月刊デラシネ通信 > その他の記事 > クマのお仕事日誌 > 過去ログ2004年1月分

クマのお仕事日誌

2004年1月4日(日)

年末30日大掃除の時に、久々にぎっくり腰になってしまう。なんかの拍子でなったというのではなく、掃除が終わった時に、腰に違和感。そんなひどくはないと思ったのだが、翌日明らかにぎっくりの症状、正月を前にしてこれ以上悪化するのは嫌だと思い、マッサージをしてもらう。かなりよくなったのだが、元旦油断して思い切りくしゃみをしたら、また腰にきてしまい、腰を曲げたままじゃないと歩けないという完全なぎっくり状態になってしまう。
恒例の初詣に冨岡八幡に行ったのだが、およそ2時間近く立ったまま待つことになったのが、さらに悪化させたようだ。家に戻ったら事態はさらに深刻に、結局この日から3日間寝たきり老人状態になってしまう。
とんでもない三が日になってしまった。昼間はソファーに横になって、駅伝、ビデオをずっと見ることに。夜もそんなに酒も飲まずに、12時前には寝るというまさに寝正月。こんなことは記憶にない。
やっと今日から身体がだいぶ動くようになった。3日間寝たきりというのが、良かったのかもしれない。ぎっくりは結局静養しかない。
明日来日するトリオオスマンの件でメールが来たり、春のイベントに出演交渉している芸人へ条件を提示したり、明日の出迎えのためにジャンボタクシーを手配したりとか、仕事モードに切り換える。およそ4日ぶりに、12時過ぎまで起きて、年末から続けていた整理作業の続きをする。

しかしとんだ正月だった。でもあれだけ寝れたというのは、それだけ疲れが溜まっていたということかもしれない。いい意味で休養になったのかも。そう思い込むしかない。

2004年1月5日(月)

腰の状態がかなり良くなってきたので、結子と朝散歩を再開、およそ1時間散歩。出張の支度をしているときに、仙台のKさんから電話、のんびり話していたら、なんでもいまスペインにいるというではないか。漂流民が立ち寄ったカナリア諸島に行ってみたいという。その場所の確認のための電話。

奥さんと結子と三人で、上大岡へ。腰の状態がかなり良くなったので、パソコンを持っていくことにする。一応念のためにコルセットを巻いておく。食事をして、買い物をしたあと、横浜駅に出る。切符を購入して、ポルタの丸善で、「虚業成れり」の広告が出ている岩波の1月の案内を初めて見る。15時過ぎ新横浜から新幹線で関西空港に向かう。服部良一の評伝を数頁読みはじめたところで、睡魔に襲われ、そのまま名古屋まで爆睡。京都からはるかに乗り換え。自分の席に、すでに座っている人がいる。よくよく相手の切符をみたら、同じ7時46分のはるかで、号車も席番もあっているが、ただ午後7時ではなく、先着の人のは朝の7時。こんなこともあるんだなあ。

ソウルから飛行機は予定より10分ほど早く到着。楽勝かと思ったら大間違い。結局2時間も待たされることに。2回係員の人が来て説明してくれたから良かったものの、こんな待たされたのは初めてではないか。最初は滞在先の住所がわからないということだったが、2回目の時は、パスポートの国籍と、査証の国籍がちがうということでトラぶっているということだった。要は、子供の国籍はキルギスなのに、パスポートは、ロシア人の奥さんのものなので、入管でこんがらがったみたいだった。それにしても2時間も待たされるとは、素晴らしい仕事はじめになったものだ。しかもまた問題、道具の台が前回リトルの仕事が終わって、カザフのハーリックサーカスのベースキャンプに預けていたものが、昨日見てみたら、なくなっていたというではないか。これは大問題ではないか。あんな台そう簡単にあるわけがない。あわててローラバランスをしている日本人の芸人さんに電話、どこで手に入れられるか聞く。ラッキーなことにふだんはほとんど使わないので、貸してもいいという話になる。

