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クマのお仕事日誌

2004年3月1日(月)

いよいよ今日から3月である。週末は風邪でほとんどなにもできなかった。もしかしたらこの週末がこの春休める最後の週末だったかもしれないのに。なにかもったいない感じだ。
風邪はだいぶよくなりつつある。
いよいよフール祭まであと一週間。先週金曜日に朝日夕刊、週刊金曜日に簡単ではあるが、紹介記事が掲載されたということもあって、少しずつ電話の問い合わせも増えてきた。
クラッシックや演劇とはちがって固定ファンという層はうすく、やはり前もってチケットを購入するという人はまだまだ少ない。そういう意味でこの一週間が、券売の山場ともいえる。なんとかたくさんの人に見てもらいたい。劇場に足を運ぶまでは、おっくうかもしれないが、実際に生のステージを見れば、きっと至高の時間が過ごせるのだから。
来週来日するハンガリーサーカスの件で、こまごまとしたことをやっつける。今回は3カ月以上の滞在になるので、外人登録もしないといけない。
ゴールデンウィークの企画の件で、クライアントと何度か打ち合わせ。先週末に送ったビデオが見れないとかいわれ、あたふたする。結局はこれはボツ。別のネタで検討してもらうことに。
オスマンの来日の件で、ハーリックに電話。明日キルギスに行って、すべてクリアーにするということだ。
問題は航空券をどうするか、ソウル−アルマトゥイが週に一便しかないので、それ以外の経路を考えなくてはならない。現地でいろいろあたってもらうのが一番かもしれない。
先日電話があったラトビアのクラウンからビデオが届く。2人で1時間のショーをしている。たいしたもんである。
夕方また調子悪くなってきたので、早めに帰宅。

2004年3月2日(火)

先週木曜にとれてしまった仮歯を装着してもらうために出勤前歯医者に寄る。奥歯4本分がなかったので、ずっと違和感があってしんどかったのだが、やっとこれですっきり。
昨日読売新聞にフール祭の記事が写真入りででたので、問い合わせの電話が増える。今回は、朝日、サンケイ、読売と新聞は結構でたと思う。さらに東京新聞からも連絡、明日の夕刊に出るとのこと。日経新聞からも問い合わせ、日曜のウィークリーという欄で記事がでるという。毎日以外はとりあえず制覇ということだ。
西田と辻が、三百人劇場で打ち合わせ、大野出張中ということで、ふたりしか事務所にいないのだが、こういうときに限って電話がまとめてかかってくる。とりそこねた電話が何本かあった。
リトルの荷物について、電話で打ち合わせ。スケジュールを英訳しておく。六本木組の査証申請を金曜日にすることになっているので、その準備。
記入するのは明日だ。
千駄ヶ谷駅で日刊ゲンダイを購入、読書欄で「虚業成れり」の紹介記事を見つけて、思わずガッツポーズ。両国駅前に着いたら、ちんどんの音色が聞こえてくる。駅前にオープンした居酒屋の客寄せをしていた。しばらく立ちどまって見ていた。若い3人組だった。チンドンをやっている若い人が増えているようだ。
気功の治療、あまり気持ちよくて爆睡していたみたいだ。
21時すぎ帰宅。

2004年3月3日(水)

出社途中に千駄ヶ谷区民館に寄って、漂流民の会の例会用に4月の空き状況を調べる。今回は東京でやろうと思っている。空いている日にちで、報告者の都合を聞く。OKということなので、4月9日に決定。会報もつくらないといけない。
ハーリックから、オスマン来日のためのフライトスケジュールがメールで来ていた。これをもとにスケジュールを作成。今回はトルコ航空をつかい、イスタンブール経由で来てもらうことにする。
ネットでスケジュールを確認、ハーリックに手配してもらうようにお願いする。
スケジュールがわかったことで、まずは六本木に出演するオスマンとオクサーナの査証申請の書類作成をはじめる。
結局20時までかかってしまう。easternCabaretに行こうと思ったのだが、明日だなあ。
東京新聞の夕刊にオキドクの写真入りで、紹介記事が掲載されている。やはり写真入りはインパクトがある。
ジェーウェイブからフール祭取材の問い合わせ。FMヨコハマも取材するらしい。やはり新聞にでないと、こうした問い合わせはこない。
結構問い合わせも入るようになったし、いい感じになってきたのは確かだ。

2004年3月4日(木)

10時出社、今日は明日提出する六本木組12名の査証申請書類を用意しなくてはならない。これをとりあえずやる前に、メールの返事やら、リトルの件であちこちに連絡。
午後から本格的に書類の作成にとりかかる。メールで文春に書評が出たという知らせをもらったので、近くのコンビニで購入。とてもいい書評だった。ありがたい。
春の仕事の件でモスクワに連絡、スケジュールの確認。なんとか18時半すぎまでに、書類の準備ができたので、渋谷のeggmanに駆けつける。
開演30分過ぎに到着、ほとんど満杯の感じ。立ち見だったが、およそ2時間半のライブを存分に楽しませてもらった。
外に出たら木枯らしが吹いていたのだが、なにか身体の芯から暖かくなったひとときだった。飯を食べる暇がなかったので、渋谷駅前の吉野屋で豚丼を食べる。ウーンという感じだった。
23時すぎに帰宅。

2004年3月5日(金)

