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クマのお仕事日誌

2003年10月1日(水)

気がついたら、今日から10月ではないか、なんということだ。そういえば今日から品川に新幹線がとまるわけだ、品川もずいぶんかわるだろう。
リトルのKさんる電話、スベトナーナの脚は、じん帯が少し伸びたということで、大事には至らなかったという。ほっと一安心。幸いなことに、ロープにかける脚ではなかったということで、仕事もできるという。
ただ歩くのがたいへんだというので、オープニングとフィナーレには出ないという。でも舞台に穴もあくことがなく、たいしたケガでないということで、かたっよかった。今日チッタに行って、精算しなくてはならないので、まずこれを片づけなければならない。封筒と現金とチケットを相手に、悪戦苦闘。なかなかあわない。とにかく足りない分は、立て替えてもっていくことにする。
それが一段落ついて、今度は8月末からの出張の精算。これだけたまるとこれまたたいへんな作業。
なんとかバタバタとやることをやって、17時すぎに、会社を出る。
18時すぎにチッタに到着、プロデューサーのM氏とまずは精算。売り上げ的には、いままでのなかでは最高。支出の整理もしなくてはならないが、今回の公演にかぎっていえば、多少の黒になったのではないかと思う。
19時半事務所をでる。

2003年10月2日(木)

六本木ヒルズに直行。11時から打ち合わせ。そのあとリビングスタチューのリーダーのセルジュがどうしても、ヒルズの担当者に会いたいというので、そのセッティング。
12時に、エンジェルのバージョンをやるというので、それを見る。外でのパフォーマンス。おかしかったのは、ロシア人の団体ツアーがその場に居合わしたこと。
話を聞いていたら、好きなことをいっている。まずはぬいぐるみに入っている(ちがうだろう!)、次に出てきたのが、演じているのは間違いなくロシア人だという説(アメリカ人だっていうの)。そしておかしかったのは、みんな写真を撮るのにびびっていたこと。ほかの人がみんなバンバン写真を撮っているのに、ロシア人団体ツアーの人たちだけが、恥ずかしがっていた。なにが恥ずかしいのかわからないのだが。どうしても写真を撮ってもらいたいお姉さんがいたので、写真を撮ってやった。
六本木ヒルズにロシア人団体ツアーが来ているというのも面白かったが、彼らがあまりにもシャイなのには、笑ってしまった。
このあと、秋葉原に行って、姫路組のミーシャのために、ビデオカメラを購入、ペーチャに頼まれていたヒゲソリの替え刃を頼む。
14時帰社。
明後日来日のスコモーヒの件で、スケジュールの確認。通訳をしてくれるO君に連絡。
16時半会社を出て、planBへ。カバチッタの反省会兼打ち上げ、ビデオを見ながら、結構盛り上がる。
この日は当然のことながら、帰れず。

2003年10月3日(金)

あたりで人が動く気配で、目が覚める。9時半だった。今日planBで演劇の公演があるらしく、その仕込みにみんな集まってきたようだ。
なんとなくバツが悪い感じ。そのまま鍵を渡して、planBを出る。頭がガンガン、足元フラフラ、完全に二日酔い状態。
10時半すぎに出社。
明日からしばらく事務所を離れることになるので、いろいろやらなくてはならないことを一つ一つ片づけることにする。
まずは明日来日するスコモローヒのスケジュールをロシア語で作成、書類をファイルにまとめる。仮払い、出演料をもらう。
これだけやるのでもやっと。二日酔いのせい。
それからどうしてもやらなくてはならない仕事のひとつ、小出の大阪公演用のチラシの原稿作成にとりかかる。新聞記事などをまとめて、なんとか作成。メールで関係者に送る。
これを終えて、カザフのハーリックにメールを書いて、もう一杯一杯。眼鏡を修理しなければならないので、17時半ちょっと早めに、会社を出る。千駄ヶ谷の眼鏡屋で修理してもらい、帰宅の途へ。
富岡でかや子とばったり。誕生日のお祝いをせがまれてしまう。
しばらく不在になるので、石巻かほく連載用の写真だけをスキャンしてメールで送る。
12時前に就寝。

2003年10月4日(土)

6時半に起床。荷物を送る手配をして、朝飯を食べ、7時40分すぎに家を出る。今回は、約2週間の出張になる。
家を出る前に、成田インフォメーションに確認、30分程度のデレイのようだ。8時半のリムジンに乗って、成田へ。ほとんど寝ていた。
10時成田着。珍しく混んでいる。ちょうど飛行機が着いたところ。通訳をしてくれるO君と会う。久しぶりだ。宗男関係でつくられた外務省の団体に勤務していたのが、この4月に解散になってしまったという。
11時前スコモローヒのメンバー5人が出てくる。みんな結構へばっている。とにかく楽器をトラックに積み込み、16分発の成田エクスプレスに乗車。荷物はぴったりに近い105キロ。心配していたエクセスがなかったのはなにより。
ボーカルのトカッチが、日本用の電圧に対応するプラグが必要だと言い出す。東京で時間が1時間あるので、買いに行くことにする。
東京に着いて、秋葉原に行き、プラグを購入、メンバーが食事しているところに行って、今度はジーマがもってきたビデオを会社に送る手配をしなくてはならない。
郵便局でユーパックで会社に送り、辻君に電話。これで一安心。結局昼飯は食えず、コンビニでパンを買って、新幹線に乗り込む。
パンを食べて、あとは名古屋まで熟睡。米原で迎えに来たバスに乗り、小浜を目指す。
この道路がなかなか素敵だった。琵琶湖沿岸をずっと走る。途中トイレに行きたいという声があがる。ドライバーさんにトイレ休憩を頼むが、なかなかトイレが見つからない。小の方かと思い、道端に止めてもらうが、どうも大のようだ。トイレがあるコンビニをやっと見つける。なんとか大事に至らず。本人が一番ほっとしていたようだ。
18時すぎにホテル到着。きれいな港町だ。考えてみれば、ここは地村さんが拉致されたところ。
チェックイン、20時に集まり、近くの小料理屋で食事。海のものはやはりおいしい。
メンバーも喜んで食べてくれる。いろんな質問が次から次へ飛び交う。なんかこういうのも疲れる。
21時半すぎホテルに戻り、そのまま解散。なんか疲れた。横になって、テレビで「踊る大捜査線」をみて、そのまま就寝。

