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クマのお仕事日誌

2004年7月1日(木)

いよいよ今日から7月、激動の7月だ。無気力だなんて言っていられない。10時出社。昨日五人囃子のひとりの結婚式に出るために来ていた東村のSさんが会社に。元気そう。
来週のカバ早稲田の進行表を作成して、キャスト・スタッフに送付。今日は結構電話とメールで注文があった。それでもまだ30足らず。あと20は欲しいとこ。
14時ユーハイムで打合せ。
モスクワから電話、ビザの件でトラブルがあったらしい。直接大使館に電話、明日もう一度来るようにとのこと。受付の対応なのだろうなあ。再度モスクワに連絡、明日大使館に行くということで、とりあえずこの件は一件落着。モスクワからの電話、携帯への通知不可能の電話が入るとろくなことはない、いつもそのたんびに頭がちょちょぎれてしまいそうになったが、最近は慣れてきた。今度はどんなトラブルなの?っていう感じだ。
モスクワのアーティストからも電話、同じ件だった。事情を説明する。用件が終わったあと、雑談でDDTが北京で10月にコンサートすることがわかった。
北京でやっちゃうんだ。見に行きたいな。

2004年7月2日(金)

9時から歯医者。これがたいへん。まず一時間待たされたあげく、治療が奥歯なため、すごいことになった。13時までびっちり治療、麻酔を打ってもらっているので、痛みはないのだが、何度もゲーゲーとなってしまう。
あごも疲れたのだが、とにかく奥の方に手を突っ込まれてしまい、それが苦しくてしようがない。涙が出てきた。
約3時間の地獄を味わうことになった。ほんとうにしんどかった。14時半出社。歯の治療ですっかり消耗させられてしまった。
韓国の綱渡りフェスの資料を急いでいるようなので、これをまず最初に準備。ビデオ・プロフィールをソウルに送る。
メールも入れておく。カバ早稲田の申し込み表をつくる。
モスクワの査証が気になったので、どうなったか電話を入れる。書類は受け取ってもらったとのこと、来週早々にはビザをもらえるとのこと。
20時ぐらいに仕事を終え、退社。

2004年7月5日(月)

明日は、カバレット早稲田。ということでその準備日。タイムスケジュールを作成して、スタッフ・キャスト・劇場にメール。釣り銭他のため10万円をおろしておく。アンケートと当日のプログラムをコピー。フールBの仮チラシを作成しておく。
予約リストをプリントアウトしておく。自分の読みとしては今日5件の申し込みの電話があれば、なんとか50人はいくのではという気がしたのだが・・・問い合わせも申し込みも、2件。うーん、50人は無理かもしれない。
このところ恒例となっている、モスクワに電話。今日はどんなことがおきているのだろうということなのだが、いろいろあっていまは言いたくない、全部が済んでからにしようという。何が起きているのだろう。最後はニェチェボーと言っていたのだ・・
20時前に退社。

2004年7月6日(火) 

今日は、カバレット早稲田。10時会場に直行。照明のMが、すでに到着。仕込みの手伝い。あるだけの器材を全部使ってやってくれるみたい。無理を頼んでいるのだが、いいものをつくろうという意気込みを感じる。
しかし今日は蒸す。ちょっと動いただけで、汗だく。13時過ぎに仕込みが終わる。メンバーが集まってきて、場当たりというところで、抜けて病院へ。小一時間待たされた。結果は、前回よりも数値が下がっている。遅い昼飯を、会場の近くのラーメン屋でとる。会場に着いたところで、ゲネ。
いい感じの公演になるような予感。
ゲネが終わり、受付の準備。受付は外なので、まあ暑いこと暑いこと。首にタオルをまいて受付にあたる。
42名が来場。あとでアンケートを見ると、学生で申し込み書なしで、当日券を買った人が結構いた。新しい客の開拓という意味では良かったのではないだろうか。
1月のシャーレから4月の歌のアルバム、そして今回と、実験をさせてもらったわけだが、なんとなく見えてきたような気がする。次のカバレットが、自分にとっても勝負なような気がする。
自分なりのイメージでやりたいことを全部だせるものにしたい。21時半から馬場で打ち上げ。そのまま帰るはずだったのだが、有志(小出、こうじ、Kaja、テリー)に誘われ、二軒目へ。3時で追い出される。結局は会社泊まり。