4月から来日する六本木ヒルズに出演するパフォーマーの査証申請のために、品川の東京入管へ。品川駅の駅ビルアトレがオープンしていたのにびっくり。品川はどんどん変わっていく。
10時過ぎに入管に到着。結構混み合っている。あちこちに電話連絡したあとは、読みかけの岩波新書『大黒屋光太夫』を読む。実に新書らしからぬ中身の濃い本である。さすが山下さんである。
お昼前にやっと手続きが終わる。13時前に会社へ。今日は辻がたいへん。朝FM横浜の取材で、昼過ぎにはJWAVEの取材、フール祭の広報担当官として、大活躍だ。FM東京からも前夜祭の取材の申し込み。身体芸のフェスティバルなのだが、テレビで細切れで映像を見せるよりは、もしかしたらラジオのようなメディアが、想像力をかきたて、集客にもつながるかもしれない。
いままで2度のフール祭ではなかったことだ。
フール祭ももうまもなくということで、いろいろたいへんなのだが、ゴールデンウィーク絡みの企画でまたいろいろたいへんなことになっている。大阪の企画がひとつ決まる。
九州の企画もほぼ決まりそうということで、モスクワに電話。来週は自分もそうだし、ACCはフール祭で誰も身動きがとれない、ということは査証申請やら契約やらをフール祭明けにいっきょにやらないといけないということだ。
ハンガリーの荷物が着いたという連絡。あとは通関の手続きの手配。
4月17日の「野毛・歌のアルバム」の企画をまとめ、出演者にメールで送る。楽しい催しものにしたいものだ。
フール祭、そしてリトルと、いっきょに来週からはじまるわけだ。今年もまた忙しい春になりそうだ。
明日からにそなえて、早めに帰宅。「たそがれ清兵衛」を途中まで見て、サッカーの五輪予選を見る。気になるなあ、清兵衛は、いずれきちんと見たい。

2004年3月7日(日)

9時半前に空港着。飛行機は10分のデレイ。まあ大きな問題ではない。成田に到着するマーシャを迎えに行っているKさんから電話、3時間近くのデレイという。
しようがない。10時20分ころハンガリーチームがゲートに姿を現す。大きな問題はなし。しかし寒い、宿舎まで行く途中雪がちらほら。ブタペストも寒かったらしい。
宿舎の説明、食事代の支払いなどをして、休んでもらう。
ホテルで、成田組の連絡を待つ。15時半頃到着という連絡を受ける、荷物は結構な量らしい。名古屋駅まで迎えに行くことにする。
17時半ころKから電話、これから新幹線に乗るという。号車と到着時間を聞く。
19時26分ミーシャ、マーシャ、それに娘のソーニャが到着、確かに荷物はある。荷物を持って名鉄の名古屋駅に着くまで腕がパンパン、汗だくになってしまう。
ミーシャもマーシャも疲れているようだが、ソーニャは元気一杯、お茶目。去年のイリアス以上に人気になるかもしれない。
20時半すぎに宿舎到着、部屋が寒いというので、ミーシャがかなり神経質になっている。今回は娘がいるからなあ。
ソーニャはだんだん元気になってくる。ミーシャとウォッカを飲んでいる時だった。辻がソーニャのためにプレゼントした紙風船(なかなか粋なことをするものだ)で遊んでいたのだが、その遊びかたが笑える。彼女にとって、紙風船は割るものだったのだ。膨らませて、それを足で割ることがソーニャにとっては楽しいようだった。
たぶん辻君は、こんな風に遊ぶとは予想してなかったのではないだろうか。文化の違いかもしれないが、腹を抱えて笑ってしまった。
10時前に宿舎をあとにする。

2004年3月8日(月)

犬山市役所に行き、明日の外人登録のための用紙をもらう。犬山城の付近を散歩する。犬山は古い町並みが残る懐の深い街だとつくづく思う。来月の4日から犬山祭がはじまる。一度は見てみたいものだ。
11時前に宿舎に、いろいろ宿舎の問題点がだされる。特に寒さにはまいっているようだ。歩いてバス停まで。
12時前にリトル到着、まずは空中ブランコのセッティング。ミーシャは、どうやって吊るかでいろいろ悩んでいる。音源を集めて、二枚にMDに編集する作業を平行してやってもらう。
ブランコのセッティングの間に、オープニングの練習。レティシアとソーニャのふたりの子供は、結構仲良くなっている。
13時に道具が到着、ハンガリー組は道具を出して、組み立て。いろいろ考えた挙げ句ミーシャが、いよいよセッティング。彼はルスツの時も感じたが、高いところは苦手のようだ。おびえながらタワーに登って作業。カザフのクルマンガジとはやっぱちがう。彼はもくもくとひとりで吊りものを自分ですべてやっていたが、ミーシャは、いろいろ注文が多い。
ブランコを支える4本のワイヤーをどこに張るかが問題になる。客席の一部をつかうことで一段落。
16時すぎに、犬山に戻る。イトーヨーカドで買い物。ふたりの子供たちが昼寝。抱っこしているふたりのおやじたちが、なかなかかわいかった。
ホテルに引き上げ、外人登録の申請書の記入。
今日はフール祭の前夜祭、どうなっているのだろう。
23時すぎに、いまキャナルで仕事をしている神山君から電話。ACCに電話したら、なんか前夜祭の打ち上げで、向こう盛り上がってましたよ、こっちはひとりで、しゃくになりましたという。気分は同じということで、
1時間近く話をする。彼のおやじさんのことで、盛り上がる。自分と同郷の石巻出身、ラジオのディレクターとしてずいぶん面白い仕事をしていた人のようだ。神山雄吉さんという。
かなり面白い人だ。石巻出身で、ラジオのディレクター。昭和のデカダンを生きた人のようだ。神山君が会わしたかったですよ、と言っていたが、ほんとうに会いたかった。
おやじさんがつくったラジオドラマのテープを借りることにする。

2004年3月9日(火)