2003年10月5日(日)

よく寝れたと思う。展望風呂を浴びる。8時半に朝飯、ちょっと貧弱な朝飯。しようがないか。10時にロビーで集まり、町の見学。小浜というこの町についてまったく予備知識はなかったのだが、かなりいい町だ。町並みが古い、それにここはどうも北陸ではなく、近畿、京都の延長のようだ。
たぶんここで一番名大きな店である西友で、およそ一時間買い物というか、見学に付き合う。結構今回のメンバーが田舎者であることがわかる。お土産の焦点は、なんでもいいから買わなくてはいけないという人たちに、どれだけ安いものを買うか、そして一番大事な人たちに、例えば奥さんとか彼女とかに、日本製のものを買うかというかにかかっている。
どうでもいい義理のお土産は、ダイソーで、そして大事な人にはどれだけ日本製のものを買うかということになる。二律背反というのは大げさかもしれないけど、ある意味ではわかりやすい。
昼飯に、鯖の焼き寿司というのを食べる。これが絶品。
ホテルに戻って、少し昼寝。15時20分ホテル発、会場で打ち合わせ。マイクの位置などを中心とした打ち合わせ。
いったんこれでばらけて、ホテルに戻る。町を少し歩いてみる。アパッチがメインステージで公演していた。観客も少なかったが、彼の演技もごまかそうとしていて、緊張感がまったくないステージだった。
駅前の広東料理やで五目そばを食べる。これも最低だった。
西友に寄って、コーヒーを飲むための器具を買ってしまう。
20時半ホテルを出発、会場でリハーサル。大きな問題はなかった。スタッフさんは、そんなひどくなかった。北九州の博覧祭の時のことがいろいろ思い出されてきたのだが、ここはみんな協力的。
マイクチェックをふくめ、1時間半のリハ。一番緊張していたのは、パーカスのジェーニャ。彼はいろいろ言うのは、相当プレッシャーがあるのかもしれない。
22時半リハ終了。
さすがに肌寒くなってきた。

2003年10月6日(月)

昨日もらった極上のコニャックを飲みすぎたようだ。少し二日酔い気味。相変わらずいい天気だ。みんな多少緊張しているように見える。10時前に会場着。物販の準備。最初は一枚って言っていたのに、次々に出てきて、結局は3枚のCDを売ることになった。一枚はボーカルのトカチのCDなのだが、あとはまったく関係のないもの。売れないと思うけど・・・
メンバーは楽屋で音合わせ、ずっと上機嫌だったトカチが、楽屋で苦悶の表情、少し腰をかがめたら、腰が痛くなったという。
いきなり、ぎっくり腰かよ。とりあえずサロンパスを貼ってやる。台湾でも同じことがあり、その時はバンテリンの注射をして直ったという。少し様子を見ることに。
11時一回目の公演、客席は8割程度の入り。お年寄りが多い。反応は上々。途中舞台監督がやってきて、やはりトカチが痛そうにしているという。一回目の公演が終わったら、病院に連れて行くことにする。
13曲、約50分のコンサート、なかなかヴァラエティーに富んで、いい公演だった。CDはトカチのものが4枚売れる。
公演後、みんなどうだったと聞いてくる。大丈夫、いい公演だったよ、というと安心した様子。昼飯を食べて、いったんホテルに戻ることになる。ホテル経由で、トカチは病院へ。
バンテリンの注射はなく、それに近い痛み止めをうって、座薬をもらう。
16時二回目の公演、客席の反応は一回目よりいい。ロシア民謡はやはりいい。トカチも公演後売り場に現れ、CDが5枚売れる。
みんな最初の公演が終わったので、ほっとしたようだ。帰りのバスではアネクドート(小話)がばんばん飛び交う。
18時半通訳のO君と駅近くの居酒屋へ。本当に鯖がおいしい。O君が2年間勤め、この3月に解散になった外務省の支援委員会と、宗男問題についての話を聞く。ルポする価値があるかもしれない。
部屋に戻って、神の原稿の直しにかかる。約半分終わった。なんとか今週中にはあげたい。
12時前に就寝。

2003年10月7日(火)