2004年7月7日(水)

会社で目が覚める。3人は朝早く帰ったようだ。二日酔いというよりは寝不足で、調子は当然のことながら良くない。
七夕だよなあ、今日は。しかし史上最悪の七夕になる。
まずは漂流民の会の件で、とんでもない電話がかかってくる。絶句。この場にきて、なんでこんな事態になるのか、まったく理解できない。展示会の時もそうだが、またこれだ。この場にきて、報告だけだ、どうするかという善処法がまったくない。電話を聞いているうちに笑うしかなかった。ここまできたらやるしかないのだが、それにしても、あまりにもひどい。
なにもする気がおこらなくなるが、そうもいってられない。明日から10日ほど留守になるわけで、いないあいだにやらなければならないことを片づける。
そしてずっと気になっていたモスクワからの荷物の件で、また嫌な電話が・・・。いったいどうしたの、一抹の不安はあったのだが、途中経過を聞くかぎり、順調にいっていたはずだった。それが土壇場でトラブルだ。
これから対策にあたるため、でかけるとのこと。時差があるので、向こうの労働時間に合わせて、経過を見守るしかない。
久々にKOパンチを二発まとめて食らった感じだ。
髪の毛がぼさぼさになったので床屋へ行って、気持ちよく出張に出たかったのだが、そんな気持ちにはならず、帰宅。
家に着いてから、会社から電話。荷物の件。今回はスポンサー直接の発注なので、事情がいまひとつ読めなかったが、大体輪郭がわかってきた。
しかしなんという一日なのだろう。

2004年7月8日(木)

6時すぎ起床。天気予報を見たら、35度になるという。とんでもない暑さだ。憂鬱な出張だが、唯一の救いは、涼しいところに行くことかな。7時過ぎに家を出て、リムジンで成田へ。事故渋滞でバスは遅れるらしい。どんな一日になるのだろう。
10時すぎに予定通り飛行機は到着。40分ぐらいでメンバーが出てくる。みんな元気そう。荷物以外はすべて順調だという。7人のメンバー全員がスモーカー。タバコを吸いたいという。今日の予定を説明。まずは羽田に移動し、昼飯。日本に来たことのあるメンバーが5人。和食を食べたいという。空中ロープのお嬢さんは、お子さまランチを注文、おまけ付きで喜んでいた。
モスクワに電話、荷物の件を聞く。これからいろんなひとたちに会うという。とにかくいまは昨日以上の情報はない。メンバーのリーダーから状況を聞く。どうも今回のトラブルの元は、モスクワの業者にあるようだ。
16時前に羽田発、みんな疲れているのだろう。よく寝ていた。17時30分千歳空港着。小雨で霧。気温は17度。涼しい。去年のことがあったので、ジャケットをリックに入れていたのだが、正解だった。ジャケットなしでは寒いくらい。
モスクワに電話、状況は進展していないようだ。バスで現場に向かう。メンバーにすれば長い旅の最後になる。
20時前到着。チェックイン。そして夕食。メンバーは、この前のオーストリア公演で相当ひどい目にあっているようだ。ここでの待遇はまさに天国のようなのだろう。部屋、食事、すべてに満足なようだった。
問題は荷物なのだが・・・
何度もモスクワに連絡。1時前にやっと状況がわかる。また明日闘いが待っている。少しずつ臨戦態勢になってきた。ここでへこむわけにはいかない。

2004年7月9日(金)