22時30分劇場に荷物を下ろす、舞台で台に代わるものを探すが、適当なものはない、芸人さんに電話、貸してもらうことにする。

ゲストハウスに着いたのは、23時を大きく回っていた。腹が減ったというので、近くの居酒屋で食事。1時過ぎに別れる。2004年のスタートはこれで終わらなかった。まだまだドラマが待っていた。そんなに飲んでいたわけではないのだが、自分の予約したホテルが見つからず、迷子になってしまう。ホテルに電話して場所を聞くのだが、方向音痴の俺に、西とか東とか言われても、そう簡単にわかるわけがない。笑ってしまったのは、こんな迷子状態の時に、先日のHEPの小出公演の時の二次会でいったちんどんバーのママと偶然出会ったこと。お互いにやあお久しぶりと声をかけあったのにも笑ったが、まさかこんな時に、めぐり合わすとは。ここで地図を見せて、ホテルの場所がだいだいわかる。持っていた地図とほぼ同じところにやっと南海というホテルを見つけ、チェックイン。しかしなんとなくゴージャスで、ネットで予約した料金とは見合わないような気がしたら、案の定、ここはスイスホテル南海で、ちがうホテル、ここから一分のところに自分のホテル南海があると言われる。2時やっとチェックイン、確かに値段に見合ったビジネスホテル。あそこと間違うとは…スイスホテル南海のフロントの人は、あとできっと笑っていたに違いない。おそらく料金は3倍ぐらいちがっていたと思う。しかしたいへんな一日だった。なんとなく先が思いやられる仕事はじめだ。

2004年1月6日(火)

結局起きたのは10時近く、朝飯はパス。メールのチェックをして、返事をしなければならないところにメールを出して、部屋を出る。古本屋とジュンク堂を見て回って、ゲストハウスへ。メンバーはまだしっかり寝ていた。近くのスーパーへ案内、ここでいったんばらけて、15時にゲストハウスに集合。関係者に挨拶まわり、ビデオをみながら、段取りの打ち合わせ。今回はリトルではバラバラにやっていたジャグリングと、ローラーバランスを一緒に演じるため、その転換をどうするのかを中心に打ち合わせ。そのあと音響室に行って、音の打ち合わせ、口だけで説明するのは、無理がある。ビデオを見ながらきっかけについて確認する。結構たいへんだ。こういう時、お互い話がくどくなるのが常。それをそのまま訳すると、さらにくどくなる。その結果とんでもない絶対に出来ない状況が生まれてしまうことがよくある。こういう時は通訳を端折るしかない。

18時半からステージ上で、リハの開始。ぜんぜんダメ。段取りが芸人さんたちの間で、打ち合わせれてない。ひとつひとつ決めながらのリハになる。しかもテーブルがないので、さまにならない。ジャグリングとローラーを続けてやることで、アルマーズの足がパンパン状態、かなりしんどそうだ。2回目のリハが本番を想定したリハ。なんとか終わる。21時ぐらいに終了。しんどい一日だったろう。焼き肉屋で食事したあと、バーで1時近くまで飲む。

2004年1月7日(水)

借りることになっているテーブルの高さがいつも使っているものの半分の高さということで、もっと高いものでやってもらいたいといわれる。それはそうだろう。ローラバランスをしている芸人さんに片っ端から電話、おもにどうやって作ったのかを聞く。つくるしかないだろう。テーブルが到着、早速スタジオで組み立て、そしてリハ。問題はないようだ。13時に一回目の公演。多少ミスがあったり、テーブルの置く位置がまちがったりしたが、無難な中身。お客さんの受けもよかった。劇場に入っている業者アャさんと、テーブルをつくる打ち合わせ。速攻で明後日ぐらいにはできるという。ここで発注することにする。

これでだいぶ気が楽になる。

2回目の公演、ほぼ問題ない出来。しかしまたプロブレマ、アルマーズが使っているデビルスティックの棒が折れてしまったという。舞台さんに、頼んで、棒をもらう。太さについては、自分で削るという。

しかし今回はいろいろある。いったんホテルに戻って、ベットで横になる。Mさんと待ち合わせ、一昨日会ったちんどんバーに行く。ここは関西岡晴男を偲ぶ会の事務所になっており、カラオケも昭和40年までのナツメロオンリーという店。最近年なのだろうか、こういうレトロな方が落ち着く。しかしみんな嬉々として、三波春男や三橋美智也になりきって歌っている。21時ぐらいに営業からママさんが帰って来る。なんか大阪でやろうと盛り上がる。結局ボトルを一本入れたのだが、ほぼ空けていた。ラーメン屋に寄って、12時前にホテルに戻る。

2004年1月8日(木)

