり出来は良くなったというコメント、それから消火器をつかっての消化訓練。消防署の人の見本を見て、さあやれということになる。ここで真っ先に飛び出したのが、ふだんはおとなしいボエボダファミリーのお母さんのガーリャ。いきなりかましてくれる。「火事だー」と叫んで、消火器の栓をあけ間違え、水は上にあがり、そのあとはホースの狙いを定められずに水(訓練用で泡ではなく水だった)があっちこっちに飛び回る。続いてやったミーシャは、見守るスタッフに水をかけるなど、爆笑もの。
消防署の人が苦虫をつぶした顔をしていたので、笑えなかったのだが、ほんとうに笑えをこられるのがやっとだった。
最後にまたコメント、ようなってないということなのだが、とにかくこういうことは、身体で学んでほしいという下りでは、ほんとうに吹き出しそうになった。メンバーには早起きさせて悪かったが、結構みんな楽しかったのかもしれない。
11時からのゲネプロに銘々が準備。空中ものと、ロシアンバーに、天井の明かりが足らないということで、照明の調整。ここでは責任者のO部長がほんとうに良く動く。スタッフに命令するのではなく、とにかく自分で動く。
11時からゲネ。スタッフの人たちが集まる。今回は場所の関係で、演技が三面つかって行われるのが、なかなか新鮮で、面白しろかった。スタッフの人たちも大喜び。終わって宿舎にもどる前に、O部長が、「良かった、ここまでできるようになって」と笑顔で話しかけてきたが、その笑顔が素敵だった。
徹夜でのステージつくり、足りない備品の調達、ほんとうにここまでこぎつけたことで、安心したのだろう。
12時すぎに、宿舎到着。メンバーは今日は自由行動。
自分は、昼食をとったあと、ホテルでたまっていた汚れ物の洗濯。久しぶりにゆっくりできた。
リトルのKさんに電話、オーリャの具合を聞く、体調はいいし、顔色も良くなっているという。
20時すぎ辻君と駅前の居酒屋で食事、明日の打ち上げをここですることにする。
24時過ぎに就寝。

2003年9月20日(土)

せっかくの初日というのに、台風接近中というニュース。確かに雲がひろがり、舗道には雨の跡も。ただかなり涼しくなったことで、アーティスト側はずいぶん楽になったようだ。
迎えのバスに乗り、会場の姫路セントラルパークへ。昨日通しでゲネをやっているし、いままでもやってきたことなので、アーティスト側はいたってのんびり。
13時の一回目の公演の前に結構な量の雨が降り出す。当然のことながら客足もまばら。
従業員の人もみんな集まり、姫路初演。客席の反応も、セントラルパークのスタッフの人たちの反応はとても良い。
照明や、客席のことで二三ダメだし。二回目の公演も、一回目と同じくらいの客が集まる。それぞれ「ス・ナチャーラム」と初演のお祝い。
雨は本降りになってきた。
16時半のバスでいったん宿舎に戻り、18時15分みんな集まって、駅前の居酒屋でささやかな初演成功の宴。
いつものようにノンベエ三人と辻君と5人は、宿舎区近くの川べりで、ビールを飲み直し。今日はアメリカとイラク戦争が酒の肴。
22時過ぎホテルに戻る。明日早いので、そのまま就寝。

2003年9月21日(日)

7時過ぎに起床、支度をして、朝飯を食べて、歩いて駅へ向かう。8時25分発のこだまに乗って、新大阪でのぞみに乗り換え。当然のことながらずっと車中では寝ていた。
13時前に東京着、総武線に乗り換え千葉へ。雨が結構強い。台風が来ているようだ。タクシーでポートアリーナへ。
ボリショイサーカスの当日券を購入、13時半からの公演を見る。
今年のボリショイは中身が濃い、ひとつひとつの番組は選りすぐられたものばかりだ、北九州で会ったアーティストの空中ものはかなりいいい。
虎のショーも良かった。2時間の公演が終わり、タクシーを探したのだが、なかなかないので、歩いて駅まで。
千葉に来るのは久しぶりだが、ずいぶんと町並みが変わってしまった。雨は小雨になる。また総武線に乗って、やっと家路へ。
18時半家に到着、今回はさすがに疲れた。

2003年9月22日(月)

