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【連載】ロシアエトランゼの系譜−ベルチンスキイの生涯−

第5回 祖国との別れ

今回からベルチンスキイの流浪の旅をおいかけます。革命後ベルチンスキイが、祖国に別れを告げ、ながい亡命の旅につくまでを、自伝から紹介します。

キエフへ
オデッサの一夜
運命の選択−セバストポーリにて


キエフへ

 革命の混乱が続くなか、ベルチンスキイはロシア各地を巡業していた。コーカサス、クリミアを回りモスクワに戻ったとき、彼が拠点としていた劇場のオーナーからキエフ行きの話が持ち込まれる。モスクワは革命の混乱のさなか、とても公演ができる状態になかった。オーナーは、モスクワの劇場をいったん閉めて、キエフに移すことを決意していた。ベルチンスキイも、キエフに行くことを決める。これは一時的な引っ越しであり、すぐに戻れると思っていた彼は、荷物のほとんどを知り合いの家に置いていっている。まさか25年間も留守することになろうとは夢に思っていなかった。
 生まれ故郷のキエフに着いたとき、少年時代を過ごしたこの街があまりにも様変わりしているのに、ベルチンスキイは驚く。あらゆる階層の人たちが集まって、通りも店も、劇場もごった返していた。ありがたいことにここでは白パンも売られていた。飢えの街モスクワから来た者にとっては、ここはまさに天国であった。
 公演も順調に進んでいた。公演の合間に、彼は少年時代に慣れ親しんだところを彷徨い歩く。自分の家もそのまま残っていた。庭もテラスも昔のままだった。親戚や友人たちをたずねた。友人たちはほとんどキエフにはいなかった。公演の合間に、行く当てもないことにたまらなく寂しさを感じた。せっかく故郷に戻ってきたというのに、ベルチンスキイの心はぽっかりと穴があいたようだった。

オデッサの一夜

 ベルチンスキイがキエフの次に訪れたのは、ハリコフだった。革命の混乱をよそにこの街も賑わっていた。特に演劇界は、才能豊かな俳優たちが集まり、活気づいていた。ここでベルチンスキイは、美しい女優の卵ワレンチーナの不思議な魅力に囚われ、恋に落ちる。しかし「あなたが女心を唄う詩人だなんて、馬鹿みたい。鈍感な阿呆よ」と捨てぜりふを残して、ワレンチーナは姿を消す。
 傷心のベルチンスキイは、ハリコフを去り、黒海の港町オデッサを訪れる。この異国情緒が漂う街も、活力が漲っていた。赤軍はまだ遠いところにあったのだ。街は束の間の平安をむさぼっているようだった。
 ここでベルチンスキイは、白軍の将軍スラショーフから突然呼び出される。
 夜中の3時、突然のノックで目を覚まされたベルチンスキイは、スラショーフの使いの副官に連れられ、駅に停車していた軍用ワゴン車を訪ねる。テーブルには空になった酒瓶が何本も転がっていた。10数人が席についていた。
 ひとりの大柄な男が腰をあげ、大きな手を差し伸べてきた。スラショーフだった。
 「よく来てくれた。私はあなたの大ファンなのだよ。コカインをやらんかね」
 ベルチンスキイは丁重にこの申し出を断わる。スラショーフは、「リーダ(女性の名前)、ベルチンスキイ君に注いでやりなさい。お前がぞっこん惚れていた人じゃないか」と命じる。スラショーフの隣に座っていた若い将校が立ち上がった。彼が、スラショーフの愛人だった。
 ベルチンスキイが目にしたのは、異様な光景だった。テーブルの真ん中には、コカインの入った煙草入れがおいてあり、みんなコカインを嗅いでいた。スラショーフの顔をよく見ると、化粧しているではないか。スラショーフの表情は、一瞬のうちにかわる。時に生気をおびたかとおもうと、すぐに寂しそうな顔になる。彼はベルチンスキイに唄うように命じた。
 「ピアノがない」と断わろうとしたが、無駄な抵抗だった。
 「そんなばかな。ニコライ、ギターをもってこい。お前はベルチンスキイの唄だったら諳じているはずだ。明かりを落とせ。しかしまずはコカインだ」
 スラショーフがコカインを一掴みとった。
 ベルチンスキイは、「私は何故だかわからない」という唄を歌った。
 歌い終えたベルチンスキイにコニャックの入ったグラスを渡したスラショーフは、みんなに乾杯をうながした。
 「みなさん。私たちはみんな知っているし、これを感じることができる。ただ言葉に言い表せないのだ。彼はそれができる」
 彼はこうまくしたてたあと、ベルチンスキイの肩に手をかけ、こう語りかけた。
 「あなたの唄と一緒に、私の可愛い部下たちが死に行ったのだ。ただこの唄が必要だったのかどうか、私にはわからない」
 客はみんな黙りこくってしまった。
 スラショーフが「お疲れですか?」と聞いてきたので、ベルチンスキイは「ええ少し」と答えた。副官に彼は合図を出し、ベルチンスキイを送るように命じた。
 「怒らないでください。私だって休みたい時があるのです。このあとは、どこに行くのですか?」
 微笑みを浮かべて尋ねるスラショーフに、ベルチンスキイは「セバストポーリです」と答えた。
 「そうですか。きっとまた会うことになるでしょう。さようなら」
 ベルチンスキイがこの場を去った時、夜はすでに明けていた。

