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神彰とは何者か

 いまクマの机の上は、神彰という男の資料で一杯です。
 えっ、神彰って誰っていう人が多いかもしれません。戦後まもない頃、最初にドン・コサック合唱団を呼び、日本中に大旋風を起こした男、そして全く交流がなかったソ連の厚い鉄のカーテンをこじ開け、ボリショイ・バレエ、ボリショイ・サーカス、レニングラードフィルなどを次々に呼ぶことに成功し、大宅壮一から『赤い呼び屋』と称された昭和の風雲児です。
神彰と有吉佐和子 このあとも、素人集団アートフレンドを率い、シャガール展、ピカソ展、アート・ブレイキー、チェコフィルなど、常に話題をもった公演を成功させた神彰は、当時新進気鋭の女流作家として注目を浴びていた有吉佐和子と結婚、巷をおおいにわかせます。
 しかしアートフレンドの内紛、大西部サーカスの大失敗、有吉との離婚などが重なり、会社も倒産、膨大な借金を抱えたまま、かつての栄光の座から、転落してしまいます。再び呼び屋として、富士サーキット500マイルレースや、カシアス・クレイの招聘など世間を騒がせますが、興業は相次いで失敗、興業師として再び蘇ることはありませんでした。神彰が再び世間の前に姿を現し、脚光を浴びるのは、居酒屋チェーン『北の家族』をオープンし、これが大成功を収めてからです。
 神彰は、一九九八年五月に鎌倉で76才の生涯を閉じています。
 彼の波瀾に富んだ人生をたどりたいと思っています。ひとつには、私の本業であるプロモーターの大先輩であり、かねてから神彰のプロモーターとしての生き方に興味をもっていたこと、プロモーターとして彼が何を夢みていたのか知りたかったことがあります。もうひとつはとかく『呼び屋』というレッテルを貼られ、彼がなし遂げた芸術交流の意義が正当に評価されていないのではという思いがあります。
 神彰の足跡を追うという作業は、まずアートフレンドという団体の実体を明らかにすることからはじまりました。アートフレンドが呼んだ公演記録を整理するとともに、アートフレンドで神彰と仕事を共にした人々への取材を開始しました。
 ここでは随時神彰とアートフレンドに関する、私の取材の経過報告をしていきたいと思っています。

参考資料1 朝日新聞「惜別」欄の記事はこちら


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