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クマのお仕事日誌

2004年6月1日(火)

なにより気になるのは、カザフからのDHL。電話が来て、やはり通関でとまったままだという。内容説明書を税関に提出しなくてはならいというので、すぐに記入してFAXで送る。
ネットで追跡調査ができるのだが、何度見ても通関でディレイとしか出てこない。もう一度電話、内容のチェックが入ったので、今日中の配達は無理とのこと。
しかたがないか・・・。
今日から早稲田の授業、フールBのチラシと、カバレット早稲田のチラシを持参ということで、結構な荷物になる。
去年よりは小さめの教室。チャイソンズの安西君が、下見のために聴講しにきていた。ビデオを見せている最中に、マイクのハオリングの音が急に出て困ってしまう。結局途中でビデオは中止。
あいかわらずのことだが、真剣に聞いているのか、眠っているのか、よくわからん。
終了後、安西君とアートボックスに寄って、正式申し込み。17時でまだ日は高いのだが、馬場の居酒屋で一杯やることに。
21時前に店を出る。かやことメールのやりとりをして、冨岡でピックアップすることに。横浜から同じ電車だったらしい。
23時すぎに帰宅。ウクライナに電話。辻君からメール、DHLは明日午前中に配達ということになったらしい。

2004年6月2日(水)

昨日の飲み過ぎがたたり、寝坊。1時間遅れで出社。カザフからビデオが到着していたので、早速見て、ダビング。クライアントさんへ送る。
今週中に決まればいいのだが・・・
秋の公演に関して、写真素材、査証のための必要資料を提出するようにメールで出しておく。ハーリックに電話、ビデオの件で打合せ。
モスクワに電話、なかなか話が進展しないのでイライラしてくる。首のあたりに張り、ストレスと飲み過ぎが原因だろう。そういえばいま実施中のアンケートで、飲み過ぎではないのですかという読者の声があった。ほんとうにごもっともだと思う。自重しないと。
18時に会社を出て、恵比寿ガーデンプレイスのなかにあるライオンへ。次回の本のテーマと勝手に決めている
長谷川濬さんの件で、息子さんとお会いする。もう何度か会っているのだが、今日から本格的な取材がはじまったことになる。テレコをまわしながら2時間ほどお話を聞かせてもらう。かなり面白い話が聞けた。これから月一回のペースで話を聞かせてもらうことにする。濬さんが戦後日本に戻ってきてからずっと書いているノートのコピーをいただく。パラパラとめくっていたら、一番最後の頁に、啄木の青柳町の短歌が書き込まれていた。この歌は大好きな歌のひとつ。ちょっと感動する。
22時半帰宅。今日は早く寝ることだ。

2004年6月3日(木)

このところずっと頭の痛い問題が山積みで、ストレスがめちゃめちゃたまっている。とにかくひとつずつ解決していくしかない。
10時に出勤してすぐに、昨日ビデオを送ったスポンサーから電話。番組が決定する。良かった、これで一安心。すぐに芸人にメールを出す、とにかく時間がないので、すぐに査証申請のための書類を、メールで送ってもらうように指示。救いはいま一緒に働いている仲間に、去年キャナルに出演してくれた芸人さんがいること。彼だったら要領がわかるし、パソコンで必要書類を送ることもできるはずだ。
懸案事項のひとつは片づいた。
電話でも夕方連絡、本人も喜んでいた。あとは、書類が来るのを待つばかり。
今日はリトル組のマーシャの誕生日、来るようには言われていたので、ACC男三人からプレゼントを出すことにした。
もうひとつ頭の痛い件に関しても、なんとかメドがつく気配。
帰りに、漂流民の会の角ハンを発注。こっちの漂流民の会のこともたいへんだ。土曜日に石巻にいくことにする。

2004年6月4日(金)

少しずつ懸案事項が片づいてきて、気持ちに余裕が生まれつつある。しかしいずれも理不尽なことばかりで、なんとなく腑に落ちないのだが、しかたがないということであろう。
急遽決まった芸人さんからメール、写真その他査証申請用の書類がすべてそろう。入管に別件で申請に行っている辻君の携帯にメールしておく。今日申請を出してしまおうということになる。メールは便利なものだ。
向こうから来ている芸歴書の翻訳を済ませておく。
午後にはすべて書類が揃い、辻君は再び入管に申請をだしに行く。時間があまりないので、今日申請が出せたことは大きい。
夕方VJ来社、BPズームの技術者が結婚するので、そのお祝いにスペシャルビデオをつくってくれている。これには自分も出演している。
なかなか妙ちきりんなものができあがった。
19時前に退社。

