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クマのお仕事日誌

2004年4月1日(木)

今日から新年度になるわけだ。というわけで大森君が今日から出勤。ロシア語も自分よりできるし、英語もできる、頼りになるスタッフが加わったことになる。
フランソワーズを成田に見送った大野が戻ってくる。昨日のババロッティ大感動ものだったらしい。ふたりで感動で泣きじゃくったという。
連絡がつかなかったオクサナから電話、仕事のキャンセルについて再度説明、とても残念がっていた。近々ペナルティーフィーを送ることで納得してもらう。
ヴォエボダにはエージェントから連絡がいっているはずだ。
久々に野毛へ。萬里で福田さんやOさんと今年の野毛のことで打ち合わせ。『波の上』に顔を出す。飲兵衛ラリーは80軒参加の応募があったという。前回よりはスムーズに進んでいるようだった。
雨が降ってくる。タクシーで帰宅。

2004年4月2日(金)

家族は今日の夜帰宅するが、今日は自分がリトルへ行くので、会えるのは土曜日ということになる。
ハーリックから来たメールを会社に転送しておく。10時20分の新横浜発ののぞみに乗車。携帯に神山君から電話が入る、どうも同じ電車に乗っているようだ。名古屋で落ち合い、犬山へ。
13時半のショーを見たあと、メンバーに神山君を紹介。みんな元気そうだ。
台湾亭で遅い昼飯を食べたあと、現場で打ち合わせ。一番の心配はPAだったのだが、ものを見て安心。あとは明日ということに。
O氏に宿舎まで送ってもらう。自分はホテルにチェックイン。少しベットに横になって休む。昨日結構飲んでしまったようだ。
18時半通訳のKさんと神山君、そしてなんとなく浮いているような感じがしているミーシャを誘って魚民で食事。ミーシャがおかしかった。とにかく今回のメンバーは酒も飲まず、たばこも吸わずで、息苦しいのだろう。愚痴がばんばん出てくる。愚痴と言っても、メンバーに対する文句ではなく、ただ酒飲み相手がいないということだけなのだが・・・
ウィスキーと焼酎のボトルを入れたのだが、2本とも空になる。それぞれ半分はミーシャが飲んだ。ミーシャの話を聞いてKさんが大笑い。
22時ぐらいにばらける。

2004年4月3日(土)

今日から犬山祭。ふだんは静かな町なのだが、どことなくにぎやかな感じ。10時半のバスでリトルへ。バスはほぼ満員。天気もいいし、今日は結構人が入るかもしれない。
12時にまず一回目の公演。音が少しくぐもる感じなようで、それをチェック。お客さんたちの反応はいい。静岡でこの「カリガリ」は見ているのだが、少し後半を変えてきた。ずいぶん良くなっている。
13時半の公演は風が強く、やりずらそう。立ち位置を少し変えることにする。野外ステージへ。ミーシャが完全にへばっている。最悪だと言っていた。そうだろうなあ、あれだけちゃんぽんで飲めば無理はない。昨日宿舎に帰るとき自転車から2回転倒したという。
まあでもいいガス抜きになったのではないだろうか。
こっちもはっきり言って猛烈二日酔い。今日はフランスのスープパスタ。これもまた美味しい。Kちゃんのお手製だという。
3回目の公演を終えて、神山君もだいぶ落ち着いた感じだ。あとは大丈夫だろう。
16時のバスで犬山へ。少し天気の様子が変。明日は雨かもしれない。
名古屋で、デスクの大野から覗いて見た方がいいといわれた駅前の本屋ヴィレッジバンガードに寄る。本屋というよりはおもちゃ屋、雑貨屋の本が置いてあるという感じ。かなり斬新な本屋さん。『血と薔薇』のコーナーがあったのには少しびっくり。
17時半ののぞみに乗る。もちろんずっと寝ていた。20時すぎに帰宅。沖縄は良かったようだ。
今週は飲みまくっていたような気がする。体重計に載ったら2キロ増えていた。少し節制しないと・・・

2004年4月5日(月)