昨日寝る前に食べたラーメンのせいか、夜のどが乾いて目が覚める。あまりにもひどい渇きで我慢できず、自動販売機で水を購入。シャワーを浴びて、ストレッチをし、朝飯を食べる。めざましの占いでは、今日は最低の日。またかよという感じだ。
メールをチェックしたら、ギャラの交渉をしていた芸人から最終的にOKの返事がきていた。敵もかなりしぶとくなってきている。ホテルに荷物を預け、時間があるので、散歩をすることに。黒門市場を抜けたら、いつのまにか下寺町にでていた。このへんはお寺が一杯あるところ、前にも一回あるいたことがある。しかし古ぼけた寺に、モダンな寺が立て並ぶこの界隈は、またラブホテル街でもあった。ミスマッチだよなあ。まだ朝10時過ぎたあたりなのに、中年のカップルがいつのまにかにこの中に消えていったのを見た。面白いところだ。
途中高島屋の千賀地下で今日誕生日を迎えるアルマーズのためにウォッカを買って、12時すぎに、NGKに。メンバーはすでにリハ。アルマーズに誕生日おめでとうを言う。一回目の公演が終わったら、みんなか今日はアルマーズの誕生日だから、残れと言い出す。冗談じゃない。そんじゃなくても一日テーブルの件で、予定が狂っている。行けないと言ったら、じゃ部屋に来いといわれ、簡単な誕生パーティー。考えてみれば、メンバーはもう一回公演があるので、当然ながら誰も飲めないし、俺のためだったかもしれない。ほんとうに軽くウォッカを飲んで、アルマーズにお祝いを言う。梅田に出て、クライアントさんと別件の打ち合わせ。16時半すぎに劇場に戻る。公演終了後、借りていたテーブルをパッキング。そのうちに新しいテーブルが来る。アルマーズにのってもらう。ちょっとぐらつくのが気になるようだが、問題はないという。ステージであたらしいテーブルに乗ってもらい、照明の調整。これでやっと初日が迎えれるようなものだ。アルマーズもほかのメンバーをずいぶんほっとした感じだ。彼らもたいへんだったと思う。まさか来る直前に預けていた道具がなくなったことがわかったのだから。一番ホットしたのはアルマーズだろう。ここでやっと今回の仕事は終わり。みんなと別れて新大阪へ。19時半ののぞみに乗り、軽く弁当を食べて、ビールを飲んだら、そのまま小田原あたりまで、爆睡。23時前に帰宅。今回はほんとうに疲れた。

2004年1月9日(金)

 今年はじめて、出勤。年賀状の整理、精算を終わらす。パソコンの設定を変えるのに少し手間取る。春の企画の契約書をプリントアウトして、送る。年末にだいぶ整理をしたつもりだったのだが、もう机の上はいつもの感じ。
 フール祭のチラシができてている。当座はこのチラシまき、とDMの発送をしなければならない。モスクワに電話。春のリトルに出演する芸人さんの査証をとる準備もはじめなくてはならない。今年もこんな感じでまたバタバタと追いかけられるように仕事をこなしていかないといけないのかもしれない。
 19時半野毛へ。30日の呑兵衛ラリーの打ち合わせ。「波の上」は今日はお客さんで一杯。時間もなければ、まだ決まってないこともいろいろあるが、とにかくあとはやるしかない。
 日ノ出町から最終の一本前の電車に乗り、帰宅。

2004年1月13日(火)

 成人式が結局いつになったのか、よくわからないが、3日の連休はありがたい。体調はほぼ文句なし。
 なんための連休かよくわからないが、おかげさまで体調はグッド。身体がいつになく軽く感じる、首に痛みもないし、胸の痛みもない、足元もふらつかず、いい感じになっている。
 契約書関係の書類を作成。カザフのハーリックに電話、迷惑したぜ、テーブルがなかったのにはというと、兄弟は、簡単にごめん、しようがないよなあ。ところでお前いつアルマトゥイに来るんだと聞いてくる。お前は疲れている、アルマトゥイで休む必要があるという。10日は必要だとも。ありがたい話しだけど、やすめないよなあ。
 ちょっと早めに会社をでて、駒場のアゴラ劇場で、カナリア諸島出身のクラウンのショーを見る。文句なしに良かった。こんな奴らがいるんだよなあ。うれしかった。

2004年1月14日(水)