睡眠時間は結構とっているはずなのだが、いくら寝ても寝たらない気がする。いつものように10時10分前にホテル発。気になるのは、トカッチの腰の具合、あまり良くなさそうだ。
11時の公演は、すばらしかった。客席とステージが一体になった。客席には小学校の団体が2つぐらいいて、飽きてしまうのではとちょっと心配だったのだが、逆にこの子供たちが客席を引っ張っていった。テンポのいい曲に、手拍子で応じ、それに反応するように、回りの大人たちも、手拍子をし、一緒に口ずさんだ。
中年以上の人たちがロシア民謡を受け入れると思っていたのだが、子供たちがこのようにアグレッシプな反応をするのは意外だったし、面白かった。
メンバーも昨日の客席の反応で、曲順や曲目も少し代えてきた。スタッフさんが、トカッチの腰の具合を気にしてくれる。ぎっくりではなく、捻挫のようなものだということで、冷湿布がいいことで、アイシングをしてくれる。
いったんホテルに戻り、休憩。野毛の福田さんから電話があったというので、電話。11月3日に歌声食堂の2回目もやることになったという。自分は姫路の楽日で出れないのだが、福田さんの店の都合や、歌声リーダーのSのスケジュールもあるので、この日にやってもらうことにする。出れないのは残念!楽しかったもんなあ。
16時からの公演は、一回目とうってかわって静かなもの。老人会の団体が多かったのだが、途中から席を立つ人が多い。集合時間の関係なのだろうが、メンバーも結構気にしていた。
夕食は、ホテル近くの居酒屋へ。なかなかいい雰囲気の店。地物の魚を中心にオーダー。じぐという鯛お似た魚の焼き物を、あまり美味しいものだから、いつもの癖で、しゃぶるように食べ、頭もほとんど残さず食べ尽くしてしまっんたのを女将がみて、魚もこれで本望ですねと声をかけてくる。この若女将、ハゼを見事な手さばきで、三枚におろしていた。
いろいろ話をしているうちに、明日メンバーにもここの美味しい魚を食べさせたくなってきた。夕食に関しては、主催者側からお金がでているのだが、おそらくろくに食べてないのだと思う。せっかくこんな魚の美味しいところに来たのだから、いいものを食べて帰ってもらおう。
21時すぎにホテルに戻る。今日はなにもしないことにした。横になって火曜サスペンス劇場をみて、そのまま就寝。

2003年10月8日(水)

せっかく小浜という美しい町に来たのに、散歩していなかった。ということで早めに朝飯を食べて、海岸線を歩いたあと、古い町並みが残る界隈を歩いてみる。小さな町なのに、お寺が多いのにびっくり。時宗、浄土真宗、浄土宗などさまざまな宗派のお寺が、10ぐらいある。古い町並みも、なかなか風情がある。
10時前に会場入り。一回目の公演は、昨日と同じように子供たちが多い、子供たちの反応もいい。驚いたのは公演後のトカッチのCDの売れ行き。12枚も売れた。昨日は一回目、2枚だけだったのに。
公演後、会場内の飲食コーナーで食事。値段のわりには、量が少ない。メンバーも少し不満そう。このあと西友に行って、デジカメの写真を現像してもらうが、こちらが頼んだものではないものが、焼き上がる。前と同じ、使い方がわからないのかもしれない。ホテルに戻って、メールのチェック、受信にえらい時間がかかると思ったら、小出の大阪公演のチラシの原稿だった。
二回目の公演は、昨日と同じように途中から席を立つ人が多いが、じっと耳を傾けて聞く人も多く、メンバーも気持ち良く演奏していた。またしてもCDがばか売れ。
18時半、昨日予約を入れていたホテル近くの料理屋「ごえん」へ。造り、天ぷら、越前カニ、雑炊、若狭かれいのから揚げというだされた料理に、メンバーは大喜び。女将のサチ
コさんも大人気。酒も進む。そしてまたしてもなし小話の連発。考えてみたら、ここのところ若いサーカスの芸人と一緒のことが多く、こんなおじさんたちばかりのグループと仕事をするのは、久しぶりのことだった。
骨の髄までロシア人、しかも男だけの集団となると、酒が入れば、こんなになるのも当然かもしれない、小話も下ネタが多くなる。
楽しい宴だった。彼らも今回の仕事にとても満足しているようだった。スタッフの細かい気配り、礼儀正しさ、仕事の正確さ、そんなことを絶賛していた。
いつものように乾杯のスピーチをする段になって、今回の仕事を通じて、いままでにない発見があったことが、とてもうれしいと話したら、みんな喜んでくれた。
パーカスのジェーニャおじさんが、いつも冗談しかいわないくせに、肩を抱き寄せ、こんな楽しいいい宴会ははじめてだ、ほんとうにありがとうと言ってきた。喜んでもらえてなによりである。
女将のサチコさんのポスピタリティ、そして料理のよさ、この店を選んでよかった。
21時に締め、部屋に戻り少し休み、展望風呂に入り、荷物の整理。神の原稿に挑戦するが、途中ダウン、そのまま寝てしまう。

2003年10月9日(木)

いよいよ今日で小浜ともお別れ、ということで朝、また散歩。八百比丘尼の定洞、小浜公園の展望台に行く。
荷物を犬山に送り、会場へ。11時の公演は、めずらしく団体の子供たちがいなかったのだが、いいノリだったと思う。
公演後、モスクワのペーチャから頼まれていたGacktのCDを買いに、駅前のミュージックショップへ。甘かった、売っているのはほとんど演歌のテープ。ポップス系はほとんどない。
あきらめて会場に戻る。16時から最終公演、超満員というわけではなかったが、いい公演だった。特別にジーマが「バイカル湖の畔」をやってくれた。
公演後荷物のパッキング、そして18時バスで会場をあとにする。発車してまもなく、「プロデューサーが飲んでもいいと言ったら、乾杯したい」というので、「ダバイ!ナリバイ!」と答える。みんな一斉に歓声をあげ、酒盛りが始まる。あっと言う間に、ウィスキイーが2本空く。
公演があるということで、ずっと飲むのをおさえていたのだろう。昨日もそんなに飲んでいなかった。飲むととにかくよくしゃべる、まあにぎやかだったこと。
20時前に米原駅到着。まだ飲み足りないようで、近くのスーパーでウィスキーを2本買い込む。新幹線に乗ってからもずっとしゃべくりまくっていた。
浜松すぎから寝てしまったのだが、彼らはずっとしゃべっていたようだ。どうも音楽家の道と人生について話していたようだが、時には喧嘩腰になったり、ああ古いタイプのロシア人だと改めて思ってしまう。
ほかの客は迷惑だったろう。酒とおしゃべりと小話、これはどうしてもつきまとう。
22時半東京着、ここで通訳のO君とお別れ。駅前のホテルにチェックイン、くたびれてしまい、そのまま就寝。