昨日は雨、天気が良くなったら桜でも見に出かけようと思ったのだが、結局は一日中ゴロゴロしていた。今日は晴天、桜も見納めになるかもしれないということで、早めに家を出て、冨岡公園を通って杉田まで。いまが満開という感じだ。
久しぶりに全員そろってのミーティング。六本木がなくなって、スケジュール的には少し楽になったのだが、自分は30日から5月10日までは、九州シリーズとなる。
キャナルに入るロシアクラウンチームの成田から福岡までの航空券を手配。ハーリックに航空券の変更ができたことを連絡。
17時からplanBで打ち合わせ。planBに行くのは久しぶり。こうじ、重森、VJコミックカットが集まる。6月から企てているライブについて意見交換。だいたいのやり方をきめて、正式に参加者を今月中に募ることにする。
19時半散会。21時前に帰宅。

2004年4月6日(火)

昨日は結子の中学校の入学式。今日初めて制服姿を見る。まだ制服に着せられているという感じかなあ。
今日は東北放送のラジオの電話インタビューがある日。立ち寄るところがあったので、携帯に電話をもらうことに。
郡さんはテレビで何度かご一緒しているので、わりと気楽に質問に答えられたような気がするのだが、聞いてみてどうなのだろう。
12時すぎに出社。
明後日のカバシャーレの打ち合わせの件で、連絡をとる。野毛から電話。馬車道駅からの導線部分での相談を持ちかけられる。なんとかしなくてはならないだろう。
来週来日予定のモスクワのクラウンに電話、査証は明日もらえるとのこと、航空券も手配済ということで、なんとか間に合った。
今日は大森君の歓迎会、近くの居酒屋で22時すぎまで。話題はフール祭について。
24時前に帰宅。

2004年4月7日(水)

桜満開の折り、少し早起きして大岡川の桜見物をしようと思い立つ。弘明寺でおりて、日ノ出町まで大岡川沿いを歩く。まさに桜満開。気持ち良かった。何キロぐらいあるのだろう、5〜6キロだと思うが、桜満開の下を歩けてとても幸せな気持ちになる。
ロシアからの荷物の件で、船会社を教えてもらい、電話して聞いてみる。相当の重量でないとエアーとたいして変わりないし、やはり日数がかなりかかってしまう。
野毛から頼まれていた馬車道からの導線パフォーマンスの件で、華乃屋と連絡がとれる。野毛に連絡。これは決まりそうな感じ。
ハーリックに電話、トルコ航空の日にち変更の手続きが終わったことを知らせる。かなり心配していたようだ。明日変更手続にアルマトゥイのトルコ航空に行ってもらうことに。
16時からラフォーレ前で重森と落ち合い、GWのイベントの件で打ち合わせ。
17時前に終了、ペーチャから電話があったということなので、連絡。夏用にプレゼンしようと思ったグループはやはり空いてないとのこと。
18時恵比寿ガーデンプレイスで三雲君と待ち合わせ、ライオンでビールを飲みながら、デラシネで連載しようと思っているクラウンカレッジの卒業生の足跡を追うというテーマのもとで、いろいろ話を聞かせてもらう。
ガイダンス的な意味合いで軽くのみながらというつもりだったのだが、わりと核心をつく話になった。毎度のことなのだが、なんで録音しておかなかったのだろうととても後悔してしまう。
取材のスタートとしてはかなりいい感じだった。23時すぎに帰宅。

2004年4月8日(木)

のんびりできるはずだったのだが、ちょっと急な話が舞い込み、てんてこまいの日になる。
まず夏用の企画書を作成し、見積もりと一緒にクライアントに送付。航空券の変更に関してハーリックに電話。
オスマンがもう少し早く来日できないかと言う話が沸いてくる。とにかくまたハーリックに電話。問題は航空券だろうということになる。すぐに調査をはじめてもらう。
秋の企画の件で、番組をビデオチェック。人数が多くて無理だろうとは思うのだが、いい番組があったのでダメもとでメールを送る。
すぐに返事がくる、検討してみようという。いそいで諸条件を整理して、メールを送る。
華乃家さんのちんどんの野毛出演が正式決定する。華乃家さんにメールを入れておく。ちんどんの全国大会が11日にあるので、いまが一番大変な時期だろう。
カバシャーレのプレスリリースを作成、朝日と神奈川新聞に送っておく。
18時半渋谷モヤイの像前集合。すきずきで、カバシャーレの打ち合わせ。手塚と華乃家さんは出席できなかったが、ほかは全員集合。だいだいの流れを決める。あとは延々と飲み会。
京急の最終に乗れるように山手線に乗ったはずなのだが、なぜか新橋まで来ていた。こうなると京浜東北の最終しかない。磯子は珍しくタクシー待ちの人の行列。これでは30分以上かかると思い、歩いて途中でタクシーを拾うことにする。
途中ラーメン屋にひっかかり、絶対に許されない深夜のラーメンを食べることに。タクシーで2時ごろ帰宅。
留守電が3本入っていた。なにもする気力もなく、すぐに寝る。