10時に宿舎。エバの娘レティシアの調子が悪そうだ。昨日39度の熱があったという。昨日誕生日だったソーニャに、誕生祝いをあげる。まだ上目づかいで見ていて、人見知りしているようだ。小さな声で、「スパシーバ」という。
市役所に行き、外人登録の手続き。小一時間かかる。途中リトルに電話、病院を調べてもらう。近くに小児科があることを教えてもらう。登録手続きが終わったら、病院へ連れて行くことにする。
会社に電話、昨日の前夜祭の話を聞く。200人ぐらいの観客が集まり、ショー自体もとてもよく大成功だったという。良かった。ただ見たかったなあ。
12時半からまず、ブランコのセッティング、セッティング自体は問題ないようだ。マーシャが試しに乗ってみる。最後のトリックがなかなかできない。これはブランコのせいではなく、練習不足だろう。
レティシアは風邪とのこと。長旅の疲れと、着いた日の寒さが原因だろう。ソーニャは快調そのもの、だんだんなじんできて、自分のことを「ジャージャーミキオ」と呼ぶようになる。
オープニングのリハーサル、ここでもマーシャがダンスを覚えるのがたいへんそうだったが、慣れで問題ないだろう。演目の順番通りにやってもらい、道具の出し入れと、音との合わせをチェック。だいだい全体の流れが見えてきた。明日一回通しでやってもらうことにする。問題はショーの時間だろうなあ。
16時すぎにリハは終了。
18時白木屋でハドガーと一杯やる。北朝鮮サーカスがモンゴル公演したとき司会をしたのだが、その時の話が面白かった。ハドガーは明後日モンゴルに戻り、3月末に金日成の誕生日のお祝いの特別ショーに出演するためピョンヤンに行くという。お土産話が楽しみだ。
ハドガーの家に寄る。3歳になるハナちゃんは、ずいぶんしゃべるようになった。ウクライナサーカスの時は、自分の顔を見ると知らん顔していたのに・・・。ずいぶんなつこっくなった。
ずいぶん飲んでしまった。子供ってかわいいなあ。やっぱり。うちの娘たちもあんなときがあったんだよなあ。

2004年3月10日(水)

完璧な二日酔い状態、頭がガンガン、足元フラフラ。なんとか朝飯を食べて、リトルへ。ミーシャがもうブランコの設置を終えていた。昨日10時36分のバスに乗るって約束したのに、彼は1時間前のバスに乗ったらしい。しかも定期を忘れ、お金も持たず、なんとか運転手に説明してバスにのせてもらったらしい。さすがである。
13時から通しのリハなので、それまで時間があったので、事務所で打ち合わせ。
13時から通し。全体的に流れが見える。ブランコのマーシャの調子がいまひとつ。しばらく練習していなのと、昨日オープニングの練習の時に、側転したユーリイの足に手の甲をぶつけられ、腫れてしまったのも原因。
昨日よりはよくなったというが、バーを持つとき力が入らないという。時間的には40分強。流れとしては、ジャグリングが終わったあと、ブランコの設置まで少し時間がかかるので、そこでMCを入れる必要がありそうだ。
それをチェックする。15秒程度だ。
明日また13時から通しをやることにして、あとは自由練習。遅い昼飯を食べて、リトルを出る。
ホテルに戻り、あちこち連絡をとり、あとはずっと横になっていた。食事に出る元気もなく、カップラーメンの夕食。
ニュースステーションを見ながら、就寝。

2004年3月11日(木)

あれだけ早くに寝たのに、8時に目が覚める。まだ寝たりない感じさえする。朝飯を食べて、部屋でメールへの返事を書いているときに、大野から4月の仕事の件で電話、昨日のオキドク2の公演がすごく良かったという話が出る。見たいよなあ。
10時ホテルを出て、図書館で時間をつぶす。長谷川濬の小説を読んでいたとき西田から電話、オキドク絶対に見た方がいいから、とんぼ返りで見に来いという。うれしい誘いだった。半分はその気になっていたが、今日の通し次第ということもあるので、確答はせず。マーシャの手のことが気になっていた。
11時36分発のバスでリトルへ。マーシャ、ミーシャとソーニャと所長と一緒。マーシャの状態は、昨日よりは良くなっているという。
園内を一周する。Kちゃんとばったり、近況を聞く。なにもなければ東京に戻るつもりだったので、早めに昼食をしてしまう。
13時から通し。昨日よりはずいぶん良くなっている。マーシャも一回失敗しただけ。MCをするふたりも見てくれたので、アナウン
ス入りでやってもらう。流れ的には問題がない、所長も全部みてくれてとりあえず大きなダメだしはなし。リーダー格のラヨスは、オープニングの出来が悪いということで、やり直し。3回やってずいぶんと良くなった。流れを中心にしてやっていたので、オープニング自体の稽古はあまりしてなかったので、これは必要だったろう。ほぼできあがった。これで東京に戻る決意が固まる。西田に電話。喜んでくれた。
バスでマーシャと一緒になる。まだ本調子ではないというが、今日やって慣れればなんとかなるという手応えはあったようだ。
16時半ののぞみに乗って東京へ。三百人劇場には19時過ぎに到着。光洋ちゃんや手塚君など知った顔が一杯。阿久根先生夫妻と会えたのは良かった。
オキドク2の公演、こいつらたいしたもんだ。西田が見るべきだと言ったことがよくわかる。なにも劇的なことはしていないのだが、おかしいんだ。あたりまえのこと、ものをつかってこれだけおかしな世界をつくれる、これがたいしたもんだと思う。
くりかえし、あそび、あたりまえのものがアタリマエでなくなる、それを積み上げていってつくる笑いの世界に、クラウンの真骨頂を見た思いだ。見に来てほんとうに良かった。
時計を見たら、20時40分を回っていた。もう帰られないといけない。でも来て良かった。
21時半のひかりに乗って、一路名古屋へ。
新幹線のなかで、四方田犬彦の『ハイスクール1968』を読了。24時20分犬山駅到着。
疲れたけど、充実した日だった。

2004年3月12日(金)

オキドク2を見て少し興奮していたのかもしれない。調子に乗ってずいぶんひとりで飲んでいた。見たときの印象もすごかったが、見終わってからもいろいろなことが蘇ってくる。きっと西田が、トンボ返りでもいいから見に来いよという言葉をかけてくれなかったら、見に行こうとは思わなかっただろうし、その意味では、ほんとうに見に行って良かったと思う。
フール祭は、ACCにとってはやはり大事な仕事なのだと思う。オキドクを見て、なにか感じるパフォーマーやらお客さんが絶対にいるはずだ。
ということで今日のテンションは高い。13時ハンガリーサーカスのゲネプロ。公開リハだったが、今日は幼稚園と小学校の団体がいて、客席もほぼ満員。反応がとてもいい。心配していたマーシャのブランコもノーミス。
とてもいいショーになった。またたくさんの人にみてもらいたい。
公演中に撮ったビデオを見ながら、みんなで反省会。ダメだしは特になくても、見ればみんなわかるだろう。
今日はジャーマンホイールの誕生日、ワインをプレゼント。
18時からお好み焼き屋で、Kさんと、K氏とO氏と飲み会。途中S氏から電話、『虚業成れり』読んでほんとうに良かったという感想をわざわざ伝えてくれる。
うれしかった。これに乗じて、3人の前で自分の幻を披露。まったく無名の大好きなロシアのロックグループDDTを日本に呼ぶということ。神さんは大衆の半歩先と言っていたが、俺は誰も知らないものを自分の手でプロモートする、四歩も五歩も進みながら、幻を実現したい。
23時前に解散、明日からいよいよ公演だ、いい公演になる、手応えばっちりだ。

