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クマの観覧雑記帳

KOYO MIME LIVE 2004

観覧日 2004年1月22日
会場  こまばアゴラ劇場
作・演出 山本光洋
出演  山本光洋
     (ゲスト)加納真美、京本千恵美、鈴木晴美、藤原進一朗
公演時間 1時間30分


 久し振りの山本光洋のソロライブ、面白かった。山本自身の作品は、10本、おそらく全部新作だと思う。よくここまで新作だけで、構成してきたと思う。前半ちょっとだるいのもあったが、全体的に光洋ワールドともいえる、ナンセンスもの、グロテスクもの、ちょっとしんみりさせるもの、シリアスコメディーなど実にバラエティに富んだ構成になっていた。山本光洋は、進化するだけでなく、円熟してきたなあという感じだ。

 印象に残った作品は、まず頭でやった「ハエ」。ウンコをする動作を見せてから、このウンコをエサにした二匹のオス雌のハエを演じ分けるものなのだが、とにかく馬鹿馬鹿しい。よくもまあこんなバカバカしいネタを思いついたと思う。文句なしに笑えた。
 腰の曲がらない老いぼれた老人が、プレイヤーのスイッチを入れると、「サタディーナイトフィーバー」がかかり、この音楽に合わせて踊る振りをするという「2055」も、好きな作品のひとつ。どうみても立つのもやっとという老人が、曲がかかると、なんとなく身体が動いてしまうというなかに漂う、哀愁ともいうべきものを、実にリアルに演じていた。おかしいのだが、切なさもしみじみと伝わってくる佳作だった。

 「そして神戸」、これは加納真美と一緒に演じたものだが、寿司屋の板前に扮した山本が、実にいなせでさまになっているのにまずびっくり。そして着物姿の加納のみょうちくりんな色ぽっさ。このふたりがありふれた男と女の別れのシーンを演歌的に演じるのだが、これだけでも十分笑わせてくれるのだが、さらに音楽を巻き戻し、早まわし、繰り返しといういたずらにあわせて演技し、笑いの世界を増幅させていく。完成度の高い作品だった。

 最後の「吊らない、飛びおりない、懲りない」は、笑いのつぼをつかんだしっかりとした構成のネタとなった。自殺願望の男というシチュエーションは、以前もやっている。今回もまず首吊り自殺をしようとするのだが、ロープに首が届かず、その台をつくるところを実際に木材と鋸をつかって延々と見せる。これはクラウンの文法のひとつ「自分からつくり出した困難な状況を、どう克服するか」を演じたもの、鋸で木を実際に切るのにはちと驚いたが、ここはもう少し失敗を入れてもいいかなあと思ったが、クラウンの王道を堂々といっていたところは拍手。どうオチにもっていくのかが興味深かかったのだが、案の定つくった台が壊れて、ロープもとれてしまうところでは、オイオイこれがオチかよと思ったのだが、そのへんは山本。これは次のドラマの伏線にもっていったのは、さすがである。首吊りに失敗した男は、こんど崖から、飛びおりようとする。ここでもクラウンの文法は生かされている。笑ったのは、せっかく書いた遺書を靴の下に置こうとしたら、肝心の遺書がなく、封筒が空っぽだったというところ。さらにこれをうまく置けずに、靴下を脱いで、足の指をつかって置こうとするところは、見事な笑いの転調になっていた。
 自殺願望男を描いた前の作品では、自殺を何度も試みるものの、うまく行かず切れたたばこを買いにいくところで、交通事故に遇うという、いわば暗転でのオチだった。今回は、どうするのだろうと思っていたら、自殺をする原因となったらしい別れた奥さんが子供も連れてきて登場、その子供を渡したところで、自殺を思い止まるという展開に持って行った。決してハッピーエンドではない。奥さんはどうもほかに男がいるらしく、ただ単に、やっかいものになった子供をおきにきただけなのだ。それでも男は喜んで子供をあやすという、明転でのオチにもってきた。
 これを見て、タイトルは忘れたが、「パントマイムってなんだよなあ」というネタを思い出してしまった。請け負うことを選択すること、宿命というか、運命を受けいるというそのささやかな意志表示が、この作品からみえたのかもしれない。妻には逃げられるというどんでん返しがあっても、子供を受け入れるという行為のなかで、運命を受け入れちゃおうというオチにもってきた山本に、自分は感動していた。
 今回の作品のなかでは、一番好きであったし、冒頭にも書いた円熟味が感じられるものでもあった。
 一緒に見た人が、カウリスマキの映画にこんなのがあったよねと言っていた。

 山本ファンのひとりとして、今回の公演は楽しめたし、うれしかった。2年前のフール祭の公演も完成度が高いものだったが、今回の作品の方が自分としては好きだった。


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