2004年4月9日(金)

このところの連ちゃんでさすがに起きれず。午後出勤にしてもらう。上大岡のヨドバシでインクカートリッジと、ウィルスバスターのソフト購入。
ハーリックからメール。やはり12日発のチケットがとれないという。とにかく電話してみることに。昨日なんどもお前の家に電話した、誰か女の人がでたから、航空券のことをどなるようにして話したのだけど、なんにも答えてくれない、おかしいと思ったら、あれは機械の声だったのかと言う。いまうちの留守電は機械が答えるようになっている。それに向かって一生懸命しゃっべっていたわけか。だから昨日留守電が2本、なんにも録音されていなかったわけだ。
航空券については、「俺とお前についている神さまがなんとかしてくれる」という。「神」が出てきたら、もうあとは結果を待つしかない。今晩連絡してくれるという。とにかくまた変更でお金がかかるので、ウェスタンユニオンで送金してくれという。
経過をスポンサーさんに報告、「神のみぞ知る」ってことは「キャンセル待ち」ということですねと言われて、確かにと納得。
ロシアからややこしいことで電話、それに答えるかたちでファックスを送る。とにかくまたなにか慌ただしくなってきてしまった。秋の企画の件で再度芸人さんにメールを送る。どんな回答がくるのか・・・
18時すぎに会社を出て、千駄ヶ谷区民館へ。今日は「漂流民の会」の初めての試みで、東京での例会をすることになった。7〜8人ぐらいと思ったのだが、13名の参加。なかなかの盛会だった。二次会を22時半すぎまで。これで恐怖の4連ちゃんも終わった。しかしよく飲んだ一週間だった。
24時前に帰宅。

2004年4月12日(月)

明日から福岡ということで、慌ただしく準備。結局俺たちに神はついていないことがハーリックのメールでわかり、オスマンの来日は、16日に決定。自分は福岡にいるので、その対応に関して打合せ。大森君にオスマンはついてもらうしかない。
明日来日するクラウンのユーラに電話、すべて予定通りとのこと。明日持参するギャラなどを準備。このところ首が張ってしかたがない。3週間ぶりに気功へ。ずいぶん楽になった。お土産にチーズケーキをいただいてしまう。
カバシャーレの件で、S君の打合せ。24時前に帰宅。

2004年4月13日(火)

8時半発のリムジンで成田へ。10時前に着いたのだが、予定より早く飛行機は到着済。あまり待つこともなく、ユーラとゴーシャが現れる。それにしてもなんと少ない荷物なのだろう。自分の荷物とたいしてかわりない。リムジンで羽田へ移動。2時間ほど時間をつぶすことに。
16時すぎに福岡着。迎えに来てもらった車で、まずはウィイクリーへ。そのあとキャナルへ。バンジーのトラスの仕込みの最中。19時から打合せの予定だったのだが、これはキャンセル。ということで、ユーラとゴーシャと一緒に焼鳥屋で晩飯。ふたりの部屋に寄って、ユーラの昔のビデオを見せてもらう。しかし実にきれいなアクロバットをしていたものだ。これが彼らのベースになっているのだろう。
なんか疲れてしまった。23時過ぎに就寝。

2004年4月14日(水)