2003年10月10日(金)

今日は長い一日になる。8時前朝食、あちこち痛いのトカッチが、今度は頭が痛いと泣きそうな顔をしている。二日酔いだと思うのだが・・
8時半ホテル発、9時発の成田エクスプレスで成田へ。連休前ということで、結構混み合っている。小浜から持ってきてもらった荷物を持って、チェックイン。なによりもエクセスが心配だったのだが、辛うじてクリアー。ホットする。
トカッチおじさんが、腰が痛いからビジネスとエコノミーの間の席をリクエストするが、もうないという。ペーチャに頼まれたGacktのCDを探しに行くが、ない。ごめんするしかない。
10時過ぎにみんなとお別れ。さあ次はハーリックを迎えに名古屋へいかなくては。
途中静岡に寄って、打ち合わせをすることにする。弁当を買って新幹線に乗り込み、14時静岡に下車。
1時間ほど打ち合わせをして、名古屋へ。19時に空港到着。わざわざ大阪から迎えに来た、Y社のT氏とM氏と合流。
20時前ハーリックがゲートに姿を現す。顔つきがぜんぜん元気そう。3年前に会ったときとはうってかわった明るい表情。すぐにまた冗談の連発。いつもハーリックだ。うれしくなる。
タクシーで岩の茶屋へ、息子のバウカ、ダスバトゥイリョフらが迎えてくれる。早速お土産で持ってきたウォッカと馬肉の燻製で乾杯がはじまる。
メンバーは明日から3日間3回公演が続くので、早めに引き上げる。ハーリックとバウカを宿舎に送り、ホテルにチェックイン。そのあと白木屋で、T氏とM氏と飲み直し。結局3時まで飲む。
ハーリックが最初に会った時と同じように、明るく、元気になっていたのがなによりもうれしい。国立サーカスの仕事から解放され、自分でサーカスをつくろうとしているハーリックには、純粋にサーカスのためだけに働いているという喜びが感じられる。

2003年10月11日(土)

目が覚めたら、もう9時45分、あわててT氏の携帯に電話。すぐに行くことを伝える。バスには、ハーリックとバウカも乗っていた。リトルに着いて、所長に挨拶。ここでハーリックがまたジョークを連発する。
カザフは大きな国で、人口は東京より少ないまでは良かったのだが、国の大きさを表現する時に、ヨーロッパ6つ分と言ってしまう。所長は訝しげな顔、それを見て、間違った、フランス6つ分と言いなおす。自分は6人の奥さんがいるという話も披露、すっかり煙に巻いていた。ほんとうに昔のハーリックに戻っている。通訳していてもうれしくてしかたがない。
11時の公演を見る、お客さんの反応を見て、ハーリックもすっかり安心したようだ。T氏もM氏も、サーカスをたくさん見ている、そのふたりも絶賛。ハーリックもその反応を聞いて喜ぶ。T氏とM氏は、公演を見て、少しリトルを見学して、帰る。ほんとうによく来てくれた。ありがたい。
台湾亭で食事、ハーリックがビールを飲みたいというので付き合う。結局2回目も3回目もショーを見ないで、ずっとふたりで話し込むことになる。
今回のメンバーを派遣するまでの苦労話、国立サーカスを追い出されてから、自分のサーカス団をつくるまでの話、これからの計画、3年間会っていない間の出来事をずっと話してくれた。
しかし自分は完全に二日酔い状態、結構シンドかった。公演後いったん別れて、ホテルで休息。たまっていた洗濯を片づける。
19時駅で待ち合わせて、魚民で食事。ドアに貼ってあるヒゲのおやじがハーリックにそっくりだったので、お前の店だなあと言ったら、まじまじと見て、ほんとうだと大笑い。
また飲みながら、馬鹿話もはさみながら、いろんなことを話し合う。22時前に別れる。疲れた、というか眠い。
なにもする気にならず、そのまま横になって、KIの試合を見ながら、寝てしまう。

2003年10月12日(日)

今日は通訳のよっちゃんがいないので、通訳として働く日。ハーリックはバウカのアパートでお休み。10時半リトルに到着。今日は昨日よりもたくさんの人が詰めかけている。
舞台裏のPA席からショーを見る。観客やアーティストの表情がよく見える。1回目の公演後、ローラーバランスのアルマーズの板にひびが入ったことで、ひともめ。1週間前に一枚は割れてしまい、これが最後だという。
ダスバトゥイリョフの親父が、厚さが同じぐらいの板を発見。それをO氏が鋸でカット、アルマーズも試しに乗ってみたら、大丈夫ということで事なきを得る。
なにかとやはり起こるものだ。昼飯は、山形の家の前で売られていた芋煮と、やきおにぎり。
公演後バス停に行くと、ちょうどバスが出たばかり。アルマーズと自分が取り残されてしまう。この時アルマーズの追っかけで、毎週末に見に来ているおばさんが近寄ってくる。車で来ているので、駅まで送ってくれるという。アルマーズは是非というので、乗せてもらうことにする。
今日は娘さんと来ているみたいで、アルマーズと一緒に帰れるということで親子そろって大喜び。おばさんは運転しながら、大汗をかいていたし、アルマーズの隣に座った娘さんもラッキーとはしゃいでいた。
いまどきこんな人がいるのかとちょっと感動してしまう。
駅前でおろしてもらう。イトーヨーカドでデジタルカメラの写真をプリント。地下で買い物して、ホテルに戻る。Gパンを洗濯、2時間ぐらい横になって寝てしまう。
22時からお待ちかねのラグビーのワールドカップ、スコットランド戦を見る。勝てる試合だった。もったいない。
しばらくまた夜は飲み会が続きそうなので、少し集中して神の原稿に向かう。2時すぎ就寝。