2004年6月5日(土)

昨日は少し飲みすぎてしまった。10時過ぎには家を出る予定だったのだが、10時前に目を覚ます。
あわてて朝飯を食べ、11時すぎに家を出る。電車のなかで、先日もらった長谷川濬さんのノートを読む。このノートを読むことで、長谷川濬の戦後がすべてわかるような気がしてきた。その意味ではたいへんな資料を借りることができたものだ。しばし熱中して読む。
こまちはとにかく早い、あっという間に仙台着。立ち食いソバを食べて、仙石線のホームへ。なんとか座れた。約1時間熟睡。
16時過ぎ石巻着。Sに電話すると、近くにいるというので、車で迎えに来てもらう。
展示会の企画委員会ということで、会長以下9名が集まる。たいへんやっかいなことになったというのが実感なのだが、とにかくやらなければならないということだけは間違いない。
限られた時間のなかで作業を分担していく。なによりも大きな問題は資金をどう捻出するかということなのだが、なかなかいい知恵は出ない。
結局20時過ぎまで話し合い。今日は石巻に泊まるつもりだったので、ホテルに電話するとみんな一杯。なんでも高校総体があるらしい。急遽仙台に単身赴任中のSに電話、今晩泊めてもらうことにする。
居酒屋で一杯。22時ぐらいに閉店ということで、Sの車に分乗して仙台まで。
Sのマンションに着いたのは24時前。ずいぶんかかったもんだ。3時ぐらいまで、飲みながらうだうだ話す。考えてみれば大学時代、こうしてふたりで酒飲みながらよく話したものだ。20数年の時間を越え、学生時代に戻った気になった。

2004年6月7日(月)

朝方ものすごい雷鳴で目が覚める。いよいよ本格的にうっとうしい梅雨がはじまるということだ。
10時出社、打合せ。明日から西田が10日ほどヨーロッパ出張、大野と辻が今週末から同じくヨーロッパに行く、ということでまた今月もばたばたになるわけだ。
夏の仕事の契約書を作成、芸人さんとの覚書もつくっておく。リトルももうまもなく終わり、荷物の件で業者さんへ連絡。
野毛の福田さんから電話、来年の大道芸を終えたら、足を洗うという。なんとなく予想していたことであるが、踏ん切るなにかがあったのだろうなあ。
18時に会社を出て、先週末頼んでいた漂流民の会の印鑑を受け取る。これもいろいろたいへんだ。
寝る前にデラシネをみたら、100件越えるアクセス。久しぶりのことだが、考えてみたらいまやっているアンケートが気になって、自分がよく見ていたので、そのせいもあるのだろう。
1時前に就寝。

2004年6月8日(火)

今日は蒸し暑い。一駅とばして歩くと汗でびっしょり、この時期から予備のTシャツを持ち歩かないといけなくなる。
このところ査証申請ラッシュで、申請日の火曜日と金曜日はずっと誰か入管に行っている。7月がたいへんだ、また。
13時半すぎに会社を出て、早稲田へ。前回ビデオの操作がよくわからなかったのと、マイクがハオリングをおこしたので、その使い方の説明を受ける。
今日は海を渡ったサーカス芸人がテーマ。地味な話だし、ビデオも古いやつで、だいぶ寝ている学生が多かった。今年が一番手応えがないなあ。来年もあるのかどうかわからないが、もういいのかもしれない。
なんか疲れてしまった。そのまま家に帰る。疲労感がだけが残った日だった。やることはたくさんあるのに。

2004年6月9日(水)