2004年3月13日(土)

いい天気、初演の日が晴れるというのは、久しぶりなのではないだろうか。さわやかな気持ちで、リトルへ向かう。楽屋裏に顔を出すと、Kさんが暗い顔をしている。中心になっているラヨスが熱があるという。昨日の夜発熱して39度もあったという。休憩室に行くと、解熱剤を飲んでいまは37・6度まで落ちたという。このところの不安定な天気、来日からの疲労もあったのだろう。
11時初演、オープニングもずいぶん良くなった。なにより観客の反応がいい。オーという声が、最初のキャシーの演技から客席からわき出る。自分はずっと客席が見えるところに立って、主に客席と、本社から見に来た幹部の人たちの反応を見ていたのだが、反応はいい。
一回目の公演が終わって、舞台では新聞社の写真撮影。ハドガーの娘さんはなちゃんをソーニャとレティシアのふたりの子供に紹介。本社の幹部の人たちをおおくりしていたA課長が、自分に向かって指で大きく○をつくって合図してくれた。いい感想が聞けたのだろう。
心配していたラヨスも、このあとまた少し食べて解熱剤を飲めば大丈夫だろうと言っていたので少し安心。
とにかくホッとした。まずは一安心。
二回目の公演、ラヨスが二度ほど失敗。ちょっと心配になって舞台裏に行くと、やはりかなり調子が悪くなり、体温を計ったら38・6度あった。
病院に行った方がいいだろう。とにかく3回目はがんばってやってもらい、病院に行くことにする。
三回目の公演が終わり、来るまで駅前の病院へ。風邪という診断。薬をもらい、点滴を受けることにする。キャシーが1時間ほどかかる点滴に付き添うことになった。
あとは今日ゆっくり休み、薬の効果を待つしかない。
ヨーカドでカップラーメンを買って、ホテルでラーメンとビールで食事を終わらせ、あとは横になってテレビを見ながら、23時すぎに就寝。

2004年3月14日(日)

今日も天気がいい。気になるのはラヨスの具合。楽屋をのぞくと、昨日よりはぜんぜんいいという。声は完全に風邪声、鼻水たらたら君になっていた。熱も37.5度ぐらいに下がり、食事もできるようになったという。一安心だ。
今日もお客さんが多い、去年は土日も最初の頃は入ってなかったのだが、それからくらべたらかなりの入りだ。今年は、ハンガリーサーカスと一緒に、土日は?まつりが開催されている。昨日は月山のそばを食べたが、なかなかの味だった。今日はまず沖縄そばを食べ、そのあと韓国のみそ煮込みうどんを食べる。沖縄そばもまあまあ、韓国のうどんは絶品だった。
ステージのところでうろうろしていたら、「大島のおじさん見っけ!」という声、昨日も来ていたハドガーの娘はなちゃんだった。今日はおじいちゃんとおばあちゃんと一緒だ。
公演の方は、3回ともほぼ満員。最初から最後まで「オーっ」という歓声があがる。
3回目の公演が終わり、みんなとしばしの別れ。帰りのバスに乗ろうと思ったら、満員。しかたなく立っていたらミーシャがこっち来て座れと、席を譲ってくれる。これをじっと見ていたソーニャが、「ジャージャーミキオはきちがいだ、私のお父さんの席をとってしまって」というのに、苦笑い。2歳でよくここまでしゃべれるもんだ。
また来週月曜日の歓迎会にでなくてはならないようだ。
電車ではずっと爆睡状態。身体は楽だったはずなのだが、なんか疲れたナア、年かなあ。

2004年3月15日(月)

久しぶりに杉田まで歩く。梅林の梅はほぼ散ってしまっている。桜並木の桜が少しずつ蕾をふくらませている。春だねえ。
とにかく今日は、明日提出する8名分の査証申請の準備をしなければならない。今日正式決定で、4月中旬の来日という急な話。明日申請しないと間に合わない。
契約書やら芸歴書やら、申請書の書き込みなど結局21時すぎまでかかってしまう。あせってやるとどうしても書類が不備だったりするので、とにかく慎重になんどもチェックしながら作成。
これだけで疲れてしまった。
途中新宿に飲みにいく、BPのベルニーが会社にやってくる。再会を喜ぶものの、またすぐお別れ。来週大阪でゆっくり飲めるだろう。
ヘロヘロになって22時すぎに帰宅。

2004年3月16日(火)

10時すぎ入管に到着、小一時間で受付完了。なんとか間に合うだろう。
12時前に出社。いろいろやらないといけないことがたくさんあったのだが、ほとんど手つかず。ハーリックからメール。なんでもアルマトゥイにある大きな劇場の支配人に就任したらしい。これから自分のサーカスとこの劇場の仕事とかけもちになるわけだ。でも能力のある男だし、仕事に追いかけられるぐらいがちょうどいいかもしれない。
14時半糖尿の検査、また血糖値の平均値は落ちている。あともう少し落ちれば、薬を一回やめてみましょうとのこと。
結構混んでいて、会社に戻らずに、水道橋のホテルに直行、BPズームのBernyをピックアップ。両国の気功の先生に連れて行く。去年秋に背中を手術してから調子が悪いとのこと。
17時から治療を受けはじめる。ずっと付いて見ていた。ずいぶん楽になったようだ。浅草でみんな食事するというので、奥さんに車で送ってもらう。またしばらく会えないということで、贈り物をもらう。あとでみたらなんとルコックの「詩をつくる身体」という翻訳書。なんでまた日本語の本なのか本人に確かめるしかないのだが・・。ぱらぱらと見る限り、とても面白そうな本だ。
19時過ぎに治療を終え、急いで帰宅の途へ。サッカーの後半になんとか間に合う。
24時前ハーリックから電話、メールを見たかどうかの確認。支配人になったことへのお祝いを言う。これからまたたいへんだけど、やりがいがあると言っていた。
なによりである。兄弟が、それこそどん底から這い上がってここまでまた復活したわけで、とてもうれしい。
お祝いに行かなくちゃなあ。