ロシア語の契約書を作成してしまう。チェックしてモスクワにFAXする。
1月30日の桜木町駅閉業イベントの仕組みがなんとなく見えてきた。あとは時間との闘いだろうなあ。
17時半会社を出て、両国の気功の治療。21時前に野毛に到着。「波の上」へ。福田さんが顔を出す。デスクの大野も全面的に桜木町イベントに巻き込む。
福田さんの予想では、土曜日のラクビーの決勝戦は、関東学院の勝ちとのこと。そうだろうなあ。
24時すぎの電車で、帰宅。デラシネのアクセス数がぐっと伸びている。横浜のクラシックサイトの大谷さんが、大きく『虚業成れり』の宣伝をしてくれたからだろう。
ありがたいことだ。

2004年1月15日(木)

さすがに昨日は飲みすぎたようだ。ちょっと体調不良。出社して、まずは桜木町イベントのカバレットの企画書つくり。
作成後メールで送付。やっと動きはじめたという感じだ。出演予定者に連絡。
このところコピー機の調子が悪い、何度か修理にきてもらっているのだが、線が入ってしまう。文化の会会報や、プレスリリースのコピーが大量にあるのに・・・
17時会社を出て、北青山の事務所に寄り、借りていた資料を返却。そのまま赤坂で、Kさんと待ち合わせ。B-Flatというライブハウスへ。Kさんが前からぜったい見て欲しいといっていたPink Bongoというバンドのライブを見る。
いやあ、面白かった。ライブ聞いていて、面白かったもないかもしれないが、このバンドは、この表現があっているかもしれない。
23時にでないと、キツキツ。アンコールは聞かずに、店を出る。なんとか品川から終電一本前の電車に乗って、帰宅。

2004年1月19日(月)

土曜日結子が突然熱を出す。医者にいったらインフルエンザとのこと。朝はさほどでもなかったのに、昼過ぎには、40度近い熱。医者に行ったらインフルエンザの診断。喉にまずきて、高熱というのが、今年のインフルエンザの兆候らしい。薬を飲んだら、38度前半まで下がる。
このインフルエンザが、誰に次はうつるのか?
土曜に立ち上げた、野毛の飲兵衛ラリーのHP、日曜はアクセスが60台だったのだが、かなりのペースで増えている。
カバレットシャーレの案内を、カバチッタを見に来て、アンケートを書いてくれた人や関係者にメールで流す。これを宛て先が全部でてしまう、CCでやってしまった。すぐにこれままずいんじゃないの、メールをいただく。大失敗だ。こういうことは慎重にやらないと。
お詫びメールを流す。これじゃ案内見るよりも不快感で、すぐにごみ箱行きだろう。ダメだよなあ。
15時過ぎ会社を出て、H大使館へ。
このあと新橋に繰り出し、O氏と辻と3人で、焼きとり屋。焼酎のボトル3本に、45度の焼酎をグラスで2杯、結構な量を飲んでしまった。
寝過ごして八景まで行ってしまう。

2004年1月20日(火)

完全な二日酔い状態。今日は朝一で、書類をつくるように大野と約束していたのだが、起きた時点で、遅刻状態。あわててメールを入れ、家を出る。
10時半に出社、それから書類をつくり、大野に渡す。これ以降はとても頭が働きだしそうにもないので、フール祭のDM用のチラシ折りに専念する。
それにしてもひどい二日酔いだ。昨日は確かに飲みすぎてしまった。
一日中チラシ折りに励む。
帰宅したら、悲しい便りが・・。神さんの取材の件で函館でお会いした、神さんの美術部の後輩佐藤さんが、昨年末に亡くなったという報せ。
神さんがハルビンで描いたスケッチを大事にとっておいてくれ、今回の本でもつかわしてもらった。お会いしたときは、精力的に活動しておられるようで、実際の年よりもずいぶん若く感じられたのだが・・・
本ができるのを楽しみにされていたひとりだったので、残念でならない。

2004年1月21日(水)