運命の選択−セバストポーリにて

 ベルチンスキイが、キエフ、ハリコフ、オデッサと巡業を続けていたときは、反革命勢力が優勢であった。しかし徐々に赤軍が近づいていた。反革命軍団−白軍は、後退を余儀なくされていた。そしてベルチンスキイも白軍と共に、追いつめられていたのだ。オデッサのあと訪れたヤルタでは、コンサートをすることができなかった。ここにはコンサートを聞きに来るような客などいなかったのだ。
 ロシアの大地が途切れるところ、セバストポーリにベルチンスキイはたどりつく。ここは袋小路になっていた。事実上白軍は、存在していなかった。行き場を失った人々が、ここにたむろしていた。金の有るものは、この町にあった在外領事館にビザを求め、殺到した。「チェコはどうだ、セルビアもあるよ、トルコも」とビザを売るもの、国籍を売るものもいた。
 ベルチンスキイは知り合いの東洋人の侯爵から、トルコに行かないかと誘われていた。
 スラショーフの檄文「すぐに荷を解け、もう一度私たちは諸君のためにこの最後の砦を守る」が、町中に貼られていた。
 スラショーフは前線からこの町に戻ってきた。ベルチンスキイはまた宴会の席に呼ばれる。彼の求めに応じて、唄を歌った。スラショーフはすでに半分正気を失っていた。
 兵隊たちは前線から逃亡し、士官たちも軍服を捨て、平服に着替えていた。軍の規律などないのも同然だった。そんな時、ベルチンスキイは、一通の電報を受け取る。
 「私のところへ来て下さい。君の唄なしでは寂しくしかたがないのです。スラショーフ」
 港の埠頭に一隻の船が碇泊していた。船長はギリシア人で馴染みの男だった。コンスタンチノープルに向かうという。ベルチンスキイは船長に頼んで、この船に乗せてもらうことにする。ベルチンスキイは翌朝唯一の友人ともいうべき俳優のプチャートとピアニストを連れて、セバストポーリから旅立った。長い長い亡命の旅はこの日からこうして始まったのである。
 彼は、回想録の中で次のようにこの決断について思い起こしている。

「外国語などまったく知らない、気まぐれで甘やかされたロシアの一芸人、神経衰弱にかかり、生活するすべもしらない、人生経験のない、自分をも信用できない私が、なぜこんなにも軽率に故国を捨てることになったのか、いまでもわからないのだ。
 汽船に乗り込み、異国へ向かうようになったのは、何故か、その答えはなんなのだろう?
 あれから何年も経って、この問題に答えを出そうとしても、自分の魂の中に、ほんとうの正しい答えを見つけることができないのだ。
 ソビエト政権を憎んでいたのだろうか? それはちがう! ソビエト政府は、私になにひとつ乱暴なことなどしていなかった。私は他の体制の支持者だったのか? それもノーだ。その時の私はなにひとつ確信などなかったのだから。
 それではその時なにが起こったのだろう。何が私に出発を促したのだろう?
 必要ならば喜んで、自分の命を引換えにしてもいいと思っている祖国の大地と、どうして引き離されることになったのだろう?
 単に私が愚かだったからだと思う。
 もしかしたら、冒険や旅や、まだ知らない新しいものへの憧れがあったのかもしれない。とにもかくにも私はトルコに着いたのだ」

 ベルチンスキイのさすらいの旅は、トルコのコンスタンチノープルから始まる。


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