2004年3月17日(水)

急に決まった5月のゴールデンウィークの仕事のための査証申請をまた金曜日にしなければならない。今度は1名なので、そんな時間はかからないと思ったのだが、結構手間取る。
ロシアに契約条件をFAXとメールで送る。本人たちはカタールに行っているのだが・・・
ハーリックにもメールを出しておく。
フール祭が終わったと言っても、今日からBPは名古屋でワークショップだし、バラデューは六本木ヒルズで公演、ということでみんなたいへんだ。
自分もまた来週から大阪だし、いる間にやらなければならないことを処理してしまわなければならない。頭がパンクしそう。
しかもまたぎっくり気味。今日は早めに寝ることにする。

2004年3月18日(木)

今日は寒い。コルセットを腰にまいて出勤。午後から出かけるので、午前中に明日申請する査証申請書類を仕上げる。
15時のバラデューのショーを見に、六本木へ。国立競技場の駅は、サポーターで一杯。ずいぶん早くから集まるものだ。
バラデューのショーを見るのは初めて、いい。ボールとこれだけ遊べるというか、一体になれるというのは素晴らしいことだと思う。ふたりには満足に挨拶していなかったので、公演後挨拶。
このまま原宿のラフォーレに向かう。ラフォーレ原宿の25周年のパーティーに出演することになっている。17時から軽くリハーサル。あとは本番まで時間があるので、ふたりは原宿ショッピング。
特にやることもなく、楽屋でたむろする。楽屋での話題は今日のサッカーの試合。
随時奥さんから携帯に実況中継をメールで送ってもらう。バラデューのふたりも、日本が点をとるたびに歓声をあげる。もしも試合が決まったら、今日の公演のネタにできないかと聞いてきたが、たぶん試合はまだ終わらないので、やめた方がいいと言っておく。
20時40分ぐらいからショー。昼間の印象とはまたちがった感じがする。なぜか涙がこぼれそうになる。ボールやクラブなどをジャグリングする人たちは、一種その対象物に闘いを挑んでいると思うのだが、彼らはちがう。操っているのだが、闘いではなく、一体になることを目指してやっているような気がする。そしていくつかのすれ違いやら、喧嘩やらをするのだが、やはり究極的には一緒になろうとする気持ち、それがなかなかジーンとくるのだと思う。素晴らしいショーだ。
タクシーでふたりをホテルまで送り、辻と六本木のスタッフ2人と一緒にお好み焼きを食べる。かなり気に入ったみたいだ。日本の食事はとても好きだけど食べれなかったというか、もう二度と食べたくないと思ったのは、コールドヌードルと軟骨というのに笑ってしまう。
終電で帰宅。机の上に明日卒業式を迎える結子の小学校最後のあゆみが置いてあった。なんと皆勤賞の賞状も一緒。ぜん息で学校を休むことも多かったのだが、最終学年はみごと皆勤賞。丈夫になったものだ。
2時過ぎに就寝。

2004年3月19日(金)

今日は結子の卒業式。さすがに出れないのだが少し回り道をして小学校を見ておこうと思い立つ。ちょうど在校生による卒業生を送る会をやっていた。遠目から見たから結子の姿は確認できなかったが、寄って良かった。
入管に5月のGWに招聘するパフォーマーの申請。40分ぐらい待って受理してもらう。品川駅に新しくできた伊勢丹クィーンズを覗く、弁当が美味しそうだったので買う。それしても楽しい食品売り場だった。またゆっくり見てみよう。
12時前に出社。先日受け取った在留資格認定書を送るときに必要な書類を作成する。まずカザフを片づけDHLで発送。
ウクライナ分も作成しておく、あとは送り先を確認するためにメールを送付。
ハンガリーサーカスのビデオをダビング、頼まれたところに送付。リトルの4月の神山君の公演のための覚書を作成する。
GWの契約書を作成して、FAXでクライアントに送り確認してもらったあと、訂正して発送。
4月5日に予定しているplanBでのミーティングについてメンバーにメールを送ったところで、だいたいの仕事は終わり。今日はエンドレスかと思ったが、案外早くに終わった。野毛に寄ろうとも思ったのだが、結子の卒業式のあった日だし、家にそのまま直行する。

2004年3月22日(月)

いよいよまた出張ウィークがはじまる。ますは4月17日のカバシャーレのメンバーに仮チラシを送る手配。六本木に出演するウクライナのメンバーの査証の件で確認をするために、大使館のHPを見てみる。またしばらくしないうちに状況は変わっている。申請から2週間もかかるという。これは焦る。そんな時間がないではないか。しかも自分はこの一週間事務所にいない。その段取りについてつめなくてはならない。
六本木に出演するスラックタクシーが来日したという連絡。これは今回は見れないなあ。
突然仕事のオファー。あわてて見積もりを作成することに。これが決まったらまたおそろしいことになるのだが、でも仕事としてとりたい。
時間はあっという間に過ぎていく。13時半会社を出る。東京駅で少し時間が空いたので、八重洲ブックセンターを覗く。一カ月前に新刊コーナーに『虚業成れり』が沢木耕太郎の本と一緒に平積みされていて感動したのだが、もう一カ月も経っている、どうかなあと思ったのだが、なんと相変わらず平積みのまま、しかも書店が特別につくってくれたポップまである。めちゃ感動。
14時50分ののぞみに乗って名古屋まで。静岡までは熟睡。それから分析官アナスターシャシリーズの最新刊を読みはじめる。
しかし今日は寒い。
18時名鉄犬山ホテル着。ハンガリーサーカスの歓迎会。みんな元気そう。しかし今回のメンバーはミーシャ以外は見事なくらい飲まない。ジュースやお茶だけ。ミーシャと日本人スタッフだけがアルコールを飲む。
ということで早めのお開き。ミーシャが飲み足りなそうだったが、今日は遠慮しておく。いろいろあちこち連絡しなければならない。らなかった
21時ホテルにチェックイン。ウクライナの日本大使館に電話、水商売関係でなければ1週間でビザはでるという。ちょっと気持ちの余裕ができた。この結果を踏まえてウクライナ、そしてチェコのエージェントにメール。
明日からいよいよ大阪シリーズがはじまる。