2003年10月13日(月)

ちと遅めに起きて、連載中の石巻かほくの原稿を書く。考えてみるとあと書けるのは、木曜か金曜になる。
遅めにリトルに行くことを電話しておく。それにしても外はひどい雨。犬山市内を少し散歩、犬山資料館で開催中のからくり人形展を見る。からくりは動いていないとなにも面白くない。
13時の公演に合わせて、リトルへ。雨があがる。皮肉なものだ。もう少し早くあがれば、連休最後の日で、たくさんの人が来たのに・・・
ハーリックが今日はパーティーをするといって大騒ぎ、プロフをつくるから鍋が必要だという。Oさんに頼んで、いも煮用の鍋を借りることにする。韓国亭で昼飯を食べたあと、自分とハーリックは買い出しにいくことになった。
ハローで、買い物、これがまた大騒ぎ、肉のブロックで脂身の多いやつを5キロ、野菜など、すごい荷物になる。
16時に宿舎に着き、アーティストがみんな来はじめて、料理の準備する間に、ふたりでウォッカをちびりちびり飲みはじめる。
リトルの人たちもみんな集まり、結局大宴会になってしまう。プロフを食べたのは覚えているのだが、音楽ならして踊ったり、飲んだりしているうちに、すっかりできあがる。一体何本のウォッカを飲んだのだろう。2時すぎにハーリックをアパートまで送り、ホテルに戻る。
楽しい宴だった。

2003年10月14日(火)

完璧な二日酔い、通訳のYちゃんの電話で目を覚ます。10時半に犬山駅でハーリックと落ち合うことを、バウカに伝えてもらう。
荷物を整理して、東村に行く荷物をリックにまとめ、あとは家に送る。結局11時すぎに犬山駅にハーリックとバウカが顔をだす。ハーリックも完全に二日酔い状態。これだけ飲んだのは久しぶりだと言っていた。
名古屋までバウカと一緒、名古屋で12時すぎのこだまに乗る。とにかく睡眠がとりたかった。ずっと寝ていた。15時前に東京着。浅草15時40分発のりょうもうに乗車。ここでハーリックがキップをなくすという事件が、自動改札口のなかにあった。乗ってから今度は灰皿を引き出すのに、あちこちたたいているのでびっくりして止める。新幹線の灰皿とはちがうので、開かないのかと思ってたたいたという。勘弁してもらいたい。
すぐにふた言目には、「俺は田舎者だから」という。ここでもずっと寝ていた。18時25分神戸駅着。西田が迎えに来ていた。ふたりが会うのも久しぶりのこと、再会を喜びあう。
車で資料館へ。今日福岡から到着したキャロリーヌ、マーク、ナジェージダ先生、関口さんが合流、またまた大宴会。ウォッカ、酒、焼酎のチャンボン、少し電車で寝てきたので、あまり酔わなかったが、西田は結構酔っていた。
先生は、久しぶりにロシア語で話せるということで、だいぶ喜んでいた。
12時すぎにお開き。さすがに二日連チャンはきつい。

2003年10月15日(水)

ちょっと二日酔い、朝飯がけっこう食べれたので、そんなひどくはなかったと思う。10時すぎにサーカス学校へ。ここへ来るのは1年ぶりぐらいになるかもしれない。いつのまにかいろんな道具も増え、学生の顔も初めて見るのが一杯いた。みんなずいぶんと明るい感じがした。
最初にブランコ組と、ジャグリング組に枯れて分かれて練習することになった。ブランコ組は、キャロリーヌが持ってきた、ブランコを吊る作業から始める。
ハーリックは最初だまって見ていたが、アクロバットをしている二人組の女の子たちの練習に口を出しはじめる。通訳としてそれからずっとこの二人組の練習に付き合うことになる。最初は軽く口をだす程度だったが、だんだん熱が入ってきて、自分が下になって、倒立を受けてやったりするようになる。彼の教え方の特徴は、勇気を与えることだ。なんども繰り返させ、良くなると、そこでほめまくる。そのほめ方は、別に訳さなくても、彼のジェスチャーを見ればわかる。
ふたりの子たちはなにか発見したような感じがした。昼飯を食べに資料館に戻った時間をのぞいて、ハーリックはずっと指導にあたる。ブランコ組もキャロリーヌの指導で、いろんな技術を実際にやってみる。マークはみんなやらせて、その感想を伝えたりしていた。18時まで練習、ハーリックは最後の方では、立ったまま女の子を逆立ちするのを受ける役を勤めていた。25年アクロバットから離れているのに、たいしたもんだ。
最後にきっとがんばって練習すれば、いいアーティストになれるはずだと言うと、女の子のひとりが涙を流していた。
ハーリックも久しぶりに現場で、若い学生を教えるということで、うれしかったようだ。ちょっとジーンときてしまった。
それにしても1年前から比べて、みんな格段にうまくなっている。なによりも全体の雰囲気が明るいのが良い。サーカス学校らしくなってきた。
練習を終えて、そのままサンレイクの温泉につかる。ハーリック大喜び。西田さんと露天風呂で、将来の夢を語り合う。
今回ここに連れてきて、ほんとうによかったと思う。
20時すぎに資料館に戻り、食事。今日は昨日が昨日だったので、軽くビールだけ。学生の何人かが、マークが持ってきた、ジャグリングのビデオを見る。西田さん、キャロリーヌ、ハーリックは先に寝る。
12時前にみんなが帰るのまでつきあい、就寝。