久々に会社に出勤。やることはいろいろあるのに、パソコンのネットがつながらない。どうもネットワークにうまく接続できないというか、設定を消してしまったのかもしれない。
ネットワークに接続できないということは、印刷もかけられないということだ。まったくどうなっているのだろう。
リトルのKさんから電話、今日オリガの診察があったのだが、結局今日もはっきりしたことはわからないという。こちらもどうなっているのだろう。
カバチッタの精算を早くしないといけないのだが、今度は出演者の手売りの元帳が見当たらない。こんな日なのかもしれない。
しかしこれではまったくなにもできないではないか!
しかたがないので、早めに会社を出て、秋葉原の免税店で姫路の出演者に頼まれていたビデオカメラのカタログをもらう。そのあと11月に大阪でやる小出のソロの件で、小出と打ち合わせ。
秋葉原の居酒屋で、まあ良く飲んだものだ。疲れがたまっているときに、この泥酔は効く。自業自得なのだが・・・
上大岡に着くあたりに、電話をかけてくれた小出の気遣いもむなしく、下車駅を間違え、結局はタクシーで、帰ることに。

2003年9月24日(水)

出勤途中、携帯の充電器を忘れたのではないとハタと気づき、家に電話、しっかり忘れていた。今日から出張なのに、前回の経験がまったく生かされていないというか、肝心なときにやってしまうというか、トホホである。
犬山のホテルに充電器を送ってもらうことにする。問題は、すでに携帯のアンテナが、消えかかっていること。代々木のドコモショップで充電してもらうことに。30分以上かかるというので、預けて出社。まもなく西田が東村に出発。大野は見送りと出迎えのため一日成田。
カバチッタの精算をしましょうという連絡、確かにやらなくてはならないのだが、これも肝心の出演者販売分のリストがない。あちこち探すが見当たらない。
大野から電話がなんども入る。きてもいいはずの認定書が届かないということで、その善後策に追われる。オーストラリアの大使館に事情を説明すると、とびきりの名案を教えてくれた。これでひとまず、安心。
敦賀博の件で、打ち合わせ。こちらもなにもやっていない。通訳が必要なので、手配、以前五人囃子の通訳していたO氏に頼む。
敦賀博のメンバーは来月4日に来日だ。来週ということだ。こちらの方も準備しておかないと。
大野から電話、リビングスタチューのメンバーが無事来日したという。
認定書が明日来る場合に備えて、留守番を頼むことになったSさんに、会社の鍵を渡さなくてはならない。バイト中ということで、終わりの連絡を待つことに。
今日中に発送しなければならない、宅急便があるのに、何度電話しても、取りに来ないでイライラ。18時半すぎに、もう一度電話、玄関先においておくことにする。
19時過ぎ有楽町駅で、Sさんに鍵を預ける。そのまま東京に出て、新幹線に乗る。缶ビールを飲みながら、やっと神の原稿を読み始めることができた。ずっと出張中に持ち歩いていたのだが、ずっと読めないでいた。
ただ熱海すぎで、寝てしまう。21時半名古屋着。ホームの立ち食いきしめん屋で、きしめんを一杯食べ、名鉄に乗り換え、22時半犬山到着。
メールの返事を書き、神の原稿のプロローグを少し書いたところでダウン。

2003年9月25日(木)