10時出社。懸案だったリトル向けの見積もり書と企画書つくりにとりかかる。一番緊張する仕事のひとつかもしれない。
企画書をつくっているうちに、今回はかなりいい番組ができそうだと手応えを感じる。
作成後、メールで来ていた写真を添付して、送付。これで一安心。
14時半すぎに会社を出て、planBへ。今日はフールBに出演する山本光洋のリハ。フールBは、創作過程に制作側も加わり、いろいろ口をだし、さらにいいものをつくっていくというのが、大きな目的のひとつでもある。
15時半からリハ、かなりいいものができている。しかもいままでの作品とはちがい、即興性をどうとりいれるかというところに問題意識をおいているので、実験性に富んでいる。終わったあとそれぞれ企画委員、さらには出演者のこうじ、重森らも意見を出す。
本番がとても楽しみ。
今日はクラウンカレッジの同窓会。これはいまデラシネに連載中の「道化師を夢見た人々」に絡んで、三雲が仕掛けてくれたもの。こうじと一緒に大森の会場へ向かう。こうじは久しぶりに同窓生と会えるということでかなり興奮していた。
18時ちょいすぎからはじまる。およそ30人のひとたちが集まる。顔なじみのパフォーマーもいるが、しらない顔も。テーブルをまわって今後取材させてくださいと挨拶。
楽しい宴だった。それからがたいへん。二次会はカラオケ、さらにまた庄屋、最後はファミレスというように始発がでるまで飲み歩く。
結局会社にたどりついたのが、6時すぎ。そなえつけの寝袋に入り、仮眠をとる。

2004年6月10日(木)

大森君が出社してきた、9時に目が覚める。びっくりしていた。10時過ぎに出社してきた大野に、酒臭いと怒られる。当然だよなあ。
今日13時に打合せがあるのに、そんな臭くちゃといわれ、脱臭作業を始める。コンビニで歯ブラシとヒゲソリ、それにブレスケアとかいうやつを購入、錠剤と紙みたいなもので、嘗めるものと二種類。
歯を磨き、ひげを剃り、コーヒーを飲んで、少し落ち着く。昨日送った企画書の件で、リトルと打合せ。
12時すぎに出社、鴬谷へ。ここで先日仙台で世話になったSと落ち合う。開口一番酒臭くないかどうか聞く。大丈夫だというので一安心。
バイクで来た大野とも合流、打合せへ。
終わったあと、ちょっと話題になったサッポロの赤星ビールの味見をしなくてはならないということで、鴬谷付近の飲食店を回る。しかし渋い飲み屋が並ぶ、レトロなところだ。
ここにはないということで上野のアメ横へ。中華屋で赤星を発見。ここに入って餃子を食いながら、よせばいいのに中ビンを3本ふたりで飲む。
アメ横で買い物するSと別れ、電車で会社に15時過ぎに戻る。もう身体が使い物にならない。17時すぎに会社を出て、両国へ。ほんとうに今日はいい日に気功があった。すっかり気持ちよくなる。
今日はチョコレートケーキをご馳走になって、帰宅。
風呂に入って、23時すぎにダウン。

2004年6月11日(金)

昨日はかなり寝たので、少しすっきり。今日から仙台なので、少し荷物が多い。明日から大野、辻はヨーロッパということで、いない間の引き継ぎ事項をチェック。
明後日の例会用の資料を準備。なによりも一番いま頭を痛めているのが、漂流民の会の展示の件。予算のこともそうだし、展示内容の件についてもやらなくてはならないことがたくさんある。
16時前に会社を出て、東京駅へ。車中、明後日の例会の報告準備。
19時半自宅着。今年初めての実家、おやじがずいぶん元気になっているのにびっくり。
軽く飲んで、24時に就寝。

2004年6月12日(土)

ゆっくり寝れた。いつも酔っぱらって帰って、ただ寝るだけという里帰りが多かったが、今回はのんびりしたもの。朝飯を食べて、おやじとヤンキースとパトレス戦を見て、大塚が松井を打ち取ったところで、家を出る。
雨の予報だったが、いい天気だ。岩切から電車に乗って、石巻へ。13時すぎに北上川中州にある岡田劇場へ。会長のSさんとは、20年ぶりぐらいにお目にかかることになる。あいかわらず精力的。あのころは舞台サーカスでお世話になった。今回の目的は、神山一朗の故郷凱旋公演の会場に、この映画館をつかわしてもらえないかということ。
突飛押しもない話なのだが、話に耳を傾けてくれた。前向きに検討したいとのこと。ここでできたら面白いと思う。
中州にあるハリスト教会を見学、前も食べた駅前の牧場ラーメンで昼飯を食べ、15時すぎの快速に乗って仙台に戻る。
この電車が「マンガッターライナー」とかいうとんでもない電車で、案内はロボコン。うるさいったらない。止まるたんびにロボコンの甲高い声で案内があるからたまったもんじゃない。
16時過ぎに仙台へ。駅前のジュンク堂をのぞく。K氏と16時半に待ち合わせ、駅内キリンシティーで軽くビールを飲む。
19時会長のIさんと落ち合い、駅構内の飲み屋で、打合せ。それから国分町に繰り出し、1時近くまで飲む。
かなり酔っぱらっての帰還となる。