2004年3月23日(火)

17時まで大阪に入ればいいということもあって、少し今日はのんびり。朝飯を食べたあと、メールをあちこちに送ったあと、前から行きたいと思っていた田県神社と、大県神社見学へ。田県神社は笑ってしまった。リトルでこの神社に行きたいと行ったら、MCをやっているお嬢さんが恥ずかしそうに笑っていた意味がよくわかった。これだけおおらかに男根を飾ってあるのを見ると、笑うしかない。これだけのおおらかさを日本は持っていたのだ。
ここから歩いて今度は大県神社へ。ここは姫の宮と呼ばれている。田県神社は県道沿いにあって拍子抜けしたのだが、ここは山のなかにあってなんとなく奥まってところにあり、それなりに雰囲気があっていい。奥にあった、あった女陰をかたどったものが・・・珍しいものを見ることができた。一緒に見に行かないとある女性を誘って断れたのだが、断られて正解だった。
名古屋に出て、近鉄で難波へ。アナスターシャ・カメンスカヤシリーズの続き、難波に着く30分前に読了。アナスターシャの人間味が前作よりさらに出ていて面白かった。
17時NGKへ。BPの明日からの公演のリハの前に、打ち合わせ。BPの気合が感じられる。ただ尺として長いかなあという気もした。
舞台監督のSさんが、フランス語も英語もペラペラなので、こっちは口をだすこともない。仕込みに結構時間がかかる。簡単にきっかけの音合わせのあと、通しでリハ。やはり15分を越えてしまう。客いじりもあるので少し長いという話になる。どこを削るかという話も出てきたが、BP自体10分におさめると言っていることと、やはりリハではなく本番を見ないとわからないという話になり、とりあえずは明日の初演の様子を見ることになる。
21時すぎにリハ終了。お笑いの殿堂で、はじめてサイレントコメディーをあえてやるという冒険をするわけだから、スタッフさんも緊張気味。
焼き肉屋で食事。相変わらずフィリップは根っからのオバカさんぶりを発揮する。

2004年3月23日(火)

6時過ぎに目が覚めてしまう。シャワーを浴びて7時20分過ぎにゲストハウスを出る。スタバでコーヒーを飲み、立ち食いソバやでうどんを食って、ラピートで関西空港まで。いつも思うのだが、犬山とリトル間のバス、なんばと関西空港のラピート、微妙な熟睡タイムなのだ。時間にすれば20分から40分弱、ゆっくり寝れないとわかっているのだが、身体はとても睡眠を欲している。だからたぶん時間的には10分ぐらいなのかもしれないが、熟睡した気になる。
8時40分すぎに関西空港着。到着予定は8時半だったのだが、8時にもう到着している。あわてて南ウィングにいくと、ちょうどクロームの面々が出てくるところ。こんなにスムーズにジャストタイムで出てくるなんて・・・・ハハハという感じだ。しかもリムジンもそんな待つこともなく乗ることができた。みなさんオースラリアンらしく陽気な方々。10時半すぎにはホテルにチェックインできちゃう。あのオスマンの時の待ちのことを考えると嘘みたい。
アーリーチェックインを頼んでいたので、メンバーにはゆっくり休んでもらい、晩飯を一緒に食べることにして別れる。時間が空いたので本屋めぐり。梅田の紀伊国屋や新刊の話題コーナーに平積みされていた。旭屋は、大衆芸能のコーナーに一冊。よく健闘していると思う。
12時半から一回目のショー。久しぶりに緊張してしまう。今回はなによりも客席の反応が知りたいので、客席で見る。出だしはいい感じ。しかしBPのステージではいつも気観客席がいちばん盛り上がる、ベルニーが指ぱっちんから歌を歌い、フリップがキンクスの曲にあわせて髪を振り回すシーンが、一番受けなかった。確かにいつもこのシーンでは笑っていた自分も笑えなかった。なにかが違っているのだ。なぜなんだろう。
一番受けるシーンで受けないというこの事実、これを一番受け止めているのはBPだろう。
クラウンって難しい、ほんとうに難しい。
この場合観客がちがうということが一番大きいのだが、それではクラウンを職として選んだBPにすれば納得がいかないだろう。
二回目も見る。一回目の経験を踏まれて、ずいぶん良くなっているのだが、例のシーンはあいかわらずだ。
笑いという世界の深さというものをとても感じる。状況というのが大きく左右する。でもこうした状況をどう乗りこえるのか、それもまたクラウンの使命なのである。
この実験的な公演の最後まで、付き合ってみたいという気がしてくる。
18時梅田のホテルに全員集合、みんなで居酒屋で食事。初対面のひとが多いのだが、みんなすぐに仲良くなる。これがACCスタイルである。
20時過ぎに別れるが、なんばのゲストハウスに戻るフィリップがあいかわらず最後まで笑わしてくれる。BPっていうのは、ほんとうにすごいクラウンデュオである。

2004年3月25日(木)