ずいぶん寝たと思うのだが、あまり寝た気がしない。9時キャナルに集合。今回のアクアサーカスに出演するメンバーと顔を合わす。相変わらずガウチョスのサリー兄弟はうるさい。まずはバンジーのアシストのリハ。サリー兄弟と、ユーラが担当する。これが結構たいへん。吊ってあるブランコのあげさげをするのだが、タイミングをつかむのがたいへんそうだ。
サムがスペイン語ができるので、微妙なタイミングについてはユーラとスペイン語で話す。4つのコンビネーションがあるらしいのだが、それをひとつひとつチェックする。2時間ぐらいリハ。昼過ぎにもう一回リハをすることに。
ユーラたちがネタで使いたいというタライと、バンジーで使う胡麻をする棒を探しに川端商店街を散策。天神まででて丸善をのぞく。『虚業成れり』は岩波コーナーに平積みしてあった。ギリシャ神話の本を購入。川端商店街に戻り、タライと棒を買って、昼飯。「どんちゃん」を食べる。これはうどんのちゃんぽん、癖になりそうな食べ物だ。
14時半から再びバンジーのリハ。なかなかタイミングがあわない、今回の演出をするクリスティーもちょっといらいら気味。一度音楽と合わせてみる。
16時終了。明日もう一度チェックすることに。ユーラとゴーシャはさかんにどんなネタをやるか話し合っている。
なんか寝足りない気がしてしかたがない。ホテルに戻りベットに横になる。
何本か電話がくる。ハーリックに電話、一応明日出発ということで準備は完了したらしい。オスマンの公演回数のことがちょっと問題だといっていたが、これは来てからの話になるだろう。
少し休んだらだいぶ楽になった。小出が絶対に見た方がいいと言っていた、『グッバイ・レーニン』を見に行くことにする。
見て良かった。ひとつのアイロニーなのだろうが、非常に説得力のあるアイロニーだった。
21時半すぎにホテルに戻る。29日に急遽来日することになったボエボダに電話、航空券のことで打合せ。
24時過ぎに就寝。

2004年4月15日(木)

今日はずいぶん寝たせいか、体調がいい。13時半まで暇なので、天神の本屋さんめぐり。ここのジュンク堂は素晴らしい。なんばよりもこの博多の店の方が蔵書数と、その種類が勝っている。
前から気になっていた川端商店街の「どさんこ」というラーメン屋に入る。いつも人が一杯だったので、昼前に入ったのだが、それでも超満員。ここのオーダーのとりかたは、神業に近い。あれだけ多くの客をさばきながら、いっぺん注文をしただけで、伝票にも書かず、したがって精算の時も伝票なしで処理してしまう。キビキビとしたショートカットのお姉さんの対応もいい。ラーメンも美味しかったが、ヤキメシも絶品だった。
13時半からパンジーのリハ、まだアシスタントとの呼吸が合わないのと、曲が早く終わるのが気になる。このリハの場当たり、流れをチェック。ここではじめてユーリイたちがリハできることになる。音合わせは簡単なもの。
16時バンジーのサムの部屋で、リハの時撮ったビデオを見ながら、アシストの確認事項をチェック。サリー兄弟にしてもユーリイとゴーシャにしても本来の仕事ではなく、しかもタイミングのとりかたが難しいアシスタントの仕事で気が乗らないとは思うのだが、重要な役割になるわけで、バンジーのメンバーが丁寧にしかも柔らかくポイントを指摘。
19時ゲネプロ。照明も本番通り、みんなコスチューム・メイクをする。サリー兄弟があれだけ大野にやるなと言われていたのに、若いお姉さんを引っ張りだしたのにはびっくり、思わず大野の顔を見る。彼女もかなりびっくりしたようだった。ユーリイとゴーシャのクラウン芸は失敗もあったが、問題なし。そしてバンジー。何度練習しても、曲と合わなかったのに、びったしに終わったのには鳥肌がたった、そして思わず拍手。やはりビデオチェックが良かったのだろう、アシストと息があった結果だ。みんな満足そう。
良かった、良かった。
明日15時の公演のあと、東京に戻るつもりだったが、オスマンのリハまで付き合うことにする。航空券のキャンセル、小倉のホテルの手配、野毛への連絡、カバシャーレの準備の件であちこちに電話。野毛に入れるのは17時ぐらいになりそうだ。
今日はホテルでカップラーメンとビールというホテル飯で済ませる。1時前に就寝。

2004年4月16日(金)