2003年10月16日(木)

昨日はあまり酒を飲まなかったせいもあって、さわやかな目覚め。しっかり朝飯を食べて、学校へ。ブランコの設置方法を、キャロリーヌ立ち会いのもと、再度確認。
10時半に学校を出る。その前にみんな揃って記念撮影。ハーリックは昨日自分が教えた生徒に、とにかくがんばればなんとかなる、いい芸人になると励ましの言葉を送る。ハーリックは団長というのがお似合いだが、いい先生でもあったわけだ。
11時すぎに、赤城駅に到着。ハーリック、キャロリーヌ、マルクは、西田とお別れ。三人にとってもこのサーカス学校での1日半は、とてもいい思い出になったに違いない。
特急りょうもうで浅草に向かう。車中は例によって、ずっと寝ていた。13時半浅草着、キャロリーヌたちの荷物を今晩彼らが泊まる大野のマンションに運ぶ。そのあと六本木ヒルズへ。
15時からストーカーの公演を見る。評判がいいとは聞いていたが、なかなかのもの。野性味があって、いい。公演後六本木ヒルズのイベント担当の責任者に挨拶。とても好評とのことで、喜んでいた。
ハーリックとふたりで六本木交差点のそば屋で遅い昼食をとり、八重洲のホテルにチェックイン。
18時半ホテルを出て、六本木の居酒屋で、ストーカー、スプラット、キャロリーヌ、マルク、そしてハーリックが集まっての食事会。自分の回りは、ストーカーのエンマ、キャロリーヌという酒豪が揃い、日本酒をガンガン飲むことに。カザフのエンマに負けず、オーストラリアのエンマチャンもなかなかきれいで、キップがいい。すっかり飲んでしまった。
21時すぎにお開き。朝早いので、そのままタクシーでホテルに戻る。
これで今回の出張もほぼ終わり、明日の見送りが終わればやっと家に帰れる。少しホットする。

2003年10月17日(金)

6時に起床、起こしてくれといわれていたので、ハーリックに電話。起きていたみたいだ。7時にホテルを出る。大野から電話、キャロリーヌたちはタクシーで大野の家を出発したという。東京駅でキャロリーヌたちと合流。7時半の成田エクスプレスで成田に向かう。
空港は先週同様たいへんな混みよう。あまり時間もなく、チェックインして、あっさり3人とお別れ。ハーリックとの楽しい一週間もこれで終わり、今度は俺がアルマトゥイに行こう。
京成の特急に乗って、両国まで。気功の治療を受ける。だいぶハードな2週間だったが、身体の具合はいいとのこと。確かにそれは自分でも感じている。
先生ご夫妻と近くの寿司屋で昼食。携帯に大野から電話、船で送ったストレンジフルートの荷物の一部が、六本木の公演まで着かないとのこと。ポールを支える重しを日本で手配しなければならないという。
また問題だ。13時に会社到着。2週間ぶりの会社。大野、辻は六本木。ひとりで精算やら、書類の整理やら、メールの返事。
重しの件で、あちこちに電話。大野がメールをだせる環境にないので、オーストラリアのエージェントとメールの交信。
結局20時ぐらいまで、会社にいることに。なんとか手配の見通しはついた。

2003年10月20日(月)

今日は大阪。昨日家の近所にできたチケットショップで、新横浜から大阪までの回数券を買ったのだが、ネットで調べると、ひかりは1時間に一本しかないことがわかる。品川開駅とか、のぞみ大増発とか、Tokioの「Be ambisious」に浮かれていたが、ひかりはこんなにも減らされていたのだ。
しかも新杉田駅にいったら、京浜東北線が事故で遅れ、接続の関係でこの一本しかないひかりにも乗れないことがわかった。しかたなく新横浜で、のぞみに差額を払って切り換え。なんとなく損した感じ。
新幹線で前から読もうと思っていたロシアのミステリーを読みはじめる。なかなかいいでだし。が眠くなり、静岡あたりから熟睡。
リトルの通訳のKさんから電話。一時は手術しなければとならないといわれていたオリガを病院に連れていったら、もう完治していたとのこと。なによりだ。本人も元気そうだったので大丈夫だとは思ったのだが、大事にいたらず、ホットする。
新大阪でラーメンを食べ、難波のNGKへ。いま公演中のガウチョスのメンバーと挨拶。ショーもなかなかのものだった。M氏と打ち合わせ。
梅田に出て、ホテルにチェックインし、一休み。18時30分からHEPへ。今日は事務局長の福田さんの勇退記念パーティー。ものすごい人。これだけヘップに人が詰めかけたのを見るのは、初めて。
いい会だった。福田さんも幸せものだ。会に来ていたT氏と途中から抜け出し、新地のバーへ。「パパ・ヘミングウェイ」という洒落た飲み屋。座った席の隣に本棚がおいてあったのだが、奥さんの読んでいるものと趣味がかぶっている。
24時ぐらいまで、カザフにいった時のことや、ウクライナにいった時の話で盛り上がる。店の前でT氏と別れ、ホテルまで歩いて戻る。途中小腹がすいてくる。
松屋でカレーを食べる。飲んだあとの締めにカレーを食べるなんて、はじめてのこと。
ホテルに戻りすぐに寝る。

2003年10月21日(火)