2004年6月14日(月)

昨日遅くに仙台から帰還、土曜日深酒したのに、また例会が終わって軽く一杯などやったものだから、少し疲れ気味。
今日から大森君とふたり。リトルの秋の企画の件で、業者さんと打合せ。この結果をリトルに報告。
契約書をチェック。
漂流民展のことで、会長やS氏と電話で打合せ。とにかくやるしかないので、前向きに取り組んでいかないと。とりあえず昨日の例会の報告が終わったので、家での時間は、こちらの資料づくりにつかえるようになるはずだ。
明日の授業でつかうビデオのチェック。
17時カバ早稲田の打合せ。1時間ぐらい全体の流れを決めたあと、近くの居酒屋で軽く一杯。帰り本屋に寄って、書評がでていたというので、エコノミストを立ち読み。加藤哲郎先生が、書評を書いてくれていた。ありがたいことだ。
23時すぎ帰宅。

2004年6月15日(火)

いい天気が続く。朝一駅分歩くと汗で服がびしょ濡れになる、ということで着替えとタオルを持っていくことになる。
会社のメールボックスがまた一杯になったようで、メールが受け取れなくなる。ふたりともこの処理方法を知らないので、辻君にFAXして対処法を聞く。
リトルの秋の催事の件で、リトルに電話。担当のK氏が、くしゃみをしてぎっくりになったという。自分が正月やったのと同じ。くしゃみは油断ならないのだ。
13時半バスで早稲田へ。今日は馬のサーカスの話。ジンガロの映画と実際のパフォーマンスのビデオ、モンゴルの馬サーカスのビデオを見てもらう。みんなよく寝ていた。音楽もあの流麗な映像も心地よいもんなあ。寝るのもわかるような気がする。授業終了後フールBとカバレット早稲田のチラシをまいてもらえるように、知り合いの先生のところを訪ねる。
会社に電話、メールボックスの件は方がついたらしい。
久しぶりに早稲田の古本屋を歩いたあと、馬場から電車に乗って、帰宅。
帰宅後本格的に、漂流民展用の資料を整理。しかしあいかわらずどこにやったかわからないのがたくさんある。夜中までかかる。

2004年6月16日(水)

出社前に図書館により、加藤哲郎氏がエコノミストに書いてくれた書評をコピーする。ウクライナからメール、査証申請は問題なくいったという知らせ。こいつはほんとうにしっかりしている。
カバレット早稲田の案内をBBCで送信。まだ3週間はあるといっても、反応がいまひとつ。フールBとカバレット早稲田のチラシを名古屋で開かれるジャグリング大会で配布してもらうためにコピーして、送る。コピーをとっている時に、大事な書類がFAXできてしまい、それとごっちゃになって、トラブル。
昨日来なかったので、あきらめていた入管からの書留が夕方近くに届く。昨日来なければ金曜日だろうと思っていたので、早く来てラッキーという感じ。急いでそれぞれの国に発送する準備。但し集荷は明日になるという。それでもこれを送れば一安心だ。
漂流民の展示会の件で、今日の打合せの結果を聞いたうえ、S氏と電話で打合せ。事態はそう簡単には進まないということだ。まだまだ峠は先のほうにありそうだ。
準備はしておかないといけないので、自分が用意するものをリストにして、チェックできるようにしておく。
夏にやる空中ブランコのトラスの件で、業者さんと、アーティストとなんどかやりとりをする。
18時過ぎに会社を出る。家に着くと、ずっと待っていたロシアからのビデオ『レスラーと道化師』が届いていた。これで来週の授業には、この一部を見せることができる。それと長谷川濬さんのノートのコピーも。読むのが楽しみ。
今月末が締め切りの原稿を1時ぐらいまで書き上げる。なんとかメドがたった感じかなあ。

2004年6月17日(木)