チェックアウトぎりぎりまで、メールを送る作業を続ける。朝飯を今日はしっかり食べる。こっちへ来てから白いご飯を食べていないような気がする。納豆とサケと定番の朝飯を食べてかなり満足。
12時からもう一度リハをすることになっているので、それまで時間潰し。駅前の紀伊国屋へ行く。ここもかなり充実している本屋だ。明日の航空券を購入したあとに、キャナルへ。噴水と合わせてのリハ。終わったあと少し気になったのは、こうリハがうまくいく時って本番になにか起きるだよなあということ。
大森君から電話、オスマンたちが成田に到着したとのこと、電話でワーリャと少し話す。風邪をひいたらしい。15時の本番まで時間が空いたので、住吉神社を見学。なかなか広い神社だ。なんでも日本で最初の住吉と名付けられた神社らしい。びっくりしたのは、枝が地面にまでついているというもみの木の古木。しかし最近神社に来ることが多い。
うろん屋でうどんを食べて、キャナルへ。プレス発表ということで、かなりの人出になっている。本番前にH君とKさんを中心に円陣を組み、みんなで気合を入れる。自分はなにかあると嫌なので、袖で見る。噴水とパンジーのシンクロも完璧、きっちり終わったのだが、終わってから女性ふたりのパフォーマーがなかなかブランコに取り付けなかった。この部分少し間があいた。とは言っても大成功だろう。この企画を押し進めたKさんが一番安心したかもしれない。
取材を受け付ける。自分の担当のユーリイとゴーシャは2つのテレビ局から取材を受ける。これを終えて、キャナルの仕事は終わり。これからオスマンと合流するために、博多駅に向かう。18時チョイ前に空港からタクシーで来た、オスマンたちと再会。そのまま新幹線で小倉に移動。
イスタンブールで8時間も待ったらしく結構疲労の色が濃い。それでも今日中にリハをしたいという。
小倉で20分ほど待たされて、そのあと車でリバーウォークへ。まずは荷物をおろし、公演する場所の見学、テーブルの組み立てをしたあとで、軽くリハ。なんでもNGKのあとなんにもしていなかったという。リハもしたくなるだろう。結局22時近くまでかかる。そのあと宿舎のウィクリーマンションへ。ここでインターネット接続をするために時間をくう。みんなもう食事して寝ないといけない。途中でやめて近くの焼き肉屋へ。アルマーズ以外はアルコールはとらず。平日の3回公演の件で、もめる。ハーリックとの話が十分になされていなかったようだ。平日に関しては、1回目はジャグリングだけでやることにしてもらうという妥協案をのんでもらう。
部屋でネットの接続に再度トライするが、結局はダメ。ホテルにチェックインしたのは1時すぎ。疲れてしまった。

2004年4月17日(土) 

結果的にはあまり昨日飲んでいなかったことがよかったのかもしれない。結構早く目が覚めた。ホテルの簡単なパンとコーヒーだけの朝食をとり、宿舎へ。昨日できなかった宿舎のもろもろの手続きを済ませる。そのあとリバーウォークへ。オスマンの四人は自転車を使う。10時前に到着、現場を見ながらリハの準備。今日の一回目は13時から。しかもいつもやっていることではなく、一回目に関してはジャグリングだけのバージョン。音の編集、さらには演技の段取りで時間を食う。
前回のNGKの時もそうだったのだが、ワーリャの説明が、まどろこしいというか、あまりにも丁寧すぎてかえって操作する人を混乱させてしまう。大森君にしばらくまかせておいたのだが、結局口を出すことに。なかなか今度は演技の構成のことで、4人の意見がまとまらない、いろいろやってみて、やっとかたちができる。怖かったのが皿投げ。後ろに一応テントを用意してもらったのだが、これだけでは危ない。急遽後ろ全面にテントで幕をつくる。
なんだかかんだとリハが終わったのは11時半すぎ。彼らはいったん宿舎に戻るという。ここでここの仕事は完了、一回目のショーを見れないのは気になったのだが、見ると野毛にいけなくなる。あとは大森君に任せて、いそいで小倉駅へ。
もしかしたら昨日買った14時35分の一本前の飛行機に乗れるかもしれない。福岡空港についたのは12時40分、ギリギリで13時5分の飛行機に変更してもらう。フライト中はほとんど寝ていた。
14時45分羽田着。なんとか16時前にはにぎわい座に入れそうだ。しかし今日は暑い。
会場に着くと、だいたい仕込みが終わったところ。舞台はまかせて、表の準備。S君がプログラムやら、サイン関係を準備してくれたので助かった。自分はそのプログラムとアンケートのセット。出演者が続々会場入り。予約が70名強、当日もかなり来るはずで、なんとなくワクワクしてくる。
18時受付開始、18時半開場の時には70人近くの人が並ぶ。ただ当日が伸びない。それでも100人以上は入った。
開演直前、にぎわい座館長の玉置宏さんが、出番を待っているという連絡。急遽どあたまで出演してもらうことに。
10分くらいしゃべってくれた。本番も見たいのだが、受付やっていればそうもできず、ちょこちょこと中を見ただけ。ノリがもうひとつだった感じ。
20時半前に終演。
梅津さんと多田さんも来てくれたので、楽屋へ案内。今日ホテル泊まりの華乃家さんご一行をホテルに案内してチェックインしてもらったあと、打ち上げ会場の「北の家族」へ。
みんなは明日もあるということで、23時すぎに解散。ホテル泊まりの安西君と華乃家さんと三人で、飲兵衛ラリー展開中の『波の上』へ。外にテーブルを出して盛り上がっている。久仁子さんは結構テンパッテいた。泡盛を軽く一合だけ飲んで、ドルフィーへ。途中ドルフィーでのライブを終えた坂田明さんを見かける。
ドルフィーは静かなもの。華乃家さんは朝早かったのと、昼の本番、夜の公演といささかお疲れ気味で、途中寝てしまう。安西君とベルチンスキイプロジェクトの話をする。
1時すぎにホテルへ帰還。しかし長い一日だった。

