月刊デラシネ通信 > その他の記事 > 今週買った本・読んだ本 > 2004年4月29日
原題となっている BALTRINGUES(バルトラング)は、サーカスの裏方のこと。、この小説は自分もサーカス団の裏方で働いた経験をもつ作者が、裏方でくすぶっていた男たちへサーカスへ賭けた夢を、愛情を込めて語ったものである。パルトラングたちは、いまやイベント会場となったテント設営で生業たてている。小銭でもらうわずかな週給も、飲み代に使い、その日暮らしの生活を送っている。それぞれが社会をはみ出し、その日暮らしを送るしかないこの連中のもとに、シェパという子犬が迷い込んできたことから、男たちは、サーカスという夢へ突き進むことになる。
はみだしもののこのパルトラングのチーフ格をつとめるマルコは、かつてサーカスで動物調教師として働いていた。マルコは一目みて、このシェパが、マスターという、自ら進んで芸を学ぼうとする特殊な天賦の才能を持った犬であることを見抜く。そしてこの犬がいれば、かねてから夢見ていた自分のサーカスがつくれるはずだと、仲間たちに呼びかける。いろいろ紆余曲折はあるものの、このサーカスの初演は大成功をおさめる。しかし、最後にひとつどんでん返しが待っているのだが・・・
社会の片隅に退けられてしまったバルトラングたちが、マルコというリーダーのもとで、サーカスをつくろうと邁進する姿が美しい。それぞれ挫折した経験を持つ吹き溜まりの生活でそれなりに安住している男たちが、夢に向かう、その心意気が、胸を打つ。
サーカスというものをこれだけ美しく語りかけた小説はないのではないだろうか。
夢のサーカスがいよいよスタートを切ったその日の公演の挨拶でこんなことが観客に語られる。
「昔からサーカスは、愛の物語です。愛がなければ、クラウンも猛獣つかいもブランコ乗りも存在しなかったでしょう。サーカスが生まれるには情熱と夢と努力と、そしてたくさんの愛が必要なのです」
聞きようによっては歯の浮くようなセリフかもしれない、しかしこの小説を;読んでいると、思わずその通りだとうなづいてしまい、そして胸が一杯になってくるのである。
手前味噌になるかもしれないが、拙著『虚業成れり』でとりあげた、神彰と彼と一緒に働いたAFAのスタッフたちのことが思い出された。神彰と一緒に幻を追いかけた人々たちが、最初にソ連からサーカスを呼んだとき、日本向けの名前をつけようと、毎晩酒を酌み交わしながら、議論を重ねていたシーンと、マルコがサーカス団の名前をみんなで決めようと話し合う場面が、だぶってくる。神たちは、ソ連のサーカス団に「ボリショイサーカス」と命名し、そしてマルコたちは、当然のように「パルトラングサーカス」と名付けた。
夢とか幻とか、手垢にまみれた言葉を信じて、語れるこんな男たちがうらやましい。自分のすべてをこのサーカスにつぎ込もうと決意を語るマルコの次の言葉が、どれだけ胸に沁みたことか。
「俺は、サーカスを起こす決心をしました。これまで15年、この機会を待ちながら、バルトラングとして他人の手伝いをしてきました。ときにはあなたがたの興行も手伝いもしました。今、俺はサーカスこそが俺の人生だとおもっています。26年間働き、今こそ自分のサーカスをと決めたのです。」
ディティール、特に小説のキーとなる動物調教についてや、テントの設営、興行界のことなども、手を抜かずきっちり書いてあるのもうれしい。
いままで読んだサーカス小説では、まちがいなく一番胸を打たれた小説である。
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