朝友人からの電話で内野二朗さんの死を知る。以前から入院していたという話は聞いていたのだが・・・。神さん、永島さん、そして内野さんと、戦後の興行界をリードしていった呼び屋さんはみんな亡くなったことになる。
神さんの本を持って会いたかったなあ。
来週の授業でつかう『レスラーと道化師』をパルからダビング。
漂流民の展示会の件で、石巻のS氏から電話。昨日の会談も踏まえて、いまから会議になるという。場合によっては今回は見送りという事態もあるかもということで、少し緊張。会議の結果を待つしかない。
夏のイベントのトラスの件で、出演者側からの要望が出される。それを業者さんにFAX。
早めに弁当を食べて、planBへ。今日は三雲、こうじ、重森のネタ見せ。
13時から三雲がまずトップバッター。今回のフールBは、ただ作品を見せるだけでなく、その過程を大事にしようというのが、いままでのカバBとかフール祭のオムニバスとはちがうところ。それぞれネタを演じたあと、感想をいい合うだけでなく、出演者の狙いなども聞きながら進める。あとでこうじが、やってよかった。目の前がぱっと明るくなったと言っていたが、この過程が、しんどいけど、大事になるはずだ。
17時ぐらいまでかかる。今回はかなり楽しみな公演になりそうだ。
夕方S氏から電話、予算縮小ということで、予定通り開催ということになったということ。安心すると同時に、これから時間がないなか、制作関係を進めなければならないということで、またたいへんだ。
でもホットした。

2004年6月18日(金)

今日は比較的余裕の日。たまっていたことをひとつひとつケリをつけていく。ビデオのダビング、漂流民展の自分の担当の部門の資料を整理、父の日の贈り物をネットで発注。
ドイツ、ベルギーの出張から西田が戻ってくる。今回はずいぶん成果の多い出張だったようだ。
Fに電話。内野さんの告別式は、今日1時から三鷹であるとのことだった。今回は内輪でということらしい。ただあれだけの人だから、日をあらためてなにか送る会でもやるのだろうと、Fと話したら、すでに盛大に生前葬をやっていたとのこと。内野さんらしいなあ。
漂流民展のことで、あちこちに手紙を書く。
18時半すぎに会社を出る。

2004年6月21日(月)

台風が日本を直撃するという。すでに家を出る段階で室戸岬に上陸しそうだった。こっちでも風がかなり強くなってきた。歩いて杉田駅に着く頃は、汗びっしょり。湿気が多いようだ。
朝ミーティング。オランダに出張に行った大野、辻、かなちゃんのグループもかなり収穫があったようだ。ドイツ、ベルギーに行ってきた西田も大きな成果があったようだし、これをもとにこれからいろいろ仕掛けられそうだ。
夏のホテルの仕事の契約書を作成、芸人さんたちとの覚書もつくり、それぞれ発送。
査証関係の書類を送ってあるウクライナのアーティストに電話連絡、書類はキエフには来ているというので、これからキエフに向かい、明日大使館に申請するという。ウィンチのことで打合せ。
久しぶりにハーリックに電話、先日CDで映像資料をもらったのだが、自分のパソコンではみれなかった、もう一度ビデオで送ってもらう。まだ査証の書類は届いていないという。
漂流民展の解説文書作成の準備にかかる。これも今週中にやらないといけない、まさに時間との闘い。とりあえずフォーマットを作成しておく。
19時前に会社を出る頃は雨も上がっていた。台風は近畿を横断して、日本海にぬけたらしい。リトルのサーカスは、一回だけの公演だったようだ。

2004年6月22日(火)