朝デラシネの掲示板を見て、びっくり。神山のおやじさんのことをよく知っているという人からの書き込み。一朗ちゃんの携帯にデラシネの掲示板を見るように留守電にメッセージをいれておく。
朝飯をたっぷり食べる、食べ過ぎだ。10時55分ロピーに集合、ちょうどボーン・イン・ア・タクシーがチェックインするところ。彼らも下見したいという。ぞろぞろと下見に出かける。最初のころはみんなも興味津々と現場を見ていたが、だんだんあきてきたようで、質問もでなくなる、明日係の人の誘導で動けばいいということになる。雰囲気を知ってもらえばいい。
クロームの3人を連れて、NGKへ向かう。今日は2階席から見てみる。フィリップが少しアドリブを入れたりと昨日よりはずっと良くなった。
公演後楽屋へ、今日は良かったと本人たちも手応えを感じたようだ。ただやはりあのロックンロールのシーンは、流れ的にやはりきついのだと思う。ネタの選択ミスなのかもしれない。
そば屋で遅い昼食。高いわりにはまずいソバ屋だった。フィリップのうどんにビニールが入っていたらしい。出番前で一番忙しいはずなのに・・。しかも猫舌らしい、大野にフーフーさましてもらいながら、必死で食べているのがおかしかった。
ホテルに戻り、少し休んだあと明日の打ち合わせのため、O社へ。主に役割分担を中心に打ち合わせ。
19時前に打ち合わせが終わる、大野はBPのところへ。自分は今日下見の時気になった三番街の四川ラーメンの店で、坦々?を食べ、缶ビールを買って部屋に戻る。一朗ちゃんから電話。掲示板を見て、やはりびっくりしたらしい。横になっていたら1時間ぐらい寝てしまう。
シャワーを浴びて、ビールを飲みながら、長谷川濬の小説を読みはじめる。ノートをとっている時に、今回のイベントの国内パフォーマーの総括責任をしているTから「飲みましょう」というお誘いの電話。ちょうど飲みたくなったところ。ロビーで落ち合い、がんこで飲みはじめる。結局朝3時まで、結構な量を飲んでしまった。

2004年3月26日(金)

昨日の飲み過ぎがきいている。午前中ほぼなにもできず。12時半にホテルのロビーに集合したあと、ヘップ5へ。13時半から顔合わせと簡単な打ち合わせ。
スタートはクロームの回遊から、ナビオを回るのにアテンド。めちゃめちゃおかしい。3人の動きがきちんと統制されているし、アカペラの合唱もいい。これは受けるの間違いなし。ただ平日の昼間ということで客が少ないのが残念。六本木で回転ドアにはさまれて子供がけがをしたため、スラックタクシーの1回目ができなくなったという連絡が入る。
このあとNGKに向かう。途中大野から連絡が入り、六本木の子供が亡くなったという。スラックタクシーの公演は今日は中止。しかしどんな事故だったのだろう。気になる。
今日がBPの楽日。本番前に楽屋に顔をだすとこれで最後ということもあるのか、ずいぶんリラックスしていた。1回目の公演も良かったという。
16時5分から公演。超満員なので2階の端のほうで見る。やはりマイクのところがシーンとしている。終わって楽屋へいくとワーストショーだと言っていた。荷物の片づけ。公演終了後吊っている道具を外すため、しばし休憩。バトンをおろしてもらって、道具を外し、パッキングをしてゲストハウスへ戻る。19時半すぎに梅田へ。
会社からの連絡ではスラックタクシーはとりあえずビーナスフォートでやることになったという。いろんな事態が考えられるわけだ。
金曜日の夜ということでどこの店も満員、やっとみつけてもらった居酒屋に入ったのが21時前。ぎゅうぎゅうの状態で軽く飲む。三雲から連絡がはいり、ホテル近くのがんこ寿司にいるというので、それに合流。1時すぎまで飲む。

2004年3月27日(土)

11時前にヘップ5へ。昨日の六本木の事故があったせいか、回転ドアの前には警備員が張りつき、何社かテレビのクルーがドア付近の撮影と取材。
11時すぎに今日のみんな役割分担を確認。それぞれポジションにつく。バラデューのファイブの公演につきあったあと、今日特別出演するBPの回遊にアテンド。BPの回遊はほんとうに雰囲気がある。圧倒的な存在感というのだろうか、その場の雰囲気をかえてしまう力がある。
このあとクロームとボーン・イン・ア・タクシーの回遊に付き合う。ボーン・イン・ア・タクシーは結構動きが激しい。そんなにハラハラすることもないのだが、気をつかう。
急遽BPがもう一回回遊をするというので、それに付き合う。しかし50も過ぎるとこうした回遊に付き合うのはしんどい。今日は2万歩近く歩いたことになった。
18時すべての公演が終了。19時半すぎにほぼ全員のメンバーが集まっての食事会。大野がテーブルをまたごうとして足をつったり、自分は自分で長袖の上にきていたテーシャツを脱ごうと思ったら、トレーナーも一緒に脱いでしまい、上半身を露わにするなど、ふたりで恥をかいてしまった。
22時半ぐらいにばらける。ヘップ5の脇でしていたストリートブラスバンドをみんなで見る。なかなかいいバンドだ。タクシーのキャロリンとニックが飛び入りで踊りだし、やんやの喝采を受ける。これだけ燃えると、やはり飲み足りなくなったものも多いようで、ホテルにまっすぐに戻ったのは自分だけ。あとは夜の町に消えて行った。
24時前には就寝。

2004年3月28日(日)

昨日早めに切り上げたのは正解。大部睡眠もとれ、朝飯も美味しく食べることができ、体調はグッド。11時開店前のヘップ5には相変わらずすごい人。今日は回転扉が作動中止、六本木の事件の余波なのだろう。
あれから別れてみんなカラオケに行ったらしい、結構へばっている人が多い。役割分担を確認したあと、まずはタクシーのスペシャルバージョンのエンジェルに付き合う。これはとてもいいと思う。このあとは少しほかの参加者の番組を見るようにする。こうじとちから、カウガール、UN−PAを見る。重森のUN−PAはいい。こうじとちからもとても新鮮でいいのだが、あの場所はキツイだろうなあ。クローム、タクシーのロービングに付き合うが、結構へとへと。やはり年寄りにはキツイ、来年からは辻君と大野さんに任せよう。もう卒業させてもらいたい。
18時すべて終了、19時半に鯨の下で集合。打ち上げ会場へ。みんないい感じで飲んでいた。22時に解散して、二次会の会場へ。
楽しい宴だった。今日お別れするパフォーマーがいる。バラデューそしてタクシーの連中はほんとうにいいやつらだったし、いいショーをやってくれた。2時過ぎにホテルにきかん。明日会えない連中とお別れ。
しかしいいフェスティバルになった・・・と思う。
2時前にホテルにチェックイン。