何度も夜に目が覚める。熟睡できないなあ、最近は。家ではゆっくり寝れるのだが・・・。
雨が降りしきる。7時半に起床、朝飯を食べてから、8時半待ち合わせの場所に。ところがこちらの勘違いで、ちがう駅へ向かってしまった。
約束の時間を少し過ぎたが、肝心の病院に行くバーリャが来ない。宿舎に電話すると、もう10分前に出たという。
しばらくするとバーリャが現れる。このところおなじみになった犬山中央病院へ。しかし朝早いというのに、すごい人出だ。
30分ぐらい待って、診断室へ。「膿」というロシア語がわからなくて、ちとあたふたしてしまう。こういう時は辞書を持ってこないとダメだよなあ。
診断の結果は、ほぼ完治とのこと。念のために薬を一週間分もらう。これでこっちは一安心。そのままリトルへ。
ダスバトィリョフの親父が、ストラップの紐を交換中。今日は雨ということで、客席が心配だったのだが、一回目は幼稚園の団体さんがいて、結構にぎやかな反応。
今日は音響室からショーを見る。裏にいるとまたいろいろ面白い。客席の表情が見えるのと、それに対するアーティストの反応が愉快。園児なので、反応がダイレクト。ローラーやジャグリングではキャーという声がおこるのだが、アクロバットなどではシーンとしている。
二回目は中学生の団体、客席は妙に静か、ダウレトが、この静けさに対して、天気のせいだろうと一言。
この連中の骨太さが感じられる。
公演後、今日は台湾亭で遅い昼飯を食べ、15時のバスで帰る。ここで大チョンボ。今日は暇だとたかをくって、神の原稿を読もうと思って持参してきたのだが、これをバスに忘れてしまう。あわてて、O氏に電話。なんとか保護してもらう。
とんでもないチョンボだ。石巻かほくから電話、今週分の原稿が届いてないという。家に電話、奥さんにメールで送ってもらう。
ちょんぼ続きで少し滅入ってしまう。
ホテルで少し昼寝、今日は雨も降っているし、飯に出かけるのが面倒なので、カップラーメンとビールですます。
神のプロローグを書く。なんとなく輪郭が見えてきた。プロローグは、読者が最初にみるところ、あまり余計なことを書かずに、どれだけ興味をもってもらうか、それを軸に書くことにする。
少し見えてきたような気がした。プロローグが一番大事だと思う、エピローグは、勢いでなんとか書けるはずだ。
明日は朝からテレビの生放送の立ち会い、24時すぎに就寝。

2003年9月26日(金)

朝4時ぐらいから目が覚めて、寝れなくなってしまう。最近はこういうことが多い。寝れそうもないので、6時過ぎテレビをつけると、北海道で大地震というニュース。
全部のチャンネルで、地震に関するニュース。8時半待ち合わせ場所の犬山駅へ。通訳のKさんが、東京から舞い戻ってきてくれた。
迎えに来た車に乗って、リトルまで。着替えをしてもらい、ドイツ広場で、打ち合わせとリハ。Kさんが来てくれたので、やることもなく、結局はオーリャの息子のイリアスの面倒を見ることになる。
全員並んで、「新シルクロードサーカス」と唱和するところで、お母さんのところに行きたくなり、泣かれてしまう。
ダスバトゥイリョフの親父から「なんて下手くそな子守なんだ」と言われてしまう。
もう出なくてはならない時間になったので、本番前にリトルを出る。予定通り12時前の新幹線に乗って新大阪まで。
13時すぎにHEPへ。
途中大野から電話、入管から認定書がまとめて3件ぶん送られてきたという。これで一安心だ。
11月に公演する小出の公演と、来年3月の企画についての打ち合わせ。今月一杯で退職するFさんも顔を出す。
14時すぎに打ち合わせを終え大阪駅。昼飯は、吉野屋の牛丼。
新幹線に乗り込み、缶ビールを飲み、そのままずっと浜松すぎまで、寝込む。浜松すぎから、神の原稿を読み始める。
家に着いて、ぐったり。しかし疲れた。明後日は漂流民の会で仙台だ。いつまで続くのだろう、こんな生活。

2003年9月30日(火)

久しぶりの会社。パソコンがやはり相変わらず、ネットが使えないまま。困ったものだ。郵便物などをチェックして、六本木ヒルズへ。
12時いま公演中のリビングスタチューカンパニーの代表のセルジュと2年ぶりの再会。公演中のリビングスタチューを見学したあと、ランチ打ち合わせ。
相変わらずよくしゃべる男だ。1時間ほど打ち合わせをしたあと、そのまま糖尿の定期検診のために、都庁前の病院へ。
前回並の数値。といってもこれは、8月の段階での話。今月はどうなっているのだろう。
薬局で薬をもらい、そのまま会社へ。いよいよカバチッタの精算にとりかからねば。その前にパソコンを直してもらわなくては。
辻君が30分ほどで直してくれる。助かった! これでメールも送れる。
券の整理をしているところで、タイムアウト。17時半会社を出て、気功へ。3週間ぶりの気功、触った感じで、内蔵とかは特に異常がないとのこと。
たしかに寝不足というのはあるのだが、体調はずいぶんといい。
21時帰宅、21時ぐらい帰ると言ってあったのだが、ピタリ21時に「ただいま」で、受けてしまう。
メールをチェックすると、またリトルのパフォーマーが足を痛め、明日病院にいくとのメール。またかよ!


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