台風一過、朝からめちゃめちゃ暑い。今週日曜日でリトルのハンガリーサーカスは楽。ギャラの支払の件で、確認したいことがあったので、通訳のKさんに電話。バラシュと一緒に東京に来ているという。
済州島で江口と約束していたジンガロのビデオをダビング、モンゴルに送る。今日の授業で使おうと思っているビデオをチェック、頭出ししておく。
バスで早稲田まで。しかし暑い。今日の授業は、クラウンについて、ドゥーロフ、ラザレンコ、エンギバロフ、パルーニンまで、サーカスのクラウンの系譜を、ビデオを3本つかい解説する。
前回ぐらいから話すことが苦にならなくなってきた。慣れてきたということだろうなあ。持って行った明日のフールBの当日精算券が全部はけてしまった。全員が来るとは思えないが、多少今日のクラウンの話を聞いて、見に行こうという気になったのかもしれない。
バスで会社まで戻る。今日はサーカス文化の会。済州島の馬のサーカスについてのレポート。ACCのスタッフ以外の会員の人は1名。内輪の会になった。
予備校に通っている娘を横浜でピックアップしようと思い、メールを出しておく。横浜で時間潰し。なかなか来ないのでメールを出すと、もう杉田まで来ているという。横浜で待っているということをはっきり書かなかったのがミスだった。冨岡で待っておいてもらう。とんだ時間のロスだった。
暑かったし、ぐったりしてしまう。

2004年6月23日(水)

昨日のフールBのリハに光洋ちゃんがぎっくり腰で出られなくなったので、本番大丈夫か心配になって電話したら、昨日より悪くなっているという。これから病院に行くということだが、あまり無理しないように伝える。
公演プログラムのコピーをペンディングにしておく。お昼前に光洋ちゃんから電話、やはり無理とのこと。現場に連絡。今日は3人でやることに。
当日の予約が2件しか入っていないのだが、どうなるのだろう。
16時すぎ会場入り、すぐにゲネ。今回は照明がきちんとつくられている。それと前回のネタ見せからどの作品も、ずいぶんとしまった感じになっている。光洋ちゃんがいれば、さらにいい公演になったとは思うが、3人だけでも十分に見応えのある内容だ。
19時開場、顔なじみがほとんど。およそ30人近く入る。1時間の公演だったが、ひとりひとりがきちん取り組んだ作品を見せているので、内容の濃い公演になった。
漂流民の展示用解説を書かなければならないので、早々にplanBをあとにする。23時帰宅。

2004年6月24日(木)

昨日の晩、遅くまで展示会用の解説原稿を書いたのがたたり、寝坊。1時間ほど遅れて出勤。リトルのKさん
から電話、芸人さんがひとり病院に行きたいといっているらしい。あまり気にしていなかったのだが、公演もできなかったという。あと残すところ3日なのだが、やはり疲労もあるのかもしれない。
秋の企画の件で契約書を作成してもらう。光洋ちゃんに電話、まだ腰の具合はよくないらしい。
デラシネにフールBのことを書き込み。
リトルの荷物の搬出について、業者さんと打合せ。モスクワに電話、これも荷物の件で確認。
Kさんから電話、病院での診察結果を聞く。とりあえずは薬を飲んで、安静にすることだ。弟が同じ病気になったことがあるので、電話してみる。
両国で気功の治療。すっかり気持ちよくなり熟睡してしまう。
21時帰宅。とにかく今日展示会用の原稿を片づけないと、ということで2時ぐらいまでパソコンに向かう。
なんとかメドがたった。

2004年6月26日(土)

朝10時すぎにplanBの楽屋で目が覚める。昨日はフールBの2日目、公演後みんなでいろいろ内容について意見交換をしているうちに、家に帰れなくなった。
いい公演だったと思う。やはり出演者のモチベーションが高かったことで、公演後にそれができたのか、何を得たのかという話になり、ずいぶんと盛り上がったのだと思う。
ひとり寂しく地下室から這い出て、帰途へ。途中上大岡にでおりて、リトルにみんなにあげるお土産を購入。今回は箸と箸置きにしてみた。
家に帰って、展示会用の荷物の荷造り、額入りのリトを梱包するのに時間がかかっただ、なんとか今日発送できた。原稿もメールで送る。これでこっちの仕事は一段落。
あとはSさんがたいへんだろうけど、なんとか一安心。
24時前に就寝。

2004年6月27日(日)

