月刊デラシネ通信 > その他の記事 > 今週買った本・読んだ本 > 2003年4月30日

今週買った本・読んだ本 3月30日

四方田犬彦『ハイスクール1968』
出版社 新潮社 定価 1600円+税

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 著者の四方田氏は私と同じ1953年生まれ、ただ氏は2月生まれなので学年はひとつ上になる。『新潮』でこれが連載されたのを知って、早くから読みたいと思っていた本だったので、かなり興奮しながら読んだ。

 ここで描かれているのは氏が1968年教育大駒場付属高校で入学してから卒業するまでの3年間のハイスクール生活である。当時の自分の高校時代と重ね合わせながら、ノスタルジアを十分に感じながら最初のうちは読んでいた。
 70年安保をひかえ、ベトナム反戦運動の昂揚、大学紛争の激化という政治の風が吹き荒れるなか、ビートルズの解散、ウッドストックやバングラデッシュのコンサートがあったあの時代、ATGの映画や、イージライダーを見、大江健三郎の小説を読み耽っていたあの時代、熱くならないのが嘘だった。そんな時代の息吹が全編伝わって来る。もちろん氏はそんなカウンターカルチャーの中心となっていた東京のど真ん中で高校時代を送っていたのに対して、こっちは仙台の田舎で、辛うじて新しい映画だけはなんとか見れたが、寺山修司の野外ハプニング劇や、新宿のフォーク広場などは風の便りで聞くばかりで、もどかしい思いを抱いており、同時代をすごしたとはいえ臨場感にはズレがあるのはまちがいない。
 いまでも思い出すのは高校2年の年、夜行列車に乗って初めて東京に行き、新宿の蠍座でアントニオーニの『赤い砂漠』を見たこと。あれは仙台に戻ってから自慢できた。でも四方田氏にすれば蠍座は、自分の庭のようなところであったわけだ。
 1年の学年のちがい、そして東京と仙台のちがいは、ずいぶん大きいのかもしれない。
 連載中の2回目を読んだ時、自分にとっても青春の大きな一頁といってもいい高校時代にどっぷりとつかりたい、だから早く読みたいと思ったのだが、読み終わって感じたことはこのズレだった。
 ノスタルジアにふけるつもりだったのが、読み進むにつれ、ノスタルジアなどとは遠いところで氏が真剣にこの時代の自分と向き合っていることがわかってきたせいもある。
 高校二年の冬バリケード封鎖の現場に立ち会うことになった四方田が、ある裏切りに面するところから、ハイスクール1968はまったくちがう様相を帯びてくるのである。そして裏切られたということが、四方田のいまが出発したといってもいいだろう。だからその時をこの書をかくなかで、徹底的に追いかけようとしているのかもしれない。それはとてつもなく内省的で孤独で辛い旅でもある。

 牧歌的に自分の高校時代に立ち戻れると思っていたはずなのだが、この内省的な孤独な旅のモノローグを読むうちにだんだん辛くなってきたのは、否めない。四方田はこの孤独をずっと抱えてきたわけだ、その意味で最後に1968年高校一年生であった自分がその後も長く抱き込む孤独から、解放されたいと思ってこの本を書いたというのは、まぎれもない真意であろう。
 私にすれば、ここで四方田が書いている1968年からの三年間は、いまでも忘れることができない時代であった。ここで自分は友と出会い、初恋もし、思う存分無茶をし、旅もした。いつかこの時のことを書きたいという思いもあるが、四方田のこの本を読んで、少し気持ちが萎えてきた。やはり自分にすればあの時は自分もまわりも輝いていたと思えるのだ。だからこうした孤独な旅のはじまりを読むと、自分の牧歌的にしかなりえない話は、ちょっとさまにならないのかなあという気がするのである。


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