今日は二日酔いも直り、仕事モード。まずは来月キエフに出張ででかける西田の査証申請の書類を作成。ホテルの手配も。
昨日頼まれていた、大阪で出演しているトリオ・オスマンに関するインタビューをロシア語にする。これが結構たいへんな作業になってしまう。
「つっこみ」と言われても、どう訳したもんか・・・。悪戦苦闘の末やっと完成させ、FAXで送る。明日どんな答えが返ってくるものか・・・
今日サーカス文化の会。報告者の安部ちゃんの携帯に電話して、会の前に会場の近くのうどん屋でカレーうどんを食べる。
今日はブリュッセルとマドリッドで見たサーカスの報告だったが、予定せずに仕事の合間に見たものとしては、とてもいいサーカスが見れたようだ。
特にマドリッドのサーカスは、かなりの規模で、内容もあるものだった。面白い話が聞けた。
22時すぎに帰宅。

2004年1月22日(木)

六本木にあるウクライナ大使館に、査証申請。以前は確か7000円ぐらいとられたと思うのだが、申請代がタダになったのにびっくり。ビザ代で商売やっているのではないかと疑いさえもっていたのだが、たいへんな進歩だ。
来週にはできるという。
大阪の芸人のアンケートの答えを聞くために電話、もう答えてきたという。確認のため担当者に電話。なんとか英語で答えてくれたというので、この件は一件落着。
今日の光洋ちゃんの公演に、カバシャーレのチラシを折り込んでもらうことにする。簡単なチラシをつくり、コピー、バイク便で劇場に送る。
「波の上」から電話、今日30日の件で、記者会見があったらしく、さっそく新聞社が取材にきているという。カバシャーレについて、電話で取材を受ける。
モスクワのペーチャに電話。
19時前に駒場のアゴラ劇場に到着。顔見知りがたくさんいる。ほぼ満員の盛況。いい公演だった。
渋谷でちらっと飲んで、24時過ぎに帰宅。公演の感想を書いて、ホットクマにアップしておく。
2時前に就寝。

2004年1月23日(金)

フール祭のDMを今日中に出そうというのが、今週の大きな目標だったが、ということは今日中に投函しなければないないということ。
出社して、片づけることをまず片づけて、DM発送に集中することに。
顔なじみの人が来社してきたので、手伝ってもらうことに。これが結果的には大きかった。
何時までかかるかと思ったのだが、18時前には作業がすべて終わり、およそ2000通のDMを無事発送することができた。
19時過ぎ野毛のドルフィーへ、オールナイトライブの打ち合わせと思ったのだが、マスターがまだきておらず、またライブもあるようなので、あとで来ることに。
波の上で23時過ぎまでいたあと、再びドルフィーへ。30日の件を軽く打ち合わせ。
最終電車で、帰宅。

2004年1月26日(月)

朝10時横浜にぎわい座で、30日の公演の打ち合わせ。音響を担当してくれるTさんにきてもらう。何度かこの手のものをやっているので、小屋付のスタッフさんとの打ち合わせ自体は、簡単なもの。
終わったあと、Tさんとお茶を飲みながら、軽く打ち合わせ。
12時すぎに出社。岩波書店のYさんから電話、『虚業成れり』の本ができあがったという。代々木駅で5部もらうことにする。
夕方「レ・クザン」のジュロが、来社。面倒をみているカンボジアのサーカス学校に行く前に、日本に寄り道した。東村のサーカス資料館に行きたいらしい。
17時30分前に会社を出て、代々木駅で本を受け取る。西山さんの装丁で、ぐっとしまった感じの本になった。厚さが結構ある。400頁となるとこんなものなのだろう。
19時野毛万里放題亭で、カバシャーレのメンバーの打ち合わせ。2階に行ったら、顔なじみの野毛大道芸のスタッフさんや、パフォーマーたちがたくさんいるのにびっくり。今日はグランモール関係者の新年会とのこと。福田さんがいたので、出来立てホヤホヤの本を進呈。
小出、こうじ、武井さんといつものメンバーが集まり、少し遅れてチャイソンズの安西君と河野君が合流。チャイソンズとはみんな初対面で、最初はいくぶん緊張気味だったのだが、安西君が中国人の真似をしてしゃべりはじめたら、それに応じて小出が、答えたあたりから一挙に盛り上がる。構成に関しては、今回は時間がないので、それぞれ持ちネタを20分ぐらいでという話を最初にしたのだが、どんどん絡みの構成が決まっていく。
これは感じとして、かなり面白くなりそうな気配。
10時半ぐらいまで、盛り上がり放し。万里を出て、「波の上」に。ここから先の記憶はあまりない。
たぶん久仁子さんに送ってもらったと思うのだが。