2004年4月20日(火)

さすがに日曜日・月曜日は死んでいた。月曜は休ませてもらう。歯医者に行く日が今週だったなあと思っていたら、今日だった。あわてて歯医者へ。例のごとくまた2時間半あまりの治療。あまりの長さにもうんざりしたが、15000円払わせられたのにもうんざり。今年もクリニック係数は高くなりそうだ。
13時前に出社、野毛からもらった歌のアルバムチョコをプレゼント。とにかく今日は秋の企画として提出する予定の、ビデオの編集とダビングをしてスポンサーに送らなければならない。
14時半病院で糖尿の定期検診、数値は先月と同じで、6.2、まあまあというところかなあ。
会社に戻り、ビデオを完成、クライアントに送付。
今日は小出の公演がある日。辻君と大森君と3人で会場へ。がーまるやサブリミットなど見慣れた顔も。
今回はいい公演だったと思う、笑わせてもらった。安西君もいたので、辻君と大森君と4人でライオンでビールを一杯。安西君と来週早々ベルチンスキイプロジェクトの打合せをすることに。
24時前に帰宅。

2004年4月21日(水)

今月29日に来日するボエボダたちの国内移動の航空券を予約。成田に着いてから、結構時間があいちゃうけど、しかたがない。GWの初端だし、とれただけでも良しとしなければ。
秋に招聘を予定しているグループに、条件をメモしてメールを送る。
カバシャーレの歌のアルバムでつかった曲について著作権協会に申請しなければないないという。曲目はわかるものの、作詩・作曲を調べなければないない。安西君にふろうと思ったのだが、ネットで調べたらというお返事。
カバシャーレの収支を出す、今回は多少だが黒字になった。出演者・スタッフさんにメールで報告。12時自分に原稿を書いてくれと先日メールをくれた編集の人と会う。音楽を呼ぶというテーマなので、自分では無理と断ろうと思ったのだが、神さんのことを書いてくれとのこと。それだったらできそうなのでお受けすることに。
ビデオをDVDにダビングする作業がはじまった。1000本以上あるビデオをダビングするのに、どのくらい時間がかかるのだろう。
それに伴い少し机周辺の整理。
planBソロライブの案内を再度出演者に出すために、S氏と打合せ。18時過ぎに退社。
家に帰ってメールを見ていたら、懐かしい韓国の綱渡り保存会の柳君からメール。彼らの夢のひとつだった綱渡りフェスティバルを10月にやることになったという。なによりだ。是非見に行きたい。

2004年4月22日(木)

午前中は、「歌のアルバム」の著作権協会に提出リストつくり。いきなり真っ赤な太陽でつまずいてしまった。なかなか出てこないと思ったら、なんのことはない「真赤な太陽」だった。あとはスイスイ、ネットで調べられる。
キャナルのロシアクラウンたちがへこんでいるという連絡。ただ決して受けていないのではなく、ガウチョと比べて客の反応がおとなしいだけで、お客さんは喜んでいるので、そのへんのところを説明してくださいとのこと。明日にでも連絡してみよう。
13時テレビの制作をしている人と1時間くらい面会。
済州島にいくためモンゴルの江口君にFAXを送ろうと思ったのだが、いかない。ハドガーがもうじき帰ってくるはずなので、それを待つしかないかもしれない。
18時前に会社を出て、中野サンプラザへ広東雑技団の公演を見に行く。民音の主催。客層がまったくちがう。全体的にトーンが同じで睡魔に襲われるところが何度かあったが、ジャバラのクラウンには笑ってしまった。そしてトリの今回の公演の目玉『東方の白鳥』にはしびれてしまてしまった。
公演後『山頭火』で塩ラーメンを食べて帰宅の途へ。ここのラーメン確かに美味しいとは思うが、800円はちと高すぎだよなあ。
22時半すぎに帰宅。秋の公演でオファーを出している芸人からメール。こちらの提示した条件への回答。これからが勝負だ。