7時起床、胃が少し重い感じ。無理もないか、カレーを夜中に食べたのだから。シャワーを浴びて、チェックアウト。
新大阪駅で讃岐うどんを食べ、8時40分発ののぞみに乗車。昨日の続きを少し読んで、また睡眠をとる。
11時20分前に東京着、そのまま会社に向かう。
来年春に提案しようと思っているビデオを見る、なかなかいいのではないだろうか。
また明日からストレンジフルーツが来日するので、バタバタするが、今日は束の間の自由なひととき。
18時に会社を出て、19時半に帰宅。
パソコンが調子悪くなっている。画面がまったく見えない。これから原稿を書かなくてはならないのが、いくつかあるというのに、なんていうことだろう。原稿書こうと意気込んでいたのに、外されてしまう。
しかたがないので、24時前に就寝。

2003年10月22日(水)

朝から雨。出社前に野毛のフラスコに寄る。フラスコの移転の話が本格的になり、その代替地の視察に付き合ってくれと頼まれた。いまのところから歩いて10分ぐらいのところ。
実際に見て、いろいろ問題があることがわかる。このあとみんなでミーティングすることになったが、今日はリトル組のメンバーから頼まれていた送金手続きをしなくてはならないので、そのまま参加せずに日本橋に向かう。
ふたつ手前の駅でおりてしまい、かなり歩くことになった。ウェスタンユニオンへの送金手続き。わりと簡単なもの。便利なものだ。
14時会社到着。家から画面の見えなくなったパソコンを持ってきて、故障内容について電話で問い合わせ。修理が必要だという。1週間から10日ぐらいかかるという。しかたがないが、痛い。家で原稿書きの真っ最中、とにかくデーターをできるだけ会社でつかっているパソコンに移し、原稿は会社のパソコンを使って書くことにする。このデーターの移しかえがたいへんな作業。だいたい画面が見えないのだから、まるで手さぐり状態。辻君に全部やってもらう。
前回の出張の精算。小出の大阪公演のDM用に名簿を整理。ラベルを打ち出しておく。チラシは明後日にはできるはず。こちらもあまり時間がない、なんとかやれるだけのことをやっておかないと。
18時すぎに、会社を出るが、まだ雨が降っている。

2003年10月23日(木)

朝出社してすぐに、モスクワのAから電話。なんでもいま仙台にいるとのこと、明日帰国するというので、今晩会うことにする。ただ夜は接待があるとのことなので、21時以降だったらとのこと。
家でつかっていたパソコンを修理にだす。いつ直ってくるのか・・・。
石巻かほくの次週の原稿をまずやっつける。これであと2回、やっと先が見えてきた。
来年の企画に提出する予定の、ビデオを編集・ダビング。
小出の件で、小出とHEPから連絡が入る。こっちもいろいろ動いていかないと。まずは大阪朝日新聞の学芸の人に手紙を書く。
今日は、六本木ヒルズのストレンジフルーツの仕込みの日。夜中12時から。大野、かなちゃん、辻君が立ち会うことになっている。夕方急に雨が降り、あわてるが、すぐ晴れる。今晩はかなり冷えるとのこと。
20時会社を出て、品川へ。Aからの電話を待つしかない。21時半ぐらいまで開業まもない品川駅を見学、ずいぶんと変わったものだ。人出もずいぶん増えたように思える。
スタバで、本を読みながら、電話を待つ。21時半電話が入るが、接待が遅くなり、今日会うのは無理とのこと。しようがない。
そのまま京急で帰宅。ラグビーのフィジー戦前半15分ぐいから観戦。この試合も勝てる試合だった。どうしてあんなに後半になると、攻めのパターンがつくれなくなるのだろう。いままでの3試合の中では、一番試合内容が悪かった。
12時半すぎに就寝。

2003年10月24日(金)

いよいよ今日はストレンジフルーツの初日。昨日というか今日の朝の仕込みは、2時間ぐらいかかったという。風も強くて、寒くてたいへんだったとのこと。
3日間雨が降らなければいいのだが・・・
午前中会社で雑用を済ませて、13時の回に合わせて、六本木ヒルズへ向かう。オーストラリア芸術祭のイベントのひとつなので、大使館の広報の人が中心になって、マスコミ対応。かなりの取材クルーが来ていた。
13時から公演。静岡で何年か前に見ているのだが、その時は遠くから眺めただけなので、今回が初めて見るようなもの。
自分は高いところが大嫌いなのだが、8人のパフォーマーが気持ちよさそうに、ポールの上で揺れるのを見て、自分も乗りたくなってきた。
大受け。スタッフの評判もいいし、ヒルズの担当の人も大喜び。なによりである。
15時前に会社に戻る。
小出の大阪公演のチラシが届く。あと残すところ公演まで、3週間足らず。いろいろやらなければならないことがある。
まずはチラシを送る手配。
今朝の仕込みに立ち会った3人は、もう眠くてしかたがないという感じで、早めにあがる。
自分も19時ごろに退社。

2003年10月25日(土)

お昼過ぎに家を出て、シアターXへ。演劇教室で今日から隔週で指導するサーカス学校のナジェージダ先生を迎えに行く。
15時前にシアターXを出て、先生がみたいと言っていた三軒茶屋の大道芸フェスの会場へ。
先生は、やはり自分の生徒たちが気になるようで、結局パティオの会場で、キエフ時代の教え子よっちゃんの公演、沢入サーカス学校の生徒の、TIM TAMとひぃろの公演を見ることになった。
結構人が集まっていた。サーカス学校のほかの生徒たちも、見に来ていた。
かなり雲行きがあやしくなったが、雨までにはならなかった。今日から所沢の市民まつりの現場があるし、六本木もやっている。
どちらともうまくいったようだ。
公演を終えたよっちゃんも途中から先生のところに。結局先生はよっちゃんの家に泊まることになった。
19時すぎには先生たちと別れて、帰宅の途へ。

2003年10月27日(月)