8時30分にロビー集合、みんなで朝飯を食べに行く。食事後公演現場の確認へ。
高さが足りないということはあるが、これに合わせて慣れていくしかないという。細かい部分についてのチェックが入る。
やはり気になるのは荷物のこと。12時すぎにモスクワに電話。向こうの方は少し見えてきたようだ。税関とも話は大まかなところ終わったようだ。いろいろ了解をとらないといけないことがあるので、
連絡をとる。受け入れ体制についても手配をとる。明日明後日は土日、時間はない。
平行して、降って湧いてもちあがった漂流民の会のイベントについてのトラブルについて、いろいろ連絡をとりあっていたのだが、夕方結局基本線で進むことになった。いったいこの3日間はなんだったのだろうという気もしてならないのだが、まあこれでひとつ問題は解決。
夜何度かモスクワに電話。なかなかつかまらない。きっと走り回っているのだろう。モスクワの金曜日は道路渋滞がひどい。
辻と夕食をとったのち、部屋でずっと電話を待つ。
さすがにしんどくなって2時過ぎにベットに入る。モスクワから電話、荷物は全部引き渡しを終えたという。日曜日の便に荷物はのるとのこと。モスクワのことだから、これから何が起きるかはまだわからないが、ひとつ大きな峠は越えた気がする。
時計を見たら、3時30分だった。詳しくはまた明日というか今日連絡を取り合うことにする。

2004年7月10日(土)

9時集合して、みんなで朝飯を食べる。荷物の日本での受けに関して、業者さんの携帯に確認の電話を入れる。まだ寝ているようだった。
現場に担当責任者が来ているという連絡、すぐに現場へ。荷物のトラブルに関して、状況を説明。昼過ぎにに再度モスクワに電話。すでに通関は終わっているという。
すべて順調だという。安心していいのだろうなあ。責任者の方と打合せ。昼食を食べたあとはフリー。読みかけていた『下山事件』を部屋で読む。
嵐の前の静けさというところ。

2004年7月11日(日)

昨日部屋で遅くまで酒を飲んでいたのが悪かった。10時近くに目が覚める。あわてて朝飯を食べにレストランへ。
部屋に戻って、またベットにもぐりこむ。今日は休みみたいなもの。目を覚ましてから、沢木耕太郎の『60』を読みはじめる。
昼飯の時顔を合わしたメンバーから空中ロープの仕込みをしたいという申し出。16時から仕込み。
いよいよ今日はモスクワから荷物とメンバーが出発する日。いろいろ気になるところ。選挙の開票速報の出口調査の結果を見てから、また居酒屋へ。
モスクワに電話、これから空港に向かうという。なにかあれば電話をくれるように伝える。
思ったほど自民党が負けていない。投票率が上がれば、もっとダメージを受けたはずと思うのだが・・・

2004年7月12日(月)

選挙速報を遅くまで見ていたので、ちょっと朝寝坊。ぎりぎりで朝飯を食べる。今日は第二陣が来日の日、そして懸案の荷物が届くはずの日。無事モスクワを出たというところまでは確認できたのだが、なにせ着いてみないとわからない。
なんとなくそわそわ。11時すぎに一行10名が成田に到着したという連絡が入る。そして荷物も無事に到着し、別送品申告の手続きをとっているところだという。
まだ安心できない、輸入通関が終わった時点で初めて、安心できる。
今日は月曜日ということで、何本か仕事の電話がはいる。やっと16時過ぎに、通関完了の連絡が入る。これでほんとうに安心できる。モスクワにも電話しておく。ペーチャは今回だけはたいへんだったろう。
19時40分すぎにメンバー到着。長い旅立ったろう。キエフ組は、モスクワで10時間も待っていたという。
レストランが閉まってしまうので、まず夕食をとってもらう。それからチェックイン。いよいよ明日からだ、本格的な準備は。
0時30分携帯に電話。来日したオスマンたちの宿泊の件で、トラブルがあったという。また一難去ってまた一難。とにかく今日のところは我慢してもらうことにする。

2004年7月13日(火)