2004年4月23日(金)

会社に出勤前に銀座の床屋で散髪。以前勤めていた中央放送のあるビルの前を通ったら、2階で大川さんが仕事をしているのが目に入った。そういえばかつて一緒に働いていたK君から2、3日前に電話をもらった。5月からバレエの公演をするといっていた、たぶんそれで忙しいのだろう。
GWの仕事の件で、契約を交わしていないものがある。あわてて契約書を作成して送付。もうひとつ覚書を作成しなくてはならない。
29日からまたしばらく留守にするので、やらなくてはならないことをそろそろピッチをあげてやってしまわないと。
今年の秋で提案していたものが、ほとんど決まった。あとは芸人さんとの細かいつめ、見積もりなどをつくらないと・・・。今回は演出面でもアイディアを出さなくてはならない。こちらもこれからがたいへん。
18時すぎに退社。ほんとうに久しぶりに土日連休で休める、なんとなく心がうきうきしてくる。

2004年4月26日(月)

街に燕が帰って来た。低空飛行でつばめが飛びかっている、春から初夏へということなのだろうか。山形のクライアントから電話があったとき、こっちは雪が3センチ積もっているといっていたが・・・
久しぶりに全員がそろって打合せ、今年の連休は、大阪ヘップでリビングスタチュー、キャナルでアクア、そのほかに大分の商業施設で、サーカス、原宿ラフッーレでロービングパフォーマンスというように、まあまあの仕事。これに六本木が入っていると結構きつかったろうな。
キャナルの噴水ショーがやっと完成したらしい、これにともなってショーの中身も多少かわるので、ゴーシャと電話でやりとり。とりあえず今日の公演でやってみるとのこと。秋の仕事の件で、ちょっとした演出プランをつくり、エージェントに送る。
夏の仕事の契約内容をチェック。直しを入れたものを作成、これにしたがい翻訳をしてもらう。
映画館で上映されたニュース映画のことが気になって、ネットで調べてみたら、やはり貴重な映像資料ということで、各社ともテレビ制作者用に1秒いくらの世界で販売しているようだ。リストをみていたら、ドンコサック合唱団、ボリショイサーカスの最初の公演、ボリショイバレエ、北京雑技団、インディーレースなどの映像資料が残っているようだ。見るだけっていうのはダメなのかなあ。
18時すぎに退社。

2004年4月27日(火)

雨の一日。まるで台風のような風と雨だった。
昨日の夜に、planBのS氏からメール。今日中に「虚業成れり」についてplanB通信の原稿を書いてくれという。2000字以上というので、そう簡単なことではない。ただ本の宣伝にはなるので、いままで書いた文章をコラージュ(?)して、簡単にまとめて、メールで送る。
ハーリック宛てに、こまごまとしたことでメールを書いて送る。大道芸の仕事の件で、ここ3年ぐらい音沙汰のなかったところから電話が入る。
明後日から大分・福岡出張。次の仕事の契約書をつくって渡さなければならない。できた契約書をチェック。
17時半すぎに会社を出るころは、すごい雨と風。気功の治療。最近は治療に来ているのか、奥さんがつくってくれるケーキを食べにいっているのかよくわからない。今日はバラの花入りロールケーキをゴチになる。
背中がパンパンだったという。だいぶ楽になる。
21時すぎ帰宅。

2004年4月28日(水)

出社前に明日の成田エクスプレスの券を買いに、代々木の駅に寄る。GW最初の日なのでないだろうと思ったのだが、とれた。
漂流民の会で夏に予定しているイベントの目玉となる吉村昭さんの講演に関して、吉村さんから承諾のFAXが昨日入った。ありがたい。会長に報告。
夏のイベントの芸人さん用の契約書をチェック。サインしてもらえるように準備。BPズームの裏方をしているフランソワが6月に結婚するので、そのお祝い用のビデオレターを大野が制作中。近くの鳩の森神社で、自分の分の撮影。富士見塚に登ってメッセージ。大野からなかなかくさい演技だと褒められる(?)
19時秋葉原で、安西君と落ち合い、ベルチンスキイプロジェクトの打合せ。なにか見えてきたような気がする。
24時すぎに帰宅。