2004年1月27日(火)

完璧な二日酔い。頭ガンガン、喉ガラガラ。とにかくシャワーを浴びる。軽く飯を食べて、家を出る。
11時六本木で打ち合わせ。最初に出されたお茶の美味しかったこと。1時間ぐらい打ち合わせをして、12時に出社。
いろいろ書類とか、つくらなくてはならないものがいろいろあるのだが、今日はダメ。
急なイベントの件で、片っ端から芸人さんに電話。
東村に行くジュロが来社。飲兵衛ラリーの案内の英語版を見せたら、笑っていた。8軒で足りるかって聞かれたから、たぶん足りないって答えたら、馬鹿って笑われてしまった。
昨日「波の上」で会ったらしい、サンケイ新聞の記者から電話、カバシャーレの取材を受ける。しかし昨日のことをほとんど覚えていないというのは、ちとひどい。どれだけ飲んだかということだ。
17時半すぎに、限界。今日はこのまま帰ることにする。

2004年1月28日(水)

10時出社、急に13時からアートスフィアでやる折り込み部隊の一員として参加することが決まった。とりあえずやらなければならないことをやってしまう。
12時ちょっとすぎに、会社を出て、スフィアへ。
今日の折り込みは、6000枚、一劇団3人なので、2時間ぐらいだろうとタカをくくっていたのだが、なかなかどうしてどうして、たいへんだった。
テーブルを回るやりかただった。これが結構身体にきた。最初の頃は、チンビクロサンボのようにバターになるのではないかと思った。
途中休憩も入って、16時すぎに終了。ぐったりという感じだ。
会社に戻り、17時すぎに会社を出て、また野毛へ。
朝日夕刊の全国版に飲兵衛ラリーの記事が出ていたという電話が入り、あわてて買いに走ってもらう。
マスコミ受けする話題なのだろう。
何故か、今日発売の『虚業成れり』を買えるのではないかと、野毛をさまよっていた森さんが店にやってくる。サインをもらうために万年筆を持参していたのにはびっくり。
表紙が相変わらずいいねえ、という話になる。
今日は早く帰ろうと思ったのだが、結局23時すぎまで店にいてしまう。

2004年1月30日(金)

11時六本木の打ち合わせの前に近くのウクライナ大使館に寄り、西田の査証を受け取る。11時からの打ち合わせは、30分ぐらいで終わる。
六本木の青山ブックセンターをのぞいてみるが、『虚業成れり』の本は見当たらず。そのまま横浜にぎわい座へ向かう。
仕込みがはじまったところ。
みんな気心の知れた連中なので、いつものように丸投げして、あとはみんな任せる。ケータリングの買い出し、駐車の件などの雑用にあたる。
ゲネプロの前に、「波の上」の様子を見る。かなりたいへんそう。
16時過ぎからゲネプロ。こっちは表の準備。あっという間に時間は経っていく。
19時客入れ。情報だと、飲兵衛ラリーの受付はパニック状態になっているという。当日券を購入する希望者が殺到しているようだ。
こちらはいたって静かなもの、TVKのカメラが入り、週刊新潮の人が来て、ちらっと取材を受けたぐらい。
21時20分終演、メンバー用にクーポンをもらっているのだが、ラリー参加店は、行列ができているところもあるぐらい混み合っているという話もあったので、大人数入れる中華屋でとりあえず、飯を食べることに。
クザンのジュロも途中から入る。24時前にみんなはドルフィーに向かう。ちょっとブリーズベイの受付をのぞく、だいたいピークは過ぎたような感じがしたのだが、これは桜木町の終電の時間ということもあるかもしれないとのこと。
小出とジュロたちは帰宅の途へ。元気がもうドルフィーに到着しているというので、ドルフィーへ。
ちょうどジョニーさんの二回目のステージが終わったところ、すごい数の客だ。
1時少し前にから元気いいぞうのステージ。今日は切れていた。みんな大笑い。
そのあと、チャイソンズ、ステラミラのステージ。どれもいいステージで、お客さんの反応も良かった。
そろそろ波の上に行ったら、座れるのではないかと思ったのだが、超満員。ちらっといただけで、魚民で締めのビールを飲む。
もうこのころのことはまったく記憶にない。どうやって家にたどりついたものやら・・・・。
しかしたいへんな一日だった。


過去ログ一覧へ デラシネ通信 Top