10時現場に集合。昨日来日したグループの仕込み。今回は吊りものが多いので、たいへんだ。3時間でつり込みが終わる。ただストラップは、ウィンチが来ないため、仕込みできず。
今回のPAはトランポリンチームのリーダーの奥さんがやることになっているので、音の打合せを各自でやってもらう。ロシア語だし、間に入ることがないので、楽といえば楽だ。
17時にオープニングのリハ、今回は練習する時間がタイトなので、とにかくやれるものからやっていかないと、ということだ。これも奥さんのイリーナが中心になって、やってくれるのでわりとすんなりと決まる。辻君がだいだい考えてきたオープニングのアイディアを、イリーナが中心になってひとつひとつ決めていく。いい感じのオープニングになったと思う。
このあとブランコのマヤとイリーナがダビング作業。20時過ぎまでかかった。明日はブランコの道具がいよいよ到着、長い日になるだろう。
いつものように居酒屋に食事にいくと、ブランコ組があとで入ってくる。一緒には食べなかったが、オーダーの時少し手伝ったやる。
明日はきっと長い一日になるであろう。

2004年7月15日(木)

涼しい日が続く。東京はどうなのだろう。いま世の中なにが起きているかさっぱりわからない。8時半ウィンチが到着。ところが肝心の芸人さんサーシャが来ない、のんびり飯を食いあがっていた。それにしても大きなウィンチだ。本人もびっくりしていた。とにかくOKということで、さっそく取り付けにかかる。
その間メンバーがパラパラと現れる。ブランコ組はネットの調整。最終的に調整するためにセンターにもアンカーをとることになった。
客席にだいぶデッドゾーンができることが問題、解決策について話し合いが続く。そのうちにブランコが飛行開始。高さと距離の調整を身体で覚えるのがまず第一なのだろう。
ブランコの道具が予定通り到着すれば、こんなに無駄な時間がなく、いまごろ通しをやっていたはずだったのに。
また長い一日になりそうだ。15時前にブランコ組の飛行チェックが終わり、そのあとストラップのリハ。
客席を増やすこととセッティングの問題のため、プログラムの準備をかえることにする。17時ミーティング。オープニングとエンディングのリハ。MCをやらされる。かみっぱなし。
このあとブランコの本格的なリハ。なんとか三回転まではキャッチできるようになった。しかしやはりいいなあ、ブランコは。
このあと空中リングの出だしの部分のチェック、それからストラップの練習。22時すぎに終了。このころになると寒いくらいだ。
なんとかかんとか見えてきた感じかな。

2004年7月16日(金)

10時から一回目の通し。いままでひとつの演目も通しでやっていない状態で、これにはとにかく時間をかけて、道具の準備、音のきっかけのチェックをしてもらうことが一番の目的。
わりとスムーズにいったと思う。2時間ぐらいで通しは終了。このあと個々にチェックすべきところはチェックしてもらう。客席つくりが結構たいへん。15時前からフル動員で、客席つくり。張りめぐらせているワイヤーなどで、デッドゾーンが結構ある。
15時45分から本番通りに、衣装をつけてゲネプロ開始。やはりいちばん大変そうなのが、ブランコ。まだ高さや距離感に慣れていないのだろう、失敗が多い。しかしこれはしかたがないこと。見ていると感じはだいぶつかまえているそんな手応えが、パフォーマーたちにあることがわかった。流れ的にも問題ない。
懸念されていたつなぎの部分も思ったほど大きなトラブルもなかった。これだけ短い時間で、よくここまで仕上がったと思う。
東京の現場に電話すると、あっちもいろいろたいへんみたいだ。今日北九州ではじまった現場は、順調だったようだ。
なんかホットする。いつもの居酒屋で、一杯。ほっとしたこともあって、飲みすぎた。

2004年7月17日(土)

