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【連載】ロシアエトランゼの系譜−ベルチンスキイの生涯−

第9回 ルーマニア−2 ジプシーたちとの出会い

キシニェフ、そこは川を隔てて祖国ロシアがある街だった。ここでベルチンスキイは、再び故郷に戻るという夢に駆られる。しかしそれもできるわけもなく、それどころか亡命者の彼の元に危機が迫っていた。

ドニエステル川の岸辺で
ロシア人と共に


 コンスタンツァを出たベルチンスキイは、ブカレストを経てベッサリビオ、そしてキシニェフへと旅を続ける。これらの町は、ロシアといってもよかった。この町でベルチンスキイは、たまらない望郷の思いにとらわれる。

「私たちのロシアの大地を見て、私がどんな気持ちになったか、それを伝えることは難しい。ここはいまはロシアの領地ではなく、異国とはいっても、親しんだ、やさしい気持ちになれるところだったのだ。
 「薬屋」、「大衆食堂」、「お菓子屋」、「ワイン屋」、「食料品店」といったロシア語の看板は、私のなかにやさしい気持ちを呼び起こしてくれた。実際私は、ずっと前幼年時代に忘れていたやさしい人たちと出会った」

 痩せ馬が引く馬車に乗り、モルドワの草原を旅するベルチンスキイが目にする農村の風景は、故郷のウクライナを思い出せるものばかりだった。白い農家、井戸、柵、そしてひまわりの花、鳥の囀り、空気、太陽が、ベルチンスキイの気持ちを和ませる。
 この旅の途中で、ジプシーの一団と出会う。

「たき火が焚かれていた。半円形に幌馬車が並んでいる。子供たちの叫ぶ声。私たちもここで立ちどまった。ジプシーたちのところへ行く。たき火の前に座り、夕食を食べ、ワインを飲み、歌に耳を傾けた。ギターをかきならしながら、故郷をしのぶ歌だ。草原は月の光で銀色に輝く、セミの声、うずらの囀り。こうした故郷を失った人たちと、私のあいだには、あまりにも多くの共通点があった」

 若い夫婦連れのジプシーの一団と出会った時に、憲兵たちに取り囲まれるという事件が起きる。憲兵たちの話では、この一団が郵便局を襲ったという。夫が憲兵たちに捕まり、引っ立てられようとした時、ベルチンスキイは、ジプシーの気性の激しさを目の前にする。夫を奪われた若い妻は、泣きわめき、目をぎらぎらさせ、夫のところに突っ込んでいく。これを憲兵がしりぞけると、怒りで我を忘れたこの女は、突然自分の赤ん坊をつかんで、それを憲兵めがけて投げるではないか。鞍に乗っていた憲兵は、やっとのこと足先でこの赤ん坊を捕らえた。

ドニエステル川の岸辺で

 ベルチンスキイたちは、ベンジェラという町の小さな宿に泊まった。サマワールが運ばれた。主人とベルチンスキイたちが、ロシア語で話し合うのを、窓の外で土地の人たちが集まって見ていた。彼らもロシア語がわかるのだ。
 公演まで半日時間があった。ベルチンスキイは、ドニエステル川の岸辺に、「故郷」を見に行く。

「夕方の8時だった。向こう側では、教会の円屋根がやさしく輝いている。静かな鐘の音が私の耳にもやっと届いてくる。双眼鏡がなくても、岸辺で見張りが歩いているのが見えた。岸辺では家畜たちが平和に水を飲んでいる。
 すべてが、あまりにも、信じられないほどに、そして無情にも近すぎるのだ。すぐ近くにあるのだ。私と故郷のあいだは、20数メートルだったろう。川に飛び込もう!泳いでいこう! 捕まらないさ、そんなことが頭をかすめる。あそこに? あそこにはなにがあるのか? 見張りが銃を突きつけて撃ち殺す、それだけだ。私たちは誰にとって必要なのか? 脱走者! 夜逃げした臆病者! あそこで誰が私たちを迎えてくれるというのだ? 私たちは彼らにとって何なのか? 過去の残りかすじゃないか! 逃げ去った地主の召使! 村の子供たちが私たちを嘲るだろう! 私たちはいったいなにができるのだろう? 何にもできない! 私たちは何を知っているというのだ? なにか役にたつことがあるのか? 床を洗うことだってできないじゃないか!
 私は石のうえに座り込んで、泣きだした。
 キリャコーフが私をホテルまで連れ帰ってくれた。「落ち込むなよ、明日は、公演だ」彼はこう言った。
 部屋に戻って、私は詩を書いた。
 こんな詩だ。
 
 白樺におおわれたとき
 草原は夢のなかへと消えていく
 どんなにあまく、
 どんなに涙にくれようと
 せめて故郷を一目みさせてくれ」

ロシア人と共に

 町にはロシア人がたくさん住んでいた。彼らはちがう治世者がきても、この町から逃げようとはしなかった。ロシア人は決して祖国のことを忘れはしなかった。解放される日をじっと待っていた。そして信じていた。
 彼らはコンサートにやって来て、ベルチンスキイと語り合った。彼らにとってベルチンスキイは、アーティストだけでなく、祖国の芸術の小さな火花を持ってきた、祖国の仲間だったのだ。
 ベルチンスキイはルーマニア政府にとって危険人物になっていた。キシニェフからベルチンスキイを監視するよう命令が出されていた。コンサートには、秘密警察、役人、密偵が必ず来ていた。彼らはベルチンスキイや観客を注意深く観察していた。そして彼の歌の秘密を探ろうとしていた。
 アッケルマンというところでコンサートをしていた時、町の司令官が直々に一番前の席に座ってベルチンスキイの歌を聞いていた。彼はなぜ、ベルチンスキイが拍手喝采で迎えられるのか理解できなかった。とうとう我慢できなくなった司令官は、立ち上がり、客席のほうを振り向いて、ナイフを床に刺して、狂ったようにルーマニア語でわめき出した。
 「いったいこの男は何を歌っているのだ? 彼がなにを歌っているのか、説明しなさい。いったい全体みんな気でも狂ったのか? 彼には声などないではないか、いったい何があるというのだ」
 だれかが司令官に近寄り、説明しようとするが、彼は鎮まるどころか、さらに激昂してこう叫んだ。
 「うそだ。彼はボリシェビキなのだ。彼はここで集会を開いているのだ。こいつに拍手するな」
 こんなことがあっても、ベルチンスキイはひるまなかった。彼はロシア語で歌い、ロシア語を必要としている観客と触れ合うことが、自分にとっても、ここに住むロシア人にとっても大事なことだとわかったからだ。ベッサラビオの町をベルチンスキイは駆け回る。 彼がまわったコンサート会場から届けられる密告や報告は山のようにふくれあがった。

「観客は目を覚ましたのだ。私に心を奪われたのだ。涙ながらに人々は、私がやって来たことを、ロシア語も持ってきたことを、元気づけられたことを、ほっとしたことを、感謝してくれたのだ。これは私にとってはほんとうに発見だった。目が開かれた。これは喜びであり、また誇りだった」

(続く)


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