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クマの読書乱読 2002年8月

『父・長谷川四郎の謎』
著者 長谷川元吉
草思社、2002年8月刊行、2200円(本体)
購入したきっかけ  書店で見て

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 長谷川四郎の長男が書いた本ということで、肉親の目からみた回想だろうと思ったのだが、そんな甘い内容ではなかった。長谷川四郎が実は、ソ連側のスパイだったのではないかというショッキングな仮定のもと、タイトルにもあるように「長谷川四郎の謎」に迫ったスリリングなノンフィクションになっている。

 著者は北京で生まれ、少年時代を中国大陸で過ごしている。この間に妹と弟を亡くしているのだが、この弟の死の原因となった発疹チフスに、父の運命の大きな転換点があったのではないかと睨み、そこから、著者の追跡がはじまる。肉親だからこその着眼点なのだが、ここからの推理と調査は、実に読みごたえがある。
 四郎が興安嶺に出張にでかけ、ここで発疹チフスに罹り、その病原体が幼い弟にもうつり、死をもたらすのだが、著者は、父がどこでこの病原体をもらってきたのか、何故そんなところに行ったのかを執拗に追求するなかで、とんでもない事実にぶちあたるのである。
 どんな事実かについては、この書の核心となるところなので、あえてここでは触れないが、まさに意外な事実というしかない。
 満鉄の調査部員、さらには協和会事務局長という満州国の重要なポジションにいた四郎が、ここに行ったがために、そしてここであるものを見たがために、徴兵され、さらには、長谷川文学の原点となるシベリア抑留へと導かれることになるのだが、こうしたことは、いままでの長谷川四郎研究にはまったくない視点であり、実に刺激に富んでいる。
 このあとも、あるロシア人家族との交流、収容所からの脱走事件、ソ連軍侵攻を目の前にしての母子と四郎の面会のエピソードなどを紹介しながら、二度にわたる四郎の生命の危機を脱することができたのは、偶然ではなく必然だったのでは、という興味深い事実が明らかにされる。

 長谷川四郎はスパイだったというショッキングな内幕暴露を、実の息子がやっているところが特異だと言えるのだが、逆に肉親だったからこそ見えたこと、感じ取ったものを通して語られるだけ、説得力がある。
 長谷川四郎シンパがこれを読んだら、どのような反応をするのか、これもまた興味があるところだが、スパイだからって、彼の残した文学、生き方が、全面的に否定されるものではない、という確信のようなものが著者にあるように思える。それは父に対しての、文学者長谷川四郎に対してのある信頼ともいえるものが裏付けになっているのだろう。それがまた、この本を単なる暴露ものではない、骨太のドキュメンタリーにしているのだと思う。


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