いよいよ今日から初演。9時半前に会場入り。飲み過ぎで、少し二日酔い気味。11時開演。お客さんもまだパラパラという感じ。ブランコがやはり失敗が多い。昨日のゲネがうまくいったので、喜びすぎたのだろうか。どうもテンションが低いような気がしてならない。
公演後裏に行って、「ス・ナチャーラ(初演おめでとう)」と言っても、芸人さん自身はあまりうれしそうでない。特にブランコチームのリーダーは、「絶対飛べるようになるから」と真っ先に言ってきた。ブランコチームのメンバーの表情も固い。
いろいろダメだしを受けて、次の回の公演で直せるものは、直してもらう。往々にしてあるんだよなあ、ゲネがうまくいくと、こういうことが。
15時の公演。ブランコが気合が入っている。三回転も成功。お客さんの反応も一回目よりはぜんぜんいい。かなりいいできになった。客席とステージのテンションが1回目よりは、まったくちがう。いい公演だった。
これでやっと一安心。クラウンが今回の公演では結構キーになっている。ネタの変更と、短縮について、打合せ。本人たちも了解してくれる。
これによってまた良くなると思う。
19時から歓迎会。みんな初演が終わってほっとしている。ひとり浮かない顔をしているのが、今日2回とも失敗したブランコのコーリャ。
ウォッカもたくさん用意されていたが、明日の公演も考えて、みんな控えめだった。
自分はなんとなくもの足りないので、余っているウォッカをもらって部屋で飲み直し。ずいぶん飲んでしまった。と感じはだいぶつかまえているそんな手応えが、パフォーマーたちにあることがわかった。流れ的にも問題ない。

2004年7月18日(日)

完璧な飲み過ぎ。初めて朝飯を食い損ねる。売店でツマミ用のちくわを買って朝飯がわりに食べる。スタッフの人から「酒くさい」って言われる。
連休の中日ということもあって、会場はほぼ満員。クラウンのネタの内容を変えたので、いっそうしまりができた感じ。ブランコもずいぶん失敗が少なくなってきた。昨日2回とも失敗していたコーリャが成功、思わずガッツポーズをしてしまう。スタッフの皆さんからも、よくなったとお褒めの言葉。ひとつ大きな区切りができたかなという感じ。
あとは客入れをどうするかということだろう。
15時からの公演はもっと多くのお客さんが来るからと思ったのだが、いまいち。ただいままで一度も成功してなかったジェーニャのフライングが成功、やったと叫んでしまう。ミーシャの三回転が失敗して、パーフェクトとはならなかったが、もう安心だろう。
公演後内容はこれで固めていきましょうと言われる。公演後なかなかうまくいっていなかたっサーシャのストラップの滑車の調整。このあと練習、うまくいっていたので、明日からは大丈夫だろう。
久しぶりに風呂に入り、ビールを飲んで少しベットで寝る。今日はフランス料理で、ワインを軽く飲んで、早めに就寝。

2004年7月19日(月)

早く寝たし、さわやかなお目覚め。朝飯をゆっくりとって、部屋でメールの返事を出したり、原稿を送ったりする時間があった。明日帰ることは確定なので、ネットで航空券の予約。
昨日は暑さを感じたが、今日は肌寒い感じさえする。11時の公演はデジカメで写真撮影。暗くて全然ダメ。ブランコはずっと成功していたのだが、最後の三回転で失敗。サーシャのストラップは、もう完璧。ずいぶんテンポが出てきた。
公演終了後ミーティング。明日で自分もいなくなるし、今後の予定、いなくなっからの指示系統についての確認。
15時の公演前に雨がぽつりぽつり、客の入りが心配されたが、結構入る。むしろ雨降ったほうが人が入るのかもしれない。
ブランコで二番目に飛ぶジェーニャが、下手のネットまでふっとぶ。結局ブランコの完全成功版を見ないで、帰ることになった。
公演後MCの録音。みんなは明日が休演日ということで、ずいぶんゆったりしている感じ。
19時半にいつもの居酒屋へ。ほとんどのメンバーが顔をだす。23時半すぎまで、飲んでいた。

2004年7月20日(火)

昨日は日本酒を飲んだので、胃が重たい。朝はお粥にする。荷物をまとめ、チェックアウト。大きい荷物は宅急便でだす。9時半全員集合して、バスで村役場まででかけ、外人登録。わりと早めに終わる。そのあと大きなスーパーまで行ってもらい、買い物。13時前にホテルに戻る。
昼飯を食べている時に、モスクワに電話、荷物の件で確認をとる。
14時半のバスで千歳空港へ。空港に着いてテレビを見ていたら、東京が39.5度というのにびっくり。そんなところに帰るのかと思うとうんざりする。
待合室と機内でカメンスカヤ分析官シリーズを読む。19時前に羽田に到着。飛行機の扉が開いただけで、むっと熱気。息が詰まりそうになる。とんでもない暑さだ。
20時帰宅。夜漂流民の会の会報を発送する準備。明日会報を入れて発送するだけまでしておく。展示会のポスターとチラシはいいものになっている。なんとか成功させたいものだ。
1時過ぎに就寝。