10時出社。ストレンジフルーツの撤収組は、午後出勤なので、ひとり。昨日の六本木はたいへんな人出だったらしい。朝日の東京版にも写真がでたりして、そのために来た人も結構いたとのこと。
いずれにせよ六本木の大きな山は越えたことになる。
先日修理に出したパソコンの修理代の見積もりがFAXで送られてくる。なんと45000円もするではないか!
15000円ぐらいという話だったのに、ショック! でもしかたがない、これで発注することに。あとで家からのメールで明日には家に配達されることがわかる。
部品の交換とかだったのだろうか。
半日かかりで、小出の大阪公演のDM発送の準備。150通ぐらいになった。なんか久しぶりにチラシを折ったり、切手を貼ったりした気がする。
この作業を終えて、カバチッタの精算に手をつけはじめる。収入についてはわかっているのだが、支出の分をそのままにしておいた。領収書を整理、あとはチラシ代とかが出れば、収支がはっきりするはず。
もう1カ月以上経っているのだから、早くやってしまわないと。
19時退社。今日はラグビーの予選最終試合。いいところでいったのだが、やはり力不足ということなのだろう。今回は視聴率も悪く、日本も全敗ということで、ラグビー人気はますます凋落傾向になるのだろうなあ。
12時すぎに就寝。

2003年10月28日(火)

朝から雨、めざましの天気予報で帰る時には傘はいらないでしょうと言っていたが、ずっと一日降っていた。
久しぶりに全員揃ったので、朝軽くフール祭についてミーティング。互いにやることを確認する。
14時糖尿の定期検診、若干数値が下がっている。今月は結構飲んでいるから、また上がっているかもしれない。
帰って来てから、ストーカーのビデオを見る。なかなかいい。
家からメール、パソコンが修理され、配達され、ネットの接続もうまくいったとのこと。これで一安心。
帰宅途中の電車のなかで、大阪から電話。小出を取材したいという新聞社があるという。ただ小出は静岡があるので、大阪にはいけそうもないので、電話取材ということで話してもらうことにする。
マスコミの食いつきが思ったより早いので、ちょっと手応え。

2003年10月29日(水)

昨日とうってちがって、いい天気、しかも汗ばむような陽気。原宿でおりて北青山に立ち寄り。表参道の古いアパートがすでに取り壊されていたのを見て、びっくり。会社でその話をしたら、いまごろなんですかという感じだった。だいぶ前に取り壊しがはじまったらしい。
11時出社。いしのまき河北の原稿をやっつける。10回の連載もこれで、残すはあと一回。峠を越えた感じだ。
リトルの公演を見に行ってくれた大阪の人から電話、とても良かったとお褒めの言葉。来年メンバーのうちの誰かを大阪に呼びたいという話も出てきたという。いいことだ。
15時から出版社で神の本についての打ち合わせ。久しぶりに水道橋でおりた、ずいぶんラーメン屋が増えている。今日は古本市で、神保町も人で混み合っている。
今日は写真についての打ち合わせ、本をづくる作業のなかでも楽しい仕事のひとつなのだが、思いがけない話を聞いて一瞬ビクッとする。刊行日が来年1月に正式に決まったという。のんびり構えていたが、ということはかなり慌ただしくなるということだ。
いしのまき河北の連載も一山越えて、しばらくはのんびりできると思ったのだが、そんなことも言ってレなくなったられなくなった。今年はこんな年なのかもしれない。
飯田橋で名刺を受け取って、そのまま気功の治療へ。ほとんど寝ていた。
20時帰宅。

2003年10月30日(木)

家を出る時に、猫のチビと遭遇。毛がぼさぼさ、もう老齢で毛繕いができなくなったという。いくつなのだろう。この前病院で人間だったら150歳ぐらいですよといわれたらしい。たいしたもんである。
森田さんの本を買ってくれそうな人を50人ぐらいリストアップ、DMを送る。
本のための写真の件であちこちに電話、なんとか揃えそう。しかし函館の佐藤さんのところに電話したら、今年亡くなったとのこと。
本ができたらぜひ読んでもらいたかった人だった。椎名さんも亡くなった時はショックだったが、ふたりとも神さんと同級生だった。残念だ。
明日人間ドックがあるので、早めに帰宅。

2003年10月31日(金)

今日は人間ドックの日。5時起き。いつものことながらしんどいものだ。7時新宿着、歌舞伎町を通って検診センターへ。去年からこの検診センターなのだが、道中の朝の歌舞伎町がなかなかすごい。
まだ活動中なのですよね。ホストクラブ勤務らしきお兄さんたちを数多く見かける。
8時から検診。検査の合間に「蝉しぐれ」を読みはじめる。11時半検査終了、12時から昼飯を食べて、結果を聞く。糖尿以外はすべてA。血糖値は空腹時で154だった。
14時半出社。なかなかバリュウムが出ないので、気持ち悪い。
16時過ぎ会社を出て、渋谷のたばこと塩の博物館へ。明日から始まる「大見世物展」の内覧会を見る。
なかなか充実した内容だ。特に軽業の部のところでは、かなり時間をかけて見ることなった。パーティーも用意されていたが、ここには出席せず、ここで明日から週末口上と大道芸を演じる上島さんと佐藤さんとうだうだ話す。口上付のものは絶対に見なくてはならないようだ。
近くのさぬきうどん屋でうどんを食べてから、歩いて青山劇場へ。寝不足であくびばかり。フィリップ・ジャンティー見て、寝るということはないと思うけど、ちと心配になる。
19時からF・ジャンティの公演、今回は指人形劇といってもいいだろう、セリフも多いが、ジャンティーのエキスがすべて込まれているような気がする。公演後役者さんたちの案内でバックステージを見せてもらいながら、解説を聞く。これで6000円は安い、大満足の公演だった。
12時すぎに帰宅。


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