2004年4月29日(木)

早くに目が覚めたのだが、いつものようにモタモタしているうちに、あっという間に時間が経っていく。成田のフライトインフォメーシーョンに電話すると、飛行機は30分早く到着予定。
ぎりぎりで電車に乗る。電車で企画のためこのところずっと読んでいるギリシャ神話の本を開くも、すぐに眠りの世界へ。成田の出発は混んでいるが、到着ロビーはガラガラ。羽田の飛行機が16時出発なので、できれば遅く出てきてほしいのだが、こういう時に限って、あっというまにイーゴリ親子が出てくる。およそ半年ぶりの再会。六本木のキャンセルはあったが、こうして別の仕事だが会えることはうれしい。第一声はやせたなあ、びっくりした。こんな言葉はどれだけ耳に心地よいことか。
時間がたくさんあるのだが、なにか希望はないかと聞くと、大きな免税店に行きたいという。秋葉原にいくことに決定。
LAOXでデジタルカメラを購入、昼食をとって、京急で羽田へ。イーゴリのテンションは高い。結構ギリギリにチェックイン。飛行機のなかでギリシャ神話に再度トライするもやはり睡魔に襲われる。結局ずっと寝ていた。
大分空港からホバークラウフトで、市内をめざす。乗船前にキャナルから電話、アクアショーについてゴーシャと打合せ。
17時すぎにホテルにチェックイン。20時40分小倉から合流するオスマンたちを大分駅でピックアップ。21時ホテルのロビーで顔合わせと明日以降のスケジュールの確認。
ミーティングのあと、オスマン、イーゴリと一緒に近くの居酒屋で食事。オスマンたちも元気そう。小倉でエンジョイしたようだ。ロシア語でイーゴリたちとも話せるので、ずいぶんリラックスしている。
ホテルに戻ったあと、イーゴリがキエフに電話したいというので付き合う。
今回はホテルのネットワークに接続できたので、携帯でネットをすることがなくずいぶん楽になったが、まいったのは禁煙部屋だったこと。キイツは、これは。そしたらイーゴリから電話、部屋でたばこ吸ってもいいかというから、ダメだけど、トイレだったらいいんじゃないと、答えておく。自分もそうしているからなのだが・・・
1時就寝。

2004年4月30日(金)

ここのコモドホテルの名物は屋上露天天然風呂、ビジネスホテルだからたいしたことはないだろうと思ったのだが、これがなかなか充実している。風呂の種類も多いし、なにより屋上の露天風呂が気持ちいい。
朝一風呂浴びて、朝飯を食べて、みんなでバスに乗り大分パークプレイスへ。何年か前に仕事をしたビックアイの近くにできた大型ショッピングセンター。中心からはかなり離れたところにあるのだが、集客はかなりのものがあるという。
オスマンたちの荷物が届いたところで、まずオスマンのリハ。オリガを入れた新しいトリックを繰り返し練習している、音と合わせる。小倉でやったときのキューシートがあるので、比較的楽。これからペッピーの公演の合間をぬって、断続的にみんなでやるスペシャルショーのリハ。つなぎは今回はスプラットが担当。それぞれのアイディアをだしながら、それを実際にやってみる。17時のペッピーのあと、場当たり的に通しでまずやってみる。なんとなくかたちはできたと思うが、何カ所かダメだしをだされる。
オスマンたちは、他のメンバーもいるということで、楽しいそうにリハをしている。
20時半から、公開ゲネプロ。イーゴリがコスチュームをもってきてないというので、オスマンの赤いコスチュームを借りることに、でも下はジーパン。結構な人が集まっている。
流れ的には問題がないと思う。スプラットのクラウン的な動きが効いている。
タクシーでホテルへ戻る。今日はイーゴリの誕生日。部屋にみんな集まり、いつものように飲み会。スプラットのアクロバットの先生が、ウクライナ人で、サーカス学校のナージャ先生の友人だということがわかって、もりあがる。またなによりも真面目なオスマンが標的になり、シェーンにからかわれ、ムキになるのがおかしかった。オカマの意味がわからないアルマーズが、「オカマ好きっ」て聞かれて、「ダー」と答えてしまい、シェーンに突っ込まれる。その度に真赤な顔をしてちがうと反論するのがおかしかった。
スプラットの連中は、ノリ的にロシア系とあっているかもしれない。
途中うるさいとホテルから注意される。1時すぎに部屋に戻る。


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