2004年7月21日(水)

しかしとんでもない暑さだ。よくこれでみんな生きているもんだと思う。まずはボサボサになった髪を切りに、銀座の床屋へ。散髪してなんか気持ちもリフレッシュしたような気になる。
ふうふういいながら、2週間ぶりに出社。いろいろやらなくてはならないことがあるのだが、まずは今年の秋の企画としてプレゼンしているもののビデオをチェック。なかなか面白い。すぐにスポンサーに連絡、ダビングして発送。来年の企画ものは早くだしてと言われる。
これを片づけて、次は内職。漂流民の会報を封筒詰めにして発送。これが終わって少しほっとする。
17時すぎに会社を出て、関内ホールへ。藤山新太郎の手妻公演をデスクと大野と観覧。やっぱり水芸がきれいだ。歩いて野毛まで出て、万里放題亭で久しぶりに餃子と白菜と100番の豚のもつを食べる。大野と今後のデラシネについて打合せ。
24時前に帰宅。

2004年7月23日(金)

朝入管に直行。自分ところの登録番号を忘れてしまう、メールで大野に聞く。およそ1時間近くの待ち時間の間に、カメンスカヤ分析官シリーズ最新版を読み終える。もっと読みたいな、このシリーズは。
13時すぎに出社。
メールを開いていたら、漂流民の展示会の開幕式にはぜひ出席してもらいたいとメッセージが。28日行くことにする。ハーリックにメール。10月に韓国で開催されるチュルタギフェスティバルの件。
ルスツの現場から何度か電話が入る。明日から開演前に別なショーが入るので、それをどうするかでいろいろ打合せをやっているようだ。
18時半会社を出て、代々木でチャンポンを食べ、新宿のスペースゼロへ。SOUKIの「ミラー・ミラージュ」を見に行く。光洋ちゃんものいた。腰の具合は、まだ完調とまではいっていないようだ。
前半のダンスではほとんど意識を失っていた。後半はジャグリングなどいろいろ見せ場があり、退屈せずに見ることができた。パントマイムの劇団ということだが、客層が、いつも見に行くマイムの公演とはまったくちがう。ダンス系の人たちが多いように感じた。
23時すぎ帰宅。
久しぶりに明日・明後日は家で休める。

2004年7月26日(月)

大汗かいて出勤。最初にまた内職から。8月8日に開催される吉村先生の講演会の案内を急遽会員宛てに発送することに決めた。お昼過ぎまでかかって完了。郵便局から発送する。なんとかひとりでも多くの人に集まってもらいたいものだ。
秋に来日するメンバーの航空券がなかなかとれない。混んでいるのか、フライトキャンセルなのかよくわからないが、ウェイティングが多い。今回はバラバラの来日になるかもしれない。
見積もりをひとつ作成。夏休みにしてもらっている仕事で現場へ確認。荷物の出しの部分で、電話で打合せ。
仕事を終えてから、豊島園へ。ちょうどショーが終わったところ。雨がちょっと降ったようだ。
ミーシャのアパートに行って、オスマンもまじえて飲み会。ウォッカではなく、ズブロッカを二本飲み明かす。このくらいがちょうどいい。ミーシャは飲み足りなさそうだったが、これで終わりにする。
オスマンの連中は、5月の大分の仕事がとても楽しかったようだ。思い出話で盛り上がる。あとはキリギスツアーの話になり、いつ行くかどこへ行くかで喧々囂々。ほんとうに実現したい話だ。
23時すぎに練馬を出る。奇跡的に大門で目が覚める。良かった! これで泉岳寺始発の最終に間に合った。しかも座って帰れた。あそこで目が覚めなければ、えらいことだった。