9時前に家を出て、10時過ぎののぞみで名古屋へ。13時の公演を見る。天気予報はくもりだったが、いい天気になり、お客さんも一杯。春のイベントの最終日ということもあるのかもしれない。
先日病院に行った芸人も、ずいぶん良くなったみたいで、元気そうだった。15時のラストショーの前に、今日で最後の?まつりで、食い損ねていたフォーを食べにレストランへ。まずくはなかったが、量がなあ、かなりもの足りなかった。
ラストショーは、ふたりの子供が挨拶に出てきたのはいいが、レティシアは早々に逃げてしまい、ソーニャが、ひとことこんにちわを言って、おしまい。いつもはいろんろおふざけがあるのだが、今日は軽いもの。
最後いつものように舞台で記念撮影、みんなと千秋楽の挨拶。あっさりしたもんだ。後片付けも早い、早い。17時すぎのバスに間に合うくらいだった。
ホテルにチェックインしたあと、駅前に集合、そのまま飲み屋さんで打ち上げ。ミーシャが持ってきたウォッカを少し飲む。
22時すぎまでここで宴会、このあとは二軒目はミーシャだけがやってくる。みんな最終の電車があるとかで、24時前にはお開き。ミーシャが飲み足りなそうだったが、自分はもうこれが限界、24時すぎにホテルに戻り、就寝。

2004年6月28日(月)

6時半ごろ目が覚める。めちゃめちゃ変な夢を見た。知り合いの女性と結婚披露宴をやっている夢。顔見知りが一杯集まっている。寝覚めが悪い。
京都に一泊旅行に出かけるハンガリーチームを犬山駅まで見送り。帰国日には空港まで送りにいけないので、ここでお別れになる。
いったんホテルに戻り、朝食をとってから岩の茶屋にミーシャたちを迎えに行く。車が来るまで、ソーニャのお相手。
しかし結構な荷物だ。犬山駅で、リトルのスタッフとお別れ。K氏も、O氏もかなりの二日酔い。しかし暑いし、蒸す。荷物の他にソーニャという大きな荷物があるので、駅での移動がたいへんだ。
会社に電話して、車で東京駅まで迎えに来てもらう頼む。新幹線ではゆっくり1時間以上寝る。13時前に東京着、車で新宿のホテルに移動。チェックインしたあと、会社に戻る。
雑用をしているうちに、18時半。会社を出て、ミーシャたちの慰労会会場のしゃぶしゃぶ屋へ。かなり食べたような気がする。
21時過ぎにお開き、マーシャとミーシャにお別れを言う。もっとも来月にはまた会えるわけだが・・・
22時半帰宅。

2004年6月29日(火)

入管に行っていた辻君と空港に送りに行った大森君が戻ってきてから、打合せ。主に来週からはじまるドタバタのスケジュール調整について。結構厳しいものがある。
14時に会社を出て、早稲田へ。今日は今年の授業の最終回。安西君にも今日は出演してもらうことになっている。ギリギリに到着。いままでも何回かベルチンスキイについては話してきたのだが、安西君に実際に日本語で歌ってもらったことがとても良かった。学生はみんな真剣に聞いていたし、反応があった。
いい授業になった。しかしカバレット早稲田の申し込みは8人だけ。まあ仕方がないか。あと1週間で動員をはかっていかなくては。
いままで4回この講座に出たが、最後に拍手をもらったのは初めて。
安西君と前にもいった馬場の居酒屋で、ご苦労さん会。携帯にKさんから電話。19時から渋谷で飲み会をやっているので参加しないかというお誘い。安西君と一緒に渋谷の会に乱入。今日はビールのあとは日本酒にしたのだが、かなり飲んだように思う。大学の先生たちの集まりだったのだが、ベルチンスキイの今日の授業にづいてはみなさん興味津々のようだった。
23時すぎに帰宅。

2004年6月30日(水)

朝から雷が鳴っている。出社途中、リトルのKさんに電話。ハンガリーチームは無事帰国したとのこと。岡村君の荷物のなかにおもちゃの手錠があり、それがちょっと問題になったぐらいで、あっさりとしたもんだったという。
荷物輸送してもらう業者から電話、荷物も今日のフライトで飛ぶという。とりあえずこれでハンガリーサーカスに関してはすべて終了ということだ。
上大岡で住民票をとって、そのまま11時六本木での打合せに直行。
12時すぎ出社。カバ早稲田のことやら、韓国の綱渡りフェスとか、やらなくてはならないことがたくさんあるのだが、昨日の飲み過ぎがたたり、今日一日完全な無気力状態で仕事に手がつかず。
韓国の金さんから確認のメールが来ていたので、カザフに電話だけは入れる。ファリダはもちろん綱渡りフェスには出演できるという。
モスクワに電話、現在の進行状況を確認。とりあえずは順調のようだ。ここでもう限界、18時すぎに帰る。


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