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【連載】ロシアエトランゼの系譜−ベルチンスキイの生涯−

第2回 ベルチンスキイのバラードから

『妻についての小唄』
『日々は流れる』
『パレスチナのタンゴ』
『別れの晩餐』


 私が持っているベルチンスキイのCDには、「1.異国の街、2.バラの海の上で、3.別れの晩餐、4.マダム、葉っぱはもう落ちますよ、5.女性なしで、6.小さな女優、7.タンゴ『マグノリア』、8.小さなバレリーナ、9.ピッコロ・バンビーナ、10.ジミー・ピラト、11.パレスチナのタンゴ、12.日々は流れる、13.私たちの部屋で、14.妻のための小唄、15.お嬢ちゃん、16.アレヌーシカ、17.高い買い物」の計十七曲が入っている。
 この中から、今回は四曲訳してみた。
 いずれの歌からも、エトランゼの悲哀がにじみ出てくる。
 半生を亡命者として、大陸から大陸へと渡り歩きながら、歌い続けなければならなかったベルチンスキイの、放浪者としての宿命への諦念のようなものが感じとれる。


『妻についての小唄』

歌で、魂を投げ売りするのは、もう厭きた。
しかしコンサートから自分の家に帰り、
夕べに、陽気でお利口な妻と語り合うことがどれだけ楽しいことか

優しい、自然に出てくる微笑みとともに語ることが
「おお、お前は、尻尾のない、楽しい私の小鳥、
私が疲れ、苦しんでいても、そしてちょっと狂っていて、病にかかっていることなど、
なんでもないさ

泣かないで、泣かないで、わたしのいとおしい人よ
泣かないで、かわいい妻よ
私たちの生活には、気に入らないことばかり
でも、その代わりその中には春があるんだ」

自分の役者の癖を我慢するために、
天使の忍耐が必要だ
私のおきまりの恋心に別れを告げるためには、
なにかを理解することが必要なんだ

自分の罪を償い、もみ消すために、
彼女のうなじにキスをしながら、
すぐに腹立たしさを装って、
静かに歌を口ずさむ

「ねえ泣かないで、泣かないで、わたしのいとおしい人よ
泣かないで、かわいい妻よ
私たちの生活には、たてなおすことがある
私たちの生活の中には春があるんだ」

あなたによって投げ捨てられた、
みじめで、滑稽な、廃れた
もう誰にも必要のなくなった、着古された歳月が通りすぎていくだろう
まえと同じように、私は自宅に戻り、

そしてみじめで、不自然な笑みを浮かべて話すだろう
「こんにちわ、私のたったひとりの、小鳥ちゃん
私が疲れていることも、苦しんでいることも
孤独でいることも、忘れ去れ、病んでいることも
たいしたことじゃない

「泣かないで、泣かないで、わたしのいとおしい人よ
泣かないで、かわいい妻よ
私たちの生活は、もうたてなおすことができないんだ
私たちの生活の中には春があったのに
1930年作

『日々は流れる』

どれだけのきどったジェスチャー
どれだけの折れた薔薇の花
どれだけの苦しみ、のろい、そして涙が!

いかに花冠が輝いていたことか!
なんという月並みなエンディング!
どれだけ私たちは愚か者だったか!

愛、これは毒
愛、これは地獄
そこでは心臓が永遠に燃えている

しかし日々は流れる、
春の川のように
日々は流れる
私たちのあとに歳月を運びながら

時は人々を癒してくれる
しかし流れ去った日々のなかで
残るのは、たったひとつ憂愁だけ
私と一緒にあるのは、いつもこれだ

そのかわり、愛情がさめ、
感情をズタズタにされても、
私たちはそれを自分たちで望んでいる

いつわりや、恐怖を恥て、
心にナイフをもっている

誰にもわからない
だれにも言わない
おののきと沈黙だけが残るのだ

しかし日々は流れる、
春の川のように
日々は流れる
私たちのあとに歳月を運びながら

時は人々を癒してくれる
しかし流れ去った日々のなかで
残るのは、たったひとつ憂愁だけ
私と一緒にあるのは、いつもこれだ
1932年ウィーンにて

『バレスチナのタンゴ』

道が、誘い、鳴り、呼び、歌う、
まだ悩ましげに、春が酩酊している、
残された人生はあとわずか、
こめかみの真ん中は白くなっている。

面倒なことが行き交い、走り、飛んでいる、
霧の彼方で、歳月が流れている。
私たちを人生から永遠に運び去ってくれる誰かが
こんなにも、必要とされている

心だけが知っている、焦がれている、待っている、
永遠に私たちをどこかに呼んでくれることを
そこでは、悲しみは空を飛び、どこかに隠されている
そこには、扁桃の花が咲き乱れている

嵐や争いのないその辺境の地で、
空から黄金の光が降り注ぐところでは、
なにか祈りのようのものが歌われている
優しい、静かな聖なる日々と出会える

そこで人々は内気で、賢明で、
空はガラスのように輝いている。
嘘や白粉に疲れた私には、
こんな人たちと静かに、明るく過ごしたことがあったのに。

心だけが知っている、焦がれている、待っている、
永遠に私たちをどこかに呼んでくれることを
そこでは、悲しみは空を飛び、どこかに隠されている
そこには、扁桃の花が咲き乱れている
パレスチナにて

『別れの晩餐』

今日の月は物憂げだ、
囚われの王女のようだ
悲しげで、憂鬱に、青ざめている
望みのない恋に陥っている。
    今日の音楽は病んでいる
    かすかに口ずさむように鳴っている
    彼女は、気まぐれ、でも優しい
    そして冷たく、そして怒っている
今日は私たちの最後の日
海辺のレストランにいる。
テラスに影が落ち、
霧の中で炎が燃えている。
    引き潮が泡でレースの模様を、
    つくりながら物憂げに流れている
    私たちは静けさを招き入れたのだ
    別れの晩餐に
愛する友よ、あなたに感謝する
秘密の逢い引きに
忘れがたい言葉に
そして燃えるような告白に
    告白は、明るい炎のように、
    ふさぐ私のなかで燃えている。
    飾られた幸せの、
    黄金の日々のために
あなたに感謝する、
苦しみにも似た愛のために、
また別れの苦しみを感じさせてくれたことに。
    魅惑的な肉体の酔わせるような魅力に、
    私たちふたりを歌った
    すばらしい情熱に。
私は自分のグラスをかかげる
逃れない変化のために
あなたの新しい道のために
そして新しい裏切りのために。
    あなたをあそこで待っている
    誰かのことを妬みはしない
    黙って、グラスを飲み干すだけだ
私は知っている、私があなたの幸せのために
必要な人間ではないことを
それは他の人だ、でも彼を待たしておけばいい
私たちの晩餐が終わるまでは!
    私は知っている、船でさえ
    港が必要なことを
    でも私たちにはないのだ
    さすらう役者には、それさえも!
1939、青島にて

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