2004年3月29日(月)

7時半すぎに朝飯を食べにいく。こうじがちょうど部屋を出るところ。一緒に朝飯を食べる。8時40分クロームのメンバーがロビーに集合。クレイマーは遅くまで飲んでいたのだろう。結構フラフラ状態。9時発のバスに乗って、関空へ。チェックインも簡単、この人たちはとても楽。お別れもあったりしたもの。
昨日電話もらっていたのに連絡できてなかったところに連絡。会社に連絡、福岡組の在留資格認定書が届いたという。モスクワに送る書類の住所を調べるのに手間取ってしまった。
しかし今日は暑い。これからNGKに行くまで時間がたっぷりある。こう暑いと、時間をつぶすのがたいへんだ。
15時半すぎにNGKに、近くでディック・フランコとばったり。彼は明日から公演だ。彼と会うのは何年ぶりなのだろう。元気そう。
フランソワーズのラストショーは、予定より10分押しではじまる。公演後パッキングに付き合い、荷物をまとめ、ゲストハウスまで持って行ったところで、大阪の仕事は終了。もうへとへとだ。地下鉄に乗るために、地下道に入るエスカレーターに乗ったところ、いきなり前に割り込んでこられたので、ムッとして顔を見たら、BPのフィリップだった。近くで買い物していたら、偶然見かけたので、驚かせようと思ったらしい。それにしても奇遇だった。昨日たっぷりとお別れしたのだが、またこうして会えたのはうれしい。
18時過ぎの新幹線に乗り、さっさと晩飯を食べてビールを飲んで寝る。浜松を過ぎたあたりで目が覚める。携帯に会社からメールと留守電が入っていた。やはり六本木のイベントはすべて中止ということらしい。ここまで問題が大きくなるとしかたがないだろう。残務処理でまたいろいろたいへんになる。
いまはどうすることもできない。明日会社に行ってからだ。
22時すぎに帰宅。疲れました。

2004年3月30日(火)

今日から我が家族は3泊4日で、沖縄旅行。一緒に行こうとスケジュールを調整しようと思ったのだが、やはり行かなくて良かった。もしも一緒に申し込んでいたら、キャンセルせざるを得なかっただろう。ただ今日からひとり、ひとりで寝れるかどうかが心配だ。前も一日だけひとりの時があって、結局下のソファーで寝てしまった。
10時にぎわい座。打ち合わせは明日だったらしい。ということでOさんとTさんと軽く打ち合わせ。12時前に出社。とにかく六本木のキャンセルにともないやらなくてはならないことをまずは打ち合わせ。
数字のことからやりはじめ、ひとまずこれを終えてから、キャンセルするパフォーマーに、連絡。
もう航空券を押さえたといっていたカザフ組に関しては急がなくてはならないので、ハーリックに電話。事故の内容をうまく説明できなかったせいもあるのかもしれないが、キャンセル云々よりも、お前たちは大丈夫かとそればかり心配してくれる。とにかくなにを手伝ったらいいのかすぐに知らせてくれと言ってくれる。やはり兄弟はありがたい。
あとはメールで連絡。ハーリックにも詳しく説明を書いてメールを送っておく。
18時前に会社を出て、銀座の博品館へ。すごい雨。待ち合わせの時間に10分ほど遅れて到着。チケットを買っておいてもらったKさんと落ち合い劇場へ。なんと一番前のどセンター。
よく噂だけは聞いていた『バチカンブラザーズ』の公演だったが、ちょっと期待外れだった。
Kさんと一緒に新橋の居酒屋で結構飲む。品川発の終電で帰宅。なんとかひとりで寝れた。

2004年3月31日(水)

ごみを出さなくてはならないということで、少し緊張していたせいもあってか、6時半すぎに目が覚める。朝飯をつくって、ごみをまとめ、洗濯物を干して、やっと出勤。
桜の名所のひとつ冨岡公園を通って杉田まで歩く。七分咲きという感じだろうか。今年は桜に縁がないのかもしれない。10時にぎわい座でカバレットシャーレの打ち合わせ。現時点で30枚予約が来ているという。いい感じかもしれない。今度こそは一杯にしないと。Tさんとお茶しながら、内容について簡単に打ち合わせ。少し見えてきた。
横浜駅を歩いていたらばったりとモスクワでなんどもお世話になったIさんと会う。磯子に引越してきたというメールはもらっていたのだが、どこかにやってしまいなんとかしなくてはと思っていたところ。六本木もなくなったので、4月下旬にはお宅を訪ねることにする。
14時前に会社に戻り、メールのチェック。ハーリックから事情はよくわかったというメール。航空券のキャンセルがちょっとたいへんそう。カバシャーレの簡単な構成をつくり、進行をしてくれるTさんにメール送付。
何故か自分宛てにパバロッティの今日の公演の招待券が届いていた。昨日から東京に来ているフランソワーズにあげることにした。本人は大喜び。今日はヤンキースとデビルレイズの試合を見ながらビールだよなあ。
16時六本木で打ち合わせ。ごめんなさいということだが、こればかりはしようがない。あとは残務処理をどうするかということだ。
1時間近くで打ち合わせは終わり。そのまま今日は家に帰る。野球にサッカーとテレビを見ながらビールを飲む。今日はお得意のチャーハンをつくって食べる。
ひどいサッカーの試合ということもあり、ずいぶん飲んでしまい、2階で寝るのがまた怖くなり、結局ソファーで寝ることに。


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