2004年7月27日(火)

午前中、荷物の輸送の件で打合せ。入る時もいろいろたいへんだったが、出すのにもいろいろやらなくてはならないことがある。またいろいろたいへんだ。
東村組が、ナジェージダ先生を成田に見送ったあと、出社。向こうもいろいろたいへんだったようだ。
午後全員が揃ったところで、ミーティング。今年の夏は、それぞれの現場みんなたいへんだった。とにもかくにもさまざまな困難を克服して、順調に進んでいることはなによりである。
漂流民の展示会と講演会の案内DMを作成して、知人へ郵送。モスクワに連絡事項を伝えて、そのあと早退させてもらい、仙台へ。
20時すぎに実家到着。久しぶりにおやじとおふくろと食事。
昨日が昨日だったので、軽く飲んですぐに寝る。

2004年7月28日(水)

6時に起床。7時に出発する予定だったのだが、8時に出発。Kさんの車でサンファン館へ向かう。9時すぎに到着。すでに何人か会員が来ており、展示の最終準備。12人の会員が開幕式に来てくれた。
とにもかくにもここまでこぎつけられたのは、イベント部長の献身的な働きがあったからこそ。おそらくほとんど睡眠をとっていないのではないだろうか? げっそりと痩せていた。
展示会の内容も、パネル中心になっているが、太十郎のジャケットなど現物が効果的におりまぜられ、楽しめる構成になっている。
いいものが出来たと思う。なんかホットする。一番ホットしているのはS氏だろうが。
11時より開幕式。館長の挨拶のあと、テープカット。マスコミも何社取材に来ていた。
観覧がおわったあと、応接室で打合せ。そのあと食事をとり、鳴瀬の中央公民館に下見。ここは8日に吉村先生が講演することになっている。だいだい状況がわかる。音響の人をひとり手配する。講演会で奔走しているTさんの家にお邪魔して、動員の打合せ。調子に乗って、缶ビールを4缶ご馳走になってしまう。
Kさんの車で仙台駅へ。19時25分のこまちに乗って、一路東京へ。22時すぎに帰宅。
なんか疲れた。

2004年7月29日(木)

台風が伊豆沖にいるとかで、雨が断続的に降るなか、出社。ルスツのビデオをダビング。来週からまたルスツに行くので、その準備。
13時渋谷で打合せ。ずっととまっていたカバレットについて、出演してもらいたいと思っているバンドさんのバンマスさんとミーティング。いい打合せができた。なんかやる気がでてきた。
びっくりしたのは、東急プラザがなくなっていたこと。名刺入れを喫茶店に忘れ、あわてる。自分が座っていたイスにあったのだが、ここに次の客が座っていた。わかりそうなものなのに・・
一昨日は財布を家に忘れ、今日は名刺入れ、気をつけないのと。
15時に会社に戻る。ルスツから電話、今年はものすごいお客さんが押しかけているらしい、サーカスのせいなのだろうか?
18時半退社。

2004年7月30日(金)

昨日仮歯がまたごそっと食事中にとれてしまった。奥歯で5本つなぎになっているので、窮屈でしようがない。歯医者に電話すると、土曜日に来てくれとのこと。出張に行く前で助かる。
秋の決まっている仕事について見積もりを提出。電話でやりとりをする。
来年用の企画として出す予定のビデオを、送る前に見る。なかなか面白かった。
今日くるべきはずのモスクワからのEMSが届かない。出した方は今日着くはずだと言っているのだが、日本側は届いていないという。前にもこんなことがあった。なんでこううまくいかないのだろう。高い金わざわざだして、国際宅急便を送っているのだからちゃんとやれよと言いたい。モスクワに何度も連絡、結局わかったことは、まだ日本には着いていないということだけ。徒労感だけが・・・
18時半恵比寿のビアーホールで飲みながら、取材。いつもはガラガラなのに、今日は超満員、冷房もあまりきかないカウンター席に押し込まれ、団扇をもらう。
まあ金曜日だし、しかたがないか。今回もいい話が聞けた。23時すぎに帰宅。


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